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用務員さんは勇者じゃありませんので 作者:棚花尋平

第一章 雪山で、引きこもる。

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44-審判

 審判の日である、三日後の朝を迎えた。
 夜も明けきらぬ、薄暗い早朝、アカリは部屋をノックする音で目を覚ます。
 アカリがいるのは協会の宿直室である。
「アカリさん、起きていますか」
 ドア越しにオーフィアの声がした。
「……あっ、はい、今、起きましたっ」
 ベッドから飛び起きながら、慌てて返事をするアカリ。
「朝早くにすみません。すぐに着替えて、支部長室に来てください」
 は、はいっと返事をしながらアカリはベッドから転がり落ちるように起き、慌てて服を着こんでいく。
 アカリの荷物は内務調査官が返却してくれた。
 だから着替えているのは蔵人の買ってきた不恰好な革の上下ではなかった。
 まだ山から下りて二日も経っていないのに、アカリはトランクに詰め込んだ革の上下を懐かしそうにみる。
 捨てる気にはなれなかった。

「やあ、おはよう。無事でなによりだよ」
 支部長室に入ると、木枠に革張りのソファーに座っていた女性が立ち上がり、気さくな様子でアカリに声をかけた。
「アオイ先輩っ」
 『事実の大鎌(ファクトサイス)』の力をもった、豪徳寺葵その人であった。
 黒いフレームのメガネにひっつめ髪、卵型というよりは鋭い輪郭。アカリとそれほど変わらない体躯には白い神官服を来ているが、アカリと違うのは、胸部にしっかりとふくらみがあることだった。アカリとは二学年違い、召喚当時は高校三年生、現在は二十歳である。
「こんなところまでわざわざ私のために来ていただいて、ありがとうございます」
 アカリはアオイに対して深々と頭を下げる。
「君はかわらないようだね。魔法学園を飛び出して、ハンターになったとは聞いていたが、なかなか面倒なことに巻き込まれたようだ。なに、後輩の頼み事だ、多少の無理くらいは聞くさ。それに初めて特別審判を受けてくれるのだから、教会としても悪い話ではないのだ、気にしないでくれ」
 まあ、座ろうとアカリに対面のソファーを勧める。
 顔を上げて、きょろきょろとしているアカリを見たアオイは教える。
「オーフィア殿は気を利かせて部屋を空けてくれたのだよ」
 そうですかとアカリはアオイの対面に座る。
「本当に大変だったね」
「いえ、それほどでもないですよ」
「積もる話もあるが、それは次の機会に譲ろう。こんな早朝にさっそくで悪いんだが、審判について話しておこうか。なんせ時間がない。そして過去に類例もない審判だ。多少手際が悪いかもしれないが、それはこの際、我慢して欲しい」
「はい、もちろんです」
 アカリは神妙に頷く。
 そんなアカリを見て、かすかに笑うアオイ。
「そんなに固くならなくていいよ。当初のルールとそれほど変わらないが、そこから説明しようか」
 アオイは一つずつ説明していく。
 アカリはそれを真剣に聞いて、自分の中で要約していった。

【第一条・事実の審判は国際審判条約の批准国でのみ有効であるが、批准国以外の人民を拒むものではない】
【第二条・事実の審判はありとあらゆる権威・権力から、干渉・強制を受けない。同時に、審判の結果以外のあらゆる干渉・強制を行わない】
【第三条・事実の審判は当事者の申告でのみ受けることを可能とし、どのような人物であろうとも本人の受諾なしに審判を受けることはできない】
【第四条・事実の審判の問いは、事前に被審判者との協議に基づいて作成される】
【第五条・事実の審判が証明するのは、被審判者との間で作成された問いに対する事実だけである。それ以外の証明とはならない】
【第六条・事実の審判は普通審判と特別審判で構成される。普通審判とは被審判者に対して問いかけ行い、『事実の大鎌(ファクトサイス)』にて生命にかかわらない範囲で事実を証明する。特別審判とは被審判者に対して問いかけを行い、『事実の大鎌(ファクトサイス)』にて生命をもって事実を証明する。特別審判のみ批准国全てに結果が報告される】
【第七条・事実の審判の進行は、まず審判受諾の意思を『事実の大鎌(ファクトサイス)』にて確認後、事実の審判に入る。ただし、審判受諾の意思が確認できなかった場合、審判はそこで取りやめとなる】

「とまあ、だいたいこんなところだ」
「大丈夫です」
 真面目に聞いて、勉強しているようなアカリ。
「相変わらず真面目だね。さて、さっそく審問の内容にうつろうか、といいたいところだけど、今回はちょっとだけ私の我儘を聞いてくれないか?」
「はい、なんでしょうか」
 アオイは苦笑する。
「こんなことは審判を受ける者にとって関係ない話だが、怒らないで聞いてほしい。
 仮に、だ。君が嘘をついたとすると、君は死ぬ」
 そして、とアオイは続けた。
「同時に、私は君を殺した人間になる。それも罪を裁くのではなく、ただの嘘で殺す」
 アカリは息をのんだ。そんな単純なことに気がつかなかったのだ。
 アカリは嘘をついていないのだからそんな心配はなく、気がつかなくてもおかしくはなかったが、アオイの負担を考えれば、気づくべきだった。
「す、すいま――」
「――おっと謝らないでくれ。そうじゃないんだ。言いたかったことは、私に君を殺させないで欲しい、ただそれだけなんだ。この世界に来て初めて殺す人間が、同じ召喚者のアカリということだけは、やはり嫌なんだ。こんな審判を生みだした人間のいうことじゃないけれども」
「いいえ、こんな世界です。先輩の決断を、私は信じています。だから、私も先輩には殺されません」
 アカリはまっすぐにアオイを見つめた。
「前言を撤回しよう。君は……少しかわったね。なにが、といわれると答えにくいが」
「えへへ、そうですか?」
「……本当にかわったね。そんなだらしなく笑うタイプじゃなかっただろう?」
 そういってアオイはケラケラと笑った。
 えっ、そんな顔をしてます?といいながら、顔をぺたぺた触るアカリ。
「そのへんのことも聞きたいが、審問の内容を決めなくてはね」

 説明と審問の内容を話し合うだけで二時間が経過していた。
 いつのまにか支部長室の窓からは、朝日がしっかりと差し込んでいた。
「まあ、こんなところだろう」
「そうですね。お時間をとらせました」
「これが私の選んだ仕事だよ」
「そうですか。私も、自分のしたいことをようやく決められました」
「ほう。見つけたではなく、決めたか。なるほどね。今度時間があれば、じっくり話したいもんだな」
 あははと笑うアカリ。
「じゃあ、これで失礼するよ。次は審判の場で会おう」
 アオイは立ち上がって、部屋を出て行った。
 迷いのない、足取りであった。


 そしてその時が、来た。
 アカリは正装扱いである召喚時の制服を着ていた。
 制服は首元に臙脂色のリボン、チャコールグレーのブレザーに白いブラウス、チェックのスカートである。
 アカリは久しぶりに来た制服がぴったりであることに気づく。
 二年弱もたつというのに、自分のあまりの成長のなさ、とくに胸元を見てアカリは愕然とする。
「…………」
「アカリ・フジシロさん、こちらへどうぞ……?」
 気落ちしたようなアカリの様子に、案内係も心配そうにアカリを見ていた。
「あっ、す、すいませんっ」
 古ぼけた一室のドアを抜け、礼拝堂に向かう。
 この村にある教会はサンドラ教のものであるが、古くさびれており、神官も常駐ではなく派遣されてくる。村の片隅にポツリとあるような石造りの小さな教会であった。
 小さな教会にある部屋の数など大したものではなく、礼拝堂にはすぐに到着した。
「それでは名前を呼ばれましたら、中にお入りください」
 そういって案内してくれた人はどこかへ行ってしまった。
 大きな木製のドアの前で、ぽつんと立つアカリ。
 アカリは急に心臓の音が大きく、強くなった気がした。
 ドンッドンッと内側から胸を打ちつけているようである。
 さっきまでは目まぐるしく動いていく現実に、どこか現実感を感じられなかったが、礼拝堂の大きなドアを前に一人でいると、急に現実に引き戻されたようだった。
 ドアの奥ではざわめきが続いている。
 アオイが改めて事実の審判の規則を説明し、『事実の大鎌(サイスファクト)』の力を実演している、はずだ。
 そこへ、声がかかる
「アカリ・フジシロ、中へ」
 アカリがドアを押すまでもなく、ドアはギギッという音を立てて、開いていく。
 ちっとも落ちつけてなんかいなかった。
 ドアの隙間から向こうが見えてくる。
 室内は薄暗く、燭台に立てられた蝋燭の周りだけが淡く照らされていた。
 ドアから一直線に通路があり、その脇に燭台が並んでいた。
 その突き当たりには、太陽の御子である大きな白いミド像があり、その足元に白いローブを羽織っただけのアオイがいた。
 その服はかすかに透け、みせてはいけないところ以外、うっすらと全て見えていた。
 恥ずかしくないのだろうか。ふとアカリはそんなことを考えてしまう。
 ドアはどんどん開いていく。
 両脇にある扇状に広がる長椅子では、各国の正装を来た使者たちが立ち上がって、アカリのほうを見つめている。
 その視線を受けて、アカリの緊張はさらに増し、足が震える。
 でも、と吐きそうな緊張をおさえつけ、アカリは一歩踏み出す。
 動く。
 すると後は、自然に歩くことができた。
 アカリはアオイまで一直線につづく通路を、前だけ見て歩く。
 次々に浴びせられる視線。
 その中にはオーフィアやマクシーム、ハヤトのものもあった。さすがにハヤトのパーティメンバーまではいないが、そこにはエリカやカエデといった他の召喚者の姿はない。
 だが、アカリにはそれを考えている暇なんてなかった。
 心臓が口から飛び出そうで、気持ちが悪い。
 この教会が小さくてよかった、その時、アカリは心底そう思った。
 すぐにアオイの元にたどり着いたからだ。

 アオイはアカリにだけわかるようにかすかに笑ってみせた。
 そしてすぐに顔を上げ、周囲に視線を向ける。
 その顔はアカリが見たことのないものだった。
 隙のない、厳格な神官そのものであった。
「これより、特別審判を執り行う」
 飾り気のない舞台のようだなとアカリは思った。
 扇状に連なる長椅子のある場から一段上がった場所に、さらに木製の土台が一つあった。
 そこにアオイは立っている。
「ではまず、審判の受諾意思の確認を行う。アカリ・フジシロ、腕を前に」
 使者に見えるように、アカリはアオイの前に腕をだす。
 アオイは無言で、頭上に腕を上げる。
 そこに白い光が集まっていく。
 しばらくするとアオイの手に純白の大鎌が握られていた。
 アオイはそのままアカリを見て、口を開いた。

「アカリ・フジシロは、何者に強制されることなく、何者に恐喝されることなく、自らの意思でこの事実の審判を受けることに偽りはないか」
 アカリは一つ、息をついて答える。
「――ありません」
 そして振るわれる大鎌。
 アカリはつい、目を瞑ってしまう。
 静寂が場を包む。
「偽りのないことを確認した」
 その声にアカリは目をあけて、腕をみる。
 傷などどこにもなかった。
 自らの腕を通過したであろう、純白の大鎌を横目でみる。
 かすかに、かすかにだが震えていた。
 アオイはそんな素振りをまったく見せずに、話を進めている。
「では、事実の問――」

 衝撃と破砕音。
 カーテンで締め切った窓硝子が外に取り付けられた木窓ごと外側から、一斉にぶち破られる。
 襲撃である。
 黒づくめの男たちが無言でなだれ込んでくる。
 彼らは全て、一直線にアカリを狙っていた。
「昼間っからくるとは、なっ」
 マクシームの巨体がアカリへの道を塞ぐように跳び、近くにいた襲撃者の頭上に拳骨を落とす。 
 襲撃者は一撃で地面にめり込むように倒れ伏す。
「愚かな」
 オーフィアの呟きとともに、数人の襲撃者が地面から突き出た石に腹部をうたれて昏倒する。
 室内に散らばる襲撃者がかすかに動揺を見せる。
 一人、二人と、散らばった襲撃者が無言で倒れていく。
「おれの目の前で、仲間に手を出すとはな」
 その速度に任せて、ハヤトが礼拝堂を縦横無尽に駆け巡り、次々に襲撃者を制圧していく。
 ハヤトの黒い聖剣が振るわれるたびに、襲撃者は数を減らす。
 襲撃者はあっさりと撃退された。

「――てめえ、誰に頼まれた」
 マクシームが呻いてうずくまっていた襲撃者の頭を掴んで、持ち上げる。
 身体ごと。
 だが、襲撃者は無言だ。
「そうか」
 マクシームは襲撃者はぶんっと投げ飛ばす。
 ドアがはじけ飛ぶ。
「――てめえ、誰に頼まれた」
 同じことを別な襲撃者に問う。
 さっきと同じように頭をつかみ、身体はぷらーんと空を漂う。
 一度目の襲撃者の末路をみたもうひとりの襲撃者は若干震えていた。
「……ザウル。ざ、ザウル・ドミトール・ブラゴイ、だ」
 その名が聞こえた使者たちはざわめき、それが他の使者にも伝播していく。
 田舎貴族の囲った二流暗殺者などこんなものである。
 同じ田舎貴族やそのへんの有象無象を殺すには十分だが、それ以上の力はなかった。
 エルロドリアナ連合王国の使者である内務調査官は顔にこそ出さないが、心中は大荒れだった。
 各国の使者がいる中で、この騒動の原因がこの国の者であると暴露されたのだ。真偽の問題ではなく、ここで暴露されたというのが問題だった。
 ザウルとしても、追い詰められて一か八かの行動にでたのだろうが悪手である。
 勇者を嵌めた虚偽申告と勇者を亡き者にしようと画策したではまるで意味が違った。
 ブラゴイ家は議員を失職。貴族の称号はただの名誉に過ぎないため、現当主が隠居し、長男に代替わりする。三男であるザウルは存在しなかったことになり、追放ののち、人知れず消されるだろう。
 だが、連合王国としてはそんなことはどうでもよかった。
 これから起きるであろう国際的非難をどうかわすか、それがこれからの連合王国の課題だった。
 内務調査官は恨めしげにマクシームを睨む。
 ここでできるのはそれくらいのものだ。

「それくらいにしておきなさい。今は審判中ですよ」
 オーフィアは鋭い視線でマクシームを見る。
 オーフィアもマクシームの意図には気づいている。こうすれば否応なくブラゴイ家はなんらかの罰を受ける。ことの真偽は、どうであろうと。
 やり方は汚いが、マクシームの気持ちもわからないでもなかった。
 さんざんに煮え湯を飲まされた相手だ。
 『白槍』をやめることになった原因でもあるのだ。鬱憤がたまっていたとしても仕方なかった。
 それでもマクシームはオーフィアの言に従って、襲撃者を下ろす。
「憲兵は何をしてやがるっ!」
 マクシームの怒号に、ようやくといったように憲兵がなだれ込む。
「おらっ、まだ審判中だ。とっととひっとらえて、とっとと出てけっ」
 その声にせかされるように、憲兵たちは迅速に襲撃者を捕え、教会の外に運んでいく。
 オーフィアは割れた窓の外を見て、アリーに目配せする。
 アリーは離れたところにいながらも意図を察し、頷いて見せた。

 割れた窓は元に戻らないが、審判は続けられた。
 アオイとアカリが審判を続けると言ったからだ。
「では改めて、アカリ・フジシロ、こちらに背を向けなさい」
 アカリはそれに従って、アオイに背を向ける。
 そっと首に添えられる純白の大鎌。
 軽く引かれるだけで、首が落ちるだろう。
 それを見た使者たちも、襲撃でどこか浮ついた気分が、冷めていくのを感じた。

 少女の華奢な首に、少女の身の丈を遥かに超える大鎌が添えられているのだ。
 少女と大鎌、アンバランスで、目を離せない背徳的ななにかがあった。

「では、問います。
 まず、貴女は『不安定な地図と索敵(レーダーマップ)』という『神の加護(プロヴィデンス)』を授かった勇者に間違いないですね』
「はい、間違いありません」
「勇者には勇者の加護が通用しませんが、例外として、相手の加護を受け入れることを条件に、加護が作用するようになります。貴女は『事実の大鎌(ファクトサイス)』を受け入れますか?嘘をつくと、この大鎌はただの鉄の大鎌となり、貴女の首を落とします。よろしいですか?」
「はい。問題ありません」
 アカリは目をつむり、大鎌はみないことにした。
 事実だけをいえばいい。

 アカリの細い首を、大鎌が通り抜ける。
 それを見て、使者たちは息をのんだ。
 少女の首を傷つけることなく、真っ白な大鎌が通り抜けたのだ。
 もし、少女が一つでも嘘をつけば、冗談のように首が落ちるだろう。
 純白の大鎌が事前に斬り落とした、人の太さほどもある丸太のように。

 アオイは、淡々と続ける。
「貴女は敵性をもった対象を見分けることができますが、悪意をもって、ザウル・ドミトール・ブラゴイ氏率いる白幻討伐隊を大棘地蜘蛛アトラバシクにけしかけましたか?」
「いいえ」

 純白の大鎌がまた、アカリの首を通り抜ける。
 使者たちは、もう目が離せなかった。
 この審判に対して、表向きは別として内心では懐疑的だったのをすっかりと忘れてしまった。
 公開処刑の見物にも似ているが、それとは別の、うしろ暗いところのない、清廉な儀式を見ているような気持だった。

「貴女は故意に、ザウル・ドミトール・ブラゴイ氏率いる白幻討伐隊を大棘地蜘蛛アトラバシクにけしかけましたか?」
「いいえ」

 純白の大鎌が、アカリの首を通り抜ける。
 使者たちの視線は、潔白を示す健気な少女にくぎづけだった。
 事情は知っている。
 国家としての裏事情ももちろん彼らは知っている。
 それが自分の国でも起こったら、確かにそういう危惧はあった。
 だが今は、そんなことを忘れていた。

「貴女は貴女のミスで、ザウル・ドミトール・ブラゴイ氏率いる白幻討伐隊を大棘地蜘蛛アトラバシクにけしかけましたか?」
「いいえ。私は彼らを止めようとしましたが、耳を貸すことすらありませんでした」

 純白の大鎌が四度、アカリの首を通り抜けた。
 場内からは安堵のため息がもれていた。
 使者たちはもう、悲劇のヒロインに同情していた。勇者の身の上でありながら、国家に翻弄される少女はまさしくヒロインであった。

「よろしい。事実の審判はアカリ・フジシロが悪意、故意、過失のいずれにおいても、ザウル・ドミトール・ブラゴイ氏率いる白幻討伐隊を大棘地蜘蛛アトラバシクにけしかけたという事実はない、と証明する」
 アカリはほっと息をついた。
 ようやく、潔白が証明されたのだ。
 まとわりついていた何かが、抜けていくようだった。

「アカリっ」
 男の声がアカリを呼んだ。
 アカリの目の前に、長椅子から跳んだハヤトが降り立つ。
 場内はざわめいた。
 最も有名な勇者が突然、悲劇のヒロインの前に現れたのだ。
 何かを期待するのが、人の心だった。

「俺と来いっ!俺なら守ってやれるっ!」
 場内の無責任な期待を知ってか知らずか、その路線を進むハヤト。
 アカリは迷いなく手を差し出したハヤトを見つめる。
 もはや、教会の礼拝堂は壮大な物語の舞台になっていた。
 壮大なストーリーの、結末部分であり、これが始まりだ。
 アカリの一挙手一投足が、見つめられていた。

「ごめんなさいっ」

 アカリは深々と頭を下げた。
 使者たちはポカンとする。

「俺といればつまらない政治に翻弄されることはないっ。俺が、守ってやれるっ」
 アカリはハヤトの言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
 そして、ハヤトの手を取ることなく、その脇へ一歩進み出る。
 そして使者たちに向かって、口を開いた。

「私、アカリ・フジシロは、出家しますっ」

 場内は静まりかえる。
 どういう事態なのか、目の前のハヤトも、使者たちも理解できていなかった。
 いや、マクシームは今にも笑いそうになるのを堪え、オーフィアは苦笑していた。

「私は、『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュウム)』になり、女神の御許に侍ります」

 次第にその意味が、この場の全員に浸透していく。
 目の前のハヤトは小声で、宗教なんてダメだ、身を滅ぼすぞとアカリに言っているようだが、アカリがそれを受け入れるはずもない。
 その後ろから、アオイが聞く。
「そのなんだ、『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュウム)』に保護される、ということでいいかな?」
 アカリはニコっと笑い、否定する。
「違います。アオイ先輩が自分の居場所を自分で決めたように、私も『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュウム)』を自分の生きる居場所に決めたのです。オーフィア様にも許可をいただきましたっ」
 決然としたアカリの顔にアオイは、そうか、とだけいった。
 自分の居場所を決めたのなら、何もいうことはない。

 使者たちは悲劇のヒロインが出家するという突然のストーリー変更に呆けていた。あの健気な少女はどこにいったというのか。
 目の前に立つ少女は、一人で立ち上がることのできる、たくましい女ではないか、と。
 使者たちは夢から覚めたような心持ちであった。

 同じようにそれを見ていた内務調査官は頭を抱えたくなった。
 これだけの使者の前で勇者が襲撃され、勇者が政治に翻弄されたことが自明の理となり、最後には勇者が出家する。政治的汚点としては計りしれなかった。

 教会の礼拝堂がアカリの出家宣言で静かに騒然としていた時、教会の外に落雷の音が轟く。
 外は薄暗くなってはいるも快晴で、雷など落ちる天候ではなかった。

 また襲撃かと全員が身構えるが。
 しかし、何も、起こらない。

 その時、何事かに気づいたように、ハヤトがぱっと駆けだした。
 そしてそのハヤトを見た、アカリも駆けだす。
 それにマクシーム、オーフィア、そしてアオイが続いた。
+注意+
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