第4章 竜はやがて巣立ちを迎える その3
ユグドラシルに背中を預けながら眠ったその夜、私はとても不思議な夢を見た。
夢の中で、私は再び蝉となっていた。
蝉になって、小さな羽根で空をとぶ私は、ただひたすらにユグドラシルの姿を探していた。
探しても、探しても、探しても、ユグドラシルは見つからない。
いったい何処に消えてしまったというのだろうか。
私はまだ巣を作り終わってはいないのだ。
わたしはまだ、あなたに伝えたいことを伝えていないのだ。
過去と現在が交錯する夢の中、どこからか甘い匂いが漂ってくる。
ああ! 間違いない! 彼女の樹液だ!
私は、目の前のその匂いの元が何者かも考えることもなく、樹液にしゃぶりつく。
しゃぶりついて‥、
生臭ァッ!
口に残る不快感とともに悪夢から唐突に引き剥がされた。
うつつに戻った私がみたものは、世界樹のうろの壁にヤモリのように張り付いて、巫女服から伸びる長い尻尾を私の口に垂らしている、リザードマンの姿であった。
「ミミーンン!?(訳・ぬぉおおおー!?)」
驚きのあまり、私は反射的に竜の咆哮を放ってしまう。
放った後に、体から血の気が一気に引いた。
私の咆哮は凄まじき威力を持つ。至近距離で咆哮を浴びたリザードマンの巫女と、そしてユグドラシルは無事あろうか!?
「ど、どうかされたのですか!?」
ユグドラシルは意識を閉じていたようだ。木である彼女には睡眠など必要ないが、時折こうやって意識を閉じているらしい。
私は怪我はないかと彼女に問うた。幸運なことにユグドラシルには傷一つついていなかった。
気絶して地面に横たわるリザードマンの巫女も、巫女服こそ多少傷んではいたものの、体にはさしたる外傷は無いように思えた。
私はほっと息を吐く。
数日前は岩山すら吹き飛ばした私の咆哮ではあったが、咄嗟の一声であったためか、魔力を練りきっていなかったに違いない。
なにはともあれ、最悪の事態は免れたようで安心した。
気を失ったままのリザードマンの巫女をよそに、私はユグドラシルに何が起こったのかを説明する。
ユグドラシルはひと通り私の説明を聞いた後。
「やっぱり…、必要ですね、扉…」
と言った。
朝、太陽が登る頃にリザードマンの巫女はようやく目を覚ました。
昨夜の一件はどういうつもりだ? と問い詰めた所、彼女は涼やかな顔でこう答えた。
曰く
夜の散歩中、偶然この近くを通りかかり、
その時ふと、寝ている私の姿を見てみたくなり、
深夜であったから私を起こさぬようにこっそりと侵入し。
うなされている私の姿を見て、ユグドラシルの樹液をまぶした尻尾を私の口に垂らしてみたそうだ。
‥なるほど。理解できん。
ここはやはり、丈夫な扉を作らねばならぬな…。
「扉、でございますか?」
迂闊にも思考が口にでてしまっていたらしい。私のつぶやきをリザードマンの巫女が聞きとがめていた。
今、新しい巣をつくっている最中であること、そしてその入り口に大きな門をつくるつもりなのだと説明する。
しかして、説明をひと通り聞いた彼女は、こんなことを言い出した。
「そういうことであれば任せてください! わたくし、この島の最高の職人達を知っておりますわ!」
「おめぇさまがぁ、あたらすぃ竜様だべかぁ?」
「は、はじめますてだな。りり、‥竜さまの玄関作るなんて、ここ、こうえいなんだな」
太陽が真上に登った頃、リザードマンの巫女は二人の巨人を引き連れて、私の新しい巣へとやってきた。
ファゾルトとファフナーと名乗る二人の巨人は私とほぼ変わらぬ巨躯をもち、日焼けしたゴツゴツとした両手には、彼らの体の倍ほどもある大量の木材をかかえていた。
「ここに扉ぁ、つくればいいんだべなぁ。なぁに、このくらい簡単な仕事だべぇ」
「きき、緊張するべえな。りゅ‥竜様にき、気に入ってもらえる門をつ・つ、つくるんだな」
二人の巨人の仕事振りは壮観であった。
巨大な金槌を軽々と振り回したかと思えば、カンナで丁寧に表面を仕上げていく。
豪快さと繊細さの同居する本物の職人の仕事だ。
巨人達は時折短い言葉を交わすのみで、まるで二人で一つの生き物であるかのように淀みなく作業を続けていった。
扉はみるみると出来上がっていく。私は彼らの仕事振りに見惚れていた。
職人とはなんと素晴らしいな人種なのであろうか。
ゴツゴツとしたタコの出来た手は、彼等のこれまでの生き様を示していた。
自分の手を広げてみる。
私の爪に引き裂けぬものなどこの世にはない、しかし、この爪で彼らのようになにかを作り出すことができるのだろうか?
見比べるのは、何かを作り上げる手と、何かを壊してしまう手。
いつかこの手で何かを作ってみたいと思う。
金や銀の財宝には興味はないが、自分で作った何かであれば、それは一生の宝となってくれるだろう。
私はリザードマンの巫女に礼を言った。彼らと引きあわせてくれてありがとうと。
物を作るということがこんなにも素晴らしいものだとは知らなかったと、素直に心の内を晒した。
「わたくしは何もしておりませぬ。御礼ならば是非、あの二人に言ってあげてくださいませ」
巫女は私に礼を言われたことがよほど恥ずかしかったようだ。顔を真っ赤にしながら、ついっと二人のいる方向へと顔を逸らした。
言われるまでもないことだ。二人の巨人が休憩を挟んだところを見計らい、私は二人に尊敬と礼の言葉を述べた。
「礼を言う必要はねえべぇ、これがぁ、おらたちの仕事だべぇ」
「き、き、きょうしゅくなんだな、さ、最後の仕上げ、がが、がんばるべな」
と、職人らしい気持ちのよい返事をもらった。
仕事の対価は財宝でよいか? と尋ねたが、二人の巨人は対価などいらないと答えた。
「リザードマンの巫女さまのぉ、頼みだべぇ。お礼なんてもらえるわけねえべや」
「みみ、巫女さまには、お、おお、お世話になったんだな、こ、これは恩返しなんだべな」
彼らの言葉によると、もう10年以上前のことらしいが、二人の巨人は黄金の指輪を巡って命の取り合いになる大喧嘩を起こしたそうだ。
そのとき命がけで二人の喧嘩を止めたのが、リザードマンの巫女だという。
当時はまだ幼いリザードマンの巫女ではあったが、巫女としての優れた知覚によってか、指輪にかけられていた死の呪いを敏感に察知し、二人の巨人が目を離したその隙に、黄金の指輪を海の中へと放り捨てた。
指輪が海の中に消えたとたん、二人の巨人は正気を取り戻して争いをやめたそうだ。
その後、命がけで二人の呪いを解いたリザードマンの巫女を自身の命の恩人として、そして大切な兄弟の命を救ってくれた者として、深く尊敬するようになったらしい。
私はその話を聞き、今まで彼女を邪険に扱ってきたことを恥じた。
確かに彼女の行動や言動は突飛ではあるが、その心は金剛石のように強い勇気と凛とした輝きに満ちているのではなかろうか。
リザードマンの巫女の方へ目を遣る。彼女はずいぶんと離れたところで、こちらに背を向けて座っている。
二人の巨人が彼女の逸話を話し始めたとたん、彼女は恥ずかしくていたたまれないといった様子で、ここから離れていったのだ。私には普段の彼女の行動の方がよほど恥ずかしくおもえるのだが‥。
本当に、人とは見る角度によっていろいろな姿を見せてくれる。私は彼女のほんの一面しか知らなかったのだと気付かされた。
これからは、他の姿も知ってみたいものだ。
彼女とも良い友人になれるとよいな、と私は願う。
休憩を終えた二人の巨人は再び仕事へと戻った。門はほとんど形をなし、残りは最後の仕上げのみだそうだ。
私は彼らの邪魔をしないように、少しだけ二人から離れた場所から眺めていた。
最後に二人は門を開閉の具合を確かめて頷き合う。どうやら職人の二人が満足できるほどのものができたようだ。
観音開きの扉はぴったりと隙間なく閉じている。右の扉の下のほうについてある小さな勝手口も何不自由なく機能している。板の繋ぎ目で精巧にカモフラージュされている勝手口は、まるで隠し扉のようである。
…ふむ? 勝手口だと?
この小さな扉は何であろうか? 私が出入りするにはとても小さすぎて、意味が無いように思えるのだが。
「ああ、これけぇ? 巫女さまがいつでも忍び込めるようにぃ、隠し扉つくってくんろとおっしゃったべぇ」
「だ、だ・ダメなんだな、兄者、そ、そ‥、それ、りり、竜様には内緒なんだな」
うむ、よーくわかった。今すぐ封印してくれ。
防犯に致命的な欠陥のあった扉は、勝手口を厳重に塞いだせいで多少ゴテゴテとした見た目となってしまったが、その日のうちに完成した。
リザードマンの巫女が隙をみては門に細工をしようとするため、偶然通りがかったガルーダさんに里まで運んでもらった。
今日も一日が終わろうとしている。
黄金に光る黄昏時、わたしと、二人の巨人の影が彼方へと伸びていく。
私は二人の仕事を心から讃え、感謝の言葉をもう一度伝える。
巨人の兄弟は額に大量の汗をかきながら、岩をも転がしてしまいそうな豪快で、気持ちのよい笑いを返してくれた。
ファゾルトとファフアーは、肩を並べて夕焼けの沈む方角へと消えていく。もはや数すくない巨人族、彼らが安寧に暮らしていけることを心から願う。
二人の姿を見送ったあと、私は世界樹の元へと羽ばたいた。
今日はみやげ話がたくさんある。二人の巨人と、リザードマンの巫女の話や、私もこの手で何かを作ってみたくなったこと。
きっと彼女は楽しそうに聞いてくれるのだろうなと思うと、今からでも待ち遠しい。
‥ふむ? 何か大事なことを忘れてはいないかだと?
案ずるな、さすがに3度も同じ醜態を繰り返すわけにはいかぬ。
巨人たちの作業を見届けながらも、ちゃんと考えるべきことは考えてある。男らしく、一言で簡潔に伝えようではないか。
ユグドラシルのところに帰るなり、私は堂々と、こう言った。
「最後にトイレを作るぞ」