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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
19/94

1‐17 繋がる雨の日の記憶(2)

 駅舎を離れた後、キストンの勧めで旅人がよく訪れるという食堂に入り、とりあえずお腹を満たすことにした。町でも有名なところなのか、比較的に店の中は混んでいた。

 中央の左壁脇にある椅子に腰をかける。そしてそれぞれ好みのものを注文した。

 肉料理よりも野菜を中心に使った料理が多かった。三人も注文したものは違うが、どれも野菜が主菜のものだった。

 出された食事を味わいながら食べている中、入口のドアに備え付けられているベルが揺れた。カランという小気味のいい音が聞こえると、外から二人の男が入ってくる。何気なく入り口を見たレナリアは、目を大きく見開いた。

 入ってきたのは全身黒ずくめの男が二人、フイール村で遭遇した人たちを思い出させるような服装である。

 男たちは案内されると、奥にある席まで移動していった。レナリアたちの席とは少し離れた通路を歩いているため、すれ違うことはなかったが、緊張の糸は抜けなかった。

 席に着いた男たちの会話に耳を傾ける。

「いつまでこの町に待機すればいいんだよ。本当に来るのか?」

「班長にあと一、二週間待てと言われただろう。それまで大人しくしていろ」

「なあ、本当に来るのか? 俺たちが邪魔だからって、厄介払いされてねぇよな?」

「それを俺に聞くな。さっさとメシ食うぞ」

 耳を澄ませて聞いていたが、すぐ目の前にいる人の視線に気づき、我に戻った。

「何?」

「怖い顔してどうした? 何か気をつけた方がいいのか?」

 言葉を選んでくれるキストンが有り難かった。

「……手早く食べて、ここから人目のつかないところに移動しよう」

「さっき入ってきた人たちですね……」

 アーシェルはレナリアから視線を逸らさず、小さな声で言った。彼女の意識もややそちらにあるのか、顔を動かさず、視線だけがちらちらと向かれている。

 レナリアが頷くと、三人は残ったものを急いで食べ始めた。しばらく食事に集中していたため、周囲の動きに反応するのが遅れてしまった。

 さっきの男の一人がこちらに近づいていたのだ。用を足した帰りらしく、たまたま店内を見渡したら目に付いたのかもしれない。

 彼は訝しげな表情で近づいてくる。アーシェルは他の客の死角に入っているが、正面から顔を見られれば、一巻の終わりの終わりだ。

 男が近づき、そしてこちらに手をかけようとした瞬間――別方向から女性の声が飛び込んできた。

「あら、久しぶり。元気だったかい?」

 レナリアたちに話しかけてきたのは、微笑を浮かべている眼鏡をかけた白い髪の老婆だった。背中がやや曲がっており、両手を後ろに回している。

 声かけられたが、レナリアには心当たりのない女性だった。二人の反応を見ると、キストンはきょとんとし、アーシェルは目をぱちくりしている。人違いではないかと思い、尋ね返そうとする前に、老婆がアーシェルに顔を向けて再び口を開いた。

「ルシェちゃん、こんなに大きくなって! 一瞬目を疑っちゃったわ!」

 アーシェルは目を丸くする。老婆は彼女と目を合わすと、にっこり微笑んだ。

「せっかく久々に会ったことだし、ゆっくり話を聞きたいわ。これから時間はある?」

 親しげに話しかけてくる老婆。声をかけようとしていた黒ずくめの男性は、既に去り、首を傾げながら席に戻っている。

 老婆はアーシェルの耳元に声を近づけた。そしてレナリアにも微かに聞こえる声の大きさでぽつりと言う。

「協力者です。私に話を合わせていただけないでしょうか」

 アーシェルは表情を変えないまま、軽く頷いた。そして笑顔で老婆に顔を向けた。

「お久しぶりです、叔母様! 色々とお話ししたいことがありますの。是非ともお話ししましょう!」

 老婆は頷き返すと、机の上に広がっている皿に目を向けた。

「お食事は終わったようね。じゃあ支払いを済ませて、でましょう」

 レナリアは奥にいる二人の男性を横目で見た。二人は言葉を交わしている。こちらも見ていたが、店員が食事を持ってくると、そちらに意識を向けられた。

 その隙に老婆の後をついて、三人は勘定を済ませて店を出た。

 微笑んだまま老婆は手で促しながら歩き出す。レナリアは老婆とアーシェルを交互に見た。少女と目線があうと、頷き返してくれた。

 先ほどのアーシェルの表情や行動を見る限り、老婆のことをすべて知っているとは言い難い。しかし、信じられるだけの何かがあるようだ。

 レナリアは老婆から離れ、アーシェルの後ろに回って、最後尾を歩く。老婆の表情、仕草などと垣間見つつ、行く先をじっくり見た。



 老婆に連れられて着いた場所は、町の端にある静かな住宅街が並ぶ一角だった。少し古びれた二階建ての家の前に立つと、彼女は鍵を開けてドアをゆっくり開ける。やや鈍い音がした。

「どうぞこちらへ。中でゆっくり話をいたしましょう」

 アーシェルが中に入ろうとする前に、レナリアは彼女の肩を握って動きを止めた。その様子を見た老婆は首を傾げる。その微笑みに惑わされぬよう、声を低くして尋ねた。

「彼女とお知り合いなのですか? 面識はないように見受けられますが」

「間接的な知り合いですよ。彼女は末端の私は知らないと思います。……今は中に入っていただけませんか? あの人たちに見つかりますよ」

 正論を言われ、レナリアは言葉を詰まらした。アーシェルに握っていた手を離される。

「入りましょう」

「でも……」

「おそらくこの人は大丈夫です」

 毅然とした表情で、深い青色の瞳がまっすぐ向けられる。レナリアは目を見開いた後に頷いた。

「わかった。貴女に任せる」

 アーシェルは口元に笑みを浮かべた。そして老婆の後ろについて、家の中に入った。

 中に入り、左側の部屋に案内される。床を踏むたびに軋む音がするが、室内はきちんと整理整頓されていたため、汚いという印象は受けなかった。

 居間の中を見渡していると、四角い机の周りにある椅子に腰掛けるよう言われる。三人が椅子に座ると、老婆は火を灯したランプを置いた。そして彼女はカーテンを半分くらい閉じた。これによりアーシェルは外から見えない死角に入った。

 老婆は台所で、カップと紅茶の茶葉を入ったポットを用意し、それをお盆の上に乗せながら、声をかけてきた。

「汚いところですみませんね、ルシェちゃん。いえ――アーシェル様」

 机の上にお盆を置き、老婆は軽く頭を下げた。微笑んだ表情ではなく、背筋をぴんと伸ばした、きりっとした顔つきの女性がそこにはいた。

「初めまして。私は協力者の一人である、ムッタと申します。この度はアーシェル様にお目にかかれて光栄の極みでございます」

「そう畏まらないでください、ムッタさん。上から何を言われているか知りませんが、私はムッタさんより遙かに幼い小娘です。どうぞ気軽に接してください」

「そうは言われましても……」

「では、せめて様付けはやめてください」

「わかりました、アーシェルさん」

 ムッタは言葉をやや崩してから、カップに茶を注ぎ、差し出してくれた。紅茶の香りをかぐと、心が落ち着いてくる。食堂での茶は緊張の中で飲んでおり、飲んだ気にはなれなかったため、この気遣いは嬉しかった。

 皆で少し飲み、緊張が解れたところを見計らって、ムッタが口を開いた。

「それにしてもアーシェルさんが無事で本当によかったです。汽車から行方不明になったと聞いたときは、文字通り血の気が引きましたよ」

「ご迷惑おかけしました。色々ありましたが、ようやく首都まで向かう目処がたちそうです」

 ムッタの目がレナリアとキストンに向けられる。やや疑い深い目をしていた。

「この二人は……」

「一緒に首都に向かっている方たちです。私を様々な側面から助けてくれた人たちでもあります」

「なるほど。……差し支えなければ、お名前とご身分を聞いてもいいですか?」

 キストンと顔を合わせた後に、先に彼が名乗り出た。

「僕はキストン・ルーベルクと言います。フイール村出身で、首都で見習い整備士をやっています。僕が故郷にいる際、アーシェルさんが川に流れ着いたところを助けた縁で、今は一緒に首都に向かっています」

「キストンさんや彼のお母様に介抱していただきました。恩人の一人です」

 アーシェルが付け加えると、ムッタが頭を下げる。キストンは彼女に頭を上げさせて、レナリアに視線を向けた。

 レナリアは姿勢を正して、ムッタを見た。

「初めまして、ムッタさん。先ほどは疑うような言葉を出してしまい、申し訳ありませんでした。私は水環の査察官のレナリア・ヴァッサーと言います」

 ムッタの目が細くなった。レナリアは身分証でもある、ペンダントを取り出した。彼女が感心した声を漏らしたのを聞きつつ、レナリアは話を続ける。

「アーシェルとは汽車の上で知り合い、その後目的地も同じだったため、共に行動しています」

「貴女も首都に用事があるのですか」

「はい。本省に用事があります」

「つまり仕事の最中での移動ですよね。ならば急いでいるはずでは? なぜアーシェルさんに付いているのですか?」

 探りを入れるかのように、ムッタは聞いてくる。レナリアは身分証を同じ場所に隠した。

「――私はたしかに査察官ですが、現在は休暇をいただいている身なので、別段急いではいません」

「休暇ですか……。何かあったのですか?」

「それはここで話すべきですか?」

 レナリアはにっこりと微笑み返す。

 ムッタは口元を緩めて首を横に振った。視線は再びアーシェルに戻る。

「アーシェルさん、この二人にはどこまで事情を話したのですか?」

「私が狙われていることは知っています。そのせいで随分とご迷惑をかけましたから……」

「それだけですか?」

「はい」

「そうですか……、わかりました」

 ムッタはカップの中身を空にしてから立ち上がる。そしてアーシェルを軽く拱いた。

「二人だけで、少し込み入ったお話をしたいのですが」

 アーシェルはちらりとレナリアを見てきた。彼女の目は無言のまま、大丈夫と言っているようだった。頷き返すと、アーシェルは立ち上がる。

「よろしいですよ。レナリアさんたちはこちらでお待ちくださいね」

 そしてアーシェルたちは二階へ続く階段を上っていった。

 二人の姿が見えなくなると、キストンは腕を真上にあげて、背筋を伸ばした。

「これで一安心なのかな」

「どうだろう……。この町の中には、アーシェルを狙っている人がたくさんいる。その人たちをまいて、汽車に乗って、首都に着かない限り、安心しきれないと思う」

「ねえ、レナリア、一つ聞いていいかい」

 キストンは腕を組み、じっとレナリアの空色の瞳を見据えてきた。

「相手が何人いるかわからない中、君は自分の力だけで、アーシェルさんを守りきれると思っているの?」

 レナリアはカップの持ち手部分に軽く触れた。

「……正直言って、その時になってみないと、わからない」

 本音だった。

 ただ勢いだけでアーシェルと共に行動しようと言ったのは、否定できない。

 己の力量を踏まえ、凄腕の剣士カーンとの対峙を考えれば、一人で守りきるのは厳しい。しかしカーンを含めた、アーシェルを狙う団体と真正面から衝突するのは、絶対とは言い切れなかった。だから今まで共に行動してきたのだ。

 だが、今はどうだろう。あの団体の影が見え隠れしてきた。もしかしたらあの男もいるかもしれない。自信がなくなってくる。

「……僕はね、アーシェルさんと一緒にいたい。でも……ムッタさんの存在も知った今、どこかの重要人物と思われる彼女を僕たちだけで守る必要性はないと思うんだ。二人で守りきれる保証はないし……」

 言葉を濁すキストン。護身用の物を使って度々レナリアたちを助けてくれたが、本来はただの整備士だ。守れ、と言う方が無理な話である。

 レナリアとて、戦闘技術は磨いているが、決して力が強い方とはいえなかった。

「ねえ、レナリア」

 顔を上げた彼の瞳は揺らいでいたが、言葉に出してくれた。

「このまま協力者とやらにアーシェルさんを任せた方がいいんじゃないかな、彼女の……ためにも。今までは彼女に仲間がいなかったから、僕たちが隣にいたけどさ」

「……その件に関しては、アーシェルに聞こう。私たちがどうこう言えることでもないと思うから。あの子がここで別れようと言ったら別れる。一緒に行こうと言ってくれたら行く。それでいいんじゃないかな」

 目を見張ったキストンから視線を逸らし、カップを掴んで、中に入っている紅茶をちびちびと飲んだ。

 我ながら卑怯だと思う。こんな重要なことをアーシェルだけに決めさせるのは。これでは自分で決断のできない、優柔不断の人間ではないか。

 冷静に物事を考えている自分と、感情だけで動いている自分がいる。それらが拮抗しており、考えが導き出せなかった。



 アーシェルはムッタに促されて、二階へ上った。部屋が二部屋あり、居間の真上の逆側にある部屋に通された。中は本や書類などが散らばっていた。使われたベッドもあることから、おそらく彼女の私室だと思われる。本棚に並べられている本の背表紙には、水に関することが多かった。

「アーシェルさん、埃っぽいところですみません。あの二人にはあまり耳に入れて欲しくないと思いまして」

「構いませんよ。私も二人にはこれ以上、巻き込みたくありませんので」

 視線を下げながら、アーシェルは左腕を右手で掴んだ。

「アーシェルさん、一つ提案があります」

 ムッタの声につられて、ゆっくり視線をあげた。

「なんでしょう」

「これから近隣の町にいる協力者に声をかけます。その者たちが集まり次第、この町を去られてはいかがでしょう。その方が人数も多く、アーシェルさんも安心して首都に行けると思います」

「近隣の町ですか。……それをするとなった際、人が集まるまでに、どの程度の日数がかかるのですか?」

「そうですね……少なくとも、二、三週間はかかるでしょう」

「それから汽車の発車状況を考えると、出発までにさらに一、二週間は考慮した方がいいですよね」

 つまり今の状態よりプラスして、最悪一ヶ月近くは動けなくなる。

 たしかに手練れの者が護衛についた方が安心ではあるし、レナリアたちも解放されるのはいいことだ。

 しかし一ヶ月も待てない。一ヶ月後までには、遅くても首都に着かなければならない。

 さらにムッタの言うことも、不確定要素が多すぎる。連絡を取り合う時に、こちらの情報が漏れるかもしれない。合流する前に攻撃を受けてしまう場合もある。そしてはっきり言ってしまうと、協力者が集まる保証など、何一つない。

 いくつもの考えが、浮かんでは消えていく。その場で逡巡していたが、結果は出てこなかった。

「……すみません、少し考えさせてください。時間的な問題がありますので」

「それではなるべく早くお決めください。連絡の準備もありますので。――隣の客間を解放しますので、しばらくはそちらでお休みになってください。下にいるお二人もまだ一緒に行動するようであれば、狭いですがその部屋を使ってください。三人程度なら寝れると思います」

「わかりました。色々とありがとうございます」

 アーシェルはムッタに向かって、頭をゆっくり下げた。

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