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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ミクラガルドの騎士
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村と彼女を守る幾つかの方法

久々の更新にこぎつけることが出来ました。今後ともよろしくお願いします。

 四月のとある日、春撒きの麦の植え付けが終わって、久方ぶりに休息を迎えたその夜。アンスヘイムの一角にある長館ロングハウスで、俺は村の主だった男たち、それに長老格の数人の老人たちと共に、床炉を囲んでいた。

 彼らヴァイキングには珍しく、また受け入れがたいことであったろうが、この席には酒は厳しく慎まれている。いつものように狂騒的に盛り上がるわけには行かないのだ。近い将来、村に降りかかるであろう難事に対して、方針を固めるための会議であった。




「……『蓬髪のハラルド王』の噂はちらほらと伝わって来ておる。オウッタル殿の話とも大筋で一致するようだ」

ホルガーが不安を隠し切れない声音で、嘆息と共に口を開いた。先般セイウチ狩りの後に明るみになった、南ノルウェーの王。その不吉な風聞はノルウェー西岸のこのあたりにも、徐々に届いている。


「スネーフェルヴィクを襲ったのが王の軍勢ならすぐに来てもおかしくない。どこかの敗残兵だとしても、王の軍勢はいずれそう遠くないうちに必ず来るだろう」


「その敗残兵のほうがこの村に来ても困るのう」

長老格の老人の一人、ゴルム翁が、垂れ下がった瞼をしばたきながらもごもごとつぶやいた。

 

「王のほうは服従すればそれ程無茶な要求はされないようだが……」

「とはいえ、こんな小さな村から税を払ったり軍役に若い者を出したりするのはいかにも苦しい」

 先代族長であるインゴルフが、苦渋に満ちた面持ちで発言した。鎖蛇号一隻で、ヴァイキング活動に出る人員を収容しきれる。良くも悪くもそれがアンスヘイムの実情なのだ。

「何とか見逃してもらえんものかのう」


 そろそろ体感にして一時間ほども、この調子である。俺は末席で頭をフル回転させながら、彼らの議論に耳を傾けていた。

 いくつかの論点、問題がない交ぜになって、この会議を滞らせている。年配の者たちにとってはまず、この村が彼ら自身の手で切り開いた愛着深い土地であること。王を称する大豪族の軍勢に屈することへの抵抗感。武勇と名誉を重んじる彼ら北方人にとっては、実に頭の痛い状況だった。



 一方で、スネーフェルヴィクを襲った「敗残兵」も厄介だ。規模もさることながら、この一団に「ハラルド王の軍勢」を装われた場合、王への対応が全て裏返って仇になる。

 王の軍勢だと思って迎え入れれば、蹂躙を免れてもそのまま居座られることは必至。最悪、本物のハラルドが来た際に、巻き添えで村が滅ぶ。


 そして、現状のままではどちらに対しても抵抗が不可能だ。未だ正体の知れない一団に焼き討ちを受けた隣村、スネーフェルヴィクは、アンスヘイムの優に三倍の規模の村だったのだ。同じ目にあえば到底、この村が対処できるものではない。


 俺の持つアドヴァンテージは「21世紀までの歴史におけるよりややこしい事案を知っていること」ぐらいだが、それを踏まえても対処法は現状一つしかあるまい。俺は咳払いと挙手で、居並ぶ男たちに注目を促した。


「この席に呼ばれている俺は、言うなればインゴルフ様の家臣に過ぎないが、アンスヘイムには恩義がある。発言を許してもらえるだろうか」



 老人たちの何人かはぶつぶつと不満げな呟きをもらしたが、すかさずインゴルフがそれを一瞥して抑える。


「存分に意見を述べるがいい、異国の歌い手よ」

ホルガーがおもむろに頷いた。


「まず……王の軍勢にも敗残兵にも、この村では対抗できない。それは族長ホルガーをはじめ、皆わかっていると思う」

応えはなく、重苦しい沈黙が一座に広がった。プライドに堪えるものがあるのだろう。だが現実的になってもらわなくては困る。


「俺が思うに、早急にやるべきことはこうだ。……まずハラルド王の現在の動向を確認、所在地へ赴いてこちらから服従を申し出る」


「何だと!?」

広間にどよめきが奔った。ゴルム翁にいたっては卒倒しかねない様子である。だがそんな中で一人、アルノルだけはにやにやと笑いながら顎ひげを捻り上げた。

「なるほどな、トール。うまい考えだ」


「どういうことだ?」

訝しげな面持ちでホルガーが身を乗り出した。


「フィヨルドを通って軍船が来たとき、王か賊かわからない事が我らの兜の支え(頭)を悩ませ、対応を誤らせる。ならば先んじて王に服従を申し出、『わざわざ戦いの用意を整えて来る』船を賊だけに限定してしまえばいい。そういうことだな?トール」

 アルノルが立て板に水の滑らかさで、俺が頭を絞った内容を簡単に説明してくれた。やはり、この男は知恵者だ。


「そのとおり。ついでに王の軍勢が掲げる紋章や軍船の竜頭をしっかり覚えて、間違いのないようにする。出来れば村の防備のために兵を派遣してもらえれば言うことなしだ」


 ホルガーが大きく目を見開いた。

「つまり……服従を対価に、あわよくば村の守りまで肩代わりさせようという腹か!」

「そういうことだ。俺の国とその周辺でも似たような例がいくらもあった」


「つまりは、商談ということか」

アルノルが面白そうに肩を揺らして笑った。

「せいぜいアンスヘイムを高く売り込もうというわけだ。こりゃあセイウチの牙どころじゃない、大変な大商いだな」

「ああ。だがこの商談は時間を掛けられない。最短で結果を出す必要がある」


 平炉の周りに蜂の巣を思わせるざわめきが再び起こった。そろそろ俺の中途半端なノルド語理解では、精細な聞き取りが不可能だ。だが一座の多くは解決の方向性が見えたことに気持ちを明るくし、ごく一部はこれまで独立して営んできた自由農民の生活に綿々と固執して、なおも逡巡している。そのあたりまでのニュアンスは理解できた。



 俺は半ば目を閉じ、大学の教養課程で学んだ西洋史を反芻する。今は紀元876年。カール大帝のフランク王国は分割相続の慣習によって統一を失い、確か9世紀の後半には東西フランクとイタリアに分かれ、東西フランクは紆余曲折を経て後のフランスやドイツへと繋がって行った。


 ヴァイキングたちは、そうした西ヨーロッパの変動に呼応するように各地へ侵入し、あるいは定住してそこで農民となり、あるいは王侯や騎士として一国を起こした。いずれにせよ10世紀以降の封建社会に、深い影響を与えていくのだ。



 時代は移り変わり社会は変貌していく。俺にとっては気楽な自由農民の集落に寄食していられるのが一番楽だが、時の流れはどうやらそれを許してくれそうにない。そのことは先般のスネーフェルヴィクでの一件とオウッタルの言葉で、痛いほど良く理解できていた。


 歴史を大きく変えることは個人の力では不可能だし、改変の影響は未来へも及ぶ危険がある。だとしても――


(この村の人々が悲惨な成り行きをたどることだけは、避けたい)


 そのために俺の知識や、何がしかの能力が役に立つなら、惜しまない。それがこの1ヶ月の間、農作業や放牧の合間に考えに考えた俺の結論だった



「トールとやら」

俺の短い黙考を、老人の声が破った。目を見開いて声のほうを凝視する。


 ゴルム翁だった。

「発言は認めたが、わしはお主に村の先行きを決めてくれとは言うておらぬ。他に方法がないとしても、インゴルフを飛び越えて頭越しに行うべき提案ではなかろう?」


 ざわめきがぷつりと途切れる。床炉の中で燃えさしの薪が崩れ、火の粉を舞い上げた。


(しまった)

 俺は内心で臍をかんだ。こういう反応は当然予想して然るべきだったのだ。どうやら俺は勇み足が過ぎて、この老戦士の誇りと序列意識を逆なでしてしまったらしい。感情論で動くこういう手合いには理屈を述べても通じまい。



(これは最悪、決闘かな)

 剣や斧で人を殺せといわれれば、当然尻込みするのが平和ボケと揶揄される日本人の心性だ。こんな時代に来てしまった以上、覚悟だけはしていたが生憎準備が出来ていない。


 この数ヶ月の労働で幾分鍛えられてはいるが、身体能力のピークだったころに比べればやはり鈍っている。一方、若い時分から戦場働きで研鑽を積んだ戦士には、どんな飛燕紫電の一撃が隠されているか想像もつかない。たとえ枯れ萎んだ手足でも一瞬の気血の迸りがあれば、人間の体は存外に高速で動く。


 おまけにヴァイキングの社会は復讐が容認、と言うよりはいっそ奨励されている。勝てたとしても、ゴルム翁の親族に後々まで付け狙われたのではかなわない。アンスヘイムにいられなくなるような羽目は御免だし本末転倒だ。


 そして、そんな思惟を何処か一歩引いて冷ややかに見ている部分が俺の中にある。やはり、我ながら呆れるほどにヴァイキングの生活と思考様式に順応していると思う。



「そこまでにされよ、ゴルム翁」

 ホルガーが重々しく声を発した。口元は口角を引き上げて笑みの形だが、眼は笑っていない。


「トールは俺の客分でもある。確かに村の意思を左右するようなことを直言したのは不遜かも知れぬが、こやつには供出する財力もなければ、今のところ戦働きをするだけの腕もない。それでも村のことを我が事として真剣に考えて知恵を出してくれるのだ」

そこで言葉を切って、一座を見回す。


「ならば若者の知恵と閃きに承認を与え、責任を持つのが長たるものの責務だろう」




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