始まりの庭から戻った者
「ゲッティルト!」
ラオブルートに武器を向けられた瞬間、わたしの前に再び複数の盾が現れた。回復薬を飲んでいるエックハルトやユストクスの側から離れないまま、フェルディナンドが複数の盾を展開したのだ。同じように先程の攻撃を警戒して、ハルトムートやクラリッサを含めた側近達も盾を出して構える。
わたしの前に盾が増えたのを確認した直後、武器を握って魔力をどんどんと注ぎ込みながら祭壇を守る位置にいるラオブルートが叫んだ。
「真のツェントの敵を排除せよ! エーレンフェストの聖女は捕らえよ! ユルゲンシュミットのために中央神殿の聖女になってもらうのだ!」
彼の周囲にいた中央騎士団がざっと三つに分かれて動きだした。左の一部は、わたしが行った癒しの範囲から外れているために倒れたまま動けなくなっているアナスタージウス達と、彼等に回復薬を与えたり守ったりしているハイスヒッツェ達のところへ駆け出した。
真ん中の一部はラオブルートの動きを注視しつつ、武器を構える。右の一部は即座にシュタープの弓を構えて射始めた。
「え!?」
矢が向けられたのは、わたしではなくフェルディナンドとその周辺に対してだ。複数の矢が次々と射かけられる。フェルディナンドの盾がすでにわたしの前に出されていることに気付いてヒュッと息を呑んだ瞬間、ユストクスと立ち上がったエックハルト、それから、彼等の周囲にいるアーレンスバッハの騎士達が急いで盾を出して矢を防いだ。
「ローゼマイン様も盾を!」
レオノーレが鋭い声を上げる。フェルディナンド達が何とか自分達の身を守ることができていることに安堵している場合ではなかった。ラオブルートが剣を振り下ろすのが視界の端に見える。虹色の魔力の塊がどんどんと大きくなっているような勢いで自分を目がけて飛んでくる。
「ゲッティルト!」
お祈りの言葉を唱えてシュツェーリアの盾を張る余裕はなかった。虹色の大きな光がいくつもある盾を破壊しながらぶつかってくる。フェルディナンドの盾が弾けるように消え、何とか耐えきったものの、最前列で盾を張っていたコルネリウス兄様とラウレンツが「ぐっ」と苦しそうな声を上げた。
「アンゲリカ、マティアス! 前後を交代! ローゼマイン様はすぐに風の盾を!」
レオノーレが早口で指示を出す。ダンケルフェルガーとのディッターの時にも初手の攻撃をゲッティルトで防ぎつつ、シュツェーリアの盾を出した。少しでも安全な場所を作ることは重要だ。わたしは祈りを捧げる。
「守りを司る風の女神 シュツェーリアよ 側に仕え……」
護衛騎士達が前後を交代し、コルネリウス兄様とマティアスが回復薬に手を伸ばす。けれど、それより先にラオブルートの周囲で武器を構えて待機していた騎士達が次々に虹色の光の塊を打ち出してきた。大小さまざまな虹色の魔力の塊が不規則に次々と襲いかかってくる。二人は回復薬に手を伸ばすより先に盾を張った。
それほど籠っていない物もあれば、かなり魔力が籠っている物もある。フェルディナンドの盾が破壊された今、その波状攻撃はかなり厳しい。ゲッティルトの盾に魔力を吸われるのを感じながら、わたしは祈り続ける。
「……害意持つものを近付けぬ 風の盾を 我が手に」
キンと辺りに響くような硬質的な音がして、半球状のシュツェーリアの盾が完成した。黄色の貴色の光る柱が立ち、中央騎士団の者達が驚いたように注目する。あまり神事を見慣れていない騎士が多いのかもしれない。
ひとまずこれで魔力攻撃は何とかかわせるはずだ。虹色の光の連続攻撃に晒されていた護衛騎士達が少し体の力を抜く。
「警戒を怠らず、すぐに回復薬を。相手は中央騎士団です」
レオノーレが祭壇前のラオブルート達を藍色の目で睨みながら指示を出した。いくら政変で貴族の数が減り、質が落ちたとはいえ、中央騎士団は各領地の中から引き抜かれた優秀な騎士達から構成されている。
エーレンフェストの若手では飛び抜けて強いわたしの護衛騎士達も、経験豊富なおじい様やお父様にはまだ勝てないのだ。経験を重ねている中央騎士団はかなり強敵といえるだろう。
「こちらに合流してほしいところですが、フェルディナンド様達にも余裕はそれほどないようですね」
フェルディナンド達は矢ばかりではなく、魔術具も次々と投げ込まれてこちらとの合流を妨害されている。魔術具が頭上で炸裂し、魔力の通じない銀の針が飛び出す魔術具に苦戦しているのが見えた。おそらくランツェナーヴェから渡った物だろう。
「ローゼマイン様。盾の維持が最優先ですが、可能であればアナスタージウス王子達の回復をお祈りできませんか? 彼等が動けるようになると、戦力が大きく変わります」
アナスタージウスには攻撃できない騎士達がいると言っていたし、彼の護衛騎士は中央騎士団だ。かなり重要な戦力であることが嫌でもわかった。アナスタージウス達が動けるようになれば、中央騎士団の相手をしつつ、彼等の回復を試みているハイスヒッツェ達も動けるようになる。
……それができれば一番なのはわかるけど……。
シュツェーリアの盾に次々と虹色の光が当たるのを感じながら、わたしはレオノーレにコクリと頷いた。
「……やってみます。けれど、それぞれが盾を構えていてくださいませ。中央騎士団の攻撃は魔力が強い上に、攻撃を一点に力を集中させる技術があるというか、これまで受けてきた攻撃とはまた違う強い感触と衝撃があるのです」
護衛騎士達が盾を構えるのを確認すると、わたしは目を閉じた状態でフリュートレーネの杖を出した。予め指定した対象以外は範囲に含まれない魔紙の魔法陣より、詠唱の方が融通は利く。詠唱を長々と唱えられる余裕が必要になるけれど。
「水の女神 フリュートレーネの眷属たる癒しの女神 ルングシュメールよ」
フリュートレーネの杖に魔力が流れていくのがわかる。アナスタージウス達だけではなく、フェルディナンド達にも癒しが必要だろう。
「我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え わたくしの味方を 癒す力を我が手に……」
「アンゲリカ、マティアス!」
祈りの途中にコルネリウス兄様の鋭い声が閉ざされた視界の中で響く。同時に、「ローゼマイン様、集中してくださいませ」というレオノーレが叫んだ。何が起こっているのかわからなくて喉がひくっとなり、声が途切れそうになる。体が震えて、心臓の鼓動が激しくなるのを感じながらわたしは祈りを続ける。
「御身に捧ぐは聖なる調べ 至上の波紋を投げかけて 清らかなる御加護を賜わらん」
唱え終わるとすぐに杖を消して目を開ける。シュツェーリアの盾の前にいる騎士によってコルネリウス兄様が吹っ飛ばされてきた。
「な、何事ですか!?」
「中央騎士団が攻撃しつつ、距離を縮めていたようで、ローゼマイン様の詠唱が始まると同時に銀色のマントでシュツェーリアの盾に侵入しようとしてきたのです。マティアスとアンゲリカとコルネリウスの三人が対応しています」
レオノーレが答えてくれる。シュツェーリアの盾を張っているわたしには敵に侵入される感覚など全くなかったのに、中央騎士団が銀色の武器が入り、マントに包まれた部分が入ってきたらしい。完全に入られる前に叩き出さなければ、レスティラウトに侵入されてユーディットが弾き出された時のように、わたしの護衛騎士の方が弾き出される危険性がある。
「退いてくださいませ! メスティオノーラの化身たるローゼマイン様に無礼を働くことはわたくしが許しません!」
クラリッサがそう言いながら助走をつけて軽く跳躍しながら、盾の前にいる騎士達に魔術具を投げつけた。近距離でバンと魔術具が炸裂した直後、赤い粉末が飛び散って騎士達が顔を押さえて咳き込み、のたうち回る。ネガローシの詰まった魔術具だろうか。
「クラリッサ、次はこれとこれを間断なく!」
「任せてくださいませ!」
のたうち回る騎士達の姿を見ながら得意そうに笑うクラリッサに、ハルトムートが投げる魔術具を次々と手渡している。わたしは祭壇のある方を見た。騎士達に指示を出すけれど、ラオブルートはジェルヴァージオが出てくる祭壇を守るようにその前から動かない。
……ユーディットの投擲なら届くのに。
ラオブルートとの距離を見ながらわたしは悔しさに歯噛みする。ユーディットが未成年で連れ出せなかったのが残念でならない。
「銀色の武器にはハルトムートの魔術具の方が効果はあるようですね。マティアスとアンゲリカは一端下がって。わたくしとラウレンツが前に出ます」
レオノーレとラウレンツが前に出て、アンゲリカとマティアスが後ろに下がってきた。二人はわたしの近くでハルトムートから受け取った回復薬を飲み始める。
「正直なところ、ローゼマイン様からいただいた神々の祝福があるので、経験の差はあれどもここまで苦戦すると思いませんでした。まるでボニファティウス様が何人もいるようです」
ラウレンツと交代したマティアスが回復薬を飲みながら悔しそうに中央騎士団を睨む。神々の祝福を受けてもこれだけの差があるとは、と絶望感の濃いマティアスの横顔を見ながら、わたしはゆっくりと首を振った。
「マティアス、神々から複数の祝福を得られるのはわたくし達だけではありません。騎士達が自力で祝福を得る方法を発表したのはエーレンフェストとダンケルフェルガーではありませんか。もしかしたら、すでに中央騎士団でも取り入れられているかもしれませんよ」
ダンケルフェルガーが披露した奉納舞を取り入れて、エーレンフェストの騎士団が冬の主を倒す時に利用できるように練習していたのだ。領地対抗戦は王族もその側近達も参加するのだから、研究成果として発表された奉納舞を中央騎士団が使っていても何の不思議もない。
「海の女神の儀式を使いましょうか」
一度全員の祝福を神々に返し、その後で再び味方に祝福を与えれば少しは優位になるだろう。中央騎士団に奉納舞を再び舞う余裕を与えなければ良いのだから、やってみる価値はありそうだ。
「ローゼマイン様、ただいま加勢します!」
わたしがシュタープを出した瞬間、ハイスヒッツェ達が声を上げた。どうやらアナスタージウス達が回復して戦線復帰したようだ。これで少しは余裕が出るだろう。心強い声に安堵したのは、一瞬のこと。
「合流される前に潰せ! あそこが一番弱い!」
ラオブルートはわたし達に攻撃を集中させるように命じながら、ハイスヒッツェ達に向けて虹色の光を打ち出して合流を妨害し始めた。
……少しでもラオブルート達の攻撃力を減らすことができれば……。
わたしはハイスヒッツェ達が無事に合流してくれることを願いながら、シュタープを出して海の女神の印を描き、目を閉じて「シュトレイトコルベン」と唱えて杖を変化させる。
「海の女神 フェアフューレメーアよ」
祝詞を唱えながら杖を振り回す。そこかしこで聞こえている戦いの喧騒の中にざざん、ざざんと潮騒の音が聞こえ始めた。
「何をする!? 止めろ!」
「体が突然重くなったぞ!」
「せめて味方には事前にお知らせくださいませ!」
皆が祝福を受けて戦っていたのだ。突然、祝福を奪い取られるため、動きがおかしくなった者が何人も出ているようだ。焦った声が聞こえるけれど、わたしはそのまま儀式を続ける。
「我等に祝福をくださった神々へ 感謝の祈りと共に 魔力を奉納いたします」
祝詞を唱え、高く空に向かってフェアフューレメーアの杖を掲げる。ドンと光の柱が立った音がした。
……これでよし。後は、味方に祝福の重ね掛けをすれば……。
わたしは杖の変形を解いて、目を開けた。戦いの熱と神々からの祝福を強制的に奪われて静まった講堂の様子にふっと息を吐く。
その途端、妙な圧力を感じた。
言葉で表現するのは難しいけれど、何かがいると感じる。しきりに辺りを見回り始めたわたしに、レオノーレが「どうかされましたか、ローゼマイン様?」と尋ねた。
「……何だか変な感じがします。妙な圧力というか気配があの辺りから……」
わたしはそう言いながら、祭壇の最上部を指差した。最高神に迎えられるような位置にゆっくりと足を進めていたらしい一人の男が立ち止まる。ここから出てくるのはジェルヴァージオだけだろう。遠目ではよく見えなくて、わたしは視力を強化した。
……銀髪の老けたフェルディナンド様!? どっちかというとエアヴェルミーン様の方が似てる?
ジェルヴァージオは銀色の長髪を背中で一つにまとめた四十代の半ばくらいで、「老けたフェルディナンド」としか表現しようのない男だった。わざわざ確認を取らなくても血縁関係を察せるくらいに似ている。フェルディナンドの年の離れた兄、もしくは、父親ではないかと思うくらいだ。
ジェルヴァージオが祭壇の最上部からこちらを見下ろし、口を開いた。
「これは一体何事だ、ラオブルート?」
まるで講堂の戦いが収まるのを待っていたかのようなタイミングでシンと静まった講堂の中に重々しい声が降ってきた。海の女神の儀式が終わった直後だったせいもあるあろう。命じることに慣れた者の声だったせいもあるだろう。講堂にいた者は一斉にその声の主に注目した。
「……おぉ、ジェルヴァージオ様! どうか真のツェントの証を、神々より賜ったグルトリスハイトを我等にお見せくださいませ!」
芝居がかった声でそう言いながらラオブルートが祭壇に向かって手を挙げる。
ジェルヴァージオは手を前に出し、「グルトリスハイト」と唱えた。その手にメスティオノーラの神具と同じ形の聖典が現れる。最高神の神像に挟まれたところで、グルトリスハイトを掲げる男はどこからどう見てもツェントだった。
「神々に選ばれし真のツェントだ。ユルゲンシュミットは救われた!」
感極まったようなラオブルートの声が響き、一部の中央騎士団から熱狂的な声が上がった。アナスタージウスとその護衛騎士達は真っ青になっている。けれど、講堂に広がるざわめきで最も多いのは、ジェルヴァージオとフェルディナンドを見比べる者達の声だった。
「……ローゼマイン様、彼がジェルヴァージオですか?」
「あそこから出てきたのですから、そうだと思います」
「フェルディナンド様と血縁関係にある方、ですよね?」
「よく似ていますから比較的近い繋がりがあるかもしれません。……でも、フェルディナンド様はエーレンフェストの領主一族ですよ、レオノーレ」
わたしはアダルジーザの離宮のことも、フェルディナンドの出生も知らないことになっている。わたしはニコリと笑って誤魔化した。
本当は金曜日にここまで書きたかったのです。
ラオブルート率いる中央騎士団に苦戦する護衛騎士達。
事前に魔法陣を準備していたため、味方の三領地に含まれないアナスタージウス達は癒しの範囲外でした。
そして、やっとこさジェルヴァージオの登場です。銀髪の老けたフェルディナンド。