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 友人らを送り出してから、濃くなる暮色のなかで稽古を続ける二人のもとに、リオネルは足を運んだ。


 剣が閃くたびに、刃が夕焼けの陽光を反射して、眩しい光を放っている。砂利道をゆっくり歩んでくるリオネルに気がつくと、二人は剣を下ろしてそちらを振り向いた。


「帰ったのか、二人は」


 目前まで来たリオネルにベルトランが言った。


「今、帰ったところだよ。アベルと話したがっていたけどね」


 そう言いながらリオネルは、アベルをちらと見る。


「……わたしですか?」

「でも、アベルは少し緊張していたようだったから、とりあえず帰したけど」


 レオン王子やディルクと会ったとき、アベルは周囲に気づかれるほどまごついていたのかと思い、恥ずかしさで頬が朱に染まった。

 顔を赤らめたアベルに、リオネルは少し複雑な表情をする。


「もっと話したかった?」


 リオネルの紫の瞳を見ることができず、アベルは視線を襟元のあたりに落として、首を横に振った。

 あれ以上そばにいたら、頭のなかが混乱してどうにかなってしまいそうだった。

 ディルク・アベラール。

 十一年間の婚約期間の末に、ようやく会えたのがこんな形なんて。

 運命とは皮肉なものだ。神さまは、いつだって残酷だ。


「二人はおれの友人で、本当に気さくで優しい人たちだから、そんなに気を使うことないよ」


 アベルは、うなずいた。そう言ってくれるリオネルこそ優しい。

 神さまはたしかに残酷だけれど、アベルをこの青年と巡り会わせたこと――、それもまた同じの神が下した運命だ。


「練習、長くて疲れたろう。そろそろ館に戻ろう」

「……いえ、ベルトラン様に稽古をつけてもらえるのは、ひと月に一度だけなので、まだやらせてください」


 リオネルがなにか言うまえに、ベルトランが口を挟む。


「ベルトラン様ではなくて〝ベルトラン〟だ」


 アベルは、あ、という口の形をつくってから、言い直した。


「そうでした、ベルトラン」

「ベルトランは名前だけなのか? それなら、おれもリオネルでいいよ」

「それは無理です」


 アベルはきっぱりと言いきった。その潔さにリオネルは苦笑する。


「なぜ?」

「リオネル様とわたしでは身分が違いすぎます。そして、わたしはあなたに仕える身です」


 アベルはそう言ってから、少し気まずい気持ちになった。

 リオネルとは身分が違いすぎる、ということは、ベルトランとは同じ程度の身分であるとも受け取れなくはない。ベルトランの出身であるルブロー家は、デュノア家と同じく伯爵家であるため、アベルにとってはそれほど気負わない相手であったことはたしかだった。


 アベルの発した言葉の裏を読んでか読まずしてか、リオネルは一瞬動きを止め、それからほほえんだ。


「うらやましいな、ベルトランは。でも、立場が違うなら、おれの言うことを聞いてくれるのかな? だったら、アベルの身体はまだ本調子ではないから、今日の稽古は切り上げて館に戻ってほしい」


 リオネルのうまい切り返しに、アベルは一本取られたと思った。

 頑固な性格ゆえに、普段ならはっきりと意見を言うアベルだが、今回は自分の発言を逆手にとられたので、言い返すことができない。

 アベルはほんの小さくうなずく。


「よし、では、戻ろう」



 リオネルは会心の笑みでアベルを見つめた。


 リオネルにとってアベルは、騎士見習いでも、身辺警護でもなかった。

 ましてや、少年でもない。

 一人の、女性だった。

 大切に想う相手。


 アベルがディルクの前で示した反応が気になってしかたないし、彼女から敬称をつけずに呼ばれるベルトランのことをうらやましく思う。そして、万全の体調ではないはずのアベルに、今日の稽古をこれ以上させたくない――。

 こんなふうに感じる自分の気持ちが、どこから来るのか、それをなんという感情で呼ぶのか……、漠然とした予感はありつつも、初めて経験するリオネルにはまだはっきりとはわからなかった。それはむしろエレンのほうがよくわかっていることだったかもしれない。

 リオネルは、初めて覚える感情の数々に、戸惑っていた。


「アベル」


 バルコニーへ続く階段を上る途中で、リオネルは背後をふりかえった。

 ディルクが水宝玉アクアマリンのようだと例えたとおりの美しい水色の瞳が、リオネルを見上げる。


「ひとつだけ、聞いていいか」

「なんでしょうか」


 突然声をかけられて驚きつつ返事をしたアベルの横で、ベルトランもリオネルを見上げた。


「……本当にここでいいのか?」

「え……?」


 質問の意味がわからず、アベルは首を傾げる。


「本当に、ここに――おれのそばにいてくれるのか?」



 アベルは大きく目を見開いて、リオネルを見つめた。二人の視線がからみあう。


 初夏の太陽が、大地を燃やすように、ベルリオーズ家別邸の広大な敷地の果てに沈んでいく。

 明日の朝にはまた昇り、この地を明るく照らすだろう。


 アベルがデュノア邸を追い出されてから、半年以上経っていた。

 デュノア領からこの場所に辿りつくまで、アベルはたった一人で、この太陽が沈み、また昇るのを幾度も見てきた。それは果てしなく孤独な光景だった。

 繰り返す昨日、今日、そして明日。

 明日はいつまで続くのか。


 けれど昨日、今日、そして明日の、その繰り返しの先に、リオネルがいた。

 まったく想像もしていなかった出会い。

 全てを失ったアベルに差し伸べられたのは、この温かい手だった。


「リオネル様」


 アベルは、儚く、そして強かに、ほほえんだ。


「あなたのいる場所以外に、わたしの帰る場所はありません」


 沈みきった太陽が、まだかすかに空に広がる薄いヴェールのような雲を、朱色に染め上げている。


「どうか、おそばにいさせてください。あなたに生涯の忠誠を誓います」


 夏の匂いを含んだ風が、二人のあいだを吹き抜けていく。流れた沈黙も、優しく、温かなものだった。


「おれも同じだ。おまえのもと以外に、おれの居場所はない」


 ベルトランが言った。アベルとベルトランの顔を眺め、リオネルは目を閉じる。


「……ありがとう」


 それからリオネルは双眸を開き、再び二人を見つめて繰り返した。


「ありがとう」


 リオネルは口にはしなかったけれど、自分にとっても、二人がいる場所が自分の居場所なのではないかと、このとき感じていた。

 二人を失いたくない――、リオネルは心からそう思う。


「エレンがきっとやきもきして、おれたちの戻りを待っているな」


 二人を館へうながして、リオネルは歩きだした。

 空が夜の闇に染まっていく。



 リオネルの「ありがとう」と言った声が、アベルの耳に鮮烈に残った。

 アベルは、リオネルの後ろ姿を見ながら、心に誓う。

 リオネルがこの先歩む道はきっと平坦ではない。

 だからこそ、命をかけて、この人を守りたい。

 運命がどれほど過酷であっても、その全てに抗い、もがき、自分が信じる道を生きたい。



 ベルリオーズ家別邸は、暗闇に包まれた。

 館のなかからは、橙色の光がもれている。

 どんなに深く底知れない闇のなかにあっても、かすかな光が見えていたら、きっと人は生きていけるのだと、アベルは思った。いつか見たいと願い続けた〝梨の果樹園〟という光のように。


 そして、そのかすかな光を目指して歩いていれば、いつか明るく温かい場所に辿りつく――――この場所に、アベルが辿りついたように。








〈第一部終わり〉








 第一部は本話で終了です。

 ここまでお読みいただいた方々に、心から感謝申し上げます。


 次回以降のお話がどれくらいになるかわからないので、第一部はこれにて完結済みとさせていただき、第二部は新規に投稿させていただこうかと考えています。

 引き続きお付き合いくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞこれからもよろしくお願いします。

(なるべく早めに第二部もスタートできたらと考えています)



 最後にもう一度、お読みくださった方々、ブックマークしてくださった方々、お気に入りユーザーに登録してくださった方々、評価してくださった方々、そして感想をくださった方々に感謝の気持ちを込めて、ありがとうございましたm(_ _)m



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