挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第三章 船を待つ日々/前月

65/141

64-選ばれぬ者

 協会内での抜剣、魔法行使は厳禁である。
 ただし、一つだけ黙認される状況があった。
「――貴方に、決闘を申し込みますっ!」
 決して相手を傷つけずに、決闘を申し込む。
 それだけが、暗黙の内に許可されていた。
 貴族などは手袋を投げつけたりもするが、ハンターがいつでも手袋を持っているはずもない。
「……受けてやる」
 曲刀を突き付ける少女の腕には、朱い孔雀の翼があった。
 ルワン家の関係者だろう。
 因果は巡る糸車、巡り巡って風車と言われるように、復讐は例え正当な物であっても、さらなる恨みを生む。
 蔵人とてそれは覚悟の上であるが、本来わざわざ決闘に付き合ってやる義理はなかった。
「誰か、立会人になってくれ」
 夕暮れが迫り、依頼を終えたハンターたちでざわめく協会内は少女の突然の仇、決闘宣言に静まり返っていた。
 旧冒険者三種のハンターにとって決闘は一般人より身近にあるが、それでも少女が成人男性に決闘を申し込むというのは稀なことであった。
「……私がやろう」
 カウンターの奥にいた背の高い白系人種の男性職員が立ち上がった。

 蔵人と少女は協会の奥にあった訓練場に通されていた。
 普段は試験であったり、講習であったり、ハンターたちの簡単な訓練に使用されているそれは、物見高いハンターや野次馬たちが詰めかけていた。
「ハンター協会マルノヴァ支部受付責任者であるマリオ・ベルティーニがこの決闘を取り仕切る」
 マリオは少女に目をやった。
 少女は呆気ないほどあっさりと決闘が決まり、あれよあれよと流されている風であったが、蔵人への敵愾心だけは常に絶やすことはなかった。
 眉を顰め、剣呑な顔つきをしているが、元々が険のある顔立ちのようだった。真っ赤な髪をポニーテールに結い、しなやかな身体に手入れの行き届いた赤い革鎧を着込んでいた。
 もしかすると蔵人をマルノヴァで待ち構えていたのかもしれない。
 蔵人は徒歩でマルノヴァまで来たのだから、少女が魔獣車を乗り継いで来たのだとしたら、蔵人を追い抜いていてもおかしくはない。蔵人がマルノヴァにいるというのも少し調べれば、ラッタナ近くの港でわかることだった。
 少女が蔵人を睨みつけながら言う。

「クンドラップ・ノクル・ルワン・シンチャイの娘、クンドラップ・ノクル・ルワン・ファンフ。一族の、父母の仇であるクランドの死を求める」

 立会人であるマリオは少女の要求に頬を引き攣らせながら、クランドに視線を向ける。
 シンチャイは確か、ラッタナの宿屋でヨビを要求してきた男で、ナバーのイトコだった、はず。蔵人は記憶を漁りながらも、言うべきことを言う。

「蔵人だ。ルワン家の騒動はガルーダ王が間に入って解決している。よって俺には一切の非はない。むしろこの決闘は報復行為に当たり、ガルーダ王との約束を反故にするものである。俺が望むものはないが、お前が死を求めるというならば、俺もお前の死を求める」

「ふざけるなっ!貴様の卑怯な振る舞いによってルワン家は官位剥奪、その上で一族は全て死刑になったっ!父も母も、祖父も祖母も、みんな死んだっ!」
 蔵人は少し驚いた。
 一族全てが死刑になったということは、おそらくあの仇討ちと決闘の後で、蔵人たちを害そうとしたのだろう。それがなんらかの理由で露見して阻止され、ガルーダ王に粛清されたのだ。
 そうするとなぜこの少女が生きているのか。
「自業自得だろうが」
「貴様っ!」
「嫁の子供を殺して、嫁も殺そうとして、果ては闇討ちで他人の俺まで殺そうとして。それが反撃にあって王のもとで仇討ちされ、決闘を仕掛けて敗北した。王の名の元に報復は禁止されていた。それを破って、俺かヨビに襲撃でもしようとしたんだろうが、それなら粛清されて当然だ」
 下手な汚名を着せられるのも御免だと蔵人はざっくりとした概要をあえて語った。
「違うっ!貴様が――」
「――静粛にっ!」
 蔵人とファンフの口論に、ガルーダ王だの、報復行為だのという想像だにしない背景に唖然としていた立会人がようやく割って入った。
「――厳粛な決闘の場を汚す行為はやめてもらおう。両者とも、構えなさい」
 マリオの声に、少女は曲刀を抜いて、だらりと構えた。
 蔵人も柄を差し込んでハンマーとして使っていた『黒い』大爪から柄を抜いて腕に装着する。
 その異形の武器に、観衆であるハンターたちは視線を注いだ。
 蔵人は手の内を衆目に晒したくはなかったが、手加減するほど余裕はない。
「それでは、始めっ!」
 立会人が声を発し終わった瞬間、蔵人は火薬の炸裂した砲弾のように飛び出した。身体強化は既に終わっていた。
 蔵人の突然の突貫に、ファンフは驚きながらも、咄嗟に大きな火の波を放った。
 蔵人をのみ込む赤い火波。
 ファンフは反射的に放ったとはいえ、思いのほか上手くいった火精魔法に手応えを感じていた。
 しかし火波に黒点が生まれ、どんどんと大きくなり、そしてそれは火波を突き抜けてファンフに飛びかかった。
 あちこちを火傷した蔵人が、それでも突貫速度を緩めることなく火波を突き抜けたのだ。
 黒い大爪が、ファンフが咄嗟に構えた曲刀ごと腹に突き刺さる。
 曲刀は爪の奥に捕えられ、展開していた魔法具の物理障壁は呆気なく破壊され、薄くしていたわけでもない命精物理障壁を紙のように容易く貫通し、ファンフの腹部に大爪が深々と刺さった。
 蔵人の『全力の一撃』だった。
 一度展開すれば魔力供給を必要としない自律魔法障壁を展開してあっただけの蔵人の身体はところどころが酷い火傷になっていたが、それはすでに自己治癒を開始していた。
 際どい勝負だった。
 決闘をあっさりと受けた蔵人だったが、決闘を受けたかったわけではない。
 むしろ、少女を恐れていたといっても良かった。
 見たところ一回り以上も歳が下の少女だが、この世界でのキャリアは少女のほうが長く、没落したとはいえ官位持ちの武門の出である。蔵人が勝てるという保障はなかった。
 ルワン家の禍根を残してはならない。
 それが蔵人に決闘を受けさせた。
 決闘という手段で実際に蔵人を狙った以上、決闘を回避したとしても狙われ続けるのはわかりきったことだった。
 寝首を掻かれてはたまらないし、ヨビを狙われるのも面白くなかった。
 何もしないならば殺す気はなかったが、殺しに来るなら、殺しておきたかった。
 情けは無用だ。
 女とはいえ自分を逆恨みする敵を救う度量などない。
 ならば、一気に決めたい。
 敵が一人とは限らない。
 アリスの時のように外からの攻撃がないとはいえなかった。
 それゆえの、特攻だった。
 そして蔵人の推測は当たっていた。
 開始直後のぎこちない動きであるにも関わらず、少女は不意打ち気味の一撃に反応して、ナバーにも匹敵する火波を瞬時に放った。
 十人ほどならば覆い尽くせそうな中級火精魔法を放った少女の天稟は、未だに中級魔法で苦戦し、初級魔法の同時展開でそれを補うしかない蔵人を遥かに超えるものだった。
 正面からのやり合いになれば、負けていたかもしれない。
 蔵人は大爪を少女に突き刺したまま、即座に反対の手でククリ刀を抜いた。
 大爪で少女の腹部を貫いたまま持ちあげ、ククリ刀を振りかぶると、無言で少女の首を薙いだ。

 立会人であるマリオは止められないでいた。
 本来の決闘ならば、勝負がついた時点で止めることができたが、この決闘は両者ともに命を決闘の商品にしていた。ならば、どちらかが死ぬまで、止めるわけにはいかなかった。
 決闘の立会人などしなければよかったと嘆きながら、少女が殺されるさまを直視できずに目を逸らした。

 しかし蔵人のククリ刀は斜めに逸れ、逆に小さな炎が眼前に迫った。
 炎自体は命精魔法障壁の前に霧散したが、視界を火で覆われた瞬間に大爪からは重みがなくなった。
 蔵人は咄嗟に飛び退く。
 その着地点で、首元にショートソードを添えられる。
「――もういいでしょう」
 障壁任せに押し切れなくはないが、ククリ刀を音もなく受け流した使い手と背後の人物を相手に戦闘しても勝機はなく、蔵人は仕方なく武器を下ろした。 
「決闘の妨害とは随分と恥知らずだな」
 ショートソードが引かれると、蔵人はゆっくりと立ち上がり、少女を抱き起こす白系人種の年老いた男と深緑のローブを着た白系人種の老婆に向けて、吐き捨てるように言った。
「もう勝負はついておるじゃろ」
 気絶してしまったらしい孔雀系鳥人種の少女に治療を施しながら、年老いた男は蔵人の言葉を気にした様子もなく言った。
「賭けたのは互いの命だ」
 蔵人は抗議も込めて、立会人を睨んだ。
 しかし、立会人は年老いた男と背後の老婆を知っているらしく、目を見開いて硬直していた。
 観衆であったハンターたちも小さく囁きあっていた。 
「『曲刀の剣聖(ソードマスター)』だぜ、あれ」
「弟子は取らないで有名な、あの『曲刀の剣聖(ソードマスター)』か」
「それにもう一人は『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』の女官長だろ」
「あの女の子は何者だ?」
 どちらも有名人らしい。
「おいっ」
 蔵人の声に立会人は我にかえる。
 そして申し訳なさそうに乱入した二人に告げる。
「決闘の乱入は禁止されています。いかにお二人といえども」
「私は『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』女官長のアガサ・イゼットといいます。クランドと言いましたね、そこまでしてこの少女の命が欲しいのですか?」
 アガサと名乗った老婆は立会人を手で制し、蔵人に問いかけた。
「人を殺人鬼と誤解させるようなことを言うなよ。前後を端折らないできちんといえ。あんたはラッタナの事情を知ってなお言ってるのか?」
「……もちろん知ってますよ。寄る辺もなく途方に暮れていたあの子を拾い、ここまで連れて来たのは私ですからね。貴方がここにいるとは思いませんでしたが」
「この決闘を始めたのは、そいつの逆恨みだと知ってるんだな」
「……ええ、言いたいことはありますが、貴方に一切、非はありませんね」
「その上で、邪魔をしたと」
「そうです。あの子はまだ幼い、引き返せます」
 蔵人は治療を終えて、少女を抱え上げた老人を見た。
 痩せた温和そうな老人にしか見えなかったが、雪白に鍛えられた勘とも言うべきものが、自分よりも遥か高みにいるものだということを知らせていた。無論、アガサと名乗った老婆も、自分より強いと気づいていた。
 どれくらい強いかはさっぱり分からなかったが。
「ジョゼフ・バスターじゃ。この少女はわしが責任を持って預かり、更生させよう。ここはわしの顔に免じて、退いてくれんか」
 蔵人はため息をついた。
 しかし、言うべきことは決まっていた。

「――退けないな」

 予想外の言葉だったのだろう。老人は目元を険しくする。
「あんたたちは自分の言っていることが分かっているのか?そもそも――」
「――何をしておるっ」
 訓練場の入口にいた観衆が二つに割れ、そこからマクシームを白系人種の枠に押し込めたような金髪の偉丈夫が現れた。
 立会人であったマリオは救いの神が来たとでも言いそうな勢いで、その男に駆け寄り、事の次第を話し出した。
 事情を知った偉丈夫がドスドスと中央に歩み出る。
 ジョゼフに軽く一礼してから、蔵人、少女を順に見た。
「この場は支部長であるジャン・バリアーニが預かるっ!」
 鼓膜が破れるかと思うほどの大音声であった。
「おい――」
「――この支部の責任者は私だ、私に従ってもらおう。悪いようにはしない。お前に非はないことはわかっている。だから、この場は従ってくれ」
 大勢は決まったといってよかった。
 支部長すら頭を下げるジョゼフに退いてくれと頼まれ、支部長に従ってくれと言われ、その上で何かを言えるわけもなかった。
 ここで正当な決闘の権利を求めたところで、どうにもならないだろう。
 蔵人の立場としては決闘の妨害を国に訴えることも億劫だった。
 蔵人は諦めて、武器を拾い上げ、その場を去ろうとした。
「――少々、お話があります」
 アガサがそう声をかけてきた。

 協会の一室を借りて、蔵人とアガサが向き合っていた。
「で、話は?」
 アガサは足を揃えて行儀よくソファーに座り、立ったまま壁に寄り掛かる蔵人に顔を向けた。
「今回の一件、貴方に非はありません。しかし、その行動は深緑の環を持つ者として相応しくありません。少女を躊躇いもなく殺そうとし、死を求める。ラッタナ王国ではスックという女性の復讐を手伝う。復讐ではなく、違う道を諭すべきでした。そうすればファンフもこのようなことにはならなかったでしょう」
 蔵人の苛立ちはピークに来ていたが、少し知りたいこともあった。
「何もしなかった人間に、たらればの理想を説教されるいわれはない。
 それより、何故あのファンフという少女は粛清されなかった」
「私が事態に間に合わず、何も出来なかったことと、貴方が選択を誤ったことは別問題です。
 ファンフは留学に出されており、丁度ガルーダ王によるルワン家の粛清が終わった時に、帰郷しました。そこで途方に暮れていたところを私が見つけ、連れて来たのです。少しでも発見が遅れていれば両親と同じように粛清されていたかもしれません。親の罪を子に問うべきではありません」
「違う道を諭したところで、スックが殺されていただけだろうよ。出来もしない夢物語を、力のない一般人に求めるなよ。
 だが結局、恨みを忘れさせることはできず、俺に尻拭いさせておいて随分と偉そうだな」
「貴方は深緑の環を持つ者です。一般人ではありませんよ。
 ただ、決闘の妨害をしたことは申し訳なく思っています」
 そう言って深々と頭を下げた。
「その目が節穴じゃないといいんだがな。
 だが、決闘の妨害なんていう武人にあるまじき行為をしてまで、なんであの大層な肩書を持った老人が孔雀系鳥人種の少女を庇うんだ。まあ、あんたらは女を保護するのが仕事だからわかるが」
「……恨みを取り除くためにファンフを『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』に入れ、たまたまこの街を訪れたとき、旧知のジョゼフがファンフの魔法剣士としての才能に目をつけたのです」
「……なるほどな」
 弟子をとらないと有名な達人が才能のある少女を見出し、鍛える。
 蔵人には縁のない話だった。
 そして、無性に苛立たしい話だった。
 蔵人はおもむろに深緑の環を外し、あっさりとアガサに放った。
「もう一つは後日返す」
 蔵人はそれだけ言って、一室を後にした。
 もう少しゴネると思っていたアガサは、呆気なく返ってきた深緑の環を見つめた。
 筆頭女官長であるオーフィアが与えたという話だったが、なぜあんな男に与えたのか一度オーフィアと話さなければならないと考えていた。
 『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』はいくつもの集団に別れ、それぞれが女官長に率いられて世界中を巡っていた。その中でもオーフィアは筆頭女官長として『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』の最高位にいたが、このアガサは次席女官長としてオーフィアに物申せる存在だった。
「――理性的に見えるが、内実は獣のような男だの。まあ人のことをいう資格はわしにはないがの」
 少女を抱えて入ったきたジョゼフはソファーにファンフを寝かせながら、険しい目をしていた。
 決闘の妨害という武人にあるまじき行為を恥じているようだった。
「元は流民で、今はイルニークと生活してますからその影響もあるのでしょう。他者を信用できる環境ではなかったのでしょうね」
「ほう、イルニークとは珍しいのお」
 しかし一転して、孫を見つめるような目をしながらファンフの髪を撫でるジョゼフ。
 ファンフを助けたことに後悔はなかった。武人の誇りを曲げてなお、助けたかったのだ。
「とはいえ、決闘の妨害をしたのも、メンツを潰したのも事実じゃ。何か詫びを考えねばのぉ」
 アガサもそれについては反対しなかった。


 蔵人はロビーでジロジロと見られながら昇格試験の日程を受付職員に聞いていた。
 基本講習が朱月の九十五日、今から九日後。
 その翌日から実地試験が始まり、三日目に筆記試験が行われるという。
 筆記試験とはいっても講習で習ったことがほとんどで後は魔獣の知識や基本的なことばかりらしく、日本でいえば運転免許取得試験に似ていた。
 猟獣の使用は禁止らしく、また雪白が不機嫌になるなと蔵人はため息をつく。
 ついでにサウラン行きの船について聞いてみると、職員は色々と教えてくれた。
 サウラン行きの船は出たばかりで二月以上は入航する予定はなく、定期船ではないため、いつくるか今のところはわからないという。
 ただ、東南の大陸にある龍華国ロンファを経由すれば、比較的早くサウランにたどり着けるらしい。龍華国ロンファ行きの船は早ければ白月の中月か蒼月の頭には到着するという。船がマルノヴァに近づけば協会にも連絡が来るということだ。
 およそ百十数日後、ということになる。
 それまで、この街で宿暮らしをする訳にもいかなかった。
 蔵人は職員に礼を言って、協会を後にし、宿屋ではなく門に向かった。
 正直、決闘のことは腹が立ったが、どうすることもできなかった。
 率先してあの少女を殺したいわけではなかったが、ルワン家の血族ということで警戒心は拭えなかった。
 さらに深緑の環がなくなったことを考えると、魔獣厩舎に雪白を置いて街に長居をするのは得策ではなかった。
 アレルドゥリア山脈にいた頃のようにどこかに隠れ家を作り、そこから通うのが面倒がなくていいだろう。街に行っている間はそこで雪白に待っていてもらえばいい。
 そう考えると、これからもそうしたほうが面倒がないなと思えてくる。
 街ごとに隠れ家、いや雪白もいるから、隠れ巣を作ればいい。
 蔵人は足早に門を出て、雪白を迎える。
 日は落ち切っていたが、蔵人と雪白にはそれほどの障害ではなかった。
「今後はどこかに巣を作って、そこから通うことにする」
 蔵人がそう言うと、雪白はふーんと鼻を鳴らし澄まし顔をしているが、尻尾をピンと立てて、機嫌よさげにゆらゆらさせていた。
 蔵人が宿屋に泊ると雪白は狭苦しい魔獣厩舎で一夜を明かすことになる。
 雪白にとって耐えられないわけではないが、あえてそうしたいわけではない。
 それなら狩りでもして蔵人を待っていたほうがよほど楽しかった。
「この辺で人の出入りが少ない場所となると、竜山くらいか」
 竜山とはここから魔獣車で一日ほどの距離にある飛竜たちのねぐらだった。
 バルーク自治区のバルティスからも魔獣車で一日ほどの距離にあるその山は、ユーリフランツとバルーク自治区の境界線に跨るように存在していた。
 マルノヴァとバルティスを結ぶ街道はすでに人の縄張りであり、境界を警備する竜騎兵もいるため、飛竜が街道周辺を襲うことは滅多になく、竜山近辺に押し込まれていると言ってよかった。
 しかしそこから奥は飛竜の領域であり、広大な縄張りになっていた。
 あえてそこで飛竜を狩ろうというハンターは少ない。
 飛竜自体は強力なのだが、飛竜の素材は高ランクハンターであっても管理が難しく、あえて危険を冒してまで討伐する価値はないとされていた。
 竜騎士用の竜を得るため、産卵期に一定量の卵を奪う以外は竜山の中ごろから上に行くハンターはほとんどいなかった。
 竜山周辺での採取も森の中で警戒して行えば、飛竜をやり過ごすのも難しいことではなく、上手いこと人と飛竜の調整が取れていると言ってよかった。
 遥か昔はこの竜山にもドラゴンが支配者として君臨していたらしいが、それを勇者が討ち、マルノヴァが建設されたという伝説があった。
「この前の飛竜が山ほどいるらしいが、いけるか?」
 蔵人は雪白にそう聞いた。
 雪白が行けるなら、蔵人も虎の威を借る狐で行けるのだ。
 雪白は問題ないとでもいいたげに機嫌良く喉を鳴らす。
 蔵人がゴロゴロと恐ろしげに鳴る喉を掻いてやると、雪白はいっそう機嫌よさそうに鳴く。
 ブラシは出来たし、街に泊まるのではなく巣をつくるというのだから、雪白にとっては楽しいことばかりだった。
 蔵人と雪白はのんびりと駆けだす。
 普通のハンターなら決して近寄らない夜の危険地帯を楽しげに進んだ。

 八時間ほどで竜山の麓の森にたどり着く。
 普通の魔獣車よりも大分早いが、それは上機嫌な雪白が蔵人をその背に乗せたおかげだった。
 蔵人は雪白の背を降りる。
 ここからは訓練も兼ねた登山だった。
 竜山の植生はアレルドゥリア山脈に近いが、山自体はそれよりも峻嶮である。
 麓に広がる僅かな森を抜けると、どんどん急斜面になり、岩肌が露出し始め、そこから草木が生えていた。
 高さや面積的にはアレルドゥリア山脈に劣るが、傾斜は遥かに激しかった。気温もアレルドゥリア山脈ほど寒くはないが、登るほどに肌寒くなる。
 蔵人は火精を身体に纏わせながら、水を得た魚のようにひょいひょいと山を登る雪白の後に続いた。
 竜山はラッタナのジャングルより格段に動きやすく、蔵人はアレルドゥリア山脈にいるときのように闇精で存在を消しながら、スルスルと山を登って行った。
 飛竜の縄張りであっても、まったく肉食の魔獣がいないわけではない。
 食物連鎖のピラミッドの頂点が飛竜というだけのことだ。
 ちらほらと見える魔獣を今は我慢と興奮する雪白を説得しながら素通りし、竜山の中ごろを超えて七合目辺りに入ったときのことだった。
 視界が急に、開ける。
 開けた視界の先では、空が白み始めていた。
 そして明らかに空気感がじっとりとしたものに変わり、不思議なことに気温すらも僅かに温かくなった。
 背の高い植物はなくなり、空から見れば蔵人と雪白の位置は丸見えだった。
 羽ばたきの音が重なる。
 警戒していたらしい数匹の緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)が蔵人と雪白を上空から急降下して急襲し、交錯した。

――ギュルラァアアアアアアッ

 緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)が耳をつんざくように叫ぶ。
 雪白はそんな鳴き声など気にした様子もなく、すれ違い様に飛び上がって一匹の緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の背に飛びつき、蔵人はいつものように氷土の球壁を展開し、すれ違い様の一撃を耐える。
 ラッタナ王国では氷精が感じられずに苦労したが、ここには氷精がいる。
 蔵人は決闘の鬱憤晴らしと、特大の氷柱つららを八本、すれ違った緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を狙って、地面から突き出した。
 氷柱つらら一本は初級魔法でしかなかったが、込められた過剰な魔力と八本同時展開が中級魔法レベルまで魔法の規模を拡大していた。
 斜面から急成長するように突き出た氷柱つららは一匹の緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の翼を僅かに傷つけるだけに留まったが、蔵人の狙いは別にあった。
 その氷柱つららからさらに八本ずつ枝のような氷柱つららを、突き出していく。
 緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の背で争っていた雪白がその氷柱つららを足場にし、まるで大地を飛び跳ねるように緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を襲っていく。
 短い距離で争うならば、雪白が跳ぶほうが緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の飛行速度よりも早い。たちまちに緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)たちは傷だらけになっていく。
 牙どころか、尾の先にある自慢の毒針ですらかすりもしない。
 上空に逃げようにも蔵人が次々と作成する氷柱つららに阻まれ、そうこうしている内に雪白に襲われる。
 雪白に攻撃されて深い傷を負った飛竜たちは、飛行速度をがっくりと落とし、次々に飛び出てくる氷柱つららに射抜かれそうになる。
 それでも小型の戦闘機のように氷柱つららを掻い潜るのだから、さすがは空の覇者といえた。
 蔵人は球壁の中からその様子を観察しながら、一匹の緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の鬣がないことに気づく。
 雪白もそれに気がついたのか、鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)に飛び移ると、
――グォオンッ
 威嚇するように吠えた。
 たちまちビクリと身体を硬直させて墜落する鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)
 他の飛竜もついに傷だらけとなり、翼を氷柱つららに貫かれ、蜘蛛の巣に捕まった蝶のように捕獲された。
 雪白は前脚で相手の頭を押さえるいつものスタイルで鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を威圧する。
 鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)は予期せぬ悪夢の再来にすっかり翼を縮めてしまい、尻尾を股の間に挟んでぷるぷる震えていた。
 雪白には殺さないように頼んでいた。
 蔵人もまた氷柱つららに捕えた緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を殺してはいなかった。
 殺すことが目的ではないのだ。
 できれば共存、悪くても相互不可侵の状態に持っていきたかった。
 それにさすがの雪白とはいえ、竜山全ての飛竜を相手にして勝てると思っていないだろう。
 蔵人がそう思いながら雪白を見た。
 暁光を背に、緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を前脚で踏み付け、遠くに鋭い視線を放つ雪白が、この山に君臨する女王のように見えてしまった。
 蔵人はしぱつく目を擦り、幻だと自分に言い聞かせながら、雪白に屈服させられた鬣のない哀れな緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)に近づいた。
 調子に乗って大量に消費した魔力のせいで倦怠感を覚えながらも、それを表情に見せることなく蔵人は尋ねた。
「言葉はなんとなく理解できるよな?」
 蔵人がそう聞くと、怯えきった飛竜が目をしばたかせた。
 自分たちに話しかけてくる人間など卵を強奪しようとする人間の罵り声くらいしか知らないからだ。
「基本的にお前らを狩る気はない。まあ、俺には狩れないがな。ただこの山の一部で住まわせて欲しいだけだ。縄張りを多少荒らすかもしれないが、乱獲したりする気はない。とりあえず百十数日くらいなんだが、どうだ?」
 傍から見たら滑稽だろうが、蔵人は本気だった。
 成体になった飛竜は、人との交渉はしないとされていた。
 だが蔵人は野生とはいえ、竜騎士の騎獣にすらなる飛竜ほどの高位魔獣ならば雪白ほど明確に交渉できないにしろ、ある程度の交渉は可能なはずだと蔵人は考えていた。
 蔵人は雪白に頼んで飛竜たちを根絶やしにする気などなかった。
 緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)たちがいるからこそ、煩わしい人間への防波堤にもなるのだ。 
 蔵人の言葉を聞いて、食べちゃだめなのという目を向けてくる雪白。
 そんな雪白を撫でて説得しながら、飛竜の反応を待った。
――ギャオォ
 鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)は困ったような感じで鳴いた。
 自分はそんな立場にない、ということだろうか。
 蔵人は少し考えてから、雪白にこの山の主と話をつけてきてくれと頼む。できれば誰も殺さずに、と。
 雪白は未だ食べたいなーという視線を鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)に向けながらも、了承してくれた。
 どことなく鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)がほっとしたように見えた。
 蔵人は氷柱つららで捕えていた緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)を解放する。
 話を聞いていたらしい緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)たちは、蔵人たちを襲うことなくヨタヨタと飛び去っていく。
 雪白は鬣のない緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の背に立つと、飛べと視線で促す。
 哀れな飛竜は命じられるままに雪白を乗せて、山頂に飛び立った。
 蔵人はそれを見届けて、大きく息を吐き、その場に腰を落とした。
 魔力的にも、精神的にも疲弊していた。
 それでも、随分と上手くいった。
 おそらく飛竜は個としての圧倒的な力を見せつけた後でなければ、聞く耳をもたないのだろう。
 だがこの世界の圧倒的な個は飛竜と交渉などしなかったのだろう。
 人は特にそうかもしれない。
 人の社会も魔獣の社会も同じなのだ。
 つまりは、強くなければどうにもならないということだ。
 といって、人は無限に強くなれると思い込める歳でもなかった。
 諦めているわけではないが、現実を無視することもできない。
 結局、現実という綱の上をどこまでいけるか試しながら、落ちないように進むしかない。どんどん細くなる綱と自分の力を勘案しながら。
 そんな風に考えながら、腰を上げる蔵人。
 今の内に、適当な場所を探しておくことにする。
 蔵人は良さそうな場所を探している最中、どこか遠いところから、飛竜の悲鳴のようなもの聞いた気がしたが、気にせずに探索を続けた。
 八合目辺りに差しかかると、七合目辺りから気温が僅かに上昇した理由が判明した。
 温泉だ。
 峻嶮な岩の間に温泉が湧き出て、それが水たまりのように溜まっているのだ。
 しばらくそこにいるが気分が悪くなることはなかった。
 毒はなさそうだと、蔵人は手近にあったお湯に触ってみる。
 熱めの湯が好きだった蔵人は四十五度くらいかと推測した。 
 これならば魔法で少し温度を下げてやればどうということはない。
 ならばと温泉を組み込んだ巣作りを考え始める。
 蔵人は隠れ巣作りを開始した。
 下からは影になって見えない場所に土精魔法で入り口を作り、そこから掘り進めていく。
 かなり硬い岩を含んでいるらしく、石精とでも呼ぶべき精霊を見ることができた。石精は土精に含まれ、石精が感じられなくとも土精魔法で石を操ることができるが、石精を感知できるようになればより正確に石を操ることができた。
 今までは技量不足か、土精と混じり、感知できなかった。
 この石精を感知できるようになると、岩を掘るのが楽になった。
 しばらく掘ると、とりあえず山肌を掘っただけの穴ぐらが完成し、蔵人はゴロリと横になった。
 大火傷を負いながら決闘を制し、夜を徹して竜山を登り、氷精魔法を使って飛竜と戦い、堅い岩盤を石精魔法でくり抜いたのだ。
 もう限界であった。
 蔵人はうすっぺらな土の蓋だけをして、眠りについた。

――ギー

 蔵人は夢現に、か細い声を聞いた気がした。
 雪白の幼い頃を、夢に見ていた。

――ギー

 蔵人は気だるそうに身を起こすと周囲を見渡す。
 そうか、竜山の穴ぐらかと自分の位置を再確認すると、耳を澄ます。

――ギー

 夢ではなく、弱々しい声が確かに聞こえた。
 音色こそ違うが、雪白が手のひらサイズだったころの鳴き声に似ていた。
 うすっぺらな土の蓋を開け、蔵人は外にでる。
 太陽はまだ真上にも届いていなかった。
 蔵人は微かな声に誘われるように、斜面を下った。
 しばらくいった岩の影に、それはいた。
 ぽっこりと膨れたお腹の蒼いトカゲが地面をヨタヨタともがいていた。
 手のひらほどの大きさしかないが、首回りには鬣が生え、一対の翼は体長ほどもあった。
 色こそ違うが緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)の雛だろうことはすぐにわかった。
 しかしこの蒼い雛にはあるべきものがなかった。
 まず、目が一つしかなかった。
 それも初めから一つしかないかのように顔の真ん中にくりっとした黒曜石のような瞳が一つだけあった。
 さらに、足があるべき場所に足がなく、かわりにもう一対の翼があった。
 翼腕よりも小さいが、確かに翼であった。
 しかしそのために歩けないようで、さりとて幼さゆえに飛ぶことも出来ず、地面をジタバタともがくしかないようだった。
 おそらくは他の雛と比べれば、身体も随分と小さいはずだ。
 明らかな奇形だった。
 つまり、おそらく。
 群れから捨てられた飛竜の雛だった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ