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肉、肉、肉

○豚バラ肉と春野菜のポトフ


「次はお前か、エルゥ……」


 メリッサと入れ替わりで、メガネをかけた痩身のエルフが前に出た。


 先ほど、メリッサが一番怖いといったな? あれは嘘だ。


 こと食い物に関しては、エルゥが最恐だ。何しろ、前科があるからな……見ろ、あの顔を! 貼り付けたような笑顔じゃねえか!


「今度は何を仕込んだ……!?」


「愛情さ」


 にたり、と笑ったまま答えるエルゥ。どの口がいうか、どの口が……!


「まぁ、安心してくれたまえ。この料理には、薬物などを混ぜてはいない。今回は純粋に、『美味しさ』のみを追求して作ってみたよ」


「本当か……?」


「本当さ。こう見えても私はポトフにはうるさいからね。無粋な混ぜ物などはしない」


 ううむ……ここまで言うからには、本当なのだろうか……。


「ポトフはね、単純に見えて奥が深いんだよ。野菜と肉、香辛料をブイヨンで煮込み、塩味をつけただけのもの……言ってしまえばそれだけだ。でもね、タカヒロ君。ほんの少しのこだわりで、ポトフはその味を変えるんだ」


 俺が迷っている間に、エルゥが何か語り出した。


「例えば、用いる野菜が冬のものと春のものでは、まるで別の料理になる。また、肉の選択も肝心だね。グランフェリアでは軽く塩をすり込み、しばらく寝かせた豚肉が用いられるが、羊、牛、加工肉に魔物肉など、地域によって千差万別の違いを見せる。このように、ポトフと一口に言っても、その言葉が指し示す範囲はとても広いものであり……」


 ずいぶんと熱心な弁だな……ポトフにこだわりがあるってのは本当らしいな。


「王暦以前にも、ポトフの原型と思しき料理が存在していた。豚肉とジャガイモ、玉ねぎを弱火でじっくりと煮ただけのもので、これには香辛料を使わない。この料理に名前はなく、ただ単に『煮込み』と呼ばれていたそうだよ。北はロセリア、南はサウードまで、多くの地域で食されており、これがポトフの多様性、地域性を生み出す要因となり……」


 はぁ、そうですか……相変わらずうんちくを語ると長いな、こいつ。


「さて、今回用意したポトフは、実にスタンダートなポトフだ。小ぶりな新じゃがいも、小カブ、プチオニオン、セロリと、軽く塩をして寝かせた豚バラ肉、そして、ローリエと粒胡椒を鍋に入れ、ブイヨンを注いで火にかける。そのまま、アクを取りつつ、弱火でじっくりと半日ほど煮込んで、出来上がりだ」


 手順を示すかのように、鍋にぽんぽん肉と野菜を放り込むエルゥ。やっと料理のお出ましか……。


「って、ちょっと待て! 今から作るのかよ!?」


「そんなわけないだろう。先ほどの実演は、手順の説明だ。料理は、あらかじめ半日煮込んだものを用意しておいた」


「料理番組か!」


 野菜などを置いていた配膳台から、布がかけられた鍋をすっと持ち上げるエルゥ。そして、テーブルに置かれた鍋の蓋を布ごと持ち上げると……ふわっと、柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。


「おおっ……」


 どこかコンソメに似ているが、それよりもずっと優しい匂いだ。


「どうだい、いい香りだろう? 春の野菜は、滑らかな食感もさることながら、この香りが最大の魅力なんだ。香辛料にも負けない、大地の香り……存分に、楽しんでくれたまえ」


 なるほど、これは野菜の匂いか! しかし、濃いなあ……! 蒸気にのって、ふわりとまんぷく亭店内に広がった香り……まるで花束だ。匂いだけで、むせかえりそうになる。


「さあ、ご堪能あれ。好みでマスタードをつけるのもいいが、まずはそのまま、味わってみてくれないか」


 エルゥがシチュー皿に肉と野菜を取り分けてくれた。


 どいつもこいつも、ごろごろとしていて、無骨そのものだ。新ジャガイモや小玉ねぎなんか、丸のままだ。だが、それがたまらなくうまそうに見える。


「じゃあ、いただきまーす!」


 我慢なんて必要ない。ナイフを右手、フォークを左手で掲げ、俺は皿の中央に鎮座している塊肉に突撃した。


 切り分けなければ口に納まらない大きさの肉にナイフを突き立て、フォークで切りにかかる。だが……肉がほろほろと崩れ、うまく切れない。なんて柔らかさだ……!


 仕方なく、とろとろの脂身にナイフを入れ、縦ではなく横に切る。そして、フォークの上でふるふると震える煮込み肉を、口いっぱいに頬ばった。


「んん~~~……! と、とろける……!」


 口の中の肉が、さくさく、とろりととろけた。


 崩壊しそうなほどに柔らかな煮込み肉は、さくりと噛み切ったと思えば、次の瞬間、するりとのどの奥へと滑っていく……霜降り肉とは、また違ったとろけ方だ。


「おっふ……また、野菜がほくほく、とろとろで……!」


 ジャガイモ、カブはほくほくと口の中でほぐれ、セロリや玉ねぎはジュレのようにとろける。野菜のエキスが、口からあふれ出しそうだ……!


「また、マスタードがいいな! 味がピリッと引き締まってさ」


 香り高いが辛味が薄い粒マスタードは、その酸味にこそ真価があると思う。ビネガーにも似た酸味が加われば、どこか芯のない煮込み料理がピシッと引き締まる。いくらでも食えてしまいそうだ……!


「どうだい? 私のポトフは美味しいだろう?」


「ああ、うまいな、これ! 最高だ!」


「ふふふ……もっと食べていいんだよ?」


「言われなくても!」


 食べるほどに飢えていく感じだ。こんな感覚、初めてだ。


 肉、春野菜、マスタード……悪魔の如き組み合わせが、俺を虜にする。もう、止められない止まらない!


「ハァ、ハァ、ハァ、もっと! もっとだ!」


「いいとも、存分に食べたまえ! こうなるだろうと思って、たくさん作っておいたのさ。君のためだよ? ふふふふふふふふふふふ……!」


 舌が、のどが、胃袋が! 俺の全てが、ポトフを求めてやまない。ポトフを食べなければ、どうにかなってしまいそうだ!


「うおおおおおおォォォォォォォ!」


「ははははは! これで私の勝ちだ! タカヒロ君は、私のポトフに夢中だ! はーっははははははは!」


 エルゥの高笑いが聞こえる。でも、そんなこと、今はどうでもいい。今は、ポトフ、ポトふ、ぽとふ……。


「ドクターストーップ! 今、シスターのメリッサちゃんからドクターストップがかかりました! あーっと、よく見ればタカヒロ審査員、白目をむいているー!? エルゥ選手、何をしたんだーっ!?」


「は、離せっ!? 私は、私はただ、『美味しさ100倍になる』という珍しい薬草が手に入ったから、それを試そうと……これは人類への貢献だ! 見ろ! タカヒロ君もあんなに幸せそうじゃないか! 何も問題は……」


「あっちでお話、しよ?」


「やめっ、あ、ああああぁぁぁぁぁ~~~~~~…………」


「審査員がこうなった以上、審査中断はやむなし! 戦いは、夜へ持ち越しだー! 果たして、タカヒロ審査員の胃袋をガッチリキャッチするのは、誰なのか!? 誰なのか!? いったい、誰なのかー!? ……はい、CM入りまーす」


 喧騒の中、俺の意識は段々と薄れていって……ぶつりと、暗闇に落ちた。




○水餃子


「……ご主人さま。しっかりしてください、ご主人さま」


「う、ううう……ユ、ユミィか?」


 我が家の家政婦に優しく揺らされ、俺は目を覚ました。


 ……目を覚ました? いったい、いつ眠ったのだろう? 寝る前は、何をしていたのだろう……うう、駄目だ、さっぱり思い出せない。


 ただ……。


「ユ、ユミィ、俺は、俺は、とても美味しいものを食べたような気がするんだ。それこそ、脳みそがとろけそうなほど……そうだ、ポトフだ、ポトフが食べたい」


 胃袋が、ポトフを求めている……美味なる料理を求めている……しかし、何でこんなにも食べたいんだろう……病み付きになるようなポトフを食べたからか? 


 ……いつ? どこで? 誰が作ったものを?


「……ご主人さま、それは夢ですよ。ポトフなんて、ありません。ここにあるのは水餃子です」


「すい、ぎょう、ざ……?」


「……はい、水餃子です」


 それだけ言い残して、ユミィは俺が寝かされていた長椅子から離れ、まんぷく亭の厨房へと消えていく。


 まんぷく亭……そうだ、確か俺は、豚肉料理勝負に巻き込まれたんだ。それで、無理やり審査員にされて、フランソワやドロテアの料理を食べて……それから、それから……!


「ううっ!」


 駄目だ、思い出そうとすると、頭に鋭い痛みがはしる。俺に何があったんだ……!?


「……思い出さなくていいのです。悪い夢だったのですよ。さ、これを食べて、落ち着いてください」


「ユ、ユミィ……」


 顔を上げると、ユミィがテーブルにお椀を置いていた。そして、その中身を、俺に食べるように言う。


 何だ? あれは何だ……? 少し離れたここまで、よい匂いがぷんと漂っている。


 その匂いに誘われるように長椅子から腰を上げ、ふらふらとテーブルに近寄る。すると、お椀の中身も視界に映って……。


「水餃子か……」


「……はい、水餃子です」


 やや色のついたスープに、小さな水餃子が3つ、沈んでいる。木製のさじが添えられているということは、スープごとすくって食べろということなのだろうか。


「……味はついています。何も加えず、ご賞味ください」


 やはりそうか。普通、水餃子といったら、茹でただけの餃子をタレにつけて食べるものだが……ユミィは、スープで水餃子に味をつけたんだな。


 ともすれば、うっかり箸で崩してしまうこともある水餃子も、このように食べれば皮の滑らかさ、封じ込められた具材のうまみを損なわない。


 何より、スープと一緒に餃子を口に入れるというのがいいね。湯から引き上げて食べるよりも、こうして食べた方がつるりと口に入ってくる。その感触が、またたまらないんだ。


「じゃあ、いただきます」


「はい、どうぞ」


 スープ水餃子のことを考えると、麻痺していた思考が甦ってくる。と、同時に、腹がきゅるきゅると鳴く。うう、我慢できそうにない。さっそく、この水餃子をいただこう。


「ふ~、ふ~……んん」


 鶏がらスープの流れに乗って、ちゅるり、と、水餃子が口の中に滑り落ちてくる。それを一噛み、二噛みすると、スープにも負けないうまみが皮の中から飛び出してくる……!


 これは、肉と野菜のうまみだ。それが口内に残った鶏がらスープの味と混ざり、それを香味野菜、胡椒の香りが引き締め、まとまった一つの味となる。


「……豚バラ肉とキャベツの水餃子です。香味野菜、香辛料の使用は、あえて控え目にしました。食材本来の、柔らかな味わいをお楽しみください」


 なるほど、道理でやたら胃に優しい味だと思った。香辛料などの使用は、ピリッとした刺激が出ない程度に抑えられているし、キャベツも多めに入っている。それを、塩分控えめのスープと食べるんだ。そりゃあ、柔らかな味わいにもなるってもんだ。


「これはいいな。病人食っぽいけど、しっかりと満足感は与えてくれる」


「……それはようございました」


 お椀に入った水餃子なんて、食べきるのに時間なんてかからない。三度、さじを動かし、つるりん、ちゅばっ、っと、水餃子を口に入れたら、もう空だ。


 だが、少ないとは思わなかった。たった三つの水餃子だったけれど、ちょうどいい感じに空腹感が和らいだ。


 これ以上少なければ、もっと、もっとと思っただろう。これ以上多ければ、薄味への飽きがきていただろう。


 つまり、この量でちょうどいいんだ。満足感を得るには、この量でちょうどいい。


 ユミィは、それがわかっていたんだな。


「お前も成長したなあ」


「……ありがとうございます」


 同居人の成長に、嬉しさがこみ上げてくる。こいつが、渡された金の分だけ、目いっぱい食料を買い込んできた女の子と同じ奴だなんて……嬉しくもなろうというものだ。


 だから、嬉しさに任せて、ユミィの頭を撫でようとした。いつも通り、軽くはたくようにぽん、ぽんと。しかし……。


「ピピー! イエローカード! 審査員と料理人の接触は禁じられています! はい、離れて、離れてー! ……警告! おーっと、タカヒロ審査員、警告を出されました! この事態について、ケイトさん、どう思われますか? ……ええ、料理大会で、食欲ではなく性欲を出してはいけませんよね。……おーっと、これは手厳しい意見だ! しかし、タカヒロ審査員の行為は、警告もやむなしか!?」


「………………ケイトさん、何やってんすか」


 カオルのお母さんがいきなり現れたと思ったら、一人三役の小芝居を始め出した。相変わらず、ハイテンションでよくわからん人だ……。


「いやー、タカヒロちゃん、起きた? 日が沈んでも起きないから、心配したのよ」


「は? 日が沈んでって……えええええ!?」


 また、わけのわからんことを言うなぁ。料理大会は昼にやってたはずだろう?


 そう思って、店の外を見ると……普通に、夜でした。表通りに面する家のそこかしこから、灯りが漏れているのが見える。街のいたるところに建っている魔素灯も、昼間は出すはずがない光を放っていた。


「え? え? 昼、え? あれ? 時間? えええ?」


 吹っ飛ばされたかのような時間の経過に、俺は混乱してしまう。な、何が起こったんだ……!?


 ひたすらにうろたえる俺……しかし、ユミィはいつも通り冷静なままで、


「……ご主人さまは、少し眠っていたのですよ。そう、それだけのことです」


 と、言った。




○雲片肉


「おお、目を覚ましたか、タカヒロ! まあ、次は我の番だからな。目を覚まさぬわけもないか」


「お、おお……次はお前か、ルートゥー」


 キングクリ○ゾンの能力を喰らったブチャ○ティみたいな顔をして戦慄いていたら、いつの間にかユミィが消え、代わりにルートゥーがいた。


 手には大きめの平皿が一枚。そこに、薄切りにされた豚肉が孔雀の羽のように並んでいる。それをでーんとテーブルの上に置き、腰に手を当てて胸を張るルートゥー。


「うむ! さあ、我が手ずから調理した愛妻料理だ。ありがたく食すがよい」


 愛妻ってのは聞き流すとして……ルートゥーが持ってきた料理は何だろう。俺には、茹でた肉を薄切りにして、並べているだけの料理にしか見えない。


 試しに一枚、箸で持ち上げてみる……やはり、ペラい。紙とまではいかないけれど、ペラッペラの薄切り肉だ。


 さては味付けが特殊なのかな、と思って口に入れてはみたが……ううん、豚肉の臭みを消してはいるが、それだけだ。味もそっけもない。


「ああ! 何をしておるのだ! ちゃんと、これにつけて食べぬか!」


 薄切り肉を飲み下して首をひねっていると、ルートゥーに叱られた。見ると、混沌龍さんが怒った顔で、黒い液体の入った小皿を突き出している。なるほど、ソースがあったんだな。


「すまん、すまん。大皿が迫力ありすぎて、気づかんかった」


「がっつくのは我だけにしておけ。料理は味わって食すものだぞ。ああ、もちろん、我自身も、じっくり味わってもらいたいのだが……」


「おお、にんにく醤油か、これは! いやー、食欲が湧いてくるな!」


 ちらりとゴスロり服をはだけて柔肌をのぞかせる混沌龍さんを華麗にスルー。最近、回避能力が上がってきたなあ……さすが回避ナンバーワンの斥候職。関係ないか。


 さっ、今は料理だ、料理。先ほど食欲が湧いたって言ったのは嘘じゃない。俺の腹が、「食わせろ!」と騒ぎ出している。


 だってさ、にんにく醤油だぜ? にんにく醤油。茹で豚に、にんにく醤油だなんて、究極の組み合わせじゃねえか!


 ああ、すりおろした生にんにくの、つんとした香りがたまらない。これを茹で豚にからませて食べるわけだな……くぅ~、いい! とてもいい!


「では、早速……んんんんん! ああ、ああ、いい! これだよ、これこれ! にんにく最高ー!」


 茹で豚の薄切りににんにく醤油をからませて食べる。すると、にんにくの強烈な匂いと刺激が胃の腑へと落ちていって……そこから、腹全体に染み渡り、燃えるような感覚がする。


 にんにく醤油は男の子のガソリンだ! この刺激、この匂い! パワーが即湧き出てくるような、このスタミナ味!


 それを肉にかけて食べる? 最強じゃねえか、ちくしょー!


 また、茹で豚ってのがいいね! 茹で方が特殊なのか、肉自体がいいのか、絹のような舌触りで、しっとりとしていて……冷めても脂身までうまい。


 それと、にんにく醤油を合わせるんだ。口の中で、滑らかな肉ににんにく醤油が溶け合うように混ぜあって、混然一体とした味になっている。


 カリッと焼いて、泡立つ脂でソースを弾くような焼き豚では、こうはいかない。茹で豚だからこその、この味……。


 さすが、千年の時を生きた混沌龍。美食に関しても、他の追随を許さないな。


 しかし……。


「完成度が高いが……それだけに、惜しい。画竜点睛を欠くとはこのことだぞ、ルートゥー」


 ここまで男の味覚の好みがわかっていて、肝心要のものを出さないとは。惜しい。実に、惜しい。


「わかっておるではないか。さすが、我が見込んだ男。そうだ、貴様の言う通り、雲片肉を食すのにアレを欠かすなど、あり得ぬ」


「ほほう……」


 どうやら、俺は試されたらしい。アレを提供するに相応しい人物かどうかと。だが……。


「あんまり男をなめるなよ? 雲片肉だったか……こんな料理を出されて、アレを求めない野郎がいるかよ」


「ククク……そうは言うがな。我の前でアレを求める男を、我は貴様意外に知らぬ。よいぞ。それでこそだ。その気概こそ、我の求めるものだ」


「御託はいい。早くアレを持ってきてくれ」


 斬って捨てるような物言いに、ルートゥーは嬉しげに目を細める。ちらりと、赤い舌で唇を舐める。ったく、好きものめ……お前もアレが欲しいってのか?


「そうか、そんなにアレが欲しいか」


「ああ、アレだ……アレが欲しい」


 アレだ! 俺にアレをくれ! にんにく! 醤油! 肉! そうきたら、絶対に必要となるもの! 欠かすことはできないもの!


 そうだ、アレだ! 今、俺は何より、アレが欲しい! 欲しい、欲しい、欲しい!


「酒が!」


「白い飯が!」


「「…………………………は?」」


 世界が、ズレた。


 俺たちが発した言葉は、一言一句違えることなく一致するはずだった。


 それが、どうだ。まんぷく亭に響いたのは、聞くに堪えない不協和音。人々が愛してやまないアレの名前じゃない。


「おいおい、ルートゥー。どうしたんだよ。病気にでもなったのか? それとも、千年も生きててボケちまったのか? アレの名前が違うぞ? ほら、落ち着いてもう一回、『白い飯』って言ってみな?」


「おかしい。おかしいぞ、タカヒロ。声高々に酒を求める貴様の声が、我の鼓膜を震わせるはずであったが……何も、聞こえぬ。代わりに、我の耳をかすめて飛んでいった羽虫が『白米』などと囀っておったが……雲片肉に米の飯など、まさに残飯にたかるゴミ虫の如き戯言よ。そうは思わぬか?」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。


 空気が震えているように感じる。まさか。美味しいお肉ちゃんと白米ちゃんをいただけるはずのこの場所が、そんな殺伐とした雰囲気になるはずがない。


 きっと、ルートゥーは勘違いしているんだな。ささいな認識のズレさ。そこを正せば、奴も「酒」だなんて寝言はもらさないはずさ。


「まあ、落ち着いて考えようや。肉と飯。不可分の組み合わせだろう、これは。何でそこで、酒が出てくるんだよ。ありえねえだろ」


「タカヒロ、貴様は強いが、まだまだ人生経験が足らぬようだ。肉と酒。それが、この世の真理なのだ。それを知るのに、遅いということはないぞ?」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。


「この世の真理? 混沌龍様は千年も生きた癖に、そんなこともわからないのか? 肉と飯! これこそが、永久不変のこの世の真理だ!」


「貴様っ! 貴様は今、越えてはならぬ線上にいる! 悪いことは言わぬ……さあ、我が雲片肉で紹興酒を飲むのだ」


「嫌だね! この料理には飯だ!」


「痴れ者がっ! この料理には酒だ!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


「飯!」


「酒!」


「飯!」


「酒!」


「…………ルートゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」


「タカヒロォォォォォォォォォォォ!!!!」


 王暦732年。


 まんぷく亭は、炎に包まれた。





夏なので、ホラーライフも更新中。


少しだけ怖い短編ホラーです。


貴大の曾お婆ちゃんも出てくるので、よければどうぞ。

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