003:ソルティス岩野の岩喰いトカゲ
大花時計の定期点検をした日の翌日――
ソルティス山までは、徒歩で行くには距離がある。
なので、ユノとアレンは、街の貸し獣屋から、馬と馬車を借りて、北へと向かう。
カイム・アウルーラ管理の花畑を抜けると、徐々に大地が乾き始め、華やかな気配はなくなり、荒涼とした空気が蔓延しはじめる。
ここが、ソルティス山の麓、ソルティス岩野。
岩野とは良く言ったもので、乾いて固まったこのソルティス山の麓の大地は、まるで一つの巨大な岩の上のようにも見えるのだ。
そしてこの場所は、そんな地面が隆起したかのような尖った岩が乱立し、生きてるんだか枯れてるんだか分からない葉まで褐色の木や、鋭い刃のような葉を持つ褐色の草などが、申し訳程度に生えている。
「ユノ、ターゲットは?」
アレンは馬の手綱を右手で握りながら、左手で愛剣を撫でた。
「背中に赤い線の入った個体だそうだけど」
「ふむ。どのトカゲでも良いわけじゃないのか」
ますます依頼の意味が分からない――と言いたげなアレンに同意するように、ユノも肩をすくめた。
「群れる魔獣じゃないのが救いだが、逆に探すのが面倒でもあるな」
岩喰いトカゲを片っ端から退治すれば、その中にターゲットが混ざっている可能性があるが、退治しすぎるとこの土地の生態系に影響を与えかねない。岩喰いトカゲを主食にしている魔獣もいるのだ。トカゲを狩りすぎてしまえば、食べるのに困ったその魔獣が、カイム・アウルーラへとやってくるかもしれない。
それはさすがに、少々困る。
ちなみに、岩喰いトカゲの主食は、この突き立っているような岩だ。
岩を噛み砕くだけの顎の力がある為、人間が噛まれたらひとたまりもない魔獣で、皮膚も岩のように硬い。
ただ、その鎧のような皮膚の下にある柔らかな肉は、彼らの主食が岩とは思えないほどの美味である。
「アレン、もしかして肉狙い?」
「まぁな。お貴族様達も好きだしな、岩喰いトカゲの肉」
良い値で売れるぞ――などとアレンは言っているが、その表情は自分の分も確保する気満々のようだ。
彼は事も無げに言っているが、岩喰いトカゲは、温厚ではあるがそう簡単に仕留められない魔獣と言われている。
個体数が多くないというのもあるが、それ以上に、堅牢な皮膚とタフネス、そして怒らせると危険だという理由から、腕に覚えのある者くらいしか手を出さない。ついでに言えば、腕に覚えがあると慢心した者は、逆に退治されてしまうだろう。
「皮膚の引っ剥がし方と、綺麗に捌くやり方教えてやる。お前も一、二匹確保してったらどうだ?
今回の依頼、報酬の話とかロクにしてないんだろ?」
「……そういや、そうだったわ」
アレンに言われて、気が付いた。
確かにアレンの言う通り、報酬がもらえなくても、無駄足だったと言わなくて済む程度のものは確保しておくべきだろう。
岩喰いトカゲの肉だけでなく、この辺りでしか手に入らなそうな、花導具の修理や製作に使えそうな素材の採取をしていこうと心に決める。
ユノとアレンは、しばらく岩野を進むと、適当な岩影に馬車を止めた。
「とりあえず、ターゲットを探しつつ、岩喰いトカゲを狩るか」
「考えてみたら、この広い土地から、どうやってターゲット見つけるんだって感じだし」
アレンの提案に、ユノは賛成する。
まずは、必要なものの確保。依頼は後回しでも問題ない。
限られた時間を有効に使うのであれば、無駄に探し回るよりも、まずは自分たちの利益確保である。
「岩喰いと戦ったコトは?」
「初めて。本で読んだコトはあるけどね」
「基本的な倒し方は本の通りだ」
「一応教えて。本の情報よりも、経験者の話を聞いておきたい」
ユノの言葉に、アレンが了解した。
「皮膚は岩のように硬いと言われてるが、それは背中だけなのは知ってるな?」
「だからひっくり返してお腹を狙うのが、簡単に倒す方法なんでしょ?」
「そうだ。ただ倒すだけなら、それで良い」
ひっくり返すと持ち直すのに時間がかかるので、その間に腹に剣などと突きつければ倒せる。
体力はあるが、それでも内臓が傷ついたり、出血が増えれば、当然弱る。
「でも、ひっくり返すってどうやるの?
普通のトカゲと一緒で、基本は腹這いなんでしょ?」
「岩喰いは、食事中や周辺警戒する時に後ろ足だけで直立するんだよ。
だから、連中とやり合う時は、奇襲して先手とるのが必須。腹這いになられたら倒すのが難しいからな」
ユノの疑問に答えてから、アランはそれに――と続けた。
「あいつらは、未消化の岩のカケラを吐き出して攻撃してくる。
結構な勢いがあるし、この辺りの岩はすげぇ硬いから、威力がやばい」
「大人しい魔獣だって聞いてたけど、結構恐いコトしてくるのね」
「大型個体となると、後ろ足で立った時、お前さんの身長と同じくらいになるんじゃねぇかな」
「でっかいトカゲねぇ……」
「そして、一番大事なコトなんだけどよ」
ピッと指を立てて、アランが真面目な顔をする。
いったい何を口にするのかと、ユノは身構えた。
「肉を確保する時は腹を攻撃しちゃダメだ。
喉を刃物で切り裂くのが一番良い。血抜きもしやすくなるしな」
「……まぁ血抜きは大事だものね」
身構えて損したような気がする答えに、ユノは苦笑する。
そんなユノに、何を言うか――と、真顔のままアレンが続けた。
「胃袋の近くに毒袋があるんだよ。
別にそれを攻撃に使ったりはしてこないんだけどな。腹を強打したりすると、それが破けて、肉が食えなくなっちまう」
「食べたものに含まれてる有害物質でもため込んでるのかしら?」
「そこまでは知らねぇし興味ねぇ」
何はともあれ、岩喰いトカゲに関してはこんなものだろうか。
あとは実践あるのみだ。
――そうして、二人で意気込んで花半分ほど。
ユノが視線でアレンに合図をすると、彼はそれにうなずいて、小石を岩喰いトカゲに向かって投げる。
それに警戒して、トカゲが立ち上がった所に、ユノが愛用の杖――原始蓮の杖を構えて告げた。
古木のような見た目の杖、その先端に集まっているマナに、自分の内にあるマナを混ぜ合わせていく。
「始まりは風に乗る葉刃。重ねず一つ!」
詠唱で、精霊と花に呼びかけると、杖の先端についている褐色の大きな蓮の蕾が開いた。
「其は舞い踊る枯れ葉の刃!」
続けて、舌にマナを乗せて花銘を口にすれば、同時に杖の先端で開花した褐色の蓮から風の刃が放たれる。
鋭く空を駆る風の刃が、トカゲの首を切り裂くと、後ろ足で立ち上がっていた岩喰いトカゲがぐらりと傾く。そのまま腹を上にして、ゆっくりと倒れた。
杖に集まった余分なマナを散らすと、先端の花がゆっくりと蕾へと戻っていく。
「これで、四匹目ね」
「これもターゲットじゃなさそうだなぁ」
食事中のところを強襲してアレンが一匹。
今と同じように小石を投げ音を立て、警戒して身体を起こしたところに、ユノが花術で風の刃を生み出し、遠距離から首を一閃して、一匹。
アレンが強襲に失敗して腹這いになられてしまうも、ユノが地面から水を噴出させひっくり返したところに、アレンが剣を振るって一匹。
そして今のも合わせれば、合計四匹確保である。
倒した岩喰いトカゲは、アレンに教えてもらいながら、岩のような皮膚を引っ剥がし、毒袋を摘出した上で、逆さまにして木にくくりつけていく。
ちなみに、その岩のように硬い皮膚と、体内の毒袋も何かに使えそうなので確保した。
毒袋に関しては割れやすいらしいので、持ってきていた状態保存の術式を用いた箱に放り込む。
箱の蓋を閉じて密閉状態にしておく限り、中に入ってるものの状態が変わらないというユノのオリジナルだ。
今のところ、アレンの握り拳一つ入る程度のサイズでしかないが、いずれはもっと大型化したいところである。
「こうなってくると、乾皮の跳ね蝸牛も狩りたくなるわねぇ……。
あいつらの体液って接着剤の原料になるから、重宝するのよ。あと褐刃草の根もほしいかも……」
「お前、ここへ何しに来てるか覚えてるか?」
「花導具用の素材の採取でしょ?」
「お前がそれで良いなら構わねぇけどな」
正直、ターゲットのことなんて忘れてしまいたいと、遠回しに告げるユノに、アレンが嘆息する。
とはいえ、アレンもユノの気持ちは分からないでもない。
この荒野から、どうやってターゲットの岩喰いトカゲを探せというのだろうか。
来る前から分かっていたことだが、来てみたことで、二人は余計にそれを感じていた。
そんな、ややどんよりとした気分で軽口を叩き合ってはいるものの、ユノもアレンも、完全に気は抜かない。
街の外である以上、不測の事態は往々してあるのだから。
そう。二人とも警戒していたはずだった。
「ユノッ!? 後ろッ!」
「……岩喰い……ッ!?」
アレンの鋭い声に、ユノが慌てて振り向いた。
そこには、地面の色と同化し、気配を殺しながら近づいてきたらしい、かなり小柄な岩喰いトカゲがいる。
その岩喰いトカゲの背中に走る一本の赤いラインだけが、風景と同化することなく主張していた。
とはいえ、その赤い線も細いものだ。位置や角度次第では、見落としかねない。
(距離が近い……ッ! 爆炎や暴風の術はまずい……ッ!
それに、中途半端な威力の術は、皮膚に弾かれる……!)
条件を満たし、自分を巻き込まないようにする術式を逡巡する。
アレンも剣を構えるが、それよりも岩喰いトカゲの動きの方が速い。
「始まりは忘郷の噴水。重ねずひ……」
愛杖を構え、花術を発動させる為の言葉を紡ぐ。
だが、その言葉の途中で、岩喰いトカゲは喉を大きく膨らませた。
(ダメッ、岩吐きの方が速い……ッ!)
「ユノッ!」
アレンが叫ぶ。
彼が伸ばしたその手は、まだユノに届く距離ではない。
そして、岩喰いトカゲは、口からそれを吐き出した。