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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第二章 灼熱の国で、奴隷を買う。
56/144

56-鳥人種②

 

 ヨビは灰金色の鋭い双眸に射竦められていた。

 ジッと一挙手一投足を観察され、生きた心地がしなかった。

 指一本動かせば、たちまちに食い殺されてもおかしくない。

 捕食者と被捕食者。

 その関係を明確に感じさせられていた。


 しかし、大きな黒豹はフイっとヨビから視線を外すと蔵人の顔面を捉えていた足を億劫そうにどかした。

「――ぶはっ。……やっぱりお前か」

 蔵人は雪白の下から這いだし、極度の緊張に彫像のごとく固まっていたヨビに声をかける。

「ああ、こいつは大丈夫だ。なんていえばいいか……相棒というか、猟獣というかまあそんなところだ」

 踏みつぶされたはずの蔵人が無傷で這いだしたのを見て、ヨビもとりあえず命の心配はないとわずかに緊張を解く。

「……猟獣、ですか」

「ああ、名前は雪白という。人と同じように接してくれ。賢いし、単純な戦力でいえば俺より強い」

 苦笑しながらいう蔵人に、ヨビは訳が分からないといった表情(かお)をする。

「……ご主人さま(ナイハンカー)より強いのに猟獣なのですか?」

「小さい頃に拾ってな。それ以来ずっと一緒だからな」

 ヨビに説明している蔵人の頭をぺしぺしと長い尻尾で叩く雪白。

「ん?ああ、こっちはヨビ、一応奴れ――」

 そんなのはどうでもいいと言わんばかりに、尻尾に巻き付いた紙を見せる雪白。

 蔵人はそれを解き、紙を開く。

 そこにはイライダからのメッセージがあった。


【妙な勇者に捕まった。とりあえず雪白だけでもそっちにやる。落ち着きがないんでな。

 それと捕まったとはいっても、命の危機や拘束の類じゃないから心配するな。なんというか、気にいられてしまったというか。

 本人がいうには勇者たちの教師をしていた関係で、アルバウムから教師としてアンクワールの教育環境の向上のために派遣されたらしい。少し前にはラッタナ王国で王子や官位持ち、富裕層を相手に教鞭をとったと言っている。

 だが、ちょっとうるさい女なんだ。

 女性は貴女のように自立すべきだの、この国では女性の待遇が悪すぎるだの、奴隷は悪だの、正直疲れた。

 残念だけど、もうしばらく時間がかかりそうだ。まあアンタはそっちでゆっくりしてな】

 

 教師は三人しか召喚されていなかった。

 蔵人には誰のことなのかすぐにぴんとくる。

 多嶋貴理子。文字通り、女史というイメージがぴったりの四十歳、社会科教師。組合活動にも熱心だった。

 蔵人はそれを思い出しただけで知らず知らずの内に顔を顰めていた。

 四十歳であっても蔵人は描くことに躊躇はないが、この女教師は描く気にならなかった。

 見栄え自体が悪いわけではないが、思想的に、内面的に描こうと思えなかった。


 そんな蔵人の心情など知らないとばかりに雪白はべしべしと蔵人を尻尾で叩く。

 蔵人が雪白を見ると、今度は尻尾でヨビを指し示す。

「……ああ、事情を話せってか」

――ぐぁう

 蔵人は女教師のことは頭の隅にやり、雪白に事情を説明する。

 向かい合う蔵人と雪白。

 雪白の前に屈みこんだ蔵人はそれだけでヒシヒシと無言の圧力を感じた。

 子どもの頃の、親に叱られる直前の気持ちを何故か思いだしていた。

 まず流れ着いてトランクを失くしたところで圧力が増した。どうもブラシを失くたことが心底気に入らないらしい。

 次にろくな隠密行動も取らず、海狼ターレマーパと戦闘に入ったことでタシーン、タシーンと雪白の尻尾が地面をゆっくりと叩き始める。

 考えなしに訳ありの奴隷を買った。

 情報不足、準備不足で万色岩蟹(ムーシヒンプ)に追い詰められた。

 街中を敵に回している。

 そのときにはもう尻尾は高く、そして重く地面を叩いていた。

 タシーン、タシーンという音が、死神の足音のように聞こえてくるのだから蔵人としてはたまらない。

 冷や汗をかきながら、現状は孔雀系鳥人種の襲撃があるかもしれないと伝え終わる。

 しゅるり。

 へっと蔵人はマヌケな声を出す。

 蔵人の首に尻尾が巻き付いていた。

 そして雪白が蔵人に飛びかかる。

 空を飛ぶ敵を相手どっているのに、頭上無警戒で私に踏まれるとは何事だとでも言いたげに雪白は飛びかかり、蔵人を噛んだり、ぐりぐり頭を押し付けたりする。

 もふもふの重撃を受け続ける蔵人。

 じゃれているのか、それともお説教なのか、蔵人と雪白の久しぶりの無差別格闘が続いた。


 

 ヨビはそれを呆然と眺めていた。

 内心では助けるべきが、助けることができるのか迷っていた。

 遠目から見ただけで恐怖を感じた海狼(ターレマーパ)の群れを率いる父王母妃(ふおうぼき)よりも遥かに強力な魔獣を相手に、まるで家族のように接する人種。

 襲われているように見えるが、傷を負っているような気配はない。

 獣人種は魔獣に対して人種ほど忌避感がないとはいえ、それでも中型魔獣に話しかけたり、ましてやじゃれあうまではなかなかしない。いかに獣人種とはいえ中型魔獣以上とじゃれあえばタダではすまないからだ。

 よほど魔獣のほうが手加減をしてくれない限りは怪我をする。

 そして中型魔獣が人相手の手加減を覚えているというのが異常だった。

 なんとも不思議な主に拾われたものだと、ヨビはどこか現実感のない一人と一匹のじゃれあいを眺めていた。

 

 

 蔵人は地面に伸びて、ぐったりとしていた。

 反対に雪白はつやつやしているようで、蔵人としては解せなかった。

「けっこう奇跡的な再会だろ、もう少しこう……いやなんでもない。それより、とりあえずは野営と登録か。ああ、その前に――」

 懐の魔導書に触れながら、短く詠唱する。


(JJafnvel)すらも(nú líka)(PPhantom)


 蔵人が解除詠唱を使って雪白の幻影を解くと、纏っていた黒い幻影がとけて雪白本来の姿が露わになる。

 ヨビの目の前に、大型のトラほどもある雪豹が現れる。

 地面にねそべったままでヨビを見上げる蔵人。

「この魔獣は有名か?イルニークというんだが」

 蔵人の言葉を聞いて、ヨビはめまぐるしく変わる状況に戸惑いながらもなんとか返答する。

「……み、見たことないです。聞いたこともありません」

「……それなら、大丈夫か」

 蔵人は雪白を猟獣登録するつもりでいた。

 雪白はこのままでは街に入れない。

 外で待たせている間に目撃でもされて、珍しい魔獣として討伐しようとする輩や協会による大々的な討伐隊が組まれでもしたら面倒だった。

 いくら深緑の環があるとはいえ気づかなかった、知らなかったと言われればどうにもならない。

 協会から雪白の情報がどこかの欲深い阿呆に漏れることは十分に考えられるが、討伐隊を組まれるよりはマシなはずだ。ハンターの猟獣だということで、ある程度の大義名分も立つ。

 それでも何かしらあるなら抵抗すればいい、ハンターにこだわる必要もないのだから。



 蔵人は雪白とヨビを連れて門に向かった。

 だが、そこにはズラリと人が並んでいる。

 海側にはほとんどいなかったが、陸側には商人の魔獣車や王都に行こうとするハンターが列をなしていた。

 蔵人はそれを見ただけでうんざりするが仕方がない。

 しかし、最後尾に並んだ蔵人たちに前の商人やハンターが道を譲る。

「……?いいのか?」

「りょ、猟獣なんだろうが、さすがに落ち着かない。先に行け」

 ハンターらしき狼系獣人種の男がそういうと、他の者たちも頷く。雪白を見て、落ちつかないだけで済むあたり獣人種というのもなかなか肝が据わっている。

「悪いな」

 蔵人はペコリと頭を軽く下げて、譲られるままに前に進んでいった。

 数分で最前列まで来た蔵人は門番に深緑の環とタグを二枚見せる。

「協会に猟獣登録しに行きたいんだが、どうしたらいい」

 突然現れた馬鹿でかい雪豹に門番は剣を抜きかける。

 高さでいえば蔵人の胸ほどに頭があり、全長でいえば蔵人を超えイライダほどもあるのだから仕方ないことだった。

 だが雪白はくわぁああと欠伸をするだけで、門番を気にした様子すらない。

 門番はその欠伸にすら身体をビクリと強張らせるが、雪白の脚にある深緑の環を見つけたようでとりあえず剣を抜くことはなかった。

「……ほ、本当に猟獣なのか」

「ああ。おかしなことさえしないなら、な」

「す、少し、待て」

 そういって門番は門の中の他の兵士に声をかけて、どこかに走らせる。おそらくは協会だ。

 間もなく、職員らしき鳥人種の男が現れる。孔雀系ではないということしかわからない。

 ほっそりした体型の優男だが、やはり目つきが人を見下している。

 おそらく蔵人とヨビのことも知っているのだろう、二人を見る目には蔑みしかなかった。

 ほっそりした体型、目つきが悪いというのは鳥人種の種族特性なのかと蔵人は思いつつも、ジロジロと雪白を見る鳥人種の職員の言葉を待つ。


「――アンクワールでは猟獣も街の中に入れるが、さすがにこの大きさではな。だが今回は特別に入れてやろう。登録しなければならないからな。次から街に入れるかはわからんぞ」

 『八つ星(コンバジラ)』程度が引き連れている猟獣など大したことはないと判断したのか、横柄な態度の鳥人種の職員は顎で先を指し示し、とっとと中に入ってしまう。

 蔵人は意外にすんなり入れたことに驚きながらも、鳥人種の職員の雰囲気からトラブルは不可避であると感じてうんざりするが、これを乗り越えなければさらなるトラブルが待つと我慢して鳥人種の職員についていく。

 街中では馬鹿でかい雪豹を連れている蔵人に絡んでくるものはさすがにいない。ついさっき、取り囲まれたのが嘘のようだが屈強な男たちがいないのだからこんなものなのかもしれない。

 冷たい視線の中を蔵人、雪白、ヨビは何事もなく協会にたどり着く。

 途中、猫系や豹系の獣人種が興味津々な様子で雪白を食い入るように見ていた。『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』のマーニャもそうであったが、猫科の獣人には雪白に惹かれる何かがあるのだろうかと蔵人は首を捻っていた。

 

 協会につくと、ぎょっとした視線に出迎えられる。

 馬鹿でかい雪豹がいきなり現れれば、いかに協会職員やハンターでも驚く。

 だがここでも、カフェのカウンターにいた猫系獣人種の娘が尻尾をぴくぴくとさせて、雪白を食い入るように見ていた。

 受付につくと鳥人種の職員が蔵人を見る。

 完全に自分を上位者だと思い、振る舞っている。動作の端々からそれが見て取れた。

「猟獣登録だったな」

「ああ。一応、猟獣登録の規則を見せてくれ」

「……そんなものはない。その猟獣を一日協会に置いていけ。その間に猟獣の適性を判断する」

「……もし、適性が不適格と判断されたらどうするつもりだ」

「もちろん返してやる。その魔獣が暴れたりしなければな」

 まったく信用できない話だ。

 とはいえ、登録できないとなると後々困ることがあるかもしれない。

「……わかった」

 鳥人種の職員はフッと笑う。

「――あんたより上の責任者を呼べ。あんたじゃ信用できない」

 蔵人の予想外の物言いに鳥人種の職員が眉間に皺を寄せる。

「ほう、職員、それも受付責任者のこの私が信用できない、と」

「当たり前だ。規則を見せない上に、一日置いていけという。どう考えても人の猟獣を取り上げようとしているようにしか見えない」

「職員を盗人扱いとはさすがは人種だ、傲慢極まりない。それも仕方ないか、人の妻を奴隷に落とし、脅迫していうことを聞かせるような男だからな」

 蔵人が視線を感じて、周囲を見回す。

 受付内にいる職員も、協会内にいるハンターも蔵人を責めるように睨んでいた。

 だが、蔵人にはどうでもよかった。

 ここの職員やハンターに冷遇されようが、睨まれようが、ここに定住するわけではない。サレハドでも同じようなものだったのだ。

 とはいえ、言われっぱなしも蔵人の性には合わなければ、サレハドとは状況も違う。


――ドンっ


 巨人の手袋をつけた蔵人の手が、受付のカウンターを強打する。

 さすがに荒くれが通う協会のカウンターなだけあって、びくともしないがその音は協会中に響き渡る。

「っな、協会内で暴力を――」

「――お前らは自分の王を貶める気か?」

 蔵人の一言は、それを聞いたラッタナ王国人の顔色を変えるほどの一言だった。

 ヨビも青い顔をして、心配そうに蔵人を見ていた。

「……貴様、何を言っているかわかっているのか?ハンターとはいえ、不敬罪を免れるとは思うなよ?」

 鳥人種の職員は殺気すら感じさせる声色だ。

 それも当然だった。この国の王族はラッタナ国民全てに慕われ、崇拝されているといってもいい。北部人による支配時代、世界大戦を乗り切り、アンクワールで唯一独立を保ったのが王族だ。

 そして鳥人種にとって、王はまさしく至高の王であった。

 王はガルーダといわれ、魔鳥系鳥人種とも聖鳥系鳥人種とも言われる数少ない種だった。単純に戦力としてもこの国で一番の強者であり、それでいて政治的にも優れている。独立を保つことができたのはこの国にこの一族がいたからだといっても過言ではなかった。

 それだけに、王は絶対不可侵の存在だった。

 たとえ、現在の王が暗愚だったとしても彼らの忠誠心に偽りはなかった。

「不敬罪はお前らだろうが」

 蔵人は協会の資料室でそれを知った。この国で絶対に侵してはないならない領域として、しっかりと記憶していた。

「きっ、貴様はっ――」

「――俺は、この国の王の名において施行された法律のもとで、本人の意思に反することなく、奴隷の代金として十万パミットを払い、税金を一万パミット払って、ヨビを奴隷にした。その後も十一万パミットを使って装備を整え、この協会で『九つ星(シブロシカ)』にした。いうなれば、この国の王に従って、物事を進めたんだ。それを不正だというなら、王を不正だといっているのと同じだ。つまりお前らが不敬罪なわけだ。何か間違っているか?」

 この国の多くは人種を憎む激情家が大半を占める。

 それだけに蔵人は街中で囲まれたとき、このことを言えなかった。言ってしまったら、論理的正しさなど考えることのない獣人種が暴動を起こしたかもしれない。一人の暴動が街中の暴動になるかもしれない。そうなれば手に負えない。

 だが協会内であれば人数が多いわけでもなければ、極端に人の話が聞けないという輩だけではない。それに数少ないアテも、蔵人にはあった。

「そ、そういうことではない人の妻を騙して、奴隷に落としたことが問題だと言っているのだ」

 自らが不敬罪と言い返された鳥人種は蔵人を不敬罪で責めることを辞め、人情に訴えようとした。

「――私が自らを売りました」

 だがそれはヨビの言葉が否定する。

 鳥人種の職員はヨビに蔑みの視線を向ける。蝙蝠系獣人(タンマイ)の奴隷ごときが口を挟むなとでも言いたそうに。

「脅迫されているのだろう?お前もハンターだ。本当のことをいえば協会が力を貸してやる」

「私が自らを売ったのです。そして夫、ナバーは未だに買い戻しに来ていません」

「それは嘘だな。昨日、お前の夫の親族が買い戻しにきたはずだ」

 鳥人種は得意げにそう言った。

「確かに買い戻しにきたな」

 蔵人がヨビにかわって答える。

「何を開き直っている。その時お前は拒否したのだろう、それならばやはり妻を奪ったと――」

「――二万パミットで売れと言ってきたがな。十一万パミットにすら届かないんだ、ただの恐喝だ。それも夫ではなく、『ルワン家の使い』という男がな。ヨビの元夫であるナバーは来ていない。

 そして、ヨビは自らを売りにきたんだ。俺はヨビが帰りたいというまで売る気はない。それも当然だろう。ヨビは夫に恒常的な暴力を受け、身体を売ってまで金を作ってこいといわれていたんだ。そしてヨビは夫の言う通りに自分を売って金を作った。お前はそれでもルワン家が正しいというのか」

「……よ、世迷言をいうな。人種の言うことなど信じられるかっ!」

「ハンター協会の職員がハンターである俺や当人であるヨビを信じず、根も葉もない噂を信じるのか」

 蔵人の言い分と買われたヨビの言葉を聞いた他の職員やハンターは困惑していた。

 王都の全てが信じているといっても過言ではない噂と原則的には間違っていない蔵人の言い分にヨビの脅迫されているとは思えない言動。

 その場の人間は何を信じればいいかわからなくなっていた。

「――それに後ろの女ども」

 蔵人が受付の女性職員に目を向ける。

 職員たちは先程までの責めるような目ではなく、ただ戸惑っていた。そこに蔵人が声をかけたものだから、意図がわからず余計に戸惑いは深くなる。

「何も責めやしない。責任者に逆らえるなんて思っちゃいないからな。だが、女相手に優位に立ちたい男じゃなく、ただの女の目から見て、ヨビが脅迫されていうことを聞かされているように見えるか?見えるなら、噂を信じればいい。だが、もし噂を疑うなら俺とヨビの監査員をやった人種の職員を呼んでくれ。まだ、あいつのほうが信用できる」

 鳥人種の職員が睨みつけるように他の職員を見る。

 職員は、動けない。

 小奇麗で、ハンターにもしてもらったヨビを見て、噂通りでないとわかっている。

 だが、人種である蔵人を信じきるのも怖いし、立場もある。

 そういう意味で職員は動けないでいた。

 鳥人種の職員はニヤリと笑う。

「だれが監査員についたか知らないが、猟獣登録には――」

「――ずいぶん大きな音がしたと思ってきてみれば、まったく」

 受付の奥から、蔵人を監査した職員が現れる。蔵人がカウンターを強打した音を聞きつけたようだ。

「昨日はどうも、監査員殿」

 蔵人が冗談交じりにそういうと中年の人種の職員は苦笑する。

「監査上、名乗っていなかったな。この協会の副支部長をしている、ベイリー・グッドマンだ」

「……そんなに上の人間だったのか」

 蔵人はせいぜい職員の一人が味方をしてくれるかもしれない程度に思っていただけだ。

 それでこの場をしのぎ、なし崩しで猟獣登録をしてしまおうと企んでいたが、思っていたよりも大物がかかってしまった。よもや、自分の監査員が副支部長だとは思う訳がない。

「監査はある程度、上の人間がしなければならなくてな。昨日はたまたま私が暇だったというわけだ。まあ、あまり職員をいじめんでやってくれ」

「俺は筋を通しているだけだ。無茶は言ってない。そこの職員が根拠も証拠もない噂で俺を貶めなきゃこんなことにはなってないさ」

 ベイリーがジロリと鳥人種の職員を見る。

 鳥人種の職員は屈辱的な表情で、しかしそっぽを向いている。ベイリーに対しても何かしら含むところがあるのか、大人しく従いそうにはない。

「わかった。……とりあえず物騒な不敬罪だなんだという話はなかった。それでいいな」

 ベイリーがそういうと鳥人種の職員は何も言わないが、否定もしない。

「クランドといったか、君もそれでいいな」

 今更、噂をどうのこうの、名誉をどうのこうの言う気はない。種も撒いたのだから、当面の目的さえ達成できればそれでよかった。

 それにここで職員を責めれば、おそらく収拾がつかなくなる。責めたい気持ちはあるが、そこまでの面倒はごめんだった。

「協会の職員が下らない噂に躍らされて、ハンターに不利益な扱いをしなければなんでもいいさ」

「すまないな。で、今日は何のようだ?」

「猟獣登録だ」

 ベイリーは目を丸くして、蔵人とヨビの後ろで丸くなって眠る大きな雪豹を見つめた。

「随分と大きいな」

「ああ、そこの職員が一日かかるから、置いていけと言ってな。だが、規則を見せろと言っても見せない。だからあんたを呼べと言っていたところだ」

 ベイリーは鳥人種の職員を睨む。

「そんな規則、どこにあった。国から新しい規則でも送られてきたか?」

「はて、私はそんなことを言った覚えはありませんな。そこの人種の勘違いでしょう」

「……だそうだ。いずれ調査はするが、言った言わないの水掛け論になる。すまないが今は引いてくれ」

 蔵人は舌打ちをするも、確かに証拠はない。

 ここは協会だ。いくらでもかばい合いをするだろうし、大衆の面前で糾弾されれば逆上しかねない。

 アンクワール全体でいえることだが、立場が上の相手でも大衆の面前で相手を罵倒し、糾弾することは事の善し悪しに関わらず、鳥人種や獣人種は嫌う。悪くすれば刃傷沙汰にもなる。

「……好きにしてくれ。で、猟獣登録はどうすればいい。出来れば規則も見せてくれ」

「ああ。規則といってもそれほどないんだがな。――おい」

 副支部長であるベイリーの一声に後ろの職員が規則書を差し出す。

 人種ではあってもベイリーはそれなりに人望があるらしく、規則書をもってきた犬系獣人に嫌悪や蔑視の様子はなかった。

 ベイリーが差し出す一枚の規則書を受け取る蔵人。

 蔵人が規則書に目を通すのを待ち、ベイリーは説明する。

「基本的には猟獣を徴収するということはない」

 蔵人は規則書に目を通したまま聞く。

「基本的にとはどういうことだ」

「……国がごり押ししてきた場合は、どうにもならない。無論、ハンター協会も全力で守るが国が全力を上げた場合はどうにもならない。これは登録してようが、してまいが関係ないがそれでも登録してくれていたほうが守りやすいし、トラブルも防ぎやすい」

「正直だな。なら、『これ』はどれほど効力がある」

 蔵人は袖をまくり、そして人の争いなど興味もなさそうに伸びをする雪白の深緑の環を指差した。

「……驚いたな、本物か。『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』か。いや、関係者か?」

「ちょっと身分を保障してもらってるだけだ。どうもこれの効力がわからない。あんなのにも絡まれるしな」

 蔵人はすでに別の仕事をしている鳥人種の職員を見る。

 ベイリーは複雑そうな顔をする。

「ハンター協会としてはその深緑の環を敵に回すことはない。だが、このアンクワールでは社会制度の違いから『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』を妻浚いとみる者も少なくない。もちろん北部の国でもそう言われるが、この辺ではとくにな」

「そういうことか。で、猟獣試験はどうする」

「なに、簡単なことだ。主人であるハンターの命令を全体遵守できるか。つまり、ハンターと同じルールを守れるかだな。街中での魔法禁止、武器禁止、暴力禁止だ。アンクワールでは七割が獣人種や鳥人種だからな、街に猟獣を入れることに抵抗はほとんどない。そのかわり、猟獣登録の基準も法律も厳しい。ある意味で、人以上にな」

「なるほどな。――雪白、大丈夫そうか?」

 目をシパシパとさせ、ごろごろと喉の奥で返事をする雪白。

 あの騒動も雪白にとっては眠たいものでしかなかったらしい。

「大丈夫だ」

「……そうか。なら試させてもらおう」

 ベイリーは腰にあるショートソードを抜き打つ。

 少なくとも、蔵人の目にはいつ抜かれたのかわからなかった。

「……さすがはイルニークだな。これでも協会に入る前は『三つ星(セルロビ)』だったんだがな」

 ショートソードは雪白の眉間ギリギリで止まっていた。

 ベイリーの腕が雪白の尻尾に止められていたのだ。

「だがっ――」

 ベイリーはショートソードを捨て、強化魔法(・・・・)を施した身体で雪白を殴り付けた。

 雪白はそれをそのまま受け止め、反撃はしない。

 普段ならば、避けられたはずだった。

「くっくっくっ、ここまで人の意をくみ取るか。なるほどイルニークは高位魔獣のようだな」

 高位魔獣とは人語を理解し、人と同等かそれ以上の知能を有する魔獣を示す言葉だった。

 人を傷つけてはならない。

 これは雪白が幼獣の頃から蔵人が口を酸っぱくして言い続けたことだ。

 人の社会に魔獣が関わるならどうしても守っていかなくてはならないことだからだ。無論、無抵抗に殺されろとは教えていない。生命の危機を感じたなら反撃もかまわないと伝えてあった。

 お互いのために。

 今回は、ベイリーに殴られたくらいで雪白は死なない。だが、雪白が爪を振るえば致命傷だ。反撃は許されなかった。

 魔獣には不利であるが、人の社会では仕方のないことだった。

「すまないな」

 ベイリーは雪白にそう言った。

 雪白は尻尾でベイリーの腰をポンポンと叩き、そのまま蔵人の後ろにいって丸くなった。

 ベイリーは叩かれた腰をさすりながら、まいったなと呟いて苦笑する。

 蔵人は一連の動きを眺めていた。動きは捉えられなかったが。

 判断能力さえあれば、雪白は優秀だ。自分よりも。それがわかっていたからこそ、何もしなかった。何もできなかったともいうが。

「どうだ?」

「間違いなく合格だ。まったく、イルニークを猟獣にするなんて聞いたこともない。蝙蝠系獣人といい、イルニークといい、『八つ星(コンバジラ)』のすることじゃないだろう」

「……へぇ、イルニークのことを知っていたんだな」

「生まれはラッタナだが、ハンターをしていた頃はエルロドリアナに行ったこともある。だがまあアンクワールの一般人、地元のハンターは知らないだろうな」

 そういってベイリーは蔵人に深紅の環を手渡す。

 そして手渡したまま、蔵人に小声で問う。

「……もし、その魔獣が暴走したらどうする」

「……事情次第だな」

 ベイリーの手が強く蔵人の手を握る。

「……おい――」

「――もちろん雪白が本能と悪に染まったなら、俺が殺す。たとえ相討ちになったとしても、な。だが、雪白に少しでも、ほんのわずかにでも分があるなら、雪白につく。たとえ共倒れになったとしてもな」

 これは蔵人が雪白と暮らし始めた頃から雪白に言っていることでもある。

 雪白も喋ることができないが、蔵人と同じように思っているはずだ。

 お互いに相容れなくなったら別れる。

 お互いが絶対に許せないことをしてしまったら、剣と牙を交えることになると。

 では基準となる悪とはどう判断するのか。

 それは蔵人の美意識や良心、そして雪白の誇りとしかいえなかった。

 正義なんてない、とは思わない。

 悪なんてない、と開き直る気もない。

 言葉で明確に表現できない、明確な何かが確かにあると蔵人は思っている。

「それは、人と敵対するということか?」

「場合によってはな。俺はそもそも捨てられた人間だ。流民だったといってもいい。だから帰属する社会はない」

 二重の意味で、だ。

 一つはこの世界に帰属する場所がないということ。

 もう一つは、今のところ勇者たちに帰属する気がないということだ。

 だが、ベイリーにそんなことはわからない。

 ベイリーは悪いことを聞いたなという顔をする。

 だが全ての人がベイリーのように思うわけではない。

 捨てられて流民になったという意味がわからなければ、魔獣の側につくという蔵人を糾弾する人間のほうが多いだろう。

「……憎んでいるのか?」

 蔵人はふと考える。

 この世界に戯れで召喚されたことに対して怒りはある。

 加護を奪われた怒りも、存在しないものにされた怒りもある。

 だがそれを憎しみかと問われると難しい。

 根が薄情なのか元の世界に帰りたいとも思わない。それなりに生きることができているし、勇者にも関わりさえしなければ問題はない。ハヤトには多少思うところがないわけでもないが、殺したいと思うほどでもない……たぶん。

「どこかの誰かがくだらないことをしてこなければな。生きるので手一杯だ」

「へんなことを聞いたな。猟獣を従える者の心構えを試したかったんだ」

「へぇ、でどうだった」

「おおむね、問題はない。猟獣が暴走した時、殺せるか否かが問題だからな。だから、それ以外は聞かなかったことにする。私も人種とはいえ、ラッタナ王国の一員だからな」

 蔵人の手を離すベイリー。

「それが普通だろ」

 そういって蔵人は雪白のほうを向いて屈みこむと、深緑の環の下に深紅の環をかちりとはめた。

「なかなか似合ってるじゃないか」

 蔵人が褒めても、雪白はどこか一点を見つめている。

 猫系獣人の娘のいるカフェだ。

 客が美味そうに鳥の脚をほおばっていた。

「……あとでいくから待ってくれ」

 蔵人は苦笑しながら立ち上がる。

「登録はこれでいいのか?」

「あとはタグをくれ」

 ベイリーにタグを渡す蔵人。

 ベイリーは自分で受付内にいくと何事かを作業し、すぐに戻ってくる。

「噂やなんやといろいろあるだろうが、がんばれよ」

 ベイリーに差し出されたタグを受けとる蔵人。

「……あんたは噂を信じていないのか?」

「さあな。傷だらけの蝙蝠系獣人種を十一万パミットで買い、その上で十一万パミットをかけて『九つ星(シブロシカ)』にするようなお人よしをたまたま監査したというだけだからな。もしかしたら、蝙蝠系獣人に懸想して金にあかせて奪い取ったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。見てわからないから、何も信じないだけだ。規則に沿って物事を進める、副支部長程度が出来るのはそれだけさ」

 含みのある言い方をして去っていくベイリー。

 蔵人はその背中を見送っていたが、腰をしゅるりと捕獲される感覚に雪白を見る。

 もう待てない。

 そんな風な顔をしている雪白が蔵人を引きずっていく。

「お、おい、待て。落ちつけ」

 蔵人の制止も聞かず、カフェに到達する雪白。

――ぐあう

 その大きさと声にカフェ付近にいハンターたちはわずかに後ずさる。

 だが、普通なら怖いはずの雪白の吠え声を聞いても猫系獣人の娘は何やらキラキラした目で雪白を見つめていた。

「わ、わかったから、引っ張るな。――ああ、すまない。一番大きな肉料理はあるか?」

「……えっ、ああ、すいません。ギック鳥の丸焼きですね」

 じゃあそれをくれといって椅子に座る蔵人。

 猫系獣人の娘は奥の厨房に注文を伝え、また雪白を観賞し始める。

 蔵人の背後に立とうとするヨビを、蔵人は腰に手をまわして強引に座らせる。

 ヨビは申し訳なさそうな顔をするが、蔵人は完全に無視していた。

「あ、あのっ」

 がんばりました私、とでも言いそうなほど勢いよく蔵人に声をかける猫系獣人の娘。

「ん?」

「……そ、その触らせてもらえませんかっ」

「……ああ雪白のことか。雪白に聞いてくれ。悪かったらなんも言わないだろ。ああ、もしかしたら何かおまけをしたら機嫌がよくなるかもしれないな」

 蔵人の言葉に、猫系獣人の娘が目を光らせる。

 厨房から何やらかっさらってくると、雪白の前に陣取る猫系獣人の娘。

 なにやらごそごそとやっている。

 雪白は触らせることに乗り気でないようだが、猫系獣人の娘がもっている鳥の脚にちらちらと目をやっている。

 そしてついに、肉が欲しいわけではないが可哀想だから触らせてやろうとでも言いそうな顔で猫系獣人の娘の提案に頷くと、差し出された肉にかぶりつく雪白。

 その横で白毛に黒い斑紋のあるふかふかな雪白を全身で堪能している猫系獣人の娘がいた。

 そのあとしばらくしてギック鳥の丸焼きを堪能した雪白、そのおこぼれをもらった蔵人とヨビは適当な依頼を受けてから協会を後にした。

 カフェに残されたのは幸せそうな顔をしてしばらく使い物にならなくなっている猫系獣人の娘だった。


 

 依頼の関係上、海側の門から街を出る蔵人。

 雪白を頼りに、『楽しく』野営できそうな場所を見つけて、今日はそこで一泊する。

 蔵人は食料リュックから取り出した大きな肉を火にかけて、ヨビの訓練をすることにした。

 肉は無論夕食だが、ほとんどが雪白の腹に収まるのは言うまでもないことだ。

 どうも雪白は不眠不休で移動してきたらしく、食欲と眠気の間で戦っているようだった。今もこくりと舟を漕いだかと思うと、はっと起きて肉を凝視する。その繰り返しだった。


 蔵人は透爪斧鎚の使い方、闇精魔法と風精魔法の活かし方、蔵人の知る反響定位の仕組み、並列発動の仕方を説明する。

 ヨビからはアンクワールのことや探索者のこと、遺跡での戦い方、ルワン家のことを聞いた。

 その後、待望の肉タイムを迎えた雪白が幸せの絶頂を迎え、食べ終えるとすぐに睡魔に敗北する。

 蔵人は元々あった木と岩を利用して、簡素な土の家をつくりそこで火精を維持する。

 夜の見張りは蔵人とヨビで半分ずつ分担する。最初はヨビだ。雪白がいるから安心なのだが、それでも油断するわけにはいかない。

 ジャングルと砂浜の境目で、波の音を聞きながら蔵人は眠りについた。 

 


 翌朝、蔵人とヨビ、雪白は依頼の獲物を追うが、それは目の前で上空から横取りされる。


 

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