第06話『川野コウはS・パーティから講釈を受け続ける』
「……分からないよ」
「そう言うと思ったわ」
極限まで進歩したコンピューターが、その後、どこへ向かったのか?
S・パーティの問いに結局、川野コウは答えを出せなかった。だが、彼女は落胆も驚きも見せずに、にっこりと笑うと、彼の手を引いた。
「ここが極限の先にあるコンピューター。
そして、私たちの現在、よ」
パーティの手に引かれてコウが辿り着いたのは、スミソニアン博物館・コンピューター館の中心部に位置するホールだった。
それは現在のコンピューターを広く紹介する目的で構成された展示空間らしい。
コウも持っている携帯型の『THE・フォン』や古典的なタブレット端末にはじまって、キーボードとマウスを備えた業務用コンピューター。
莫大なリソースと消費電力を要求するハイエンド・システムや、ITインフラの中枢で動くサーバーシステム、さらにはそれらの頂点に立つようなメインフレーム、スーパーコンピューターなどがバランスよく取りそろえられている。
「まるでセールスルームだね」
「現役の製品ばかりだから、あながち間違っていないわ。
どうかしら? コンピューターの歴史をほんの表面だけ撫でてきた感想は」
「そう……だね。
僕たちが当たり前に使っているものが、結構濃い歴史を持っていることに気づかされたよ」
「何よ、その小学生みたいな回答は」
コウはコウなりに熟慮した結果としてその言葉を導き出したつもりだったが、パーティはまったく気に入らなかったらしい。
ローティーンのようにぷっくりと頬を膨らませて、彼女は不満の視線を向けた。
「洞察が足りないわよ、コウ。
私はさらなる未来へ向けて、どうやってコンピューターと私たちが発展していけばいいのか、訊いているの」
「さらなる未来へ向けて?」
「個人に関する限り、マン・マシン・インターフェイスとハードウェア技術から来る限界点にコンピューターは到達しているわ。
あなたの持っている『THE・フォン』はもう革命的に高精細にもならないし、ディスプレイが大きくなることもない。プロセッサが劇的に速くなることもない。
私たちが信じられないほど目のいいエルフになったり、手の大きな巨人にでもならない限りね」
「文明が滅んで、ファンタジー世界が生まれるまでにはずいぶんかかりそうだね」
「けれど、まだ出来ることがあると思わない? 私たちはまだ先へ行けると思わない?」
「………………」
オモチャをねだる子供のように、パーティはコウを下から見あげながら回答をねだってみせる。くねくねと踊る小さな尻がひどく性的で、足首の細さに今さらながら気づかされる。
(悩ましいな……)
乱れる思考を正すように、コウは視線を逸らす。
すると、ちょうどコンピューター館の入り口で見たように、自動案内システムが外国人観光客の言葉に対して、丁寧な応答を返しているのが見えた。
観光客はどうやらロシア人であるらしかった。ロシア語で何事か話しかけられたことを正しく認識した案内システムは、彼らの母国語でのナビゲーション表示を適切にディスプレイしている。
(あれは……確か)
コウはパーティの言葉を思い出す。あのシステムの中核になっている技術……それは、確か。
「……ディープラーニング技術による人工知能。
それに何かが出来る。そういうことかい?」
「そうよ!」
ぴょん、と軽く飛び上がってパーティはコウに抱きついた。
かわいらしいコロンの香りが鼻腔に届き、ゴシックロリータのボリューム感から想像できないほどの線が細い体の感触に、コウは思わず気分を高揚させる。
「まだ出来るのよ! ディープ・ラーニング技術を使った人工知能になら!
もっと! もっと素晴らしい革新が! イノベーションが!!」
「そ、そうなんだ」
「それがあなたをこの国に呼んだ理由。
この場所に招いた理由。
この私と出会った理由。
コウ、あなたは選ばれたのよ! 今から、ディープ・ラーニング技術が起こす歴史的なターニングポイントを、あなたは特等席で見ることができるのよ!」
「……特等席だって?」
その時点でもなお、彼には。
コウにはパーティが口にすることの重大さがわからなかった。理解できなかった。
もっといえば、それが個人的なレベルなのか、組織か、あるいは国家か、人類全体か。
(……なんていうか)
事のボリューム感をはかりかねるのだった。
(でもまあ)
どうあれ、大した範囲ではないだろう。
個人? 組織? 国家なんてことはあるまい。どれだけ大規模だとしても、宝くじに当選したようなものだろう。
(あなたは選ばれた、だもんな……)
パーティの言葉の意味を、コウはそんな程度に考えていた。
少なくとも、自分が箱船に乗るノアになるかもしれないと。あるいは、黙示録の日に額へ印をつけられた者かもしれないと。
そんなことは想像だにしなかったのだ。