教都ベネディカの戦い
教都ベネディカは守る為の城壁も持たない都市だ。
レナトゥス神教会の総本山である教都を攻める者などいるはずがない。これまでは、そうだったのだが、今は万を超える軍勢が、教都に攻め込もうと陣形を整えている。
「満更、馬鹿じゃなかったか」
「そうですな。敵は一万、こちらは三千を切る数。勝てますかな?」
騎士団の姿が現れてからずっとヴェドエルはまるでカムイの副官のように、傍らに張り付いていた。カムイはともかく、本人は完全にその気だ。
「勝てますかなではなくて、勝たないとだ。こちらには守るべき者が多くいる」
「そうですな」
カムイたちの誤算はここまでの所、二つ。一つは教都に向かっていた神教騎士団が連絡を取り合って、到着の日時を合わせてきた事。それによって各個撃破の算段が崩れ、一度に全軍を相手にしなければならなくなった。
そしてもう一つは教都にいた信者が逃げようとしなかった事。その動機は様々だ。自分も教都を守る力になりたいと言う者、信じてきた教会が虚構であった事を知って、半ば死を望んでいる者。
いずれにしろカムイには迷惑な話だった。守るべき者がいるせいで戦術に大きく制限を受ける事になったのだ。
カムイとしては人がいない教都などは、どうなっても良かったのだ。最悪は教都に引き込んだ上で、火を付けてやろうくらいを考えていたのに、それが出来なくなった。
更に問題は、広く教都を守る為に、ただでさえ少ない戦力を分散させなければならない事。今はまだ相手は戦力を正面に集中させているが、やがて、それに気が付くだろうとカムイは思っている。
「かなり厳しいのは確かだな」
「そうですな」
「勝負は相手が攻め口を分散しないうちに、どれだけ削れるかだ。それは騎士に伝えてあるな」
「はっ。初戦に全てを賭けるつもりで行けと指示しております」
「それで良いけど、こちらの損耗も激しくなるだろうな」
「はい……」
「聞きたい事がある」
「何ですかな?」
「あれの全てに戦意があると思うか?」
「……嫌々従っている者もいるとは思いますが、離脱は難しいでしょうな。それをしようとすれば、その場で処断されると分かっております」
「あそこにいる師団長って全員駄目な奴等か?」
「それは……。そうですな。私が知る限りで言えば、中央の第九師団はまともな人物だと思っておりました」
「……なるほど。案外それを見越しての、あの配置かな?」
「確かにあれでは反旗を翻そうにも前後左右から袋叩きですな」
「正確な数が分からないな」
「申し訳ありませんが、それは私にも区別がつきません。陣形の切れ目でおおよその判断をする限りは千を切るくらいでしょうか」
「引き込んでもまだ倍以上か。質が同じとなると難しいか」
「……魔族は使わないのですか?」
この何倍もの数を屠ってきたのが魔族だ。その力を使おうとしない事をヴェドエルは疑問に思っていた。
「最悪は参加させる。でも出来ればそうしたくない」
「教会の戦いで犠牲は出したくないでしょうからな」
「違う。魔族が味方すれば、それを風評として利用する者が出てくるだろ? 教会が魔族と組んでいるなんて噂を流されたら、この先の活動が難しくなる。事情を知らない人族にとっては、魔族は憎むべき存在だからな」
「そこまで考えておられましたか」
「教会を解散しようとするこちらには敵が多い。教会をそのままにという勢力以外にも新神教会がある。そこが勢力を一気に拡大じゃあな」
「意味がありませんな」
新神教会の教えも神教会と同じだ。分派したのだから当然で、しかも真実を知る者がいない分、却って性質が悪い。
「王国内だけで勝手にやってくれれば、それは構わない。だが、こちらの活動を阻害する事は間違いない。それが易々と出来るだけの力は与える訳にはいかない」
「しかし、それも勝ってこそ」
「分かっている。その方法を考えているんだ」
「はっ」
しばらくカムイは相手の陣地を睨むように見ながら黙り込んでいた。カムイが思考に入ったのが、分かったヴェドエルも、同じように戦術を考えてみるが、良い案は浮かばない。
同じ教会騎士団、第一師団だからといって突出した力を持っているわけではない。
質が同じであれば数で勝る方が圧倒的に有利なのは考えるまでもない。打つ手は奇襲。ただ、その方法が思いつかない。
「奇襲だよな」
そしてカムイも考えている事は同じだ。
「はい。ただ、その方法が」
「嵌るかな。一工夫いるよな。……やっぱ、そうだよな」
「方法があるのですか?」
「思いついたのはある。一つ聞きたい。教皇って馬に乗れるか?」
「はっ? まさか、教皇猊下を戦いに?」
「いや、戦ってもらう必要はない。付いて来てもらいたいだけだ」
「それが奇襲ですか?」
「そう。やっぱり権威って必要だと思う。相手を交渉事に引き込むにはな」
「……交渉」
「まあ、詳しい話は馬に乗れるか確認してからにしよう」
◇◇◇
万の軍勢の前に進んできたのは、たった三騎。先頭を進むのは、戦いの場に似つかわしくない聖職者の衣をまとった人物。
その後ろを進む騎馬が持つ教皇旗を確かめるまでもない。黄色の衣を纏えるのは教皇だけだからだ。
その姿をはっきりと視認した攻める側の教会騎士からは、動揺の声があがった。最高権威者である教皇に剣を持って対峙している事への畏れがそうさせたのだ。陣のあちこちから、その動揺を治めようとする声が聞こえてくる。
「……あんまり良い状況じゃないな」
それを聞いて、カムイが小さく呟いた。
「そうなのか?」
「押さえる側の声が思っていたより多い。それだけ、教都を攻める気の騎士が多いという事だ」
「……何とも、情けない事だ」
「いきなり襲いかかられたりしないよな?」
「それをされたら、教皇であった儂の立場がない」
「まあ。それなりに尊重されると信じているから」
「儂もそう信じたい」
「おい?」
「とりあえずは大丈夫みたいだね」
聖職者の服を着て、教皇旗を掲げ持っているイグナーツが、後ろから、そう告げてきた。
イングナーツの言うとおり、陣の中から何人かの騎士が出てくるのが見える。
「師団長か?」
「一人一人の顔を儂は知らんのだ」
「役立たず」
「そう言うな。鎧に付けている紋章で分かる。……師団長のようだな」
「良かったな。これで平騎士だったら、さすがに同情する所だった」
「いくらなんでもその言い様は酷くないかな?」
「年上である事を無視すれば、教皇も俺も一つの集団の長だから同列」
「年を少しは考慮してもらいたいものだ」
「それは肩書きをなくしたら考える。お互いに肩書きがない立場で接する事になれば、年上の人は尊重する」
「なるほどな。そういう拘りがあるわけか」
「ああ、それ嘘ですからね。カムイは年なんて気にしません」
納得した教皇に向かって、すぐにイグナーツが嘘だと告げた。実際にそうだ。カムイの拘りは別の所にある。
「……おい」
「でも、ガチガチに敬語を使われるよりはマシですよ。カムイにとって敬語を使うって事は壁を作っていると同じですからね」
「なんとも複雑だな」
「雑談は終わり。向こうが何か言ってきそうだ」
前に進んできた師団長たちは一列に並んで、カムイたちを見つめていた。
最初に何を言い出すかと、待っていたカムイたちだったが、中々話し出そうとはしない。
「どういう事?」
「序列がないのだ」
「ああ、牽制し合っている訳か」
「師団を集めるときは、教会で序列を決める。それがなければ第一師団長を除けば、全員横並びなのだ」
「それは、それで面倒だけど」
交渉相手が絞れないという事は、厄介な事であるが、実際はそれ程、カムイは気にしている訳ではない。本気で交渉を行うつもりなどないのだ。
「仕方ない。こっちから行く」
「どうするのだ?」
「まあ、ある程度は任せてくれ」
そう言ってカムイはわずかに前に出た。
「教都を目の前にして、陣を組むとは一体どういうつもりだ!」
「「「それは!」」」
「気が合うのは結構だが、一人ずつ話してもらえるかな? 聞き取り辛い」
カムイにそう言われて、口を開いたのは真ん中にいる師団長だった。外見から、恐らくは年齢での序列なのだろうとカムイは思った。
「それを聞く前に教会が解散とはどういう事かを説明してもらおう!」
「言葉の通りだ! レナトゥス神教会は、解散する事に決定した! 教会が解散する以上、神教騎士団も不要のもの! 陣を解いて、それぞれの故郷に帰るべきだな!」
「ふざけた事を言うな! 我らがこれまで教会にどれだけ尽くしてきたと思っている! それに対して、何ら報いる事無く、お前らはもう不要だと言われて納得できるか!」
「なるほど、それもそうだな。では、どれだけ尽くしてきたか、その功績を一人一人説明してもらおう!」
「な、何を言っている!?」
「功績を聞かなければ、どう報いるべきか分からないだろ!? さあ、説明しろ!」
「そんな事出来るか!?」
「なるほど。お前はなしと。では隣の者。説明してくれ!」
「そうではない! 長年の功績を全て話しきれるわけがないと言っておるのだ!」
「長年の……。それは、教会は一度も報いる事が無かったと言っているのか!?」
「それは……。そうだ、儂はひたすら無償で教会に尽くしてきたのだ!」
少し悩んで、その師団長はそう答えた。そんな訳がない。その地位に見合った報酬を受けとり、それ以上にその地位を利用して良い思いをしてきたのだ。
「素晴らしい!」
「な、何?」
「それでこそ教会騎士だ! 無償の奉仕こそ教会のあるべき姿! 貴方は、真に教会の本質を理解している方だ!」
「いや、それは……」
「さて皆、この方を称えようではないか! そして見習おう! 無償の奉仕を望む、その貴き心を!」
「ち、ちょっと待て!」
「何か?」
「今のはどういう意味だ?」
「報いる事を望まないって事だろ? うん、素晴らしい。では、余生は田舎に戻って、ゆっくりと過ごしてくれ」
「ふ、ふざけるな!」
「ふざけてなどいない。俺は教会に所属する者として、あるべき姿を述べているだけだ。教会は人々に奉仕する為にある。そうではないか?」
「……それは」
「そして、ここで問いたい! 教会騎士のあるべき姿とはなんだ!?」
「…………」
「教会騎士は信者を守るもの! その教会騎士が何故、今、信者がいる教都を攻めようとしているのだ!?」
「だ、黙れ!」
「黙るか! 心ある騎士に問う! お前たちは、今の自分の姿をどう見ている! 信じてきた教会の本山に! 守るべき信者に剣を向けようとしている自分を!」
カムイの視線はもう前に出ている師団長たちには向いていない。その後ろに並ぶ教会騎士たちに向けて訴えかけていた。
「黙れ! 黙らんか!」
「剣を捨てろ! 剣を向ける方向を間違うな! 教会は無くなっても神は在る! 自分の中の神を信じろ!」
「こ、殺せ! こやつを殺せ!」
「神の御使いに選ばれし勇者が宣言する! 心ある教会騎士よ! 我に集え!」
「な、何だと!?」
これが止めとばかりにカムイは自分が勇者であると宣言する。カムイの言葉に揺れる者たちを押し止めようとしていた者たちも、これにはさすがに動揺を隠せなくなった。
「教会はすでにない! 騎士団の序列などないのだ! 今、お前たちが従うのは、自分自身の良心! その良心に従え!」
「に、偽物だ! 勇者などいない! 教皇も偽物だ! 殺せ! こいつらを殺せ!」
「お前がやれ。出来るものならな」
そのカムイの声を最後まで聞くことが出来ずに、声を張り上げていた師団長の首が、胴体から切り離された。
「……進め! 一気に攻めるのだ!」
そして、又、次も。カムイの剣は前に出ていた師団長たちを次々と屠って行った。
「……貴方が第九師団長?」
「そ、そうだ」
「貴方はどうする? ヴェドエルは貴方の事をマシな人だと言った。俺は、その言葉を信じたいのだが?」
「わ、私は」
「ヴェドエル、今だ! 軍を前に出せ!」
最後まで返事を聞く前に、カムイは後方に向かって大声で叫んだ。それに応えた第一師団、そして勇者志願者たちが、教都を飛び出して、前に出てくる。
だが、その軍は大きく迂回して、攻める側の神教騎士団の横に進んだ。
「心ある者よ! ここまで来るのだ! 無理やり戦う必要はない! ここに逃げ込め!」
ヴェドエルの叫び声に、教会騎士たちは、その意図を理解した。
「……第九師団! 全力で陣を脱け出せ! 逃げる者はそれに続け! 我は良心に従う!」
それに続けて、第九師団長の声が響き渡る。それが大きなきっかけとなった。
陣は大きく崩れ、その中から離脱しようとする教会騎士が出始めたのだ。
「イグナーツ! 支援を頼む!」
「分かった!」
そして、カムイはその崩れた陣に向かって、たった一人で突入していった。
「戦う気がない者は剣を捨てろ! 剣を持つ者は容赦なく叩き切る!」
万の軍勢に向かって、叫ぶカムイの声。
それに驚いたのは、ヴェドエルも同様だ。
「ば、馬鹿な! ゆ、勇者を救うのだ! 軍を前進させろ!」
慌てて、カムイの支援に師団を前に進めようとしたヴェドエルだったが、それを遮るカムイの声が響く。
「ヴェドエル! 動くな! 剣を捨てた騎士は、無力な民と同じ! 民を守るのがお前の使命だ! それを忘れるな!」
「ゆ、勇者様」
ヴェドエルには分かった。それが同じ教会騎士に剣を向けさせまいとするカムイの優しさなのだと。
「ヴェドエル殿、俺が行きます。俺は教会騎士ではない。申し訳ないが、遠慮なく、剣を振るえる」
そして、同じくそれが分かったラルフが、ヴェドエルにそれを告げてきた。
「た、頼む」
「頼まれました。では……、い、行きます!」
震える声でそう宣言するラルフ。正義感から、ヴェドエルにカムイの下に行くと言ったものの、万の軍勢の中に突入するのは、ちょっとや、そっとの覚悟で出来る事ではなかった。何度か気合を入れているが、足が中々前に出ない。
「ち、ちきしょう! 何で前に出ない!?」
「ラルフ! 私も行くわよ! 二人なら、行けるわ!」
「あ、ああ。そうだな。よし、行くぞ!」
「邪魔! お前らは黙って見てろ!」
ようやく覚悟を決めたラルフの横を通り過ぎていく騎馬の影。
「マリア! ぶち込め!」
「おお、なのだ!」
騎馬の上から放たれた魔法が、崩れている陣形の隙間を更に切り裂いて行く。そこに、何の躊躇いもなく、ルッツは騎馬を突っ込ませていった。
「派手だねえ。さて、ミト。俺たちは地味に逃げる騎士を追っている奴等を消していくぞ」
「はっ!」
そして、アルトとミトもその場に現れる。アルトの言葉通り、二人は逃げる騎士を追い掛けている者たちを遮っては、次々とそれらを屠って行った。
その間もカムイは敵陣のど真ん中で剣を振るっている。
「イグナーツ! 左翼前方! 逃げる気がない!」
その言葉を終えると、カムイの指示した場所に爆風が吹き荒れる。
「次! 中央後方! 逃げ道を空けろ!」
今度は陣の中央後方に爆炎が巻き起こる。
「後ろが空いた! 戦う気がない者はそこから逃げろ! 死にたい奴はかかって来い!」
イグナーツへの攻撃指示と、自らの戦い。そして、逃げる者への指示も忘れていない。
「死にたくなければ剣を捨てろ! 剣を捨てて第一師団に逃げ込め! ルッツ! もう一息だ! 一気に決めるぞ!」
「おお! 任せとけ!」
一万対六人。信じられない戦いの光景を、第一師団とそこに逃げ込んできた教会騎士たちは見つめていた。
「あ、あれが、魔王……」
「いや、あれこそが勇者だな」
茫然とした顔で小さく呟くラルフに、ヴェドエルが言い返す。
「勇者……」
「あれが勇者でなくて何なのだ? あの方を見て私は忘れていた言葉を思い出した」
「それは、何ですか?」
「勇者とは守る者だと、幼い頃に聞かされた覚えがある」
「勇者とは守る者……」
「勇者は魔王を倒す者ではなく、何かを守る者。そういう事ではないのかな」
「それでは私の父は」
「きつい事を言うが、真の勇者ではなかったのだろうな」
「そ、そんな……、それでは俺は何の為に、これまで強くなろうとしてきたのだ」
ラルフにとって父親が勇者である事が誇りだった。カムイに真実を告げられても、それを完全には受け入れてはいなかった。
「自分の為ではないのか?」
「えっ?」
「君の実力は知っている。父の為だけに、あれだけの力を身に付けられるものだろうか? 君は自ら強くありたいと思って、鍛錬をしてきたのではないのか?」
騎士といえどもヴェドエルも神教会に所属していた者。こういった話はうまい。相手が根が単純なラルフであるという事を差し引いても。
「俺は……」
「あの方は魔王の息子として生まれて、勇者として生きている。選定などは関係ない。選定されたから勇者なのではなく、勇者だから神の御使いに認められたのだと私は思う」
「……そうかもしれない」
「魔王の息子であったあの方が勇者として生きられて、何故、偽物とはいえ勇者の息子である君が勇者として生きられないのだ? そう考える事は出来ないかな?」
「……はい。いいえ、そうですね。出来ないはずがない」
「これからは自らの為に道を進むのが良いと思う。但し」
「はい」
「目指すことは出来てもなれるとは限らない」
目の前のカムイの戦いぶりを見て、軽々しい事は言えない。厳しくても真実を告げるべきとヴェドエルは思っている。
「……そうですね」
「でも、それで良いと私は思う。今はそう思えるようになった」
「ヴェドエル殿は何かを目指すのですか?」
「私か? そうだな。出来る事なら、あの中に入りたいと思う。遠い、あまりにも遠い目標だがな。私は同じ世代に生まれた君が羨ましい。それだけ長く同じ時代を生きられる可能性があるのだからな」
逃げる者が過半数を超えれば、後は一気になし崩しだった。やがて抵抗は止み、多くの教会騎士が剣を捨てて投降の意志を表していく。
一万対六人の戦いを終えたカムイたちが一つ所に集っていた。
その姿に憧れを感じた者は、ヴェドエルだけではない。勇者の、英雄の輪の中に入りたいと思った教会騎士は、勇者志願者たちは、じっと六人の姿に見惚れていた。