ちいさな娘、ほんの少しだけ過去を語る。
ラティナの尋ねた言葉に、デイルは普通に驚いた。
「デイル、『ともだち』って、なあに? 」
先日の迷子の件の時、ラティナは東区の子どもたちと知り合いになったらしい。
南区のこの店は、通りに面していることもあり、他の冒険者相手の店よりは健全な雰囲気の店ではあるのだが、子どもが遊んでいるような場所ではない。
それなのに、最近、時折子どもの姿を見るとは思っていた。
目的はラティナだったのかと、デイルは納得していたのだが。
「友だちが出来たみたいだな、ラティナ」
と、呼びかけた返答が前述のそれであった。
「え? えーと……、ラティナ友だち、いなかったのか? 」
「? 『ともだち』がよくわからないの。 クロエもね、ラティナのこと、ともだちっていうけど、ラティナわからないの」
こてん、と首を傾げているラティナに、デイルもむむむと唸る。
後ろめたいような暗さがラティナにない以上、彼女が郷里で迫害されていたとは断定できない。だが、彼女は『片角』なのだ。『魔人族』にとっては、最大の侮蔑の対象であったかもしれない立場の子どもである。
何処に地雷があるか、見当もつかない。
「……えーと……ラティナ、お前、歳の近い子どもと遊んだりしたことなかったのか? 」
「いっしょにあそぶ? かぞくのこと? 」
「いや……家族じゃない。よそのうちの子どもと一緒に遊んだりはしなかったのか? 」
デイルの言葉に、ラティナは再びこてん、と首を傾げた。
「ラティナ……まわり、かぞくとおとなだけだったよ」
その言葉に、『魔人族』は長寿で、出生率の低い種族だったことを思い出す。子ども自体の数が少ないのかもしれない。
「うーん……友だち、っていうのは、一緒に遊んだり、お話したりする家族以外の人のことだな。……だいたい同じ位の歳が多いかな」
自分の今の説明では、自分自身やリタやケニスも『友だち認定』されてしまいそうだと、付け加える。
「そういう人のうち、ラティナが好きになったやつのことかな」
そう言いきれない部分もあるのだが、この素直な幼子には、そう思ったまま育って貰いたい。デイルはそんなことを考える。
「クロエ、ラティナのこと、すきなの? 」
「あんまり嫌いな奴とは、友だちになりたいとは思わないからな」
デイルの言葉にしばらく考え込んだラティナは、ふにゃっと表情を緩めた。
「ラティナもクロエすきだよ。クロエ、ラティナのこと、ともだちっていってくれるの、うれしいな」
「そうか」
デイルは幸せそうな顔のラティナの頭を撫でながら、少し悩んだ。
先ほどの彼女の言葉の意味を聞くべきか、と。
そして、言葉を選んで口にする。
「……ラティナのまわりには、どんな人が居たんだ? 」
「ラティナわからない。どんなふうに、いえばあってるの? 」
デイルは自分の失策に気付いた。
根本的に、ラティナには、『説明する為の語句』が足りていないということに。
「えーと……家族、……兄弟なんかはいたのか? 」
「きょーだい? 」
「家族の中で、同じ親から生まれた子どもで、歳が上の男が兄、女が姉。歳下の男が弟、女が妹。そういうのを合わせて、兄弟だな」
「……ラティナ、あにやあね。おとうと、いもうといないよ。きょーだいいない」
デイルの説明を聞いてから、ラティナはそう答えた。
「まわりにいた大人は、どんな人だったんだ? 」
「わからない。ラティナ、あんまり、ほかのひとと、あわなかったし、おはなしもしなかったよ」
そう答えるラティナの顔は、あまり嬉しそうではない。この辺りが潮時だろうか。
彼女にとって、楽しい記憶という訳ではないのだろう。
デイルがそう判断して、話題を打ち切ろうとしたとき
「だから、いま、デイルといっぱいいっしょにいられて、ラティナうれしいの」
少し照れくさそうにこの幼子が口にした言葉は、痛恨の一撃であった。
にこぉっと、デイルに笑顔を向ける。大好きな甘いものを食べている時に負けない笑顔だった。
「ラティナ、クロエすきだけど、デイルのこと、もっといっぱいすき」
「俺も大好きだからな、ラティナっ! 本当にお前は可愛いなぁっ! 」
がばっと抱き締めてデイルが言った言葉に、ラティナは本当に嬉しそうな顔をした。
(これが、話を有耶無耶にする計算だったら、末恐ろしいけどっ……ラティナみたいな悪女だったら、騙されても仕方ないっ! )
なんてことを考えてしまう、デイルは、それはそれで大変幸せなのかもしれなかった。
「ラティナが可愛いすぎて、仕事に行きたくない」
「また馬鹿言ってんの? 」
ひどく真剣な顔で切り出したいつも通りのデイルの台詞に、リタはもう反応するのも疲れたという顔をする。
「嫌だあぁあああああぁっ!! 日帰りで帰って来れねぇし、何泊になるかも予測できねぇし! ラティナと離れて、あんな伏魔殿の糞じじぃどもの相手して、俺に何の癒しがあるって言うんだぁっ! 」
バッタンバッタンと、駄々っ子の様にじたばたするデイルには、よほどのストレスであるらしい。
「それこそ、王都行き、ラティナも同行させれば? 」
「それはねぇ。ラティナをあんな奴等に預けたら、どんなことになるか……嫌な想像しかできねぇよ」
一瞬で素に戻ったデイルは、その後ぐったりとカウンターに項垂れた。
「わかってる……仕事だから、仕方ない。ラティナが待ってるって思えば、今までよりずっと張り合いもでる。……ラティナだって、友だちも出来たみたいだから、留守番の間も気が紛れるだろう……だから、わかってるんだよ」
ぎゅうっと拳を握り込む。
「わかっていても、嫌なもんは嫌なんだっ! 」
あ。やっぱりこいつ、駄目だ。
きっぱりと宣言したデイルに、リタのどうしようもない何かを見るような目が向けられる。
「どうしようもないのわかってるなら、王都でラティナの喜びそうなお土産でも買って来てあげなさいよ」
リタの言葉に目から鱗の顔が向けられた。
「服とかは、サイズもあるしすぐ着れなくなっちゃうから止めておいて……ラティナ甘いもの好きだし、王都で有名なお店とか、調べてみたら? 」
「土産……土産か……」
デイルが仕事の関係で王都に向かうのは、頻繁な事だったので、彼の中に、『土産を買う』という行動はなかった。たまにケニスに頼まれてクロイツでは入手が難しい品物の仕入れを代行する位だ。
王都で人気の最新スイーツに、満面の笑顔のラティナ。「ありがとう」のお礼もちゃんと言ってくれるに違いない。「デイル、だいすき」も付けてくれるかもしれない。
「俺、頑張れるかもしれない」
「ああ、うん。はいはい」
非常になげやりなリタの返答であった。
デイルが仕事で王都に向かう日の朝、ラティナは見送りの為に起き出して来た。まだ薄く朝日が覗く程度で、普段の起床時間よりもかなり早い。
「……無理しないで、寝てて良いぞ? 」
デイルの言葉に、嫌々と首を振って、ラティナはもぞもぞと布団から這い出して来た。
だが、かなり眠そうだ。階段を下りようとする姿など、非常に危なっかしい。デイルは苦笑しながら彼女を抱き上げる。
はじめて会った時からさほど時はたっていないのに、確実に重さを増した体に、安堵を感じた。
こくりこくりと舟をこぎかけて、気合いで起き直すというのを繰り返しているラティナは、今は半分以上夢の中だ。
「ごめんな、ラティナ。少しの間留守にするけど、頑張ってくれるか? 」
「ラティナ……だいじょうぶ。デイルまってる」
頭を撫でながら言うと、ラティナは至極真面目な顔で受け答えする。
「がんばれる。ラティナ、リタとケニスのところちゃんといるよ。だからね、かえってきてね」
「ああ。土産持って帰って来るから。……気を付けてな」
最後にぎゅっと抱きしめて、ラティナを離す。
店の入り口まで出て来てくれていたケニスにラティナを預けた。
「ラティナのこと、よろしく頼む」
「ああ。お前も無理はすんなよ」
「ラティナが待ってるから、無理はできねぇよ」
そう笑って答えるデイルの姿は、今までにはなかった光景だ。
「じゃあ、行って来るな」
「デイル、いってらっしゃい。おしごと、きをつけてね」
--ああ。俺、頑張れる。
彼女のその一言を噛みしめながら、彼はクロイツを旅立って行った。
ラティナがルディに迫られてパニックになったのは、子どもというもの自体に不慣れであったからでありました。
彼女の『罪』と『生まれ』は、ゆるゆると、ラティナの成長と共に明らかになる。……筈であります。