第5章 誰が為に竜は闘う その1
人に負けるな、どんな仕事をしても勝て、しかし堂々とだ (沢村栄治)
「木には柾目と板目っちゅうもんがあってなぁ、年輪の所から割れやすくなっとるからぁ、気ぃつけにゃあならんべぇ」
「かか、乾燥させてからのほうが、ほ、ほ、彫りやすいんだな」
‥なるほど、まずは木を知るところから始めねばならぬと言う事か。やはり、彫刻というものは奥が深い。
私は今、ファゾルテとファフナーの元で、彫刻のイロハを教わっている。
先日、ユグドラシルの前でトーテムポールを作ると宣言した私は、その次の日より、一人製作作業に入ることにした。
しかし、蝉であったころはもちろん、先代の竜より受け継いだ知識の中にも、彫刻などやってみた記憶などない。
私の爪はなんでも切り裂くことができる故、とりあえず見よう見真似で始めてはみたものの、全くうまくいかず、ただいたずらに木々を切り倒すばかりであった。
ユグドラシルに、完成したら必ず見せると約束したために、あまり惨めなものを作るわけにもいかない。
一体どうすればよいのかとほとほと困り果てていた時に、ふと頭の中に、二人の気のよい巨人の顔が浮かんだ。
巨人達の住処を訪ね、トーテムポールを作るため教えを請いたいと頼んでみたところ、二人はいつものように豪快な笑い声をあげて、私の師となることを快く引き受けてくれた。
こうして今、私は二人の指導の元に、トーテムポールを作っているのだ。
決して優秀などとは言えぬ不出来な生徒ではあるが、二人の巨人は、丁寧に、根気よく、私を導いてくれた。
学ぶことは楽しい。できなかったことができるようになるということは、わくわくとするものだ。
巨人による2日間の指導の結果、トーテムポールの土台部分はようやく形になり始めていた。
「んでぇ、竜様はぁ、なぁにを作っとるんだべかぁ?」
ファフナーの質問に答えようとした私を、ファゾルトの声がさえぎった。
「ば、ば、馬鹿なんだな兄者、ど、どど、どこからどうみてもナマズなんだな」
「おおぅ、ナマズかぁ、口さ大きくあけてぇ、愛嬌あるなまずだべぇ」
二人はうんうんと頷き合って、私の彫刻を眺めている。
ふむ…、ナマズか、言われてみれば確かによく似ているかもしれぬ。
このままナマズだと言い張ってしまってもよいのかもしれぬが、不出来な弟子としては自身の未熟さを師に正直に告げねばならぬだろう。
「いや、ファフナー、これはそなただ」
私の返答を聞いた二人の巨人は、ぽかんと大口をあけた後に、山をも震わせるような豪快な声で笑いはじめた。
「ぶわっはっはぁ!! なんじゃぁ、わしゃあ、そぉんな顔しとるんかいのお」
「はひひっはひっはひっ、あ、あ、兄者は、ナナ、ナマズの巨人だったんだなぁ」
二人の巨人はひとしきり笑った後、ファフナーの上に乗ったもう一つの彫刻を指差した。
「それじゃぁ、竜さまぁ。わしの上にのっかっとるこいつは?」
「あ、兄者、そそ、それはどう見てもか、カバなんだな。」
「いや、ファゾルト、こちらはそなただ」
二人の巨人は、先ほどよりもさらに大きな声で笑い転げた。
「こりゃあええ、わしがナマズならぁ、おまえはカバだぞぉ」
「わわ、わしは、カ、カカ、カバだったんか?」
ふむ、頑張っては見たが、やはり見てくれは悪いか。
確かに言われてみればどうみてもナマズの上にのったカバにしか見えない。
これは一度作り直すべきなのであろうか。
そんなことを考えていた私の心を察したというわけではないのだろうが、二人の巨人は笑ってしまったことを謝罪したあとに、こう言ってくれた。
「なぁに、最初はみぃんなこんなもんだべえ。始めっから上手くできるやつはおらんべや、大事なのは心ぉこめてつくることだぁ。このトーテムポールには、竜様のいっしょうけんめえがつまっとるべぇ」
「りゅ、りゅ、竜様ありがとうなんだな、わ、わ、わしも兄者も、いい顔で笑ってるんだな」
私が彫刻したファゾルトとファフナーは、いつも大きく口をあけて笑う二人の笑顔を象った物である。
二人は私の拙い彫刻を、味があって好きだと言ってくれた。
その後も二人の指導のもとに、彫刻を掘り進める。
太陽が金色の光を放ち始めたころ、我がトーテムポールの土台となるべき二人の巨人の顔は粗方出来上がっていた。
「たしかにこの歯抜けの間抜けづらはぁ、ファゾルトによお似とるわぁ」
「あ、ああ、兄者の団子っぱなも、そ、そそ、そっくりなんだな」
あれからどうにか、ナマズとカバはファフナーとファゾルトの顔らしきものになってくれた。これもひとえに、根気強い教師のおかげである。
しかし、前回の扉といい、今回のトーテムポールのことといい、私はこの二人の巨人の世話になりっぱなしだ。
私は礼として二人のために何かできることはないかと尋ねる。
不器用なこの身ではあるが、何か一つぐらい彼らのためにできることがあるのではないのだろうか。
礼などいらぬと繰り返す二人ではあったが、私がどうしても折れぬとみるや、こんな事を言い出した。
「あ、あ、兄者、あ、あれを、りゅりゅ、竜様にたのんでみればどうなんだ?」
「あれかぁ? いくら竜様でもぉ、あれは無理だべぇ」
ふむ…。こんな私でも役に立つ事ができるかも知れぬな。
私は今、自分の体の何十倍もある巨大な岩壁と向かい合っている。黒く鈍い光沢を持つこの岩は、何者をも拒む圧倒的な存在感を放っていた。
「この岩の下の地層になぁ、良質の鉄があるはずなんだべがぁ…」
「か、かか、硬くて、ど、ど、どんな道具も歯がたたないんだな」
ファゾルトとファフナーの頼みごととは、鉄の鉱脈をふさぐこの巨大な岩をどうにかできないかということであった。
岩山は二人の巨人ですら、動かすことも削ることもままならぬものらしい。
例えば私の竜の爪ならば、この岩でも削り取ることができるだろうが、これだけの大きさになると一日二日でどうにかできるものではないだろう。
「無理せんでも大丈夫だべぇ、鉄はまた別の場所からさがせばええんだぁ」
「ひ、ひ、日もくれるし、きょきょ、今日は竜様も家に帰った方がいいんだな」
二人の巨人は岩を目の前にして、やはり無理だと思いなおしたのだろう、遠慮がちにこういってきた。
確かに岩を削リ出すならば大仕事ではあろうが…。
「ファゾルト、ファフナー。この岩は消し飛ばしてしまってもよいのかな?」
巨人達を遥か後方へと下がらせると、私は一人岩山と向かい合う。
不安気に「大丈夫か」と訪ねてくる二人の巨人に向かって、私は念のためにもう少しだけ後ろに下がるようにと伝えた。
今、私が何をしようとしているか。それはもちろん我が最大の武器、竜の咆哮である。
普通、竜の咆哮とは、生き物の意識を奪う効果しかない。しかし私の咆哮は蝉の発生法と合わさる事により、強力な音波兵器となるのだ。
その威力たるや、どんなに硬い岩山とて飴細工のように砕け散る事であろう。
肺を大きく膨らませて息を吸い込む。
丹田で息と魔力を練り合わせる。
大気が奮え、あたりから生き物の気配が消えさり、草木が悲鳴をあげ始める。
案ずるな、この岩のほかには何者をも傷つけぬ。
目の前の岩に照準を絞り、咆哮に指向性を与える。
思い描くのはこの世の全てを打ち砕く最強の咆哮。
蝉であったころを思い出しながら、
力の限り
吼える。
「ミーーーーーーーーーンンンッ!!!(訳・はぁああああああああああ!ッ!!)
咆哮はまっすぐに突き進みと岩壁と衝突する。砂埃が舞い上がり、竜巻のように昇っていく。
手応えは十分。私は確信を持って、岩山があった場所を見つめる。
砂嵐が収まり、視界もゆっくりと晴れていく。
我が全力の咆哮を浴びた岩壁は………、先ほどと変わらぬ姿でそこにあった。
………………………。
………………………。
……………はてな?
「‥ということがあったのだ、ユグドラシルよ」
「ええっと、つまり同居人さんの咆哮が力を失ってしまったということですか?」
食事の後、いつものようにユグドラシルに今日の出来事を語り聞かせる。
昼間の太陽の熱を吸い込んだ木肌に見を預けると、心地よい温もりと声が背中より伝わってくる。
あの時巨人達の前で放った私の咆哮は、岩肌の表面を少し削る程度にとどまった。
岩が硬過ぎるというわけではない。黒玄武石のあの岩は、確かに丈夫ではあるものの、一週間前の私であれば粉々に砕くことができたはずだ。
その後何度か試してみたものの、私の咆哮はやはり威力を失っていた。
相手の意識を奪う、本来の意味での竜の咆哮は健在ではあるのだが。蝉の発声法から生み出される音波兵器として咆哮は、もはや見る影もないのだ。
弱くなってしまった私の咆哮ではあるが、今思えばその兆候はあった。
数日前、リザードマンの巫女に夜這いをかけられたとき、とっさに放ってしまった竜の咆哮は彼女を少し傷つけただけにとどまっていた。
仮説を立てる。ここ数日、私の咆哮は日増しに弱くなっていたのではないか。
理由は竜の知恵をもってしてもわからない。
わからないが、一つだけ心当たりを上げるならば、私はいよいよ、真の竜に近づいているのかもしれぬ。
私の蝉の魂が、日々竜のソレに移り変わっているとすれば、竜の魂が肉体と同調し、蝉の発声法が体から抜け落ちてしまったのではなかろうか。
蝉であった私が、完全なる竜となるために…。
「ユグドラシルよ、あなたから見て私の体でなにか変化したところはないだろうか?」
日々、竜のソレへと変わっていく魂。ならばわが肉体にもいくらかの変化が訪れているのではなかろうか。私自身では気がつかぬ内に…。
ユグドラシルと出会ったあの日から、はや10日が過ぎている。
他の誰よりも私のことを知っているユグドラシルならば、あるいは私の変化に気づいているのではなかろうか。
「‥っ!? …変わったところ、ですか?」
ユグドラシルから伝わる声の中に、とっさに何かを隠そうとする意識が伝わった。
われらの語らいには言葉を使わぬ。故に相手の心の小さな変化まで全て理解できてしまう。
私は察する。ユグドラシルが私の身の中に起きた変化に気づいていることを。
しかしそれを、決して私に伝えたくないと考えていることを。
「教えてくれぬか? ユグドラシルよ。私は自分の身に一体何が起こっているのか知りたいのだ。何が起こっていたとしても、私はそれを受け入れるつもりだ」
覚悟を決める。自分が何物であるのか、何物になろうとしているのかを知る覚悟を。
真摯に頼み込む私に、抵抗していたユグドラシルも、ついに隠すことをあきらめたようだ。
ぽつり、ぽつりと、言葉をつむぎ始めていく。
「‥その、ここ数日…、同居人さんの体は…」
彼女の口は重い、私は黙って彼女の言葉を受け止める。
「その…、ほんの‥、ほんの少しだけですけど…」
ほんの少しという言葉に、彼女の気遣いと労りが感じられる。
…なるほど、どうやら「ほんの少し」どころではない変化が私におきているらしい。
「ほんの少しだけ‥、私の勘違いかもしれませんが…」
彼女はそこで言葉を続けられなくなった。最後の言葉を告げることができず、何度も濁した言葉を繰り返すのみだ。
「教えてくれ、ユグドラシルよ! 私の為に! 私が何者かを知る為に正直にいってくれ!」
最後の一押しに、ユグドラシルはついにその言葉を吐き出した。
「ま‥、まあるくなった気がします!」
………………………。
………………………。
…………まあるく?
私は『まあるくなった』という自分の体を見下ろす、否、見下ろそうとして…。
―むにっ―
あごの肉が、つっかえた。
その後、何度も謝りながら、あたふたと私を慰めようとしてくれるユグドラシルに、正直に答えてくれたことに対する感謝の言葉をのべ、今日はもう遅いからと就寝することにした。
世界樹の洞の中で目を閉じながら、私は考えを整理していく。
蝉の鳴き声は、腹の中の空洞で音を増幅させることにより体よりも遥かに大きな音を生みだすことができる。私の竜の咆哮もそれと同じ方法により、強力な武器となっていたのだ。
しかし今、
―むにぃっ―
腹をつかむんでみると、手に収まりきらない程の肉がそこにある。私の体は大量の脂肪に覆われていた。
つまりは、この脂肪こそが、私の咆哮の音と力を奪っていたのだ。
たとえば太鼓は、薄い皮を同じく薄く曲げた木の板に張ることにより、中の空洞の反響によって大きな音を作り出す楽器である。そう。蝉の鳴き声の仕組みに非常によく似ている。
しかし、もしもこの太鼓が何重にも重ねられた皮と、臼のようにぶ厚い木で作られていたならばどうなるであろうか?
音の振動は、木と皮に吸い込まれ、どんなに激しく叩いたところで小さな鈍い音を放つのみである。
要するに、私の体を覆った脂肪が反響の効果を激減させ、かつ、体内の空洞をも小さくしてしまい、咆哮の力を奪い去ってしまったのだ。
さて、咆哮が弱くなった原因は理解できた。
では次に、私がなぜここまで太ってしまったのかという疑問が浮かぶが、理由はもはや語るまでもないだろう。
食べすぎ、いや、飲みすぎである。
私は生まれてこの方、ユグドラシルの樹液しか口にしていない。
決して飽きることのないその美味さに加え、日増しに量が多くなってきている彼女の樹液に、私は自重というものをしなかった。
ユグドラシルの樹液は素晴らしい、完全な栄養と神秘的な生命力に満ちた、世界でもっとも価値ある食事である。体に良いことも言うまでもない。
しかし、どんなに体によいものだとて、摂り過ぎると弊害をうむ。
樹液に含まれた栄養と生命力を使いきれなかった私の体は、それらを脂肪として蓄積することを選んだようだ。
蝉であったころとは違い、天敵もエサ場を争う競争相手も存在しない今の私は、知らず知らずのうちに、必要よりも遥かに大きな量の樹液を摂取していたようである。
結果、野生動物にあるまじき豊かな肥満してしまい、咆哮の力を失ってしまったのだ。
まあ、力は失ったとしても、竜としての本来の咆哮はそのままである。万が一敵が現れたとしても、意識を奪えば済むことだ。
そもそも、この島には私の敵などいないし、いたとしてもわが咆哮に耐え、この鱗を貫くことのできる牙をもつ生き物など存在しない。
咆哮の威力が弱まったとて、竜として生きていくことに全く支障はないのだ。
だがしかし、
―むにぃんっ―
もう一度腹の肉をつかんでみる。
このようなゴム鞠のような体ではあまりにもみっともない。
なにより、ユグドラシルに気を使わせてしまう程に、肥えたわが身が恥ずかしい。
私は思う、明日からダイエットせねばな…と。