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 私はクリスティーナ・ノワール。天才だ。

 一歳で屋敷を自由に駆け回り、三歳で言葉を自在に操り、五歳で書斎の書物をことごとく読み尽くし、七歳で初めて参列した舞踏会では幼くとも完璧な淑女として社交界をあっと言わせた完全無欠の天才少女である。

 その私も、もう九歳になった。

 七歳の頃から二年間、私は天才にふさわしい吸収力でもって多くの物事を学んできた。日常で学び、マリーワの授業で学ぶ、大天使の妹と触れ合って心を充足で満たす。流れる日々はいつだって成長の機会に満ちている。

 あれから幾度かは社交界の場に出ては賞賛される振る舞いでこなし、私の評価は盤石なものとなりつつある。いまの社交界で噂される有望株が誰かと言えば、それは私だと言って過言ではない。そんな将来が楽しみな才女が天才たる私である。

 ここ数年で、私が天才であるということは世間も認めつつある。着々と広がる事実は私の自尊心を満たしてくれるし、何よりに今、ここ二年の私の成長ぶりで何より素晴らしい成果が結実しようとしていた。


「……ふむ、よろしいでしょう。今日をもって、お嬢様の礼儀作法の振る舞いは一定のラインを超えたと認めます」

「……!」


 もう二年以上も続いている礼儀作法の授業の簡易試験が終わっての言葉に、私は思わずガッツポーズをしそうになった。

 一瞬自制が効かなくなるぐらい嬉しかったが、実際に私の拳を固めたらマリーワの拳骨が頭に落ちてくるので内心で快哉をあげるのにとどめる。

 そう。

 私はあの冷酷無慈悲な鬼のマリーワから、今の言葉を引き出せるほど成長したのだ。

 喜ぶ私をよそに、二年前から変わらず背筋をぴんと伸ばしたマリーワは淡々と言葉を続ける。


「成長しましたね、お嬢様。お猿のようなお転婆ぶりがだいぶましになり、ようやく猫の皮を被っても不自然ではなくなってきました。本質のじゃじゃ馬ぶりはまるで変化はありませんが、その毛皮をはがせる人物もなかなかいないでしょう。及第点です」

「ふ、ふふっ。この程度は当然ですわ、ミス・トワネット」


 高笑いの衝動は笑みを浮かべる程度に抑える。なんかだいぶ含みがある言葉だったが、それでも嬉しい。基本的にマリーワが私を褒めることなど皆無と言っていいのだ。頭を撫でられることこそなかったが、形ばかりの褒め言葉でも感無量である。


「わたくしはノワール公爵家を担う才女ですものっ。将来社交界で燦然と輝く身。この程度の振る舞い、できて当たり前ですわ!」


 礼儀作法の授業中はお嬢様言葉を使うのが決まりだ。ここ一年ばかりは、これを破って拳骨を落とされることもだいぶ減った。それは紛れもなく、私が淑女へと続く厳しい道を歩んで進んでいる証拠である。

 しとやかな淑女らしく誇って、ふと気が付く。


「……ぁ」


 私が礼儀作法の振る舞いを身につけたと判断されたのならば、もしかしてマリーワはこれでお役御免だろうか。


「……」


 自分の予想に思わず黙り込んでしまう。

 マリーワは私に礼儀作法を教え込むために雇われた家庭教師だ。その役目を終えれば、当然この屋敷に来ることはない。

 マリーワがいなくなる。

 それはダメだ。

 そんな当たり前の未来を思いついてすぐに否定の想いが湧く。

 だって私はまだ……えっと……そうだ!

 私はまだ、マリーワをぎゃふんと言わせていない!


「それは結構。さて、それでは外面を取り繕うことを覚えたのならば次は内面を磨きましょう。次からはリベラル・アーツに手を付けることにします」

「……ん?」


 どうしようと天才的な私の頭脳が問題の解決に向けて回りだしたマリーワが続けた言葉に、疑問符が浮かぶ。


「……礼儀作法の授業は終わりじゃないのか?」

「何を勘違いされているのですか? 言ったでしょう。いままでの作法はあくまで外面を磨くための急ごしらえでしかありません。これからはその内面まで淑女といたしましょう。そのための足掛かりが、リベラル・アーツです」


 問題が一瞬で解決した。淑女の道はやはり険しく、礼儀作法の授業はまだ終わらないらしい。

 それはそうとして、新たに疑問が湧いて出た。


「リベラル・アーツも、マリーワが家庭教師をするのか?」


 リベラル・アーツ。それは三学四科からなる学問だ。「人を自由にする学問」を起源とするものであり、学べば一般教養が身に付くとされている。

 別にそれを学ぶこと自体に文句などない。言ってしまえば貴族であるならば誰もが学ぶものだ。事実十四歳から入学が許される王立学園でも、リベラル・アーツを中心として学習要項が組まれている。

 だから、湧いた疑念は教えられる学問そのものに対してではない。


「ミス・トワネットです、お嬢様」

「いや、さっきで礼儀作法の授業の外面は修了したはずだから今はいいだろう?」

「……む。まあ、そうですね。今はいいでしょう」


 私の反論は意外にもあっさり受け入られる。マリーワは頭でっかちなように見えて、意外と柔軟な所もある。現実に沿った理屈であるのならば論破することもできるのだ。

 それはともかくとして、私はマリーワに説明を求める。


「それで、もう一度聞くぞ。リベラル・アーツもマリーワが家庭教師をするのか?」

「ええ。リベラル・アーツとは学ぶことにとって身に着ける一般教養です。教養のある女性を淑女とするのならば、リベラル・アーツとて礼儀作法の範疇に含まれますので、私が教鞭を振るっておかしいことはないでしょう?」


 それはそれで絶対に何かがおかしいと天才の私は気が付いていたが、あえて追求しない。それ以上に気になったことを問いかける。


「……三学四科の全部を、マリーワ一人でか?」

「ええ」

「…………え? なんで?」


 しれっと頷いたマリーワに呆然としてしまった私を誰が責められようか。

 普通に考えてあり得ない。

 どの科目も人に教えるのならば、それぞれ一つにつき一つの専門家が教鞭を振るう項目だ。そりゃ、子供に導入部を教える程度ならばある程度可能だろうが、教え子は天才たる私だ。吸収の速さも並ではなく、その理解の深さについてくるのは相応の教養が必要である。

 それを一人で全部教えようとか、天才の私でもわけがわからない事態だ。マリーワは七人分の労役を一人でこなそうというのだ。普通に七人雇えよと思う。

 だがマリーワの顔に不安の色など一片もなかった。


「ご心配など無用です、お嬢様」


 冷ややかな目は揺るがず、常に事実のみを見つめ理不尽を呑み込む口はするりと言葉を紡ぐ。


「この私が家庭教師を承った以上、十四になり王立学園に入学するまでには三学四科を修めるなど基本。上位学問たる哲学の深淵に思考の歩を進める資格が持てる程度には仕立て上げましょう」

「あ、はい」


 私らしくもなく素直に頷いてしまう。それだけの気迫が今のマリーワにはあった。

 マリーワは、一体何者だろう。

 いまさらかもしれない疑問が、ようやく私の頭に浮かんだ。

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