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魔王の器  作者: 月野文人
第三章 皇国動乱編
120/218

金十字護民騎士団の始動

 旧レナトゥス神教国の教都ベネディカ。レナトゥス神教が解散した今となっては、神教国も存在していないのだが、ベネディカは変わらずに、都市国家として存在していた。

 皇国はその存在を意識もしておらず、王国は神教会の崩壊を知ってはいても、未だに残る民衆への影響力を恐れて、手を出せずにいるのだ。

 そのベネディカの旧教皇庁で、金十字護民会の会長であるカルロ・モディアーニは気勢を上げていた。


「いよいよ護民会が、その本分を果たす時が来た! いざ、励まん!」


「会長、その台詞は聞き飽きました。言われなくとも、皆励んでおります」


 それに呆れ顔で応えているのは副会長のジャン・リエルだ。


「ノリが悪いの。ようやく使命を果たす時が来たというのに」


「会長は逆にノリが良すぎます。性格変わったのではないですか?」


「……まあ、そうじゃな。自分が信じる道を思う通りに進めるというのは、心が躍るものじゃ」


 教会の制約を逃れたモディアーニ会長は、実際に若返ったように、生き生きと働いている。


「それは否定しません。ただ、それは試しの時が訪れた事でもあります。果たして、護民会は民の支持を得られるのか」


「それを気にして活動していては、逆に支持など得られん。そんなものを気にせず、信じる道をただ突き進むだけじゃ」


 媚びることなく、ただ己の信じる道を進む。司教でなくなっても、モディアーニ会長の言葉は、いつも説教のようだ。


「まあ、そうですね」


「さて、時が来たは事実じゃ。準備の方はどうじゃ?」


「物資の蓄積はかなり進んでおります。十分かと言われると、現地の状況を確認しなければ何とも言えませんが、まあ、初期の活動としては問題ないでしょう」


「ふむ。その後の補充はどうなる?」


「東方諸国連合との交易の目途が立ったようです。今後の物資は、東方諸国連合からも仕入れる事になります」


「そこに手を伸ばしておったのか」


 モディアーニ会長は、カムイたちの打つ手には、いつも脅かされてしまう。


「そこしかないが正しいかと。皇国も王国も大軍を動かした事で、物資は不足気味です。高騰した物資を買い上げるよりは、東方諸国連合から輸送した方が割安だそうです」


「頼りっ放しじゃな。護民会の自給の目途は全くか?」


 カムイの所とはいえ、特定の国に頼っているようでは、本当の意味での、中立公平の護民会にはならない。モディアーニ会長の理想は高い。


「戦乱の最中ですから。寄付する余裕があるのは、戦時景気で潤っている商人くらいです。そして、そういった商人にとって、我等は邪魔な存在になります。頼れませんね」


「当面は仕方ないか」


「結局、活動を軌道に乗せて、それに賛同してくれる者の支持を集めない事には」


「結局は支持か?」


「護民会にとって支持は寄付金。気にするなという方が無理です」


「お主も聖職者というよりは、すっかり商人みたいじゃな」


 性格が変わったという点では、ジャンも人のことは言えない。


「言葉だけで、人は生きていけません」


「じゃが」


「分かっております。時に言葉だけで人を救う事も出来る、ですよね」


「ああ、それで良い。聖職者の身分は捨てても、心は忘れてはならんのじゃ」


「はい」


 神教会の教えが全て間違いだとはカルロ会長は考えていない。神教会の過ちは、言葉と行動が違い過ぎることだ。それでは、正しい言葉もただの嘘になる。


「当面は頼るしかない。それは分かっていても、少し心苦しいな。向こうもこれからが大変な所じゃからな」


「それについては、あまり気にする必要はないかと」


「何故じゃ?」


「東方諸国連合については、向うの都合もあったようです。軍事面での協力関係を築くにはまだ信頼に乏しい。まずは商売から始めて、関係を深めていこうという事のようです。彼等にとって必要経費だと言っていました」


「良く考えるものじゃな」


「見習わなければなりません。持つ者も持たざる者も同条件で出来る事があると言われました」


「何じゃそれは?」


「考える事」


「……あの馬鹿は教師にでもなるつもりか?」


 こう思えるのもモディアーニ会長だからこそ。モディアーニ会長にとって、カムイたちは、どんな存在になっても、手のかかる悪ガキだった。

 だからこそ、護民会は独立を目指せる。下手な者では、カムイに心服してしまうだけだ。カルロ会長に任せたアウレリオ・ファニーニ元教皇の判断は正しかった。


「案外向いているかもしれません。もっと向いている職に就きましたけど」


「アーテンクロイツ共和国王か。あれが王になるとはな」


「会長は子供の頃を知っているからそう思うのです。私などから見れば、当然ですね」


「とにかく負けておられん。戦乱の世こそ、護民会が認められる絶好の機会だからな」


「……会長、聖職者の心は?」


「それはそれ、これはこれじゃ。世に認められれば活動の幅は広がる。幅が広がれば、より多くの人々を助ける事が出来る」


「では、始めましょうか?」


「うむ。ラウール・バンベルト護民騎士団長!」


「はっ!」


 モディアーニ会長の呼びかけに、控えていたバンベルト護民騎士団長は騎士の礼で応える。

 騎士団長だけでなく、後ろに控える騎士団の騎士たちも、一斉に剣を胸にあてる敬礼の姿勢をとった。


「待たせたな。いよいよ騎士団の活動の時が来た」


「はっ!」


「騎士団にとっては、恐らく厳しい状況が待っているだろう。覚悟は出来ているか?」


「もちろんでございます」


「中立公正の精神を決して犯してはならん。それはひたすら忍耐を求められる事になるであろう。黙って殺されなければいけない時も来るかもしれん」


「覚悟は出来ております」


 護民会の活動の始まりは、護民騎士団の試練の始まりでもある。神教会でいう殉教の精神が必要だ。

@


「……すまん。騎士団員に押し付けるような事になって」


「謝罪頂く必要はありません。どんな危険が待っていても民を護る為に突き進む。それが護民騎士団の使命であり、誇りであります」


「うむ。では行け。戦乱に巻き込まれている民を救うために!」


「はっ! 金十字護民騎士団、出立!」


「「「おぉおおおお!!」」」


 ベネディカを出発した護民騎士団は、やがていくつもの部隊に分かれて、目的地に向かって行く。ある部隊は皇国の東部辺境領、ある部隊ははるばる南部辺境領へ。

 戦争に巻き込まれた民衆に対し、中立公正の立場で人道支援を行う金十字護民騎士団の活動は、この日から始まる事になる。


◇◇◇


「炊き出しの用意を!」


「はっ!」


「天幕を張れ! 怪我人を一カ所に集めろ!」


「はっ! すぐに!」


 東部辺境領内の小さな村を多くの騎士が行き来している。護民騎士団の騎士たちだ。


「あ、あの、貴方様は?」


 村民の一人が指示を出している騎士に恐る恐る問い掛けてきた。


「貴方がこの村の長か?」


「へえ。この村の長を務めておりますペドロでごぜえます」


「そうか。自分は金十字護民会から派遣された護民騎士団のバルカスという」


「はあ」


 護民騎士団と名乗っても、今は誰も知る者などいない。村長も生返事を返すだけだ。


「怪我人を集めるのを手伝ってくれないか。動かせない者がいれば、その場所を教えてくれれば、こちらから向かう」


「あの、それで何を?」


「治す。全てとまでは言えないが、ある程度の怪我は治せるはずだ」


「お医者様でごぜえますか?」


「いや、騎士と言っただろ。治療は回復魔法で行う」


「神教騎士団!?」


 村長の顔が歪む。そして、それを見たバルカスの顔も。神教騎士団が人々にどう思われていたのか。この一端が見えてしまった。


「元だ。今は金十字護民騎士団の騎士だ」


「お布施なんて無理でごぜえます! 皇国軍に襲われて金目のもんは全部取られちまいました!」


 村長の言葉にバルカスの表情は益々苦いものに変わる。この不審を信頼に変えなければならない。これは剣だけでは出来ない事だ。


「お布施などいらん。金は一切取らないから安心して任せてくれ」


 表情を改めて、バルカスは優しく村長に説明した。


「……しかし」


 村長の不審は簡単には消えない。

  

「食糧も用意してきた。それも無償で渡す」


「あの、何が欲しいんですか? 小さな村では女も限られてまして、それを連れて行かれちまうと……」


「いや、そうではなく……」


 いくら説明しても納得してくれない村長にバルカスは更に落ち込んでしまう。だが、ここで落ち込んではいられないと、気持ちを奮い立たせた。


「あえて何かを求めるとしたら、村人全員が無事に戦争を乗り越えて欲しい」


「……本当にそれだけ?」


「本当だ。騎士の誇りに誓って、嘘は言わない」


「はあ……」


 バルカスが誓っても、村長の目からは疑いの色はやはり消えない。


「とにかく信じて欲しい。我等が提供する物は全て無償だ。金だけではない。何も求めない」


「いやあ、そんなうまい話は世の中には」


「……では、これを頼む」


 少し考えて、バルカスは頼みごとをする事にした。無償の奉仕など信じられる世の中ではないと考えたからだ。


「何でごぜえますか?」


「この村での用が済むまで建物の中で休ませて欲しい。それと、この先、この村を訪れる者がいたら、我等がした事を伝えて欲しい」


「それくらいならお安い御用ですが……、分かりました。怪我人ですね」


 村長は納得した訳ではなさそうだが、あまりしつこくして怒らせては不味いと、村人に指示を出し始めた。


「難しいものだな。代償を求めないと信用されないとは」


 そんな村長を見て、バルカスは溜息をついた。


「バルカス隊長! 天幕の準備が出来ました!」


 村長とのやり取りの終わりを見計らったかのように、部下がやってくる。


「ああ、村長に怪我人を集めてもらう様に頼んだ所だ。来た者から順番に見てやってくれ」


「はっ!」


「ああ、それから村人に代金について聞かれたら」


「はっ? そのような物は受け取らないのでは?」


 バルカスの言葉に部下が驚きを示す。


「無償の奉仕は信用されないようだ」


 その部下の反応に苦笑いを浮かべながら、バルカスは事情を説明した。


「……こんな世の中ですから」


 部下も納得だ。


「元気になったら炊き出しの手伝いをとか、洗濯をとか、何でも良いから用事を頼むように。出来るだけ軽いものでな」


「はっ、分かりました」


 こんな光景が辺境領のそこかしこの街や村で見られる事になる。


◇◇◇


 戦場においても、護民騎士団は活動をしている。


「部隊左翼! 新手です!」


 皇国騎士団の分隊の陣から、警戒を告げる声があがる。だが、それに隊は反応出来ない。東部辺境領軍の猛攻で、すでに陣形は崩壊寸前なのだ。


「……耐えろ! 左翼に補充を!」


「無理です! 予備兵はいません!」


 分隊長の命令にも、部下は堂々と拒否を返してくる始末。この戦いでの皇国側の敗戦は、間違いない状態だった。

 だが、ここで変化が訪れる。


「敵! 後退していきます!」


「何だと!?」


「追撃しますか!?」


「まずは陣形を整えろ! 左翼は!」


 追撃など出来る状況ではない。それに左翼の新手の動向も分隊長は気になる。


「新手の部隊が前進してきます! 数は!」


「数は!?」


「……あれは何だ?」


 分隊長の問い掛けに、部下は答えを返してこなかった。


「どうした!? 報告は!?」


「分隊長! 前衛に来てください!」


 百人将の呼びかけに分隊長が兵をかき分けて前に出ると、百名ほどの騎士が戦場を進んでいるのが見えた。


「あれは、何だ?」


 騎士の後ろに続く人々を見て、分隊長は、誰に聞くでもなく不思議そうに呟く。何の武装もしていない、それどころか大きな荷物を抱えている者までいる。


「兵ではないと思います」


 これは分隊長にだって分かっている。分からないのは前を進む騎士たちだ。分隊長が知らない軍旗を掲げていた。


「前を進んでいるのは、どこの部隊だ?」


「青地に黄色ですが神教騎士団とは模様が違います」


「それは分かっている。どこかは分からないのか?」


「はい」


「……あれで戦う気はあるのか?」


「あるとは思えませんが、こちらを油断させる策かもしれません」


「そうだな。油断するな! いつでも突撃できるようにしろ!」


「はっ!」


 これまで東方辺境領軍には、何度も不意を突かれている。おかげで、どんな状況でも油断というものがなくなってきていた。


「あっ、一騎こちらに向かってきます」


 隊列を離れた一騎が皇国軍の陣に向かって駆け寄ってくる。背中に差した旗が伝令である事を示している。


「責任者と話をしたい!」


 陣の正面にやってきた伝令が話を求めてきた。


「何者だ! 名乗れ!」


「金十字護民騎士団第三大隊長フェルナンド・バッジョ!」


「金十字護民騎士団? 何だそれは!?」


「その説明も含めての使者だ! 責任者を!」


 護民騎士団のフェルナンドは返答を待つことなく馬を降りて皇国軍に向かって歩く。交戦の意志がない事を証明する為に、剣もその場に置いたままだ。


「分隊長?」


「……良いだろう。責任者は私だ! 話を聞こう!」


「おお、貴方が。前衛に居たのだな」


「ま、まあな」


 別に戦うために前衛に居た訳ではないので、こう言われると分隊長は、恥ずかしく思ってしまう。


「我等はこれより民を連れて東方の街に向かう。通行の許可を願いたい」


「民を連れて?」


「戦争に巻き込まれて、村を焼かれた者たちだ。避難を希望している」


 あえてどこの軍にとはフェルナンドは言わない。どちらの味方でも敵でもないという事を示すには、批判じみた発言は控えるべきだと考えているからだ。


「ちょっと待て、そもそも金十字護民騎士団とは何だ?」


「金十字護民会所属の騎士団だ」


「護民会? それも聞いたことがない」


「ベネディカから来た。これで分かるか?」


「神教会か!?」

 

 分かるはずはない。神教会の崩壊は、皇国にはほとんど伝わっていないのだ。


「いや、神教会はすでにない。皇国には伝わっていないのか?」


「……知らん」


「では説明しよう。神教会は既に解散している。神教会に所属していた者たちの一部で作られたのが金十字護民会だ。目的は名称の通り、護民。民の為の組織だ」


「その護民会がこんな所で何をしているのだ?」


「戦乱に巻き込まれた民の支援だ。怪我人の治療、食糧の供給、そして今回の様な住む家を失くした人たちの避難の護衛任務などだな」


「それを信じろと?」


 二つの意味で分隊長は信じられない。一つはそんな崇高な組織が存在するのかという事。そして、もう一つは、それを元新教会騎士団が行うという事だ。


「事実だ」


「そんな事を言って、実は辺境領の部隊ではないのか?」


「それは違う。金十字護民騎士団は、戦争において、どの国にも、どの勢力にも与しない」


「信じられん」


「相手方は信じてくれたが? だから、我等が戦場を抜けるまで戦闘を停止してくれたのだ」


「まさか……。それは味方だからであろう?」


 圧倒的に優勢な状況で辺境領軍が引いた理由が、分隊長には分かった。だが、これも、にわかには信じられない内容だ。


「違うと言っている。我等はどちらの側にも味方はしない。ただ民の為に働くだけだ」


「聞いていないぞ。そんな組織は……」


「皇国にも護民会から依頼が行っているはずなのだが。東部辺境領に届いていて、皇国に届かないなどという事があるのか?」


「それを自分に言われても……」


 所詮は一分隊長に過ぎない身だ。政治向きの事には全く関わる事などない。


「とにかく、この戦場を通過させてもらいたい。許可をもらえるか?」


「自分の判断では」


「近くの街まで行くだけだ。その間に間違って戦いにならないようにしてくれれば良い」


「……神教会は本当に無くなったのか?」


 戦意がないのは事実となると、分隊長はこの事が気になってしまう。


「ああ」


「何故だ?」


「誤った教えを人々に伝えていた事が発覚した。それ以外にも色々と教会に相応しくない問題も起こしていた。金十字護民会は、神に許しを請う為に、その償いを行っていると言っても良い」


「そうか……」


 フェルナンドの説明は、分隊長にも納得の行くものだった。神教会の腐敗の噂は、それだけ広く知られていたのだ。


「そんな事よりも、何とか通行許可を。いや、許可とは言わん。ただ通過するのを放っておいて欲しい」


「……分かった。勝手にどこにでも行け」


「おお! すまない。協力に感謝する」


 分隊長の許可の言葉を貰うとすぐにフェルナンドは、自部隊に戻って行った。

 やがて、護民騎士団の隊列は、皇国の軍を刺激しないように、ゆっくりと動き出す。


「陣形を整えろ! 左翼の部隊は無視!」


 分隊長の号令が皇国軍の陣地に響く。半分は護民騎士団を安心させる為だ。


「……分隊長」


「何だ?」


「よろしいのですか? 正体も分からない部隊を許可なく通して」


「かまわん」


「後で知れて、罰を受けるような事になれば」


「それは戦闘が再開した後に、生きていられたら心配する」


「……それもそうですね」


 東部辺境領軍との戦いが再開すれば、まず間違いなく自軍は崩壊する。さっきまで、そういう状態だったのだ。


「はあ。俺は結構、熱心な信者のつもりだったのだがな」


 分隊長は溜息を付きながら、戦闘とは違う話を始めた。皇国にも信者は居た。分隊長はその一人だ。別に珍しい事ではない。だからこそ、皇国も王国も神教会の影響力を恐れたのだ。


「ああ、自分もです」


「そうか。あの言葉が本当だとしたら、俺は嘘を信じて行動していた事になる。それってどうなのだ? 神にどう言い訳すれば良いのだ?」


 全てが嘘だった訳ではないのだが、フェルナンドの説明を分隊長はこう捉えてしまった。


「じゃあ、償いの為に、彼等と行動を共にされますか?」


「軽く言うな。それも生きていられたら考えられる事だ」


「考えるんですね……」


◇◇◇


 金十字護民騎士団の活動は、やがて皇国の上層部にも伝わる事になる。


「いい加減にしてもらえないか!?」


 皇国の重臣会議の場に到着するなり、めずらしくオスカーが怒鳴り声を上げた。


「どうしたのですか? いきなり怒鳴るなんて」


「どうしたではない! 金十字護民騎士団とは何だ!?」


「ああ、その事ですか」


 オスカーの怒気に驚きながらも、ケイネルは冷静な口調で言葉を返した。


「知っていたのか?」


「はい。金十字護民会という名で書状が届いております。名称からして明らかに関係した騎士団ですね」


「何故、それを教えてくれない!?」


 ケイネルの説明に、オスカーは更に怒気を強めてしまう。


「真偽が明らかでないからです。いきなり、金十字護民会なんて組織から書状を送られても、対応のしようがありません」


「そこを何とか対応するのが仕事であろう!?」


 オスカーの怒りは治まらない。ここまで怒りを発するには理由があるのだ。


「何か影響が出ていますか?」


 それを察して、ケイネルは尋ねてきた。やや遅い。オスカーが怒るなど珍しい事なのだから、すぐに聞くべきだった。


「戦場のあちこちで、護民騎士団とやらと部隊が遭遇している。戦闘中に現れる事もあるようだ」


「戦っているのですか?」


「場合によっては」


「被害は?」


「被害などない」


「では何故、怒っているのです?」


 オスカーの剣幕に重大な問題が発生したのかと焦っていたケイネルだったが、説明を聞いて、意味が分からなくなった。


「ほとんどの場合、抵抗しない」


「はっ?」


「護民騎士団はこちらが戦闘を仕掛けても逃げるだけで向かってくる事はまずない」


「……では気にする事はないのでは?」


 益々、ケイネルはオスカーが怒る理由が分からなくなった。聞いている話では、無害な存在としか思えない。


「それが問題なのだ。その金十字護民会からの書状を読んだのであれば分かるだろ?」


「まさか……、あれは本当だったのですか?」


「あれと言われても分からん」


「どちらにも与する事はない。民の支援の為に活動するだけなので、行動の自由をと」


 皇国の政治の頂点であるはずのケイネルでさえ、護民会の中立公正、無償の奉仕を戯言として捉えてしまう。

 それだけ、崇高過ぎる思想なのだが、ケイネルの立場では、ただの戯言と流してしまっては不味い。


「その通りだ。彼等は戦争に巻き込まれた民衆の支援をしている。そして、皇国騎士団はその彼等に、しかも無抵抗の彼等に戦闘を仕掛けて何人も殺した」


「……しまった」


 事の重大さが分かって、一気にケイネルの顔色が変わった。


「皇国騎士団は護民騎士団の支援を受けた民から恨まれている。話が広まっていけば、それは東部辺境全体に及ぶだろう」


「東部辺境領主側はどうなのです?」


「徹底している。戦闘中で、しかも勝ちが見えた状態でも平気で兵を引くのだ。それを見ていた民衆の口からは、皇国騎士団との違いも広まっているだろうな」


「なぜ、そこまでして?」


 カムイの依頼を聞いての事とは、さすがにケイネルも思いつかない。手に入れている情報が足りなすぎるのだ。そうさせているのもカムイたちだが。


「知るか。とにかく皇国軍全体に金十字近衛騎士団には手を出すなと通達を出してくれ」


「それは……。策である可能性はないのですか?」


「策だとしても、もう嵌っている。事は騎士団の評判だけではないのだ」


「他にも?」


「騎士にも兵にも神教の熱心な信者はいくらでもいる。金十字護民騎士団は、元神教騎士団だ。しかも彼等は、自らの過ちを償う為に命を捨てて民に奉仕をしているのだと、多くの者が信じるようになっている」


「まさか……」


「皇国騎士団があまりにも非道を繰り返すようだと寝返る者が出るぞ」


「…………」


 神教会が持っていた影響力。それに比べれば小さいが、護民会にも、そういう力が生まれてきた。これはカムイも護民会も狙ったものではない。

 厳しい現実の中で、悪事に逃げるものも居れば、正義に縋る者も居る。護民会に与しようと考える者は後者だ。


「分かっただろ? 策だとしても手遅れだ。これ以上、傷を大きくしない為には、皇国として正式に金十字護民騎士団の活動を認める事しかない」


「分かりました。すぐに通達文を作ります。……陛下?」


 公式の書面を出すのだ。皇帝であるクラウディアの許可が居る。


「あっ、うん、それでお願い」


「はい」


 実に簡単な許可だが、これで裁可は終わり。


「でも、やっぱり策なのかな?」


 クラウディアが疑問の声をあげる。


「気になりますか?」


「少し。味方を犠牲にして策を仕掛けるなんて、本当だったら凄いなって」


 こう言っている本人は、幼い頃から側に居たテレーザを犠牲にしているのだが、この意識はクラウディアにはない。


「そうですね」


「策だ。さすがに今回は自分でも分かる」


 オスカーが断言した。こういった件で、オスカーがはっきりとモノを言うのは珍しい。


「どうしてそう思うの?」


「金十字。どこかの誰かの旗印は何ですか?」


「……あっ、カムイの?」


「そうです。カムイの旗印は銀十字。それだけなら偶然かもしれませんが、金十字護民会の組織の頂点は会長で、その会長は元皇都の孤児院の院長だったようです。カムイたちがいた孤児院です」 


「そっか」


 クラウディアは納得しているが、実は間違っている。策は策でも、旗印はカルロ会長の策であり、会長に任命したのは元教皇である。


「まあ、そんな情報がなくても明らかですが」


「どうして?」


「皇国は皆忘れていたのです。教都で行われた勇者選定の儀の結末を確認する事を」


 ようやく足りない、そして重要な情報を皇国は知る事が出来る。


「えっと……」


 クラウディアに至っては、勇者選定の儀、そのものが頭から抜けていた。


「自分も忘れていました。でも、どうやら噂は全て事実だったようです。教都に近い東部辺境には早い段階で真実が伝わっていたようで、色々と聞けました」


「噂……。一杯あり過ぎて……」


 オスカーの説明で、会議での話をクラウディアも思い出した。だが、内容は頭に入っていない。


「……そうですか。簡単に言えば、選定された勇者はカムイです。カムイは魔王でありながら勇者になった。そして教皇は、その事実を前に自らの過ちを認める事にし、神教会を解散した。当然、反発する者がいたのですが、神教騎士団で反発した者は教都を攻めようとした所で、カムイに敗れた。全て噂として流れていた事です」


「…………」


「つまり、あれか? 皇国は勇者を敵に回している訳か?」


 言葉を失ったクラウディアに変わって、ケイネルが言葉を発したが、ケイネルも動揺しているようで普段の口調に戻っている。


「魔王とか勇者とかは関係ない。カムイ・クロイツという男はそれだけ凄い男だという事だ」


「そうだな。……王国は?」


「当然知っている。東部辺境に流れた情報を、教国と隣接している王国が知らない訳がない。王国は恐らく、どこかでカムイと和解している。王国の動きを考えると、勇者として選定される前の可能性もある」


 きちんとした情報さえあれば、オスカーもこの程度の事は分かる。その情報を徹底して遮断されている事に皇国はまだ気が付いていない。オスカーの場合は、情報の問題だけではなかったが。


「何故だ?」


「王国は魔族の襲撃を気にする事なく、軍を西方に集めていた。それが理由だ」


「なるほど。……なんだか随分と頭が回っているな」


「別に。普通に戻っただけだ」


「普通?」


「……こんな事は今更言いたくはないが、自分はもう何年も普通ではなかった。皇国学院の時からカムイに嫉妬し、それは卒業しても続いていた。そして皇国騎士団長なんて重責だ。分も知らずに、ただ足掻いていただけ」


「どうして、吹っ切れた?」


 オスカーの状況はケイネルも分かっていた。自分も似たようなものだ。オスカーが抜け出せた理由は、ケイネルが是非知りたい事だ。


「吹っ切れないほうがおかしい。嫉妬していたカムイは勇者だ。張り合う相手ではない。騎士団長の重圧もここまで恥をかけば、もう張る見栄もない。自分は平凡な男。それを認めたら、一気に楽になれた」


「……そうだな」


 自分は同じ心境にはなれそうもない。ケイネルはまだ続く自分の苦しみを思って、落ち込んでしまう。


「早く対策を考えろ」


「どれの?」


「カムイのだ。戦略的にかなりまずい状態だ。さっき言った通り、カムイと王国はとっくに和解している。その王国がカムイの建国を知ったらどうする?」


「……同盟か?」


「そうだ。同盟を結ばれて、両国に同時に攻められたら、東方など簡単に突破される。一気に中央、皇都まで届くぞ」


「……陛下」


 あり得ない話ではない。ケイネルはクラウディアに声を掛けた。


「…………」


 だが、クラウディアはボンヤリとした表情のまま、固まっていた。


「陛下!」


「あっ、えっと」


「すぐに全体会議の招集の許可を。議題はカムイ、いえ、アーテンクロイツ共和国との外交についてです。建国を認めるか否か。認める場合に、外交上、どういった関係を構築していくか。そのような内容です」


 事は急がなければならない。この件で王国に先を越されては、皇国は終わるかもしれないとまで、ケイネルは考えている。


「……兄上は」


「はい?」


 だが、クラウディアの返答はケイネルが求めているものとは異なっていた。


「兄上は知っていたのかな? カムイが勇者だって」


「……恐らくは知っていたでしょう。テーレイズは一貫してカムイとの友好関係の構築を考えた発言をしていました。いえ、勇者かどうかなど関係なしに、とにかく敵に回さない事を考えておりましたね」


「そう……」


「それは今どうでも良い事です。会議の招集を行います。よろしいですね?」


「うん……」


 ようやく知った一つの事実。だが、それはあまりにも遅すぎた。動き出した大きな歯車は、そう簡単には止まらない。

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