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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
26/218

合同演習合宿その九 帰還

 麓への道を急ぐカムイとマリーであったが、いよいよ本当に、マリーに限界が訪れた。ロクに睡眠もとらずに、ひたすら歩き続けてきたのだ。それも無理はない。

 平気で歩き続けるカムイの方が異常なのだ。

 ごねてごねてごね続けた結果、カムイがマリーを背負って歩くことになった。心底嫌そうな顔をして、マリーを背負ったカムイは、麓へ続く道を進んでいる。


「ああ、重い」


「重いわけないだろ? あたしは痩せている方だ」


「確かに背中に当たるのは、板の様な感触だけだな」


「てめえ」


「何だ、その口のきき方。誰のおかげで、楽出来ていると思ってんだ?」


 これを言われると、マリーは弱い。今は、強がりを言える余裕がないのだ。


「……お前だ」


「お前じゃない、カムイ様と呼べ」


「呼べるか!」


 マリーが見せた弱みは、弄る切り口としては、実に都合が良い。


「じゃあ、ご主人様でも良いぞ?」


「……この変態野郎」


「露出好きの変態女に言われたくない」


「誰が露出好きだ?!」


「山中の小川で素っ裸になるのに、わざわざ男の俺を呼び寄せるんだから、露出好きだろ?」


 そして、マリーは他にもカムイにネタを提供してしまっていた。


「あっ、あれは、お前が背負うのに、臭い体は嫌だって言うからだろ?」


「体を洗うのに俺を呼ぶ必要はない」


「それも、お前が、いつ魔獣に襲われるか分からないから、気を付けろなんて脅すからだ」


 つまり、まんまとカムイに嵌められたという事だ。


「又、人のせいにする。悪い癖だな、直した方が良い」


「お、ま、え、の、せ、い、だ、ろ!」


「耳元で大声だすな。うるさいだろ」


「ああああああっ! ああああああっ!」


「うるさいっ!」


 マリーの思わぬ反撃を受けて、カムイは声を荒げてしまう。


「へっ、ざまあみろ」


 カムイに怒鳴らせた事で、マリーは満足そうだ。


「……ていうか、お前、あんまり馴れ合うな」


「何それ?」


「俺とお前は、今も敵同士である事に変わりないからな。たまたま今回の件は俺が勝って、無理やりお前を従わせてるだけだろ?」


「……ああ」


「俺も、ちょっと調子に乗った所があるけど、そっちも」


「……分かってるよ」


 カムイの言葉が、浮かれていたマリーの心を沈ませた。マリーも、このままで終わらせるかという気持ちは持っている。いつか、カムイに仕返しをしてやると固く誓っているのだ。

 だが、根本的に人嫌いであるマリーには、今のように口喧嘩が出来る相手がいない。こんなやり取りは、マリーにとって初めての経験なのだ。

 知らないうちに、カムイとのやり取りを楽しんでいた自分にマリーは気が付いた。


「なあ」


「何だ?」


「お前の髪の毛って珍しい色だよな?」


 目の前にあるカムイの髪を、指で梳きながら、マリーはカムイの耳元で囁いてくる。


「触んなよ」


「触ってねえよ。たまたま当たっただけだ」


「たまたまで指が当たるか。お前の髪だって、人族では珍しいだろ?」


 マリーの髪は黒髪だ。カムイの銀髪と同じで、学院には黒髪は、マリーしか居ない。


「知らないのか? あたしのような黒髪は、魔力に優れた証なんだ」


 嬉しそうに黒髪について説明するマリー。黒髪である事が、マリーの誇りなのだ。


「どうだかな」


 それを聞いたカムイの方は、否定的な言葉を口にする。


「何だよ。文句あんのか?」


「……退屈だから、おとぎ話でもしてやろうか?」


「ん? 何で、ここでおとぎ話なんだ?」


「じゃあ、良い」


「……話せよ」


 止めると言われると、どんな話か、無性に気になってしまう。


「どっちだよ?」


「話せ」


「面倒くさい女だな」


 文句を言いながらも、カムイは話を始めた。遠い遠い、人が想像出来ないほど昔の話を。


「遥か昔、皇国どころか、その昔に乱立していた国が出来るよりも、更に遥か昔、そのまた遥か昔の話だ」


「どんな昔だよ?」


「いいから聞けよ。神はこの世界に人間を生み出した」


「なんだ、創世記か?」


 創世記とは、この世界の成り立ちを伝えたと言われている伝記の事だ。その真偽は明らかではないが、神教が事実として広く世の中に広めており、人族であれば、大抵の者が知っている話だ。


「それよりも昔だ」


「何だそれ?」


「聞けって。この世界に生み出された人間は、その高い繁殖力でどんどん増えて行った。ただ数を増やしただけじゃない。人間には、他の生物よりも遥かに優れた知恵があった」


「やっぱ創世記だよな」


「だから、その遥か昔だって言ってるだろ。……人間は、その知恵で様々な道具を生み出し、それにより、この世界の覇者となった。だが、人間はそこで留まらなかった。道具をどんどん凄い物に変え、やがてその道具は神の力に匹敵するものになった」


「…………」


 ここで、始めてマリーの知っている創世記と話が異なってきた。神教が伝える伝記に、神の力に並ぶのものの存在などあるわけがない。


「人間は、世界中で居ない場所はないと言えるくらいに、この世界に蔓延り、それと共に、他の生物は居場所を失くし、滅んでいった。人間は、自分たちが生きる為に、木々を消し、水を汚し、大気を汚していった」


「創世記じゃない」


「そう言ってるだろ。この世界を汚しに汚した人間の欲求は、それだけでは終わらずに、更に別の世界にまで進出しようとし始めた。そこで神は決断した。人間に他の世界まで汚させるわけにはいかない。もう一度、全てをやり直そうと。神の、自然の力で人間の命を奪い、居場所を奪い、彼らが作った道具を奪っていった。そんな神の所業が数千年も続いた頃には、人間はその数を大きく減らし、持っていた道具、そしてそれを生み出す知識まで失くしてしまった」


「…………」


「それでも神は止めなかった。人間が生み出した道具の痕跡が塵となり、更に、それが消え去るまで。そうなった所で、神はやり直しを始めた」


「どうやって?」


「まず神は、自然の力をもっと強めようと考えた。二度と自然が汚されないようにだ。そこで自然を生み育てるものとして、精霊を生み出し、世界中に放った。そして、更に精霊を守る者として、エルフ族を生み出した。それにより、自然は、失われた力を瞬く間に取戻し、それ以前よりも、遥かに美しく育っていった。自然の恵みを受けて、様々な新たな種が生まれ、その数を増やしていった。だが、ここで問題が起きた」


「どんな?」


 カムイのおとぎ話に、マリーはすっかり引き込まれている。


「元より、繁殖力と知恵以外で他の生物に勝てない人間は、かつての仕返しのように、他の生物に居場所を奪われていった。神に人間を滅ぼす意思はない。かと言って、かつてのように人間に道具を与える訳にはいかない。そこで神は……」


「神は?」


「人間に魔法を与えるべく、この世界に魔族を生み出した」


「何だって!?」


 マリーの口から驚きの声が発せられる。魔族は神に敵対する存在。これが人々の知る常識なのだ。


「一度生み出した種族の性質を変える事は、神でも出来ない。人間に魔力を与える方法は、強い魔力を持つ種族との血の交配。人間と魔族の間で混血を繰り返すことで、魔力を持つ人族が生まれた」


「…………」


「魔力を持たない純血の人間は、自然の脅威の中で、やがて淘汰され、人族だけが残った。そして、この世界にはエルフ族、魔族。人族が人として残された」


「ちょっと待て、ドワーフは?」


 この時代にドワーフ族を見る事はまずない。それでもドワーフ族が居る事は人族の記録の中に残されている。


「交配したのは人間と魔族だけじゃない。同じ世界に住むものとしてエルフ族との交配も行われた。だが神に元々その予定はなかった為か、エルフ族と人間の間には、魔力の性質が変わっている混血も生まれた。その混血は人間特有の排他的な性質を強く受け継いだおかげで、一所に集まり、その中だけで交配を繰り返し、更に人間の繁殖力を、かなり受け継いだことで、限られた中でも種の数を増やしていった。たまたま集まった火山地帯という特殊な環境で長い時を過ごし、限られた血の交配を繰り返し、独自の種を形成していった。それがドワーフ族だ」


「…………」


 ドワーフ族に関する疑問の答えも、カムイは持っていた。カムイの説明は、何となく納得出来るもの。

 おとぎ話と言って話し始めたこれは、一体何なのかという疑問がマリーの心の中で膨らんでいく。


「三種族は、初めのうちは穏やかに暮らしていた。だが魔力を持っても人族の人間として持っていた性質は失われなかった。やがて人族は思った。自分たちは、このままでは永遠にエルフ族と魔族の下位種族だと。では、どうするか。個々の力ではかなわない。だが幸いにも、魔族とエルフ族の純血は数が少なく、人族の数は多い。力を結集すれば、人族は、この世界の覇者になれると」


「同じ事の繰り返しだ」


「そう。そして人族の中から、人族にとっての英雄が生まれた。人族を統一し、他種族を滅ぼす者だ」


「それは……、誰だ?」


「さあ、それは知らない。一人ではないだろうしな。長い年月を経て、様々な経緯がありながらも、望み通り、人族は、この世界の覇者になった。そうなると魔力の根源を隠したくなる。自分たちが混血種で、魔法の力が他種族から与えられたものだなんて、許されない。そして人族は、神の意思を捻じ曲げた。魔法は神が人族に与えた恩恵。確かにそれは間違いではない。だが、それを介したのは魔族だという事実を消し去った。そして、それにより人族は更に驕り高ぶった。人族だけが神に愛されし者だと」


「……それは神教の教えだ」


 神教会の教義。信心の深い浅いは、関係なく、教義の内容を人々は知っている。幼い頃から、何度も聞かされているからだ。


「おとぎ話はここまで。どうだ、ちょっと面白かっただろ?」


「今のは何だ? なんでこんな話をした」


「……話にはもう少し続きがある。後日談ってやつだな」


「話せ」


「人族は、人族である事にプライドを持ち、他種族との混血を嫌うようになった。すでに混血であるのにな。それにより、魔族の血は薄まっていった。血と言う意味では、人間のほうが強いんだろうな。だが稀に、魔族の血が色濃く出た子供が生まれる事がある。目の色や姿形そのもの、そういう赤ん坊は魔族に種を付けられた者として忌み嫌われ、多くは生まれたばかりで殺される。淫魔の子供の話は知ってるだろ? 夜中に淫魔が忍び込み、知らない間に子供を宿していく。こんな話だ」


「ああ、知っている」


「外見が極端に人族と異なればそうなる。でも髪の色だけに、それが現れた場合は?」


「……何が言いたい?」


 もう答えはマリーは知っている。ただ、自ら認めたくないだけだ。


「魔力に優れた者として有難がられる」


「…………」


 カムイの答えは、マリーの予想通り。分かっていた答えだが、マリーは、何も言えなくなった。


「話は今度こそ終わり。良い時間つぶしになったな」


「ふざけるな。今の話のどこが、おとぎ話だ?」


「じゃあ、真実だとお前は言うのか? こんな事を人に話せば、お前、この国に居られなくなるぞ」


 カムイの話は、神教会の教義の否定。人族の創世の、根幹に関わる部分の否定だ。神教会も国も、一般の人々も、受け入れるはずがない。九分九厘、異端として、迫害される事になる。


「……だろうな。ちなみに、お前は、このおとぎ話を誰から聞いたんだ?」


「知り合いのエルフ」


「……そのエルフは?」


「小さい時に祖母から聞いたと言ってたな」


「その祖母は?」


「そこまで知るかよ」


「……なるほどね。分かったよ」


 エルフの寿命は長い。長命な者ともなると、四百年もの年月を生きるエルフもいる。短命でも二百才以上は間違いない。

 つまり人族のはるか昔が、エルフにとっては、祖父祖母の代なんて事になる。そのエルフ族が伝えてきたおとぎ話。それは、おとぎ話と言えるものなのだろうか。


◇◇◇


 宿営地から麓へ通じる山道を抜けた所に、広く開けた空き地が広がっている。行きの道程でも野営を行った場所だ。

 そこに又、百人を超える集団が集まっている。先に到着していたのは当然、先行していた者たち。

 だが、その先行集団が野営の準備を終える間もなく、アルトたち後続の生徒たちが野営地に現れた。

 強行軍を重ねた事で、その差を、かなり詰めていたのだ。

 アルトたち後続の生徒たちの到来は、驚きをもって迎えられた。教師や騎士団にとっては、現れるはずのない生徒たちが現れたという事。そして生徒たちにとっては、後続の生徒たちが、自分たちを逃がすための囮だったという事実をもって。

 もちろん、薄々はそれに気が付いていた者たちも居る。その代表者は、オスカーとディーフリートだ。オスカーは騎士として、犠牲を最小限にするには、どうするべきかという思考から、そしてディーフリートは戦う事を決意しているかの様なカムイの態度から。

 実力を隠したいはずのカムイが戦う事を決断したという事は、それだけの事態が、残った者たちの身に降りかかることを意味すると考えたのだ。

 そして、全くそれに気が付いていなかった組の代表者が、ヒルデガンドとクラウディアだ。

 性格が生真面目なヒルデガンドには、他人を犠牲にして、他が生き残るなんて思考はない。クラウディアも似たようなものだが、クラウディアの場合は、そもそも、それ程深く考えていない。騎士団のいう事を、そのまま受け入れただけだ。

 当然、反発したのはヒルデガンドとクラウディア。教師、それに騎士団員にも詰め寄り、一時、野営地は騒然とした。

 それを何とか収めたのが、ディーフリートだったが、それでも、特にヒルデガンドの怒りは治まらない。


「ディーフリート、貴方は気が付いていて、何も言わなかったのですね?」


「いや、そう言われても、ヒルデガンドも分かっている事だと思って」


「分かっているわけがないでしょう!? 分かっていたら、私はあの場を大人しく離れるなんてしません!」


「そうは言うけど、残って何が出来たんだい?」


「一緒に戦いました!」


「……でも、結果は変わらないだろ? 騎士団員は残念だったけど、生徒たちは無事だったんだ」


「カムイが戻ってきていません!」


 結局、ヒルデガンドの怒りは、ここに尽きる。カムイを残して、自分だけが生き延びようとした事が、どうしても許せないのだ。


「アルトくんもルッツくんも、カムイは無事だって言っているよ」


「じゃあ、どうして彼一人、戻って来ないのですか?!」


「カムイ一人じゃない。他にも戻ってきていない生徒は居るよ」


 これはマリーたちの事だ。マリーたちの行方は、この時点では、野営地に居る者たちには分かっていない。分かっているとしたら、それはアルトとルッツだが、彼ら二人も、カムイと接触しているであろう事は予測していても、最終的に、どういう結末になっているかまでは知らない。

 マリーは利用するという事は、あらかじめ決めてあるが、うまくいかない場合は、マリーも死んでいるはずだ。魔物の手か、カムイ自身の手によって。


「もう一度、彼らに話を聞いてきます」


「無駄だよ。もう彼らは何も話さない」


「どうして?」


「分かっているよね? 彼らにとって、僕らは自分たちを犠牲にして逃げ出した者たちだ。そんな僕らに、彼らがちゃんと話をしてくれるはずがない」


「でも私は、カムイの事を聞きたいだけで……」


「それも話してくれないよ」


 アルトたちが到着して直ぐに、カムイの姿がない事に気が付いたヒルデガンドとディーフリートは、カムイの行方を聞いた。

 アルトとルッツは後から来る。何度聞いても、これを繰り返すばかり。それではと、他の生徒に話を聞こうと、顔を知っている生徒たちに聞いてみた。

 だが、真っ先に口を開いたのは、E組の生徒の一人。自分たちは、自分の事で精一杯でカムイの事なんて気にしている余裕はなかった。その生徒は、こう言った。

 彼がこれを言った途端に、何か言おうとしていた他の生徒たちも、一斉に口をつぐみ、後は何を聞いても、自分たちには分からない一辺倒。

 そして止めが、一緒に話を聞きに来たクラウディアではなく、それに付いて来たテレーザだった。


「つまり、お前らは、カムイを放り出して逃げ出してきたのか?」


 こんな台詞を言う資格は、テレーザにはない。彼らを放り出して逃げ出した生徒たちの一人に、テレーザはいるのだから。

 それに対して、痛烈な言葉を投げてきたのは、又、E組の生徒だった。


「確かに自分たちはカムイを残して逃げてきました。でも自分たちは、自分たちなりに、自分の力で戦って、生き残ってきたつもりです。貴方はどうだったのです? ここまで戦って来ましたか?」


 これを言った生徒の姿は、身に着けた鎧どころか、体のあちこちが傷だらけだった。手に持った剣も、刃先がぎざぎざに痛んでしまっていて、彼がどんな戦いをしてきたかは、一目瞭然。

 それに比べれば、テレーザだけでなく、先に到着していた生徒たちの姿は、どれも綺麗なものだ。彼らは道中に遭遇した魔獣との戦いを、全て騎士団に任せてきたのだからそれも当然。

 何も言えなくなって黙り込むテレーザ。その彼女に向かう、残りの生徒たちの視線も冷めたものだった。そして、その視線はクラウディア、そしてヒルデガンドやディーフリートにも向けられた。

 結局、全員が、その視線に耐え切れず、その場を離れてしまった。

 その後は、何とも言えない、やりきれない気持ちを、教師や騎士団に向けて、ぶつけてみたのだが、それも無駄に終わった。

 事実として自分たちは騎士団に守られて、ここにいるのだ。

 どうにもならない怒りを、ディーフリートに宥められて、騎士団の元を離れて、今に至る。


「とにかくカムイは無事だよ」


「どうして、言い切れるのです?」


「なんとなく」


「そんな根拠のない事で!」


「とにかく、騒いでいても仕方がない。少しは、セレを見習ったらどうだい?」


 ディーフリートにとって、意外な事に、セレネは、ヒルデガンドの様に、取り乱す事はなかった。だからと言って、心配していないはずはない。


「……セレネさんは?」


「アルトくんとルッツくんの所。オットーくんも一緒だ」


「私もそこに行きます。彼らなら、何か話してくれるかもしれません」


 こう言い残して、ヒルデガンドは、アルトたちの居る方に、足早に歩いていった。


「もう、散々に聞いただろうに」


 ヒルデガンドの執拗さに、ディーフリートはさすがに呆れてしまった。


「あの?」


「……何でしょうか? クラウディア皇女殿下」


 すっかりクラウディアの存在を忘れていたディーフリートだった。


「ディーフリートさんは、あまりカムイさんの事を心配していませんね?」


「まあ、カムイですから」


「でも、カムイさん一人で山中を逃げてくるなんて、無理では無いでしょうか?」


「クラウディア皇女殿下。殿下は、もう少し人を見る目を養ったほうが良いですね。明らかにカムイの事を見誤っています」


「でも、カムイさんは」


 魔法が使えない。魔法が使えない者が、強いはずがない。クラウディアの偏見ではなく、世間の常識だ。


「宿営地を離れる時に、カムイはセレに、今のお前では足手まといだと言いました」


「それはセレネさんでは」


「あの言葉は、セレだけではなく、僕やヒルデガンドに向けた言葉です。そう僕は感じました。お前らじゃあ、一緒に戦えない。だからとっとと逃げろと、カムイは言っているのだと」


「そんな?」


「僕だって、ヒルデガンドと同じ気持ちでした。カムイを残して去りたくない。でも彼は、僕にその台詞を言わせなかった。それは僕たちの事を思ってだけの事ではないと思います」


 自分の事を、カムイが思いやっている。こう考えられる程、ディーフリートは自信家ではない。


「彼は、それ程強いのですか?」


「恐らくは。それが悔しくもありますが、でも僕は……、カムイを信じています」


「そうですか……」


「人影が見えます! 一人! いや、二人です!」


 見張りをしていた騎士団員の声が野営地に響いた。

 その声に、思わず顔を見合わせるディーフリートとクラウディア。軽く頷き合うと、野営地のはずれに向かって走った。


◇◇◇


 正面に見える野営地を確認して、さすがのカムイも安堵のため息を漏らした。


「やっと着いた」


「ああ、そのようだね」


「そのようだね、じゃない。いい加減降りろよ」


「……ケチ」


 結局、マリーはずっとカムイの背中に乗ったまま、麓まで降りてきた。


「だから馴れ合うな。このまま手を離しても良いんだぞ?」


「分かったよ。お前は女性の扱いってものを、もう少し勉強したほうが良いね」


「だれが女性だ。いいから降りろ」


「はい、はい」


 カムイの背中から降りたマリーは、大きく伸びをして、体をほぐしている。


「ああ、疲れた」


「疲れるわけ無いだろ。ずっと背負われてたくせに」


「おぶさっているのも疲れるんだよ」


 その理由の一つが、カムイの背が低い為に、足を引き摺らないようにしていたせいだ、とは、さすがのマリーも口にしなかった。

 口にはしないが、盛んに足をさすったり、揉んだりして、それとなく匂わす事はしている。

 そしてカムイは、こういう事には敏感なのだ。


「勝手にやってろ」


「ちょっと待ちなよ!」


 仏頂面で先に進むカムイの背を、マリーは慌てて追いかけた。やがて、野営地の前に並ぶ人影が、はっきりと見える所まで二人はたどり着く。


「おお、何か出迎えられてるぞ」


「当然だろうね」


「今のうちに話をあわせておくか」


「何を?」


「オーガに襲われて無事に逃げれたなんておかしいだろ?」


「……でも実際に逃げれたじゃないか」


「色々詮索されて困るのは、そっちのほうだと思うけど……」


「分かったよ、話を合わせよう」


 カムイが隠そうとしているのは、自分の能力。一方で、マリーが隠したいのは犯罪行為だ。マリーの方が、圧倒的に分が悪い。


「橋まで逃げ出したところでオーガに追いつかれた。同じように逃げていたお前らもそこで合流。オーガに襲われて、他の生徒はやられたけど、俺とお前は隙を見て、橋を渡って逃げ出した。ここまでは良いな?」


「まあ、事実だね」


「事実じゃないだろ? 一番肝心な、お前が俺を殺そうとした事は隠している」


「お前があたしを殺そうとした事もな」


「そんな事したか?」


「したようなもんだろ?」


 オーガに差し出されて、生きていられるはずがない。この件に関しては、お互い様である。


「まあ良い。後は、お前の魔法で橋を落として、なんとか逃げだした。こんなものかな?」


「それだけ?」


「単純な話の方が良いんだよ。変な矛盾もおこらない」


「ああ、分かったよ」


「そうだ。お前が野営地にいなかった理由考えろ」


「……ちょっと功をあせって、辺りを探ってた。宿営地に戻ろうとしたら、逃げ出す生徒たちを見かけて、慌てて後を追った。こんなものかねえ」


「まあ、良いだろう。よし、行くぞ」


 もう野営地は目の前。一人一人の顔が見えるくらいの距離だ。

 待ちきれずに、真っ先に飛び出してきたのは、セレネだった。その後ろにはアルトとルッツも続いている。

 その後を幾人もの生徒たちが続いている。見知った顔。一緒に戦った生徒たちだ。

 直ぐ前まで来て足を止めたセレネ。その顔は今にも泣きそうだ。そこで、カムイの頭の中に、アルトとルッツの言葉が浮かんだ。優しく抱きしめればきっとセレネは焦る。それを思い出して、一歩前に出るカムイ。

 両手を広げたところで、正面から飛び込んできた女性を、そのまま抱きしめた。


「カムイ。無事で良かったわ!」


「……えっ!? ヒルダ!?」


 飛び込んできたのはヒルデガンドだった。ヒルデガンドを抱きしめたカムイの視線の先に、涙を流すどころか、もの凄い顔でこちらを睨んでいるセレネの顔が見えた。


「えっと!?」


 カムイが引き止める間もなく、セレネは、ヒルデガンドとカムイの抱擁を見て、唖然としている生徒たちを、掻き分けるようにして野営地に戻って行ってしまった。


「ああ、やっちまったな」


「まあ、これはこれで面白いけどな」


 アルトとルッツが、ニヤニヤと笑いながら前に出てきた。


「どういう事?」


「さあね」「さあな」


「どうでも良いけど手前ら、いつまでいちゃついてんだよ」


 隣にいる事をまったく無視されていたマリーが、イラついた様子で文句を言ってくる。


「マリーさん!? 貴方も無事だったのですね!」

 

 カムイの胸から顔を上げたヒルデガンドがマリーに気が付いて、驚きの声をあげた。その間に、カムイは、さり気なくヒルデガンドから距離を取った。


「さっきから、ここにいるけどね」


「えっと、もしかしてカムイと一緒に?」


「どう見てもそうだろ?」


「そう……。でも良かったですね。無事に帰ってこられて」


「……まあね」


「怪我はない?」


「……お前、本当にヒルデガンドか?」


 自分の知っているヒルデガンドとのあまりに違う雰囲気に、マリーは戸惑っていた。もっと冷静で、毅然とした、悪く言えば、つんとしたすまし顔の女。これがマリーが知っているヒルデガンドだったからだ。


「嫌ですわ。マリーさん、大丈夫ですか? 頭を打ったりしたのかしら?」


「してねえよ」


「取りあえず休んだらどうかしら? 奥にはテントも張られていますわ」


「……そうさせてもらう。何か調子狂ったし。じゃあな、覚えてろよ」


「覚えてるのはお前の方だろ? 色々と貸しがあるんだから、必ず返せよ」


「ちっ、分かってるよ」


 苦々しい顔をしながらも、マリーの口から出たのは、了承の言葉だ。


「貸しを作れたのか?」


 マリーが、その場を離れると、直ぐにアルトが、カムイに首尾を尋ねてきた。


「まあな。仕込みはまあまあだ」


「そうか。それは良かった。細けえ話は後にしようぜ。後ろで待ってる奴等が居るからよ」


 アルトは言っているのだ、カムイたちと共に、宿営地に残された生徒たちの事だ。


「全員無事か?」


「ああ、一人も欠ける事無くだ。早く行ってやれ」


「ああ」


 後ろで待っていた生徒たちの前に、カムイが着いた途端に、一斉に生徒たちが動きだして、整列を始めた。


「ん?」


「報告します!」


「報告?」


「良いから、付き合ってやれよ」


 戸惑うカムイに、アルトが声を掛ける。


「……分かった。悪い、続けてくれ」


「はっ! 剣士隊A班 総員十名欠員ありません!」


「同じく。剣士隊B班 総員十名欠員なし!」


「魔法隊A班! 総員十一名、欠員なし」


「同じくB班! 総員十名、欠員ありません!」


「医療班 六名 全て揃ってます!」


「以上! 約束通り、一人も欠けることなく、脱出に成功しました!」


 カムイに向けられた顔は、どれも誇らしげだ。その彼らの表情を見て、カムイも嬉しくなった。照れを消して、彼らを率いる者としての顔に戻る。


「全員無事で良かった。正直に言えば、全員が逃げ出せるとは思ってなかった」


「おい!?」


「実戦経験もろくにない、素人集団だからな」


「まあ」「それはそうだ」


 多くの者が、初めての実戦、初めて、魔物とはいえ、生物を殺したのだ。改めて考えると、全員が無事に逃げ出せた事が、奇跡に近い事だと感じる。


「だが、俺たちはここにいる。一人も欠ける事無く」


「ああ」「おお」


「ここに居られるのは、誰のお蔭だ?」


「カムイだろ」「そうだな」


 カムイたちが居なければ、逃げ出す事は出来なかった。これは全員の共通の思いだ。

 だが、続くカムイの言葉は、これを否定する。


「違う! お前たちが、今ここに居るのは、お前たち自身のお蔭だ!」


「…………」


「お前たちは絶望的な状況で、決して諦める事なく戦った! そうだろ!?」


「おお!」


「数百体の魔物の群れに、真正面から立ち向かっていった!」


「「おお!!」」


「お前たちは、自分の力を信じて戦った! そして勝った!」


「「「おおっ!」」」


「自信を持て! お前たちは強い! 俺は、そんなお前たちと一緒に戦えた事を誇りに思う!」


「「「おおおっ!!」」」


 そして、生徒たちは、カムイに褒められた事を、誇りに思う。


「それでもっ! やはり、騎士団員の人たちの事は忘れてはいけない。ルッツ!」


「総員! 気をつけ!」


「俺たちを助ける為に、命を捨ててくれた騎士団の精鋭たちに! 敬礼っ!!」


「「「「はっ!!」」」」


 一斉に宿泊地があるであろう方向に、敬礼を行うカムイたち。それを呆気に取られてみていた他の生徒たちも、事情が分かった者から、同じように山に向って敬礼の姿勢を取り始めた。

 やがて、それは騎士団員たちにも広がり、この場にいる全員が、亡くなった騎士たちへの思いを一つにした。

 長く語られる悲劇となった皇国学院の演習合宿は、ここに終わりを告げた。

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