77-二度目の試験
遅れました<(_ _)>
二匹目の緑鬣飛竜が翼腕を折りたたみ、先頭のカルロめがけて小枝を折り飛ばしながら猛スピードで滑空してきた。
咄嗟に伏せるカルロ。
飛竜の顎は空を切った。
だが、それだけでは終わらない。
滑空からの噛みつきは外れたが、飛竜は翼腕を広げ、カルロの頭上を急上昇しながら毒針のある尻尾を叩きつけてくる。
伏せたカルロを間一髪で蔵人が氷土で覆うと、尾の一撃は氷土を砕くだけに終わった。
蔵人がカルロの周囲に集まった全員を即座に氷土のドームで覆い、さらにレティーシャが樹精魔法でドームの内外を草木で覆って、補強した。
緑鬣飛竜。
大きさは馬に体長を優に超える翼腕をつけて脚をなくしたくらい。
痩身の大きなトカゲに竜鱗と鬣、翼腕をつけ、尻尾に鬣と同種の毛の小さな塊と毒針をつけたような姿をしていた。
単体としての戦闘力は朧黒馬やイルニークには及ばないが、飛行能力と群れを作る習性から、朧黒馬やイルニークと同格だとされている。
協会の推奨するところでは飛竜単体を相手にすると仮定した場合、対飛竜の装備をした上で、一般的な人種の四つ星や五つ星が二人、もしくは下位ハンターを数人率いた四つ星ならば狩れない相手ではない。しかし、それが二匹以上となると難易度は跳ねあがる。
素材の剥ぎ取り方や処理の仕方も難しいせいで飛竜の素材は割に合わないとされ、ハンターには嫌われていた。
現状の飛竜の数は、二匹。
レティーシャを中位ハンターとしても、それに下位ハンター四人。
対飛竜の装備もなければ、飛竜避けの香りも効かず、二匹ということで難易度が跳ね上がることを考えると、一般的なハンターであればここで全滅、もしくは一人二人を欠いて、なんとか逃げられるというところである。
たえまなく、蔵人たちの籠ったドームに二匹の飛竜が攻撃をしかけていた。
そのたびに砲弾が直撃したような音がし、砕けた氷土がドーム内にこぼれ落ちる。
砕けるたびに蔵人が修復しているのだが、このままでは身動きがとれなかった。
飛竜も当然魔獣であり、精霊魔法の気配には敏感で、ドームに籠ったまま飛んでいる飛竜を撃ち落とすのは難しい。
蔵人はドームに大きな石杭をはやしてみるが、飛竜とてそこに突撃するほど愚かではなく、尻尾で石杭を砕き始めた。飛竜が突撃してくる直前に石杭を生やしてみても、飛竜の鱗はそれなりに堅く、深手を負わすことは難しかった。
蔵人はため息をつく。
その間にレティーシャが光精で明かりを灯すと真っ暗なドーム内が明るくなった。
「魔力は持ちそうですか?」
「……半日程度なら」
蔵人の魔力はサレハド、ラッタナを経て現在に至るまで、枯渇させれば微増し、最大魔力量は僅かずつではあるが増えていた。
「そうですか、なら今から狼煙を上げますのでしばらくこの状態を維持してください」
「維持はどうにでもなるが、狼煙?」
「この森のどこかにいる試験官に救援を頼みます」
レティーシャは腰から細長い筒を取りだすと導火線らしき紐に着火し、蔦にそれを持たせて地中を通して外部に運ばせた。
レティーシャは黒煙草の詰まった筒が無事に蔦に運ばれたことを確認しながら蔵人の言葉に、表情こそ変えないが内心で驚いていた。
今も飛竜がドームを攻撃しているが、クランドというハンターは氷土が破壊されるたびにそれを驚くべき速度で修復し続け、それを半日は続けられるという。
試験中も大山荒の脚を四足同時に氷で固定するなど、精霊魔法の複数同時行使をこともなげにやっていたが、樹精魔法で補強してあるとはいえ飛竜の攻撃を防ぐレベルの防壁を形成し続けられることができるとは思ってもいなかった。
複数同時行使、魔力量だけならば一般的な人種の下位ハンターどころか、中位ハンターすらも凌駕している。
ランクではハンターの実力は計れない。
確かに目安にはなるが、手の内を隠し、実際の力よりも低ランクに留まっている者とていないわけでないし、その独特の性格から協会の昇格試験を受けても合格できない実力者もいる。
森にひきこもるエルフにはそういう者が多かった。
そう考えればあるいは自分とクランドの二人ならば逃げ切ることも不可能ではなかったが、ハンター、そして試験官という立場から残りの三人を見捨てるわけにもいかなかった。
レティーシャはどちらかといえば後衛の支援系魔法士であった。
相手の動きを阻害したり、後方から精霊魔法で防壁を形成したりするのが得意で、弓ももちろん得意であるが飛竜の鱗を貫くほど強力ではないし、目を射抜こうとすれば樹精魔法を使っている余裕などない。そもそも前衛もなしに二匹の飛竜が縦横無尽に空を飛んでいる状態では目を狙うことなどできなかった。
待つしかない。
狼煙に気づいた試験官が、他の試験官と合流し、こちらに救援に来るのは半日もかからない。
レティーシャがそう言うとドーム内はいまだ飛竜の攻撃による震動が響いているが、どことなく安堵の雰囲気が漂い始めていた。
――ドサッ
突然、カルロが崩れ落ちた。
「カルロッ」
リズが真っ先にカルロに近寄る。
カルロは全身がしびれ、呼吸困難に陥りかけているようだった。口からよだれを垂らし、痙攣しながら横たわっていた。
「飛竜毒です」
レティーシャがそう告げた。
先刻の飛竜の尾の一撃がカルロの身体のどこをかすっていたのだ。咄嗟に展開した氷土が薄かったようである。
「解毒薬はっ」
リズはレティーシャを見るが、レティーシャは首を横に振る。
そんな、とリズは振るえるカルロを抱き締めた。
「……どけ」
蔵人がリズを押しのけ、食料リュックから薬を取りだす。
「何をっ、ってもってるのっ?」
「いや、これは毒の効力を緩和するだけだ。――このままだとこいつはどれくらいもつ?」
蔵人がレティーシャに聞く。
「人工呼吸などをすれば呼吸停止だけは免れますが、それでも一時間もてばいいほうでしょう」
「この薬はそれを数時間に伸ばすだけだ」
蔵人はそう言いながら尾が掠ったであろう、カルロの頭部の傷にイラルギ直伝の毒の症状を緩和する薬を振りかけ、
「こいつを喉に流し込んでやれ。俺は男に口移しするなんざごめんだ」
そういってリズに薬を押し付けた。
リズは迷うことなく薬と水を口に含むと、ファビオが助け起こしたカルロに口移しで飲ませた。
苦しそうだったカルロの表情がわずかに緩む。
決して助かったわけではないが、どことなくほっとしたような空気が流れた。
「……あ、ありがとう」
リズがそう言って頭を下げた。
「助かった」
ファビオも同じように頭を下げた。
「俺が作った薬だ、あまり信用するな」
蔵人の言葉に二人どころかレティーシャまでが驚いた顔をする。
「作った?」
「ああ、世話好きな婆さんに、報酬代わりに教えてもらった。そんなに驚くことか?婆さんがいうにはハンターなら当たり前だそうだ」
レティーシャが珍しく呆れたようにいう。
「いつの時代のハンターですか。確かに百年以上前の冒険者、そこから分化した初期のハンターの一部はそんなことも出来たらしいですが、今のハンターはそんなことまでしません。エルフや辺境に住むハンターならともかく、普通の人種はそんなことしません。大抵は街で買えてしまいますから」
あの婆、一体いくつだ、と蔵人は小さく毒づく。
かっかっかっと愉快そうに笑うイラルギが見えた気がした。
「しかしこれで救援を待っている、というわけにもいかなくなりました。数時間後に救援が到着し、飛竜を討伐しているという保証は一切ありませんから」
「……カルロを助けたいです。もう仲間を失うのは嫌なんですっ」
リズが縋りつくような顔でレティーシャを見つめる。
「カルロはオレが背負う。頼むっ、なんとかしてくれっ」
二人にはもう頼ることしかできなかった。情けないことだが、二人の力ではカルロを逃がすことさえできないと気づいていた。
レティーシャとて助けてやりたかったが、この状況で逃げるとなれば誰かを失う可能性が高かった。
一蓮托生の登録パーティでもないのにそれを強制することはできないし、レティーシャとて自己犠牲の精神などない。
そもそもレティーシャは森長の命令で、嫌々協会に出向していた。
仕事をする以上は職務を放棄する気はないが、この状況でカルロを助けるために自分が死ぬなど職務の内に入っていない。生きる力の強い者を生かすのがハンターとしても、協会職員としても、そしてエルフとしても正常な判断であった。
レティーシャがちらりと蔵人を見る。
現在の協会制度では計ることの難しいこのハンターが協力してくれるならあるいは全員が助かるかもしれないが、それを強制することなどできなかった。
力があるかもしれないとはいえ、少なからず命を賭けることになるのだから。
場に残酷な沈黙が漂い始めた。
リズ、ファビオとて分かっている。
この状況でカルロを生かすことなどできないのだ、と。
それでも、スラムで助け合って生きてきた三人、いや四人なのだ。見捨てることなどできなかった。
「私たちが――」
「――囮になる、とか言うなよ?無駄死にだ」
「なっ」
蔵人がリズの言葉を遮って、現実を告げた。
確かにこの二人では足止めにもならない。
「だからって――」
「――レティーシャさん?だったか、提案があるんだが」
蔵人はリズとファビオが食ってかかってくるのを無視して、レティーシャに話しかける。
「なんですか?」
「こいつら三人を逃がしている間に、あんたと俺で飛竜の足止めをする。それに成功したら、俺を昇格させてくれ。ついでに足止めの間に俺がすることは誰にも、協会にも報告しないでほしい」
「貴方にそんなことができるのですか?」
「手段さえ選ばなければ。例えば毒とか、な」
意外と毒というものはハンターに嫌われる。
扱いが難しいということや獲物が毒に侵されて使い道が限定されてしまうなどいくつか理由はあるが、その毒がいつひっそりと自分の食事に盛られるかという恐怖があった。
魔獣被害の激しい辺境ではそれほどでもないが、街に近づくほど魔獣への恐怖より、そんなことは滅多にないのだが、毒をもつ同業者による暗殺を恐れるハンターが多かった。ある意味、近くにいる人間を信用しきれないという都市部の持つ、闇ともいえた。
よって毒を持つハンターは毒を持っているなどと公言しない。狩りで使うことがあっても、使ったあとは仲間の前で破棄するというのが暗黙のルールになっていた。
「飛竜は毒への耐性が強いですが……まだ何か隠している、というわけですか。
――いいでしょう。捕獲のほうは飛竜に襲われて逃がしてしまったということにしておきます」
あまりにもあっさり言い切ったレティーシャに蔵人のほうが心配になった。
「自分でいっておいてなんだが、そんなこと試験官にできるのか?」
「出来ますよ。ここにいる全員が口をつぐめば。まあ、喋ってしまったとしても私は構いませんが。そうすれば森に帰れます。それに明かしたくない手の内があるというのはエルフにとってはよくわかります。
精霊魔法を秘匿していた時代は随分と人種の干渉がうるさかったと聞いています。秘薬、武器、人種の欲は厄介ですからね。貴方の手の内も黙っていますよ」
レティーシャとしては好きで協会職員などやっているわけではない。協会、ましてや人種の国への帰属意識など持ち合わせていなかった。
試験に昇格させ、秘密を守るだけでこの場にいる全員が生き残ることができるのなら、いくらでも口を噤む。
この状況で全員を生かす、そんな判断が出来るなら、七つ星の資格は十分にあった。
一々それを、協会に事細かく告げる気などさらさらない。
嘘と槍はつき方次第、とは人種も面白い言いまわし考えたものである。
「だとさ。どうする?」
レティーシャと交渉する蔵人を見ていたリズとファビオに蔵人は聞く。
「……信用していいの?」
「信用せずにここで共倒れになるか、信用して一か八かに賭けるしかあんたらに選択肢はないだろ。だがどちらかといえば俺があんたらを信用できるかどうかだと思うがね」
自分とレティーシャの取引を口外するなよ、と暗に蔵人は言っていた。
リズとファビオは顔を見合わせ、そして頷き合った。
「もちろんです。私たちが試験に落ちたとしても、今日のことは、誰にも、協会にも言いません」
まあ喋ってもいいがな。生きてることを後悔させてやる、と蔵人がぼそりと呟いたがそれは二人には聞き取れなかった。
ファビオがカルロを背負うと、リズが蔵人とレティーシャを見た。
「ご面倒をおかけします。このご恩は忘れません」
「そんなことより、できればこちらに向かっているはずの試験官を見つけて状況を説明してください」
「もちろんです。カルロを出発地点の魔獣車に乗せたら、試験官を探します。そのために私も一緒に離脱するのだと思っています」
レティーシャは紐でくくった紙束を取りだした蔵人に向き直る。
「一匹は任せてもいいですね」
「ああ。飛竜がドームに攻撃した直後にでかいのを撃つから、その間にまずこいつらを逃がす」
「……上級ですか?」
「まさか。中級ですらおぼつかないのに、上級など使えるわけがない。初級魔法を同時展開で魔力任せに放つだけだ」
レティーシャが微妙な顔をする。
「貴方は本当にいつの時代のハンターですか。確かに同時展開の得意な古いエルフは中級精霊魔法はともかくとして、上級に該当する精霊魔法をなぜか苦手としていたと聞きましたが。貴方、人種ですよね?」
「たぶんな」
神らしきものに適応する力を与えられたとはいえ異世界人がこの世界にいる人種と同じなのかは蔵人にはわからない。
「まあいいでしょう。どうも魔力量も私より上のようですし、任せます」
レティーシャの言葉にリズとファビオが驚いた顔をする。
エルフといえば人種の数倍の魔力量を誇り、気むずかしいが優秀な魔法士を多く輩出している。それよりも魔力が多いとなれば、どれだけ魔力があるのか皆目見当もつかなかった。
蔵人たちは次の突撃を待っていた。
――ズンっ
その直後。
蔵人は自分たちごと残りのドームを突き破るように、特大の氷杭を十本、ハリネズミのように地面から突き出した。
未だ中級魔法に手間取る蔵人だが、初級魔法の同時行使による力押しにも利点はある。
フレンドリーファイアをしづらいということだ。
小範囲とはいえ面攻撃の中級魔法ではその範囲の中に仲間がいればフレンドリーファイアしてしまうが、今やったように初級魔法を十も束ねて撃てば範囲としては中級魔法相当でありながら、至近距離でも味方を縫うように魔法を形成し、誰も巻き込むことはなかった。
とはいえ同じ魔力量をつぎ込んだならば遥かに中級魔法のほうが威力は高いのだから、一概にどちらがいいともいえなかった。
「行きなさいっ」
レティーシャの声にカルロを背負ったファビオとそれを守るようにリズが駆けだした。
その背にもう一匹の飛竜が迫る。
わかっていたことだが、蔵人の特大の氷杭は突撃してきた飛竜の翼を掠めるだけで、もう一匹には当たることすらなかった。
だが、逃げる二人に滑空しようとしていた飛竜は急上昇する。
逃げる二人の背を隠すように、飛竜の行く手を遮って枝と土壁がせり上がっていた。
さらにそこから尖った木の枝が急上昇する飛竜に断続的に放たれる。最大で五本、それが連続射出された。
だが木の矢の対空砲火はほとんど当たらず、当たったとしてもその鱗に阻まれて効果はほとんどなかった。
だがレティーシャとすれば二人を追わないように牽制できればそれでよかった。
「飛竜は好きではないのですが」
レティーシャはそう呟きながら、念のためにもう一匹の飛竜の位置を風精で確認しながら、頭上の飛竜を睨んだ。
蔵人は八つ星である。レティーシャとしては最悪の事態を想定して動かなければならなかった。
少し離れた距離でレティーシャと背中合わせに、蔵人もまた頭上の飛竜を見つめていた。
自己犠牲、そんなつもりは一切なかった。
邪魔な奴らさえいなければ、使える手段はある。最悪、逃げることもできる。
誰かに見られる心配もなく、持っている手札を使えるなら、隠れ巣にいるときに観察していた飛竜を相手にするのはそう難しいことではない。
それも相手にすればいいのは一匹だ。
これくらい倒せなければ、雪白にどやされるだろう。
勇者を相手取ることや手の内を隠して何をするか分からない他人種を相手にすることを考えれば、遠距離攻撃のない、戦い方の判明している飛竜を相手にするのはそれほど難しいことではなかった。
なにより、隠れ巣を作ったために飛竜を食べ損ねた雪白に、いい土産になる、そう思っていた。
飛竜が滑空する。
蔵人は新調した丸盾を構えるだけで、氷土の球壁を展開していない。
飛竜が目視できる範囲に自分を晒しておかなければ、逃げる二人を追うかもしれないと考えていた。
あと数メートルに飛竜が迫った瞬間、蔵人は瞬時に氷土の壁を逆ギロチンのように形成、突出。
飛竜は翼を広げ、氷土の壁を砕きながら寸前で急上昇する。
カルロを襲った尻尾の一撃を蔵人はすでに知っていた。
二枚目の壁を即座につくって振り子のように襲ってくる尻尾の一撃をしのいだ。
尻尾の攻撃という点ですら雪白にまったく及ばない。
こんなものを食らっては雪白に尻尾で往復ビンタされてしまうだろう。
間近で見た飛竜の顔は、目が真っ赤で鼻面が潰れていた。
まるで目の前の蔵人しか見えていないかのような、狂ったような目をしていた。
手負いの飛竜には近づくなとはこの状態のことを言うのだろう。
飛竜が上昇する間に蔵人はレティーシャに聞こえないような声で詠唱を始める。
≪絡め取り、覆い尽くす。それは悪意にも似た幾多の結び目≫
飛竜がもう一度とばかりに急降下を始めた。
――ギャヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤアッ
魔力の動きを感じ取ったのか詠唱を中断させ、集中力を乱さんと、耳障りな飛竜の咆哮が蔵人に向けられるが、その行動も竜山の飛竜を観察していた蔵人にとっては折り込み済みだった。
咆哮がくると分かっていれば集中を乱されることもないし、風精を使って音を緩和することも容易だった。
蔵人は牽制とばかりに氷槍を十本、発射した。
飛竜はしかし止まることなく翼腕を折り畳み、鱗で氷槍を弾きながら迫ってくる。
飛行中の飛竜に対し、翼腕の皮膜以外を蔵人が精霊魔法で傷つけるのは難しかった。火精や雷精でも使えれば別だが、土精や氷精ではほとんど傷つけることはできず、傷をつけたとしてもすぐに治癒されてしまっていた。
≪だがそこに善悪はなく、糧も、敵も、全てを捕える。夢幻の網≫
あたかも隕石のように上空から迫る飛竜に蔵人は再び氷土の壁を形成する。
だが、飛竜はそれをかわすことなく急降下の威力で打ち砕き、蔵人に迫ろうとしたが蔵人も防御に関しては妄執的である。
砕いた氷土の壁のすぐ後ろに、まるでドミノ倒しのようにいくつもの氷土の壁が連なっていた。
飛竜はどこか悔しそうに喉の奥で唸りをあげながら翼を開いて速度を落とし、急上昇しようとした。
≪射出≫≪射出≫≪射出≫
蔵人は精霊魔法とは違い急激に目減りしていく魔力を感じながら、自律魔法の『網』の解放詠唱を連呼した。
不可視の網が飛竜の頭、翼腕に絡みつく。
ファンフの時よりも大きな、それも不可視の網が複数もいきなり絡みついたのだから翼腕をはためかせて急上昇しようとしていた飛竜は避けることなど出来なかった。
網の強度はそれほどでもないが、見えないということが飛竜のパニックに拍車をかけた。
≪射出≫≪射出≫≪射出≫
飛竜は地面に落ちながらも網を一つ二つと噛み千切るが、蔵人は淡々と網を追加する。
精霊魔法に対し、魔獣は確かに敏感に察知してそれを回避するが、自律魔法はそうではなかった。
精霊魔法を人種が扱えなかった時代、人種は鍛錬によって無意識に命精強化を行って剣を振るい、何より開発した自律魔法で国を切り拓いていったのだ。
魔獣に対して、世界の法則を一時的にとはいえ捻じ曲げる自律魔法や自律魔法具は効果的であるともいえた。
蔵人は開いていた魔導書を懐に仕舞い、肩越しに大爪のハンマーを手に取った。
そして墜落して暴れる飛竜の頭部を狙い、肩にハンマーをのせたまま一気に詰め寄ると、ただ振り下ろした。
蔵人がアカリに教えることができた、ただ一つの技術。
構えて、振り下ろす。
技術といえないかもしれないそれは、反復運動による最適化、そこに蔵人の膂力と強化が相まって、一撃で飛竜の頭部にめり込んだ。
断末魔の絶叫を上げる間もなく絶命する飛竜。
蔵人は飛竜の死を確認しながら網を解除し、レティーシャのほうを窺った。
蜘蛛の巣に捕らわれた蝶。
そう表現するしかない光景がそこにはあった。
飛竜の全身は草木や蔦に絡め取られ、石杭が飛竜の翼腕を貫き、さらにその眉間にはレティーシャの持っていた水晶の細剣が突き立っていた。
レティーシャは持っていた弓を背に回しながら、こちらを振り返った。
「早いですね」
魔力切れの近い蔵人と違い、まだ余裕のありそうなレティーシャが感情を感じさせない声でそう言った。
「あんたみたいな余裕はない」
「無駄が多いのでしょう。精霊とよく対話することです」
「エルフと一緒にすんな。……ところで、飛竜の解体はできるか?」
「確かにせっかく狩ったのですから解体して使える物は使いたいところですが、こんな森の奥で解体するのは自殺行為です。血の匂いを嗅ぎつけて他の魔獣が寄ってきます。労力に見合う価値はありません」
食料リュックの秘匿と雪白の御機嫌。
蔵人の天秤はあっさりと傾いた。
「運び出す方法はある。ただその方法を知られたくない。これから来る救援隊には飛竜は撃退したということにしてくれ」
「……構いませんが、私を信用しているのですか?」
「どうせ俺のやったことはあんたには多少なりともばれてるしな。それにエルフは緊急時を除けば約束事は守ると聞いている」
「……また古臭い価値観を。いったいどこのエルフですか」
「――オーフィア」
レティーシャは額に手を当て、珍しく困ったような顔をした。
「なぜ……ああ、あの方ですか、貴方に深緑の環を渡したのは。それなら納得です。あの方は生きているエルフの中では一番古い『森の外に出るエルフ』でありながら、おそらく一番エルフとしての精神を持っている方です。私のような森に籠りたいだけのエルフとは違います。
……仕方ないですね。エルフの約束を信じる人種をエルフが裏切るわけにもいきません。約束しましょう。私に損があるわけでもありませんし。
しかしいいのですか、八つ星が飛竜を倒したとなれば名声が――」
「――そんなもんいらん。飛竜をこのリュックの口の大きさに切れるか?」
蔵人のブーメランや剥ぎ取りナイフでは切れそうになかった。
「また森籠りのエルフみたいなことを。……道具がないと厳しいです」
「はっ?俺は親和力が足りないが、あんたなら、エルフなら水精は得意だろ?」
「どうやって解体するんですか。確かに親和力は高いですが、水精では切断は出来ません」
「いや、こう、風精で空気を炸裂させる前段階に近い感じで、水を細く、鋭く圧縮して放出させればいいだろ。できるだけ勢いよく」
そんなことできるわけ、と言いながらも興味があるのかレティーシャは水精に蔵人の言葉をエルフなりに解釈した意識で伝える。
すると、血の混じった水しぶきとともに翼腕の付け根が切り落とされた。
「……エルフは化け物か。なんで一回で出来るんだよ」
「色々言いたいのはこちらのほうです」
一般的なエルフは風、水、土、光、そして樹精の親和力に優れる反面、火、雷、闇の親和力が低かった。紅蓮のエルフとオーフィアが呼ばれるのはそれだけ特異なエルフだからともいえた。
「……距離が離れると威力が著しく減衰するようですね」
色々試しながら飛竜を解体していたレティーシャがぽつりと言った。
「エルフでもそうなのか。どうりで俺がやっても放水じみたことにしかならないはずだ」
蔵人もそう言いながらレティーシャが分解した飛竜を食料リュックに納めていった。
「……面倒事を呼び込みそうな魔法具ですね」
「食料しか入らないが、面倒事は避けたいからな。あんたの分はどうやって売るんだ?」
「私は一応職員ですからこっそり売る方法はいくらでもあります。貴方はどうするんです?」
「肉はうちの猟獣が食うだろうし、毒は俺が使う。皮と鱗はほとぼりが冷めたらどこかで盾にでもする」
「……そうでした、イルニークを猟獣にしていましたね。つくづく、今のハンター制度に逆らうような存在ですね。それではトラブルメイカー扱いされるのも当然でしょう」
「そんな扱いになってたのか。いいのか、そんなハンターに肩入れして」
レティーシャは解体を終えて、立ち上がる。
「肩入れなんてしてませんし、私は協会なんてどうでもいいんです。森に帰りたいだけです」
蔵人も収納を終えて、立ち上がった。
周囲の地面には血の跡しか残っていない。
「エルフらしいエルフを初めてみた気がするな」
「エルフの森に来ない限り、エルフらしいエルフなんていないのですから当然でしょう」
「ここはエルフの森じゃないがな」
「私にとっては不本意です。行きますよ。先に進んでいたほうが誤魔化しも効きます」
レティーシャと蔵人は待ち合わせ地点に戻るべく、駆けだした。
森の中を駆け抜けながら、蔵人はふと気になってレティーシャに聞いた。
「なんであいつらはいつもパーティを組んでるみたいな話をしてたんだ?この試験は即席パーティでやると前回の試験官に聞いたんだが」
「ああ、そのことですか。簡単な話です、彼らはパーティ登録をしてないんです」
レティーシャが呆気ないほどなんでもないことのように言う。
「職員はみんな知ってます。今回のように養成所の卒業シーズンが近づくと試験者が増えて、細かいところまで調べきれないという手間の問題です。
実際七つ星程度なら補充は効きますから、実力不足を小細工で誤魔化すような輩の面倒まで見切れないというのが協会の考え方です」
パーティ登録自体が他者からの勧誘を防止したり、パーティとして一蓮托生という共通認識を強めたり、一人じゃ狩れない獲物を数人で狩ってその名声を共有したりという意味合いのため、低ランクハンターがパーティ登録するうまみはあまりなかった。
「大きな街も大変だな」
蔵人の言葉に、だから森がいいんですとレティーシャが続けた。
途中、リズの説明を受けた救援部隊の試験官と遭遇したが、口裏を合わせた通りに撃退したと告げるとレティーシャの言葉もあって、特に疑われることなく帰路についた。
マルノヴァに到着した蔵人は飛竜の分配のために後日の再会を約束してレティーシャと別れると協会で時間を潰していた。
約束通りなら昇格しているのは間違いない。
蔵人は合否がわかる時間まで七つ星の依頼をなんとなく眺めていた。
しばらくすると合否の分かる時間となった。
蔵人が受付カウンターに向かうと、同じように昇格試験を受けたらしい連中もカウンターに集まってきていた。
結果として、何事もなく合格していた。
蔵人は受付の職員に更新してもらったタグを見ると、確かに星が七つ並んでいる。
「ついでに、依頼を受けておきたい」
蔵人はそういって七つ星の依頼が書かれた紙を職員に差しだした。
「……こちらはクランドさまでは受けることができません」
「七つ星の依頼だろ?」
「いえ、これは地元のハンターを指定した依頼です」
蔵人は職員に詳しい話を聞いた。
後ろで待っている受験者らしいハンターが苛立った様子を見せていたが、そんなことは知ったことではなかった。
ようするに、身元の不確かな流民出身のハンターは依頼を受けられない、ということだった。
これは協会や国の意図ではなく、あくまで依頼者の指定であった。
マルノヴァは港湾都市であり、商業都市である。高ランクから低ランクまで依頼は揃っていた。
だが結果を出すだけでそれ以外が不問という依頼は高ランクを対象にした依頼だけで、市民生活に近いものや公共性の強い多くの依頼は全てユーリフランツ人やマルノヴァ人、身元の確かなハンターに限られている。
これは元々の民族主義的なものと、昨今の北バルークの荒廃によってバルーク人の盗賊による被害がマルノヴァにまで波及し、さらにマルノヴァに流れ着いたバルーク移民や街の外の難民によってマルノヴァ人の市民感情が悪化したためであった。
それに加え、マルノヴァには大手クランがいくつかあり、低・中位ランクの依頼はそこが多くを持っていき、街の中の魔獣に関しない雑事依頼は他のギルドや組合がもっていった。汚物、ゴミの処理すら貧民街の仕事として確保されていた。
つまり蔵人が最初に協会に来た時のように有無を言わせず現物を持ち込むか、塩漬け依頼をやるしか現状のマルノヴァでは流れの七つ星ハンターに仕事はなかった。
依頼があるかどうかもわからない獲物を狩り、その素材を協会に持っていくというのは依頼の回転率が激しいマルノヴァでは蔵人のように食料リュックでもない限りは、あまり効率がいいとはいえない。
協会を通さず商会に直接流すという手もあるが、信用のない流れのハンターでは足元を見られるか、最悪門前払いという可能性もあった。
「わかった」
蔵人が説明を聞いて立ち去ろうとした。
「あっ、お待ちください」
あん?とちょっと不機嫌な様子で蔵人が振り向く。
「先程、国から強制依頼が発動されました。
『怪盗スケルトン襲来に備え、当日の周辺の警備』が強制依頼としてクランドさまに依頼されております」
「仕事の内容は?当日の命令は誰が発し、ハンターはどこまで従わなくてはいけないんだ?」
蔵人は苛立った声で職員にきく。周囲の受付でもどことなくざわついているところを見ると、本当に全ハンターに強制依頼が発動しているとみてよかった。
「白月の九十日、国営商会にある秘宝を盗むという怪盗スケルトンからの予告状が届きました。クランドさまは七つ星ですので、当日の周辺警戒が仕事となっています。
騎士隊や竜騎兵、特隊も動員されますので、その指示に従ってください。周辺警戒以外の仕事をさせられるということももちろんありえます」
「断った場合のペナルティは?」
「……クランドさまは七つ星ですので、八つ星への降格と一年間の昇格停止、一万ルッツのペナルティが課せられます。ちなみにランクが上がるほどペナルティは重くなります」
「わかった」
「では参加するということで――」
「――断る。金は口座から引いておいてくれ」
たった今、昇格したばかりなのにあまりにもあっさり不参加を決めた蔵人に、受付の職員は唖然としてしまった。
だが、蔵人としては当然の選択であった。
上からの命令で高位魔獣である雪白をいいように使われるかもしれない。蔵人にとっては家族だが、他人にとっては魔獣に過ぎない。玉砕覚悟で突っ込め。そういう命令がないとは考えられなかった。
「えっ、しかし」
「今回の強制依頼だが、街が消滅するような危機ではないだろ?それにこの街は流れのハンターを歓迎しているわけでもない」
蔵人はそう言って、タグを差し出した。
「……わかりました」
「ああ、ついでに支部長と面会したい、色々と聞きたいことがある」
ついにこの日まで協会から接触はなかった。蔵人は面倒だと考えながらも、ダウィたちにつけ狙われるのも面白くないと自分から接触を持ちかけることにした。
「……面会のご予約はございますか?」
「決闘絡みだといえばわかるか?」
「少々お待ち下さい」
話の上っ面くらいは噂として知っているのだろう、職員は蔵人のタグを受け取るとそう言った。
しばらくすると職員によって蔵人のタグはもとの八つ星となって戻ってきた。
支部長のほうは一時間後に支部長室で、ということである。
蔵人は早く帰りたいんだがなと思いながらも、適当なテーブルに座って時間を潰すことにした。
「ようやく見つけました」
聞き覚えのある声にテーブルから蔵人は顔をあげた。
アキカワ、そしてバニスがそこにいた。
「何か用か?」
蔵人が訝しげにアキカワを見る。
「あの夜のことについて、といえば分かりますか?」
アキカワはいつものように申し訳なさそうにそう言った。
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