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何か厄介な事になってました

「今日はとても楽しかった。馬車の中で言ったことは全て私の本当の気持ちだから、変な風に誤解しないように。それじゃあ、おやすみ、愛しい人」


 すらすらと伊達男にしか言えない(と言うか似合わない)であろう激甘過ぎて砂糖を吐くようなセリフを並べたジェレミアは、ごく自然な動きでわたしの手をとると、甲に口づけを落とした。

 かがんだ拍子に向けられた青い目は強い光を宿してわたしを射ぬき、その場に釘付けにした。

 やがて手を離すと、彼は「じゃあ明日」と告げて格好良く立ち去って行った。


 一方の私はと言えば、一言も返せずその場に棒立ちになり、手をとられたまま固まっていた。


 何だったんだ、今の。一瞬で暴風雨を受けたあとで茫然となっている人の心境になりながら、わたしはしばらく彼の立ち去った方向を見ていた。

 少しして我に返ると、こんな誰も見てないような場所で恋人を演じなくてもいいのに、と憤慨した。


「ああ! もうわかんない、あの人訳わかんないっ!」


 地団太を踏みたい気がしたが、そんなことをしても無意味だ。せいぜい、足を痛めて苛々が増すだけの結果に終わるだろう。

 とにかく、今はジェレミアの行動の謎について考察するよりも、ドロテアだ。

 意識を切り替えたわたしは、急いで部屋へと戻った。



  ◆



 戻ってきたわたしを見たドロテアは、本当に具合が悪かったのか?と問い返したくなる勢いで飛び起きて、困った顔で言った。


「ああ! 待っていたのよロレーヌ、もうわたしどうしたらいいのかわからなくて、でも、お母様にはご相談出来そうもないの……だから、あなたに聞いて欲しくて」

「もちろんよ、なるべく急いで戻ってきたつもりだったのだけど、少し時間がかかってごめんなさい。それで、わたしに聞いて欲しい話って?」


 ベッドサイドに椅子を引っ張って持っていき、腰を下ろすと、ドロテアは身を乗り出してわたしの手を握りこんできた。良く見れば、体が小刻みに震えている。


「うん、あのね……ほら、貴女が渡してくれた手紙があったでしょう」

「ええ、カルデラーラ卿の手紙ね」


 アウレリオの名を口にすると、ドロテアの手がぎゅっとわたしの手を握りこむ。

 ……痛い。痛いよ、どこにそんな力があったんだってくらい痛いっ。しかし、離してくれとも言えずに、痛みに耐えながらわたしは彼女の返答を待つ。


「あれね、呼び出しの手紙だったの」

「じゃあ、行ったの?」


 ドロテアはこくんとうなずいて、目を反らした。ろうそくの明かりだからわかりにくいが、頬が上気している。心なしか目もうるんで、今にも泣き出しそうだ。

 何があったんだろう。

 どんどん斬り込みたい気持ちを抑えて、わたしは待った。


「今日の午前中はずっと一緒にいたの。庭園を散策したり、お茶したり、楽しかったし嬉しかったけど、帰って来てから、他のご令嬢方と一緒に過ごしていた時、聞いたのよ。

 彼は放蕩者で、色々な女性に甘い言葉をささやいては浮名を流しているって……だから、真に受けてはだめなのだと言われたわ。それから、彼女たちは貴女の悪口大会を始めたけれど、わたし、もうそのことで頭がいっぱいで……」

「そ、そうだったの」


 つい顔が引きつった。いや、陰で何か言われてるだろうことは察してたけど、何の脈絡もなく報告を受けるとそれはそれできつい。内容も大体予想がつくが、気になることは気になる。

 だが、今はわたしのことは置いておかなければ、と自分に言い聞かせた。

 そんなわたしにはお構いなく、ドロテアは堰を切ったように話し始める。


「ねえ、どうしたらいいの。彼のこと信じてもいいのかしら、こんなことお母様には絶対に相談できない。だって反対するに決まってるもの……だけど、もし彼女たちの言っていることが本当なら、わたしは騙されているだけ? いいように遊ばれているだけなのかしら。それとも、そろそろ妻が欲しいから適当な令嬢で手を打とうとしているのかしら、もうわたし何もかも信じられなくなってしまって……貴女があの手紙を預かってきたのだから、何か知っているかと思ったの、ねえ? 彼は本当はそんな人じゃないわよね?」


 これは厄介なことになった、とわたしは思った。

 何しろ、アウレリオについてはほとんど何も知らないのだ。ただ、ジェレミアの知り合いらしいというだけだ。そのジェレミアも、彼には近づくな、放蕩者だからと言っていた。

 それを信じれば、やめた方がいいと言うしかないが、わたしはアウレリオが放蕩している場面を見た訳ではないのだ。だから断言はできない。


 それに、フィオレンザおばとの約束をどうすれば良いのだろう。

 この会話をそのまま告げれば告げ口みたいになってしまうし、さりとて、何も言わない訳にもいかない。限られた選択肢のなかで、わたしがとれる行動は何だろうか――そこまで考えて、ふと浮かんだ疑問を口にする。


「ごめんなさい、わたしにもわからないの。だから、ちょっと待って、調べてみる。だけど、その前に聞いておきたい事があるんだけれど」

「え?」

「貴女、ジェレミア様のことをお慕いしていたのではなかった?」


 すると、ドロテアはきょとんとした表情をしてから、逆に問い返して来た。


「なぜそんなことを思ったの?」

「だって、絶対にジェレミア様とお近づきになりたいって言ってたから、てっきり貴女は彼が好きなのかと思っていたのよ」


 やや茫然としてわたしが言うと、ドロテアはようやくそれまでの湿っぽい表情から一転、笑顔になって説明をはじめた。


「それはまあ、現在結婚相手として考えられる中では最高の方ですもの。もしそういう風に見て貰えなくても、友人になれれば人脈もある方だし、誰か紹介して頂けるんじゃないかしらと思っただけよ。その時はまだ特定の誰かを狙っていた訳ではないし、候補の筆頭だったというだけよ……やだ、もしかして気にしてたの、だったらごめんなさい。

 好ましい方だとは思うけれど、わたしにそれ以上の感情はないから、気にしないで。

 あなたたちのうわさは凄いことになってるわよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい、彼狙いの令嬢はすごく多いから、嫉妬の嵐よ。でも気にしないで、貴女はちゃんと彼に相応しいから」

「あ、ありがとう」


 話を聞くつもりが聞かれた上になぐさめられたわたしは、情けなさを噛みしめながらお礼を言った。

 あれ、おかしいな、目からしょっぱい汁が出てきた。目から塩分を出す予定はなかったんだけどな。

 もうこれ以上けなされたら寝込むよ。しばらく天蓋付きのベッドに引きこもるよ。


 などと卑屈になりつつ、わたしは考えた。



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