4月8日:プロローグ
もっとも幼い日の記憶は、冬の公園
オレはそこで一人泣いていた
初めて来た場所
帰り道も、どうやってここまで来たのかすらもわからない
ただガムシャラに、近所に住む割と歳の近い友達の後をついてきた
いや、友達と思っていたのは俺の一人よがりで
自転車どころか、走る事もしゃべる事もままならない幼児なんて
彼らからすれば足手まとい以外の何者でも無かったのだろう
気がついたら誰もいなかった
日もいつのまにか暮れ、街灯の周りだけが明るく光っていた
幼いオレには、その下で泣くしかなかった
誰か来てと
誰か助けてと
置き去りにされた悲しさ
一人ぼっちの心細さ
もう家には帰れないかもという恐怖
泣く理由には事欠かず、泣き疲れて涙が枯れても尚すすり泣いた
「どうしたの?」
やさしい声がした
一瞬オフクロが迎えに来てくれたのかと錯覚する程に
でも全然ちがった
安堵の中見上げたその女は
すでにオバサンだったオフクロとは
似ても似つかない髪の長いお姉さんだった
しゃがんで合わせてくれた目線
煌々とした灯りに照らされたその微笑は
子供ながらに綺麗だと思った
「どうしたの?」
呆けているところに同じ質問をされて、自分の置かれている状況を思い出す
とたんに感情が昂ぶり涙が溢れる
「・・・・・・いなく・・・・・なちゃった・・・・・・」
嗚咽混じりに何とかそれだけ言えた。
穏やかではないオレの言葉にお姉さんは顔を曇らせる
「お母さんと一緒だったの?」
「ううん・・・たっくん・・・」
「お兄さんかしら・・・?」
「うん・・・ぼくお兄ちゃん・・・」
オレのズレた答えにお姉さんは一度困った顔をしたが
すぐにまた優しく微笑んでくれる
「そう、お兄ちゃんなの・・・お名前は?」
「おーき・・・」
「オーキ君?」
「うん・・・」
「いくつかな?」
「2さい・・・」
「2歳なの・・・?」
「うん・・・」
目を丸くされる
オレは普通の子供より早熟だったらしく、オフクロが産まれたばかりの弟にかかりきりだったこともあり、その頃にはすでに一人で外を出歩いていた
とは言え、そんな幼い子供がこんな夜遅くに一人で夜の公園に居たのだから驚くのも無理もない
「お家はどこかわかる?」
首を振ってこたえる
するとお姉さんは少し思案してからニコリと笑うと
いきなりオレを抱きかかえた
驚いた
けど、不安はなかった
むしろ嬉しくてドキドキした
「よし!じゃあ、一緒にお家を探しましょう!」
お姉さんは、はずむような声でそう言ってくれた
綺麗な顔が間近にあり、すごく好いにおいがした
多分オレは
この時初めて“女性”という物を認識したんだと思う
そしてオレの記憶はここで終わっている
安堵と泣き疲れで寝ちまったんだ
次に目覚めた時には、自宅の布団の中だった
今にして思えば、お姉さんはすげえ苦労した事だろう
手がかりは名前と年齢だけ
一軒一軒家を回ったのだろうか?
それとも、運良く探しに来たオフクロにでも出会えたのだろうか?
まあ、今更訊いたところで覚えちゃいないだろうけど・・・・・・
CLANNAD 〜Light colors〜
4月8日(火)
「川上!おい、川上!」
すみません。とても眠いんで放置でお願いします。
「川上くん。おきて」
んっ、この声は・・・・・・
しゃあない。彼女の顔を立てて起きますか
「ん・・・・・・」
隣の席の女の子『仁科 りえ』の声で今日何度目かの目覚めをむかえたオレは、まだもやのかかった頭で状況を把握する。
どうやらまだ授業中の様だ。
教室の壁に掛けられた時計がさしている時間は正午を過ぎてはいたが、昼休みまではもうしばらくある。
何より、さっきから教師がこちらを睨んでるし。
あれは確か現国教師の・・・・・・まあ、現国なんだろう。
「12ページの5行目から・・・」
心優しい仁科が小声でこっそりと教えてくれる。
でも、その瞬間に教科書を指しながら体を傾けていたから多分バレバレだ。
まあ、それを咎めるほど教師も鬼ではないようだが。
「えっと・・・」
立ちあがって教えられたところから読み始める。
大方読み間違いでも期待していたんだろうが、苦手な英語ならともかく日本語でつっかえる俺ではない。
加えてこの文豪の作品は過去に読破済みだったりもする。
留学先で出来た恋人にさんざんつくされながら、栄達の為に捨てた最低な男の話だ。
「よし、そこまで」
丸々一ページ以上読まされた所で、ようやく抑揚のない事務的な声でお許しがでた。
しかし着席して顔をあげると、その不意をつくかのように訊いてくる。
「川上、先生の授業はそんなにつまらないか?」
「いえ、たんにこの国の教育制度に納得がいってないといいますか、文部省のやりかたが性に合わないだけなので、お気になさらないでください」
常日ごろから公言していたことを少々とぼけて答えると、クスクスと笑いがおきた。
うちの学校はこの辺りじゃ一番の進学校だけあってか、知的(?)なジョークの受けがいい。
現国教師はわざとらしく咳きをしてみせそれをやめさせると、
「性に合わないで済む問題ではないだろう。来年は受験だぞ。真面目にやれ」
と、ありきたりな台詞で話を切り上げ、授業を再開させた。
まあ、はじめから他の生徒に体裁を取り繕う為の注意でしかなかったのだから、こんな物だろう。
教師の視線が他をむいている隙に「悪い」と片手を前に立て仁科に小さく頭を下げ、笑顔でうなずき返してくれる彼女に本当に悪いと思いつつも、俺は再び休み時間まで寝にはいった。
俺の高校生活も2年目をむかえたわけだが、授業態度は大体いつもこんな感じである。
寝ているか、授業とはまったく関係のない本を読んでいるか。
ようは、世間一般では『不良』とか『落ちこぼれ』とかにカテゴライズされる人間なのだ。
もっとも俺からすれば、こんな馬鹿げた実のない事をいつまでも甘受し続けている連中のほうがどうかしていると思うのだが。
言っておくが、俺は別に勉強は嫌いではない。むしろ知識欲は人一倍ある方だ。
俺ほど“智”を愛し求め、夕べに死んでもいいと思っている人間はそうそう居ないと自負している。
だからこそ学校の勉強が退屈でしかたがない。
この学校を選んだ最大の理由は“もっとも自宅から近いから”だが、この辺で一番の学校ならもしやと多少期待もしていた。
しかしそれもすぐに失望へと変わった。
内容が多少複雑でより面倒になったというだけで、本質的に義務教育のころと何も変わらない名ばかりの高等教育に、確かに頭のめぐりはいいがただそれだけの生徒達。
正直、この程度かよと思ったね。
いや、別に彼らを馬鹿にしているわけではない。それなりに面白い奴もいるし。
お隣の仁科さんは一年の時も同じクラスだったが、こんな俺にも優しくてれる良い子だし、他にも・・・そう例えば思っていた通りやってきたコイツだ。
「スタンドプレーは程々にしてくれといつも言っているはずだが・・・?」
四限目の授業が終わるなり皮肉たっぷりに現れたのは、如何にも優等生というナリをした眼鏡の男子『末原』だった。
見た目通りなかなかのキレ者で、成績は学年でトップクラス、このクラスの委員長も務め教師からの信認も厚い。云わばエリート中のエリートだが、一年の最初の試験で俺に負けたのが余程悔しかったのか、それとも性格が悪過ぎて友達が居ないのか、何かと俺に絡んでくる困った奴である。
「その俺をダシにする君が言うかね」
「君の所為で授業が中断されて迷惑だと言ってるんだ」
調子を合わせて気取って指摘してやったのだが、あくまで“不良にも屈しない毅然とした委員長”のポーズで通すつもりらしい。
しばし無言でにらみあう。
“不良VSクラス委員”
まさに一触即発の状況に教室は騒然と・・・・・・しているのは昼休みだからであって、気をとめている人間はほとんどいなかった。
それだけこの光景が日常茶飯事な物であり、ある意味信頼されているということだろう。
大人気ない委員長よりこの俺が。
「わざわざ絡んできたのは先生のほうで、俺は大人しく寝ていただけなんだが・・・」
「フンッ、そうやって大物ぶっていられるのも今のうちだ」
「だろうな・・・だから今ぐらい好きにさせてくれよ」
この不毛な会話を切り上げるべく、俺は机の横にかけてあるカバンを取りながら立ち上がると、廊下に向かって歩き出す。
「早退か?」
「いや、残念ながら他で食ってくるだけだ」
そう言つつ俺は、彼の背後をアゴでさした。
それでようやく末原も自分の後ろで退くのを待っている女子が居る事に気づく。
しかもそいつが今にもキレそうな程ムッとしていた物だから、さすがの末原もバツが悪そうにそそくさと逃げていった。
どうやら今日の“舌戦”も俺の勝ちのようだ。
「いつもごめんね川上君、机使わせてもらって」
俺が気を利かせた事に気づいた仁科が、その待っていた友人に代わって恐縮する。
「ああ、いや・・・」
「りえちゃんが謝ることないよ。どうせ他に行くんだし」
だが当の本人がこの言い草だった・・・。
彼女の名前は『杉坂』だ。
恐らく仁科と一番仲の良い友人で、昼はいつも俺の席を占領して仲良く弁当を囲んでいる。
お淑やかで長い黒髪がよく似合う仁科とは対照的に、杉坂はショートカットでつり目がちないかにも気の強そうな子で、実際結構キツイ事をズケズケ言ってくるタイプだ。
しかも、どういうわけだか俺を目の仇にしている節があるし・・・。
まあ、俺は杉坂もそんなに嫌いじゃないからいいけど。
何と言うか、育ちのいいお嬢さんとそのボディガードって感じで、なかなか良いコンビだと思う。
・・・・・・だから噛み付いてくるのかもしれんが・・・・・・。
そう考えれば微笑ましい限りだ。いちいち目くじら立てる事でもあるまい。
申し訳なさそうな顔をしている仁科に、後ろ手をあげる仕草で“気にするな”と言って、俺は颯爽と教室を後にした。