合同演習合宿その八 取引
目を覚ますと、目の前には満点に輝く星空が広がっていた。
「……ここは?」
目に映る美しい夜空に、自分がどこにいるのか分からなくなっていたマリー。だが、直ぐに気を失う前の状況を思い出し、慌てて起き上がって、周りを見渡す。
幸いにも、オーガの姿はどこにもない。まずは、ホッと胸を撫で下ろした。
「やっと気が付いたか」
不意に空から聞こえてきた声。誰と尋ねるまでもない。他に人が居るとすれば、それはカムイしか居ない。
視線を上に移すと、近くの木の枝の上で寝そべっている、カムイの姿が見えた。
「お前……、そんな所で何をしている?」
「魔獣に襲われたら困るからな。木の上で避難してた」
「降りて来な!」
一方で、気を失っていたマリーは、地面に横になっていた。カムイの悪意を知って、マリーは、カッとなってしまう。
「お前に偉そうに命令される筋合いはない」
「何だって!?」
「ほんと、偉そうだな。泣きながら命乞いをしていたくせに」
「ふっ、ふざけんじゃないよ」
マリーの顔が朱に染まる。怒りの為か、恥ずかしさの為か、本人にも分かっていない。
「何だ? もう忘れたのか? 戦う事もせず、無様に涙を流しながら、助けてと叫んでいただろ?」
更に、マリーを挑発するカムイ。
「貴様……、ぶち殺してやる!」
見事に挑発に乗って、マリーは完全に切れている。
「はあ、誰かさんが言った通りだ。命が助かったと思ったら、手の平を返したように、その態度。ここは、助けてくれて有難うございますと言う所じゃないのか?」
「偉そうに言うんじゃないよ! あたしをオーガに差し出そうとしたくせに!」
「でも、こうして無事でいるだろ?」
「……そういえばオーガは?」
ようやくマリーの頭に、オーガがいない事への疑問が浮かんだ。それを知る者は、カムイしかいない以上は、嫌でもカムイに聞くしか無い。
「俺の熱心な説得が効いて、許してくれた」
「嘘言ってんじゃないよ」
案の定、カムイの答えはふざけたものだ。それに文句を言ったマリーに対して、カムイは、急に表情を真剣なものに改める。
「お前、いい加減にしろよな。事実、お前は生きていて、オーガは、この場に居ない。俺が嘘をついているなら、それは何故だ?」
「…………」
理由を問われても、マリーは答えを持っていない。分かるのは、自分が気絶している間に、カムイが何かをしたという事だけだ。
「やっと分かったか? お前が無事でいるのは俺のおかげだって」
「……ふん。それは認めてやるよ」
他に誰も居ない以上は、オーガを追い払ったのは、カムイという事になる。これは、マリーも認めざるをえない。感謝するかは別としても。
「よし。じゃあ、約束を果たしてもらおう」
「約束?」
「何でもすると言っただろ?」
「……そんな約束知らないね」
恍ける以外に、答えようがない。マリーは、自分の体を好きにしても良いとまで、言ってしまっている事を思い出していた。
「そう言うと思った。じゃあ、約束は良いや」
「……何を企んでいる?」
あまりに、あっさりと引き下がるカムイに、却って強い警戒心が湧く。
「お前のやった事を皆にばらす」
「……証拠なんてない」
「別に証拠なんていらない。必要なら誰かが見つけてくれるだろ?」
「見つからないね。見つかったとしても、私がやったかなんて分からない」
カムイの脅しに対して、マリーは全く動揺する様子を見せない。事を始めるにあたって、露見した場合の事も、少しは考えていたのだ。
「自信があるんだ? なるほど、自分は手を動かした訳じゃないと言いたい訳だ。お前、それを後ろの人たちに、そのまま言えるか?」
「後ろ? ん、くっ」
振り返ったマリーが見たのは、積み重ねられた死体。オーガに殺された生徒たちだ。どの死体も無残な有り様で、罪悪感など関係なく、その酷さに正視していられない。
「お前が殺したんだ。策ともいえない、愚かな思いつきでな」
「……知らない」
「その生徒たちだけじゃない。宿営地に戻れば、騎士団員の死体も見つかるだろう。五十体の死体がな。それもお前が殺した」
「知らない!」
「お前、最低だな」
「何とでも言いな」
自分の企みで多くの人が死んだというのに、マリーからは、罪の意識を感じない。おかげで、カムイは少し気持ちが楽になった。こんな相手に情けは要らない。こう考える事が出来る。
「反省の色がないみたいなので、やっぱり、お前には罰を与える事にする」
「……やれるもんならやって見な」
「別に俺が何かをする必要はない。ここにお前を置き去りにするだけだ」
「はっ、それこそ、やれるもんならやってみなだ。橋もないのに、お前、ここから、どうやって逃げるつもりだい?」
「そう言うお前は、どうするつもりだ?」
「あたしはどうとでもなるさ。転移魔法陣を潰したつもりでいるようだけどね。そんな物は、また作ればいいのさ」
元々、マリーが作ったものだ。転移先の魔法陣を潰されなければ、何度でも作成が可能だ。
「俺が、そんな事をさせるとでも?」
「あたしが邪魔を許すとでも?」
オーガ相手では、酷く怯えていたマリーだが、カムイ相手には、恐怖はない。カムイの力を、完全に見損なっている。
「……ふーん、じゃあやって見ろ。やれるもんならな」
「ふん。その言葉、後悔するんじゃないよ」
「それは絶対にないな」
「……死にな。我に宿りし、奇跡の力よ。今こそ、その力を顕現し、我の敵をその力にて討ち滅ぼせ」
躊躇うことなく魔法の詠唱を開始するマリー。そのマリーを見てもカムイには焦る様子はない。
「独自詠唱か。さすがだね」
「炎、爆、発! バーニング! 死ねえ!」
「で、結局、爆炎魔法バーニングね。その死ねえってのも詠唱の一部か?」
「……馬鹿な?」
詠唱が終わっても、魔力は、マリーの体内に留まったままだった。発動しなかったのだ。まさかの事態に呆然と立ち尽くすマリー。
「しかも失敗。お前、本当に魔法得意なのか?」
「嘘だ!」
「お前、何でも、嘘だ、だな。嘘じゃない。お前の魔法は失敗だ」
「……どうして?」
幼いころから、魔法の才能を褒め称えられてきたマリー。魔法を失敗する事など、初めての経験だった。
「言っておくが、何度試しても無駄だからな。お前は、もう魔法は使えない」
「何をした? お前が何かしたんだろ!?」
魔法が使えないと、断言するカムイ。それは、そう言える根拠があるからだ。
「ああ、した。というか良い加減に気づけよ。首に何か付いている事を」
「なっ?」
カムイの言葉で、慌てて自分の首をまさぐるマリー。そこには、しっかりと、首に嵌って外れない首輪があった。
「何だい、これは?」
「あれ、知らないのか? それはちょっと困ったな。時間がかかるかな?」
首輪について、尋ねてきたマリーに、カムイは、戸惑いを見せている。
「いいから説明しな! これは何だい!?」
「本当に知らないのか。従属の首輪という魔道具だ。正確には、その模倣品だな」
「魔道具? 効果は?」
「まずは魔法が使えなくなる」
「これのせいか」
魔法の失敗の原因が分かって、少しマリーはホッとしている。自分に原因があった訳ではない事を喜んでいるのだ。
だが、ホッとするのは、あまりに楽観的過ぎる。
「そして主の言う事に逆らえなくなる」
「……何だって?」
「その魔道具を簡単に説明すると、相手を無理やり奴隷にする為の魔道具だ」
「う、嘘だ」
「本当。試してやろうか? さて、何をさせるかな。それこそ、さっき約束した通りに、体でも自由にさせてもらおうかな?」
「や、止めろ」
「止めろって言うけど、お前が自ら体を開くんだからな。そういう魔道具だから」
「い、嫌だ! 止めて! そんなの出来ない!」
つい先程までの高慢な態度は消え失せ、怯えた様子でマリーは叫んでいる。それに、苦笑いを浮かべながら、カムイは次の言葉を口にした。
「嘘」
「……はっ?」
「魔法は使えなくなるのは本当だけど、逆らえなくなるのは嘘」
「貴様……」
又、マリーの口調が怒気を含んだものに変わる。これもわずかな間。続くカムイの言葉で、一気に怒気は消え去ってしまう。
「でも、それでもお前は逆らえない。皇国魔導士団長の娘が魔法を使えないなんて知れたらどうなる?」
「……お前」
「まあ、周りに知れるのはまだ良い。お前の父親が知ったら、お前はどうなるかな?」
「…………」
父親の話が出た途端に、マリーは顔を青ざめさせて、わずかに体を震わせ始めた。
「悪いが調べさせてもらった。お前の父親って、かなり厳しいんだな。厳しいって言葉じゃ足りないか。非情なんだな」
「…………」
「お前の兄の事も調べた」
「い、言うな」
「あれは捨てられたって言うのか?」
「言うな!」
マリーの兄は、魔法の才能が無いことで嫡子の座を奪われた。それだけであれば、まだ良い。嫡子どころか子供扱いもしてもらえず、使用人のような扱いを受けている。マリーにとっては優しい兄だった。その兄が自分に対して使用人のように接する現状は大きな傷としてマリーの心の中に残っている。
「才能がなければ、実の子でも平気で切り捨てる親か。まあ、少し同情する。俺の元実家も同じだったからな」
マリーの兄の境遇は、ホンフリート家に居た頃のカムイと同じだ。
「……そうか、お前、捨てられたんだったね」
「まあな。俺の場合は、それが幸いだったけどな。お前の場合は、どうだろうな?」
「……こんな物、いつか外してやる」
「それは無理だな。それが出来れば、俺もこんな事はしない。それが、どう使われているかを教えてやる。その首輪を付けられているのは、貧民街の奴隷たち。魔族やエルフ族の娼婦たちだ」
「そんな……」
カムイの説明を聞いて、マリーは又、青ざめた顔を見せる事になった。
「さすがに分かるよな? 人族よりも、遥かに魔力に優れた魔族やエルフ族が外せない物が、お前に外せるわけがない。それはな、外す事も許さない魔道具なんだ」
「……自分ではだろ?」
動揺しながらも、マリーの頭は全力で回っている。何とか、首輪を外す手掛かりを掴めないかと必死だ。
「おっ、鋭い。でも、お前のお仲間で外せる奴いるかな? そう簡単じゃない」
「…………」
マリーの沈黙が答えだ。魔導同好会の面々は、全員がマリーに劣る。可能性としては、かなり低い。
「居ないみたいだな。残念だな。そうなると、それを外せるのは俺だけになる。可能性としては、もう一人いるけど」
「誰だ?」
「それを俺が教えると思ってるのか?」
「…………」
「なんてね。教えてやる。それを外せる可能性があるのは、お前の父親だ。頼んでみるか?」
「……出来ないと分かっていて」
カムイが教えたのは、マリーが知っても、何も出来ないからだ。父親に頼めば、まず、こんな首輪を付けられた事で、逆鱗に触れる事になる。
「まあな。従属の首輪を付けられたなんて知れたら、お前も兄と同じ道をたどることになる。もっと酷いかもな」
カムイは、よく分かっている。色々と調べた上で、考えた策なのだから、当然といえば、当然だ。
「もっと酷い?」
「お前は、それの存在を知ってしまった。それは非合法な魔道具だ。公になると、それを作った人間は、相当に重い罰を受けることになるだろう」
「まさか?」
「正解! それを作ったのはお前の父親だ。お前の父親、は人を奴隷にする魔道具を作り、そして、それを悪人に売り、強制的に多くの非合法奴隷を生み出した最低の魔道士だ」
「はっ、あの男だからね。最低の魔導士じゃなくて、あれは最低な人さ」
「……失敗。立ち直っちゃたな」
感情を揺さぶって不安定にさせた所で、じわじわと精神的に追い詰めて、屈服させるつもりだったのが、父親の事を話したのはカムイのミスだった。マリーの目の光に強さが戻っている。父親への憎しみの感情が、マリーの精神を立ち直らせたのだ。
「まあね。実の父親とはいえ、実の父親だからこそ、あの男の事は許せないのさ」
「困ったな。どうしようかな?」
「何を企んでいるのかは知らないけど、諦めて、とっとと、これを外すんだね?」
「それは出来ないな。俺は何としても、お前にやってもらいたい事がある」
「……話だけは聞こうか」
先ほどまでの、自分を馬鹿にするような雰囲気を消し去って、真剣な目でそれを言うカムイに、少しマリーは興味を引かれた。
「その首輪を外すためには、二つの方法がある。一つは、契約の主が、それをする事。もう一つは、魔道具に刻まれている解除の言葉を唱える事だ」
「つまり?」
「解除の言葉を調べて教えてもらいたい。お前の父親か、その手伝いをしている魔導士が、必ず知っているはずだ」
「何のために?」
「非合法の奴隷を解放する為に決まってるだろ?」
「だから、何のためにそれをするんだい?」
「助けたら駄目なのか? 人としての尊厳を奪われ苦しんでいる人を助ける事はおかしい事か?」
「お前……。どんな正義の味方なんだい?」
カムイの答えは、マリーにとっては思いもよらない答えだった。言葉から感じる正義感と、カムイのこれまでの行動がマリーの中で結びつかないでいた。
「正義の味方? それは違うな。俺はその為なら、どんな汚い事でもするつもりだ」
「……そうかい。一つ確認したい」
「何だ?」
「私が付けられたこれと、その奴隷たちが付けられているのは別物かい?」
「元は同じだ。奴隷に付けられていたそれをちょっと加工した」
「また分からない事が出来た。どうやって奴隷に付けられていた首輪を外したんだい? それに加工って、そんな事を誰が?」
カムイの説明は、外し方を知りたいという言葉と矛盾している。
「外したのは死んだ奴隷からだ。殺されたって言ったほうが良いかな? 俺が殺した訳じゃない。あまりに酷使されて、それで亡くなったんだ」
「そうかい……」
娼婦の、非合法奴隷の現実を、マリーが知ったのは、これが初めてだ。自分とは遠い世界の事。それでも、気分が悪くなる話しだ。
「加工したのは俺」
「何だって?」
「手に入れた、それを時間を掛けて解析して、ちょっと魔法陣を書き換えた」
「……お前、何者だ?」
首輪の魔導が、かなり高度なものである事は、分かる。それを解析して、書き換える事まで出来るカムイの知識は、並のものではないはずだ。
「その質問は、最近聞き飽きた。もっと言うと、とんでもなく時間をかければ外すことも出来る。でも、それじゃあ意味がない」
「解除の言葉は読み取れなかったのかい?」
解析出来たのであれば、解除の方法も分かるはずだと、マリーは考えた。
「さすがにそこは複雑で。いくつもの隠蔽と偽装がされている。罠みたいのもある。誤った解除の言葉を唱えると、付けられている者は死ぬのを見つけた。それで諦めた」
「……酷い魔道具だね」
「まあな。こんな者は魔道具とは言わない。魔導に対する冒涜だ」
「ちょっと同感」
魔導は、世の中を便利にするもの。マリーにも、こういう意識がある。
「質問はこんなものか?」
「あと一つ。なんで言う事を聞かせる魔法を外した。それがあれば、何の苦労もなく、私に言う事を聞かせられるはずだ」
「それは人の尊厳を踏みにじるものだ。それだから消し去られた魔導だった」
魔導には、どこにも書かれていないが、守るべきルールがある。従属の首輪は、そのルールを破るもので、禁忌扱いの魔導なのだ。
「魔法を使えなくするのは、そうじゃないのかい?」
「俺の中ではな。俺、魔法使えないし」
「嘘をつけ」
「それで俺は随分と酷い目にあったつもりだけど?」
「……そうかい」
カムイの言葉を信じた訳ではない。カムイが何も話さないと分かっただけだ。
「さて、それで、調べてくれるか?」
「私が、お前の言う事を聞くとでも、思っているのかい?」
「どうだろ? でも、可能性は感じた」
「可能性?」
「お前、その魔道具に怒っているだろ? 魔導に対する誇りみたいなものを感じた。そういう人なら、協力してくれるかなと思って」
少なくとも、魔導に対しては、マリーは真摯に向き合っていると、カムイは感じている。
「今更、協力? 散々、脅迫しておいて」
「言っただろ? どんな手でも使うって」
「呆れた。何なんだ、お前って。コロコロと雰囲気が変わって、同じ人だと思えないよ」
「それはお前が変わるからだろ?」
「私?」
「非道で非情な振る舞いをしているくせに、中身は実はそうでもない。兄を慕う気持ちを持ち、悪を憎む心もある。お前こそ、善人なんだか、悪人なんだか、良くわからない」
「はっ、善人じゃないのは確かだね」
顔を赤くして、これを言っても、強がりにしか聞こえない。
「それはそうだ。お前は、多くの人を殺したからな」
「……また脅しかい?」
「事実を言っただけだ。騎士団の人達には、少し同情しているけど、首輪の方が俺にとっては、重要だ。という事で、まずは、一次回答を聞こう。協力するかしないか?」
「一次ってなんだい?」
「一回目の回答って意味」
「それくらい分かる。じゃあ、何次まであるんだい?」
「お前が引き受けてくれるまで、永遠に続く」
断られるという選択肢は、カムイにはない。これで駄目でも、あの手この手を使って、引き受けさせるつもりだ。
「……じゃあ、良いよ」
「なるほど……。はっ? 今なんて?」
あまりにも、あっさりと了承を口にされて、カムイは、自分の耳の方を、疑ってしまった。
「良いよって言ったんだよ」
「それは調べてくれるって意味か?」
「それ以外にどんな意味がある?」
「それは、ありがとう。助かるよ」
「はっ?」
今度は、マリーが呆気に取られる番だ。あまりに、素直に御礼を口にするカムイに、戸惑っている。
「だから、協力してくれて、ありがとう」
「い、いや……」
善人のカムイの前では、善人のマリーが出てくる。
「何、照れてるんだ?」
「照れてなんていない」
「でも、顔赤いぞ」
「……気のせいだ」
照れたマリーは、カムイに顔を見られないように、そっぽを向いてしまう。
「そうか。気のせいか。もしかして、人にお礼を言われた事ないのか?」
「そんな事ない」
「嬉しかった?」
善人のカムイから、意地悪なカムイに変化している。マリーは、いじり甲斐のある相手だと、認識してしまったようだ。
「だから、そんな事ないって言ってるだろ!」
「まあ、良いや。じゃあ、了承してもらった事だし、麓に降りるか」
とりあえず、今日の所はこんなものにしてやろう。カムイの心の中は、こんな感じだ。
「お前、転移魔法陣は描けるかい?」
「そんなのいらない」
「はあっ?」
「よし、ちょっと待ってろよ」
木の上から飛び降りたカムイは、自分の腰にロープを巻き出した。
「何をしてる?」
カムイの行動の意味が、マリーには、分からない。
「橋の変わりにロープを渡す」
「どうやって?」
「だから、ちょっと待ってろって言っただろ。こんな物かな?」
自分の腰に、しっかりとロープを巻いた事を確認したカムイは、今度は自分が寝ていた木にもロープを巻き付け始めた。それを終えると、何度も引っ張って、しっかり結ばれている事を確認して、マリーから離れていった。
「お、おい?」
「よし、行くぞ!」
距離をとった所から、一気に駆け出すと、カムイは躊躇うこと無く、橋が落ちた谷間に飛び込んでいく。
「嘘だろ!?」
反対側には届かないまま、落ちていくカムイを見て、マリーは驚きの声を挙げる。
だが、カムイは谷間の底まで落ちていくこと無く、崖の途中に、剣を突き立てて転落を防ぐと、そのまま崖をよじ登り始めた。
それを呆然と見つめるマリー。
やがて、崖をよじ登ったカムイが、マリーに向って叫んでくる。
「おい! ロープを伝ってこっちに来い!」
「で、出来るか!」
「出来ないと、こっちに来れないだろ!?」
「そんな事言われても、出来ないものは出来ない!」
「……仕方ないな。ちょっと待ってろ!」
今度は何をするつもりかと、マリーが見ていると、対岸にある木にロープを結びつけたカムイが、するするとロープを伝ってやってきた。
「お前な。手間掛けさせるなよな?」
「……手間って。それでどうするんだい?」
「俺に掴まれ。それでロープを渡る」
「む、無理」
「……もしかして、高い所苦手なのか?」
「……そうだ」
ここは強がっても仕方がない。素直にマリーは認めた。ただ、これで、カムイが許してくれるはずはない。
「仕方ないな。じゃあ、ロープで縛るか」
「えっ、ええっ?」
嫌がるマリーを強引に押さえつけて、ロープで縛り上げると、自分の背中に担ぎ上げて、更にロープを何重にも巻いていく。
「い、嫌だ! 高い! 怖い!」
「うるさい! 怖いなら目つむってろ!」
「……そうする」
これでようやく静かになったマリー。マリーの体重など、物ともせずにあっという間に、カムイは対岸に辿り着いた。素早くロープをほどいて、次の行動に移ろうとしたカムイであったのだが。
「いっ、痛い」
「はっ?」
「お前が無造作にロープ解くから、怪我しただろ」
足首を指差して、マリーは怪我をしたのを訴えてきた。
「そんな事ないだろ?」
「それに、私はもう疲れた」
「そうか。じゃあ、仕方ないな。少し休んでから麓に向え。じゃあ、後で」
そう言って、さっさと先に進もうとするカムイに、一瞬、呆気に取られたマリーだったが、すぐに気を取り直して、制止の声をあげる。
「ちっ、ちょっと待てよ!? まさか、置いていくつもりかい!?」
「歩けないんだろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、少し休んだ方が良い」
これが優しさから出た言葉ではない事など、マリーには分かっている。
「魔獣に襲われたらどうすんだよ?」
「倒せ」
「……人でなし」
「何がだよ?」
「私は魔法使えないんだぞ? どうやって魔獣と戦えって言うんだ?」
「じゃあ、どうしろと?」
「背負って運べ」
「嫌だ」
「……どうか、私を背負って下さい。お願いします、カムイ様」
「最初から、そう言えば良いんだ」
これで、ようやく、マリーに背中を向けてしゃがみ込むカムイ。その背中に、不敵な笑みを浮かべながら、マリーは片手でしがみつく。空いた片方の手は、そっと懐に忍ばせていた短刀に伸びている。
だが、マリーの企みはあっけなく潰える。マリーを背負って立ち上がったカムイの手が、すぐさま離された。支えを失ったマリーの体は、当然、地面に落ちる事になる。
「痛いっ!」
「お前な、良い加減にしろよな?」
「な、何が?」
「俺が短刀に気が付かないと思ってるのか? 人が親切心を見せたら、すぐこれだ」
「ちっ」
「言っておくけど、俺を殺したからって、首輪外れないからな。そうなるともう、お前は父親に頼むしかなくなる」
「…………」
カムイの話を聞いて、マリーは失敗した事を、幸運に思った。
「頼めれば良いけど、それも無理だろうな。麓に付く前に、魔獣に殺されてお終いだ。魔法なしで戦う自信は?」
「……ない」
魔法は得意なマリーだが、剣の方は、からっきしだ。
「じゃあ、大人しくしてろ。死にたくなければな」
「分かったよ」
「分かったら、立てよ。行くぞ」
だが、カムイに促されても、マリーは、中々立ち上がろうとしなかった。まだ何か企んでいるのかと、呆れながらカムイは、マリーの前に立って、文句を言う。
「いい加減にしろよ」
「……疲れてるのは本当なんだ」
実際にマリーは疲れている。策の為に一晩中、森の中を動き回っていたのだ。元々、体力がある方でもない。
「そんなの知るか」
「も、もう、何もしないから。大人しくしてる」
「……でもな。お前、漏らしただろ?」
「あっ……」
見る見るマリアの体は、羞恥心で真っ赤に染まっていく。カムイの指摘が、事実である事を示している。
「渡る前から、濡れていたから、オーガが怖くてだろ? 大人しくしてたら、我慢してやろうと思っていたけど、やっぱ嫌だ」
「……は、恥をかかすな」
「漏らしたお前が悪い」
「漏らしたって言うな!」
「事実だろ? まあ、そんなに恥ずかしがる事はない。初めて魔獣と戦って、死にそうになった時、俺も漏らしかけたからな」
「そうなのか?」
「ああ。俺は漏らさなかったけどな」
「…………」
カムイは、セレネに匹敵する逸材を発見出来た。
「まあ、ふざけるのは、この辺にして移動するぞ? のんびりしていられる状況じゃないのは、分かってるよな?」
「あ、ああ」
疲れた体を引き起こして、立ち上がるマリー。ようやく、二人は麓に向って歩き出した。