6
湖と廃墟都市をのぞむ丘のふもと。
小さな泉のあるそこで、僕はブラッドと向き合っていた。
「よーし、じゃあまぁ素振りと走力訓練も終わったし、軽くチャンバラからはじめるか」
ブラッドはいつも準備運動代わりに、片手剣を模した棒か、槍を模した棒で、振り下ろしや突きなどの動作を素振りさせる。
どちらを扱うかはブラッドが気分で決めるのだけれど、剣のほうが多かった。
いわく槍は戦場の武器で、剣は日常に携行する武器だから、とりあえず剣を重視するとのこと。
それから長距離走や短距離ダッシュをやって、それが終わったらチャンバラごっこをしていた。
柔らかい枝などを握って、ぺちぺちと相手に当てあう遊びだ。
わりと退屈な素振りやマラソンと違って、これは時々痛いものの結構楽しい。
が、ブラッドは上手くて、なかなか当てさせてくれない。
「そんで、お前もそろそろ8歳だし、ちょっと強めに当ててくぞ」
「……うええっ!?」
「うええってなんだよ、うええって」
「ブラッドの馬鹿力で、強めに当てられたら死んじゃうよ!」
今までの『ほぼ寸止め』ルールでも時々痛いのだ!
強めに当てられたら……
「大丈夫大丈夫。馬鹿力つっても今は俺、骨だけだし、大丈夫だって。……多分」
「たたたた多分ってなにさ!?」
「はっはっは、嫌なら食らわないように頑張れ頑張れ」
「ヤメローヤメローッ!?」
ブラッドが笑いながら、やわい枝を手に迫ってくる。
「あ、なんなら魔法使ってもいいぞ。ガス爺さんから習ってるやつで、そろそろ何かあんだろ?
火の玉でも電撃でも撃って構わねぇぜー」
だがブラッドがそう言ってる間に間合いは既にかなり近い。
使っていいと言いつつ、ほとんど使わせるつもりはないのだ。
「きたないなぁ、もう……!」
「ふはは、これが戦いだぜウィルくぅん!?」
言いながらも迫るブラッドに、僕は急いで思考を巡らす。
ガスから習った実戦用の魔法だ。
「――――!」
僕はいくつかのことばを矢継ぎ早に叫んだ。
「ほう」
足の裏にかかる作用反作用にはたらきかけて、土を蹴立てて弾けるように距離を取る。
ブラッドがそれを興味深そうに見ている内に、とっておきの《ことば》を叫んだ。
「《走る》《あぶら》っ!!」
その言葉を叫んだ瞬間、ブラッドの足元の草地一面に分厚い脂の層ができる。
「うぉ!?」
ずるりとブラッドの足が滑る。
マナで作り出し、しばらくすれば消え去る程度のものだが、相手をすっころばせるには十分!
そこに、
「《落ちる》《蜘蛛網》っ!」
べたべたしたネット状の蜘蛛の巣めいたものを落とす。
「あっ、こら……!?」
倒れたブラッドに蜘蛛の巣がまとわりつく。
もがくが、もがいただけ更にべたべたと骸骨の体に巻き付いてゆく。
ガス曰く、火とか電撃とかはミスすれば怪我をするが、時間で消える脂や蜘蛛糸の魔法をしくじったところで大事にはならない。
魔法の再現性が低いなら、低いなりにうまく扱えばいいのだ。
派手な魔法はいらない。
小さい魔法を巧く、精度よく、だ。
「ていっ!」
そうしてもがくブラッドに、こちらも脂で足を取られないよう、摺り足でゆっくり近づいて、枝を叩き込んだ。
思いっきり。
「ぐわぁ! ……くそ、参ったっ!」
悔しそうなブラッドの降伏宣言に……
「ぃ、やっった――!!」
僕はぐっと両手を握り、歓喜の声をあげた。
まさかの完封勝利だった。
◆
「やるなぁ……ガス爺さん仕込みか?」
「うん」
《蜘蛛糸》と《脂》が消えてから、感心したように言うブラッドに答えると、ブラッドは笑った。
「はっはっは、ウィル、お前ホントやるなぁ! ガス爺さんが天才って言うのも分かる気がするぜ」
「?」
「だってよ、子供なら派手な火とか雷とか使いたくならねぇ? 若い魔法使いってそういうもんだぜ?」
「ううん。ガスが危ないって言うし」
実際、うっかりすると自爆するというのは、凄く危ないと思う。
「ほう、薫陶行き届いてんなぁ……ちょっとした爆発くらいなら、適当にかわして切り込むつもりだったんだが」
「て、適当にかわせるの?」
「かわせるぜ。っつーか、本気出せばあの《蜘蛛糸》と《脂》の連携だって、難しいが捌けんこたぁない」
ブラッドは平然というが、僕にはどうやるのか想像もつかない。
「……えっと、どうやるの?」
「手持ちの枝で落ちてくる蜘蛛糸を力ずくで巻き取って、あとは頑張って平衡保って脂地帯走り抜けるだけだぜ?」
凄まじく強引な突破法だった。
「……手加減してたの?」
「むしろしないほうがまずいだろ、子供と大人なんだから」
負けっぱなしは負け癖がつく。勝ちのイメージを作るのが大事だ、とブラッドは言った。
「それでも何割かの力はちゃんと出してたし……
それにな、大人が子供に本気出さなきゃどうにもならんような攻撃された時点で、負けたようなもんだろ。」
まぁ、それは、確かに。
いい大人が子供相手に体力勝負で全力出して勝利しても実質敗北だというのは分かる。
「なぁ、ウィル。……ガスな、《彷徨賢者》とか讃えられてたマジモンの大魔法使いなんだぜ?
怪物を退治したり、暴れ川を鎮めたり、古い《ことば》を幾つか再発見したりな」
「へえ……」
大魔法使いだとは何度か聞いたけど、やっぱりガスは相当に凄い人だったようだ。
「お前のやった、あの、火力系抜きで阻害と戦場のコントロールに徹するやり方。
あれはガスが長年あれこれ試した挙句に到達したひとつの結論だ。
アレは偏屈な爺さんだけど……能力は間違いなく指折りだ、教わったことはしっかり覚えといてやれよ」
「うん、大丈夫。……僕、ガスを尊敬してるよ?」
ならいい、とブラッドは頷いた。
「えっと、ブラッドも物凄い剣士だったんだよね」
「おう。自慢じゃねぇが、《戦鬼ブラッド》とか言われてたな」
自慢じゃねぇがとか言いつつ、ふんぞり返ってるあたりがブラッドだ。
「で、マリーも《マーテルの愛娘》とか言われててな、一時期は三人で……っと」
「どうしたの?」
「……いや、この話はじめっと、ちょっと最終的に重くなるからな」
「…………」
思い当たるところはあった。
なぜ、赤ん坊の僕は、人間社会とは隔絶している様子のこの廃墟都市の神殿にいるのか。
なぜ、物凄い実力者であったらしい三人は、ここで不死者として過ごしているのか。
それは相変わらず、疑問としてつきまとっていた。
ただ、少なくとも、ハッピーエンドの結果として今があるのではないのだろう。
マリーやブラッドは時折口を滑らせるが、けしてそれらの断片以上を口にしようとはしない。
「……いつか話してくれる?」
「おう。おめぇがもう少しでっかくなったらな、順にな」
ブラッドはそう言うと、軽く伸びをして、枝を握り直した。
「よっし、もういっぺんやってみっか! ……次は魔法抜きな!」
「ええええええええええっ!?」
◆
眼前に、しなる枝が迫っていた。
思わず目を瞑る。
「馬っ鹿、目は瞑るなよ!」
ぱぁん、とそのまま額を樹の枝で叩かれた。
「あいたぁ~~~~っ!」
僕は額をおさえてうずくまる。
柔らかくてしなりの大きい樹から採った細いもので、そう力も入っていないとはいえ、結構な速度ではたかれればそれなりに痛い。
「あと痛みでうずくまるとか下の下。こうなるぞ」
足の先でひっかけられて転がされた。
実戦ならサッカーボールみたいに蹴り飛ばされてたんじゃなかろうか。
「たとえ拳が顔面直撃しても目はつむっちゃいけねぇ、反射動作を訓練で上書きしろ」
一瞬が明暗を分ける競り合いの中で、自分から視覚を遮断するなんてのは素人のやることだ、とブラッドは言う。
「そんで、一撃もらったら我慢して前に出ろ」
「き、傷ついたのに前に出るの……?」
普通、いいのをもらったら、とにかく距離をとって仕切りなおすとかじゃないのだろうか。
少なくとも自分はそう考えるけれど……
「いいか。一撃もらって下がったら、相手はどう思う?
『今いいのが入ったっ。しかも怯んで下がった、効いてる! 優勢だ、今がチャンスだ!』って考えるだろ?
……当然かさにかかって攻めてくるぞ。しかもこっちは負傷してる、受けるにも逃げまわるにも不利だ。
やばい状況を回避したつもりが、単にジリ貧になっただけ。浅知恵ってやつだな……ん? どうした、妙な顔して。」
リスクを避けて、距離を取るうちに状況がどうしようもなくなる。
実に身に覚えがありすぎる。
「……でも、前に出て、どうするの?」
ブラッドは笑った。そりゃあ簡単だ、と。
「無茶苦茶に突っ込んで我武者羅に攻撃するんだよ」
ゴリゴリの力押しだった。
「どうせ引いても死ぬんだから捨て身だ捨て身。攻撃の回転率上げて、剣でも槍でも拳でもガンガンぶちこめ。
『いいのが入った! 勝った!』と思った一瞬だ、相手の気構えにも隙ができることが多い。
即座に猛反撃してやりゃ、こっちもいいのの一つや二つは入れられる。
したらこっちの負傷をコミにしても、悪くて互角だ。逆転勝利だってありうる」
痛みを受けたら、前に出る。
前に出てやりかえす。
「そう上手くは運ばなくて、凌がれても、相手は疑念を抱く。
『いいの入ったと思ったけど、ひょっとして効いてなかったのか?』ってな。
『むしろ怒らせただけ?』『あの攻撃が通じない?』なんて、そんな疑問を抱かせりゃ……」
ブラッドの骸骨顔に、にやりと笑みが浮かんだ気がした。
「相手の方から下がって、守りに入ってくれるぜ? こっちも一息つけるってもんだ」
不利にはなっているのだが、相手が有利に気づいていない状況だ。
……不確定な未来に、リスクを恐れず踏み出す。相手から主導権を奪う。
「魔法を併用するにしろ、お前は全体的に腰が引けすぎだからなぁ……まずはそこからだな」
いいか、とブラッドは言った。
「とにかく鍛えぬかれた筋肉による暴力があれば、大抵のことは解決するんだぜ?」
「……それ凄い自虐だよね」
ブラッドが力こぶを作る動作をするが、もちろん僕には骨しか見えなかった。