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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第一章 雪山で、引きこもる。
47/144

47-暴走③

  

「あ゛ぁぁあああああああああああああああああああ」


 ハヤトの行き場のない感情が叫びとなって、夜の森に響き渡る。

 あたかもその叫びから吹き出でているような莫大な魔力に、精霊がその密度を高めていた。


 ハヤトは癇癪を起した。

 葛藤と矛盾、思うような味方が得られず、自分の思いが伝わらない。

 それを処理できなくなり、ハヤトは精霊の誘惑を受け入れた。

 精霊に善悪はない。

 魔力(生命力)を貪欲に欲し、その対価に力を振るうだけだ。

 人や生物を考慮することはない。

 


「ハヤトっ、しっかりしてっ!」


 アリスはハヤトに駆け寄ろうとするも、後ろからカエデに抱き止められる。

 ハヤトの暴走は二度目だ。

 今、近寄れば、アリスが死ぬというさらなる惨事が引き起こされる。

 それだけは止めなければならなかった。


 慌てるハヤトのパーティを見た蔵人は、尋常ではないハヤトの様子に、答えを求めて周囲を見渡す。

 当然、ハヤトのパーティが蔵人に教えるわけなどなく、アカリもアオイはも首を横に振る。すでに空気のようになっていたマクシームは無論知るわけもない。

 最後に、蔵人の視線受けて、オーフィアが口を開く。

「私もはっきりとはわかりません。ですが、最上級魔法を使うとき以上に、主要な精霊が集まっています。ちょっと常識からは考えられないような。闇以外の全ての精霊で最上級魔法を使えるほどです」

 最上級魔法を用いるには条件がある。

 一つは親和力。

 一つは十分な魔力。

 そして、精霊の数、だ。

 精霊はほぼ感じることしかできないという性質上、明確な数値というものは規定できないが、ある一定範囲以上の空間内において、術者が精霊に影響を及ぼしうる範囲の中の精霊の割合が六〇パーセントを超えると、最上級精霊魔法は使用可能になる。

 それが、全ての精霊で、となるとオーフィアのいうように、割合という概念を取っ払った、常識からはかけ離れた現象だった。

 本来各精霊合わせて百パーセントでいっぱいなところを、強引に千パーセント以上集めているという感じだろうか。

 おそらくは、もう一つの加護、『精霊の最愛(ボニー)』のせいであると、蔵人はアタリをつける。

 そしてなにやら事情を知ってそうな奴に声をかける。


「おい、そこのとんがり帽子の……子ども」

 蔵人の声に、憎々しげな目をするアリス。

「これは『精霊の最愛(ボニー)』のせいか?いつからこうなった?原因は?これがこのまま進行するとどうなる?直す方法は?」

 そんな視線を意に介さず、矢継ぎ早に質問する蔵人。

「なんで、貴方に――」

「――黙れ。問答の時間はもうない」

 蔵人は有無を言わせる気などなかった。

 ハヤトのパーティ以外も、アリスを見つめていた。

 アリスは嫌悪感丸出しではあったが、蔵人の質問にしぶしぶ答える。

 その様子は拗ねた子どものようであった。

「……ええ、原因は貴方の言う通り『精霊の最愛(ボニー)』です。最初の暴走はドラゴン型の怪物モンスターと戦ったとき、他の勇者を守るために暴走しました。ただ、怪物モンスターを倒した後も、一昼夜暴走していました。そのおかげで、学園の後方にあった山がけし飛びましたわ。

 原因は心因性のもので、おそらくハヤトの無力感や憎悪に反応しているのではないかと。

 このまま暴走を続けるとどうなるかの答えですが、この山一帯が、主要な精霊の無軌道な破壊行為で、地形がかわりますわ」

「地形?」

「ドラゴン型の怪物モンスターのときは、力の全てがその怪物モンスターに向けられましたから、怪物モンスターの異常な再生力のおかげで、学園を巻き込むような惨事にはなりませんでした。しかし、それがここで起こったとなると、山は隆起と陥没を繰り返し、氷柱が乱立し、炎の海がうまれ、風は竜巻となって吹き荒れ、雷は雨のように降り注ぎ、地面から水が幾本も噴き出し、まばゆい光に三日は昼間がつづくでしょうね」

 当然、そんなところに巻き込まれたら人間どころかたとえ勇者だろうともれなく死にますわ、とアリスは続けた。


「で、どうにかできるのか?」

 蔵人の問いにアリスは顔をしかめる。

「……できませんわ。前回も魔力が枯渇するまで暴走しまし――」

 アリスは何か思いついたような仕草をする。

「もしかすると、ですが。エリカやカエデ、自らが助けた他の勇者や一般人の声に反応して、正気に戻ったような気がします。ただ、枯渇とほぼ同時だったので、確かなこととは言い難いですわね。両方という可能性もありますし」

 どこまでも勇者さまなんだなと蔵人は呆れた。

 だが、呆れながらも、蔵人の目はハヤトを追っていた。

 目が、はなせなかった。


「俺の自爆なんか屁みたいなもんだな、ほんと」

 やれやれといいながら蔵人は立ち上がる。

 雪白は心配そうに蔵人を見上げる。

 ぼふっと頭に手を置かれ、ぐりぐりと乱暴に撫でられる雪白。

 雪白が蔵人に抗議の視線を向けると、蔵人は二人を逃がすなよと言って、ハヤトのほうに向かっていった。

「何をするんですのっ」

 アリスがハヤトに近づいていく蔵人に叫ぶ。

「まあ、どのみち死ぬみたいだからな。やれることはやっておこうかと。どうせ最初のターゲットは俺だろう?まあ、それに少し心当たりもある。もし、いけそうだなと思ったら、勇者サマを保護してやれ」


 それだけいってハヤトに近づいていく蔵人。

 かすかな違和感があった。

 ハヤトが暴走を始めたときから、なにか助けを呼ぶような、そんな感覚が。

 ハヤトではない、何かが。

 ハヤトを助けるような形になるのは業腹だが、このままではもろとも死んでしまうのだ。自爆するならともかく、自爆されるのはたまらない。


 ハヤトはぶつぶつ言いながら、蔵人のほうを見ているように見える。

 ただ、その目は何もうつしていないような、焦点のあっていない目であった。

「これじゃあ『精霊の最愛(ボニー)』じゃなくて、精霊のヤンデレだな。これが俺から盗んだ力か?」

 その小さな呟きに、ハヤトがピクリと反応する。


 直後、蔵人に風の塊が直撃した。

 それは一撃で蔵人の障壁を二枚、ぶち破る。

 あのクーという少女の一撃を遥かに凌駕していた。

 勇者の力は勇者に通用しないのではなかったのか、蔵人に冷や汗が流れる。

 効かないと考えていたのだ。

 よく考えると、そもそも『精霊の最愛(ボニー)』の場合、どう勇者とそれ以外を区別するのか。

 それとも蔵人に放った一撃はすでに『精霊の最愛(ボニー)』の影響のない、魔力効率・魔法威力が取り払われた、素の精霊魔法だとでもいうのだろうか。

 だとすれば、魔力量も技能もハヤトのほうが上ということになる。

 勘弁してくれ。

 蔵人がそう思うのも仕方なかった。


 だが、本当に盗んだ力であったようだ。

 でなければ、あれほど敏感に反応はしないだろう。

「おいおい、別にとって食う訳じゃないんだ、落ちつけよ」

 ハヤトに、そしてなにかに向かって蔵人は話す。

 別に力に未練はない。

 返してくれるなら、返してもらうが、才能を取り返すなど不可能な話だ。

 できるわけがない。

 だがしかし、それでは今感じている違和感がわからない。


 蔵人はじっとハヤトを見る。

 そうせずにはいられない、何かを感じていた。

 一歩近づく。

 すると今度は雷撃が束になって、気づいたときには通り過ぎていた。

 障壁は二枚突破され、かすかな静電気を感じた。

 少ない魔力で障壁を再展開しながら、ふとなんでこんなことしてるんだろうなと、蔵人は我にかえる。

 命を張ってまで、少なくなった魔力を使ってまで、ハヤトを抑えようとしている。


 死にたくないからだ。

 そんな当然の答えに帰結する。

 ではその原因はなにか。

 あの二人に襲われたことだ。

 そこで、蔵人は『詰んだ』。

 なぜなら、襲ってきた二人に殺されるわけにはいかない。

 かといって、二人を殺せば間違いなくハヤトに報復される。

 殺さないで二人を捕まえ、ハヤトと交渉するしかないが、そもそも信用ができない上に、ハヤトに至っては筋も通す気すらない。

 ハヤトの言う通りに解放したら、またいつか襲撃されるだろう。

 びくびくしながら生きていくなんて、真っ平である。

 ああ、見事に『詰んでいる』。

 それを考えると、ハヤトをぶん殴りたくなってきた。

 だから、言うだけ言ってやる。


「この状況をつくったのは、間違いなくお前だ、ハヤト。

 お前が力を盗まなければ、こんな状況になることはなかった」


 蔵人の言葉に、またピクリと反応するハヤト。

 だが、今度は、魔法を放つことはなかった。

 蔵人はハヤトに向かって、歩を進める。


「その清算をしたかったんだが、あいにくと俺にそんな力はない。自分より弱い人間から奪えば、清算する機会すらなくなるんだな」


 ハヤトに近づくごとに、違和感は大きくなる。


「俺も色々諦めていた。まあ、社会の端っこに転がる、普通以下の人間だ、それもしょうがないだろ。だが、それでも、人並みに怒りというものはあるわけだ」


 蔵人はその違和感を手繰り寄せるように、ハヤトに近づいていく。

 もうハヤトから攻撃される気すらしなかった。


「いつかお前を殴りたかった。だから、罰だと思って、甘んじて受けろ」


 ハヤトも動かなかった。

 いや、動けなかった。

 ハヤトの中でも、違和感が、蔵人を引きつけていた。

 磁石のS極とN極のように、抗いがたい何かがあった。

 朦朧とする意識の中では、それに抗うことができなかった。

 甘い破壊衝動と気になる違和感。

 その二つの根本は相反しているようで、とても似ていた。


 そして蔵人が拳をふりかぶる。

 巨人の手袋はつけたままだが、強化はしていない。


 ハヤトは動けない。

 無防備だ。

 障壁すらない。


 そして容赦なく、蔵人は拳を振り抜く。

 

 ハヤトの頬に、蔵人の拳が突き刺さる。


 その瞬間、蔵人の違和感が一番大きくなり、そして消えていく。

 それとともに、急激に自分の魔力も吸い上げられていった。

 蔵人は少しだけ、すっとした。

 だが、それだけだ。

 やはり予想した通り、力が戻るような感覚はなかった。


 ハヤトの周りに集まりつづけていた精霊が、増大をやめた。

 だが、それだけだ。

 ハヤトはいまだ、莫大な精霊をまだ保持していた。

 蔵人は振り返る。

 いうまでもなく、アリス、フォン、カエデが向かってきた。

 必死の形相で。

 蔵人はもうハヤトを見ることはなく、そのまま三人とすれ違った。


 『精霊の最愛(ボニー)』に、加護に人格はない。

 しかし、奪われた加護というのも前例はない。

 だから『精霊の最愛(ボニー)』は元の持ち主だった蔵人のいうことを聞いて、暴走をやめたとしてもおかしくはなかった。

 大好きな親戚のおじさんに、悪い男と会うのをいったん止められた少女のようなものだ。

 よく頭を冷やしなさいと。

 ハヤトが好きなのだ、大好きなのだが、少女は内心のどこかで助けも求めていた。

 それが違和感となって、蔵人を引きつけた。

 だが、どこまでいっても一番好きなのはハヤトなのだ。いくら諫められようとも、決して乗り換えはしないだろうし、少女にとって蔵人は大好きな親戚のおじさんに過ぎない。

 だから、蔵人に力が戻ることもない。

 蔵人はそんなところだろうと、勝手に思っている。



 ハヤトはぼうとした様子で殴られた頬を手で撫でていた。

 だが、まだ目の焦点ははっきりしない。

「ハヤトっ、大丈夫ですか」

「ハヤトっ、怪我はありませんか?」

「ハヤトっ、戻ってこい。わたしに恩を返させてくれ」

 三人の女の声。

 ハヤトはどこかで聞いた声だなと、目の焦点を合わせていく。

 ああ、カエデに、アリス、そしてフォン。

 おれの大事な、仲間。

 こんな俺を受け入れてくれた、女。

 ハヤトはそこで目が覚めたように、意識を覚醒させた。

 まるで、一瞬で霧がはれたような感覚だった。


 ハヤトの意識が覚醒するとともに、ハヤトの保持していた精霊は散っていった。

 理由は定かではないが、別の意識に支配されていた精霊は、その意識の途絶とともに解放されたのではないだろうか。


  

 ハヤトの目に、力が戻る。

 そして、三人の遥か後方に座り、二人を人質にとる蔵人を見つけると、怒気と憎悪を滾らせる。

 

 蔵人はそんなハヤトを見て、疲れたようにつぶやいた。

「やれやれ、戻ってきたらこれか。ふりだしに戻った気分だな」

「なにがふりだしだっ。二人を解放しろっ」

 さっきまでのハヤトであった。

 どうも暴走時の記憶はないらしい。


 戻ってきた蔵人の膝に雪白がぐりぐりと頭を擦りつける。

 雪白の頭にピョンと飛び出た耳の裏を、蔵人は軽く掻いてやる。

 雪白は機嫌良さそうに、ごろごろと喉を鳴らしだした。

「き、きさまぁ、いい加減にしろよっ」

 無視されたハヤトがさらに怒りを募らせる。

 どうやら、現実逃避している場合ではないようだ。

 蔵人はうんざりした顔でハヤトを見る。


「で、どうするんだ?」

「決闘だ!」


 一度思考がリセットされ、単純化されたのだろうか。

 蔵人は呆れてものも言いたくなかったが、そういうわけにもいかない。

「アホか。受けるわけないだろう。どこの世界に素っ裸で戦闘機に挑むバカがいる。それとも何か?この世界に来て、そんな野蛮な仕組みを受け入れたわけじゃあるまい?あれだぞ、決闘っていうのは強いほうが正しいっていう、人としてアレな制度だぞ?しかも自分より弱い相手に決闘を申し込むとか、ただの略奪だぞ?」


 蔵人に決闘の意味を改めて説明され、ハヤトはかすかに顔をしかめる。

 自分の発言に今更ながら恥ずかしく思っているのかもしれない。

 

「そう悪い提案じゃないと思いますよ?」

「くだらねえ」

 だが、アオイは違ったようだ。

 さっきまでまとめて精霊に殺されるかもしれなかったというのに、まったく動揺したところがない。たいした胆力である。

 蔵人は胡乱気に、面倒くさそうに、アオイを見る。

「ただし、加護なし、魔法なし、武器なし、防具なしの殴り合いです。

 条件は、蔵人さんが勝ったら、二人は監獄行きで、さらにイチハラの関係者は今後一切蔵人さんと蔵人さんの関係者に危害を加えないこと。情報を漏らさないこと。のちの心変わりまではどうにもできませんが、『事実の大鎌(ファクトサイス)』で誓ってもらいます」

「心変わりを抑止できないんじゃどうにもならないだろ」

 蔵人は乗り気じゃない。 

 ただの殴り合いだとしても、勝てる気などしないのだから当然だろう。

「確かに『事実の大鎌(ファクトサイス)』はその時の事実を証明するだけです。ただ、ここにこれだけの証人がいるわけですから、イチハラとその仲間が約定を破ることはないと思いますけどね」

 アオイはオーフィア、マクシーム、アカリを見る。

 三人は揃って頷いた。

 

「それでも襲ってきたバカがいるんだがな」

 蔵人は足元に転がっている二人をみる。

「前回と今回は少し違うんじゃないですか。ここにいる全員が、おそらく蔵人さんの身の上を知っているのですから、もし破られれば、事実の暴露だってありえるでしょうね」

「――アオイっ」

 アオイを責めるようなアリスの声。

 アオイは明確な敵意をもってアリスを見る。

 その視線にアリスはわずかにたじろぐ。

「あの頃の、君の戯れで召喚され、右も左もわからなかった我々ではないのだ。もう誰か一人の犠牲で生きていく必要はない。

 それに私は決して君を許したわけではないのだ、それを忘れないでもらいたい」

 逆にアオイに責められ、勢いをなくすアリス。

 蔵人はへぇと、突如として明かされた事実、諸悪の根源を見る。

 お前が愚かなことをしなければこんなことにはならなかったと、蔵人は殺さんばかりに睨みつける。

 千年呪いそうな視線である。

 蔵人は子供だろうと、女だろうと、敵ならば容赦しない。

 蔵人の容赦ない憎しみの視線に、アリスはさらに委縮した。

 ハヤトと出会い、自らの罪を認識したからこそ、余計に蔵人の視線が怖かった。


 そこへすっとハヤトが、アリスをかばうように立つ。

 蔵人はちっと舌打ちをする。

 アオイは続ける。

「むろん、召喚者全員の安全のために、蔵人さんの情報と身柄について、全力を尽くさなければいけないがね。むろん、私もそうするつもりだ」

「そんな、貴女はハヤトと同じ勇者でしょうっ!」

 ハヤトの背後で食い下がるアリス。

 委縮してなお、ハヤトを守ろうとしていた。

「そうだ。だが、蔵人さんも同じ召喚者、同胞だ。……私は常々、君のその選民思想的なところが気に入らなかった。いい加減に黙ってくれないか?」

 殺気すら込めたアオイの言葉に、さすがにアリスは黙るしかなくなる。

 

 アオイは、もし約束を破って今日のように蔵人を襲えば、隠そうとした事実が『他のところ』から暴露されるだろうと、脅しているのだ。


 そして『他のところ』とはアオイを含め、

「私たちも協力しますよ。元々、クランドさんとは約束していますしね」

「私も及ばずながら、蔵人さんに協力します」

「オレも約束してるしな。まあ、やぶっちまったわけだが、これ以上、破るわけにはいかねえな。それこそご先祖様に殺されちまう」

 アオイ、オーフィア、アカリ、マクシームが、蔵人を保障する。

 蔵人になにかあれば、私たちが黙っていないと。


 アオイの告げた言葉の意味を悟った蔵人は、疲れた顔で天を仰いだ。

 アオイが言った、たったこれだけのことで、勇者は蔵人を消すことができなくなった。むしろ情報を隠し、密かに守らなければならないくらいだ。

 情報を暴露された場合の損害は蔵人よりもハヤトのほうが大きいのだ。自爆を盾にするよりよほど効力があった。

 蔵人は自分がしてきた苦労はなんだったのかねといじけてみる。

 ごろごろいっている雪白の髭をくるくる指で回す。

――く、くぁっ、かぁうんっ

 雪白が髭をいじられ、くしゃみをした。


 どこまでいっても自分は大したことないなと、顔をかきかきする雪白を見ながら思う。

 屈しまいと、必死だった。

 溺れまいと足掻いていた。

 それでも、出口は見えなかった。


 人を信用する。

 事情を話して、協力してもらう。


 だがたったそれだけで、問題はほぼ解決してしまった。

 ことここに至って、アオイが信用できない。オーフィアが、アカリが、マクシームが信用できない。すぐに手のひらを返し、牙を剥く。

 そう思えるほど、猜疑心は強くない。

 信じたいから、約束したのだ。

 蔵人は張り詰めていた気が、どこかに抜けていくのを感じた。

 

 アオイはしょぼくれた蔵人を見て言った。

「蔵人さん、それは違う。あなたがこれまでに築き上げた信用があればこそ、こんな結果を導けたのです。確かに早めに真実を話していたら、事態はもう少しよくなったかもしれない。しかし逆に、もっと悪くなっていたかもしれない。

 私たちもそうでしたが、この世界で私たち勇者が信用できる人間を見つけるのはとても難しい。たぶん私が蔵人さんと同じ状態だったなら、同じようにしたと思います」

 七つも下の女に表情を読み取られ、慰められる。

 蔵人はなんだか泣きたくなった。

 

「……ん?それなら殴り合う必要ないだろ」

 蔵人はさも名案が浮かんだという顔をする。

 アオイは首を横に振る。

「そうでもしないと納得しないですよ、彼は」

 アオイの視線の先には、どこか納得したような顔の男がいた。


「じゃあ、おれが勝ったらどうしてくれるんだ?」

 ハヤトが妙に生き生きとした表情でアオイに聞く。

「蔵人さんが了承するという前提ですが、二人はこのまま不問ということに。ただし、『事実の大鎌(ファクトサイス)』で今後彼と彼の関係者の情報を漏らさず、危害を加えないと誓ってもらう。それが破られるようなことがあれば、同じ召喚者とて、私は許しません」

 アオイはその意思を確認するように蔵人を見る。

 

 蔵人は考える。

 襲撃に対する備えは、一応できた。

 これ以上、ごねる必要もなかった。

 というか、落とし所はこれしかない。

 もう狂気の出番ではないのだ。

 

 ある意味で得るところの少ない一方的な条件も、ハヤトには関係がなかった。

「それでいい。二度とこんなことはさせない」

 ハヤトはそう言い切った。

 さっきの暴走でほとんど全ての魔力を失ったのだ。

 なら、殴り合いで決めたほうがいい、ハヤトはそう判断していた。


 いそいそと装備を外すハヤトを見て、蔵人は妙にハヤトを殴りたくなった。

 さっき程度の一撃では足りない。

 勝てるかどうかより、さんざん人を翻弄してくれた恨みを返してやりたかった。

「……俺もそれでいい」

 蔵人は、とうとうそう言った。


「では、あの二人の治療にうつってもいいですね?」

 アオイが確認すると蔵人は頷いた。

 もう蔵人には必要なかった。

 蔵人は雪白に目配せし、魔法も解除する。

 アオイがハヤトのパーティに目配せをした。

 三人は急いでエリカとクーの治療に向かう。

 


 装備を全て脱ぎ捨てた上半身裸の二人が歩み寄る。

 対象的な二人である。

 蔵人は筋肉でガチガチに固めた中肉中背。

 ハヤトはしなやかに張りつめた筋肉をもつ、長身の細身、いわゆる細マッチョだ。

 

「では、加護、魔法、武器、防具のいかなる使用も禁止です。ここにいる全員で見張っていると思ってください。違反が確認された場合、反則負けとなります」

 アオイが二人に注意を促した。

 話の流れ上、アオイが決闘を取り仕切ることになった。

 その後ろではハヤトのパーティやオーフィアたちが二人を見つめていた。

 エリカとクーは身体だけ起こしていたが、すぐに動けるような状態ではないようだった。


 蔵人は正面にいるハヤトに聞いた。

「よくこんな殴り合いをする気になったな」

 ハヤトは鼻を鳴らす。どうやら調子は完全に戻ったようだ。

「妙に頭がすっきりしてな。よく考えれば簡単なことだった。もし万が一おれが負けたら、おれも監獄にいけばいいんだ、簡単なことさ。クーのほうは何か考える。こんな世界だ、どこにでも抜け道はある」

「お前は……つくづく主人公だな」

 蔵人は呆れたように、諦めたようにいう。

「何をわけのわからないことを。――だが、おれは負けない」

 

「では、はじめて下さい」

 

 いきなり、ハヤトが動く。

 正面から一気に間合いを詰め、そのまま右ストレートを放つ。

 型もなにもない、自由で、しなやかな、天性の動きだ。

 蔵人はそのスピードに反応できなかった。

 それでも、ガードは間に合った。

「ぐうっ」

 だが、蔵人の脇腹にはハヤトの回し蹴りが突き刺さっていた。

 単純なフェイントである。

 だが、蹴ったほうのハヤトもなぜかいったん引く。

「……タイヤかよ」

 そう呟く。

 蔵人はふんっと鼻で笑う。

 そもそもかわせるなんて思っていない。

 顔面以外なら、いくらでも打たせてやる。そのつもりで、身体も鍛えていた。

 だてに雪白の爪なし猫パンチを食らいまくっていたわけじゃないのだ。

「だが、当てられなければ、なっ」

 そういってハヤトは無造作に踏み込んできた。

 蔵人はそのあからさまな隙に、とっさに一撃を放ってしまう。

 ハヤトはただの正拳突きに過ぎないと紙一重でそれをかわす。

 だが、その尋常ではない拳の風圧に、一瞬ヒヤリとさせられた。

「一撃は重いな……だが、それだけだっ」

 そう言いながら、カウンターのフックを放つ。

 見事にそれは蔵人のコメカミをとらえる。

 弾かれるようにのけ反る蔵人。

 その衝撃に一瞬意識をもっていかれそうになる。

 だが、と追撃は許さない。

 亀のように顔面のガードを固める。

「ふんっ、決壊するまで蹴ってやる」

 ハヤトはトンッとバックステップをすると、その反動を利用して横蹴り、そのまま脇腹へさらに回し蹴り、返す刀で反対の脇腹に。

 滅多打ちである。

 だが、どれだけ蹴っても、蔵人は顔面のガードを外さない。

 それどころか、ジリジリと間合いを詰めてきていた。

「ちっ、ならっ」

 ハヤトは舌打ちをしながら、蹴りをやめて、間合いを詰めた。

 蔵人も二度目の過ちは犯さない。

 だが、それこそがハヤトの狙いだった。

 ガードを越えて、ハヤトの腕が蔵人の頭を両手で捕まえる。

 そのまま跳躍。

 膝蹴りがガードごと蔵人の顎を蹴り抜く。

 さすがの蔵人も大きくのけ反る。

 だが、ハヤトは終わらない。

 柔軟な股関節は、その場で一八〇度脚を開きながら、蔵人の顎を狙い澄まして蹴りぬく。

 さらに、振り抜いた蹴りが、かかと落としとなって蔵人を襲った。

「おっさん、頑丈すぎるな」

 それでもなお倒れない蔵人に、ハヤトがそういいながら意識を朦朧とさせた蔵人の肩に手をそえて、飛び上がる。

 蔵人の肩に逆立ちしたハヤトは、頭のてっぺんに膝を落とす。

 さらに、そのまま蔵人の背中に下りながら、蔵人の背中をかかとで蹴りつけた。

 が、それでも蔵人は倒れない。

 蔵人はようやく動きを止めたハヤトを、くるりと身体を反転させて捕まえる。

 が、それ以上なにかできるわけでもない。

 無意識の内のことだった。

 ハヤトは一瞬のすきに蔵人を腰に抱きこむと、そのまま身体を巻き込みながら、地面に叩きつけた。

 そしてすばやく蔵人の肘を取って、腕ひしぎ十字固め。

「ふぅ、終わりだろ」

 ハヤトはボロボロの蔵人を見て、そしてアオイを見る。

 だが、アオイは何もいわない。

「ちっ、折るぞ」

 蔵人は痛みとその声にようやく意識をはっきりとさせる。

 ハヤトの足が顔の横にあった。どうやら完全に固められたらしいと気づく。

「ふんっ」

 だが蔵人は鼻で笑った。

「ちっ」

 ハヤトが腕に力を込める。

「――がぁああああああああああああ」


 だが、悲鳴をあげて転がり、技をといてしまったのはハヤトだ。

 蔵人はポイっと何かを捨てる。 

 爪だ。

「スポーツじゃないからな」

 蔵人は指の力に任せて、ハヤトの足の爪を毟ったのだ。

 蔵人は間髪いれず、ハヤトの頭をけり抜く。

 サッカーボールキックだ。効かないわけがない。

 ハヤトはそれでも受けた蹴りの威力のまま地面を転がってエスケープしようとする。

 だが、それを許す蔵人ではない。

 ガシッと力づくで頭を掴み、反対の手で殴りつける。

 容赦なく、殴る。

 殴る。

 ひたすら殴る。


 アオイは止めるべきか、迷った。

 基本的に決闘はどちらかが死ぬまで行われるものだ。

 さすがに今回は死ぬまでやるわけにはいかないが、魔法である程度回復できることを考えると、軽々には止められなかった。

 

 

 バスッバスッバスッ



 その妙な音にアオイは気付かなかった。

 それはアオイからは遠く、小さな音だったのだ。


 だが、蔵人の身体がわずかに前のめりになる。

 ハヤトはかすむ意識の中でなおその隙を逃さず、全身の力を振り絞る。


 もしここで蔵人が身体を崩さなければ、『ハヤト』が逆転していたかもしれない。

 少ないながら蔵人にも容赦という躊躇い、最後の良心というべきものがあったが、それはここで消え去った。


 ハヤトは必死に蔵人の手を振り払い、後転の要領で蔵人を蹴り上げようとした。

 だが、蔵人が意識を飛ばして隙を見せたのは、一瞬だった。

 そのまま身体を崩していれば、ハヤトの下からの一撃をカウンターでもらっていたかもしれない。

 だが、蔵人の身体は、ハヤトが無意識下で想定したほど崩れていなかった。


 後転からの突きあげるような蹴りが、空を切る。

 ギラリ。

 蔵人の目が剣呑な色を帯びた。

 この時のために一撃を磨き続けたと言ったも過言ではなかった。

 蔵人は膝を抜きながら、足を地面にねじりこむ。

 すると、身体がわずかに浮く。

 刹那の体重の落下と同時に、男なら誰しもが顔を歪めるだろう場所をめがけて、蔵人は渾身の力を込めて、拳を振り下ろした。


 金的に。


 蔵人の体重+回転エネルギー+蔵人の筋力。

 答えは、何かが潰れる小さな音。


「あ゛あぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 ちっ、潰せたのは一つか。

 蔵人の小さな呟きは、ハヤトの呻きとのたうちまわる動きにかき消された。

 ちなみに、この世界では部位欠損は治る。

 治るが、欠損部位が損傷の少ない形で残っていることが前提で、さらに一年~二年と時間がかかる上に酷い苦痛が伴い、かなりの金額も必要とした。

 ハヤトの場合は……治らない可能性が高かった。

「あ゛あぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 ハヤトのうめき声を背に、蔵人はアオイに目を向ける。


 晴れやかな蔵人の顔を見て、アオイは苦笑しながら告げる。

「勝者、くらん――」


「――反則よっ」

 治療されて復活したエリカが、パーティとともにハヤトに駆け寄り、そこで声を上げた。

 その声に反応した蔵人の視線に、エリカはびくっと身体を震わせる。

「き、き、金的なんて、誇りある決闘の名を汚す行為よ、そ、そんなこと許されるわけないわっ」

 蔵人とは一切目を合わせず、エリカはアオイだけを視界におさめるように言った。

 蔵人のことが、完全にトラウマになったようだ。

 あれだけ脅しがわりにナイフを抉られたら、そうなるのも仕方なかった。


「アルバウムの伝統的な決闘規則に卑劣なふるまいをしてはならないとあります。エルロドリアナ連合王国も同じだったはずですわ」

 エリカの言葉を裏付けるアリスの言葉にアオイが顔をしかめる。

 法ではない、ただの決まりごとだ。

 そこはさすがにアオイも知らなかった。

 法ではないのだ。

 オーフィアやマクシームも知らなかった。

 そもそも決闘とは貴族同士でやるものだった。それを一般人が真似するようになっただけで、一般人同士の決闘に明確なルールがあるわけではなかった。

 なによりオーフィアもマクシームも決闘などほとんど経験がなく、少ない決闘経験も瞬殺なのだから、伝統的規則など知る由もない。

 当然、アカリも知るはずがなかった。


「これは私闘だろ?そんな無粋なこというもんじゃねえぜ」

「ハヤトはアルバウムの勇者で、わたくしはハヤトの後見でもあるアルバウムの第三王女です。ただの私闘ではありません。酒場の喧嘩と一緒にされても困りますわ」

 唯一反論したマクシームも、アリスがばっさりと切り捨てる。

 マクシームは唸るように、黙りこくる。

「ただの喧嘩ですよ」

 だが、オーフィアがその後をつないだ。

 アリスがぴくっと頬をひきつらせる。

「『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』の女官長とて、言っていいことと悪いことがありますよ?」

「これがただの喧嘩以外になんというんです。ここで王国の権威をもちだすほうが、ずれています」

「それは、アルバウムを敵に回す、ということでよろしいのですね?」

「たかだか第三王女、それもいまや政治的実権のない王族が何を言っているんです」

 アリスがかすかに顔を歪める。

「それでも、我が王家は民から絶大な信頼がありますわ。(わたくし)とアルバウムの勇者にして英雄のハヤトが、そこの男の卑劣さを訴えたのなら、民は確実に(わたくし)たちを支持し、結果として議会もそういう判断がされるでしょうね。その時、流民ごときが何を喚こうとも、誰も信用しませんわ」

 子どもが政治という武器を振り回している。

 オーフィアにはそうとしか見えなかった。

「なるほど、確かにその通りかもしれませんね。まあ、そのときは私も黙っているつもりはありませんけど。

 ただ、クランドさんを卑劣というわりに、さきほど、ほんのわずかに貴女から風精の気配を感じました。そして、次の瞬間にクランドさんは身体を崩しました。クランドさんが勝者なら、あえて言うこともないと思っていたんですが、仕方ありませんね」

 場がざわつく。

 ハヤトが、蔵人が、その場にいる全員がアリスを見た。

 オーフィアは憐れむようにアリスを見た。

「……知りませんわ。証拠はありまして?」

「これでもだてに『魔導を極めし者』なんて呼ばれてはいませんよ。身体検査でもさせていただければ、すぐにでも判明しますよ」

「貴女にそんな権限はありませんわ。王族に身体検査など、だれも許しませんわ」

 余裕のあったアリスの顔に汗が浮かんでいた。

 その時である。


――どさっ

 

 突然、糸が切れた操り人形のように、蔵人がその場に崩れ落ちた。

 蔵人は勝者の名乗りがあるまで、倒れてはいけないと必死で立っていた。

 ここで倒れて、結果をうやむやにされまいと。

 声を出すこともせず、立つことに全精力を傾けていた。

 それが、あだとなった。


 オーフィアも無事に立っていた蔵人がそこまで重傷を負っているとは思わなかった。感じた風精はそれほど大きな力のものではなかったのだから。

 アオイが即座に駆け寄り、オーフィア達がそれにつづいた。 


 いち早く蔵人に駆け寄ったアオイは蔵人の背中から血があふれているのを見つけた。

 蔵人が立っていた場所は、すでに血だまりとなっていた。

 アオイのいたところから背中は見えなかったので、まったく気付けなかったのだ。

「……っ。誰か早くっ!」

 アオイは叫びながら、魔法で応急処置を施す。

 蔵人の背中には三つ、穴が空いていた。

 魔力が足りないのか、修復もままならないようだ。

 明らかに、ハヤトの攻撃によるものではなかった。


 オーフィアたちが駆け寄り、蔵人の傷の治療に当たる。

「蔵人さんっ、意識はありますかっ」

 アカリが蔵人の意識を確認する。

 オーフィアはすでに治癒にうつっていた。

 だが、魔力も血液も失い過ぎている。



「アリス……」

「わ、わたくしはなにもっ――」

 ハヤトはオーフィアの言葉、蔵人の三つの傷を見て、察した。

 アリスの腰にある小さな三連式魔銃にハヤトは目をやった。

 そして悲しむような瞳でアリスを見る。

 見つめあう、二人。

 アリスはついにハヤトの視線に耐えられなくなり、えぐっえぐっと泣き出した。

 あの男に殴りつけられるハヤトを見ていられなかった。

 死んでしまうと思った。

 だから、撃った。

 国のことなんかより、ハヤトが心配だった。

 ハヤトの過去なんてどうでもよかった。国に報告する気もなかった。

 ハヤトが不利になるようなことはする気がなかった。

 だから、撃った。

 ハヤトと一緒に開発した、この三連式魔銃で。

 ハヤトと魔法や武器を開発するのは楽しかった。

 どこにもなかった居場所が、ここにはあった。

 だから、撃った。


 ハヤトの作った魔銃は少ない魔力で、一動作で障壁を破りながら相手を倒すことを目的としていたが、障壁を張っていなかった蔵人にはただの無慈悲な三連射でしかなかった。

 三つの傷はかろうじて致命傷ではなかったが、その傷は深い。

「……んっ、つっう」

 アカリの声に蔵人が反応した。

「蔵人さん、魔法の受け入れだけでもしてくださいっ」

 蔵人がかすかに頷いて、口を動かした。声はなかった。

 オーフィアの治癒が、その途端に捗りだす。

「何か、小さな異物が……」

 オーフィアは目をつむり、蔵人のキズの真上に手をかざす。

 ここがこうなって、こうですから、ここに、あっ、こんなところにまで、などとひとりごとを繰り返すオーフィア。

 そして、瞑っていた目を開き、かざしていた手を裏返す。


 三つの小さな石粒、それも普通のより硬いものがオーフィアの手に乗せられていた。

「なんとか異物は取り除いて、魔法で命精に修復を促しましたが……」

 根本的に血が足りなかった。

 傷はなんとかふさがったが、このままではもつかどうかわからない。

 この世界に輸血はなかった。

 輸血という概念はあるが、それはまだ禁忌であった。

 さらに技術的な問題もあった。あらゆる種族と混血に対応した血液技術の開発は難航を極めた。あまりに複雑なそれは現代日本でも不可能であったかもしれない。

 もしかすると、この世界では輸血自体が不可能なのかもしれなかった。


「どう、なった?俺の、まけ、か?」

 とぎれとぎれの蔵人の言葉にアオイは首を横に振った。

 アオイは立ち上がる。

「オーフィア殿の証言と三つの傷から、ハヤト・イチハラのパーティによる妨害行為を認め、ハヤト・イチハラの反則負――」

「――ぐすっ、王国の伝統的決闘規則では、決闘当事者の反則行為は、それを行った者の負けとなりますが、外部からの妨害行為はそうではありません。だれがなんのために妨害を行ったか、証明できませんので」

 泣いていたアリスが、いつのまにか顔を上げていた。

 泣いてはいても、学園の麒麟児と言われたアリスである。

 ハヤトに責められようと、なにをされようと、ハヤトを、ハヤトの仲間を守るだけだ。

「さきほども言ったように、その決闘規則をここで適用するのは正しくありませんよ。いい加減になさい」

「うるさいですわっ。本当にアルバウムとやり合うつもりなんですのっ!」

 そのとき、蔵人が血を吐いて、オーフィアは手がふさがってしまった。


 どこまでも規則を盾にとって濫用するアリスに、アオイは威嚇するように提案する。

「ほう、ならば、ここに妨害者がいるのだ。私の加護でどういう意図があったか、調べさせてくれないか?」

「拒否いたしますわ。貴女が決めた規則でしょう?それともサンドラ教の神官は、アルバウムの王族を強制的に審判にかけるとでも?」

 アオイはこの少女の頭の回転の速さに舌を巻いた。

 日本でいえば、小学生の高学年ほどの少女が、強制的に審判を受けさせることができないように作った項目を利用したのだ。

 さらに、アルバウムとサンドラ教の総本山であるプロヴン西方市国の微妙な関係性をついてきていた。

 アルバウムの国教はサンドラ教であるが、地理的にはアルバウムに囲まれ、保護されているといってもよかった。従属関係ではないが、ぽっと出の神官が王族に対して強制的に審判をしたなんてことになれば、問題はさらにこじれていくだろう。


 アオイはこの期に及んでなお、誇らしげに語る少女が哀れに見えてくる。

 ただそれとこれは別の問題だ。

「では聞くが、仮に決闘規則を適用するとして、決闘を妨害したものには、どんな罰則があるのかね?」

「ひっく、国王の前で行われる決闘ならともかく、今回は罰する権限を有するものがいませんので、罰則はありませんわ。たとえ国王の前でも、試合の結果自体は、国王が異議を唱えない限り、覆りませんし。

 決闘の妨害は、卑劣であるというだけです。仮に(わたくし)がそんなことをしたとして、わたくしはハヤトが守れるのであれば卑怯であろうとなんであろうと構いませんわ」

 つまり、決闘のルールそのものがねじ曲がっていた。

 おそらく最初は、決闘をいいようにコントロールするために王族や貴族が作り上げた規則だったのだろう。それが、伝統として受け継がれてしまった。



 ハヤトがおもむろにアリスに近寄った。

 アリスはおろおろと、窺うように、ハヤトを見上げた。


 パァンッ。


 アリスの頬がハヤトにひっぱたかれた。

「俺のためにやってくれた、その思いは嬉しい。だが、それでもやっちゃいけないことがある。エリカとクーもだ」

 ハヤトは二人にも目を向ける。

 二人はビクッと身体を震わせる。

「なにより、俺を信用して欲しかった」

 ハヤトの悲しそうな言葉。

 それだけで、三人はわんわんと泣きだした。

「ごめんなさい」

「……ごめんなさい」

「ハヤトお兄ちゃん、ごめんなさいっ」

 アリスなどは年相応な口調になってしまっていた。


 ハヤトは倒れたままの蔵人に近づき、言った。

「仲間がすまないことをした。この決闘は――」

「――茶番だな」

 蔵人がハヤトの言葉を遮った。

 そしてふらつく身体で身を起こし、アカリやオーフィアを押しのける。

「勝手にやってろ。くだらない」

 そうして立ち上がると、ハヤトを正面から睨みつけた。

 睨みつけたというよりは、もはや人として見ていないような、路傍の石、道端に転がる馬糞を見るような目であった。

「だから、すまな――」


「――俺が死体になってから好きなだけ言え。きっと許してくれる」


 ドンっとハヤトを押しのけると、蔵人はそのまま歩きだす。

「蔵人さんっ、まだ動いちゃ」

 そんなアカリの声も蔵人は無視した。

 ふらっと倒れそうになる。

 アッという声がアカリから漏れた。


 だが、蔵人は倒れることなく、雪白が横からそっと支えた。

 ふと見ると、蔵人の荷物は全て雪白がその長い尻尾で確保していた。


「……」

 蔵人は無言で、雪白を撫でた。


――ぐぉん


 任せて、とでもいいたげな雪白の鳴き声だけが夜の森に響き渡った。

 

 それを最後に、蔵人と雪白は木々の闇に消えていった。


6月12日、12時50分、魔法による欠損部位の治療について書き変え。

まあ、一つくらいなくてもいいか、と思いまして(笑)


6月12日、18時。

急所攻撃を金的へ。

もともと金的だったんですが、女の子が金的……いうかわからんということで、急所に。ただ、それだとわかりづらいかなと、金的にしまふ。


6月12日、22時45分改稿。

説明の足りない部分を書きたしましたm(__)m

決闘規則の項目です。

流れは変えません。

改訂が多く、御不快な思いをさせ、申し訳ありませんm(__)m

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― 新着の感想 ―
やり直しっていうのが今はいろんなとこで重視されてるけど、蔵人の考えも至極真っ当で…ガキ、と形容するのは良くないですがその通りの考えしかできない思春期の子供達の生死に関する概念のあやふやさがあって…なん…
約束を二度も破った。しかも二度目は決闘の邪魔という形で破ったから最悪だな...
[一言] このストレスが心地よい。あぁ、現実だ。現実なのだ
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