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肉食獣たちの宴

 今日はいい日だ。


 天気もよく、過ごしやすい気候だったし、晩の仕事もキャンセルされた。


「ごめん、タカヒロ! お父さんがぎっくり腰になっちゃって……せっかくきてくれたのに、本当にごめんね。おわびっていったら何なんだけど、これ、もっていって」


 おまけに、カオルに豚バラ肉のブロックをもらえた。紙袋に入った、ずしりと重たい、豚バラ肉……仕事がなくなったうえにこんなものがもらえるだなんて、今日はなんていい日なんだ。


 現在時刻は、午後五時。住宅街を歩けば、そこかしこからバターや魚の焼ける匂いが漂い、野菜を刻む音なんかがかすかに聞こえてくる。


 俺も、帰ったら飯を食おう……この豚バラ肉を使った男料理を、腹いっぱい食おう。


 熱したフライパンで、やや厚めにスライスした豚バラ肉をこんがりと焼く。味付けは塩コショウのみだ。それだけ……それだけで、飯をかっこむ! 副菜? そんなもんはいらねえよ。肉と、飯。他に何がいるって言うんだ。


「うふっ……やべっ、変な笑い声が出た。……んふっ、んふふふふふ……いかん、楽しみ過ぎて、いかんな」


 ユミィの料理は、もちろん美味しいよ。でも、たまには男料理を……あきらかに不健康な料理を、腹いっぱい食べたくなるんだ。それが、男の悲しいサガ……どうか、わかってほしい。


 でも、実際はユミィを説得するのは、骨が折れそうだ。さて、どう言いくるめたものか……そう考えている内に、我が家に到着してしまった。まんぷく亭から近いもんな、俺ん家。


「まぁ、いいや。俺の熱い気持ちを、素直にぶつけてみよう。ユミィも、肉は好きだしな」


 最悪、ルートゥーを味方につけよう。ドラゴンって、いかにも肉が好きそうだし……よしよし、作戦はたてた! いざ、突撃!


 そして、俺は玄関のドアを開ける。靴を脱ぎ、リビングへと向かう。そして、台所にいるであろうユミィに、ひたすら頼み込もうとして……。


「よお、なんだそりゃ。って、うおお……! に、肉の塊だ……! すげえ……!」


 なぜかリビングにいたアルティに捕まった。


「ほほう、これは上質な豚バラ肉……今夜のメインかい?」


 エルゥまで寄ってきた。メガネをくいっと上げて、俺が抱えた紙袋の中身をのぞき込んでくる。


「え? お肉? 今晩はお肉なの? やったー!」


 最近、家によく遊びにくるようになったメリッサが、小躍りしている。


 三人の女が、俺の肉にたかっている……これぐらいの人数なら、十分食える量だな。問題ない。


「何だ、お前ら。俺ん家で飯を食うのか? まあ、いいけどさ。じゃ、パパッと焼いてくるから、ちょっと待ってろ」


 そう言って、台所に行こうとしたんだが……女どもが、それを阻止しやがった。


「待ってくれ。焼くって何のことだい? まさか、この豚肉のことじゃないよね? ははは、冗談はよしてくれたまえ。春野菜と豚バラのポトフ。これで決まりだろう?」


「はぁ? 何言ってんだ、お前」


 俺はこんがり焼いたのが食べたいんだ。それも、今すぐ。何でことこと煮なきゃいけないんだよ。


「は? ポトフ? ありえねえ。肉は焼くもんだ」


「おっ、そうだ、アルティ! 言ってやれ!」


 珍しく意見が合ったな。まあ、こいつがいかにも、焼くしか調理法を知らなさそうだからではあるんだが……かまわん! 今は味方ができたことを喜ぼう!


 さあ、アルティさん! 言っておやりなさい! こんがり焼いて塩コショウが一番だと!


「豚バラは、香草焼きに決まってんだろ。ポトフなんて、まだるっこしくていけねえ」


 …………おしいっ!


 各種ハーブで香りをつけて焼いた肉も、美味しいには美味しいんだが……でも、白米に一番合うのは、やっぱりシンプルな塩コショウだろうが!


 まったく、アルティも変なところで女らしいんだから……。


「え~? 駄目だよ! こんなに立派な豚バラ肉はシンプルに……」


「おっ、メリッサ! うんうん、シンプルにだな……」


 さすが、聖女様。俺が何を求めているか、わかっていらっしゃる。そうだよ、家庭での肉料理だなんて、シンプルなのが一番だ。ごちゃごちゃいじくりまわしても、店で食べるような味を出すのは難しいんだから。


 ここは素直に、塩コショウ。これで決まりだ!


「塩漬けにして、また今度食べよー」


「何でだよ!?」


 調理法云々じゃなくて、保存するかしないかの話に飛んでいくとは思わなかった! はぁ? 塩漬け? アホか! 今食わんで、いつ食うんだよ!


「え? だって、塩漬けにした方がおいしくなるんだよ? うちの神父様が言ってたもん」


「おいおい、塩漬けなんて市場に行きゃあ売ってるだろ。でも、こんなに立派な豚バラ肉は、今、ここにしかねえ。ここで焼いて食うのが、正解だ。」


「駄目だね。正しい解は、『焼く』じゃない。『煮る』だ。それに、今この瞬間を大切にするのなら、春野菜を使わなくてどうする。いつでも、どこでも手に入るものではないのだぞ」


「我は、東の老龍に食べさせてもらった、『雲片肉ウンピェンロウ』がいいぞ。アレは美味しかったのだ……」


「『ウンピェンロウ』ってなあに?」


「……東方の料理なら、『餃子』もいいですよ。以前、ご主人さまが作ってくださいました」


「あれはひき肉にするのであろう? このように立派な肉をわざわざ細かくするなど、もったいないではないか!」


「ねえねえ、『ウンピェンロウ』ってなあに?」


「ひき肉!? あり得ない! ポトフにひき肉など、あり得ないぞ、ユミエル君!」


「それなら、ポトフもあり得ないだろうが! 焼く! ハーブをきかせて焼く! これしかねえ!」


「……『餃子』は焼くこともできますよ。ポトフに入れるのも、いいかもしれません」


「『ウンピェンロウ』ってなんだろ?」


 いつの間にやら、我が家の同居人たちまでが加わって、喧々諤々の大議論だ。


 どうにもこうにも、収集がつきそうにない……いや、でも、俺は腹が減っているんだ! ここは一つ、鶴の一声で……。


「お前ら! 勝手なことを言うな! この肉は、塩コショウで……」


「お前は黙ってろ!!」


「はい」


 女性陣に、一喝されました。


 ……やあ、こんにちは! 俺、佐山貴大! みんな知ってると思うけれど、この家の家主なんだ!


 ……それなのに、扱い、ひでえなあ……。


「焼く!」


「煮る!」


「ゆでる!」


「『ウンピェンロウ』ってなあに?」


 女って元気だね~……まだ言い争いを続けてら。もう、ほっとこ。好きにやってくれ……。


 ……ん? もしかして、今、チャンスじゃないのか?


 ここで、こっそり台所に行って、肉を焼いてしまえば……ククク、もう元には戻せまい。俺の勝利だ!


 よし、そうと決まれば、斥候職の腕の見せ所だ。【インビジブル】、発ど……。


「……どこへ行くのです?」


 カンストレベルの斥候職は、メイドに捕まった!


「あ~、タカヒロくん、お肉持っていこうとしてた!」


「なにぃ!?」


 ひいい!? 肉食獣どもが、血走った目で俺をにらみつけてくる……!


「いけない、いけないよ、タカヒロ君。結論を待たずに独断専行しようだなんて。私たちを敵に回す道だよ、それは」


「タカヒロ! 焼肉など、我は散々食らっておるわ! ただ焼いた肉など、つまらん!」


「え、これ、俺の肉……」


「言い訳すんな!」


 反論もむなしく、俺は肉を取り上げられる。ああ、俺の肉が……お肉ちゃんが……。


「……では、今週の安息日に集合ということで。よろしいですね」


「はい!」


 そして、取り上げられた肉は、あれよあれよと分割されてしまい、それぞれの手に渡ってしまった。


 どうやら、話は平行線となり、代わりに、それぞれが主張する料理の、どれが優れているかの議論に切り替わっていたらしい。己の正しさを実証するべく、今度の休日に、料理バトルが行われることとなった。


 なぜこうなったのか……俺は、ただ、肉を焼いて食べたかっただけなのに……。


 やたら自信に満ちた背中を俺に向けて立ち去る女どもを見送りながら、俺ははらはらと涙を流した。


「い、いや、もしかしたら、今日の晩飯は肉かもしれない。ユミィ、晩飯は何だ?」


「……お魚です」


「くそおおおおおおおおお!!!!」


 お魚はお魚で、美味しかったです。……くそおおおおおお!!!!






 豚肉強奪事件から数日後……休日のまんぷく亭にて、一つの戦いが始まろうとしていた。


「香草焼き? まぁ、おほほ……アルティさん、豚肉なのですよ? なのに、香草焼きが最も優れているだなんて……」


「うるっせえ、フランソワ! どうせおめえは、肉にチーズをかけるような、野暮ったい食い方をしてんだろ! そんな奴に香草焼きのうまさがわかるとは思えねえな!」


「わんちゃんには負けないよ!」


「わう! わたしもまけない!」


「カオル君。料理屋を営んでいる君には悪いが、この勝負、私の勝ちだ」


「いいえ、私が勝ちます! 料理屋の意地にかけて!」


「くくく……吠えておる、吠えておる。よいぞ、今の内にいきがっておれ。勝者は我。貴様らがどうあがこうと、それは変わらんのだからな」


「……それはどうでしょうか。何事も、やってみなければわかりません」


 豚肉料理対決のために集った女どもがバチバチと火花を散らせている。勝利を信じて、闘志を燃やしている。己の豚肉料理こそが最強だと、溢れんばかりの自信をもって示している――――。


「どうしてこうなったの……」


 俺の隣で呆然と立ち尽くすドロテアが、誰に問うでもなくつぶやいた。そんなの、俺もわからない。俺がこの場にいる訳もわからないし、豚肉強奪の場にいなかった奴ら……特にお前が何でこの場にいるのかも、わからない。


「フランソワさんに連れてこられたのです。自分の意思ではありません」


「そ、そうか」


 俺の訝しげな視線に気がついたのだろう。疑問の声を発する前に答えが返ってきた。やっぱり、バルトロア人って勘がいい奴が多いな……。


「しかし、豚肉勝負となると、黙って引き下がるわけにはいきません。この勝負、私も参加させていただきます」


「はあ、どうぞ」


 なんと、ドロテアまでやる気を見せ始めた。何だ? この世界の女にとって、豚肉ってのは何か特別な思い入れがあるものなのか? ようわからんわ……。


「はいはい、タカヒロちゃんはこっちこっち! 選手じゃなくて審査員なんだから」


 わからんことだらけで首をひねっていたら、まんぷく亭の厨房からケイトさんが現れて、俺の背中を押し始めた。


「……ケイトさん。俺、ユミィに連れられてここまで来ただけで、審査員だなんて、今、始めて聞いたんですが」


 そもそも、豚肉を使った料理勝負は、女たちだけでやるんじゃなかったのか? 肉が強奪された時も、俺は完全に蚊帳の外だったし……。


「男が細かいこと気にしないの! ほら、座って座って!」


「うおっ!?」


 ケイトさんが俺を強引に椅子に座らせた。目の前には、何も置かれていないテーブル……そして、その先には、気迫に満ちた女たち。


 どいつもこいつも、やたら自信ありげだ。「私の料理が一番!」と、目で語っている。なるほど、こいつらも女だからな。料理の腕に関してのプライドは、男のそれより高そうだ。


 しかし……。


「俺は関係ないだろう。勝負事なら、お前らで勝手にやってくれ」


 そうだ。主義主張やプライドがかかった勝負だなんて、関わるとろくなことにはならない。君子危うきに近寄らず。流されてしまう前に、この場を離脱しよう。


 そう思って、きっぱりと言い放ったら……。


「ひっ!?」


 女たちの表情が、一変した。


 ……い、いや、違う! 表情じゃない! 奴らはにこにこ笑ったままだ……でも、でも!


 空気が……そう、空気が、格段に重くなった! 何なんだ、このプレッシャーは……!


「……ご主人さま」


「は、はひぃ!」


 情けない声が出た。


「……まさか、帰るなどとは言いませんよね?」


「ま、まさか~! そんなこと、するもんか!」


 でも、主張を翻しての即断即決は、もっと情けなかった。なんてチキンメンタルな俺。


「そうよ、タカヒロちゃん! こんなかわいこちゃんたちの手料理を食べずに帰るなんて、あり得ないわ」


 ケイトさん、貴女はわかってない。女子の手料理が食べられるとか食べられないとか、そんなことは問題じゃないんだ。問題はこの面子なんだ。


 過去、こいつらが集まって、良いことが一度でも起きたか? 答えはNOだ。


 大晦日に何が起きた? こないだ、ルートゥーが「婚約者宣言」をしたとき、何が起きた?


 個々でも十分騒動の種なのに、そいつらが密集してしまえば、どんな芽が出るかわからない。下手すりゃ密林のような混沌の出来上がりだ。


 逃げたい。逃げ出してしまいたい。しかし、もう俺は奴らにからめ取られて、動くに動けない。逃げてしまえば、後が怖すぎる。そんな重圧が、俺の体を審査員席に縛りつける。


「それでは、準備ができたようなので……これより『第一回グランフェリア豚肉料理対決 ~飛ばない豚は美味しい豚だ~』を開催します!」


 結局、抵抗らしい抵抗すらできないまま、豚肉料理対決は開催された。


 開催されてしまった。






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