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 光が一筋も通らない闇の中に、私は閉じこもっていた。

 ただの七歳児ならばいるだけで泣き出してしまいそうなほどの真っ暗闇で狭い空間だけれど、天才たる私に暗闇に対する恐怖はない。視界も効かず身動きもろくに取れないような状態で、私は膝を抱えて不思議な安定感を得ていた。

 いつまでもこうしていられる。

 いまの暗い気持ちとこの空間がよく調和しているせいだろう。何をするでもなく膝を抱えているだけで、とても心が落ち着く。目を閉じているのか開いているのかすら判然としないここでじっとしていると、徐々に自分が薄く広がっていく不思議な感覚を得始めた。

 少しずつ自己が外へと溶けだして、暗闇の空間と混ざり合って、ああ、きっとこのまま私は広がって世界と同一になるのだと漠然とした頭で悟りを開きかけた瞬間、頭上から光が差した。


「見つけましたよ、お嬢様」

「……マリーワか」


 暗闇に慣れた目には、別段強くない光でも眩しい。

 食糧庫の中にあった空箱に膝を抱えてすっぽり収まっている私は、目を細めてマリーワを見上げる。


「お屋敷がずいぶんな騒ぎになっていましたよ。昨日からクリスティーナお嬢様のお姿が見えなくなった、と」

「……だろうな。ずっとここに隠れていたからな。マリーワはどうしてここが分かったんだ?」


 私がいるのは屋敷の奥まった場所にある食糧庫の、さらにその奥にある空き箱の中だ。ミシュリーを参加させるようにという要求がお父様に却下されてからずっと、外から見つけられないように隠れていたのだ。それを見つけ出すなど生半可なことではない。

 だが、マリーワは苦労なんてないというかのように一言。


「いじけた子供が隠れるところなどたかが知れてるのですよ、お嬢様」

「……ふん」


 小さく鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 天才たる私の行動原理をそこらの幼児と同じに当てはめるとは不遜もいいところだ。私はただ気分と直感で動いているわけではなく、食糧庫の空箱が最も隠れているのに適していると知って潜んでいたのだ。

 しかしながら私の隠れている箱のフタを見事に当てて開いたのはマリーワだ。ここで文句を言うのは格好悪い。


「で? 私を引きずりだしに来たのか?」


 今の時間は礼儀作法の授業が行われているはずだった。王宮で開かれる舞踏会まであと三日。今日はいままで叩き込まれた礼儀作法の総仕上げを行う予定だったのだ。

 それをすっぽかしたのだから、大層お冠だろう。与えられる罰はムチ叩きか過酷が過ぎる訓練か。どっちにしたところでロクな未来は待っていない。

 だが、いまの私はどんな罰が下されようが怖くはなかった。


「ムチでもなんでも持ってこい、マリーワ。身体をいくら痛めつけられたって私は折れない。礼儀作法の授業なんて知ったことか」


 捨て鉢な気持ちになっているのかもしれない。私はいつも以上に怖いもの知らずに吐き捨てる。

 私が食糧庫に隠れることになったのは、この間ドレスをお披露目した時に起こった騒動が原因だ。

 着飾るドレスを一緒に作ったものだから、私はミシュリーも一緒に舞踏会に行くものだと勘違いしていた。お父様に他意はなく、せっかく私のドレスも作るのだからついでにミシュリーのものも作っておこうという親心だったらしい。

 それが、裏目に出た。

 お父様の純粋な好意が私の勘違いを助長した。子供を喜ばそうというお父様の心意気を恨むつもりなんてない。実際ドレスの見せ合いっこができて、私もミシュリーもきゃっきゃと浮かれた。

 問題は、ドレス姿のミシュリー相手に浮かれた私がさらした失態だ。

 ミシュリーが参加するものと勘違いしていたとはいえ、お父様がミシュリーに黙っていた舞踏会の存在を漏らしてしまったのだ。

 その失態から私がかくれんぼを始めた理由は単純だ。

 ミシュリーが一緒に行けないくらいなら、いっそ私も不参加でいたかったのだ。


「ミシュリーの参加しない舞踏会なんて、なんで行かなきゃならないんだ。嫌だ。絶対に嫌だ。舞踏会なんて行かない。舞踏会のための礼儀作法の授業なんて受けないっ」


 ミシュリーがいけない理由が、年齢ならばまだよかった。作法が身についていないからという理由だったら、まだ納得できた。

 でも、違うのだ。

 ミシュリーは、今後どのような舞踏会にも出ることはできない。

 マリーワからは、私が駄々をこねているようにしか見えないのだろう。それでも構わなかった。膝を抱えている腕にことさら力を込めて内へ内へと縮こまった私は、小さく、それでも精一杯の力こめて叫ぶ。


「私が舞踏会に行ってミシュリーが行けないなんて、あんまりにもミシュリーがかわいそうじゃないかっ」


 ミシュリーが煌びやかな社交界の舞台にあがることはない。ごく内輪の小規模なパーティーにならば出席の機会はあるだろうが、大規模な社交界の場に出ることはない。

 考えてみれば当たり前だ。今は亡き王妹殿下がひそかに生んだミシュリーの存在は、社交界で公にできるものではない。いまでこそノワール公爵家の養女という立場に納まっているが、ミシュリーの存在はことさらひけらかすことができないのだ。それは今回の舞踏会に限った話ではない。これからずっと、私はミシュリーを置いて社交界に出なければならないのだ。

 そんなの、嫌だった。


「私を舞踏会に参加させたければ、ミシュリーも一緒にだ。じゃなきゃ私はここから出ない。絶対にっ、絶対にだ!」


 言いたいことを言った私は、膝に顔をうずめて黙り込む。ここは食糧庫だ。舞踏会の行われる三日後まで食いつなぐくらい楽勝だ。実際、昨日から味気なさを我慢して、そこらへんにある食糧をかじってしのいでいる。


「…………」

「…………」


 マリーワは、私の我がままを受け入れはしないだろう。当然だ。彼女は雇われた家庭教師であり、私を淑女の型に押し込めるのが役目だ。すぐさま力づくで私を箱から引っ張り出し、折檻でもして性根を叩き直そうとするだろう。

 でも、絶対に言うことを聞いてやらない。頑として抵抗を貫き通してやる。

 頑なに箱から出ようとしない私に対して、マリーワは意外な行動に出た。


「……はぁ」


 マリーワは私を叱責することも打ち付けることもなかった。

 ただ、ため息を一つ。そのまま私の隣に腰かける。


「……どうした、マリーワ?」

「今日は礼儀作法の授業は取りやめます」

「え?」


 予想していなかった言葉に顔をあげてしまう。取りやめるとは、つまり中止ということだ。いままでいくら逃げようとも追ってきては私をとっ捕まえて引きずり戻していたマリーワらしくもない。

 どうしたのだろうと思ったが、残念ながら私の位置からでは箱を背もたれにしているマリーワの顔は見えなかった。


「クリスティーナお嬢様。あなたは賢しい子供です」

「……なんだ、突然」


 私が天才なのは自明のことだが『かしこい』と言わずに『さかしい』と評するあたりにそこはかとなく悪意を感じる。


「よく私の授業から逃げ出したりふざけて茶化したりすることはありますが、あなたの物覚えの良さは教えているわたしもよくわかっています。私の教えたことは漏れなく頭に入っているのでしょう。いつもは野卑な男言葉ですが、私の叩き込んだ礼儀作法を実践しようとすれば十全に成果を発揮できるのは疑いの余地もありません」

「……その程度、当然だ」

「そうですね。ですから今更一回ぐらいの授業がなくなったところで大して違いもありません。それにですね」


 息を吐くようにして間をあけたマリーワは、めんどくさそうな声で付け加えた。


「いじけた子供はメンドクサイのですよ、クリスお嬢様」


 いつもの厳しい声ではなく、吐き捨てられるような適当な言葉だった。

 まぎれもない本音なのだろう。一応我がままを言っている自覚のある私は、そっぽを向いて強がった。


「……ふん。好きに言え」


 マリーワからあからさまに子供扱いされてけなされて、天才としての自尊心が傷ついていたりなんて、してない。


「ねえ、クリスお嬢様」

「なんだ、マリーワ」

「あなたは賢い子供です」


 同じような字面で似たような意味の言葉使って、マリーワは話を仕切りなおした。


「一を十全に理解できる子供です。教えていないことも察することができる子供です。周りの状況をよく理解できる子供です。だから本当は理解しているのでしょう? ……あなたとミシュリー様は、本当の姉妹ではないのです」


 言葉が矢じりとなって、ぐさりと私の胸に突き刺さった。

 知っていたけれども知りたくもなかった事実は予想以上の痛みを伴った。じくりと痛む胸の傷を認めたくなくて、あまりにも遠慮のないマリーワの言葉を否定したくて、私は反射的に叫ぶ。


「ミシュリーは私の妹だっ」

「いいえ。いくら仲が良かろうと、いくらあなたがミシュリー様をかわいがろうと決して血のつながりがないことはくつがえることのない事実です。ミシュリー様だけ舞踏会に行けないのがなによりの証拠でしょう?」


 マリーワは斟酌なしに言葉の矢をえぐり込んでくる。


「うるさい」

「認めなさい。事実は事実です。あなたが叫んだところで揺るがない真実です。今のあなたにその事実を否定できる力などないのです」

「……うる、さいっ」


 強がって言い返してはいても、言葉を受けるたびにびくりと体が震える。じんわりと涙がにじんでくる。聞きたくもない事実に、知りたくもない真実に容赦なく打ち付けられて、もうボロボロだった。決壊しかけている涙腺を少しだけでも長くもちこたえさせるために、私はぎゅっと強く目をつぶって膝に目元を押し付ける。


「うるさい、うるさいうるさいうるさいっ……!」


 マリーワはどういうつもりでこんなにひどいことを言うのだろう。礼儀作法の授業をつぶした腹いせを受けているのだろうか。いじわるだ。あんまりだ。ひどい。少しくらい優しい言葉をかけてくれたって――


「うるさいのはあなたです、クリスティーナお嬢様」

「……っ!」


 ……もう、いやだ。

 疲れ果てて気力もなくなって、泣くのをこらえることもどうでもよくなってきた。そうだ。もう泣こうか。なにも考えず、ひたすらただ泣いてやろうか。そうすればマリーワを困らせてやることができるかもしれない。

 そんなことを考えた私の頭に、ぽんと優しく温かい何かが置かれた。


「……?」


 行き詰って死にそうになっていた私の思考に、ふと疑念が生まれた。この温かく、少し心地よい感触の正体はなんだろう。気になってちょっとだけ顔を上げると、信じられないものが目に入った。

 マリーワの手のひらが、私の頭の上に優しくのせられていた。


「あなたとミシュリー様は本当の姉妹ではありません。そのどうしようもない事実を呑み込んで、これから訪れるだろう不条理だと思える世間の目を乗り越えなさい」


 泣くことも忘れてびっくり目を見開いている私の頭を、マリーワはそっと一撫でだけ。


「認めがたい事実を認め道理に沿わない世間の評価を聞き入れることができれば、あなたは少しだけ立派な淑女に近づけるのです」


 優しい言葉ではない。納得できる論法ではない。厳しく理不尽で、でもマリーワの言う淑女の精神性は打ち付けられるような強さで私の身体に刻み込まれた。


「……そこまでして、まだ立派な淑女にはなれないのか?」

「当然です。真の淑女ならば、私がいま言ったようなことは息を吸って吐くようにこなしてみせます」

「……そうか」


 ならば淑女というものはとても強く、賢く、気高いのだろう。

 私が思っていたよりもずっと、ずっと。


「まあそれでもまだ舞踏会に行きたくないというなら、分かりやすくやる気の出る言葉をクリスティーナお嬢様にお贈りしましょう」

「……?」


 もうすでにちょっとやる気を出しているのだが、何だろうか。興味がある。

 言葉の続きが気になっていじけたふりを続けた私の耳に、マリーワが恐怖の言葉をねじ込んでくる。


「もしお嬢様がずっとひきこもって王宮の舞踏会に行かなかったら……以後の礼儀作法の授業、わたしは心を鬼にして教鞭を振るいましょう」

「……マリーワ」


 今日一番の信じられない言葉を聞いて、私はまじまじとマリーワを見つめてしまう。


「お前、自分がとっくの昔に身も心も鬼になっていることに気が付いていないだだだだだだっ!」


 拳骨を二つ使って容赦なく私のこめかみをぐりぐりするマリーワはやっぱり地獄出身に違いない。

 痛みのせいでうるんだ瞳を使って、きっとマリーワをにらみ付ける。さっきの手のひらは、やっぱり私の幻覚か何かだったのだ。


「……ふう。もう馬車で送ってもらう時間ですね。私は帰りますがお嬢様はどうぞ気がすむまで箱の中に引きこもっていてください。なんならフタを閉じてさしあげます」

「ちょ、やめっ、閉じ込めようとするなぁ!」


 上からフタを押し付けて閉じようとするマリーワに抵抗しながら立ち上がる。


「おや。箱の中に閉じこもっていたいのでは?」

「かくれんぼはやめだ。性に合わないし、そもそもミシュリーに会えないしな!」


 堂々胸を張った仁王立ちの立ち姿で言い切る。そもそも考えてみれば、ただでさえ一日以上ミシュリーに会ってないのに、これから三日もミシュリーと触れ合えないなんて耐えられるわけもなかった。

 縮こまっていた箱から解放された私は、歩き始めたマリーワの後ろをついて歩く。食糧庫から出ていくマリーワの歩調は一定で、後ろを歩いていると気持ちが良いほどまっすぐ伸びた背筋が目に入る。


「マリーワ」


 その後ろ姿を見ながら、ぼそりと小声で呼びかけた。


「……今日は、見送る」

「お嬢様」


 マリーワが家庭教師に来てから初めての言葉だったけれども、マリーワの調子はちっとも崩れない。


「ミス・トワネットです」


 いつも通りの定型句を言ったきり振り返りもしない。慣れた道だと言わんばかりに屋敷の出口に向かうマリーワの足運びに一切の澱みはなかった。


「……むう」


 まっすぐ伸びた芯に支えられて乱れのないマリーワに姿が、ちょっとだけ私の不満を煽った。


「マリーワ、マリーワ」

「……はぁ。なんですか、クリスお嬢様」

「今度の王宮の舞踏会、私は完璧にこなしてやる。失態の一つもない見事なふるまいのご令嬢、クリスティーナ・ノワールの名が社交界に響き渡ったらいっぱい褒めろ。私は褒められて伸びる子だ」

「お嬢様は褒められたら調子に乗る子ですので、叩いて伸ばす教育方針を変えるつもりはありません」

「!?」


 優しい言葉なんて片鱗もこぼしてくれないマリーワは、やっぱり最低最悪で冷酷無慈悲な家庭教師だった。

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