021:定期点検の日に
騒動編 開始です。
天高く昇りて、その時を知らせる語り部。
誰がどこに居てもその姿を見せつけ、
誰がどこに居てもその姿を見下ろす、
その姿はまさに、天空と刻の支配者のごとく。
「なんですか、それは?」
「二年ほど前に発見され、最近、解読が終わった古い詩文だ。
これから向かう街のシンボル――それの本当の姿を詩っている」
なだらかな丘陵に囲まれた、のどかな草原地帯。
その丘陵の間を縫うようにして伸びる街道に、幌を引く丘鯨が数頭歩いていた。
「本当の姿……?」
「それが拝めるかどうか――というのが、今回の調査だ」
ずんぐりとしたシルエットの丘鯨が、体躯に似合わぬ小さめの足を引きずるようにのっしのっしと歩いていく。
速度は出ないが、その力は馬を軽く凌ぐので、大きい荷物や大量の荷物などを運ぶときは、丘鯨を使われることも多い。
また、馬車よりも安定感があり、幌が揺れないという点で、酔いやすい人たちにも好まれていた。
余談だが、丘鯨のつぶらな瞳とまん丸に見えるシルエットは、女性たちから可愛いと言われていて、ぬいぐるみなどが一部に人気だったりする。
その丘鯨が引く鯨車の幌の窓から、周囲の様子を伺いならら、短いハの字髭の男が感心したようにうなずく。
「それにしても、何度見ても見事なものだ」
彼が見ているのは草原――ではなく、その草原の先にある花畑だ。
「あの色とりどりの花の全てが、霊花であるか」
「かの街は世界一の霊花生産地ですからね」
同乗している女性がうなずいた。
その花畑は、これから向かう先にある街へと近づくにつれて増えて行く。
「これだけあるのだ。半分くらいは我が国に寄越してもいいだろうに」
「輸出先は我が国だけではなく、全国各地へですからね。
さすがにそれは無理というもの」
女性の言葉に、男は片方の眉をぴくんと跳ねかせた。
「だからこそである」
「は?」
「いっそ全ての霊花を我が国に輸出すればいい。
そうすれば、他国など恐るるに足らず」
「本気で言っておられますか?」
「霊花は加工され日用品に加工されるからな」
「だからこそです」
男の真似をするように、彼女は告げる。
「街路灯も台所のコンロも、風呂の湯を沸かすのも、霊花がなくては始まらない」
「だからこそだ」
それに対して、女性の口調を真似し返して、男は言った。
「全ての霊花を我が国が独占すればいい」
「戦争になりますよ?」
「霊花がなくては、花導武具や、花導兵器は作れまい?」
「そうならない為の、各国間における、この辺りの土地の中立不可侵条約です。
どこの国にも属さぬ霊花生産都市が各国へと平等に霊花を分配しているのですから」
「裏を返せばこの街の連中が我らの命を握っているわけだ。それが納得できぬ」
鼻息荒く彼はそう言い放つ。腕を組みながら、座席へと深く腰を沈めた。
それを見ながら――頭を抱えたいをぐっと堪え――、女性が告げる。
「団長の思想はわかりました。ですが、あくまでもそれは思想にすぎません。
我が国の威光が通用しない中立地帯ですので、立ち振る舞いには充分ご注意を」
「分かっている。誰に向かって言っているか」
お前だお前。本当に理解してるのか――と、言いたいのをぐっと答えて、女性は続ける。
「無用なトラブルは、それこそ我が国の威光を失墜させかねませんので」
「くどいッ」
くどいくらい言わないと理解しないだろ――と、叫びたいのをぐっ堪えて、女性はうなずき、謝罪した。
「申し訳ございません」
そんなやりとりをしているうちに、目的地である、かの街の入り口が見えてきた。
精霊に愛されし、都。
花の都。
花の溢るる街。
霊花の世界最大生産地。
花導職人の聖地。
花術師の修練場。
世界の縮図。
様々な呼び名があるその街の名は――カイム・アウルーラ。
♪
「んんー……っと。天気良いわねぇ……」
大きく伸びをしながら、ユノ・ルージュは空を見上げる。
彼女はこの街でも有名な花修理工房フルール・ユニックの二代目主人だ。そんな彼女がこの街のもっとも有名な場所へと向かっていた。
乱暴に千切られた跡のあるフード付きローブをはためかせ、周囲を見渡しながら、彼女は職人街のメインストリートを歩いていく。
「んー……街路灯なんかで調子悪そうなのはなさそうね」
その花術師用のローブは、作業の邪魔になるからとあちこちを無造作に千切ったり、束ねて繕ったりしてる為、もはや原型が分からないほどではある。
「調子悪そうな直しがいのありそうな花導器……居ないかしらね」
彼女の目に映る民家や商店の壁にも、街路灯にも、ありとあらゆる場所に様々な花が植えられ、蔦が巻き付き、咲き誇る。
人工物と一体化した花のほとんどが霊花だ。
その為そう簡単には枯れることがない。ゆえにこの街は一年中花が溢れているのだ。
「あれ? なんか随分とグラジ皇国の騎士が多いような……」
職人街を両断するように作られた大通りガーベラ・ストリート。その石畳の道を歩きながら、ユノは訝しむ。
「学術騎士と、戦学共修騎士……ね」
一人二人であれば、武器鍛冶や花鍛冶にでも用があるのだろうと思える。だが、どうにも個人の用事で来てるようには見えない。
「まぁ何でもいいけど。あたしの邪魔さえしなければ」
グラジ皇国より騎士の称号を与えられた学者――学術騎士。そんな学術騎士の中で、さらに戦技をも修めたのが戦学共修騎士だ。
いうなれば、グラジ皇国に属するエリート騎士とも言える存在。
どちらかだけが個人で来るならともかく、セットで――しかも多数目撃するとなると話は別である。
「何か花学技術に関連する事件の匂いがするわ……」
独りごちながら、好奇心がむくむくと大きくなっているのを感じる。
弱そうな学術騎士を叩きのめして口を割らせても良いかもしれない。
あるいは、最近グラジ皇国が独自開発しているという噂のエアリエラフターなる詳細不明の花導具について無理矢理聞き出してやりたい、とも思う。
「…………」
舌なめずりするような心地で、ローブの袖の下に隠れた右腕に触れる。
今日は愛用している杖を持ってきていない。代わりに、右腕の手袋に仕込まれた霊花を利用して花術を使うことは可能だ。
難易度が格段にあがり、威力が格段に下がるが、花や花術紋などの触媒なしに、花術を使うのもやってやれないことはない。
ユノが得意とするのは、花鍛冶や、花修理だけではない。
マナを用いて精霊と花に協力を呼び掛け、世界を一時的に塗り替える術、花術を得意とする――花術師でもある。
さらに言えば、先代の教えで簡単な剣術や体術を使えるし、身体も多少は鍛えていた。
研究専門のひ弱な学術騎士相手なら、苦労もせずに叩きのめせるだろうが――
「さすがにマズイか」
小さく息を吐いて、肩を竦める。
花学技術に対する好奇心と、理性を天秤に掛けた結果、理性が勝利した。
「我ながら呆れるくらいの花学馬鹿よね」
そう呟きながら、気持ちを改める。
とりあえず、街の中心にあるリリサレナ広場へと行かなければならない。
「仕事優先、仕事優先っと」
自分に言い聞かせるように呟いて、ユノは足早に広場へ向かうのだった。
街の中心にあるリリサレナ広場。その広場の中心にある風乱多花の大時計。
本日のユノの目的は、その大花時計の定期メンテナンスだ。
「うーん……何度見ても素敵な子よねぇ……」
しみじみと呟きながら、その大花時計を撫でる。
この街のシンボル――それは巨大な懐中時計と呼ぶのがしっくりくるような形状のオブジェだった。
その姿は様々な植物が絡まりあって、懐中時計の形を作り出しているように見える。
街が出来た頃からあるというこの大花時計だが、この時計が過ごしてきた時間から考えれば、再稼働し始めたのは最近だ。
フルール・ユニック工房の先代工房長フリッケライ・プロテアが、この街に工房を開く以前に立ち寄った際、長い時間を掛けて修理したと言われている。
それから、まだ十年ほどしか経っていないらしい。
この大花時計、どういう仕掛けか、夜になると数字部分にあしらわれた大輪の花が輝く。その為、夜になるとそれを見に来る人も多い。
「現存し、今なお稼働している先史花導器……とんでもない話よね」
先代がこの街へと戻ってきて、工房を開いて以降のメンテナンスも先代がしていたが、先代没後は仕事を引き継いだユノがメンテナンスをしている。
だが、これが本当にただの時計なのか、時計以上の機能を有しているかどうかは、分からない。
「解き明かしたくはあるけど、ね」
この大花時計の保守点検にくる度に、そう思う。
それは先代から引き継ぎ、自分も追いかけている夢の一つでもあるのだ。
現在の花学力では到底作り出すことの出来ない存在――そんな先史花導器本来の機能の解明。何とも甘美な響きである。
「ま、それはそれとして」
風乱多花の大時計を構成する不枯の精花をまず確認。
「さてと」
生花なれど、その名の通り枯れることのない古代技術の結晶、不枯の精花。
とはいえ、傷ついたり何なりすれば、それが原因で弱ってしまうこともある。その場合は補強が必要だ。
しかもこの大花時計を構成する不枯の精花は一種ではなく多種多様が絡みあっている。
ユノはそれを一つ一つ、様子を確認していく。
「まだまだ大丈夫みたいね。さすがだわ」
続けて、霊花だ。
「うーん……」
霊花は、現代の技術によって再現された不枯の精花だ。
とはいえ、本物に比べるとだいぶ性能は劣る。それでも、霊花は一般的な常花に比べれば圧倒的に寿命は長く、多くの精霊を宿しやすい。
本物との一番の違いは、不枯れとはいかないことだろう。
「こっちも弱ってるのはなさそうね」
霊花も問題ない。
「最後に……っと」
そして、常花。
枯れてしまった蔦などが不枯の精花や霊花に絡みついてたりすれば取り除く。もちろん、悪さをする虫や病気に犯されているものがあれば、それも排除。
不枯の精花や霊花は、病気や虫にも強いのだが、こうして常花と一緒に並んでいると感染の危険性がある。そうなれば、貴重な不枯の精花や霊花までダメになってしまうのだ。
「こんなもんかしらね」
精霊が花に宿り、宿代としてマナを置いていく。
そのマナを用いて、この時計は動いている。
故に次に調べるのは、マナ系統。
「今も動いてるし、夜の開花の不具合も聞かないから、問題はないと思うけど」
夜になると文字盤代わりの不枯の精花の蕾が輝きながら花開く。その幻想的な光景は、住民だけでなく観光客をも魅了する。
遠い街からこれを見にくるカップルもいるそうで、有名なデートスポットでもあるらしいのだが、その辺り、ユノはまったく興味がない。
「ま、興味はないけど――それが街の収入源になってるんだったら、良いとは思うけわ」
独りごちながら、ユノは大花時計の裏側に回る。
それから背面右側の地面付近にある鍵の掛かった小さな戸を、専用の鍵を使って開いた。
タンポポがあしらわれたペンライトを口にくわえて、その小さな戸から匍匐前進するように頭を突っ込む。
こういう時、髪が長いと邪魔なので、彼女は髪が伸びてくる度に、自分の手で適当にショートカットくらいの長さまで切っていた。
周囲のからは、綺麗な髪なのに勿体ないと言われている。だが、髪が邪魔で花導品に触りづらいということの方が、ユノにとっては勿体無いことなのだ。
最近は、せめて綺麗に整えさせて――と、ユズリハが切ってくれている。
「この狭い中、師匠のガタイで良く入れたわよね」
頭を突っ込みながら、毎度そんな事を思う。
そうして中へと進んでいき、上半身が隠れるくらいまで進んで内部のチェックする。
エラーや故障などが発生したいないのを確認した。
「こっちも問題なし。異常がないのは良いコトね」
街のシンボルにもなってるし、観光名所でもあるのだ。
それに何より、自分が本来の機能を解明するまで壊れてしまっては困る。もちろん解明した後で壊れても困る。
ともあれ、念のためのパーツ交換も必要ないくらいには元気な先史花導器だ。
「あれ?」
ふと、部品と部品の隙間に、一枚の紙切れが挟まっているのに気づく。そこに物が挟まっていても、稼働には問題はない場所ではあるのだが――
「だいぶ前からあったぽい?」
作業するにしても死角になりやすい場所だ。今の今まで気付かなかった。その辺り、まだまだ未熟だと痛感する。
それはともかく――ユノはそれを手に取り、ライトで照らすと師匠の文字で何か書かれている。
「手入れメモか何かかしら?」
ここでは暗いし狭いしで読み辛い。
とりあえず、それを上着のポケットへねじ込むと、もぞもぞと後退を始める。
「おい」
そうして、ユノはもぞもぞと内部から後退している途中、男に声を掛けられた。
「貴様、何をしている?」
その問いかけに訝しみながら、這い出す。
おかしな質問をしてくる男である。
カイム・アウルーラでは、表街でも、裏街でも、フルール・ユニックの二代目は有名だ。
ましてや、この時計をメンテナンス出来るのは、先代と二代目のフルール・ユニック工房店主のみ。
それに、例えそれが商人や旅人などの部外者であろうと、こうやって工具箱片手に、花導器に頭を突っ込んでいる人間など、花修理屋以外の何に見えるのだろうか。
「何って……見ての通りだけど?」
身体を大時計から引き抜いた後、ユノは男の方になど視線も向けずに答える。
確かに、家着や普段着にしている黒を基調とした長袖のシャツに、ホットパンツだけのスタイルでは分かりづらいかっただろう。
だが、今はその上には花術師や花導工学研究者が好むローブを――改造してあるものとはいえ――作業着の代わりに羽織っている。
さらに花術紋が刻まれた丈夫なニーソックスに、同じく花術紋が刻まれた穴あきのロング手袋まで身につけているのだ。
これだけの花導系職人ないし花術師要素満載の格好をした人間が、大花時計に頭を突っ込んでいるのである。
それで分からないようなバカであるのなら、仕事中だろうと仕事外だろうと、相手になんてしたくはない。
「見て分からないから聞いている」
――だが、どうやら、この男はそのバカだったらしい。
「魚屋とか八百屋に見えるなら、医者行った方がいいわよ? 腕の悪いぼったくり闇医者紹介してあげるから」
投げやりにそう答えながら、工具を箱へと戻す。
それからメンテナンス用のドアを閉じて、鍵を掛けた。
「貴様のような小娘が先史花導器に何をしているのかと自分は聞いているのだがな」
どこか、苛立った様子の男の声。
「あたしのコトを知らないなら知ったこっちゃないわ。こっちは仕事中なの。邪魔しないで」
今度は左側にある小さな戸を、先の鍵とは違う鍵を開けて、工具の準備をする。
「この俺が質問をしているのだぞッ!」
「どこの誰よ? 知ったこっちゃないわ。
それに、このあたしが、この時計をメンテナンスをしてるの。邪魔しないでよ」
「それこそどこの誰だ」
かなり不機嫌な声を漏らす男。
そこで、ようやくユノは男の方へと視線を向けた。
そこにいたのは一見すると四十代に見える、短いハの字髭をしたグラジ皇国の騎士服を着ている男だった。
ダークブラウンの野暮ったい髪に、ギラギラとした何かを湛えたダークブルーの瞳。
あえて老けてみえるような髪型や格好などをしているだけで、実際はかなり若そうだ。二十代半ばくらいの可能性がある。
「本当に誰よアンタ?」
「貴様ッ、グラジ皇国戦学共修騎士団団長ダンダルシア・ダラン・ダンゼルを知らぬというのか?」
「知らない。興味ない。仕事の邪魔。どっか行って」
冷淡かつ口早に告げ、ユノは先ほどと同じように、小さな戸から中へと入っていく。
「待たぬか」
だが、男はユノの足首を掴むと引っ張った。
ずるりと引っ張り出されたユノは、しばらくそのままの姿勢で動きを止めた。
それから、状況を理解したあと、身体を動かさず不機嫌にうめく。
「なによ?」
「貴様は何者なのかと、俺は問うた」
「答えてあげる義務もなければ義理もないわ。こっちは邪魔しないでって言ってるの。この子のメンテナンスをしてるって言ってるでしょ?」
「なぜ、貴様のような小娘がメンテナンスをしてるかも問うた」
「答えてあげる義務もなければ義理もないって、こっちもさっきから答えてるわ。あたしは意味もなく仕事を邪魔されるのが大嫌いなの」
苛立ちを一切隠さずに、ユノは吐き出す。
このままでは埒があかないだろうし、仕事も先に進めそうにない。
なので、ユノは少し大声を出すことにした。
「だれかー。このおっちゃんが私の仕事の邪魔するんだけどー」
声は大きいが、棒読みの口調。
それでも、声の主がユノであり、その仕事の邪魔をするとなれば、反応を示す人は必ずいる。
「よう、ユノ姫。どうした?」
そうして声を掛けてきたのは、黒いスーツに身を包んだ三十代後半くらいの男性だった。
変な奴に絡まれたら声をあげる。ある意味、正しい反応のユノと、助けに来てくれる親切な人。
騎士とのトラブルは、親切な人を交えつつ、まだ続きそうです。
2/14 ちょっと文章を変更しました。
一年半年ほど前に見つかった古い詩文だ。
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二年ほど前に発見され、最近、解読が終わった古い詩文だ。