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4月12日:水心

 「まったくお前は……ハア〜……」

 怒りの中に様々な感情の入り混じった複雑な表情で何かを言いかけた智代だったが、それらを全て長嘆息にして吐き出すと、桜まみれの俺を一瞥して、そのまま外周の柵へと向かい、そこからの町並みに目を向けながら肘を付いた。

 のっそりと立ち上がった俺は、いたる所に付いた花びらを叩き落とす。

 「……なあ、オーキ……」

 粗方叩き終えてその背に寄ると、遠くを見たまま智代は呟く様に俺の名を呼んだ。

 「ん?」

 「お前は『この世界を変えたい』と言っているが……お前と出会えて、私の世界は変わった気がする……何と言うか……今まで見てきた同じ世界でも、お前と出会う前と後では見え方が違っている気がするんだ……お前の言う“変えたい”とは少し違うのかもしれないけどな」

 何気ない事の様に語られたそれに、不意打ちで後頭部に智代の蹴りを食らった様な衝撃を受け、暫し茫然とし立ち尽くす。

 そして次の瞬間、

 「……ククッ……クッハハハッ……そうか……変わったか!!フハハハッ!!」

 止め処無く溢れてくる感動と歓喜と愛おしさ。

 まったくこいつは……本当に堪らない女だ。

 笑いに身を任せていなければ、後ろから抱きしめていた事だろう。

 そしてそんな事をしてしまえば、最早歯止めなんて効かなくなる。

 「……そんなに笑うことは無いじゃないか」

 恥ずかしそうに智代は振り返った。

 「ククッ、いや、だから、別にバカにしてる訳じゃ無いって……」

 「それでも、そんな風に大笑いされると、自分が変な事を言った様な気になるじゃないか」

 「だから変じゃないって……俺も『魚を得た水の気持ち』だ」

 「ん?『水を得た魚』じゃないのか?」

 「“魚”はお前だろ?」

 「ふむ……そうか。『水魚の交わり』か」

 そう、あの気位の高いあの男も、きっとそうだったのだろう。

 自分を古の名宰相や名将に例え、「使えるに足る君主が居ない」などとうそぶきながらも、内心不安と不満で一杯だった筈だ。

 自分はこのまま何もせず、何も出来ずに朽ち果てるのかと……。

 だから、つい生涯をも懸けてしまったのだ。

 自分の様な若造を、本気で欲した男の為に。

 どんなに才があろうと、それを発揮出来る“場”が無ければ、意味が無い。

 どんなに美しい水があろうと、そこに棲む物が居なければ、寂しく味気無い。

 だから、この世界に命は生まれたのかもしれない。

 だから、この美しき水の星は、生命を欲したのかもしれない。

 何の為に在るのか解らなかった俺の人生。

 ようやく今、その“意味”を得る事が出来た思いだ。 

 「智代」

 「なんだ?」

 「“龍”になれ!」

 「……訳がわからない……」

 これだから女は……!

 これ以上無いエールを解ってくれない愛しき魚に、苦笑しながら目を細め想う。

 何時か魚が龍へと変じ、天へと至るその時を……。



 



 後片付けを済まして花見を終え、予定通り俺達は智代の家に向い始める。

 ついにあの『坂上智代』の家に行くのか……。

 数日前までは、もう二度と会えないと思っていたと言うのに……。

 まさかこんな事になろうとは、夢にも思わなかった状況だ。

 まあ、あくまで弟に俺を会わせる為であり、着いたら智代と二人っきりになったりはしないだろうが……。

 それでもやはり、何も無いだろうと思いつつも意識して緊張してしまう。

 「……そういや、弟の名前って……?」

 「『鷹文』だ」

 「待っててくれてんだよな?結構のんびりしてるがいいのか?」

 「ああ、その事なら問題は無い……」

 そう言いながらも、智代は表情を曇らせる。

 「……弟は今、車椅子で生活しているんだ……だから、学校から下校するにも普通よかずっと時間がかかる……私達もお花見をしてゆっくり帰るから、時間を気にせず気をつけて帰る様にと言ってあるんだ……」

 「そうか……」

 事故に遭ったのは二年も前なのに、未だに車椅子なのか……余程の大事故だったのだろう。

 「実はな……事故以来、鷹文はすっかり自分の部屋に籠もる様になってしまってな……学校や病院に行く以外ほとんど外出もしないし、毎日夜遅くまでパソコンばかりしているみたいなんだ……」

 「いや、車椅子ならそれも仕方無いんじゃねえ?」

 「うん……そうなんだが……」

 智代は言葉を濁しながら、辛そうに下を向いた。

 それもそうだろう。

 両親の離婚を止める為、自分達の為に弟が自分からそんな目に遭ったのだ。

 弟を見る度、考える度に後悔の念に苛まれるんじゃないだろうか?

 「……入院当時は、結構頻繁にお見舞いに来ていたんだ……鷹文の部活の仲間や友達がな……でも、だんだん来る回数が減っていき、退院後は恐らく誰も家に来た事は無いと思う……」

 なるほどな……。

 長い入院と車椅子生活で、すっかり友人と疎遠になっちまったって所か……。

 有り得ることだろう。

 何かと足手まといになる事を気にする当人と、怪我を気遣う周囲。

 互いに気を使いあって、かえって余所余所しくなる。

 よくある事だ。

 弟がどんな子なのか会ってみない事には判らないが、周りに気を使うタイプの子なんじゃないだろうか?

 姉がこんなだし……。

 などと思いながら横目でちらりと智代を見やると、

 「やっぱり、私の所為だろうか!?」

 「へ?」

 ほぼ同時に必死な形相でこちらに向くので、心が読まれたかとギョッとなる。

 「やっぱり家には私が居るから、誰も来たがら無いんじゃないだろうか?」

 「んな訳ないだろ?だったらお見舞いにだって来ないんじゃないか?それとも、そいつらに何か恨まれる様な事でもしたのか?」

 「そんな事はしていない……でも、お見舞いに来てくれる回数が減っていったのも、私が居たからじゃないかと思うんだ……毎日の様に来ていた奴も居たのに、急に来なくなってしまったし……」

 「そいつはたんに無事が確認出来たから、興味が薄れたんだろ」

 「そうだろうか……?それまでは割と鷹文は元気で、もちろん“精神的に”という意味でだが、怪我の回復も早かったんだ……でも、お見舞いがぱったりと減ってからは、鷹文もどこか元気を無くしてしまって、怪我の治りも悪くなってしまった……本来なら、もう完治していてもおかしくない筈なんだ……」

 「お前なあ……」

 弟の元気が無い事や、怪我の治りが悪くなった事まで自分の所為だと思っているのかコイツは。

 普段は呆れる程前向きで自信満々なクセに、こういう所はすぐ卑屈になる。

 まあ、過去が過去だけに仕方が無いのかもしれんが……。

 だが、智代は関係無いとは思うが、弟と友人の間には何かしら有ったのかもしれない。

 まして、それが原因で未だに怪我が治らないとすれば、根が深そうだ。

 「私達家族の前では空元気を見せてはいたが、看護婦さんの話しでは塞ぎがちで食欲も無いし、たまに夜中にうなされている様だと言っていた。お医者さんも治らないのは精神的な物が原因じゃないかと話していたし……でも、私達が理由を訊いても『何でもない』としか答えてくれないんだ……」

 「なるほどな。それで俺に何とかして欲しい訳か」

 「別にそこまでは望んではいない。ただ、お前が鷹文の友達になってくれれば、弟も元気を取り戻すんじゃないかと思うんだ」

 「なあ、智代」

 名前を呼んで、注意がこちらに向くまでジッとみつめる。

 「な、なんだ?」

 「確かに弟に元気が無くなった原因が何かしら在るのかもしれない。でも、それは少なくともお前の所為じゃ無い。あんま気にし過ぎるな」

 「……うん」

 そして諭す様に言ってやると、智代は安心した様に頷いて、俺との距離を詰め甘える様に腕を絡めてきた。

 まだ桜並木も途中だってのに……。

 まあ、半端な時間で人通りはほとんどないし、商店街まではいいか。

 などと、だんだん抵抗が無くなって来ている事自分が怖い……。






 智代に案内されながら来たその地域には見覚えがあった。

 と言うか、今朝も来たと言うか、ほぼ毎日回っている所である。

 「もうすぐだ」

 と言う事は、彼女の家はあそこか……?

 『坂上』なんて苗字はよくあるし、然程気にも留めてはいなかったが、それでも他の苗字よりかはずっと記憶に残っていた。

 俺は半年も前から、彼女の家を、彼女の家と知らずに毎日新聞を配っていたのだ。

 妙な偶然もあった物である。

 「……ただいまぁ……さあ、上がってくれ」

 まるで中を覗う様に小声で申し訳程度に帰宅を告げ、誰も居ない事を確認してから俺を招く。

 両親は外出中らしいから、それを警戒しての事ではない。

 実は、弟にちょっとしたサプライズをと画策しているのだ。

 清閑として、無駄な物が何も無い玄関から続く廊下を、忍び足で歩く。

 やはり俺の家と違って小奇麗で、空気も清々しい気がする。

 コンコン。

 「ん?ねぇちゃん?どうぞ。開いてるよ」

 念の為中に居る事を確認する為のノックをして、それを不思議がっている様な声を聞いてから、一度アイコンタクトをして頷き合い、俺達は勢いよく扉を開けた。

 「どーもー、坂上智代でーす!」

 「ね、ねぇちゃん!?」

 「どもー、川上オーキでーす!」

 「あっ、ど、どうも……!」

 「「カミカミブラザーズでーす!!」」

 まずはお約束通り、挨拶をしながら入っていき、部屋の中央で並んで頭を下げる。

 パソコンの前に座っていた弟君は、鳩が豆鉄砲だ。

 よし、まずは奇襲に成功せり。

 「……なあ、オーキ」

 「何だい兄弟?」

 「前々から思っていたんだが、どうして『カミカミブラザーズ』なんだ?台詞を噛みまくるみたいで変じゃないか?」

 「いきなりコンビ名にクレームかよ!二人とも苗字に“上”が付いてるからだろ」

 「それぐらい解っている。私は“サカガミ”で、お前は“カワカミ”だから、『ガミガミブラザーズ』にすべきだと言ってるんだ」

 「いや、“カミ”が抜けてるし、それじゃあ口喧しそうだからな」

 「なら、『ガミカミブラザーズ』でどうだ?」

 「語呂が悪いからそこは『カミガミ』だろ?」

 「それじゃあ神様みたいじゃないか。それに、普通はリーダーである私の名前の方が先に来るのが筋じゃ無いだろうか?」

 「いや、どっちがリーダーとか無いし」

 「そう言いながら、お前は自分が優位に立とうとしていないか?そもそも、どうして“ブラザーズ”なんだ?“シスターズ”でもいいじゃないか」

 「いや、俺男だし」

 「私は女だ!それとも、お前は私を男だと思っていたのか?」

 「そんな訳ないだろ。兄弟に女は入るけど、姉妹に男は入らないってだけだ」

 「本当か?」

 「ああ、常識だろ?」

 「本当に私の事を可愛い女の子だと思ってくれているのか?」

 「そっちかよ!」

 ぺシッと肩口につっこむ。

 すると、智代はますます口を尖らせた。

 「どうして叩くんだ?やっぱりか弱い乙女として見てくれてはいないのか?」

 「いや、それはもういいから。今はコンビ名の話だろ?」

 「大切な事だ!私はお前に、ちゃんと一人の女の子として見てもらいたんだ……だって……私とお前は……本当の兄弟じゃないんだ!!」

 「な、何だってぇ!?」

 ズガガがーンと落雷が落ちたかの如く大げさに驚いて見せる。

 「て、当たり前だろ!」

 そしてすかさずぺシリと乗りつっこみ。

 「知ってたのか!」

 「だから、ただのコンビ名だからな」

 「なら、別にブラザーズに拘る必要も無いじゃないか」

 「まあ、それもそうだな。じゃあ、お前なら何てコンビ名にするんだ?」

 「うん。『サカガミシスターズ』が良いと思う」

 「もう勝手にせい!」

 「「ありがとうございました〜」」

 オチにつっこんで二人そろって頭を下げ、そそくさと部屋を出て行き、パタンとドアを閉めた。

 「……ええ!?帰っちゃうの!?」

 数瞬のタイムラグの後、部屋の中から弟君のリアクション。

 助かった。

 何も反応が無かったら、恥ずかしくて入っていけなかった所だ。

 「えっと……鷹文……その……面白く無かったか?」

 恐る恐るドアを開けながら、恥ずかしそうに智代が余計な事を訊いた。

 それで返答に窮されたらどうするんだ!?

 しかし弟君は自然に微笑むと、

 「ああ、面白かったよ。それ以上にまさかねぇちゃんがいきなりあんな事するなんて思ってもみなかったから、かなり驚いたけどね」

 と言ってくれた。

 いい子だ……ちゃんと空気を呼んでフォローしてくれる、とても好い子だ!

 「オーキがやろうって言い出したんだ。普通に挨拶しても面白くないだろうって」

 「そうなんだ。あっ、川上さん初めまして。弟の鷹文です。いつも姉がお世話になってます」

 そして車椅子の向きをこちらに向け、礼儀正しく頭を下げ握手を求めてくる。

 好い子だ!凄い好い子だ!!

 「ああ、川上だ。よろしく」

 「お世話をしているのはむしろ私の方だ。今日だって朝起こしてやったし、ネクタイだって私がしてやったんだからな」

 「うっ……!」

 その手をとっていると、智代は心外そうに実の弟の前で余計な事を暴露してくれた。

 恥ずかしさで、顔が引きつる。

 てか、弟もそんな事を言われても困るだろう……。

 「ああ、ねぇちゃん。悪いけど、お茶を煎れてもらえないかな?川上さんの分と、ねぇちゃんのもね」

 そう思っていたのだが、しかし弟君は笑って俺を一瞥すると、思い出した様にそう言った。

 それに「そうだな」と頷いて、智代は部屋を出て行く。

 「やっぱり、川上さんて凄いんだね……あのねぇちゃんにお笑いやらせちゃうんだもの」

 二人っきりになるのを待っていたかの様に、弟君は口を開いた。

 いや、実際待っていたのだろう。

 好い子なだけでなく、なかなか侮れない男の様だ。

 それならと、俺もいきなり不躾な事を言っておこうと思う。

 智代から話を聞いて思った事を。

 「智代から昔の話は聞いたよ」

 「……そう……」

 声のトーンが下がり、弟君は目をそらした。

 しかしすぐにそれを隠すと、苦笑して見せ、

 「自分でもバカな事したなって思ってるよ」

 と自嘲する事で予防線を張る。

 説教されるのは慣れっ子なのだろう。

 「……本当にそう思っているのか?」

 「うん……あんな事、もう二度としないよ……」

 「そっか……でもな。これだけは言っとく」

 「……」

 「確かにお前はバカな事をしたし、沢山の人間に迷惑をかけたり、お前自身も色んな物を犠牲にしたと思う……でもな。それでもお前は、自分が命を懸けてでも守りたかった物を守れたんだ。一世一代の賭けに勝ったんだ。だからその事だけは誇りに思っていいし、少なくともお前のネーちゃんはそう思っている。『私の自慢の弟だ』ってな」

 弟君は暫し俯いたまま無言だった。

 彼がやった事はバカな事だと思うし、説教してやりたくもある。

 それこそ、もし最悪の結果になっていたら、智代は立ち直る所か、今頃どうなっていたか判らないだろう。

 それに本当に気の毒なのは、彼を轢いてしまった車の運転手だ。

 でも……それでも、正直羨ましくもあった。

 命を懸けてもどうにもならない事なんて、世の中ザラだろう。

 コイツはそれに勝ったんだ。

 そして智代を立ち直らせ、おかげで俺達は出会う事が出来た。

 「……命を懸けてどうこうしようとか……そんな大それた考えとかは無かったよ……ただ無我夢中で、まともな判断とか出来なかったんだ……」

 「そっか……でも、もし今度本当に困った事があったら……命を懸ける前に俺に言え。金の事以外なら大抵の事は何とかしてやるから」

 「……うん。なるべくそうするよ」

 ようやく弟君は顔を上げ、まだどこか自嘲の混じった笑顔を見せてくれた。

 まあ、今日の所はこんな物だろう。

 彼が本当に抱えている物は何であるか、今は知りようも無いだろうし。

 「ねえ、川上さん。これからは『にぃちゃん』て呼んでいいかな?」

 「え?ああ、いいよ」

 「にぃちゃん、ねぇちゃんをよろしくね」 

 今はこの言葉と笑顔だけで十分だ。

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