27-怪我
守っているつもりだった。
教えているつもりだった。
蔵人は目もきかないし、鼻もきかない。足も遅い。
だから、守ってやらなくちゃいけないのに。
だけど、蔵人は怪我をした。
口からたくさん血が流れていた。
自分だけなら蔵人は死んでいたかもしれない。
しょぼんとした雪白は蔵人の身体に鼻先をこすりつけた。
妙にしおらしい雪白に蔵人はなんとか動く腕で、ぽんぽんと撫でた。
雪白はくるりと戻って、小さな丸い盾をくわえてきた。
それを蔵人の寝ている横に置く。
「こ、れで、身を、守れ、と?」
――ぐるぅ
雪白は自分が食いついてなお止まらなかった怪物の力を知った。これなら蔵人を守ってくれるかもしれないと思ったのかもしれない。
雪白は一つ唸って蔵人に顔をこすりつけると、そのまま蔵人の枕元で丸くなった。
アカリがいう。
「怪物を消滅させたら、棍棒と盾が残りました。たまにそういうことがあるとは聞いたことあったんですけど、私は初めてみます」
棍棒は少し離れた壁際に立てかけてあった。
「棍棒も盾も問題ありません。十分に使えますよ。性能はちょっと私じゃわからないですね」
「て、まを、かけさせ、たな」
アカリは慌てて首をふる。
「そ、そんなこちらこそ、あまり役に立てなくて」
「そん、なこ、と、はない。お、れは、聖、霊魔、法は使、えないか、らな」
「大なり小なり、誰でも使えるようになりますよ。身体が動くようになったら教えますから」
アカリがそういったのを聞いたあと、蔵人は瞼を閉じた。眠気に耐えられなかった。
熱い湯につかった後のような猛烈な暑さに目を覚ます。
全身から汗が滝のように流れていた。
周囲は真っ暗である。
おそらくは囲炉裏を挟んで対面にいるであろうアカリも見えない。
蔵人は気にする必要もないかとシャツとズボン、インナーを脱いで、全裸になる。
腕はほぼ痛くないといえた。多少の違和感があるくらいである。
この世界に来て、初めて大怪我をして、命精魔法の治療を受けた。これほどとは思わなかった。
その代償としての、この熱であろう。
蔵人はそっと立ちあがった。
雪白の耳がぴくっと動き、うっすらと目を開けた。
蔵人は風呂場に向かう。
雪白もそれについてきた。
寝ていたせいか、光がいらないほど夜目がきく。
風呂場についた蔵人は水精魔法を使おうとするが、使えない。
というよりも魔力が底をついているようだった。いわゆる枯渇寸前という奴かもしれない。
「困ったね、こんな副作用があるとは。……水だしてもらえる?」
ついてきていた雪白にいってみると、あっという間に風呂は水でいっぱいになった。普段は蔵人が全てやっている、頼んでもあまりしてくれないのだ。
ありがとうといってから、蔵人は風呂に身を沈めた。
ザバッと風呂から水があふれる。
あぁぁぁぁぁぁと蔵人の喉から声がもれる。
ほてりを通り越して熱い身体がじわじわと冷やされていった。
そこへザブりと雪白が飛びこんだ。
「お、おい、あ、こら、がぼぼぼ」
さらに水があふれる。
ヒョコっと水から顔をだし、そっぽを向いて水風呂につかる雪白。
たいして冷たくもないのだろう。吹雪の中を駆け巡るのだから水風呂などどうってことはないのかもしれない。そのくせ、湯も好むのだからよくわからない生き物である。地球にはいない魔獣というカテゴリー特有のものだろうと、蔵人は強引に納得することにした。
しばらく蔵人は水につかった。
真っ暗なまま、風呂場は静かだった。
少し違和感のある、もう傷も消えた手を見つめる。
赤い血を流す人型の怪物にブーメランが突き刺さった瞬間。
土の杭が人型の怪物を串刺しにした瞬間。
特に何もなかった。
というのは言い過ぎかもしれないが。こみ上げるような何かもあったような気がするし、嫌な気分を押し殺したような気もする。
それなりに魔獣を殺してから、人型の怪物を殺したせいなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
ただ、悔いも罪悪感も薄い。
自分とアカリ、雪白を守るために殺した。
そこに悔いや罪悪感はいらない。
どうしようもないくらいに『詰んだ』なら、決断するだけである。
こうやって殺すことを正当化しているのかもしれない。
だが、それでいいとも思う。
殺さなければ守れないなら、殺すだけだ。
日本では許されないかもしれないが、ここには許さない社会はない。
いや、人がいれば社会はあるのだろうが、その社会には属していないし、これから属する気もない。
実際のところは、人を、殺してないからなんとも言い難い。
もちろん、殺したくはない。
狩りでも殺すのが気持ちいいと思ったことは一度もない。
生き物を斬る感触は、おそらく好きにはなれない。
それでも、こんな世界に来たなら、殺すことになるのかもしれない。
腰の剣に手をかけたザウル、荷物をもって山をのぼる自分を狙ったハンターたち。
事情が違えば、殺し合いに発展していたかもしれないのだ。
そんな時がこなければいいと願いつつも、今日のように躊躇わなければいいなと願う自分がいた。
ザバっと蔵人が勢いよく立ちあがる。
「――用務員さーん、どこですかー。まだ治りきってないんですから動き回ってはダメですよー」
風呂場の入口の穴は開きっぱなしだ。
立ちあがったままの蔵人、そこに通りかかった火精を浮かせたアカリ。
向き合う二人。
世界が、再び、時をとめた。
――きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ
蔵人の悲鳴、ではない。
アカリの悲鳴が洞窟に響き渡った。
アカリは顔を赤くしてまだそっぽを向いていた。
「なんで明かりもつけないでお風呂にいるんですか。しかも、ぜ、全裸だし」
「いや、風呂では普通、全裸だろ?」
「う、うるさいですっ。ていうか治るのが早すぎるんですよ、確かに修復は早めましたけど、一日でほぼ完治とかそんなに早めた覚えはありませんよ」
蔵人がそっぽを向いて、頬をかく。
「……も、もしかして自分でも回復したんですかっ」
「……こんな機会、滅多にないと思って」
「な、な、な、ま、魔力なんて私が治療につかって枯渇寸前のはずですっ」
「水風呂からあがって、もうひと眠りしたら半分までいかないまでも回復してたから、使った」
「そ、そんな……」
「というわけで腹がすいたんだが」
傷の大小にもよるが、命精魔法による副作用は枯渇寸前になる魔力、修復熱、そして空腹である。人が食べてエネルギーを得ている以上はどうにもならないことである。
「……あのリュックサックが開けられないので、肉と野草を煮込んだものしかありませんよっ」
囲炉裏には細かい枝がくべられてパチパチと燃え、コトコト煮立つ土鍋があった。
「へぇ、あのリュック、俺しか開けられないのか。知らんかった」
そういいながら、蔵人はリュックサックをアカリから受け取り、塩、胡椒、唐辛子、黒糖の塊、小麦粉、パンを次々と取り出しては、アカリに渡す。
アカリは鍋の蓋をとり、塩、胡椒、そしてちぎったパンを土鍋に入れ、また蓋をした。
「ああ、そのまま保管しといてくれ。明日はまた村にいくから、俺がいない間、ないと困るだろ」
「な、何を言っているんですかっ!」
アカリの首がグルンとこちらを向く。凄まじい剣幕である。
「昨日、顎と両腕を骨折した人がその二日後に山を下りるとか、どこにいるんですかそんな人っ」
蔵人の背後で生肉をモグモグしていた雪白も、肉を置いて蔵人に牙をむけて唸る。
蔵人は片手で雪白の顎の下を撫でながらアカリにいう。
「怪物なんてもんでたし、一応、報告だけでもな。仮にもハンターだし、それで麓の村が壊滅したってなったら寝ざめも悪いし、何より不便だろ」
言われたアカリはむぅと言いよどむ。
村八分とは、村の中で対象を疎外することだが、火事と葬儀(二分)のときだけは協力するという。エリプスにおいて、どんな時でも協力しなければならないといわれるのが、怪物の襲撃である。
アカリもそれを思い出して、口を噤んだ。
蔵人はふさふさとした喉元を掻き転がしながら、雪白を見る。
「依頼はこっちで、できるようなのを探してくる。それなら一緒にできるだろ」
雪白は喉をもふもふされながら表情は、怒ったり、気持ち良さそうになったりと忙しい。
そ、そういうことじゃない、わたしは心配してるんだ、うにゃ、気持ちい……じゃ、じゃなくて、心配してるんだ……ぞ。
そんなところだろうか。雪白の葛藤が見て取れるような表情のかわり方である。
そんなやり取りをいくつか繰り返し、しかたないとアカリと雪白は折れた。
ただし、
「それなら聖霊魔法を覚えてからです。聖霊魔法も覚えてないのに、怪物を倒したなんて、誰も信用しませんよ」
アカリはプリプリしながら、肉と野草を煮込んだものにパンを浸したパン粥モドキをお椀にいれて、蔵人に渡す。
――ぐるぐるう
雪白もそうだとでもいわんばかりである。
確かに、その通りである。
蔵人はお椀を受け取りながら頷いた。
さすがに一夜で聖霊魔法を覚える、というのは無理があった。
聖霊魔法は、古くはサンドラ教の神官や『月の女神の付き人』といわれる修行尼僧たちが用いていた秘匿された魔法であったが、人口の増加によって生活圏が広がり、必然的に怪物の襲撃が増えると多くの人が犠牲になった。
それを嘆いた『月の女神の付き人』が魔法を全世界にむけて公開、それは瞬く間に広がった。
信じる神が違ったとしても聖霊魔法の発動には支障がなかったことも、怪物に怯える者たちには望外の喜びであった。
その呼び出し方自体は簡単である。
無垢の存在を信じて、願う。
それがわずかな間だけ聖霊を生んだ。
聖霊がなんなのか、魔法的によくわかっていない。
宗教者たちは至極簡単に言う、神の力だと。
神を無垢と言い換えるとは不敬だ不信心だと宗教者たちはいうが、神の存在を信じていない者も聖霊魔法を発動させたのだから、神というのは正確ではない。かといって精霊とよぶには性質が違いすぎていた。
現状よくわからないが、使えているから問題ないだろう、というスタンスが五〇〇年以上続いている。
そんな大学の講義じみた歴史をアカリからげんなりするほど受けながら、蔵人が聖霊魔法を発動させたのは三日後のことだった。
その間は最新の自律魔法の情報をアカリに聞いたり、逆に精霊魔法の並列起動のコツを蔵人が教えたりもした。
三日後の朝、蔵人は村に下りる準備をしていた。
「ああ、これ」
「これは?」
蔵人は魔法教本と野菜の種をアカリに渡した。
「暇つぶしくらいにはなるだろ」
蔵人は皮の上下にブーツを着こみ、背中にブーメランとククリ刀をつけ、食料リュックとわずかな荷物を背負い、片腕には丸盾をくくりつけた。
棍棒はアカリの取り分とした。討伐の証明には丸盾を見せれば十分なはずだ。
「ありがとうございます。でもそんなことより、防具、忘れないでくださいよ。防具があれば腕も顎も折れなかったかもしれないんですから」
三日前から、アカリにさんざんいわれていることだった。
「わかった、わかった。そうぷりぷりするな」
腕は完全に治った。翌々日くらいまではほてりがあったが、今はもうない。
蔵人は完全な状態で山を出発する。
その脇には、雪白がいた。
大棘地蜘蛛のナワバリの外まで蔵人を送るらしい。
あれ以来、雪白が優しくなった。
なんていうことは、ない。
今も、早くいくぞ、日が暮れる、とばかりにご立腹である。
「いまいくよ」