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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第三章 船を待つ日々/前月

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63-ブラシ・ブラシ・ブラシ

 遅れました<(_ _)>
 
 王都からほど近くにラッタナ王国の港があった。
 しかしサウラン行きの船はなく、入航する予定すらなかった。
 蔵人は雪白とともにユーリフランツの港を目指すことになる。そこならばサウラン行きの船があるだろうとのことだった。
 蔵人と雪白はじゃれあうようにしてユーリフランツの港マルノヴァに向かう。
 ひどく大雑把な地図を買っただけの蔵人たちの旅程だったが、ほぼ直線を多少の悪路など訓練の一貫だとでもいうように進んでいく。致命的に危険な場所は雪白がきちんと避けるが、それ以外は生かさず殺さずの絶妙な匙加減で蔵人の生存能力を高めるために利用された。
 いくつかの小国を通り過ぎたが、蔵人たちは人里には近づかなかった。
 なんとなく人混みが煩わしかったというだけだが。
 それでも刺青をした山岳民族と物々交換したり、誰も知らない『キング』も出ないような小さな遺跡を完全踏破したり、雪白が時折首根っこを咥えて捕まえてくる魔獣と戦闘したりと退屈することはなかった。
 そもそも日本でも碌に海外など行ったことのなかった蔵人にとっては、南国のラッタナ王国から北部の玄関と言われるユーリフランツへの行程は、サレハドからオスロンのように焦る必要もなかったため楽しいものだった。
 ただ一つ、ブラシを催促する雪白の無言の圧力を除けば、だが。
 雪白愛用のブラシはトランクとともに海に流れてしまった。
 現状は途中で狩った猪の魔獣の毛から作ったブラシで代用しているが、あくまでも代用でしかなく、到底雪白が満足するものではなかった。
 そもそもジャングルや湿地、険しい森林の山岳地帯を進んできたが、雪白の好みそうな毛をもつ鹿や馬系の魔獣がいないのだからどうにもならない。
 だが、と蔵人は目の前に広がる草原を見ながら、ここなら馬や鹿系の魔獣がいそうだと期待していた。
 蔵人の胸ほどの高さのある草原の遥か向こうにはなだらかな森の入口も微かに見えていた。
 草原を駆ける馬。森の中の湖の水を飲む鹿。
 そんなイメージが容易に思い起こされるような草原や森だった。
 地図によると、ここはもうユーリフランツの一部であるバルーク自治区であるらしい。あの森を越えれば、街が見えてくるはずだった。
 風が、吹き抜けていった。
 草はまだ青いが、微かに枯れ草の匂いが混じっていた。
 ラッタナ王国から北上するほど、気温はわずかずつ下がっていった。
 地域的なものに加え、今は朱月の八〇日だ。
 白月に入れば気温は一気に下がり、白月の中月を越えればサレハドでは雪もちらつくだろう。
 餌の減る白月に備え、魔獣は活発に活動しているはずだ。
 蔵人は草原のそこかしこに感じる小さな魔獣の気配にどこか落ち着かない様子の雪白の可愛らしい小さな耳をふにふにと弄る。
 多少不機嫌ながらも、それに身を任せてくる雪白。
「馬っぽい奴か、鹿っぽい奴がいいな」
 その言葉に雪白が蔵人を見上げる。
 ソイツがいればブラシになるんだね、とでも言いたげな雪白の表情かおに蔵人は苦笑する。
 ラッタナ王国からどこか不機嫌だった雪白。もしかしたらストレスがたまっているのかもしれない。
 たかがブラシ、されどブラシ。
 それを痛感した旅路だった。
 いつもなら適当に追いかけて遊ぶ小さな魔獣を一切無視し、雪白は気配を完全に殺し、体勢を低くして歩き出した。
 本気の狩りの姿勢である。
 蔵人も出来る限り気配を押さえて、雪白に続く。
 到底、雪白に及ばない気配の殺し方。
 しかし、今回はそれがよかったのかもしれない。
 蔵人は唐突に、強烈な視線に射抜かれる。
 姿を隠しもしない、巨大な馬が草原に堂々と立っていた。
 黒色の身体は足を除いた身体だけでも大型の虎に匹敵する雪白よりも大きく、筋肉の盛り上がった強靭な脚が六本あり、背に生えたタテガミは陽炎のように揺らめいていた。
 何より、その眼光は草食動物のように穏やかではない、完全に肉食動物のそれであった。
 雪白に匹敵しかねない迫力があった。
 だが六本足の馬魔獣はこの場に蔵人しかいないと思っている。
 無警戒に、蔵人を捕食しようとしているのだ。
 すでに雪白は蔵人の知覚範囲内にいない。
 いつ消えたのか、蔵人にすらわからなかった。
 この時点で勝負は決まっていた。
 蔵人は囮になればいいのだ。
 囮になることに否やはない。
 これで雪白の機嫌がよくなるならば、耐えることくらいどうということもない。
 ふと目を覚まして見た、夜中にギラリと光る雪白の不機嫌そうな眼光に比べれば、肉食馬魔獣の飢えた眼光など恐ろしくもなんともないというのが偽らざる本音である。
 馬が、嗤ったような気がした。
 猛然と走りだす馬魔獣。
 そして蜃気楼が掻き消えるように、蔵人の目の前で姿を消した。
 蔵人は氷戦士の丸盾を構え、氷土の球壁を展開する。その内側には見えないシェルターのような自律物理障壁である第一障壁、皮膚スキンのような命精物理障壁である第二障壁も展開済みである。
 蹄が地を蹴る音だけが迫る。
 心臓にまで響く蹄の音が、緊張を煽る。
 位置はまったくといって把握できない。
 突然、背後から火山弾のような体当たり。
 氷土壁は爆破されたように破壊され、第一障壁を貫通し、第二障壁をも破壊した。
 とんでもない魔獣である。
 四つの障壁を破ってなお、じゃれつく雪白の体当たり程の衝撃が伝わってきた。
 凄まじい質量である。
 蔵人を見下ろす馬魔獣の巨躯が、強靭な前脚を振り上げる。
 巨大な蹄が、蔵人の頭上を襲った。
 しかし突如として横倒しになった馬魔獣。
 重そうな身体を横たえ、ヒューヒューと息をしているが、首の骨は折れて虫の息だった。
 雪白である。
 馬魔獣が脚を振り下ろす瞬間に、その横合いから喉に食いつき、押し倒し、喉元をごっそりと食いちぎった。
 おそらくは同格の魔獣と思われるが、蔵人とともに旅をし、蔵人の知らぬ内にこっそり各地の魔獣と戦い、文字通り牙を研いできた雪白。
 何より、ブラシへの執念があった。
 雪白には馬魔獣がブラシにしか見えていなかった。
 魔獣としての力も、捕食者としての立場もすでに同格ではなかった。

――そのブラシが、横からかっさらわれる。

 二人の前を暴力的な風音をともなった緑色の巨影が、長い青草を激しくしならせて通り過ぎていった。
 馬魔獣の死骸はなく、ようやくといった様子で蔵人が緑色の巨影の後を目で追うと、意外なことにまだ姿が確認できた。
 フラフラしながら、飛んでいたのだ。
 どうやら獲物が大きすぎたようだ。
 雪白の獲物を横取りした犯人。
 それは、大きな翼をもった濁った緑色の飛竜だった。
 蔵人はこの世界に来て初めて、まともな竜と呼べるものを見た。
 成人男性一人を乗せられそうな体躯にそれを優に超える一対の大きな翼。
 ゴツゴツとして硬そうな鱗のある体表。
 首回りには雄獅子のような鬣があり、恐竜にありがちな鈍重なイメージは微塵も感じられない。
 蔵人は少し、感動していた。
 あんな規格外な生き物が、空を飛ぶのだ。
 しかし、うちの規格外の相棒は空を見つめていた。
 感動などなく、剣呑な目つきで。
 その顔に青筋が立っていたかどうか、ふかふかの白毛の上からではわからなかったが、その怒りだけはヒシヒシと感じた。
 気温がさらに下がったようにすら感じた。
 雪白が蔵人に静かな灰金色の双眸を向け、背に乗れ、と促す。
 蔵人は逆らうことなく跨る。
 ラッタナ王国からの旅路は雪白に乗ることが出来たらもっと早かっただろう。
 雪白も身体が大きくなったため、乗せてくれないことはないが、基本的に訓練優先であり、楽はさせてくれない。
 それが、乗れ、という。
 蔵人が跨るとしゅるりと雪白の尻尾が腹に巻きつく。
 蔵人はしっかりと雪白にしがみついた。
 雪白は、本気である。
 目の前で獲物を横取りされた。
 それが雪白の矜持を深く傷つけたようだ。
 蔵人がしがみついたのと同時に、雪白が駆けだす。
 一歩、そして二歩目で早くも最高速度に到達した。
 フラフラと飛ぶ飛竜めがけて、草原の中を雪白が駆ける。
 飛竜は森の上空に差し掛かろうとしていた。
 音もなく走る雪白に気づいた様子はない。
 すでに射程圏だった。
 雪白が、跳んだ。
 遥か上空にいる飛竜の背に、毒のある尾すら意に介さず、雪白は飛びかかった。


 空の覇者である飛竜は想定したこともなかった突然の襲撃に、混乱した。
 背に突き刺さった強靭な爪の痛みがそれに拍車をかけた。
 轟く銃声。
 その音も聞いたことがなかった。 
 翼の根元の鱗が砕かれ、肉が抉られた。
 何がなんだかわからなかった。
 ここは自分の縄張りで、恐れる相手などいない。
 なぜか死んでいたこの獲物こそ生きていれば狩れないとはいえ、恐れる相手ではない。
 人か。
 それとも、白い獣か。
 相手のわからぬまま、飛竜は墜落していった。


 雪白はじたばたと暴れる飛竜の頭を前脚で踏みつけ、
――グァウっ
 一吠えで、抑え込んだ。
 飛竜は身体を硬直させ、なぜか長い尻尾を股の間に挟んでいた。
 どうやら雪白は獲物を屈服させるこのスタイルがお気に入りらしい。
 たしか鳥人種の若い男を捕えたときにもこんな風に抑え込んでいた。
 今も、なんかいうことないの?とでも言いたそうに飛竜を見下ろしている。
 地域によって個体差はあるものの飛竜もまた討伐難易度はイルニークと同格とされている。
 飛行するという特性から討伐難易度は高めだが、イルニークもまたその隠密性ゆえ討伐難易度が高めになっていることを考えるとやはり同格だろう。
 ただ雪白というイルニークは訓練し、さらに蔵人の知識を教え込まれている。
 やはりただの飛竜では相手にならなかった。
「で、どうすんだ。食べるか?」
 雪白から降り、飛竜が横取りした馬魔獣の皮や鬣、尾を剥ぎ取りながら雪白に問いかける蔵人。曲がりなりにもドラゴンの一種である飛竜の肉というものが気になっていた。
 蔵人以上にグルメな雪白もそれは同じだろう。
 美味しいのかお前という視線を飛竜に向ける雪白。
 お、美味しくありませんとでもいいそうなほど怯えている飛竜。
 空の覇者がそれでいいのかと思うが、蔵人とて今の滾った雪白に睨まれたら平身低頭を貫くだろう。
 雪白の視線が飛竜の首回りで止まる。
 雄獅子のように立派な鬣がそこにあった。
 雪白は蔵人を見る。
 これも欲しいと目で訴えていた。
 蔵人は仰せのままにと飛竜に近づく。
 寒気でもしたのか僅かに身じろぎする飛竜を、しかし雪白が前脚に力を入れて抑え込む。
 黙って刈られろとでもいいたげだ。
 蔵人はこの世界に来たときにリュックに入っていた剥ぎ取りナイフで鬣を根元から刈っていく。
 このナイフ、なんでも切れるわけではないが、錆びたり、刃こぼれしたり、切れ味が悪くなるようなことが一切なかった。人里にあまり近づかない蔵人にとって買い換える必要のないこの剥ぎ取りナイフは非常に便利だった。
 ついでに翼の根元に食い込んだ銃弾を回収する蔵人。
 傷を抉った時、飛竜が痛みに少し暴れたがそこは雪白が再び頭部を踏みつけることで大人しくさせた。
 綺麗に鬣を刈られてしまった飛竜。
 若干涙目のようにも見える。
 雪白はそれで満足したのか、飛竜を解放した。
 色々な意味で重圧から解放された飛竜はほうほうの体で空に飛び立った。
 さすがは飛竜というべきか。翼の根元の傷は既にふさがり、飛ぶのに支障はないようだった。
 雪白はそんな飛竜などもう気にしていないかのように、蔵人が解体した馬魔獣の内臓にかぶりついていた。肉はすでに食料リュックの中だ。
 雪白は内臓を食べながら、しかし目だけは、蔵人の手元にある馬魔獣の尾と鬣、飛竜の鬣に向けられていた。
 手触りとしては飛竜の鬣が一番硬質であり、馬魔獣の鬣は絹よりも滑らかだがしっかりとしていた。馬魔獣の尻尾は二つの中間当たりというところだ。どれも今まで遭遇した魔獣とは比較にならないくらい、良いブラシになりそうだった。
 蔵人はようやく、身体の力を抜いた。
 雪白の不機嫌プレッシャーもあったが、それよりも飛竜を墜落させた場所のほど近くにある森から獰猛な視線をいくつも感じていたからだ。
 そう、雪白は何も博愛精神で逃がしたわけではなかった。
 森のそこかしこから他の飛竜の視線を感じ取ったのだ。
 飛竜は群れで生活する。
 群れの仲間に何かあれば報復しただろうが、鬣を毟られこそしたが解放されたのなら戦う必要はないと判断したのだろう。
 容易く仲間を葬った雪白との戦力差を計算したともいえる。飛竜は好戦的だが、知能は高い。
 無駄な争いはしないらしい。
 雪白としては相手取っても構わなかったのだろうが、今は煩わしい相手と戦うより、ブラシを優先させたのだろう。
 そんな飛竜と雪白の駆け引きに巻き込まれては蔵人はたまったものではない。
 飛竜の視線が消え、蔵人はほっと息をはいた。
 雪白は馬魔獣の内臓をぺろりと平らげ、ブラシまだ?と催促の視線を向けてくる。
 蔵人は苛立ち紛れに血だらけの顔に水球をぶつける。
――くぁうっ
 驚く雪白。
 悪戯心を満足させた蔵人は雪白に近づく。
「血ぐらい拭きとれ」
 蔵人はそう言いながら布で赤い水まみれの雪白を拭ってやる。 
 なされるままに顔を拭かれる雪白。
 顔が横や縦に伸び、蔵人は面白くなってくる。
 しまいには両横をつまみ、びろーんと伸ばす蔵人。
「くっくっくっ」
 堪え切れずに笑ってしまう蔵人。
 なすがままに顔を伸び縮みさせていた雪白はそれで馬鹿にされていることに気がついた。
 イラッとしたような顔をする雪白。
 そんなに遊んで欲しいんだなと蔵人の手を振りほどき、かぶりついた。
 蔵人がやり過ぎたと思う間もなく、雪白は圧し掛かってくる。
 グリグリと頭を押し付け、さらに全身を甘噛みする雪白。
 必死の抵抗もむなしく、蔵人はしばらくの間、雪白の遊び道具にされた。

 スキンシップという名の制裁の後、蔵人と雪白は少し早いが森で野営することを決めた。
 ブラシを作るためである。
 とりあえず蔵人は三つ、ブラシを作る。
 飛竜鬣のブラシ、馬鬣のブラシ、馬尾のブラシである。
 乾燥した倒木、細い蔦はすぐに見つかった。
 人の手はほとんど入っていない森のようだった。
 この二つが見つかれば後は慣れたものだ。
 毛類を水精魔法で洗い、火精魔法で乾かし、丁寧に、しかし手早くブラシを作成していく。
 雪白がジッとこちらを見つめている。
 出来る限り、急がねばならない。
 いつのまにか日は暮れていた。
 蔵人は火精を具象化する。
 雪白がいる上に、馬魔獣、飛竜の匂いをさせた蔵人たちを襲うものはいない。
 森は静かな闇に閉ざされていた。
 せっせとブラシを作る蔵人。
 それを見つめる雪白。
 そしてようやく、蔵人は三つのブラシを完成させた。
 むくっと立ち上がり、蔵人の前に横たわる雪白。
 蔵人は苦笑しながら、まず一番硬い飛竜鬣ブラシで雪白の白毛を梳く。
 そしてしばらくして、二つ目の黒馬尾のブラシを、そして最後に黒馬鬣のブラシを使った。
 雪白はいつのまにか、うにゃーんと大きな猫のようになって、伸びていた。
「どれがいい」
 蔵人がそう聞くと、気だるそうに尻尾を持ちあげ、ブラシを三つとも持ちあげた。
「……三つを順番に使え、と」
 うむ、とだれたまま偉そうに頷く雪白。
 もつれや毛玉をほぐし、ざっくりと白毛の並びを整え、皮膚に刺激を与える飛竜鬣の一番ブラシ。
 白毛をさらに細かく、綺麗に整え、ホコリや小さなゴミを払い、緩やかな刺激を与える黒馬尾の二番ブラシ。
 白毛にツヤを出して仕上げ、撫でるように心地よい黒馬鬣の三番ブラシ。
 失くしたブラシは二番ブラシ相当であったが、品質は今の二番ブラシのほうが格段に向上していた。
 蔵人としては頷いてやるしかない。
 これだけ気持ち良さそうな顔をされれば悪い気分ではないし、強化すれば重労働というほどのものでもない。
「……時間があればな」
 蔵人はそういって気持ち良さそうに横たわる雪白に背を預けて、火精を消すと目を瞑った。
 確かに、雪白の毛は格段に気持ち良くなっていた。

 その森からさらに五日をかけ、朱月の八十五日にバルーク自治区の中心都市バルティスに到着した。
 この辺りは国境の出入りが厳しく監視されているため、マルノヴァに行くならばいつものように街を素通りするわけにもいかなかった。
 国境に壁や柵があるわけではないが、国境付近を人が跨った飛竜が飛んでいるのだ。それほど多いわけではないが、ラッタナ王国からバルーク自治区に来るまでの間で一番厳重な国境だった。
 マルノヴァはここバルティスから魔獣車で一日くらいの距離にあった。
 蔵人はパンパンに膨れた布袋を見ながら、協会に行こうかと考えた。いい加減、荷物が煩わしかった。
 雪白には適当に散歩してもらうことにした。
 ちなみに、雪白には幻影をかけていない。
 猟獣登録したということもあったが、イルニークを知る者がそれほどいないということもあった。
 土壁に囲まれたバルティス。どこか静かな街という雰囲気だった。抑圧されているという印象でもあった。
「何用でバルティスに来たか」
 門兵の威圧するような言葉に蔵人は答え、
「協会に。ハンターだからな」
 タグを見せる。
「バルティスに協会はない。協会に用があるならマルノヴァに行くがいい」
 サレハドなんていうど田舎に協会があるのに、それなりの大きさに見えるバルティスにはないという。
 マルノヴァに行けばすぐにわかってしまうような嘘を門兵がつく訳もない。
 蔵人は礼をいって、バルティスには入らず、道を引き返した。

 口笛を吹いて雪白と合流すると蔵人はマルノヴァに向かう。
 国境では雪白を見た国境兵が驚いたりしたが、ハンター証、猟獣を示す深紅の環を見せるとあっさりと通過できた。地元のハンターであれば多少審査に時間がかかったかもしれないが、旅をするハンターは基本的に審査が緩かった。
 蔵人は一日でマルノヴァに到着する。
 目的地まで一日とあって、寄り道もせずに直進したのだから、普通の魔獣車と同じくらいの速度で移動することができた。
 ちなみにラッタナ王国の王都からマルノヴァまで、蔵人たちはふらふらと寄り道しながら五十五日ほどで到達したが、普通の魔獣車なら四十日ほど、都市と都市を結ぶ高価な高速魔獣車を乗り継ぐと二十五日、定員一人の非常に高価な飛竜や大鳥だと十五日ほどである。
 蔵人たちは寄り道しながら歩いて到達したにしては早いと言えた。
 そもそも魔獣が闊歩するこの世界で、歩いてラッタナ王国からマルノヴァまで行こうとするのはよっぽどの物好きしかいない。それも街道を行くならばわかるが、ほぼ直線を突っ切る者などほとんどいない。
 遠くに見えるマルノヴァは頑丈な石壁に囲まれた大都市のようだった。
 荷物の多い商人たちとそれ以外が分けられ、それぞれ門の前に並んでいた。
 蔵人はタグを門番に見せ、雪白を魔獣厩舎に預けると、マルノヴァに入った。
 雪白はブラシが手に入ってから終始ご機嫌で魔獣厩舎にもすんなりと向かい、他の魔獣を威嚇することなく、ゆったりと横たわった。それでも大抵の魔獣がびくついてしまったわけだが。
 蔵人が門をくぐると、水、そして潮の香りがした。
 水路の張り巡らされた街並みと大きな運河、雑多な人々が行き交っているがどことなく秩序が形成されているようだった。
 石畳みの街路に石造りの町並み。
 どことなく文化的な香りが漂い、街のどこからか音楽も聞こえてくる。
 蔵人は聞こえてくるクラシック音楽にも似た旋律に少しウキウキしながら、魔獣の素材の入った布袋を背負い直して、気分良く協会に向かった。
 協会はどこの街でも門から直線上の、比較的近くにあるという。門がいくつかある街はその中間地点にあった。
 イライダがいうには魔獣や怪物モンスター災害の時に対処しやすいようにということらしい。
 それと同じで、街の門の近くには憲兵の詰め所もあった。
 街並みを眺めながらゆったりと協会に到着した蔵人。
 マルノヴァの協会は石造りの頑丈な建物だった。
 明けっぱなしのドアから協会に入ると、昼前とはいえ商人やハンターがロビーや隣接するカフェで思い思いに過ごしているようだった。
 蔵人は一直線に買取受付に向かった。
 幸い並んでいる様子はない、蔵人は受付にいた白系人種の女性職員にタグを見せ、背にもった布袋をカウンターに置いた。
「名前もわからない魔獣の素材があるんだ。適当に依頼をみつくろってくれないか?」
 白系人種の女性職員は蔵人を気にした様子もなく布袋を受け取る。
「残った素材はどうしますか?」
「残しておいてくれ。それと受注書の写しの一覧をくれ。葉紙代は報酬から差っぴいてくれていい」
 依頼受注書の写しという蔵人の言葉に女性職員は少し驚いた様子を見せたが、それ以上何もいわず、少々お待ち下さいといって素材の鑑定と依頼の照らし合わせを始めた。
 さすがに量が多かったのか、蔵人は奥に通され、そこで数人の職員が作業を終えるのを待った。

「――あのよろしいでしょうか?」
 蔵人がマルノヴァの協会をうろうろして戻ってきた時、蔵人を担当した女性職員が声をかけてきた。
「依頼は十五個で、総額二万ルッツになります。七つ星(ルビニチア)への昇格条件を満たしましたので、講習と試験資格を受けられます。これは受注書の一覧です」
 そういって蔵人に葉紙を手渡す。
 蔵人はざっと目を通しながら、
「一ルッツは何ロドだ?」
「ほとんど変わりません。約一ロドです」
「そうか。これでいい。残りは――」
「――そのことでご相談が。依頼はなかったのですが、クランドさまの持ちこんだ朧黒馬(フォスネカッロ)の皮を協会で買い取らせていただけませんか?」
 朧黒馬(フォスネカッロ)とはあの六本足の馬のことだろうか。
 蔵人はそう推測しながら詳しく話を聞く。
朧黒馬(フォスネカッロ)は飛竜の縄張りを超えたところにいるため、なかなか手に入らないのです」
「いくらだ?」
 蔵人の言葉に白系人種の女性職員は蔵人の手を握り、それを胸元に引き寄せる。
「五千ルッツでどうでしょうか」
 潤んだ瞳で蔵人を見つめる女性職員。
 蔵人とて男で、これが協会でなければクラリと転んでしまっただろうが、今は完全に仕事である。
 脳みそは比較的スムーズに動いていた。
 わざわざ色仕掛けめいた方法を用いて買取を提案してくることから、五千ルッツが適正な価格とは考えづらかった。
「話にならない。残りの素材は全て返却してくれ」
 蔵人が表情も変えずにそういうと、女性職員は蔵人の手をぱっと離し、不機嫌そうな表情をした。
 マルノヴァ女は高慢で我儘だ。
 そんな言葉もあるのだが、蔵人は当然知らない。
 ただヒス女には近付くべからずという実体験から、早々に残りの素材を受け取り、五千ルッツだけを受け取ると、残りは口座に入れてもらい、とっととずらかった。
 それから協会を徘徊していた時に聞いておいた二階にある資料室に行き、ざっくりとした法や慣習、魔獣の情報を読み漁った。
 それによると雪白が鬣を毟り取った飛竜はユーリフランツとバルーク自治区に跨る竜山に生息する緑鬣飛竜(ベルネーラ・ワイヴン)という飛竜(ワイバーン)の一種であるそうだ。
 飛竜(ワイバーン)は他にもアルバウムやインステカ、サウランにも多少の形態の違いはあれど存在するという。アルバウムにいる飛竜(ワイバーン)がスタンダードな種とされているようだ。
 その他、法令などはエルロドリアナとそれほど変わらないようだ。
 蔵人は暗くならない内に資料室を後にした。
 とはいえ夕暮れが迫っていた。
 宿にするべきか、雪白と野宿するべきか。
 蔵人はそんなことを考えながら、階段を降り切った。
 その時である。

「父母の仇っ、御覚悟」

 アカリくらいの少女が蔵人に向けて、曲刀を突き付けた。
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