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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第二章 灼熱の国で、奴隷を買う。
55/144

55-鳥人種①

 

 男の目には明らかな侮蔑があった。

 ヨビに対してだけでなく、蔵人に対しても。


 男の声とほぼ同時に揃いの赤い革鎧を着た二人の孔雀系鳥人種が宿の出入口、もう二人が各部屋に行く通路、残りの二人が蔵人とヨビを逃がさないとばかりに背後に立つ。

 蔵人は背後に立たれることを嫌い、身体を硬直させたヨビを連れて食堂の奥に進み、壁を背にして声を発した男を見る。


 男は大きな赤い布を二つ折にし、折った部分をTの字に切り、そこに頭を通したような衣装を着て座っていた。

 全ての縁は金色に彩られ、華やかでありながらも細かな刺繍が見て取れた。

 壮年の男が腕を動かすと孔雀系鳥人種の最大の特徴である見事な孔雀の羽根が衣装から見え隠れしている。ただ、その孔雀の羽根は赤い。

 そして一本に縛って結い上げた男の髪も赤かった。赤毛ではなく、原色の赤に近かい。

 全体的にほっそりしているせいか、眉間に深い皺のある顔はひどく陰険そうだった。

「まずどこのだれか、名乗るくらいしたらどうだ。礼儀を知らないわけでもないだろ」

 蔵人の遠慮のない物言いに壮年の男の陰険そうな細い目尻がぴくりと動き、酷く不快そうに口を開いた。

「野蛮で野卑な人種如きに礼儀を語られるとはな。……よかろう。私はナクロプ・イグシデハーン・ノクル・ルワン・プラサート様の使いでやってきた、クンドラップ・ノクル・ルワン・シンチャイだ」

 名乗りを聞いた蔵人はこっそりと、顔をこわばらせているヨビに聞く。

 結局誰で、どれが名前なんだ、と。

 そんな空気を読まない蔵人の問いかけに、ヨビは顔を強張らせたまま答える。

(……夫、いえナバーの父親の側近であり、ナバーのいとこだったはずです。それと名前ですが、彼らは北部人の文化を否定していますから、名前が一番最後になります。社会階級・官位・グシュティ・家名・名前になりますが、さすがに名前では呼ばないでください。家名のルワンで問題ないです)

 蔵人は小さく頷く。

「俺は――」

「――よい。貴様の名乗りを聞くほど暇ではない。さて、クランドといったか。もう一度いうぞ。貴様が買ったその蝙蝠系獣人種(タンマイ)を我が一族に返せ」

 蔵人はまたこの手合いかとため息をつきたくなる。

 権力や財力、権威、暴力に保障された人間は平気で法を捻じ曲げようとする。

 わずかな利益のためにルールや法を捻じ曲げ、十を儲けるために他人の百を奪って蹴落す輩は日本にもいるが、こちらの世界はそれが公然とまかりとおっているようで、蔵人としてはこうなるとわかって買いはしたが、苛立ちは募る。

「……誰に返すんだ。あんたはヨビの元夫じゃないだろ」

「ナバーは我が一族の者だ。親族である私がソレを取り返しに来たところでなんの問題もあるまい」

「……仮にそれでいいとして、返せというのは横暴だろう。ヨビは俺が買ったものだ」

 使いの男は何が気に障ったのか、細い目をさらに細める。

「仮にも人の二妻ソンパーヤを奴隷に落とし、奪っておいて金まで請求するとはな。まあよい、五千パミットか、せいぜい一万パミットだろう。色をつけて二万パミットくれてやる。賤しい人種には十分であろう」

 二妻ソンパーヤとはこの国における妾的性質の側室のことで特権階級や富裕層が持つことができる。彼女たちは第二夫人として扱われはするが完全に本妻の指揮下にあり、家庭内労働から性的労働までを担当し、生まれた子供の親権も本妻が握ることになる。

 ヨビはもちろん本妻であったが、ルワン家は外聞を気にして二妻ソンパーヤということにしているらしかった。本妻がいない場合でも二妻ソンパーヤを置くことができた。

「――二十二万パミットだが、売る気はない」

 安い金で奴隷を買い叩いたと言われているようで気に入らない蔵人はヨビの値段も答えてやった。

 使いの男は蔵人の言っている意味がわからないという顔をする。

蝙蝠系獣人(タンマイ)に二十二万だと?これだから人種は――」

「――買取に十一万、準備で十一万だ。儲けはいれてないから、売るとしたら三十万くらいか。そして、もう一度言うぞ、売る気はない」

 その言葉に、蔵人とヨビを終始睨みつけていた孔雀系鳥人種の若い男が腰の曲刀の柄を握り、今にも抜きそうになっていた。

 蔵人はそれとなく魔銃のグリップに手をやるが、若い男を見もしない。

 その態度に若い男はさらに怒気を発し、曲刀を半ばまで抜く。

「――よせ、我らは強請りに来たのではない」

 使いの男の言葉に、若い男は憎々しげに蔵人を睨みながら曲刀から手を放す。

 だが、と使いの男が言葉を続ける。

「詐欺まがいの金額で私を謀ろうとするならば、実力行使も厭わんぞ?」

 使いの男は鋭い目で蔵人をねめつける。

「嘘だと思うなら、奴隷局と協会、ゴルバルドの鍛冶屋に行って聞け。これだけ早く嗅ぎつけたんだ、どうせ奴隷局に伝手でもあるんだろ。……そのわりに俺がいくらでヨビを買ったのかなんで知らないんだ?それともその伝手が信用できなかったのか、信用しなかったのか。まあ、どうでもいいか。

 耳が悪いようだから、もう一度言うぞ。さっきから言っているが俺はヨビを売る気はない。せっかく『九つ星(シブロシカ)』にした奴隷を売るわけないだろ」

「……待て、蝙蝠系獣人種(タンマイ)が一日もしないうちに『九つ星(シブロシカ)』だと?」

 何も言わずヨビのタグを見せる蔵人。

 蔵人の言葉をまるで信じていなかった使いの男と孔雀系鳥人種の若い男たちは、ヨビのタグを見て顔色を変えた。

 まるでそれが龍の逆鱗に触れでもしたかのように。

 探索者十級止まりの蝙蝠系獣人(タンマイ)がたった一日で『九つ星(シブロシカ)』になる。

 人種が金に物を言わせていい装備を持たせたか、不正をしたか、それとも空を飛んだかのいずれでしかなく、そのどれもがプライドの高い鳥人種にとって許せないことだった。

 さきほど曲刀を抜きかけた若い孔雀系鳥人種が蔵人に食ってかかる。

「不正に決まっているっ」

「嘘だと思うなら協会の監査員に聞け」 

「人種はいつもそうだっ。卑劣な手段を使ったに決まっているっ」

 蔵人の胸倉をつかむ若い孔雀系鳥人種の若い男。

 男は蔵人のボーダーラインを越えた。


 蔵人の中の毒虫が蠢く。

 酷薄な目をして、胸倉をつかむ男を見る蔵人。

 それはまるで『物』を見るような目だった。


 蔵人はハヤトたちとの諍いを経て、避けられない争いの場合は自分の命をないものとして扱うようになった。

 そして相手の命も、ないものとして扱うことにした。

 そうでもしなければ、耐えられなかった。

 自分だけがただ殺されるくらいなら、巻き添えにしてやる。

 それくらいの気持ちでいなければ人の敵意、害意、殺意に挫けそうになり、逃げ出したくなる。

 逃げる先があるなら、逃げるのもいい。

 だが、逃げる先などなく、退くわけにはいかないときがある。

 ならば、やるしかないではないか。


「……待て」

 使いの男は若い男を止めてはいるが、野良犬に噛まれたような屈辱的な表情かおをしていた。

 主の使いという自分の仕事がなければ、何をするかわからないだろう。

「……では、解放する気はないんだな?」

 使いの男の制止によって乱暴に胸倉を放された蔵人は襟元を直しながら答える。

「ヨビは俺が、あんたの国の法律に沿って、奴隷局に高い税金を払ってまで買った奴隷だ。それを解放しろというのは筋が通らないだろ。それに交渉するなら、せめて俺が払った十万パミットくらい用意しろ。手ぶらで現れて、解放しろじゃただの強請りだ。

 それに、なにより、ヨビ本人が解放されたくないと言ってるんだ、お前らが口を挟む問題じゃないだろ」

 今のところ、蔵人にヨビを売る気はなかった。

 ヨビの子どもの、死の真相を知る。

 それが約束だ。

 そして蔵人自身が復讐の行方を知るためにも、裏切らない人間を手に入れるためにも売るつもりはなかった。

 さらにいえば傷だらけの女を、その傷をこしらえた男の元に返すという行為は蔵人の情が許さなかった。

 自己満足、下心、意地そういうものがないとはいわない。

 だがそれ以上に自分が絵を、特に女の絵を描く理由であり、ここで見捨ててしまえばどの面下げて女の絵を描けばいいのかわからない。

 蔵人にとって女は弱いものであり、強いものである。

 どちらにも転び、うつろう不確かな存在だ。

 桜花にも似たそんな生を、蔵人は描きたかった。

 いや、そんな大層な理由じゃないのかもしれない。

 自身が男だから、女を描いているだけなのかもしれない。


 まったく手に負えないような事態の女なら諦めることもできるが、道端で転んだくらいの女を見捨てたくはない。

 面倒事は確かに御免だが、目を瞑って生きるのも御免だった。

 そんな生き方ができるなら、もう少し器用に生きられたはずだ。

 それができなかったからアレルドゥリア山脈を出て、こんなところにいるのだ。


 蔵人に目配せされたヨビが、一歩だけ前にでる。

 使いの男の目が、鋭くヨビに突き刺さる。

 余計なことを言うなとでも言うように。

 だがヨビはかすかに震える身体で、しかし決然とした顔をする。

「……私は戻りたくありません。夫の暴力も、貴方達の傲慢さも、ほとほと嫌気が差しました」

 ヨビの言葉に、使いの男は表情を失くした。

 あまりの屈辱に怒りを通り越したらしい。

「……ルワン家に弓を引くというのだな?」

 男の怒気にヨビがわずかにたじろぐが、蔵人が平然と言い放つ。

「だから何度も言ってるだろ。筋を通せと。頭も下げない、金も払う気はない。まるで誠意ってもんが見えない。俺を野蛮だの野卑だのいうが、こうやって強請るあんたらのほうがよっぽど野蛮だろ」

 使いの男は何かを堪えるように蔵人を睨みつけてから、

「……よかろう」

 それだけ言い残して去っていく。

 孔雀系鳥人種の若い男たちも、盛大に怒気や殺気をぶつけてからそれに続いた。


 食堂はようやく静かになった。

 適当な椅子を掴み、どっかと座りこむ蔵人。

 さすがにきつかった。よもや、ここで暴力沙汰に及ぶとは考えていなかったが、それでも暴力を伴う交渉は慣れなかった。

「……申し訳ありません」

 うつ向いたヨビが申し訳なさそうに立っていた。

「予想できたことだ、気にするな。それにしても、ヨビを売った金くらいはもってくりゃいいんだ」

「……いえ、多分すでにおっ……ナバーが使ってしまったのだと思います」

 ナバーは夫の名前ですと言い足すヨビ。

「まだ一日経ってないぞ?」

「協会の真向かいに大きな建物が見えるのはご存じですか?」

「……知らん」

「協会の正面玄関を出るとすぐ向かいに白い離宮のような建物が見えます。そこがちょうど半年くらい前にできた賭博場なんです。たしか、北部人はカジノと言っていた気がします」

 嫌な予感のする蔵人。

「……この国では賭博場のことをカジノと呼ぶのか?」

「いえ、聞いたことはありません。北部人も言わないはずです。半年前まで聞いたこともありませんでしたから」

 確定だ。おそらく勇者が関わっている。

 わざわざ既存の賭博場ではなく、カジノという言葉を使っているのだ。勇者の関与は否定できなかった。

「……そこで大金を使ってしまったということか」

「そうだと思います。地元の賭け場もありますが、小さなもので賭け金も少ないですし、裏ともつながっていますから大金は使いづらいはずです。それにナバーはたまに小さな賭け場で大きく儲けると、カジノに行っていましたから」

「地元の人間なんていくのか?」

「ほとんどが官位持ち、王族、北部人だと聞いています。なんでも遠方からわざわざ足を運ぶことがステイタスなのだとか。あとは上流階級の社交場にもなっているそうです。地元の人間は賭けるよりも、そこで働いていますね。ただ、ナバーのように身を持ち崩す人や外から入ってきた北部人や東南人とのトラブルも増えていると誘い道の噂で聞きました」

 勇者、そしてアルバウムの影がちらついている。

 遺跡のこと、カジノのこと。

 そこから何が導けるのか蔵人にはわからないし、何もする気はないが、どうにも背筋がむずむずしていた。

 蔵人がふと聞き覚えのある音に窓から外をみると、外は真っ暗になり、いつのまにか地面に叩きつけるような豪雨が降っていた。

 

 

 クンドラップ・ノクル・ルワン・シンチャイは、怒りに煮えたぎったまま、自らの主であるナクロプ・イグシデハーン・ノクル・ルワン・プラサートに事の次第を報告した。


――傲慢さを隠しもしない人種のクランドという男が、這いつくばって頭を下げろといい、さらには蝙蝠系獣人種(タンマイ)の値を不当に吊り上げてきた。三十万パミットとは言っていたが金を持っていったとしても、難癖をつけて値を吊り上げてくるだろう、と。

 例の蝙蝠系獣人種(タンマイ)もその企みに積極的に加担している、と。


「以上です。これからどうなさいますか、イグシデハーンさま」

 かなりフィルターがかかってはいるが、使いの男、シンチャイにとってはそれが事実だった。

 憎き北部人が、卑小な蝙蝠系獣人種(タンマイ)を使って、自分たちを脅迫している、と。

 側近であるシンチャイの報告を黙って聞いていたイグシデハーン。

 結い上げた長い赤髪にちらほらと白髪があり、目尻の皺が老いを感じさせはするが、その長身の身体はシンチャイよりもよほど鍛えこまれていた。

 イグシデハーンは官位を授かった先祖の力に匹敵すると言われていた。

 それゆえに周囲もルワン家の再興を期待し、イグシデハーンもそのために動いてきた。数世代分のツケがありながらもようやく再興できそうなところまでこぎつけたところだった。

 そこにこの醜聞スキャンダルである。

「聞いてはいたが、人種か。どこの人種かわかるか」

 重々しい声でシンチャイに尋ねるイグシデハーン。

「はっ。正確にはわかりかねますが、北部人だと思われます。オスロンからの船が難破し、流れ着いたとのこと。髪はくすんだ金髪ですが、北部人ほど彫りが深いわけでもありません。北部人と東南人との混血やもしれません。それと、不確定な情報ですが、深緑の環をつけていたと」

 蔵人はオスロンから漂流し、さらに幻影で髪をくすんだ金色にしている。そのためシンチャイは蔵人を北部人と思ってしまった。

「……北部人、さらに忌々しい女神の付き人の関係者か。北部人はどこまでも我らに祟るな。まあ、北部人なら北部人でやりようもあるが。……しかし、ナバーにも困ったものだな。女ひとり制御できんとは」

 次男は家を出奔し、探索者になり、蝙蝠系獣人種(タンマイ)と結婚した。

 そこまでなら、二度と王都に近づかなければ許せた。

 放っておくこともできた。

 だが一族の誇りである翼をなくし、妻子ともどもこの王都に戻ってきてしまった。その上、蝙蝠系獣人種(タンマイ)には奴隷法を逆手にとって、離婚されてしまった。

 一門の再興のためには、対処しなければならなかった。


「……わかったな、次は、しくじるな。どうも王の容体がおもわしくない。近いうちに次の王が立つやもしれん。……時は、近いぞ」

 イグシデハーンの策を聞いたシンチャイは膝をついて、承知した。 



 翌朝、蔵人は珍しく遅く起きた。

 もう太陽が真上に差しかかっていた。

 協会か鍛冶屋にでもいこうと蔵人が部屋をでると、受付で宿のおかみさんが申し訳なさそうに言った。

「……チャイの紹介だから置いて上げたいんだけど、うちも食べていかないといけなくて、ね。あんな噂を信じてるわけじゃないのよ、実際あなたたちを見ていれば噂のほうが間違っているのはわかってる。でも、街の人を敵に回すわけにはいかなくて……」

 おかみさんは背中の甲羅に今にも隠れてしまいそうなほど、小柄な身をさらに小さくしていた。

 蔵人はまるで意味がわからない。

「……いま起きたところなんだ。事情を聞かせてくれ。ああ、もちろん事情がどうであれ、でていけというならでていくから心配しないでくれ」

「ごめんなさいね……噂っていうのは――」

 宿のおかみさんが教えてくれた噂というのは、実に上手くできていた。

 

 噂は北部人のハンターが鳥人種から妻を奪ったのだというものだった。

 この鳥人種の妻は二妻ソンパーヤではあったが、夫は優しく蝙蝠系獣人種(タンマイ)であることすら差別せず、仲睦まじかった。

 だが北部人は妻を騙して奴隷に落とし、脅迫して言いなりにしてしまった。

 奴隷として売られた妻の金で妻を買い戻そうとした夫に、北部人は法外な金を請求したという。


 ラッタナ王国の、というよりはアンクワール全体で教育の度合いは低い。

 十歳にもなれば本格的に働きだし、数少ない学校も富裕層や名家のものしかいけない。

 それゆえ、噂を精査することなく、信じる。

 教育されていれば踊らされることがないとはいわないが、やはり教育の度合いが低いと扇動されやすいのは否めない。

 さらにアンクワール全体に対して北部人がしたことを、ラッタナ王国の獣人種たちは忘れていない。

 ラッタナ王国は独立を保つことをできはしたが、戦争をしなかったわけではない。北部の国との血みどろの歴史があったといっていい。

 よって、アンクワール全体が北部人が何かをすれば噂の真偽よりも糾弾が始まる傾向にあった。

「話してくれて助かった。おかみさんのせいじゃないから気にしないでくれ」

 申し訳なさそうしているおかみさんに蔵人はそういうと、荷物を取りに部屋に戻った。


「……申し訳ありません。私のせいで」

 蔵人は完全装備になり、布袋をヨビに放り投げる。

 慌てて受け取るヨビ。

「相手が動き出したんだ。俺の手に負える内は付き合ってやる。手に負えなくなったらそのへんに捨てるから気にするな。いくぞ」

 噂はおそらく、昨日来た孔雀系鳥人種の仕業だった。

 古くからこの王都に巣くっているならこんな噂の一つや二つ、捏造して流すのは造作もないはずだ。

 そう考えながら、部屋をさっさとでていく蔵人。

 それをぽかんとした顔で見送ってしまったヨビは慌ててついて行った。

 

 蔵人とヨビが街の中を歩くと、ひそひそ声や悪意のある視線、あからさまに罵倒する声も聞こえるが、さすがに完全武装したハンターに暴力を振るう者はいなかった。

 ゴルバルドの鍛冶屋に入ると、いつものようにエーリルおばさんが挨拶してくれた。

「おばさんも噂聞いてるんだろ?いいのか」

 蔵人のケツをバシンと叩くおばさん。

「噂なんて知らないね。あたしは自分の目で見たものしか信じないんだよっ。あんたはまあ、多少助平だけど、おかしな真似をしてないのはこの娘を見たらわかるよ。言っただろ、奴隷はあんたの鏡だって」

「――それにワシより腕のいい鍛冶屋は、仮にもし万が一いたとすれば同じドワーフだけだ。ワシらに圧力をかけて出て行かれでもしたら国の連中のほうが困るだろうよ。それにワシらはこの国を追い出されても、国に帰ればいいだけだ。まあ、そんなことになったら他のドワーフも去り、二度とこの国にドワーフの鍛冶師は派遣されてこんだろうがな」

 奥から出てきたゴルバルドがそういった。

「おう、出来てるぞ……ただちょっと、な」

 ゴルバルドが手に持っているのは例の透明な万色岩蟹(ムーシヒンプ)の小爪を用いた槌だった。

 先端についた小爪はヨビがもつ星球メイスの星球と同じくらいだが、元は爪であるため鋭い。

「おめえがいったようにしたら……」

「……おお、むしろこっちのほうが面白いな」

「で、これがおめえの……」

 二人がまたこそこそと話し合いを始め、それを見た女二人は仕方ないねとでもいうように話を始めた。



「噂なんて気にしちゃいけないよ……大丈夫かい?」

 おばさんは着替えのときにヨビの傷を見ているため、おおよその予想はついていた。

 ヨビは儚げに微笑する。

「大丈夫です。ご主人様ナイハンカーにはよくしてもらってます。鎧も買ってもらいました」

「どっかの防具屋が揃いの革鎧をバラバラにされたって騒いでたね……それより、少し太ったかい?」

 おばさんの言葉にヨビがぴくりと反応する。

「……そうですか?」

「ああ、特にこのへんが……」

 脇からはみ出た胸をふにふにとつつくおばさん。

 戸惑うヨビ。

「ふふ、冗談だよ。ただ肌ツヤはよくなったね。ちゃんと食べてる証拠だよ」



「女同士で楽しくしてるところを悪いがお嬢ちゃんに渡すもんがある」

 ゴルバルドの声にヨビはそちらを向いた。

「まず、これだ」

 蔵人がそういってヨビに渡したのは、黒っぽいサングラスだった。

 フレームは男性の指の幅ほどの薄い金属に細工がほどこされ、レンズ部分は細長く少し歪な楕円形の黒いガラスでできていた。

 日が昇り始めるといつも眩しそうにしているヨビを見ていた蔵人は、酒瓶があるくらいだ、サングラスもできるだろうと強引にゴルバルドに頼んで作ってもらったものだ。

 ガラスの製造は大量生産こそ出来ていないものの、存在している。ステンドグラスや高級な酒瓶に使われているが、ガラスの製造方法は各国の専門ギルドに独占されていた。

 そしてメガネも存在する。ただそれほど必要とするものがいないせいか使用者は少ない。フレームは鍛冶師や細工師でも仕組みさえわかれば作れるが、レンズのほうはこちらもガラス同様各国のギルドが秘匿していた。

 ヨビの場合はレンズではなく黒いステンドグラスにフレームがあるようなものだから、ゴルバルドでも作ることができた。フレームは日本のものほど細く軽いわけではないが、そこはゴルバルドが武骨にならないように美しい細工を入れていた。美しく精緻な細工こそドワーフの本領であった。

「鍛冶屋に頼むもんじゃねえだろうが。……縁は自信作だが、ガラスはやったことなんてねえからな。どうだ?」

 ヨビはつけ方がわからないらしく、サングラスを持てあましていた。

 蔵人はそれを取り上げ、サングラスをヨビにかけてやった。

「……ま、眩しくないです」

 ヨビはどこか感動したように、店先から外を見ていた。

 それにしても細長い楕円形の黒いサングラス、黒い首輪、脇が大きく空いて白い胸の一部が見える革鎧、革のガーターベルトに鉄靴、それに星球メイスをぶら下げているヨビはその細面で儚げな印象とのギャップで、なんともいえない背徳感が漂っていた。

「でだ、この透爪斧槌もお前さんのだ。使い方は坊主にきけ」

「……透爪斧鎚?」

 ヨビは首を傾げながらも透明な爪のついた鎚を受け取り、振ってみる。

 星球メイスとそれほど変わらず、使いやすかった。

 ふと両手にもてるかもしれないと、ヨビは星球メイスも抜く。

 右手に透爪斧鎚、左手に星球メイスを構えるヨビ。

 蔵人とゴルバルドはそれを黙って見ていた。

 ブン、ブンと振るうヨビ。

 両手で握っている時よりもさらに拙いが、まるで振るえていないということもなかった。

「訓練次第でいけるだろうな。さすが獣人種だ。普通の人種の男じゃ一本か、振るえたとしてもそれこそ振るだけだな。どれ、このまま行かせちゃドワーフの名折れだ」 

 そういってゴルバルドはヨビに基本的な槌の振り方などを教えていった。


 そんなヨビとゴルバルドを見る蔵人におばさんが話しかける。

「で、これからどうするんだい?」

「人も待ってるし、この街にまだ少し用もある。最悪、どっかで野宿でもするさ」

「野宿ってあんた……」

「元々山育ちだ、なんとかなるさ」

 おばさんは呆れたように蔵人を見ていた。

 

 ゴルバルドの鎚指南が終わり、蔵人は残りの注文品である長い棒と大きく膨らんだ麻袋を受け取り、鍛冶屋を後にした。

 ちょうど昼時らしい。

 軒を連ねる食堂に次々と熊系獣人種の男たちが入っていったり、軒先でさっさと食事を済ませている牛人種がいた。

 この国では三食という習慣がないわけではない。

 経済的な理由もあるが、本来は二食である。ただ一度に多くのエネルギーを使う仕事の場合は三食とる。

 よってこの時間に昼食をとるものは、仕事柄気の荒いものが多く、

「おう、てめえが噂の北部人か。人のオンナァ、奪っておいてこんなとこを堂々と歩くたぁな。盗人猛々しいとはこのことだ」 

 蔵人とヨビが完全装備だとしてもこうして容赦なく絡んでくる。

 肉体労働者らしき筋骨隆々の熊系獣人種の三人が蔵人の目の前で絡んでいるが、その周りを他の肉体労働者やハンターまでが取り囲み、さらに街の至る所から敵意や憎しみの視線が蔵人に注がれていた。

 その中には、噂では被害者であるはずのヨビに向けた蔑視の視線もあった。

 蔵人はため息をつきながらも、持っていた棒と大荷物をヨビに預ける。かなり重いはずだが、ヨビは難なく受け取った。

「嘘か本当かわからない噂を信じてるんだろうが、ヨビは俺が十一万パミット払って、奴隷局にも税金を払って登録した奴隷だ。ちゃんと本人の了承を得てな」

 ヨビは蔵人の一歩後ろで頷いている。

「うるせぇよ、札びらで頬をひっぱたいといて了承とは片腹いてえやっ」

「おうよ、後ろの蝙蝠系獣人種(タンマイ)もどうせ脅されてるんだろっ」

 両脇にいる熊系獣人の恫喝するような大声に煽られて、周囲からも野次が飛ぶ。


「返してやれよっ」「あんなに傷だらけで」「北部人は出ていけっ」「奴隷成金めっ」「お前らが吸血鬼だろうが」「そうだそうだっ」


 気を良くした中央の熊系獣人種が蔵人に詰め寄り、胸倉をつかもうとする。

「おい」

 熊系獣人種の伸ばした腕を蔵人が掴む。

「それ以上は……」

 大柄な熊系獣人からしてみれば、人種の中でも小さい部類に入る蔵人にそう言われたところで可笑しいだけなのだろう、げらげらと笑いだした。

「それ以上がなんだってえっ!」

 そういって蔵人が掴んだ腕を強引に動かそうとする。

 だが、動かない。

 引くことも、押すこともできなかった。

「て、てめえ、街中で魔法つかいやが――」

「――使ってない。それくらいわかるだろ」

 蔵人はスピードこそないが、単純な筋肉ならば嫌というほど鍛錬している。特に指から腕、脚からつま先にかけての鍛え方は古流武術的な極端で異常な鍛え方で、その腕をみたマクシームが詫びも含んでいるとはいえ、巨人の手袋を渡すほどだ。

 腕を掴まれて皮膚を破られたサレハドのハンターが『野良犬(ブラーカ)』と名づけるのも頷ける話だ。

「安心しろ、どうせこの街じゃあ宿に泊まれないからな、野宿でもする。ああ、たまに協会には行くからそれくらいは大目に見てくれ」

「そ、そんなことを言ってるんじゃねえっ。返してや――」

「――帰る気はありません。これは私の意思です」

 そこにヨビが毅然と言い放つ。

 蔵人は熊系獣人の腕をポイっと捨てる。

 引いていた力が急に解放され後ろにたたらを踏む熊系獣人。

「どいてくれ」

 蔵人は残る二人の熊系獣人種を見る。

 ただ、見る。

 路傍の石でも見るかのように。

 無感情な瞳に熊系獣人は得体のしれない不気味さを覚え、後ずさっていた。

 激情家の多い鳥人種や獣人種にとって、長らく争ってきた北部人も激情家が多く、蔵人のような怒り方は見たことがなかった。それだけに表情のない威圧感は不気味だった。

 蔵人は熊系獣人が空けた道を通り、ヨビもそれに続く。

 人垣が割れていく。

 だがそこに一つ、小石が飛んだ。

 それは蔵人の頭に当たり、蔵人はかすかに顔を顰める。

 石自体は物理障壁で防いでいたが、気持ちのいいものではない。

 ちなみに障壁は禁止されていない。ただ、それを悪用すれば厳罰に処されることになっていた。

 ヨビが心配そうに近寄るが、それを蔵人は手で制し、進む。

 小石やゴミが飛ぶ。

 そんなものに構うことなく、蔵人とヨビは陸側の門から街を出た。


「どっかで野営しないとな」

 陸側の門から出ると、踏み固められ地肌ののぞく太い道が続いていた。

 右手には鬱蒼としたジャングルの広がる山が、左手にはしばらくいったところに畑が広がっている。

 蔵人とヨビは王都を囲む石壁の前にいた。

「そんなに申し訳なさそうにするな。知ってて巻き込んだんだろ?利用してやるくらいの年上の余裕を見せたらどうだ」

「……あなたには私がどういう風に見えてるんですか」

 呆れたようにいうヨビ。

「意外としたたかな女には見えるな」

 自分を見てそんな風にいった男はいなかったのか、ヨビは驚いたような顔をする。

「まあ、だいたいの女に言えるような気もするけどな。そもそも泥水をすすってきた、年増で元人妻がウブでねんねで従順だなんて思うかよ。むしろ男を転がしていいようにする女と思うのが普通だ。そう思ってれば騙されても苦笑いで済む……かもしれん」 

「……」

 ヨビの不服そうな表情に蔵人はくっくっと笑う。

 そしてヨビは珍しく軽口をたたく。

「今は奴隷ですから。もし全てが終わったら、いいように転がしてあげます」

 ヨビはどこか楽しげにそう言った。

 もしかしたら、こっちのほうが本性なのかもしれない。

 復讐が本性の人間などいないのだから。

「くっくっくっ、期待して待ってる。――さて、あの鳥はわざわざ自分んちの恥を晒してまで、俺とあんたを街から追い出してどうするつもりなのか……」

「――殺すつもりでしょう」

 ヨビは断言する。

「いきなりだな。取り戻すのが目的じゃないのか」

「まず私とナバーが子どもを連れて王都に帰ってきた時点で、ルワン家にとって十分すぎるほどの醜聞スキャンダルです。今更、噂でそれを知らしめたところで何も変わりありません。むしろ今回の噂で、北部人に妻を奪われた哀れな孔雀系鳥人種としてナバーの評判は良くなったと思います。

 あとは邪魔な蝙蝠系獣人種(タンマイ)を殺せばいいだけです。ご主人さま(ナイハンカー)が噂によって街の圧力に屈し、私を解放したなら後は煮るなり焼くなりできますし、ご主人さま(ナイハンカー)と私が揃って街を出れば、魔獣の仕業に見せかけて殺せばいいのですから」

「随分と自信ありげだな」

 ヨビは俯く。

「……私の子どもが殺された時、私もその場にいて殺されそうになりました。全身の切り傷はその時のものです。そして、幸か不幸か私だけが生き残ったのです。

 すでに一度殺されかけていますから、それがルワン家の仕業だとすれば私を街から追い出した今、殺しにきてもおかしくはありません」

「それにしてもなんでたかが女ひとりにそこまでするんだかな」

「男社会のこの国で、女に離婚されたという屈辱は連綿と続いてきた一門の、父祖神霊の名誉に関わると言われています。名誉官位持ちならなおさらです。

 ですからルワン家が子どもを殺したのだとしたらと仮定すれば、子どもが殺された理由もわかります。

 孔雀系鳥人種の血が、蝙蝠系獣人種(タンマイ)に流れるのを嫌ったのだと思います。いつか子が大人になったとき、蝙蝠系獣人種(タンマイ)から孔雀系鳥人種が隔世で生まれないとも限りません。そんなことを彼らは望みません。屈辱でしかないのです。

 そして仮に私の子どもが孔雀系鳥人種だとしても、殺されたでしょう。子が大きくなったとき孔雀系鳥人種から隔世で蝙蝠系獣人種(タンマイ)が生まれたともなれば、一族の血が汚されたことを意味しますから」

「……」

「どうしてこの街に帰ってきたとお思いでしょうね。……私は愚かにも信じてしまったのです。まだ再起を賭けていたナバーの言葉を。地元でなら顔も効く、やり直せるという言葉を。そしてその通り、ナバーは酒と博打に溺れるまでは決してルワン家に隙を見せることはありませんでした」

 昔を思い出すように、儚げな痛々しい表情かおをするヨビ。

 蔵人はそれを見つめることしかできなかった。だが不謹慎にも、それを描きたいと思ってしまった。

「……そうなると襲撃があるのか」

「おそらくは」

 ヨビが申し訳なさそうにしていた。

「いちいち気にするな。わかっててあんたを買ったんだ。絶対に裏切らないあんたを手に入れるためにな」

 そして、復讐を見届けるために。

 蔵人は万色岩蟹(ムーシヒンプ)に追い込まれて、自分の力を知った。

 それだけに、万全を期すなら自分だけでは力が足りなかった。

 当初考えていた、どっかの古ぼけた名家のお家騒動というわけではなくなっていた。

 手に負えなくなりそうな予感があった。

 だが負えないながらも、欲していた。

 それを愚かというのかもしれない。イカロスの翼なのかもしれない。

 だが、それでも求めてしまうのだ。

 悟りを開いた坊主ではない、俗物だ。

 拒絶しながら、求めてしまう。

 そんな身勝手な凡俗に過ぎない。

 

 蔵人の頭上に影が差した。

 雨か、と蔵人は空を見上げる。

 

 顔面に、もふっとした感触。

 直後、のしかかる重みに蔵人はつぶされた。


 雪白が空を滑空して、舞い散る花びらのようにふわりと蔵人の上に降り立った。

 突然のことに蔵人はもがくも雪白らしき生物は動かない。

 雪白は降り立ったその瞬間から、見慣れない蝙蝠系獣人種の女をジッと見つめていた。

 まるで嫁の品定めをする、姉姑のように。

 

 無論、蔵人は踏みつぶしたままだ。


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