第25話『彼をお菓子た彼女は笑う』
「━━以上。
これがあなたの寝ている間に、欧州大陸で起こっていたことよ。
そして、まもなくα連合国全土で発表されること。欧州の一般市民はインフラの復旧と共に、ゆっくりと知っていくこと。
何か質問はおありかしら?」
川野コウが目を覚ましたのは、ワシントン・DCにある高級ホテルの一室だった。
目の前では、ベイビードールに薄くシーツを巻き付けただけのS・パーティが笑っている。
朦朧とする意識。今なお熱い下半身に混乱しながらも、コウはパーティが語った言葉を必死で理解しようとしていた。
(なんだよ……なんだよ、それ。
α連合国がE連合に戦争を仕掛けた? それでフランスはもう屈服したって? そんなことが……)
しかもその戦いには無数の新兵器が使われ、およそ軍と軍との交戦すら起こっていないというのだ。
せいぜいにわかな雑学程度で軍事の専門知識などない、ただの日本人であるコウの理解を超えているのは当然だった。
「待ってくれ……ちょっと待ってくれ。
これは本当のことなのか?」
「まだサプライズの類いだと思うならそう信じてもいいけれど、最終的な衝撃の総量は変わらないわよ」
「いや、だって……α連合国が……E連合に?
戦争を……そんなことだって信じられないのに……だいいち、君が見せてくれた映像はどこから……」
「戦場から『ほぼ』リアルタイム配信よ。
そうね、タイムラグは数十分というところかしら」
いまなお無数の映像が流れ続ける壁面ディスプレイの電源を切ると、パーティはコウを試すように、じっと瞳の中をのぞき込んできた。
「映像の情報量はヒトを圧倒するわ。でも、それは時として理解の妨げになることもある……」
「………………」
「少しは冷静になれたかしら?
シンプルに考えなさい。戦争が始まった。私のα連合国は勝った。あるいは勝ちつつある。
部外者である日本人のあなたは世界の中でもとびきり早く、それを知った。
それだけのことよ」
「だからって……どうしろって言うんだ」
「感想を聞きたいの♪」
無邪気な笑顔でパーティはそう言った。
アニメに出てくる純真無垢な異界のヒロインのように。あるいは、まだ世界の汚い物事を知らない幼子のような、混じりけのない笑顔だった。
「感想……だって?」
「コウはどう思った?」
「そりゃ、驚いたよ……」
「それだけ?」
じりじりとピンク色の唇が近づいてくる。生唾を呑み込みながら、川野コウは彼女が求めているであろう答えを考える。
「何か疑問を持たなかった?」
「……なんでこんな戦争を始めたのか、とか?」
「もっとささいなことよ。特定の単語。あるいは名前。
これってなんだ? と思ったものはなかった?」
「……『ハイ・ハヴ』」
「そう、それ!」
正解のご褒美は残念ながらなかった。パーティの唇は遠ざかる彗星の速度で離れてしまう。それでも、ベッドの上で足を崩したシーツ姿の彼女は、そのきめこまかな肌の産毛まで確認できそうなほど近くにあった。
「国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』!
これこそが今回の開戦を決定し、そして勝利を呼び寄せたものよ!!」
「国家戦略……人工知能システム?」
「スミソニアン博物館であなたに人工知能の説明はしたでしょう?
その能力を究極まで高めて、国家戦略の次元に応用したシステム。
それが『ハイ・ハヴ』よ」
「そんなバカな」
川野コウの呻きは、恐らく世界中のほとんどの人間が同意するであろうものだった。
(人工知能が……戦争をはじめた? 勝利を呼び寄せた?)
あまりにも現実感のない言葉だった。遙か昔にすたれた古典SFのアイディアだろうか、とすら思う。百科事典で古い作品のあらすじを読んでいたら、いかにもありそうなシナリオではないか。
「バカなのはヒトの方よ」
しかし、S・パーティは平然とコウの言葉を否定した。
あまりにもその表情が堂々としていたせいで、コウは彼女の色香に酔うことを忘れた。むかつく。つまり、反感の方が瞬間的に勝ったのである。
「バカって言い方はないだろ。
戦争をはじめる人工知能なんて、そもそも狂っている。バカどころの騒ぎじゃない」
「それじゃあ、ヒトがはじめる戦争は狂っていないとでも言うの?」
「いや、戦争なんてもともとおかしなもので━━」
「違うわ、コウ。どんな戦争も狂っていたり、おかしなものなんかじゃないの。
人間のサガ。人間の正常値。
ヒトの脳が当たり前に下す判断の一つとして、戦争もあるに過ぎないわ。
ただ、それが残酷だったり、自分にとってあまりにも悲惨だったりするから、『狂っている』なんて言葉で逃げているに過ぎないのよ」
「………………」
どうも、この少女は。
(……ずるい女だな。自分の魅力が分かっているんだな)
川野コウは再び吐息の距離まで顔を近づけてパーティから、思わず目を背けてそう思った。
その美貌を。その肉体を。真っ白な肌を。あるいは全身から漂う少女の匂いを。
(利用しているんだ。僕を逃がさないように。そういう時だけこうやって接近してくるんだ……)
顔を背けたまま黙っていると、彼女は回答を迫るように柔らかいほっぺたをコウの肩に押しつけてきた。斜め上を見あげる瞳。コウの視界にははだけかけたシーツに見えそうで見えない胸元が映っている……。
「君、ビッチだな」
「ひっどーい。これでも処女だったのに」
「嘘つけ。信じるか。
……もし、君の言うみたいに戦争が人間の正常な行いだったとしても、人工知能なんかに決定される必要はないわよ」
「それも間違っているわ、コウ。
戦争はヒトの正常な行い……けれど、とても危険な行いよ。
そうね、崩れかけた崖の近くに電線を張り巡らすくらいにはね。
だからこそ、ヒトより優れた知性によって決心され、決定され、遂行される必要があると思わない?」
「人工知能がヒトより優れているって言いたいのか?」
「━━技術的特異点」
その言葉は川野コウも聞き覚えのあるものだった。