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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第四章 立ち寄った地で

94/141

92-尻尾と干物

一部書店様で用務員さんの三巻が発売されているようです。

よろしければお手にとっていただければ幸いです<(_ _)>
 
「――嫌よ」

 冷淡な拒絶と、黒い襲撃は同時だった。
 『嫌な客』として意識した言葉ではなかったにも関わらず、たった一言で逆鱗に触れるあたり蔵人の日常的な不用意さがうかがい知れるというものである。

 蔵人としては慣れない高級店での作法や女性の上手な扱い方など知らず、間を埋めるための言葉であった。
 触ってもいいかと言いながらも腕を伸ばしてしまったのは雪白を撫でるような、習慣的な行動であったに過ぎない。それは相手を獣として見ているというのではなく、人種には持ち得ない尻尾への配慮が足りなかったというやはりいつもの不用意さが原因である。

 では尻尾なら仕方ないか。
 さすがに耳はまずいとギリギリで変更していたが、尻尾とて赤の他人に耳を触らせてくれと言っているのと同義であり、変質者扱いされることなど考えなくても分かるはずで、やはり不用意である。


 蔵人に襲いかかった黒い影、黒天千尾狐の黒陽(ヘイヤン)の飛びかかる姿は、まるで黒い三日月のようであった。
 蔵人は雪白クラスの激突を覚悟し、瞬時に命精魔法の物理障壁に魔力を集中する。雪白が少し力を込めれば自律魔法の物理障壁など一撃で粉砕し、そのまま皮膚寸前に展開した物理障壁をも貫通しかける。
 よもや客相手に必殺の一撃など放つまいが、それに近しい一撃を想定してのことであった。

 黒天千尾狐(ヘィテンチィフゥ)はこの東南大陸に生息する固有種で、強力な高位魔獣である。尾の数は年月を重ねるほどに増え、過去には数え切れぬほどの尾を持つ黒天千尾狐が竜と争う姿が目撃されたことから、その名がつけられたという。黒炎と幻を操ることでも有名であった。

 しかし、蔵人の心配は杞憂に終わる。
 砂袋に大鎚を叩きつけたような物騒な音が轟き、その衝撃が蔵人の髪を揺らした。
 蔵人の前にあったのは、頼もしき白い背中であった。

 黒陽と雪白は激突したままで額を突き合わせ、至近距離で睨み合う。
 二度目の対面であるにも関わらず、不倶戴天の敵同士であるかのように、黒陽の赤銅色の瞳と雪白の灰金色の瞳は譲らない。逸らしたほうが負けだと暗黙のうちに決まっていた。


 その頃蔵人は雪白のすぐ後ろで黒陽に激突さなかったことに安堵していたのだが、どうにも腕が動かなかった。
 険しい目で蔵人を睨む宵児(シァォニ)も少しばかり戸惑いが見える。

 蔵人の伸ばしかけた腕に、雪白の尻尾ががっしりと巻きついていた。

 雪白は黒陽を抑える一方で、宵児の尻尾に伸ばされかけた蔵人の腕を止めていたのだ。
 嫉妬ではない。
 雪白は宵児、そして黒陽から発せられた強烈な拒絶の心情を一瞬で感じ取り、周りにいる美児や大星のあっ、それはだめだ、という表情を読んだからである。
 そう、嫉妬ではない。
 決して、嫉妬などではない。黒い狐どもに嫉妬などしてたまるものか。
 あんな黒いだけで不格好な尻尾など、みっともないだけではないか。
 ちょっとツヤツヤで、ふさふさなくらい、なんだというのだ。

 ――めきょり

 蔵人の肘と手首が、使い古されていちいち音を立てる椅子のような悲鳴を上げる。
 短く呻いた蔵人は額に脂汗を浮かべながらも、雪白の無言の圧力によって背筋の汗が瞬時に冷え切った。
 折れてこそいないが、絶妙に靭帯あたりが逝っていた。
 あの弟子アズロナにして、この(雪白)ありといったところか。尻尾各部の絶妙な力加減で手首と肘を極めている見事な関節技であった。

 嫌な客である蔵人は、雪白に対して安易に謝罪などして宵児に良い人などと思われてはならず、表情は崩せなかった。
 どうすれば反省や謝罪が雪白に伝わるのか。
 蔵人が内心で焦りまくりながら雪白を窺うも、雪白はそれをさっくりと無視し、ポイっと蔵人の腕を解放する。
 そして目の前の高慢ちきな黒狐をどうしてくれようかと考え始めた。
 黒陽もまたそれを考えているようで、剣呑な雰囲気の中を奇妙な沈黙が流れる。

 雪白と黒陽には暗黙のルールがあった。
 相手を傷つけ、血を流してはいけない。
 黒陽は美児と宵児にキツク言い含められており、雪白にしても今回の依頼はそれが肝である。
 ではどうするか。
 雪白と黒陽は睨み合い、想像されうる幾通りもの殺し合いを視線で交わすが、どれも血が流れてしまう。殺し合いなのだから当然であるが。
 かといって先に退くのも気に入らない。
 先に逸らした方が負けである。
 そうしてしばらく無言で牽制し合った両者が、動いた。

 ――巨大な布袋などに砂を(ブラック)詰めて振り回す鈍器(ジャック)をぶつけ合うような重低音が響き渡った。

 ぶつかり合う、黒と白の尻尾。
 雪白の長い尻尾がその速度をもって黒陽の横面をひっぱたこうとするも、黒陽は二本のふさふさした巨大な尾を軽妙に使って阻止し、返す刀で雪白の横面を狙う。
 瞬時に尻尾の中ほどを用いてそれを阻止し、さらに先端でもう一本の尾をも防ぐ雪白。
 速度と柔軟性に秀でる雪白と手数ならぬ尾数に秀でる黒陽。
 額を突き合わせたまま、お互いに一歩も引かない。
 黒陽が吠える。

――くぇええんっ(訳:邪魔しないでいただける? この無礼な猿に礼儀というものを教えなければなりません。それとも、どこの馬の骨とも知れぬ田舎娘は礼儀も弁えぬと?)

――ぐるるぅうっ(訳:駄狐め。相棒を諭し導こうともせずに、よそのオスに礼儀を教えようとは笑わせる。どこかの馬鹿女と同じで気位ばかり高く、狭量でヒステリック。まったくもって救いがない)

――くぉおんっ(訳:無礼な猿の躾も出来ずに諭し導くなどよく言えたものです。かわりに妾が躾けて差し上げようというのです。感謝致しなさいな)

――ぐぉおんっ(訳:相棒はあとで躾ける。今は、そこのメスの問題。……ああ、そうか。そのメスは手が施しようがないほどに愚かで、オマエにはそれを導く力がない。そしてそれに気づいていない、と。……哀れな)

 物騒な尻尾が乱舞し、人種には分からぬ意思が飛び交う。
 まさに雌雄を決するという勢いであった。


 その後ろでは、丸机ごとずらして避難した蔵人が拒絶感を漂わせた宵児を観察していた。
 尻尾や耳がどれほど無礼なことかは分からないが、宵児と黒陽の反応は頑なで、強烈である。躾は蔵人の仕事の範疇にはないとはいえ、これは難物であった。

 雪白と黒陽のお互いを傷つけない攻防戦を見て、何かを察した宵児が口を開いた。
「……あなたが、姐々(ジェジェ)がいつか言っていた協力者ですか?」
 姐々とは美児のことで、芸女の世界では先輩芸女のことをそう呼んだ。
「何を訳の分からないことを。鹿女と元流民がどうしてもっていうから来てやっただけだ」
 蔵人は薄く笑った。
 嘘ではない。ゆえに、蔵人の言葉には真実味があった。
 大星や美児と相談した結果、こう言えば宵児が勝手に推測して結論を出すといわれていたが、その言葉どおりに宵児は何かを察した。

「――っ。……お前がっ、外国人風情がっ」
 宵児の目つきが一層鋭くなるも、蔵人はさらに煽る。
「侠帯芸女とやらは種族や国籍で客を選ぶほど偉いのか。これならその辺りの芸女、いや娼女のほうが楽しめる。なあ、あんたが相手してくれよ」
 蔵人は近くに控えている美児(メイニ)に視線を振った。
 まるで美児を芸女か娼女であるかのように。
 宵児の気配がさらに剣呑なものを帯びる。
宵児(シァォニ)、お客人の前ですよ。弁えなさい。――お客人、大変失礼致しました。勘弁しておくんなさい」
 美児(メイニ)が嗜めて蔵人に謝ると、宵児は唇をきつく結んで、堪えた。

 蔵人はいつものようにじろじろと宵児を観察する。
 なぜこの女はここまで頑ななのか、どんな背景なのか。今更ながらに興味が湧いていた。
 マルノヴァにいたエルフのレティーシャに指摘された不快な目つきに、宵児はさらなる不快感を募らせていたが、蔵人が気づくはずもない。
 蔵人と宵児の間に、奇妙な静けさが流れた。


 黒陽と雪白。蔵人と宵児のやり取りを見ていた大星だったが、背筋には冷汗が流れていた。
 蔵人はうまくやってくれている。
 大星はそう思う一方で、早まったか、とも思い始めていた。

 まず黒陽と雪白の相性が最悪である。
 柔らかな尻尾を使って穏便に戦っているように見えるが、両者は下手な竜など裸足で逃げ出すほどの殺気を叩きつけ合っている。
 本気で戦いだしたら手がつけられないどころか、半竜皇子か師父級の武芸者にしか止められない。自分が止める、そう考えただけで手に汗が滲んだ。

 そして蔵人と宵児。
 絶妙といっていいほどに噛み合っている。
 相性が悪いという方向で。
 真面目過ぎるほどに侠帯芸女であろうとする宵児と、真面目すぎるほどに嫌な客として振る舞い、さらには天然で不用意な蔵人。 
 生理的な相性の悪さもあるのだろうがそれよりも、二人は似ている。
 そして似ているからこそ、侠帯芸女と嫌な客という立場が寸分の狂いもなく衝突しているのだ。
 客あしらいを覚えさせ、躾をするためにはこれでいいのだが、見ているだけで胃に穴が空きそうになる。
 大星はそれなりに人間関係をうまくこなす。ゆえに、そういうストレスには不慣れであった。


 そんな風に大星が中間管理職のようなストレスに胃を痛めていた頃、アズロナは巻き込まれないように避難していた。
 美児の膝の上に。
 相変わらずの人懐っこさである。
 成長してそれなりに大きいが美児も嫌がらずに鬣を指で梳いたり、その蒼鱗をつるつると撫でたりしていた。
 それが余計に、宵児の苛立ちを募らせていた。
 気に入らない人種の獣をなぜ姐々が面倒を見なければならないのかと。

 蔵人はこの日、宵児に対し、酌を要求し、その指を撫で、腰に手を回した。
 それが嫌な客としてボーダーラインらしい。
 お尻や尻尾を触るのはご法度である。
 役得か。
 そう言われても蔵人は否定するだろう。
 嫌われている女に酌を求め、指を撫で、腰に手を回したところで楽しくもなんともない、と。
 表情こそどうにか取り繕っているが、強烈な拒絶感を常に纏っているのだからそれも当然である。
 蔵人に強姦の趣味などないのだから。



「――なんであの宵児とかいう女はあんな風になった?」
 蔵人は気になっていたことを聞いてみる。
 どうにか初仕事を終えた蔵人は店を出たあと、大星と近くの夜店で一杯ひっかけていた。美児は宵児の教育でここにはいない。
 なぜか胃のあたりを押さえている大星は小声で答える。
「……隠すようなことでもないが、言い触らさないでくれよ?」

 宵児は大陸西部の下級役人の一人娘であったという。
 その父親がつまらぬ横領で処刑され、母は後は追うように病死した。父親が本当に横領したのかどうか、宵児に調べる力などなく、罪人の娘として扱われた。
 横領した役人の娘である宵児に頼れる者もなく、半ば売られるようにしてここまで流れてきたらしい。
 二弓二胡が得意であったのは下級役人の娘としての嗜みであるが、それを磨いたのは流れてからのことである。
 プライドの高さはその出自ゆえ、他者への拒絶は父親の処刑、親族の手の平返し、世間の冷たさ、流れる間に降りかかった不幸のせいらしい。

「じゃあ、あの黒狐は」
「どこの茶館も宵児に手を焼いてな、娼女に落とされそうになった時に美児が保護したんだが、その頃にはもう一緒だったようだ。ただまだ小さくて、宵児が隠していたのに気づいた美児が一緒に保護したんだ」
「……そうか」
 しんみりとした風が流れていった。
 ちびりちびりと呑んでいると、周囲が騒がしくなってきた。
 夜店の多くが店じまいして開いている店は多くない。そこに大星がいるとなると、まるで誘蛾灯のように酔っ払いどもがやってくる。

 別段それが嫌なわけでもない。
 蔵人のことは早くも周知されたせいか、あまり絡まない。かといって排除するわけでもない。
 変わった奴がいる。
 酒好きな獣と人懐っこい飛竜の仔がいる。
 そんな理解が進んでいるようであった。



 翌日の昼ごろ、蔵人は探索者ギルドにいた。
 いつものように蔵人が荷物検査の先にある洞窟を潜ろうとすると、探索者たちが飛びだしてきた。
 道を開け、そのパーティとすれ違う。
 一目で死んでいると分かる男と瀕死の重傷を負った男が仲間に背負われていた。
 背中を見送る蔵人。
 この遺跡に来て初めて見た探索者パーティが崩壊寸前だとは。
 蔵人は気を引き締め、洞窟に足を踏み入れた。


 最短距離を抜けて三層に辿りついた蔵人。
 今回は四層まで足を運ぶつもりであったが、とある通路で足を止めた。正確に言えば、止めざるを得なかった。

 自律魔法の障壁にべたりと張り付く蛸のような魔獣。
 洞窟の壁に擬態していた魔獣で、脅威度はそれほど高くない。現に障壁すら破れず、カチカチと噛みつく音と切れかけの電灯が瞬くような音をさせていた。
 物理・魔法障壁の両方にダメージが入っている。
 蔵人がぶん殴って吹き飛ばすも、川に肉を入れたピラニアのように、周囲の洞窟から十を超える魔獣が殺到した。

 痺岩蛸(ピンシャオ)
 洞窟の岩肌に擬態する魔獣で、成人男性の拳一つ分ほどの頭部と広げるとその手の平を開いたほどの足を持つ陸生の蛸である。主な攻撃手段は噛みつきと痺れるような攻撃、つまり雷撃である。

 微量な雷撃程度では自律魔法の障壁は破れないが、この数ではさすがにそれも怪しくなってくる。
 蔵人は実践訓練がてら冷球を使おうとするが、連続する舌打ちのような雷撃音と薄暗闇に明滅する発光現象に殺気だった雪白が、物理障壁に張り付いた痺岩蛸を尻尾や爪で薙ぎ払った。

 運よく薙ぎ払われただけで済んだ痺岩蛸は一瞬だけ噴出した雪白の刺々しい殺気に慌てて逃げ出し、岩に擬態するものまでいる始末。
 一方の雪白はその一掃で気が晴れたのが、爪で真っ二つにした痺岩蛸に食らいつく。
 もぎゅっもぎゅっとゴムのような肉質を噛み切る雪白。
 へろへろと拙い飛び方で地面に降り立って痺岩蛸に噛みつき、その身をんぎゅーとひっぱり噛み切ろうとするアズロナ。

 雪白はしばらく噛んでいたが、ペッと吐きだした。
 蔵人はちらとその吐き出した残骸を見て、納得する。表皮部分が食べづらいらしく、身自体も多くない。
 その皮を原料に水袋などが作られるらしいのだが、丸ごと食べるには相応しくないようである。
「残りは俺がやる」
 そう言いながらも、蔵人ははたと考える。
 冷球や土の杭では皮が駄目になってしまう。
 大爪のハンマーなどは効かないだろうし、変形させた大爪の斧で攻撃すれば皮に大きな傷が残ってしまう。ブーメランを投げずに用いても同じこと。
 となると魔銃しかないが……。

 雪白がいまだ痺岩蛸の身を格闘するアズロナをひょいと尻尾で確保して後ろに退くと、敵は蔵人だけだとばかりに痺岩蛸が襲いかかった。頭はあまりよくないらしい。
 洞窟の壁から壁を飛び交う痺岩蛸。
 自然界に生息しているならば蝙蝠くらいならば容易に捕食し、雷撃を用いて集団で攻撃するなら鹿くらいも捕食されそうである。

 おそらく、魔銃だけではあてられない。目の前で飛び交う痺岩蛸に当てられる自信は無かった。
 蔵人は自律魔法の障壁を維持しながらも、一匹の痺岩蛸に狙いをつける。

「――氷の箱」
 蔵人は飛んだ瞬間の痺岩蛸を氷精魔法で捉えてから氷の箱に封じ、手に取った。
 がたがたと動く氷の箱にわずかばかり穴をあけてやり、にゅるりと痺岩蛸が出てきたところで、撃った。これならば外しようもない。
 至近距離の鉄製弾丸である、これで死んでいなければナイフでも刺すしかなかった。

 氷の箱を解除すると、死んではいるが弾丸は貫通せずに体内で止まっていた。
「……皮とゴム質と肉か」
 おおよそ三層からなっているらしく、それが弾丸を止めたようだ。雪白が吐き出したのもこの三層からなる肉が鬱陶しかったに違いない。

「……威力が欲しいな」
 三層程度に生息する魔獣を貫通しない攻撃に、自身の攻撃力のなさを思い至る。まだまだ足りないが防御は揃いつつある。しかし攻撃力、いや決定打のなさは致命的であった。
 蔵人の最大威力の攻撃は接近しての『全力の一撃』、『毒』、魔法による飽和攻撃である。
 だが、それでは足りない。
 不意に忌々しい記憶が蘇る。
 そう、リュージの防御を破れなかった。
 試してこそいないが、あれはジーバの飛槍雷蛇の一撃すら耐えてみせた。雷撃を放ちながら回転する骨蛇の攻撃など蔵人では一撃で腹に穴があく。

 それを超えるとなると。
 まず思い浮かぶのは自律魔法だが、ジーバにもらった『捩じる』や『網』は搦め手であり、そもそも決定打にはならない。『依頼変更』も確かに効果としては強力だが、条件がシビア過ぎてジーバほどの頭脳も力もない蔵人では自分にかけるくらいが関の山で、もちろんそんなことをしたところで決定打にはなりえない。
 となると魔銃である。
 魔銃をどうにかして……。

 蔵人はそんなことを考えながらも一匹ずつ痺岩蛸を倒し、丸ごと袋に拾い入れると、予定を変更すべく洞窟を引き返した。



 蔵人は冷球を開発した三層の端にある小部屋にいた。残念ながら今回は罠魔はいない。
 さて、と蔵人は腰の三連式魔銃を抜く。
 魔銃の威力は拳銃程度、といっても拳銃など持ったことはないのでなんとなくで放っていた。
 風を炸裂させて、拳銃ほどの威力が出たことで満足していた。
 だがよく考えれば、拳銃の威力にこだわる必要はない。火薬を使っていないのだから威力の向上も可能なはずである。

 そんなわけで蔵人は魔銃の威力がどこまで上がるのか手さぐりで調べ始めた。
 伝達する意思で調整するのはあまりにも煩雑過ぎるので、魔力任せでいくことにする。念のために全身に身体強化を施すのを忘れてはいない。
 まずは通常の威力。
 ばすんと僅かに洞窟を傷つけ、石の弾丸は砕けた。

 そこから風精に渡す魔力を僅かずつ増やしていくも、魔銃自体はまったくもって問題ない。
 バスン、バズンと洞窟の壁を削る。
 威力を上げるごとに、削れる分量も増えていく。
 蔵人は臆病である。一度に威力を上げて魔銃が壊れたら大変だと思い、少しずつ威力を上げた。

 だが、壊れない。
 もう百回くらいは放っていた。
 雪白はすでに飽きて、アズロナを連れてどこかへいった。船の上でやったようにアズロナを鍛えるつもりであるかもしれない。
 蔵人もそろそろ飽きてきた。
 頭が重い。疲労のほどは大したことはないのだが、徹夜明けのような、脳が摩耗するような感覚があった。

(ちょっとくらい、大幅に威力を上げてもいいよな)

 『ちょっと』と『大幅』が混在する矛盾した意思を平然と実行する蔵人。
 長い船旅からすぐに半日探索し、そこから十分な休養もとらずに三日間の探索行と嫌な客としての仕事、そして再びの探索行である。
 リュージとの暗闘によるストレスと負傷。
 船旅による長い船酔い。
 ギルド職員であるカミッラの糾弾とハンターには不向きという事実。
 それらの積み重なりと十分に休養を取らなかったせいもあり、蔵人自身が気づかない部分、神経的な疲労が限界にきていた。
 実のところ、さきほどの痺岩蛸との戦闘が蔵人にとって遺跡内での初めてのまともな戦闘で、蔵人は自分で気づかぬ内に疲弊していた。
 遺跡の中というのは外はまったく違う。ストレスのかかり方も、疲労の速度も。
 あいにく一人である蔵人にそれを教えてくれる者はおらず、ここにきてそれが噴出したといえた。

 蔵人は三連式魔銃にドワーフ謹製の金属製の弾丸を詰め、洞窟の壁を狙う。
 風精に大量の魔力を渡し、最大出力で魔銃内の空気を炸裂させた。

 ――バズンとくぐもった音。

 想像したほどでもない銃声に、蔵人は油断した。
 銃声とほぼ同時に、予想を遥かに超える暴力的な反動。跳ねあがる腕。のけぞる身体。
 痛烈に、後頭部を打ち据えた。

 魔銃は破損していない。
 だが蔵人の身体のほうが破損してしまった。
 全身に施した身体強化をあっさりと越える反動は、あまりに一瞬であったため強化を追加することも出来なかった。
 射撃の指導を受けたわけでもない蔵人は我流で構え、両手で銃把を握っていたが、部分鍛錬した指先と握力は跳ねあがった魔銃を手放さなかった。
 それがよかったのか、悪かったのか。
 魔銃の反動は直接腕に伝わり、自爆であるため障壁で緩和されることもなく、見事に両肩を脱臼させた。

 後頭部を打ち据え、呻き声をあげて倒れる蔵人。
「――がぁっ」
 頭を押さえて転がり回ろうとして、両肩の脱臼による激痛で動きを止めた。
 後頭部の痛みなど問題外である。
 動かしたくない。動かしたら死ぬ。
 そんな痛みである。
 脱臼の痛みは耐えがたい。日本では麻酔を使って治すこともあるくらいで、それも初めて脱臼した部分であるならなおのことであった。
 蔵人は雪白が来るまで、洞窟の中で横たわったまま固まっていた。
 治すべきか、それとも現状維持か。

 蔵人の異常を察知した雪白が戻ってくると、仰向けで目尻に涙すら浮かべた蔵人に溜め息をつく。

 また馬鹿をやった、と。

 動かせば激痛の走る蔵人を運ぼうとする雪白。
「ま、待て、触るな。なんとか治す」
 口ではそう言うものの、雪白が来るまで治癒していなかった。
 骨系の治療はアレルドゥリア山脈でも負ったことがあり、そのときはアカリに直してもらったのだが、非常に激痛を伴う。覚悟して放つ全力の一撃による反動の治療には馴れたが、両肩の脱臼はその比ではない。
 蔵人が治癒を躊躇っていたのはそのせいである。

 なんとか治す。そんな明日から働く、という駄目な夫の真実味のない言葉を無視し、雪白は歯を食いしばってなお漏れる絶叫を耳にしながら尻尾で蔵人の身体を固定して、背中に乗せた。
「せ、せめて弾丸をぉをっ――!」
 せめて弾丸の行方を、そして回収をと、言葉にもならぬ叫びを漏らすが、雪白は首を横に振った。
 意地悪ではなく、洞窟の壁に深くめり込み、銃弾として使うことができないほどに変形しているのだ。いかに雪白と言えど手間であり、今は蔵人を運ぶのを優先したかった。

 雪白の背の上で、蔵人とアズロナの目が合った。
 蔵人とアズロナは同じような目をしていた。かたや無慈悲にも脱臼したまま雪白に確保され、かたや雪白のスパルタ訓練を受けたアズロナ。
 それでも、雪白の頭の上にへばりついているアズロナはその鍛錬で疲弊した身で、蔵人を心配して這い寄ってきた。

「――ぐぅううっ!」
 そうたまたま、たまたまその翼腕が蔵人の肩に触れたに過ぎない。
 蔵人は怒るわけにもいかず、耐えた。
 アズロナは首を傾げ、再び。
「――う゛ぅうううううううっ!」
 雪白は蔵人の悲鳴など知ったことか、のしのしと洞窟を引き返していった。
 蔵人に震動が伝わらないようにしているあたりは優しいといえるかもしれにが、アズロナを放置しているところを見るとそれなりにご立腹らしい。



 蔵人が遺跡に入った際にすれ違った瀕死の男と同じように背負われて蔵人は洞窟を出た。潜って二日ほどしか経っていないのは自業自得である。
 ギルドを出ると、大星がいた。
 雪白にとっては渡りに船である。いかに雪白とて治癒は出来ず、我儘な蔵人は痛みに躊躇して直そうとしない。まったくもって、軟弱の一言に尽きた。

「お、おい、大丈夫か」
 雪白は大星の前で蔵人をそっと置いた。どうにかする方法を知っていそうで、蔵人に敵対しない者を雪白は大星か美児くらいしか知らない。
 そっと置かれただけで、蔵人は呻き、さらなる脂汗を額に浮かべる。いや流す。
「か、肩が外れただけだ」
 蔵人の言葉に大星がほっとしたように頷き、
「あまり心配をかけるな」
 おもむろに蔵人の腕を取る大星。
 蔵人が叫ぶも、身体が動かない。
 見ると雪白の尻尾が蔵人の身体を抑え込んでいた。
 ゴクンッ
 蔵人は確かにそんな骨の音を聞き、歯を食いしばったまま呻きの絶叫を上げる。
「もいっちょ」
 ゴクンッ
 大星が両肩をはめてくれたお陰で、蔵人の地獄は終わった。後は自己治癒で直せばいい。

「仕方ないだろ。脱臼を直すにはあれしかないんだ」
 うらみがましい目をした蔵人に大星が言う。
「……感謝はしている」
 リュージに追い詰められ焦っていたのかもしれない。脱臼したのは自分のせいである。
 三日探索して、嫌な客としての仕事を一日、そしてまた探索を三日。
 疲れが溜まらないほうがおかしいのだ。それも遺跡という閉鎖環境で命を賭けて戦っているのだから。元々短絡的な部分もある。それも重なって、魔銃の最大出力なんて馬鹿をやってしまったのだ。
 反省である。
 ……いつもしているような気もするが、と蔵人は苦笑した。


 翌日である蒼月の六十日、夕方。
 十分に休養した蔵人は大星と共に、前回の高級店で美児と宵児を待っていた。
 遅刻というわけではない。
 先にいて心理的圧力をかけてやろうという魂胆である。

 二人が来た。
 美児は紺の北部風の外套だが、宵児は色違いの臙脂色である。
 肩に合わせのあるタイトなモンゴル風の民族衣装と北部風の軍用コートにも似た武骨な外套は、この時代の龍華国ではモダンといえよう。
 蔵人が先にいると気づいた宵児はどうにか表情を取り繕ったものの、やはり嫌そうであった。
「お待たせいしました。本日はよしなに」


 美児と宵児が音曲を奏でる。
 やはり、腕はいい。
 だが今日は別の部屋から、騒音が聞こえていた。武芸者らしき者たちが馬鹿騒ぎをし、芸女の媚びた嬌声が聞こえてくる。
 二弓二胡の音は、完全に騒音に呑まれていた。下品な音は全てを駆逐してしまうのだからこればかりはどうにもならない。

 騒音のせいとはいえ、満足に曲を奏でられないことに美児が頭を下げようとするが、それを蔵人が遮った。
「――いや、いい。良く見れば顔はいいんだ。そこに座ってろ。そこの狐もな。曲なんぞあってもなくても変わらん」
 蔵人は懐から雑記帳を取り出し、二弓二胡を抱く美児と宵児、その横に控える黒陽を描き始めた。
 そう言われても美児たちは侠帯芸女の意地として弾くことをやめるわけにもいかず、美児はそつなく弾き続け、宵児は目元に青筋を立てながらも奏で、黒陽は無礼な言葉に唸りを上げる。これでも我慢しているほうであった。

「――曲の邪魔だ、駄狐」

 理不尽極まりない。
 曲をいらぬと言いながらも、曲の邪魔だと黒陽を罵る。
 まさしく嫌な客である。

 ぶつんと、黒陽の堪忍袋の尾が切れた。

 飛びかかる黒陽。
 それを抑え込む雪白。
 蔵人と宵児たちのちょうど中間で二匹がゴンと額を突き合わせ、再び尻尾をぶつけ合う。

――くぉおんっ(訳:このような無礼は初めてです! おどきなさいっ、この恥知らずめっ)
 美児を呼ぶ客は狭帯芸者としての美児を呼ぶため比較的身を弁えている。蔵人のような暴言を吐くことは少なく、黒陽はそれに慣れてしまっていたのだ。

――ぐるぅうっ(訳:無礼なのは否定しないが、客は客。黙って添え物になるがいい)
 今回の仕事を理解している雪白は鼻で笑いながらそう言ってやった。
 きぃいいいいと怒りを剥きだしに尻尾を加速させる黒陽。雪白もそれに対応すべく、尻尾の速度を加速させた。

 二匹の獣が争う中、蔵人は絵を描き終えた。
 それを確認すると美児は苦笑しながら、宵児は陰鬱な怒りを漂わせながら酌をせんと席を立った。
 蔵人の横で酌をしながら、宵児がぼそりとこぼす。
「……耳にしろ、顔にしろ、容姿しかみない。だから男は……」
 蔵人は鼻で笑った。
「おまえのことなんて顔か服装、芸の腕しか知らない。芸女の腕がいいのは当たり前で、服装も仕事の内。あとは顔しかないだろ。まあそこまでいうなら、おまえは俺の何を見ている?」
 蔵人の人格など宵児から見れば最悪の一言に尽きる。探索者としての腕も知らなければ、この距離では描いている絵も見えない。鎧姿の探索者のどこを褒めろというのか。
 蔵人が言うようにあとはせいぜい容姿くらいである。
 そこまで考え蔵人と同じ結論に達したのか、達したことが気に入らないのか、宵児はさらに不機嫌になる。
 美児からしてみればまったくないとも言えないのだが、それは蔵人の本当の顔を知るからであるともいえる。嫌な客を演じる蔵人は嫌な一面しか宵児に見せていないのだから、宵児にすればさぞ難問であろう。


 気づくと、騒音が消えていた。
 ようやく静かになったと思いきや、騒音を立てていたらしい武芸者たちが芸女を連れて、部屋に上がり込んでくる。
 その芸女たちはスリットが深く、胸元の大きく開いたチャイナドレス風の衣装を着て、それぞれが武芸者にしな垂れかかっていた。
「おう、いい芸女連れてるじゃねえか、金は払うから相手しろや。あんちゃんはどいてな」
 蔵人を押しのけようとするが、そこに美児が割り込んだ。
「わっちのお客人です。勘弁してくださいな」
「おれの前に立つたァ、いい度胸だ。ますます気に入った」
 美児を引き寄せようと武芸者は腰に手を回し、尻尾に触れ、さらに臀部を撫でようとする。

「――ここに娼女はいませんよ。余所へお行きなさい」
 パチンと乾いた音が響く。
 美児は柳眉を逆立ててキッと睨んで武芸者の手を払うと、そのまま相手の頬を平手で打った。
 武芸者の酔眼が剣呑な雰囲気を漂わせる。
 そのまま美児の肩を掴もうとする武芸者の腕を、横にいた蔵人が取った。
「なんだァ、その手は」
 武芸者は蔵人をにらみつける。
 そこに大星が割り込み、小さな声で問題を起こさないほうがいい。外国人には不利だと囁く。
「兄さんたち、この人はまだこの国に来たばかりで言葉が通じないんだよ」
 蔵人は無言で手を放し、部屋を出る。
 その直前、蔵人は小声で大星に囁いて、逃げるように去っていった。

 その姿はまるで腰抜けが面倒事から逃げているようにしか見えず、武芸者たちはうすら笑いを浮かべ、口々に罵る。
 黒陽を抑えていた宵児もそんな蔵人の背中に冷たい視線を向けていた。

 蔵人が去って十分ほど、美児と大星は武芸者たちと押し問答を続けていた。そこに――。
「――酔っ払いが店で暴れていると通報を受けた。……貴様らだな?」
 店に『捕吏』、日本でいう警察官が数名、手下を連れて踏み込んだ。
 この高級店の主は武芸者たちにまだ気づいておらず、そもそも捕吏はこんな些事には出張ってこないはずであった。
 大星がここぞとばかりに言う。

「おれたちが呑んでいたら突然割り込んで来まして、ほとほと困り果てております」
「いや、ちがう。そうではない」
 来るはずのない捕吏が現れ、武芸者はしどろもどろに言葉を繕おうとする。
「芸女の身体に触れようとするわ、外国のお客人を追い出すわで、せっかくの商談がふいになってしまいました」
 大星がさも困り果てた商人ような顔をした。
 武芸者の後ろにいた芸女が「先に手を出したのは――」と言い返そうとするも、大星がわざとらしく自らの襟を正し、帯を整える。
 芸女はその不可解な行動に訝しがるが、すぐに気づいて口を噤んだ。
 芸女が露出のある服装をするのは禁じられている。ある程度は黙認されているとはいえ、いまこの時、大星から捕吏に通報されればしばらく飯のタネを失ってしまう。
 芸女たちは慌てて開いた胸元とスリットの釦を合わせ始めた。
 結局、武芸者と芸女たちは連行される。とはいえ酔っ払いのやったこととして二、三日で出てくることになるのだが。



 いつものように夜店で反省会のような飲み会をする蔵人と大星。
 美児と宵児は店への報告と謝罪、そして宵児の教育でここにはいない。
「いや、助かった」
「あんたならどうにでも出来ただろう」
 早々に逃げ出した蔵人は捕吏の元に駆け込み、金粒を一つを握らせた。無理を言う訳でもなく、酔った武芸者をどうにかしてくれという至極まっとうな願いであり、捕吏は蔵人の言う通りに動いてくれたというわけである
 金粒のでどころは、以前にジーバからもらった小袋である。小さなものだが職務を忠実に行ってもらうには十分であったらしい。

「そうでもないんだがな。……すまない」
 大星が頭を下げた。
「美児たちどこの茶館にも所属していない。そのせいで今日みたいな嫌がらせを受けることがあるんだ。あんなことを続けられれば客が美児を呼ばなくなる。そうすれば美児は茶館に入らざるを得なくなると相手は思っているようだ」
「……それが今日の武芸者たちだと?」
「あの店は誰かの紹介がなければ入れない。高級な店とは縁遠いあんな武芸者くずれが来れるような店じゃない。だが大手茶館の主が裏にいるとなれば合点がいく」
 蔵人は納得した。

「黙っていてすまない。最近は落ち着いていたから言わなかったんだが……。それでも続けてくれるか?」
 大星の問いに、蔵人は頷いた。
「だから北部人の俺に頼んだんだろ? どうせこの国に定住するわけでもない。連中に恨みを買っても問題ない、と。まあ、その通りだしな」
 あの程度の武芸者であれば問題はない。最悪居留地に逃げてしまえばいい。外国人居留地に龍華人が入れないこともないが、龍華人が思うように動ける場所でもない。
「次からは別の店でやることになると思う。店に迷惑をかけるわけにはいかないからな。いつものように探索者ぎるど近くで待ち合わせにしよう」

「――お、大星じゃねえか」
 しばらくすると大星がいることに気づき、いつものように人が集まってきた。
 大星を中心に早くも男共がガハハと笑って呑んでいる。
 そこにちゃっかり雪白も混じり、アズロナは給仕や老人に愛想を振りまく。
 ちょっとした問題もあるようだが、こんな光景を見られるのなら嫌な客としての仕事を受けたのも悪くない。

「――なに見てんだよ」
 蔵人が静かに呑むのを知っているこのあたりの酔客は、すでに蔵人は放置している。こうして絡むことなどない。高震ですら、ようと声をかけるだけである
 酔った若い男は女を連れていた。
 その女を、蔵人が見ていたというのだ。俺の女に色目をつかっただろうと。
 女は美人だ。
 いつもならば蔵人が見ていてもおかしくはないが、今回の蔵人は見ていなかった。大星たちをぼーと眺めていただけである。
 もっとも、実際に見ていたとしても絡まれる筋合いなどないのだが。
「……」
 蔵人は無視することにした。いい気分が勿体ない。
「てめぇ――」
 若い男が居丈高にさらに言い募ろうとし、蔵人の様子に気づいた大星が立ち上がろうとすると。
 蔵人の横から雪白がぬっと顔を出した。
 息が酒臭い。
 酔った若者は一瞬で酔いがさめた様子で、適当に何か言いながら逃げていった。
「……どこもかしこも酔っ払いか」
 蔵人の言葉に雪白はふんと鼻を鳴らして、蔵人の撫でようとする手を避けて、再び酒宴に戻っていった。


 大星が男どもと撃沈して眠り、雪白が残った酒をちびちびと舐めていた。
 不意に、雪白が顔を起こす。緊迫感が漂っていた。
 奇しくも蔵人も、同じようにハッとなった。
 アズロナがいない。
 給仕の娘の元にも、どこかの酔っ払いに巻き込まれてもいない。
 どこにもいないのだ。

 攫われたか。
 蔵人はすぐにその可能性に気づく。
 最近、見境なく人に懐いていた。さすがに悪意のある者には近づかないし、攫うような気配があれば雪白も気づいたはずだ。
 だが、もしアズロナが餌付けされ、喜んで徐々にこの場から離れていったら、気づかないかもしれない。餌に睡眠薬でも入っていたら、離れたところで呆気なく攫われる
 さらに雪白の気を引くような蔵人の危機のようなものが重なったら、なおのこと気づかないかもしれない。あの酔った男の行動自体が囮であったのだ。

 撃沈していたはずの大星が雪白の静かなる怒気に当てられて目を覚ます。
「――アズロナがいない」
 蔵人の言葉で即座に事情を理解した大星は思案気な顔をして、言った。

「――干物にされてしまうかもしれない」

 飛竜の仔は干物にすると仙薬の材料になるという。
 効能のほどは不明だが、飛竜の、それも変異種の仔となると高く売れることは間違いがないらしい。
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