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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第三章 船を待つ日々/後月
82/144

80-非討伐方式木質判別法

 開けたドアから入り込んだ冷たい外気に身震いする。

 そして蔵人は昨夜の酒が身体の中でしっかりと気だるさに変換されてしまったことにうんざりしながらも、開けたドアの隙間から霧にまみれたミルコとその護衛たちをぼうとのぞき見た。

 いくら二日酔い気味の鈍った頭でも、ミルコの目的が小屋に立て掛けられている丸太、這い寄る木なのは分かっていた。


 丸太は小屋に入らない。

 重さを無視するなら肩に担ぐことができる太さとはいえ、全長はそれぞれ二メートルほどもあるのだからボロ小屋に入るはずもない。

 這い寄る木(アルジェ)を研究しているミルコのことを考えれば、万全を期して村には寄らず、そのまま帰ったほうがよかったのかもしれないが、蔵人は剛猿人に付き合って限界近くまで呑んでしまっていた。

 久しぶりに気持ちのいい酒であったのだが、剛猿人のうわばみ具合といったらイライダクラスである。

 普通に呑める程度の肝臓しか持ち合わせていない蔵人は、剛猿人と競うようにしてしこたま呑んだ雪白のようにケロッとはしていられず、ふらふらと村に戻って小屋で眠ってしまった。


 ミルコが目の前にいるのはほかならぬ眠気を優先した自分のせいである。

 おそらくサンプルに少し分けて欲しいということなのだろうが、それならばなぜそう言わないのか。

 蔵人は漠然とした面倒な予感を感じながらも、

「……まあ、入れ。ただ、しばらくしたら出発するから、手短にな」

 そう言ってドアを開いてミルコたちを中に招き入れた。


 といっても何もない狭苦しい小屋である。

 小屋の奥に雪白を背にして蔵人が座り、その正面にミルコが座ればそれ以上、人が座ることなど出来ず、護衛のハンター二人はミルコの背後に立つことになった。


 ガスパロ、昨日、門の前で蔵人と顔を合わせた中年の男は二度目ともあって雪白を見ても過剰な緊張こそしていないが、ベテランらしい相応の警戒感をにじませていたが、もう一人の若い男のハンターは蔵人をあからさまに不審そうな目つきで睨んでいた。


 そんなに嫌ならこんなとこに来なきゃいいんだ、と蔵人もさすがに言葉にすることはなかったが。

 身体に残る気だるさが鬱陶しい蔵人は面倒だなとしか思えず、現実逃避するかのようにぎぷーと気持ち良さそうに寝息を立てて眠るアズロナの首筋を指でくすぐった。

――ぎゅぅ

 アズロナは雪白の尻尾に包まれて目を瞑ったまま、くすぐったそうにするがいっこうに目を覚ます気配はない。


 実は昨夜の宴会で剛猿人の女、ムムルが悪戯心で少し酒を飲ませたところ、アズロナは何を想ったのかムムルの身体を登攀し始めた。

 ムムルはなんだかむず痒そうに、楽しそうにそのままにしていたのだが、アズロナは思わぬ行動に出る。

 ムムルの臀部に到達したアズロナはそこにあった尻尾にパクンと噛みつくと、なぜかそのままぎぷーと眠ってしまった。

 どうやら雪白の尻尾と間違えたようである。

 勇ましい雰囲気を持ったムムルは、僅かに頬を赤く染めながらもアズロナを優しく尻尾から引き剥がすと、小さな声でごめんと言いながら蔵人にアズロナを返却した。

 剛猿人の男が何故かくっくっと含み笑いをしていたが、頬を赤くしたムムルに脇腹を殴られ、悶絶するが、酒盛りはそれを無視して続いていった。


 アズロナはそれっきり寝たままで、今も幸せそうな顔をして雪白の尻尾に包まれて、あぐあぐと白毛を甘噛みしている。

 

「――それで相談というのは、外に置いてある這い寄る木のことなのですが。昨夜取ってきたのですか?」

 ミルコが興味深げに尋ねてくる。

「ああ、私用でな」

「木質の判別は」

「なんでもいいんだ。その辺りの木でもよかったが、どうせなら多少なりとも普通の木より丈夫な這い寄る木を使ってみようと思っただけだ」

「ということは僅かでも譲ってもらうことは――」

「――無理だな。どれほど使うか分からない。それに護衛のハンターに頼めばいくらでもサンプルは取れるだろ?」

 蔵人がミルコの後ろに立つガスパロに目を向けるが、ミルコは蔵人の問いに答えることなく、真剣な目つきになって蔵人を見た。


「這い寄る木の木質は討伐してみるまで分からないというのはご存じですよね?」

「ああ」

「ならば、這い寄る木の木質が討伐しなくても分かるようになったらどうなると思います?」

「……便利になるんじゃないか?」

 蔵人は少し考えてからそう言った。

 用途ごとに安定して供給することが出来るようになれば、コストも下がり、利用の幅も広がる。燃えにくい木質、凍りにくい木質、堅くて軽い木質、重くて堅い木質など、用途別に効率よく集められるのなら利用価値は跳ねあがる。


 便利、などというざっくりとした蔵人の回答にミルコは苦笑いを浮かべながらも正解ですと言って、続けた。

「そうです。這い寄る木は、普通の木材よりも多種多様で、なおかつ矛盾するような性質を併せ持つことがあります。船にしても従来よりも頑丈な船が安価に供給できるようになりますし、お金のない村でも安価で強固な外壁として使うことができます。それによって多くの人が救われると思っています」

「……数が揃えばな」

 ミルコは蔵人の言葉にどこか得意げな顔をする。

「奥の森に限っていうなら見えている部分の半分が這い寄る木だとも言われています。多くは眠っていますがね。でも他の地方でもそういうところは多いですから、数に関しては問題ありません」

 鼻掛けの丸メガネをくいと直しながら、ミルコは続ける。

「僕は這い寄る木を討伐しないで見分ける方法、非討伐方式木質判別法を研究しています。這い寄る木の売買も行っているこの村にその秘密があるのではないかと思っているのですが……」

 そう言ってミルコはその理由を語った。


 村を囲う木杭塀は全て同質のもので、堅く重い。そして、精霊魔法にすら多少の抵抗力があるという。

 そのことを村長に問い質しても木杭塀は自分が生まれる前から存在していたのであって、どうやって作ったかは知らないらしい。

 木杭塀の補修に使う這い寄る木は長い年月をかけて一本ずつ貯蔵していったもので、木質を効率的に選別したわけではないという。さらに木杭塀もそうして長い年月をかけて作られていったのではないかという話だ。


「確かに筋は通っていますが、僕はどうにも納得がいきませんでした」

 ずり落ちやすいのかミルコは鼻掛け丸メガネを再びクイと指で整え、蔵人を見据えるが、さっきまでとは雰囲気が違っていた。

 頼りない印象こそ薄れていないが、目つきが僅かに鋭くなっていた。

「だからといって話してくれなければどうにもなりません。

 そうして研究にも行き詰まり、完全に手だてがなくなったところで貴方が現れ、翌日の早朝にはまったく同質にしか見えない木質の這い寄る木を二本、持って帰ってきたというわけです。

 なぜわざわざ夜に這い寄る木を取りにいったのです?貴方は何かを知っているのではないですか?報酬は些少ですが支払います。もしそれが画期的なものなら正式に契約書をかわします。何か知っているなら教えて下さい」


 ミルコの目的は、ミルコが言うところの這い寄る木の非討伐方式木質判別法であった。

 ミルコは何がしかの大きな使命感のようなもので研究しているようである。

 だが、蔵人がすることは決まっていた。

 エカイツ、そして剛猿人との秘密を守る。

 それが蔵人にとっての正しい筋であり、その筋を守る以外に斟酌するものはなかった。

 

「……勝手に触れたのか?」

「触れてはいません。見ただけです」

「見ただけでまったく同質だと?」

「確かに見ただけでは完全に同質とは言い難いですが、酷似しているのは確かです。触らせてもらえば正確に分かります。それに完全な同質とは言えないにしても、あれだけ似た質の這い寄る木を偶然手に入れたというのは無理があります」

 蔵人は肩を竦める。

「そんなことを言われてもな。あんたが同質だというならそうなんだろうが、偶然だ。人種の双子と同じで、這い寄る木にも双子がいるんじゃないか?」

 動揺すら見せない蔵人の返しに、ミルコが一瞬考える素振りを見せると蔵人が聞き返した。

「反対に聞くが、夜に狩りをするのはおかしいのか?」

「……僕が知る限り、一般的なハンターは夜に狩りをしません。特殊な依頼や襲撃でもない限りは」

「見ての通り、俺は猟獣と一緒に狩りをする。さらに俺の親和力は闇精が一番高い。そうすると、夜の狩りはそれほど難易度の高いものじゃない。むしろ、競合する者がいない夜のほうが楽だ。魔獣も活発に動いているしな」

 全て偶然だ。都合がいいから夜に狩りをした。とは随分と強引な話である。

 だが、蔵人がこう言ってしまえばはっきりとした証拠をミルコが提示しない限りはどうにもならない。

 何を考えて証拠もなしに問いかけてきたのか。

 蔵人は内心で首を傾げながらミルコを探るように見た。



 ミルコはズレてもいない鼻掛けメガネを指でくいと整える。すっかりと癖になってしまっていた。

 ミルコとしてもきちんとした証拠が揃ってから話したかったのは山々だが、このハンターがいつこの村を出ていくかわからなかった。

 サンプルデータこそ集まったが、それ以外は何もわかっておらず、研究は行き詰まっていたのだ。

 ならばと村長や村人から話を聞いてみるが、何度聞いてもまるで要領を得なかった。話してくれることといえば、この村には這い寄る木を祀った祠があり、サンドラ教と共に今も信じられ、年に一度ほど祭りのようなものがあるということ、奥の森には霧の民がいると言われていることだけだった。


 そんなことは分かっている。

 この村に来たのは今回だけではないし、昨日今日の研究ではない。

 だが研究も聞き取りもなんの収穫もなかった。

 非討伐方式木質判別法が研究対象となって三百年以上も経つが、多くの研究者がそんなことは不可能だと研究を辞め、それが通説となってしまった。

 過去に多くの研究者がチッタ村を訪れ、何も発見できずに去ったらしいが、ミルコの勘は必ず何かある、と感じていた。

 だがもう時間がなかった。翡翠の砦の好意によって格安で護衛のハンターを雇うことが出来たが、研究費など微々たるものでしかない。


 焦っていたのかもしれない。

 だから証拠も何もないまま、なんとなく引っかかる怪しいハンターと話をして、そこから何がしかを掴もうとした。

 だが村とは関わりのないはずのハンターは、村長や村人のようにまるで手応えがなかった。

 表情も口調も、終始ほとんどかわらない。

 嘘をつくというよりは、何も話す気がないという気配であった。余計なことなど何も言わない。

 そのことに少し、驚いてもいた。

 無知ゆえに頑迷さにも見えるが、その目は極めて理知的であった。


 ユーリフランツでは政府によって基礎教育が行われ、読み書きや加法減法、基礎魔法、運動、歴史などが教えられている。

 しかし子供たちは早ければ十歳より下、遅くとも十二歳にもなれば本格的に働きだしてしまうため、富裕層や特に優秀なものしか高度な教育は受けられない。辺鄙な農村や辺境であればその年齢はさらに下がり、サンドラ教の協力はあるものの、基礎教育すら受けられないというのがほとんどであった。


 このハンターは学者である自分に対して無遠慮に言葉を投げかけてくる。

 それが異質であった。

 基礎教育止まりならば学者である自分に対して大なり小なり気遅れというものがあるのだが、このハンターにはそれが一切ない。

 その無遠慮さは旧冒険者三種に揃っていえることでもあるのだが、彼らにそういうものが一切ないかといえばそうでもない。旧冒険者三種は基礎教育すら受けることが出来なかった者も多く、それがある種の劣等感になって正反対の存在である学者に対し、反発的な態度をとらせていることが多かった。

 反対に学者に対して極めて友好的な、憧れともいえる感情を向けてくる相手もいる。

 だが、このハンターにはそのどちらも感じられなかった。

 つまりこのハンターはそれなりの教育を受けているということになる。

 

 そうするとミルコはこのハンターを完全に見誤ったことになる。

 騙してどうこうする気はなかったが、上手くすれば協力を取り付けられ、最低でも何がしかはわかるだろうと高をくくっていた。

 だが分かったことは、何かを隠している、ということだけ。

 それはおそらく、この村に来て確信したことと同じで、這い寄る木の非討伐式木質判別法に関わること、という以外にはないだろう。

 無論、明確な証拠はない。

 だが村の木杭塀、這い寄る木を祀った祠、怪しげなハンターが手に入れた同質の這い寄る木。

 ミルコにはそれらが関連していないとはどうしても思えなかった。


 

 蔵人はそれ以上何も言うことはないととでもいうように口を噤み、雪白の尻尾ごとアズロナを持ちあげ、尻尾と一緒にくすぐりだした。

 雪白が鬱陶しそうな顔をするが、蔵人がくすぐるたびに耳をぴくっ、ぴくっと動かしていた。


 ミルコにもこれ以上、問うすべがなかった。

 だがそうして蔵人とミルコが黙りこくっていると、

「――俺たちの報酬は高くない」

 突然、沈黙を破ってガスパロが口を開いた。

 蔵人はアズロナと尻尾を持ったままガスパロを見る。

「俺たちの所属する翡翠の砦はマルノヴァで一、二を争うクランだ。プロフェッサーの払う報酬ではたった二人とはいえ、翡翠の砦でも中堅のパーティである俺達を雇い続けることはできない。だが、俺たちは少しでもこの国のためになるなら、という思いもあって依頼を受けた。

 もちろん、研究費の少ないプロフェッサーの依頼とはいえ、国からの依頼という形になる以上はクランに箔をつけるという意味合いもある。だがそれ以上にプロフェッサーの研究が人を救うと信じている。

 もし何か知っているのなら協力してくれないか?」

 ガスパロの真摯な言葉。

 蔵人には国のため、と言い切れる彼らが少し羨ましくもあった。


「――協力も何も偶然だと言ってるだろ」


 だが尻尾をくすぐりながら答えた蔵人の言葉は素っ気ないものだった。相手の意を汲む気など微塵も感じられないものである。


「――多くの人が救えるんだぞっ。貧しい村にも強固な防壁を築ける。武器だって安価で強力になる。ハンターなら分かるだろっ!」


 蔵人の態度に若いハンターが怒鳴った。ガスパロが宥めるが止まらない。

「魔獣被害に泣く者が減る。親を亡くして泣く子が、子を亡くして嘆く親が減る。多くのユーリフランツ人いや、多くの人が救われるんだぞっ!」

 事実である。非討伐方式木質判別法は間接的に多くの人を救い、歴史に名を残してもおかしくない発見である。蔵人もなんとなくそれは分かっていた。


「――偶然なんだから俺にはどうしようもない」


 だがそれは、蔵人にとって秘密を開示する理由にはならない。

 仮に蔵人が秘密を開示してしまえばどうなるか。

 それを知っていた者たちはどう扱われるのか?

 そしてそれが人種じゃない場合はどうなるのか?

 多くの富を必要としない者、ひっそりと生きたい者はどうなるのか?

 この森はどうなるのか?誰かが守ってくれるのか?

 食いものにされない保証はあるのか?

 少数の部族を捨て、大多数の他人種を救うことが正しいのか?

 そんな内心の問いは蔵人自身の性質や背景に由来していたのかもしれない。決して合理的なものではなかった。

 だが蔵人はそんな疑問を、口にする気もなかった。

 言えば言うほど、疑われる。

 それにミルコたちがその問いに答え、過不足なく問題を解決できるとは思えなかった。


「――そろそろいいか?帰りたいんだが」

 蔵人の素っ気ない言葉に若いハンターはさらに言い募ろうとしたが、ガスパロが強く宥めた。

「だが、もう昼は過ぎてるぞ?今、村を出れば夜に」

「さっきもいったが俺たちには関係ないからな」

 ガスパロに言葉を返しながら蔵人が立ち上がると、ようやく尻尾を解放されてどこか晴れ晴れとした顔の雪白も眠ったアズロナを巻きつけたまま起き上がる。


「――どうしても協力していただけませんか」

 ミルコが縋るような目で蔵人を見上げた。

「協力出来るようなことがないんだからどうしようもないだろ」

 蔵人はそう言って小屋を出ようとするが、ガスパロを押しのけた若いハンターが立ち塞がる。

 だが蔵人が何か言う前にガスパロが若いハンターを引き寄せ、蔵人は小屋のドアに手を掛けた。


「――猟獣頼りの下位ハンターが偉そうに」


 不貞腐れた若いハンターが聞えよがしにそう呟くが、蔵人は一顧だにせず小屋を後にした。

 あながち間違いともいえないのだ。

 蔵人たちの背後で、若いハンターが苛立たしげに小屋のドアをガンッと蹴るが、蔵人はそんなことはお構いなしに雪白の尻尾に齧りついているアズロナを引っぺがしてフードに突っ込むと丸太を一本担ぐ。

 もう一本を雪白が尻尾を巻きつけて持ちあげると、蔵人たちは村の門に向って歩いて行った。

 


 実際のところ、ミルコの勘はおおよそ合っていた。

 蔵人も知らないことだが、チッタ村では代々の村長だけが剛猿人との関係を続けており、他の村人は知らなかった。

 一年に一度、這い寄る木を祀った祠で行われる特別な儀式の際、代々の村長によってひっそりと取引が行われていた。

 村を囲う木杭塀ははるか昔に剛猿人と取引したものであり、村の周りの危険な魔獣を間引くのも取引の一つである。そしてさらにひっそりと希少な這い寄る木を村長が受け取り、偶然手に入ったことを装って外部に売っていた。

 そして村からは森では手に入りづらい、金属製品や食料、薬などを提供していた。

 決して大きな取引ではない。

 大きくなれば部外者にばれてしまうからだ。

 遥か昔に弾圧されたことのある剛猿人たちはひっそりと生きたいだけで、それほど多くを必要とはしていなかった。飛竜の生息域と剛猿人の生活圏は重なっているが、食べられないと言われた飛竜を食べられるようにしてまで彼らはひっそりと生きてきたのだ。

 一部の者が知る霧の民との接触方法は剛猿人たちが隠棲してしまう以前のものであり、義理堅い剛猿人は危険性が低いと判断した場合にのみ、取引を行った。

 取引相手を判断するためのチッタ村逗留であり、もし仮にミルコが接触方法を知っていたとしても、隠れ潜んで生きていたい剛猿人たちは過去の研究者がここを訪れた時と同じように、姿を現すことはないだろう。

 剛猿人はそうやってずっと生きてきたのだ。これまでも、そしてこれからも。


 

 チッタ村を出て、隠れ巣に向かっていた蔵人はミルコのことなどすっぱり忘れて、目の前の光景に苦笑していた。

 魔獣とは、いや雪白はどこにいこうとしているのか。


 轟と背筋の寒くなるような音を立てて振るわれる丸太。

 キャンッと鳴いて、吹き飛ぶ森林狼たち。

 丸太・ハッピーとでも言えばいいのか、何やら楽しげな雪白がそこにいた。


 マルノヴァには戻らず、チッタ村から竜山に向かって直進した蔵人たちは、霧の漂う針葉樹の森林を進んでいた。

 すると徐々に霧が薄くなり、針葉樹の森林と共に唐突に視界が開けると、枯れた草原の中にポツポツと木々が立つ場所に出た。

 そこで雪白は暴れているわけだが、まさに鬼に金棒、雪白に丸太。

 雪白は尻尾に装備した丸太を損傷させることなく、次々と森林狼を吹っ飛ばしていった。

 一切傷のつかない丸太は盾に向いているようにも見えるが、よく考えるとそれが雪白の技術なのか、それとも丸太の丈夫さなのかわからない。


 だが、なぜこんなことになったのか。

 本来、雪白がいると狼等はよほど腹が空いていなければ近寄ってこない。

 しかし今回は蔵人とアズロナが木々の疎らな森を囮のように歩いて獲物を招き寄せ、潜んでいた雪白が嬉々として襲いかかったのだった。


 尻尾に丸太があったから使ってみた。

 雪白にしてみたらその程度の理由だったのだろうが、これが思いの外、楽しかったらしい。

 ぶんっと音を立て丸太を振るい、縦横無尽に踊る雪白の独壇場を横目に見つめながら、なんだか狼のほうが哀れに見えてくる蔵人であったが、雪白に討伐された森林狼はしっかりと食料リュックにおさめていった。



 雪白の丸太事件を経て、破損して二つに割れた氷戦士の丸盾を取りに隠れ巣へ帰ってきた蔵人たちはまず露天風呂に直行した。


 日が暮れて、白い半月がぽっかりと夜空にのぼり、冷たい夜気に温泉の白い湯気が揺らめいていた。

 そこにいい汗かいた、とでも言わんばかりな表情かおで気持ち良さそうに蔵人に洗われ、ざぶんと温泉に飛び込む雪白。

 ぷかぷかと浮いていたアズロナが楽しそうに波にさらわれていた。


 旅の疲れを露天風呂で癒した後は、食事である。

 二匹は行儀よく並んで、そわそわしていた。

 雪白もアズロナも飛竜の燻製肉が余程気に入ったと見えて、まだかまだかと蔵人が燻製肉を出すのを待っていた。

 最初のように食料リュックから取りだした燻製の詰まった皮袋に頭を突っ込むことこそなかったが、土の皿に飛竜の燻製肉を山盛りにすると二匹は揃ってたらりと涎を垂らしている。

 アズロナの手前、行儀の悪いことは出来ないと雪白は我慢しているようだが、早くっと蔵人を射殺さんばかりに睨んでいる。

 蔵人は雪白の前に酒の入ったどんぶりを置いてから、食べるのを許可した。

 二匹は凄まじい勢いでかぶりつき、しかしゆっくり噛締めて味わう。

 それを見ながら、蔵人も燻製肉を一切れつまみながら、蒸留酒をちびちびと口にした。


「――なにやら芳しい香りがするな」

 ジーバがいつものように、半裸、いやまかり間違えば全裸と言っても過言ではないような、色々と透けてしまっている薄い大きな黒布を羽織ってやってきた。

 全体的に細く、うっすらと見える肋骨とアカリよりも扁平な胸より、張りのある肉感的な臀部が目を引いた。

 だが、本来の姿は骨格標本である。

 蔵人はなんとなく複雑な気持ちで、ジーバを見つめていた。


「飛竜の燻製肉だ」

「ホゥ、飛竜が食べられるとはな。燻製か……」

 蔵人がちゃぶ台の上に燻製肉と酒を置くとジーバもちゃぶ台の前に座る。

 蔵人は他にも剛猿人との酒盛りで適当に作った朧黒馬の薄切り肉と霧キノコの炒め物、大口肉の丸焼きなどを並べていった。


 蔵人も既に、ジーバの正体がミド大陸で忌み嫌われている怪盗スケルトンだと察しはついていたが、そのことを聞くつもりはない。

 とはいえ何も知らないというのも何かあってからでは遅いかと、怪盗スケルトンのことはマルノヴァの協会で調べてあった。


 ジーバは怪盗スケルトンとして十年ほど前からミド大陸、特に北部三国を襲っているようだった。怪盗というのは一般民衆の間に広まっている一種のゴシップであり、テロリストと呼ばれることもあるが、公式には特別指定災害種として賞金をかけられている。

 怪盗スケルトンの行動は、盗みの手口こそ違えど、おおよそ同じである。

 予告状が標的となる街に届き、予定日に怪盗スケルトンが現れ、盗みを行っていく。

 ただし、何の犠牲もなしに盗み出したのは最初の三度だけで、それ以降は目標物を守る警備はもちろんのこと、その周囲に一般人がいたとしても必要とあらば容赦なく巻き込んでいた。

 最初の三度を無血で盗み出したのは四度目に起こったアルバウムの研究施設、古代魔法具研究所を襲撃するための布石だったとも言われ、所詮は泥棒と油断していたアルバウムは研究所を半壊、多くの犠牲を出したという。公式発表では魔法具は奪われることなく、多大な犠牲を払って撃退したとあるが、実際は多くの魔法具が奪われたはずだと噂された。


 その一件以来、怪盗スケルトンは特別指定災害種とされて賞金をかけられ、盗みが成功するごとにその賞金額は上がり、今では各国の賞金額を併せると約五百万ルッツにもなっているという。

 さらに未確認情報ではあるが、旧貴族や商人などからも盗みを行っているらしい。

 怪盗スケルトンという名は最初の三度の華麗な手口からゴシップ好きな民衆に呼ばれるようになった名であるが、四度目を成功させたジーバは自ら怪盗スケルトンを名乗り、骸骨が剣と杖を噛み砕いた紋章付きの予告状を出しては、街を恐怖に陥れていた。


 ここからは蔵人の想像である。

 ケイグバードの戦争はレシハームの勝利で既に終わっている。

 だが骨人種やジーバ・ロシャナフにとっての戦争は終わっていない。

 今もケイグバードの片隅に与えられた自治区という名の占領区で、降り注ぐレシハーム側の精霊魔法に怯えながら地下に生きる同族を思えば、ジーバに慈悲などなくて当然である。

 ジーバにとってはレシハームの凶行を援助したのが、ミド大陸の北部の国々なのだ。北部三国に従うしかなかった小国も同盟関係上、援助しなくてはならなかったとはいえ加担したのは事実であり、ジーバが容赦することなどありえないだろう。

 

 もし自分の国がジーバによって蹂躙されるのだとしたら、どんな理由があろうと敵対したであろうが、蔵人には帰属するべき国はなかった。

 実際のところ、完璧な真実など蔵人にはわからない。

 だがそれなら、特に敵対する理由もない。

 そしてジーバに敵対される理由もない。

 恐れる必要などなかった。

 ゆえに蔵人にとって、ジーバはただの隣人に過ぎなかった。

 


 ジーバも街ではなく竜山に住む蔵人の素性や理由を問うことはなかった。

 訳ありなのは確かであるが、それは自分も同じである。

 動く骨と絵を描く変わったハンター。

 それでいいのだ。

 必要以上に関わらない。

 それが討つべき敵を持つ者がそうでない者と付き合う時のならいなのだ、と。


 

 二人は確認し合うことなどなかったが、隣人として以上の干渉はしない、そんな距離感を保っていた。

「通路に転がっていた這い寄る木だが、家具でも作るのか?」

 美味そうに飛竜肉の燻製を食べていたジーバが顔をあげて言った。

「ん、ああ、盾が壊れたからな。既製品の盾じゃどうも物足りなくて、飛竜の盾を作ってもらうことになった」

「古めかしい物を。まあ、サウランじゃ使ってる奴もいるんだがな」

「あっちにも朧黒馬がいるのか?」

「あっちの飛竜とこの竜山の飛竜は種類が違うからな、当然組み合わせる素材も違う。そういう意味ではまったく同質な飛竜の盾という訳でもないか。

 それにしてもこの燻製肉は美味いな」

「そういうことか。……飛竜の肉は何をしてもまずかったんだがな」

 ジーバは一瞬、ぽかんと小さな口を開け、そしてくっくっと笑いだした。

「飛竜の肉の不味さは有名だろうに。飛竜の肉を食べるくらいなら砂を食べたほうがマシだと言われるくらいだぞ?特にワタシたちは匂いに釣られてしまうからな、先祖は随分と苦い思いをしたらしい。今でも幼子は大人に騙されて食べてしまうことがあるくらいだ」

 ジーバは心底可笑しいとでも言うように笑う。

 そんなジーバを蔵人、そして雪白とアズロナが恨めしげに見つめていた。

 大人に騙されて飛竜の肉を食べた骨人種の子供も同じような顔をしていたことだろう。


 翌日、蔵人は丸太と壊れた氷戦士の丸盾、そしてついでとばかりに折れたククリ刀、つまりは三剣角鹿(アロメリ)の角を持って隠れ巣を出発し、バルティスに向かった。

 

 バルティスに到着すると、残念ながら今回は振るわれることのなかった丸太を雪白が名残惜しそうに蔵人に渡したが、蔵人はそれは見なかったことにしてアズロナを預け、強化して二本の丸太を担ぎ、エカイツの工房に向かった。

 今回ばかりは雪白の玩具、もとい武器にしてやるわけにはいかなかった。


 エカイツの工房のドアを開き、中に入る。

 だが工房はガランとしていて誰もいない。

 奥か、と蔵人が歩き出した時のことだ。


 尻が、弾けた。


 あまりの衝撃に蔵人は大きなテーブルに前のめりに突っ伏す。

 敵かっと振り返ると、後ろにレイレがいた。ドアの後ろにいたのだろう。

 古めかしい棒を振りきった姿でこちらを睨んでいた。

 蔵人は尻を抑え、テーブルに突っ伏しながら内心で嘆く。


 イラルギ然り、レイレ然り。

 なぜバルークの女たちは尻を叩くのだろう、と。


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― 新着の感想 ―
やはり丸太は最強の武器なんだね…… ……「よーし、みんな、丸太は持ったか?」
蔵人の信念、というべき正しさとは違うものを見られて良かったです。丸太ハッピー!
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