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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第三章 船を待つ日々/後月

89/141

87-決別と船出

長くなりました。
普段の二倍弱あります<(_ _)>
 
 ジーバの眼下で、勇者や特隊が崩れ落ちていく。その後ろでは蔵人も膝をついていたが――。

 巨人種一人分はあろうかという特大の氷槍が、その頭上にあった。

 国営商会に積もった雪と今なお降りしきる雪すらもかき集めたようだった。一瞬とはいえ雪が止んだため、精霊魔法の使えないジーバでも蔵人が雪を集めたのだと分かる。
 そして、まるで最後の意地だと言わんばかりに倒れる瞬間にそれを放った。

 ジーバの頬を掠ることすらなく、その横を一直線に飛んだ特大の氷槍は見事な放物線を抱き、雪夜の彼方へ飛んでいった。
 すぐにまた、雪が積もり始める。
 ジーバが視線を戻すと、立っている者どころか動いている人種すら誰ひとりいなかった。




 雪に混じって人骨や獣骨がそこかしこに転がっている。
 国営商会の中心部を秘宝と共に盗まれてしまったマルノヴァは意気消沈したように静まり返っていた。
 強奪された国営商会の発見の連絡はすでに届いており、勇者の姿がないとの報告も入っていた。
 マルノヴァは完膚なきまでに怪盗スケルトンに負けた。
 その事実は隠しようもなく、街には敗北感が漂っていた。防衛隊や居残った住民たちは疲れ果て、火事場泥棒を防ぐ最低限の警戒だけを残して敗北感の中で力なく眠りにつく。
 唯一の救いは、盗みを成功させた怪盗スケルトンが今夜ばかりはもう現れないということであった。



 マルノヴァがそんな状態とは知るはずもないリュージが、目を覚ました。
 寝起きのような、身体から疲れが抜けた清々しい感覚。苦しさも寒さない。むしろ快調である。
 だがリュージが久しぶりに気持ちの良い朝を迎えたと思った瞬間、幾重にも布を纏った骸骨の背を見つけてしまった。
 リュージは飛び起きて体勢を整え、状況を思い出すと咄嗟に『見えざる手(インビジブル・ハンド)』を使おうとするが――。

「――無駄だ。オマエは死んでいる」

 ジーバはゆっくりと振りかえった。
 ついに世迷言を吐くようになったかと内心で罵りながら、リュージは逃げるためにそれとなく自らの背後を窺う。
「何もしない内から出てくるとは、執念深い奴だ」
 リュージはちらりと足元を確認して、逃走に移ろうとした。だが――。
 足元に自分の死体があった。
 教会の尖塔の屋根に縫いつけられた姿で。
 捩じくれた長い白槍となった骨蛇が心臓を貫いていた。槍の半ばまで赤い滴りが付着し、貫かれた服と心臓の肉片が飛び散っている。首を落とすか心臓を完全に破壊しなければ治癒の恐れがあるとはいえ、徹底していた。
 さらに骨槍のほかに、教会の象徴である十字剣も突き刺さっていた。

「ば、馬鹿なっ。この俺が、死んだ、だと?!」
「今のキサマはワタシの『死霊交渉(マァズモゥダ)』に反応した霊体に過ぎない。身体こそないが、キサマの死体を貫いているイルルと同じだ」
「――ふざけるなっ!くそっ!」 
 リュージは自らの死体に霊体の身体を合わせる。
「戻れっ、戻れっ、戻れっ!」
 ジーバは冷たく暗い眼窩で、リュージを見下ろしていた。

「戻れ……」
 リュージは叫ぶのをやめて、力なく俯いた。
「ようやく理解したか。どこまでも哀れな男だ」
「……オレはなぜ死んだ?いや、毒か……」
 意識を失う直前の状態を思い出して、リュージはそう呟くが、ジーバはそれを否定する。
「確かに毒だが、ワタシが使ったわけじゃない。そもそもキサマに毒が効くとは思わなかったからな」
 リュージが顔をあげ、怪訝な顔でジーバを見る。
「あの毒を放ったのはクランドだ。ワタシはオマエにイルルを突き立てただけだ」
「蔵人……だと。馬鹿な、なんで、いや、そもそもどうやって……」
 リュージは予想もしなかった名前を聞いて、驚きを露にする。
 国営商会は空を飛んでいたが、その鎖を掴んでいたガジアジはホバリングし、不審な風はなかった。毒を風に乗せたわけではない。雨も降っていなかった。
「オレの加護をどうやって……っ」
「――雪だ」
「はっ?雪、だと。馬鹿な、どうやって。……そうか、お前があいつに頼まれて毒を。あの野郎、ハイスケルトンなんかと手を組みやがったのか……クソッ、クソッ、クソッ。用務員の分際でつけ上がりやがってっ!」
「ワタシは直接的には手を貸していない」
 だが蔵人を見下しているリュージはそれを信じず、ぶつぶつと罵り続けた。
 ジーバとしては今後のためにも勇者と呼ばれる存在の情報を知りたかった。ただそれだけだったのだが、これでは何も聞けそうにない。
 そう思った瞬間、目の前の勇者はとんでもないことを言いだした。

「――あいつも勇者だ」

 ジーバは耳を疑った。
「嘘じゃねえ。あいつはオレたちと同じように勇者として召喚された。アリスとかいう王女の実験のせいでな。ただあいつは、召喚直前にハヤトの野郎に加護を盗まれて、どこかに逃げたのさ。だからアルバウムはあいつのことを知らないし、オレたちの間ではタブーになっていた」
 リュージは召喚者のことなど考えたことはなかった。
 ゆえに多くの召喚者が身を寄せているアルバウムの失点を、アルバウムに敵対しているジーバに暴露することに躊躇いはなかった。自分が死んだとあればなおさらで、今のリュージにはハヤトやアルバウム、そして蔵人への恨みしかない。
 リュージにとって情報の流出によって勇者の立場が悪くなろうが、蔵人が政治闘争に巻き込まれようがどうでもよかった。
 高校三年生の秋に召還などという馬鹿げたことに巻き込まれたが、力を示し、金を稼ぎ、自分の力で生きてきた。拉致をしながら、それを公然と利用しようとするような国に生殺与奪を握られないために、金と力を集めてきた。
 ハヤトやアルバウムに篭っている連中のように勇者という名前に踊らされ、生ぬるい世界でやってきたわけではない。勇者という名がなくてもやっていけるだけの力は磨いてきた。他の連中のことなど知ったことではなかった。自己責任である。

 そう思っていたが、リュージは死んだ。
 それも見下していた蔵人に殺されたと言う。例えそれが嘘だろうと、本当だろうと、リュージにはもはやどうでもよかった。だが、ただで死ぬ気はなかった。
 リュージが蔵人のことをジーバに暴露したのは、そんな逆恨みからであった。

 ジーバは突然アルバウムに現れた厄介な勇者の出自、判然としなかった蔵人の正体に驚いていた。
 無論、リュージの思惑は即座に見抜いた。
 勇者の真実で、アルバウムを揺さぶれということだろう。
 最も力のある勇者が他者の『神の加護』を盗んだ罪人であるということ。それをアルバウムやサンドラ教、他の勇者たちが隠していたこと。
 さらにアルバウムの王族が非人道的な手段で勇者を拉致(召喚)し、政府はそれを隠して政治的に利用したこと。勇者を認定したサンドラ教もそれに一枚噛んでいること。
 これらを各国に流すだけで、十分にミド大陸を混乱させることが出来る。  

 だがとジーバは冷やかな目でリュージを見る。
「……哀れな男だ」
「へっ、てめぇも同じ穴の狢だろうが」
「死人の戯言を信じる理由がない」
「はっ、盗人猛々しいとはこのことだな。テロリストのてめえが誇りだなんだとくだらねえことを言うつもりか?はんっ、偽善者め」

≪その事実が公になるまで、ワタシは蔵人が勇者であるという事実を秘匿する≫

 ジーバは言葉を選びながら、『真言(ペイマン)』で言い直した。
 『真言』を使う場合、嘘はつけない。嘘をつけば『真言』はたちまちに力を失い、ジーバは『死霊交渉』での交渉手段を失う。それは自分に対する『誓い』だとしても同じことであった。
 この世界では寿命が長い種族ほど誇りを重視する傾向にある。あくまでも傾向という程度のものであるが、その長い生において心健やかに生きるために筋を通して生きるというのはおかしな話でもない。 
 例に漏れず、骨人種もそうであった。
 信には信で返し、仇には仇で返す。
 ジーバにとってそれを無視して蔵人を利用してしまえば、同胞に合わせる顔がなかった。

 確かにジーバはミド大陸では泥棒で、血も涙もないテロリストである。
 しかし、ジーバとて人の子であった。心あるものである。
 全てが敵では戦い続けることなど不可能であった。守るべき者たちの応援と支持、そして理解者が必要だった。守る者がいなくては怪盗スケルトンとして戦う意味などなく、理解者がいなければいつか行き詰まる。
 ジーバにとって蔵人はその一人、大切な隣人であった。
 事情を詳しく把握していないとはいえ骨人種と分かっても大きく付き合い方を変えなかった。やすらぎの場となる『館』を作ってくれた。蔵人は敵しかいないミド大陸で、数少ない心を交わした相手であった。
 それに何より、蔵人は何も言わずに自分を利用しても構わなかったはずだ。
 それがわざわざ正面切って筋を通してきた。頼ってきた。
 ジーバはその心を無碍になど出来なかった。

 翻訳能力で言葉の意味こそ分かるもの、ジーバの使った『真言』の意味をリュージは知らない。そして何より、蔵人とジーバの関係もその精神性も永久に理解できない。
「くそがっ!あんなうだつのあがらねえ用務員がなんだってんだっ」
「クランドよりもオマエがマヌケだったというだけのこと。喚くな、耳障りだ」
「魔獣如きに泣きついた能なしに負けたわけじゃねえっ」
「……確かに獅子を毒で討っても勇敢とは言われないな」
「ただの腰抜けだ」
「――だが、毒兎と知らずにその兎を食べた獅子はただのマヌケだ。兎を卑怯などとは誰も言わない。そんなマヌケがオマエだ」
「……てめぇ」
「ああ、一つだけ教えておいてやろう」
 屈辱と怒りに顔を歪めに歪めたリュージに、ジーバは言ってやった。

「――オマエの始末の報酬は、蔵人の描いた絵だ」

 リュージは一瞬呆気にとられ、言葉の意味が理解できなかった。
「幸いなことにここは教会だ。意思の消滅にどれだけ恐れ、嘆こうともアンデッド化することはない」
 ジーバはリュージの死体からイルルだけを回収すると、ひょいと教会の尖塔から飛び降りて消えてしまった。
 その途端、リュージの全身がゆっくりと薄くなっていくがまだリュージは気付かない。
 それよりも、ジーバの言った言葉の意味がようやく呑み込めた。
「絵、だと?そんなもののためにカスみたいな用務員にオレは嵌められたのか?……クソッ、クソッ、クソッ」
 屈辱に視界すらも歪む。
 だが不意に、その意思が薄れた。
 考えていたものが、どこかへ消えた。
 リュージは先刻まで考えていたことが思い出せなかった。誰かに苛立っていたような気がする。
 あまりの喪失感に、わなわなと震えだす。
 見ると、全身も薄くなっている。
 考えた端から、思考がどこかへ消えていく。
 身体も足先からどんどんと消えていく。
「くそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ……」
 屈辱や恐怖の入り混じった叫びがしんしんと雪の降るマルノヴァに響き渡るが、その声はジーバ以外の誰にも届かない。
 リュージはゆっくりと、時間をかけて、この世から消えていった。


「――醜い男だ。断末魔まで聞くに堪えん」
 ジーバは街の外で透明化を解く。その呟きを最後に目障りな勇者のことなどすっぱりと忘れて、小さな楽しみに思いを馳せる。
「さて、どんな絵を描いたのか」
 ジーバの楽しげな声が雪降る灰夜の闇に消えていった。



 翌早朝。
 マルノヴァで最も高い尖塔を持つ、ゴシック建築風の教会。
 リュージはサンドラ教の象徴である聖剣を模した十字剣に貫かれ、その尖塔の屋根に縫いつけられた無残な姿で発見された。
 そして、リュージが発見された教会の白い壁に、ユーリフランツ語で怪盗スケルトンのメッセージが残されていた。

――『魔封じの聖杖』をレシハームに売り渡そうとした愚か者共への警告である。

 ジーバが盗んでいった青銀と白銀の長箱。魔法合金によって作られた保管箱には『魔封じの聖杖』という遺跡で発見された魔法具が納められていた。
 設置した一定範囲内において、魔獣の持つ固有魔術の効果を減衰させると言われる希少な魔法具であるが、それは何も魔獣に限った話ではなかった。
 骨人種の『死霊交渉』と『館』もそれに含まれていた。
 もしそんなものが設置されてしまえば自治区での骨人種の生殖能力は低下し、悪くすれば生殖そのものができなくなるかもしれない。
 種としてそれは看過出来ることではなかった。
 ちなみに、エルフの『樹精適性』、巨人種の『剛力』、ドワーフの『鉱物の囁き』、獣人種の『化身』もその対象であるが、骨人種ほどに影響はない。

 『魔封じの聖杖』は協会の船で密かにレシハームへと送られる予定であった。国営商会側は協会にも積み荷を偽って報告していたため、協会側は知らなかった。『魔封じの聖杖』のことが知られれば、人種以外の他人種から反発は受けかねない。そのためマルノヴァは独断でレシハームと交渉し、売買契約を交わした。

 マルノヴァはユーリフランツ政府の横槍に腹を立てて政府の協力を蹴ったという話であったが、実際は『魔封じの聖杖』の存在をユーリフランツ政府に悟られないためであった。



 アキカワがリュージの死を知ったのは、蔵人や生き残った特隊を一番近くにあったバルティスに運び込み、医者を手配し、なんとか全員の毒の症状が落ち着いた時のことだった。
 マルノヴァに行ったバニスがとんぼ帰りして、報告してきた。
 ただ一人国営商会にいなかったことで予感していたとはいえ、リュージの死は、召喚者の初めての死は思いのほかアキカワに衝撃を与えていた。

 同時に伝えられた怪盗スケルトンのメッセージも上の空で聞いていた。
 アキカワは秘宝がなんなのか知らなかった。おそらくリュージも知らなかったはずである。
 だが『魔封じの聖杖』だと聞いても驚きはない。
 意思疎通が可能とはいえ、魔獣である。そして敵対的なハイスケルトンが増えるのを防止するのは人種として当然であった。
 ケイグバードと呼ばれていた土地は悪しきハイスケルトンに支配されていた。それを過去にハイスケルトンによって追い出された『精霊の民』が取り返そうとし、北部の国々はそれに協力した。
 ミド大陸ではそう語られていた。
 無論、アキカワとてそれが全てではないことは察していたが、スケルトンとよく似たハイスケルトンがまさか人種に類するものとは思っていなかった。
 人の社会で犬が人に噛みついたら、何をしていようとも不利なのは犬である。
 アキカワは当たり前のように、人の側に立っていた。そしてそれが多くの人種の認識でもあった。





 蔵人は、目を覚ました。
 見慣れない天井に、窓の閉め切られた薄暗い部屋。微かに聞こえる薪の燃える乾いた音。
 夢とも現実とも、そして死後の世界とも判然とせず、ぼぅと虚空を眺めていた蔵人。夢現に治療師らしい人物に治療の許可を求められたことなどを断片的に思い出していた。
 そこへ、のそりと雪白が蔵人を覗き込む。
 蔵人は全身の倦怠感からようやくといった感じで毛布から手を抜いて、その獰猛で、凛々しい顔を撫でる。
 その心地よい感触に、蔵人はうっすらとここは現実かと思い始め、雪白に起こしてくれと頼んだ。
 雪白は尻尾を使って器用に蔵人の半身を起こす。そして、蔵人とは反対の寝台の端に顔を向けた。
 その視線に釣られるように蔵人もそちらを見ると――。

 ……ぱさっ、……ぱさっ、……ぱさっ

 アズロナが胸元に飛び込んできた。
 飛ぶというよりは、少し高い位置からの跳ぶであったかもしれない。だが確かに、重力に逆らっているようにも見えた。
 ぎぅーーーーーっ
 蔵人の胸元にひしっと抱きつき、ぐりぐりと頭や鼻面を擦りつけるアズロナ。
「……俺を乗せて飛ぶ日もそう遠くないな」
 まるで子供をあやすように蔵人はアズロナの背をポンポンと叩いた。


 コン、コン、コン。
 寝ていれば決して気づかないような小さなノックに、雪白は蔵人を見る。
 まだ動く気になれない蔵人は雪白に頷き、膝の上でぎぷぅと寝息を立てて眠っているアズロナを枕元にそっと置く。
 雪白はのそりと起き上がりドアに近づくと、尻尾で器用にドアを開けた。
 ドアが開いたことに幾分驚いたらしいアキカワが入室の許可を求めてドアを開けた雪白に視線を向けるが、雪白はぷいと引き返し、蔵人の寝台の脇に寝そべった。
 アキカワは寝台の上で起き上がっている蔵人に顔を向ける。
「……窓を開けてもいいですか?」
 蔵人が頷くとアキカワは部屋に入り、木製の鎧戸をガタガタと手間取りながら開け放つ。
 白い光が差し込んだ。
 蔵人が眩しげにその光を見ていると、アキカワは手近にあった椅子に座った。
「ご無事で何よりです」 
「……ああ、あんたが見つけてくれたのか。助かったよ」
「ええ、まあ。特別捜査隊の一人につけた指線ラインを頼りになんとか」

 話題を探すかのような僅かの沈黙の後、蔵人が口を開く。
「……何が、どうなった?」
「……私が知っているのは、竜山近くで見つけた国営商会の三階大広間にあなたと特別捜査隊が倒れていたということだけです。そして今朝、リュージさんの死亡が確認されました。マルノヴァの教会に磔にされていたそうです」
「……そうか」
 あいつは死んだか、と微かな声で蔵人は呟いた。

「蔵人さんたちは毒の症状が出ていましたので急いで一番近かったバルティスに運びこみました。ちなみにリュージさんからもその毒が検出されています」
「……毒、ね」
「ええ。蔵人さんたちの人体以外からは検出されなかったのでどうやって毒を散布したのかまったく不明ですが、治療師によれば十を超える複合毒だそうです。吟遊詩人の花(ヴァーヒオ)の受粉毒、飛竜毒、さらに弱いものから強いものまで名前もないような毒草や毒茸……そして最も強い、毒膨魚(ポズン)の毒。この毒の症状が強く出た特別捜査隊の三人は死亡しました。後遺症が残った者もいて、完全に回復するの三人くらいです。……蔵人さんはどうですか?」
 蔵人はそう言われて、倦怠感以外の症状を探る。 
 手や足の指を動かし、首を回す。そっと寝台を降り、ふらつく身体を雪白に支えてもらいながら立ち上がり、屈伸する。

「……だるいし眩暈もあるが。問題はなさそうだな」
「そうですか。よかったです。……そちらの猟獣が蔵人さんが倒れた後も身体を温めていたことが回復につながったのかもしれませんね」
 蔵人は寝台に腰かけ、感謝を込めて雪白の首筋を撫でる。雪白はその撫でる手や蔵人の膝にぐりぐりと首筋を擦りつけた。
 アズロナはこれを見て真似したのかと、生まれは違えどまるで兄弟姉妹のように育つ二匹に蔵人は感慨深いものを感じていた。
 そんな蔵人の様子をアキカワはいつものような申し訳なさそうな顔で、しかし何か考え込んでる風に見つめていた。

 アキカワが竜山の近くに落ちた国営商会へ駆けつけた時、漠然とした違和感があった。
 だがそれを無視して全員をどうにか魔獣車に押し込むが、リュージがいない。
 バニスと共に精霊魔法での索敵を行っても、人の姿を見つけることはできなかった。しかし時間がなかった。
 去り際、最後に三階大広間を振りかえった時、違和感の正体に気づいた。
 戦闘の痕跡。
 リュージ達の攻撃と思われるものは上へ、怪盗スケルトンの攻撃と思われるものは下へ。その痕跡は怪盗スケルトンと対峙するリュージ達の姿を浮き上がらせた。
 本来であれば不審なところなどないが、それこそが違和感の正体だった。 
 もはや情報の流出を待つだけの言ってしまえば死に体の蔵人が、法の及ばない、人目のない街の外でリュージに協力している。
 違和感とも言えないような、言いがかりといってもいいような感覚である。精霊魔法が常に手元から発動されるとも限らないし、痕跡の分析にしてもアキカワは専門家ではない。
 蔵人とリュージの確執を知るからこその、推論でしかない。
 後になって知らされたことだが、リュージはジーバに殺されて、死体を教会の天辺に晒された。それがおおかたの見方であり、アキカワも九割九分そうであると考えている。
 だが、微かな違和感はいつまでも残っていた。

 ……そうか、あいつは死んだか。
 小さな呟きであったが、アキカワの耳に届いていた。
 その呟きが国営商会で感じた違和感を再び思い出させた。
 憎しみも嬉しさもない、ただ事実を呟いただけの淡々とした言葉だったが、アキカワはなんとも言えぬ不気味さを感じた。
 そして蔵人は特別捜査隊の半数やリュージが死んだことを知っても動揺していなかった。リュージの死を悲しめないのはわからないでもないが、同じ日本人が死んだと言うのに冷静すぎるようにも見えた。
 目の前にいるのは、用務員の支部蔵人であるはずだ。
 だがアキカワには得体の知れない、まったくの別人がそこにいるように見えた。人の死、それも同じ日本人の死を知った者の反応とは思えない、まるで戦場に慣れた兵士のように、人の死を受け入れているようにも見えた。

「……あの夜、何があったか、聞いてもいいですか?」
 アキカワはそれでもなんとか自分の仕事を思い出し、蔵人に尋ねる。
 蔵人は拒絶することなく、国営商会が飛んだ後のことをアキカワに話す。そして話しながら、ジーバとのやり取り、そしてリュージの最期を思い出していた。


******


 蔵人が洞窟の居間で待っているとジーバが女の姿で、いつものように黒い薄衣を纏って蔵人の正面に座った。
 胡坐をかいてはいるが、上も下も見苦しい部分はかろうじて見せない、そんな所作であった。
 ジーバは金髪の入り混じったダークブラウンの髪を掻き上げ、蔵人と向き合う。
「で、話とはなんだ?」
 蔵人はジーバの真っ直ぐな視線を正面から受け止める。
「勇者を、どう思う?」
「唐突だな。……だが、まあ一言で言うなら、邪魔だな。奴等のせいで手間が一つも二つも増えた」

「……そうか。なら、討伐作戦中に勇者を殺してくれないか?」

「……本気か」
 色褪せて、輝きを失ってしまった過去を見つめるような目をするジーバ。
 このまま良き隣人として交流し、別れるはずだった。それはジーバにとって、小さくともぬくもりのある思い出になるはずだった。
 それを無粋な言葉で蔵人が壊してしまったことに、ジーバは失望していた。

 蔵人にとってもジーバと自分の関係は良き隣人であった。それで終わるはずだった。
「……それで?」
 隣人として交流していた情のせいか、ジーバは立ち去らず、話の先を促した。
 だがその雰囲気は隣人としてのものではない。
 喉元に剣を突きつけられたような圧迫感が蔵人に圧し掛かっていた。
 蔵人は一線を踏み越えてしまった。
 しかし、後戻りは出来ない。
 蔵人は奥歯を噛み締め、拳を強く握り、怯みそうになる心を堪える。
 すると蔵人の脇から雪白がのそりと顔を出し、鋭い双眸でジーバを睨みつけた。
 蔵人を圧迫していた圧力は雪白が押し返したかのよう緩み、蔵人はほっと息をつきながら、絹とカシミアを足したような雪白の柔らかな首回りに腕を回した。
「言い方が悪かったが、結果的にはそうなると思って欲しい。
 まず、事情があって怪盗スケル……あんたの討伐作戦に参加しなきゃならなくなった」
「……強制依頼か」
「ああ、一度は断ったんだがな」
「罰金と降格だったはずだが、オマエはこの間、昇格試験を受けたのではなかったか」
「二度目は受かったが、強制依頼拒否で降格した。俺はマルノヴァになんの思い入れもないし、そもそも怪盗スケルトンをどうこうできるとも思っていない。尻尾巻いて逃げるはずだった」
「自分と獲物の力を推し量れない狩人は早死にする。そう馬鹿にしたものではない」
 蔵人を侮蔑するわけでもなく、自らを誇って見せるわけでもない。ジーバの口調は淡々と事実を述べているだけであった。
「なぜ強制依頼を受けざるをえなかったか、簡単に言えば勇者から脅迫されている。すまないが詳しくは言えない。その脅迫内容こそが、リュージという勇者を殺す理由だからだ。……あんたなら分かるかもしれないが、出来れば黙っていて欲しい」

 蔵人の正体を知ったジーバが情報を悪用するかもしれない。
 結局のところ蔵人はリュージ、アキカワ、ジーバの内、誰かを信じなければならなかった。
 リュージは論外。アキカワでは蔵人が思うようには生きられない。
 ゆえに蔵人は、ジーバを選んだ。

「討伐作戦中に、リュージ・ゴトウという勇者を『俺』が殺す。もしくは戦闘不能に追い込む。あとは生きていたらトドメを刺して、煮るなり焼くなりしてくれ。できれば大々的にあんたが殺したことを利用してくれると助かる」

 ジーバが僅かに眉根を寄せる。
「……オマエが殺すのか?」
「ああ。上手くいけばな。そしてもし出来ることなら奴の障壁の魔法具を引っぺがしてほしい」
「……ワタシの計画を知らなければうまくいかないはずだ。計画を教えろとでも?」
「俺が勇者のスパイじゃないという保障はない。教えてくれなくていい。あんたの計画にその場で便乗させてもらう」
「……そんな機会がなかったらどうする気だ」
 そんなことも想像していなかったのか蔵人はあっ、という顔をして考え込んだ。
 その無計画な様子にジーバは呆れたように蔵人を見ていた。

「……その時はすっぱりと諦める。そこでもう一つ頼みがある。勇者を殺せなかったら、俺たちをサウラン砂漠に連れていってくれ。俺はそこで隠れ棲む」
 アホかお前は、とジーバの顔は言っていたが、それでも親切に説明してくれる。
「オマエが想像しているほど生易しい環境ではないぞ。昼は灼熱、夜は極寒。地の果てまで砂漠が続き、一夜にして地形が変わる。精霊は荒々しく、生半可な精霊魔法士では初級魔法もおぼつかない。強力な魔獣、さらには精霊竜(エレメントドラゴン)巨兵(ギガース)不死鳥(フェニックス)も棲む。会ったことはないが、砂の流れを読むとされる砂漠の民のみが生きることを許された地だ」
「失敗すれば、どちらにせよ地獄だ。それなら俺は、自分で選んだ地獄に行く」
 決然とした蔵人の視線を受け、ジーバは呆れを通り越して笑いそうになっていた。
 緩みそうになる頬を堪えつつ、ジーバは問いかける。
「……で、どうするつもりだ」
 蔵人はジーバに計画を話した。

「……奴は逃げるのも早いが、その防御能力は異常だ。そんなことで殺せるのか?」
 過去に二度、ジーバはリュージと相対していたが、その防御能力に阻まれて殺すことは出来なかった。殺すのが目的ではなかったとはいえ、それでもほぼ全ての攻撃を遮断するあの力を攻略するのはまさしく骨の折れる仕事だと考えていた。
「……確実に、とは言えない。他の方法も用意してるが、よくて五分五分。いや、それ以下かもしれない」
「……ワタシにとってはどうでもいいことだが、そのやり方では周りを巻き込むぞ? 人の世で生きるために勇者を殺し、その過程で他者を巻き込む。オマエはそれを覚悟しているのか?」
「勇者とその取り巻き以外を巻き込むつもりはない」
 ジーバは腕を組み、子供を嗜めるように言う。
「本気で言っているのか? そんなキレイゴトが通るとでも?」
「あんたと違って背負うものが少ないからな。そうやって生きてきたんだ、今さら生き方を変えることなんて出来やしないし、する気もない」

 キレイゴトを捨てて生きていれば、この世界でも、そして日本でももう少しうまく生きていたかもしれない。
 だが、蔵人はそうしなかった。
 力や頭脳、交渉力、人脈を得るために努力するように、蔵人は意地や誇り、美意識を選んで、努力した。正確に言えば、前者のどれをも持てなかったゆえに、後者を選んだ。
 蔵人とて自分が日本でうまく生きられなかったのは努力不足であると理解している。責任を転嫁するつもりはない。
 だが努力不足だろうが社会に適応出来なかった事実は現実として突きつけられ、そのうえで生きる方法を決めなくてはならない。
 蔵人は、社会に背を向けることを選ばなかった。
 育まれた心が、自分の育った社会を否定できなかった。自らの描いた絵が、世界を美しく肯定していた。
 力はない。頭脳もない。交渉力も、人脈も、財力もない。
 だがそれは世界を、社会を否定する理由にはならなかった。
 『ない』のは自分の責任であり、妬むのも恨むのもお門違いである。
 だから蔵人は、ないものはないと諦めて生きてきた。 
 仕事や結婚、子供、世間体、ようするに『普通』を諦めて生きてきた。
 それでもなお諦められなかったのは、絵と、人としてのプライドであった。 
 社会の底辺を知らないからそんなキレイゴトが言えるのかもしれない。
 しかし社会の底辺に落ち切らずに生きていられたのも、その社会があったからこそとも言えた。
 ゆえに蔵人は、誇りや意地、美意識といったものを捨てる気はない。
 ここが異世界であることは、関係がなかった。

 ジーバは蔵人の本気を、自分たちに近い精神を感じ取っていた。
 砂漠に逃げるというところが、蔵人らしいとも言えるが。
 七つ星に昇格することすらも四苦八苦し、脅迫に追い詰められる程度の強さしかない男のキレイゴト。
 だが、それを見届けてやるのも悪くないと思っていた。
「――いいだろう。その話に乗ってやる。ワタシには損はないしな。今さら勇者を殺した罪を被ろうが何も変わりはない。それにもし本当にそんなことが可能なら利用させてもらいたいくらいだ」
 蔵人はどこかほっとしたような顔をした。
「……で、報酬だがどうすればいい? 出来る限りかなえたいとは思うが」
「いらない。こんな話に報酬など要求などできるか、恥ずかしい」
「だが……」
「――ああ、そうだ。絵を描いてくれ。ワタシの感情を揺さぶるような絵を」
 蔵人は渋面を浮かべる。
「俺の絵にそんな価値は――」
「ないのは十分に分かっている。だが、ワタシが求めるものは価値ではない。わかっているだろ?」
 蔵人は長い間考えていたが、ついに頷いた。
「ならいくつか欲しいものがある」
 ジーバはそれを了承した。
 そしてジーバが洞窟を去るその日まで、いつものように隣人としての日常が続いた。

「――空を飛ぶのは原始の島だけではない」
 ジーバはそれだけ言い残して、洞窟を去っていった。


 討伐作戦当日。
 ジーバは国営商会に乗り込み、蔵人が頼んだ通りにリュージの障壁の魔法具を破壊してくれた。
 蔵人はそのことに安堵しながら、まるで何日も同じ場所で獲物を待つ狩人のように機会を待っていた。
 機会がなければ、砂漠に篭ればいい。召喚された時となんら変わらない。
 そう思っていたが、機会は訪れた。
 国営商会が空を飛び、周囲には蔵人が敵と決めた相手しかおらず、余計なものはいない。
 ジーバが言い残した言葉を思い出して感謝しながら、蔵人は計画を決行した。
 氷槍を絶え間なく、撃つ。
 水に溶かした毒を凍らせ、周囲の雪を集めて固めた氷槍を。
 その全てがガジアジに溶かされて水になるが、その毒の混じった水を間髪入れずに氷精に頼んで全て雪に変換した。
 蔵人の作りだした『雪毒』はまるで本物の雪のように、とめどなく降る雪に紛れた。
 その間も雪をかき集めて形成された氷槍を絶え間なく放ち、溶かされては『雪毒』を作り続けた。魔力だけは人よりも多い。
 僅かな間に国営商会に降り注ぐ雪のほとんどは『雪毒』となっていた。
 そしてしばらくすると、それを吸ったリュージ、特隊、蔵人は次々に倒れていった。
 蔵人は最後に、国営商会の積もった雪を根こそぎ氷槍にして、証拠隠滅を兼ねて空へ放った。


 障壁よりも優秀な『見えざる手』であるが、一点だけ欠点とも言えないような穴がある。
 あくまでも『見えざる手』は手であり、リュージを握っているだけである。障壁のように全体を隈なく覆っているわけではない。
 蔵人はその指の隙間から入り込んだ雪が、リュージの呼吸によって吸われるのを狙った。そして疑われないように自ら『雪毒』を吸った。
 勇者に加護は通用しない。しかし、加護によって違いはある。攻撃系の加護が通用しないのは事実だが、では防御用はどうか。蔵人にはそれが分からなかったために『雪毒』という迂遠な方法をとった。

 毒の準備もしていた。蔵人が討伐作戦前日まで身体の調子が悪かったのは毒を身体に慣らしていたせいである。
 脅迫された日の翌日、蔵人は持っている毒の解毒薬の作り方をイラルギに聞いた。
 イラルギは怒気を露に、自分が持っている毒の解毒薬も知らないのかいと怒鳴りながらも、解毒薬の作り方を教えてくれた。
 その日から百倍以上にも薄めた毒から飲み始め、僅かにでも症状が出たら命精魔法で身体を治して毒が切れるのを待ち、また飲んで、身体を治す。それを繰り返した。
 そんなことで毒への耐性がつくかは蔵人にもわからなかったが、それでもやれることはやっておきたかった。蔵人とて死にたいわけではない。

 不確実で、酷く迂遠な、相討ちであった。
 しかしそれゆえに、リュージを討つに至った。
 リュージは自らの加護の特性を理解し、いくつかの解毒薬も持っていた。だがその解毒薬は飛竜毒や吟遊詩人の受粉毒、ほかいくつかの毒に対応していたが、漁村の船の上でも稀にしか手に入らないような毒膨魚と蔵人が薬草と見分けがつかずに採取した名もなき毒草や毒茸には対応していなかった。
 さらに毒を風に乗せたり、水に溶かしたりして攻撃されれば、その不自然さから察知できたかもしれない。
 だがよもや毒を溶かした水を氷槍で撃ちだし、それを敵の炎で溶かし、その溶けた水を周囲の雪に紛れさせることまでは考えが及ばなかった。あまりにも不確定な要素が多いからだ。
 リュージの誤算は蔵人とジーバのつながり。そして日本人である蔵人が自爆覚悟で相討ちすることまでは読めなかったことである。蔵人を見下し過ぎていたとも言えるが、リュージには蔵人の精神性が理解できなかった。



 勇者を殺して下さいとジーバに頭を下げてしまえば、隠れ巣での何気ない日々は二度と戻らないと蔵人は確信していた。
 ジーバとの何気ない日々を失いたくはなかった。
 しかし、どうしようもなく追い詰められてもいた。
 ゆえに蔵人は全てを晒して、ジーバに委ねた。
 蔑まれようが、失望されようが、蔵人に出来ることはそれだけであった。

 結果として、リュージは死に、蔵人は生きていた。
 蔵人は賭けに勝ったと言えた。
 ジーバの手心と短期間で僅かばかりついた毒への耐性が紙一重で蔵人を生かしたとも言えなくはないが、蔵人も気づいていない部分があった。
 雪に変換した毒は一度に摂取する量が少なく、外気の寒さもあって毒を摂取した者に気づかれにくかった。
 さらに、雪白と共に獣ような生活を送っていた蔵人の内臓機能は強く、鍛え込まれた身体の体力と召喚された時に得た高所と寒さへの耐性、さらに寒空の下で蔵人を温めていた雪白のお陰で、蔵人はリュージや特隊と違い死ぬこともなく、後遺症もなく、生きて相討ちを成功させることが出来た。
 意地と執念、諦めと運、そして交友関係が複雑に絡み合い、偶然とも必然とも言いがたい結果を生んだといえた。


******


 国営商会が空を飛び、そこで戦闘になった。そして気づいたら倒れていた。
 蔵人は当たり障りのないことをアキカワに話した。
 真実の告白などしない。死ぬまでこのことは黙っているつもりであった。
 だからと言って、罪の意識もない。
 自らの生存権を揺るがされたがゆえの行為である。
 リュージが脅迫などしなければ何事もなくお互いに生きていた。
 現にアキカワは殺せない。危険性はあるが、蔵人には殺すという選択肢は取れないし、そんなことを考えもしなかった。蔵人の生存権を侵しているとは言い難いアキカワを殺すことなど出来るわけがなかった。

「……そうですか」
 蔵人の話したことは生き残った特隊が話したこととほぼ同じであった。
 蔵人を疑う証拠など何一つない。
 リュージは怪盗スケルトンに殺された。
 それで間違いはない。
 だが、蔵人のなんの感情も感じられない呟きがアキカワの耳にこびりついていた。
 アキカワは形にならない漠然とした感情を胸の内に隠しながら、蔵人にきく。

「……一緒にアルバウムに来ませんか?」
 アキカワの知る範囲で、リュージのような召喚者はいない。だが、心の内側はまではわからない。蔵人を利用しようとするものが再び出てこないとは言い切れなかった。
 蔵人はベッドに腰かけたまま、雪白の喉元をくすぐる。
「……極端な怒りや恨みはないが、信じることも出来そうにない。
 あんたみたいに感情をひとまず置いて、周囲とうまくやれるとも思えない。エスティアの件で分かっているだろ? あんたに恨みもないが、簡単に割り切れもしない」
「……私とて全てうまくいっているわけではありません」
「だろうな。大変そうだ」
 リュージやハヤト、エリカ。あんな召喚者達の面倒を見るなど考えただけでも蔵人にはお手上げである。
 二人は何とも言えない顔をしあった。
「……そう、ですか。分かりました。病み上がりに長々と失礼しました」
 アキカワはペコリと頭を下げて部屋を出ていこうとするが、ドアの前で立ち止まる。
「――一つ、言い忘れていました。私が分かる範囲では、彼が情報を流した形跡はありません。彼自身に何かあった時のために情報を流す準備はしていたようですが、今回は前もって潰すことができました。私が知らない特殊な魔法具でもない限りは、おそらく蔵人さんの情報は流れないはずです」



 アキカワは部屋を出て、ドアをゆっくりと閉める。
 もう太陽は真上に差し掛かりつつある。それもあってがいつかとは違って廊下は明るい。だが、光の届かない隅のほうは暗かった。
 アキカワはその暗い隅を見つめる。
 最後の手段として、リュージを殺すことを考えていた。
 そしてもしリュージを逃がしてしまったら、蔵人を殺していた、かもしれない。
 そんなことが出来たか、とアキカワはじわりと汗ばんでいる手の平を見つめた。
 どちらにせよ、唾棄すべき結末だった。とりわけ後者は許される余地など微塵もない。
 だからもし仮に、なんらかの方法でリュージを蔵人が殺したのだとしても、アキカワには責められなかった。過剰といえなくもないが、リュージはそれだけのことをしている。
 だがアキカワには拭えない不安があった。
 リュージが殺されたと聞いた時の蔵人の淡々とした呟き。
 鳥人種の少女、ファンフを躊躇うことなくあっさりと殺したその精神性。

 火の粉が降りかかれば蔵人は召喚者を、生徒を殺す。

 躊躇することなく、一片の容赦もないだろう。
 加護のない蔵人は決して強いとは言えない。だからこそ、生きるために苛烈になる。
 それを責める立場にないことは分かっている。
 だがそれでも……。
 生徒たちと対峙する蔵人を見た気がした。
 教会の屋根に突き刺さるリュージの姿に、生徒たちの姿が重なった。
 アキカワは不吉な想像を振り払い、じっとりと汗ばんだ手を強く握って日の差し込んでいる廊下を歩きだした。
 今回のようなことにならないように動くのだ。
 だが、手を尽くしてもなお対峙することがあれば、その時は……。



 蔵人はアキカワが去った後のドアをしばらく見つめていた。
 ドアの閉まった瞬間に、召喚者たちとの明確な決別を感じた。
 同じ召喚者を殺しておいて、召喚者たちにぬけぬけと合流することなど出来る訳もない。
 そもそも合流する気もなかったが、この件で完全に召喚者たちと帰属を同じにするということはなくなった。
 交わることはあるだろうが、同じ帰属を背負うことは決してないだろう。
 それを覚悟して、蔵人はリュージを殺した。
 リュージに手を下さなかったアキカワの反応を見ていても分かるが、召喚者たちにとって殺人は禁忌だ。
 勿論、蔵人にとっても禁忌である。
 ゆえに、召喚者がそう思うのも当然だと思っている。
 エリカやハヤト、そしてアキカワのように守るために殺人を決意するということはあるだろうが、それでも同じ社会で育った召喚者を殺すというのはこの世界の人間を殺すのとは明確に違う。
 蔵人とて躊躇いこそ見せないが、この世界の人間と同じ日本人を比べれば、殺すための感情に違いはある。
 まして日本人という集団の中で生きてきた召喚者ならば、その抵抗感の強さは想像に難くない。

 だが、蔵人は自衛に限って殺人という手段を肯定してしまっている。
 日本で育まれた良識に従って殺人を禁忌としながら、限定的な状況に限って殺人を許容している。チンピラに絡まれた場合や脅迫された場合の持論にはこれが根底にあった。
 日本という社会で、蔵人は普通から零れ落ちた。
 だがそれでも生きていくために、重荷となりそうな普通の内のいくつかを削ぎ落し、なんとか社会の端で人に迷惑をかけないで生きていた。
 だがそうして削ぎ落し、未練がましく捨てたものを見つめ直していると本当に必要だったものなのか疑わしくなった。一つを疑いだすと、全てが疑わしくなり、蔵人は自分を構成していたあらゆる要素を見直すことになった。
 そうして社会から落ちもせず、端っこのほうでなんとか生きながら、考え、それを絵に還元して生きていたところで、この世界に放り込まれた。

 蔵人がこの世界に放り出されたとき、他の召喚者と違って一人であった蔵人には従うべき日本という社会は、自身の内面にしか存在していなかった。
 それが蔵人の内面の変化を加速させた。
 自分を救うために、敵を排除する。
 大切なものを守るために、殺す。
 基本的に殺人を悪と考えている召喚者たちとはまず間違いなく折り合いはつかない。
 死に物狂いで自分を守ることが善ではない。
 そんなことを納得するわけにはいかなかった。
 仮に召喚者たちの前で、蔵人がリュージを殺したとするとどうなっていたか。
 脅迫されたから殺した。
 日本では殺人罪である。その理由がいくらか斟酌されたとしても過剰防衛である。
 表向きは蔵人だけを強く非難することはないかもしれない。
 だが、同じ日本人を殺した蔵人を心底から受け入れることはない。それほどに殺人というものへの忌避感は強い。
 蔵人もそうであったからこそ、それが分かるのだ。どんな事情であれ、殺人は許されない。罪悪だと思っていたからこそ。
 蔵人と召喚者。もはや根本的に相容れない存在となっていた。
 蔵人はそう考えていた。

 寝台にごろりと横になり、蔵人は天井を見つめた。
 ミシッ。
 寝台が悲鳴をあげる。
「――おい、なんだっ、ばか押すな、落ちるっ」
 雪白がのそりと寝台に乗り、蔵人を寝台の端に追いやって横たわる。
 何も言わない。
 だがまるで、私がいるだろとでも言っているように感じ、蔵人は苦笑する。
 そして雪白の温かな柔毛を感じながら、心地よい眠気に身を委ねた。





 リュージを教会で晒した後、ジーバは竜山の隠れ巣に戻り、絵を見ていた。
 報酬である、蔵人の描いた絵を。
 洞窟には蔵人の私物はすでになく、奥の部屋に絵が立て掛けられてあるだけであった。
 その絵は以前の二枚の絵と違って、様々な色が使われた油絵であった。北部の国の絵とそれほど差はない。いくつかの色は蔵人に頼まれてジーバが用意した宝石であった。

 どこかの館の中で、女の姿をしているジーバ。
 穏やかな微笑みを浮かべていた。
 いつものように黒い薄衣を着て、椅子に腰かけていた。
 細みの身体だが、お腹がふっくらとし、そこに生命が宿っているのを感じさせた。

 その絵を見たジーバは不愉快だと言わんばかりに眉間に深い皺を寄せる。
 描かれた生活様式はマルノヴァ風。
 ケイグバードの生活様式でないため、その絵には酷い違和感、いや不快感を感じた。
 何より、一目見たときから怒りが湧いていた。
 ジーバは戦士である。それを冒涜された気がした。女はこうであれ、とでも言うのだろうか。
 そういう意味では怒り、という感情を呼び起こしたとも言える。
 期待し過ぎたのかもしれない。
 確かに感情といったが、これでは侮辱でしかない。

 ジーバは感情のままにそこまで考え、しかし目を瞑って感情を押し留める。
 ……あの男がこんな程度の低いことをするだろうか。
 確かに才気奔った者でも、武勇に秀でている者でもない。聖人のような精神を持っているわけでもない。凡俗である。
 だがそのくせ、外道に落ちようともしない。
 今回の勇者殺害にしても、わざわざ言う必要なんてなかった。勝手に利用すればよかったのだ。
 決して強くはないのに、律儀で、情を捨てない。約束は全て真言であるかのように守る。 
 本来であれば、それは決しておかしいことではない。
 人が人として、己が己として生きていく。誰かに侵されない限り、誰も侵さない。
 それだけのことだが、どうしても軋轢を生む。弱者であればなおさらだ。強者は弱者のそれを許さない。
 だがそれでもなお、貫こうとしている。
 そんな奴が、勝手な理想を押し付けるような絵を描くだろうか。

 ジーバは最初の感情をひとまず置いておき、ゆっくりと目を開く。
 すると、壁に立て掛けられている絵の下に葉紙の切れ端を見つけた。そこには――。

 北部の大きな教会、もしくはレシハームの礼拝場に飾られることを願う。

 それだけが書いてあった。
 ジーバはこの絵がサンドラ教の教会に飾られているのを、レシハームの礼拝堂に飾られるのを想像した。
 そして、理解する。
「……なかなか性格が悪いな」
 ジーバは悪戯な笑みを浮かべる。
 この絵は骨人種を認めない北部の人種に対する痛烈な風刺だった。
 確かに何も知らない者がこの絵を見れば、自画自賛するわけではないが、まさしく慈母である。
 勇者ミドを拾い、育てた聖母といえなくもない。というより北部の国の妊婦の絵は多くが聖母をモデルとして書いた宗教画だ。
 だがこの妊婦が骨人種だというなら、意味はガラリと変わる。
 骨人種の幸せが描かれた絵を、骨人種から幸せを奪った者たちが信じるサンドラ教や精霊教の神聖な場所に飾る。
 人種から魔獣に分類される骨人種の女の絵を聖母であると信じて、多くのサンドラ教徒や精霊教徒が神聖なものとして扱うだろう。
 受肉した骨人種と人種の判別もつかないのに、姿形しか違いのない骨人種を差別する人種。
 蔵人はその矛盾を描いたのだ。

 ジーバはふと気づく。
 不思議なものでそうして受け入れてみると、ありのままにこの絵を見ることもできた。
 ああして夫に笑いかけ、子を宿し、穏やかに生きる未来もあったかもしれない。
 そんな小さな感傷が、ジーバの胸に去来した。

 怒り、皮肉、そして感傷。
 蔵人は見事にジーバの要望にこたえていた。 
 隠れ巣の洞窟には三枚の絵が残されている。
 ジーバの絵が一枚、そしてエスティアという娼婦の絵が二枚。
 ジーバはしばらくこのままにしておこうと思う。
 いつ描かれたか分からない盛大な皮肉の絵と、誰ともしれぬ娼婦の絵。
 ときたま来て、眺めるのもいいだろう。
 もし発見されることがあれば、それもまた一興である。気が向けばどこかの教会にそっと寄付してもいい。
 何年後、何十年後、何百年後に誰かがこの絵に気づくかもしれない。
 名もなきハンターの絵を。
 そんな未来を想像することも楽しい。
 自分に未来があるなどとは思わないがゆえに、余計に。
 ジーバはしばらくの間、子を宿した自らの絵を見つめていた。





 幾日か経つと蔵人の身体は完全に復調し、蔵人は酒場の女将であるレイレたちに別れを告げた。
「……そうかい」
 レイレは名残惜しげにアズロナの鬣を指で撫でた。
「まあハンターだしな」
 エカイツはそう言いながらも表情はどことなく暗い。エカイツの年齢ではもし次に蔵人がバルティスを訪れたとしても自分は死んでいるかもしれない。それ以前に、これが今生の別れになるかもしれない。
 蔵人はいまだにぴんと来ていないが、一度の別れが永遠の別れというのはこの世界ではよくあることであった。
 蔵人たちはそんなしんみりしたレイレたちに見送られ、マルノヴァの港に向かった。


 一昼夜でマルノヴァの港に到着するとフードの中からアズロナが顔を出してもの珍しげにキョロキョロとしている。雪白はもう慣れてしまったのか、周囲の視線を集めながらも蔵人の横で欠伸などしている。
 大きな船が目の前にあった。
 人夫や船夫たちの怒号が聞こえていた。
 船の行き先はサウラン大陸までの中継地点、東南大陸の龍華国(ロンファ)にある外国人居留地である。
「――いくか」
 港の喧騒に気圧されていた蔵人は雪白に声を掛け、船に向かおうとした。
 そこで、黒いローブを羽織った者とすれ違う。
 甘いバニラのような煙木の香りがふわりと漂った。
 蔵人はその匂いに記憶を刺激されて、足を止めるが――。
 かぷ。
 耳を噛む、堅い感触。痛みはない。
 蔵人が驚いて飛び退こうとするが、それよりも早く黒いローブは耳を離した。
 ローブの隙間から愉快そうにカカと笑う骸骨が見えたが、骸骨は何も言わずに背中を見せて雑踏の中に消えていった。

 骸骨、いやジーバに噛まれた耳を擦る蔵人。
 礼を言う暇もなかった。
 絵には満足したのだろうか。
 あの様子からすれば、満足したと考えても良さそうであった。
 蔵人はふと思う。
 美女に耳をかまれたと考えればいいのか、それとも見たままに骸骨に噛まれたと考えたらいいのか。
 嬉しいような、そうでもないような。実にくだらないことを考えていた。
 その様子を見た雪白がだらしない男だとでもいうように溜め息をつき、アズロナは無邪気に知り合いの出現に喜んでいた。
 蔵人はどことなく緩んでいた顔を引き締め、船に向かって歩き出した。

 まだ見ぬ砂漠の彼方に、何かがありそうな気がしていた。





 
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