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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第三章 船を待つ日々/前月
72/144

71-漁村と老婆

 

 簡素な門から村長の家らしき建物までは緩やかな下り坂になっていた。

 ドノルボの村は大小さまざまな岩の転がる海岸沿いにあり、なだらかな斜面を切り拓いた村の波打ち際にある船着き場は小さな岩を敷き詰めてあり、そこに乗り上げている木造の漁船を押して海に出せるようになっていた。

 そんな船着き場までの下り坂の中間のいくつかの家に重なるようにしてひと回り大きな村長の家がある。

 周囲の石を利用して作られたような家の壁面はでこぼことしており頑丈そうだが、村長の家を含めてどの家もところどころが損壊していた。


 蔵人はそんな村長の家の前にいる集団を見つけてしまい眩暈と吐き気を感じて足を止め、少し離れたここから見下ろしていた。

 村長の家の前には深緑のローブの上から革鎧を着込んだ『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』一団がおり、さらにはどことなく肩を落として売られていく子牛のような目をしたアキカワとそのお目付役である女騎士もいた。

 無論、吐き気と眩暈は気のせいだ。

 しかし蔵人は本気で別の村に行こうかという気になるが、海を見つめるアズロナの期待に満ち満ちた一つ目を見ると、ここで海に背を向けるというのも可哀想な気がしている。

 他にも、いくつかやりたいことがあった。

 別に悪いことをしたわけではない。奴らに対して負い目を感じることも、卑屈になることもない。

 アキカワが女騎士に秘密を喋っているかどうか確かめることもできる。

 蔵人は物憂げに一団を見つめながら、考えをまとめた。


 アキカワが秘密を喋っておらず、ファンフがいなければ、ここで活動。

 アキカワが秘密を喋っていたり、ファンフがいたら、即時撤退。


 それがギリギリのラインだろう。

 あとは出来るだけ接触しないようにすればいい。

 蔵人はそう決めて村長の家から全員が離れるのを待った。

 手持無沙汰を紛らわすように雪白の尻尾をかた結びにしようと画策したり、ひとつ結んだ段階で怒った雪白に、尻尾の結び目でグーパンの如き一撃を浴びたりと、現実逃避のような行動をしていた。


 だが全員が離れてから村長の家にいけば面倒事も少ないと思っていた蔵人はため息をつく。

 月の女神の付き人とアキカワたちがこちらに向かってくるのだ。

 こちらには門しかない。

 村に到着したばかりならば引き返してくることもあるまい、と蔵人は思い込んでいた。

 蔵人は仕方ないと思いながらアズロナをつまんで雪白の背に乗せ、村長の家に向かうことにした。

 どのみち接触は免れないのだから。

 

 最初に蔵人の存在に気づいたのはアキカワだった。

 日本人らしくペコリと頭を下げる。

 蔵人もつられて下げそうになるが、ぐっとこらえた。

 所作一つでバレる可能性がある。召喚者を知るであろう女騎士がいるのだから警戒してしすぎることはない。

 アキカワの動作に女騎士が気づき、すれ違う頃にはアガサを含めた月の女神の付き人全員が蔵人の存在に気づく。

 その中に、ファンフはいなかった。


 蔵人の前で女騎士が立ち止まる。

 それほど太い道ではない、必然的にその後ろの一団も止まることになった。

 アキカワが申し訳なさそうな顔をする。

 秘密を暴露したというよりは、この空気の読めない女の行動に対してという風であった。

 女騎士は蔵人の背後にいる雪白にまったく怯む様子もなく、口を開く。

「――先日は失礼した、私はバニス・ガーランド。貴殿もここでハンターとして?」

 凛々しいとしか形容できない口調だった。

「クランドだ。一応な」

 蔵人の短い返答に気を悪くした様子もなく、女騎士は何故か笑みを浮かべている。

「そうか、ならば貴殿も一緒に海賊退治をしないか?」

 蔵人は一瞬言葉を失った。

 あまりにも唐突で、あまりにも屈託がないせいか、反発心も起こらなかった。

 兜を被るのに邪魔だとでも言わんばかりのショートヘアーの金髪を、さらに乱暴に一括りにしていた。

 背も蔵人の頭一つ高く、決して細いとは言えないしっかりとした身体付きであるが、起伏は十二分にあり、キツイ顔立ちとはいえ美人という範疇に入るだろう。

 背に背負った長剣と銀色の軽鎧、兜を引っかけたカイトシールドは紋章こそ入っていないが、一揃いで作られたものと一目でわかり、まさに物語の中の女騎士といってもいい姿だった。


 蔵人は数秒だけ言動と容姿に気を取られていたが、背後のアキカワを見て苦笑してしまった。

 アキカワが申し訳なさそうな顔で何度も何度も小さく頭を下げているのだ。

 蔵人はまるでここが日本であるかのような錯覚に陥りそうになる。

「船酔いが酷くてな。俺の手には余る。細かい依頼でもあればこっちでやっておく」

 その答えに、バニスの後方にいて蔵人の返答を聞いていた月の女神の付き人の数人が鼻で笑った。

 ファンフのことでアガサと対立している蔵人に対して元々好意的な視線など一つもなく、今の返答でさらに数人が見下すような目になっていた。

 彼女らにとって蔵人は保護すべき少女を無慈悲にも殺そうとした冷酷な人種なのだからこの反応もおかしなものではないのだろうが、蔵人にとって気持ちのいいものではない。はっきりといえば不快だ。

 だがバニスはそんな様子に気づかずに、蔵人を誘う。

「私もいるし、月の女神の付き人たちもいる。それほど心配することはないと思うが」

 アキカワの名前が出ない辺りはお察しということだろう。

「背中を射られたくないんでね」

 バニスは蔵人の不用意な言葉に顔を顰めて言い咎めようとしたが後ろにいたアキカワに腕を引かれ、それ以上は何も言わなかった。

 蔵人は無言で、そのまますれ違おうとする。

「卑劣な上に臆病では救いようがないな。貴様の背中など射る価値もない」

 すれ違いざまに、腕に白い鷲の翼を持ったスラリと背の高い女が言った。

 蔵人は背の高い女が嫌いじゃないが、この時ばかりは威圧的な身長が目障りだった。

「名乗りもしないとはな。

 まあ、臆病なのは否定しない。だが卑劣なのは決闘を妨害した輩だと思うがね。それに、終わったことを蒸し返すなよ。あんたに責任が取れるのか?」

 蔵人はそれだけ言って、さっさと村長の家に向かう。

 白鷲系鳥人種はさらに何かを言おうとしたが、アズロナを背に乗せた雪白が立ち止まって睨みつけると、忌々しそうに口をつぐんだ。

 

 バニスと名乗った女騎士の様子ではアキカワが蔵人の素性を暴露する気も、ことさら馴れ馴れしくする気もないようで、それどころか哀れにも海賊退治に付き合わされ、バニスに振り回されているようにしか見えなかった。

 この距離感ならば蔵人としても言うことはなかった。

 そして、ファンフもいない。

 蔵人がドノルボで活動することに支障はなかった。

 月の女神の付き人は無視すればいい。いちいち付き合う必要もない。

 それよりも、気になっていることがあった。

 村人の雪白やアズロナに対する目である。

 もちろん猛獣に対する警戒はあるが、それだけであった。

 人それぞれであるが、遠巻きに雪白を見る多くの目には過剰な恐怖というものがなかった。

 近づくこともないが、排斥するような気配もない。

 蔵人は内心で首を傾げながら、村長の家のドアを叩いた。


「レイレの紹介か。ワシは村長のゴルカだ。して、ランクは?」

 短髪で真っ黒に日焼けした初老の男は紹介状である木の板を見ながら蔵人に尋ねる。

 威圧するように感じるのは高い背と引き締まった身体、彫りの深い睨みつけるような目つき、何より口を開くたびに見える鋭い犬歯のせいである。下手なハンターよりもよほど精悍に見えた。

「八つだ」 

 蔵人はゴルカの威圧感が増したような気がした。

 だが、ここならば見せるのも容易い。

「猟獣がいる。入れてもいいか?」

「かまわん」

 蔵人は外で待っている雪白を中に入れた。

 ゴルカにとっては見たこともない規格外の魔獣のはずだが、恐怖を感じているはずのゴルカの様子は、ほとんど変化しなかった。

「……なるほどな。で、おまえも海賊退治にいくのか?」

 初めて見る猛獣への警戒感しかない。といってもそれは常に纏っているようなもので、実質的には何も変わらないといってよかった。

「いや船酔いが酷いのと、海の上じゃまず動けないからな、遠慮させてもらう。塩漬け依頼のようなものでもあれば見せてくれ。出来そうなものを片づける」

「そうか、無理はしなくていい。……ワシらも同じだ。ワシは青の五つだが、他の奴らは丘に上がれば打ち上げられた魚のようなもんだからな。ワシとて海の上と同じというわけにはいかない。

 ただ、もし村にいるときに海賊が来たら追い払うのを手伝ってくれ。追跡は女騎士さんたちがやってくれるらしい」

 ゴルカは厳めしい顔を緩めることこそなかったが、まっすぐと蔵人の目を見つめた。

「死なない程度にはできる限りのことはする。それで、報酬のことだが」

「ああ、すまない。北バルークでも比較的裕福な村だとは思うが、今は現金収入が少なくてな」

「それは聞いてる。だから、現物支給で構わない」

 蔵人には食料リュックがある。

 そしてよく食べる二匹がいた。

 金を欲してギスギスするよりも、現物支給でいいならそれでいいかと蔵人は考えていた。

「こっちとしては願ったりだが、いいのか?」

「よく食うんだよ、こいつら」

 蔵人は雪白の頭を小さな耳ごと乱暴に撫でる。

 でかい魚や美味い肉なら歓迎だとでもいいたげにキラキラした目でゴルカを見上げる雪白。

 背中に乗ったアズロナもすっかり雪白の食い意地を引き継いだのか雪白と同じような目でゴルカを見つめていた。

「そうか」

 まるで話を理解しているかのような反応をしている魔獣に、しかしゴルカは動じなかった。

「こっちは雪白。飛竜の変異種はアズロナだ。間違って攻撃しないようにしてくれ。反撃以外で人を攻撃することはないし、手加減も仕込んである」

「ふん、村の者に危害を与えない限りは誰も気にせんよ」

 ゴルカは馬鹿にするなよという顔をする。

 蔵人はちょうどいいとずっと気になっていたことを聞くことにした。

「気になっていたんだが、なぜ雪白を怖がらない?ラッタナの獣人種のハンターですら動揺くらいはしていたんだがな」

 ゴルカは不敵に笑った。

「ワシらは海に出てその何倍も大きい魔魚を相手にしてるんだ。女子供にしても浜に引き上げたそれを子供の時から見てるからな。このくらいなら馬鹿でかい猫と同じようなもんだ。ああ、ワシらに流れる獣人種の血も関係しているかもしれんがね」

 ドノルボの漁師は白月と蒼月の間、大口跳魚(ジャルアラ)という大型の魔魚を狩っていた。

「そんなにでかいのか」

「この家よりでかい奴もいる。村の男が総出で船に乗って、囲まなくちゃならねえうえに、人の言葉を理解しているかのように賢い。手ごわい奴だ」

「……その隙を突かれたのか」

 ゴルカは厳つい顔を、怒りで歪めた。

「ああ、そうだ。最初の漁に出た後の村を海賊どもが襲いやがった。なんとか村に残っている女たちが籠城しながら戦ってワシらが戻るまで時間を稼げたが、背中を心配していちゃ漁にも出られねえ」

「なるほどな。で、俺がやるような仕事はあるのか?」

 ゴルカは怒気をおさめながら背後の棚を漁り始める。

「海賊のほうは女騎士さんのおかげでなんとかめどが立ったが、この間の襲撃で薬やなんやと切らしちまってな。依頼はその辺りが中心だな。

 ああ、この村にはハンターはほとんどこねえんだ。大概のことは漁が始まる前に自分たちでやっちまうからな」

 ゴルカは蔵人に一枚の紙を渡した。

「必要な薬草の名前と数量を書いたもんだ。薬草がわからねえなら、治療師の婆さんとこにいってくれ。二軒先の家だ」

 ようやく海にでれるぜ、そう呟きながらゴルカは家を出て行った。

 

 二軒先にも村長宅と同じような周囲よりも一回り大きな家があり、ちょうど軒先に中年女性と十五、六歳の若い娘が紐で括られた草を吊るしているところだった。

 二人は雪白を連れた蔵人が家の前まで来ると僅かに警戒感をにじませた。

 蔵人はゴルカからもらった紙を見せる。

「ハンターだ。薬草採取の依頼があると聞いたんだが」

 それを聞くと二人はあっさりと警戒を解き、顔を綻ばせた。

「あら、こんな何もない村にようこそ。中へどうぞ」

 蔵人は中年女性の招きに応じて家の中に入ろうとする。

「ああ、そいつらは人と同じように扱ってくれ。大概のことは理解する」

 好奇心と警戒心がない交ぜになった表情でちらちらと雪白を見ていた若い娘は蔵人の言葉にパッと顔を上げて、喜色を浮かべた。

 どこかの猫娘を思わせる日に焼けた娘で、両目尻に一枚ずつ鱗があった。鱗は母親であろう中年女性にもあった。

 

 家に入ると、複雑な香りが鼻をついた。

――かっ、かうんっ!

 背後で雪白の大きなくしゃみとそれに驚いた若い娘の可愛い悲鳴が聞こえた。

「依頼を受けてくれるのは、アンタかい」

 椅子に座って蔵人を睨みつけるように見る老婆がいた。

「ああ、だが薬草の区別がつかない。見本があれば――」

「――そんなもんあるわけないだろ。この間全部使っちまったんだ。まったく最近のハンターはロクに薬草の区別もできないんだからね」

「流れのハンターなんだから――」

「流れなら余計に知ってて当然だよ。なんのために流れてるんだいっ。知恵を学んで、経験を積み、故郷に戻るためだろうが。それにいくら魔法で治せるといったって魔力を節約して損はないだろっ、違うかい?」

 自らのハンターとしての知識不足を認める蔵人としてはぐうの音もでなかった。

 もはや白旗を上げるしかない。

「……すまない、そもそも治療師が何をするのかも知らない」

 なぜ魔力を節約できるのか、蔵人は分からなかった。

 老婆は呆れたような顔をする。

「そこからかい。あんたハンターになってどれくらいだ、星は?」

「まあ、お母さんったら、ごめんなさいね。そこに座ってちょうだい」

 中年の女性が入口近くで老婆の舌鋒に敗北して立ち尽くす蔵人を老婆の向かいの椅子に勧めた。

 蔵人は勧められるままに椅子に座り、あらためて老婆に答えた。

「クランドだ。ハンターになって……一年半、弱だと思う。星は八つ」

「アタシはイラルギ、こっちの嫁はアイセ、外にいた孫はイサラだ。

 もう七つ星(ルビニチア)の試験は受けられるのかい?」

「受けて、落ちた。ハンターとしての常識に欠けてるのは認める。だが、薬草の区別さえつけば、森のかなり深くまで薬草はとってこれる」

 お茶らしき飲み物を用意していたアイセと言われた中年の女性は少し驚いたような顔をした。

 一年半弱で七つ星目前というのは早い方であるが、それほど珍しいわけではない。だが八つ星で流れのハンターをしているというのが珍しく、さらに気負うことなく今の北バルークで森の深くまで入ってこれるというのは珍しいを通り越して、見たことも聞いたこともないレベルであった。

 イラルギと名乗った老婆は目を細める。

「ほお、七つ星にもなれない小僧が言うじゃないか」

「出来ることしか言わない。だから、海賊退治も断ったしな」

 目元の鱗が歪んで目つきが険しくなり、まさしく魔女といった顔のイラルギが、より恐ろしげな顔をした。蛇が蛙を吟味しているかのような目であった。 

 イラルギが力を抜く。

「……しょうがない。網を引く時は魚の手も借りたいというしね。

 ――アタシを連れて行きな」

 蔵人は言っている意味がわからなかった。

「なんだい、マヌケ面して」

「いや、無理だろう」

 椅子に座るイラルギの腰は曲がり、足は細い。

「ふん、まだまだ若いもんには負けないよ。と、言いたいところだけどさすがに森まではキツイね」

「なら――」

「――アンタがおぶればいい」

 あっさりと言い切るイラルギに蔵人は言葉に詰まる。

「これも仕事だよ。七つ星になれば調査の護衛依頼なんかも出てくるんだ。なにアタシなんかはもう棺桶に片足つっこんでるようなもんさ、技術を継いだ娘も孫もいる、いつ死んだって構いやしないんだよ。

 それよりもまた海賊が来て、村の奴らを助けられないなんてことになったら死んでも死にきれないよ」

「お、お母さんっ、それならあたしやイサラが」

「ふんっ、こんな若造におまえやイサラを連れていかせて何かあったらどうするんだい。アンタの旦那が心配し過ぎて船から落ちちまうよっ」

 本人がいる前でそれはどうかと思うが、確かにとうが立ち過ぎているとはいえアイセの身体付きは豊満で、目元の皺が余計に色気を醸し出しているし、イサラは快活で可愛らしい。

 嫁や娘が見知らぬ男のハンターを案内することになれば夫としても、父親としても気が気でないだろう。

「でも――」

「――わかった、婆さんでいい」

「でいい、は余計だよ。ったくアンタが薬草の見分けもつかないっていうから行くんだよ。ほら、行くよ」

 イラルギは蔵人に向かって手招きする。

「い、今からか?」

「男たちは明日の日の出前には出発して、早ければ三日ほどで帰ってくるんだ。その間にまた海賊が来るか、それとも漁で誰かが怪我をするかもしれない。薬に加工する時間を考えたら早いに越したことはないんだよっ」

「お母さん、そんなに急がなくても」

 アイセの言葉に、何もないならそれでいいんだ。備えることが仕事だからね、とイラルギは言い足した。

「だが準備は――」

「――アンタもハンターなんだ、野営の準備くらいしてあるんだろ?アイセ、道具をよこしな」

 椅子の上でふんぞり返るイラルギに、蔵人とアイセは顔を見合わせ、同時にため息を吐いた。


 背負っていた大爪のハンマーを腰に吊るしてからイラルギを背負った蔵人が外に出ると、雪白の尻尾とイサラという小麦色に焼けた娘に遊ばれてぎーぎーと喜ぶアズロナがいた。

「……随分と大きいね。それに飛竜の変異種かい、まったく本当に八つ星(コンバジラ)かい?」

「どっちも拾ったんだ」

「そんなもんがポンポン転がっててたまるかい、ほら行くよ」

 蔵人の背中を叩いて先を急がせる。

 出掛ける気配に雪白がのそりと起き上がり、蔵人の背にいる老婆を見てから蔵人に目をやり、どこか笑いだしそうな目をした。

 笑っちゃいけないよねとでも言いそうな顔で、アズロナを尻尾で持ちあげて背に乗せる。

 蔵人は雪白の視線に盛大な溜め息をついてから、門に向かった。

 

 イラルギを雪白に乗せる、なんてことを雪白が許すわけもなく、蔵人は緩やかな昇り斜面をイラルギを背負って走り続けた。

 ドノルボの背後にある緩やかな丘の上にある森は、竜山の裾野にある森から続いているが植生はかなり違うようだった。

 木が鬱蒼と生い茂り、中天を過ぎてしばらく経っているとはいえ森の中にほとんど光が入っていなかった。


 薄暗い森の中を蔵人は這いつくばるようにして雑草との違いが分からない薬草をぶちぶちと引き抜いていた。

「ほう、アンタなかなかやるね」

 そうイラルギに言われたのは蔵人、ではない。雪白だ。

 雪白は爪を器用に使って掘り起こし、その尻尾でもって薬草を集めていた。

 それも一度イラルギに教えられただけで、非常に見分けのつきにくい三種類の薬草を一本の間違いもなく分類しているのだ。

 ふふんとした様子で蔵人を見る雪白。

「アンタは……」

 イラルギはそう言って蔵人が持ってきた草の束を薬草の束とは別にそっと脇に置いて、珍しく慰めるような目を向けてくる。

 その目は明らかに猟獣よりも役に立たない蔵人を憐れんでいた。

 蔵人だけが地味に傷つきながらも、一行は薬草を探しに森の奥へ進む。

 次は、キノコである。

 これまた判別がつかない。かさの僅かな開き具合やミリ単位の長さで種類が違うというのだから蔵人にはお手上げであった。

 それでも頭を捻って、魔力的には負担の大きい感覚強化してまで採取してみても、使いようのない毒キノコを持って行っては、イラルギに憐れみの視線を向けられ、雪白には尻尾で肩を叩かれて慰められる始末である。

 だがイラルギの生温かい視線に、蔵人は既視感を感じてもいた。

 それは雪山に飛ばされてから初めて洞窟から出て悪戦苦闘した日に、遠くから見る親魔獣の視線であった。

 蔵人は自然とどこか懐かしむような笑みを浮かべていた。

 そんな蔵人をさすがのイラルギも心配したのか、軽口混じりの世間話を始めた。

「こんなに何もない森は初めてだよ。飛竜の一匹も出てきやしない。まあ、この子のおかげなんだろうけどね」

 そもそも口がキツイので世間話とはいっても毒が含まれているのだが。

「まあ勉強さね。まだハンターになって二年も経ってないひよっ子なんだ、あまり気にすんじゃないよ。この辺りのハンターでも最近の若い奴らは見分けなんかつかないだろうよ。討伐だ捕獲だと名を上げることに躍起だからね。まったく、ハンターの仕事をなんだと思ってるんだい……」

 そういって、手を止めることなく蔵人の知らなかった治療師の説明を始めた。


 治療師は傷を癒し、毒を解毒し、病を治すのだという。

 昔は神官もそんなことをしたようだが、今は解呪や浄化のほうに力を入れているらしい。治療が出来ないわけではないのだが。

 命精魔法は他者に治療される時であっても自身の魔力も必要とする。旧冒険者三種や軍人でもない一般人では深い傷を負ってしまえば治し切れないことも多かった。その足りない魔力の分を、作った薬で補うのが治療師の技術だった。

「こんなのは子供でも知ってることだよ」

「山奥で育ったからな、色々と疎いんだ」

「……そうかい。こんなもんかね。これ以上は持って帰れないね」

 持ってきた布袋がパンパンに膨らんでいた。

 もう二往復くらいしないとダメだねと少し疲れた様子で呟くイラルギ。

 蔵人はあまり役に立たなかった負い目もあって、しばし逡巡した後、布袋を持ちあげ、食料リュックの口をあけて中に薬草やキノコを流し込んだ。

「そんなことしたって焼け石に水だ…よ……」

 いくら薬草やキノコを流し込んでも食料リュックは一向に膨らまず、布袋がぺしゃんこになってもそれはかわらなかった。

「これならまだ探せるだろ」

「……魔法具かい?」

「そうだ」

「そんな魔法具聞いたことないよ、まったく妙なハンターだ」

「無限に入るわけじゃないがな。おかしな輩に付きまとわれるのも面倒だ。誰にも言わないでくれ」

「言いやしないよ。そんな不義理ができるもんかい」

「助かる」

「さて、それじゃあまだ日もあるんだ。奥に行こうか」

 イラルギは蔵人を手招きし、寄ってきた蔵人の背にしがみついた。

 蔵人たちはそれからも判別し辛い花、実、植物を採取し続け、日が暮れ始めて引き返そうという時にイラルギは雪白を見ながら言った。

「この子に昇格試験受けてもらったほうがいいんじゃないかい?」 

 イラルギの冗談めいたひと言は蔵人にトドメを刺したのだった。


 一行は蔵人が土精魔法で作った簡易な小屋で一夜を明かす。

 一番最初に起きたのは蔵人で、外はまだ朝靄の漂う肌寒い早朝だった。

「――なるほど、胃袋を掴んでいたのかい。昨日のもそれなりに美味かったし、男でも女でも胃袋を掴まれちゃ弱いわな」

 人の動く気配に目を覚ましたらしいイラルギは感心したように蔵人の手元をのぞきこんだ。

 蔵人は不可思議な兎、木に登って飛びかかってくる吸血兎の皮を剥いで内臓を抜き、その中に炊いておいた米や野菜、香辛料をぶちこんだものを数羽、直火で焼いていた。

 この吸血兎は雪白が深夜の見張りついでに返り討ちにしたもので、条件が整えば集団で飛竜の血すら吸い尽くすが、基本的に自由な気質らしく大きな群れをつくることは魔獣の暴走(スタンピード)以外、ほとんどないらしい。

「食える物を作ってるだけさ」

 蔵人としては気持ちよく食える程度の美味さであればよかった。

 匂いにつられて雪白とアズロナも起き出し、火精の焚き火の前にちょこんと座る。

 蔵人は別口で火精を操ると、土瓶で湯を沸かし、そこにお茶の葉を放り込み、しばらくしてから土製の湯飲みにお茶を注いでイラルギに渡した。

 雪白とアズロナはお茶よりも水を好んだので水精で水を出して、土製のお盆に入れて置く。

 イラルギは驚いたような顔をしながらも、お茶をすすった。

「薬草茶、でもないようだが」

「ラッタナのお茶だ。あっちだと砂糖を入れるんだが、入れるか?」

「いや、これでいい。これが南部のお茶かい。こっちにゃほとんど入ってこないんだよ」

「いい冥土の土産になったな」

「はんっ、イサラの子を抱くまでは死なないよ。それよりアンタもあんまりこの子の足をひっぱるんじゃないよ」

「冗談いうな、面倒を見てるのは俺の――ぶふっ」

 蔵人の顔面を雪白の長い尻尾が襲った。

 カッカッと笑うイラルギ。

 蔵人のうめき声に、イラルギがずずっとお茶をすする音、二匹の水を飲む音が朝靄の中で響き、一服と呼べるような時間が流れていた。

 

 しばらくして蔵人の作った朝食を食べ終わった一行は再び森へ入り、往復二回分以上の薬草を取ると、昼過ぎには採取を切り上げて早足で村へ帰った。



 村に帰ると、村全体が紅蓮に染まっていた。

 といっても燃えているわけではない、夕日に染まっているのだ。

 茜色に染まる船着き場にはすでに船はなく、男たちは予定通り出発したようだった。損壊していた家の多くは修繕されており、それらの家の煙突から炊事の煙が立ち昇っていた。

 蔵人は足を緩めてその光景を眺めながら、ドノルボに続く斜面を降りて行く。

「良い村だろ。アタシはこの村から出たことなんてほとんどないが、それでいいと思ってる。この村で生まれ、この村で死んでいく。それで満足なんだよ。

 だから石橋を叩いて渡ると言われても、手遅れになるよりはよっぽどマシさ。今回は助かったよ」

 蔵人の背に乗ったイラルギが小さな声でそう言った。


 蔵人は門をくぐって坂を下り、家の前でイラルギを下ろしてから、まず布袋に入った薬草を置き、それから食料リュックに入れておいた薬草を取りだそうとした。

「全部置いたら足の踏み場もなくなっちまうよ。残りは三分の一ほどだけ出してくれればいい」

 蔵人が言う通りに、薬草を出していく。

 アイセやイサラは夕飯の支度やなんやと忙しいのかこの場にはいなかった。

「あんた、泊まるところはどうすんだい」

「ん、ああ、適当なところに作る。あいつらもいるしな」

「なら泊まっていきな。隣の小屋が空いてる。普段は漁の道具が入ってる場所だから、あの子たちを中に入れても問題ないよ」

 残りの薬草も渡さなければならないのだから、そのほうがいいだろう。

 雪白たちも問題ないというなら、願ったりである。

 じゃあお願いすると蔵人が言うと今思いだした、とでもいうようにイラルギが声を上げる。

「そういやアンタ、報酬はどうすんだいっ。気がせいちまって忘れてたよ」

「村長とは現物支給で話はついてる。とってきた魚でもくれるんじゃないのか」

「そうかい。まあ、夕飯くらい食べていきな」

「だが――」

「――あの子たちの食べる分くらいあるよ。去年の大口を干したもんだけどね。量だけはあるんだよ」

 大口とは大口跳魚のことで、この村の人間はみなそういうらしい。

「そうか、なら御馳走になるよ」

 蔵人がそう言うとイラルギはアイセっと大声を上げて娘を呼んだ。


 日はとっぷりと暮れ、蔵人は火精を浮かべながらぷらぷらと船着き場沿いを歩いていた。蔵人の後ろには雪白とその尻尾に包まって眠っているアズロナがいた。

 夕食は野草と干した大口がゴロリと入っているスープと固いパンという質素なものであったが、美味かった。

 とくに大口は魚というよりほとんど肉に近く、雪白などは干した大口の肉をそのままもらって、その固い肉をゆっくりと幸せそうに齧っていた。

 アズロナはさすがに固いまま食べることはできず、煮込んで柔らかくなったものをイサラに食べさせてもらっていた。イサラも楽しそうにアズロナを餌づけしていたので、迷惑ということもないだろう。


「止まれ」

 広い船着き場の向こうに、三人の女、月の女神の付き人がいた。一人は昨日蔵人に突っかかってきた白鷲系鳥人種の女である。

 三人は武器こそ抜いていないが、敵意と警戒心が剥きだしだった。

「こんな時間に何をしている」

「何って散歩だろ。なあ」

――ぐぁう

 三人にいち早く気づき、蔵人の横に寄り添うように並んだ雪白が同意するように短く鳴いた。

 その目は節穴なの?とでも言いたげな目をする雪白。

 白鷲系鳥人種はそんな雪白の視線に気味の悪い魔獣だと呟いてから、蔵人に言い放った。

「……貴様には海賊の内通者である疑いがかけられている。こんな夜更けに船着き場でうろついていれば警戒するのも当然だ。拘束されないだけありがたいと思え」

 蔵人は鼻で笑ってやる。

「とんだ濡れ衣だな。そもそもどこに証拠があるんだ?よもや証拠もなしに疑ってるなんてことはないよな」

「海賊が一度撃退され、我々が到着したその日を狙ったかのように現れたのが証拠だ。大かた、見回りの隙でも突いて、合図を送るつもりなのだろう?」

「めんどくせえ女だな。俺は、証拠を、出せ、と言ってるんだ。言葉は通じてるよな?」

 白鷲系鳥人種の女は蔵人をギラリと睨みつけた。

「ふんっ、猟獣頼りの腰ぬけのくせして口だけは達者のようだな」

「それを言うなら組織に頼らなきゃ生きていけないようなお前らも似たようなもんだろ」

 三人の圧力が殺意というレベルまで引き上がる。

 それぞれに過酷な生を受けて、月の女神の付き人に救われた彼女たちにとって、蔵人の言葉はあまりにも無神経だった。

 だが、それは蔵人も同じである。

 しかしそれを言っても目の前の女たちにはわからないだろうと、蔵人は道を引き返すことにした。

 その背に殺意が突き刺さるが、蔵人はまるで気にしていない。

 自分の背には、雪白がいる。心配など毛ほどもしていなかった。 


 蔵人は少し魚臭い小屋で、アズロナとともに雪白の柔らかな腹を枕にして、一塊になって一夜を明かした。

 その朝のことだった。


――ドンドンドンドンドンッ


 まだ肌寒い、おそらくは日も昇っていない頃だ。

 ドアを叩くけたたましい音に蔵人は目を覚ました。

 寝ぼけて尻尾に噛みつくアズロナを舐めて起こす雪白もちらりと迷惑そうな目をドアに向けた。

 蔵人はため息をつきながら、立ち上がりドアを開ける。


「仕事だよっ。ほらっ、とっとと薬草を出しなっ」


 蔵人はもう一つ大きなため息をついた。

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