25-家②
アカリと会うまでのおよそ五百八十日。
ほぼ毎日、一度は魔力を完全に枯渇させている。
さらにその五百八十日の中で、洞窟を出ることもままならなかった厳冬期の百八十日が二シーズンあった。その計三百六十日は多い時で一日に三度は魔力を枯渇させた。そのたびに全身は疼痛にみまわれ、頭痛、関節痛、喉の痛み、動悸、息切れなどをランダムに味わった。
だが。その甲斐あってか、魔力の少ないときは約八時間ほどの睡眠で魔力が元に戻っていたが、今では半分ほどしか回復しない。おそらく魔力の最大値が増えたのだろうことは想像に難くなかった。
それを聞いたアカリは金魚のように口をパクパクさせる。
「まあ、あったかいうちに食え」
そういって蔵人は手を合わせてから、まず竜田揚げモドキをつまんだ。
砂肝のような触感の肉であった。コリコリとそれでいてじんわりと油が染み出てくる。
塩、胡椒の味を一年半ぶりに感じた。
スープに手をつける。
塩と胡椒のみであったが、鳥の臭みを野草が消して、あっさりとしたスープであった。
コッペパンの形をした黒パンは、固かった。保存の効くものだからいたしかたない。
黒パンを一つ強引にちぎって、スープに浸してから食べる。
スープの塩味が黒パンにしみ込んで、美味しくなる。
「うん、可もなく不可もなく」
さもこんなものが男の料理であるとでもいいたげである。完全な偏見であるが。
どことなく納得のいかない表情でありながら、アカリも食べ始める。
「……おいしい」
多分にお世辞も入っているだろうが、それでもパクパクと食べだした。雪白の狩ってくる肉だけの食事はさすがに合わなかったようである。
しばらく黙々と食べていた二人だが、おもむろにアカリが口を開いた。
「本当に、毎日完全に枯渇させてたんですか?」
蔵人は箸をとめて、ああ、と頷く。
アカリはピクリと頬をひきつらせる。
「筋トレと似たようなもんだろ?」
「全然、違います。命にかかわる問題です」
へっ、と蔵人は気の抜けた返事をする。
「普通はサポートする人がいないとしない訓練方法ですし、そもそもそんな危険な方法はしません。魔力が枯渇すると内臓機能などの身体機能が低下して、一歩間違うと死ぬといわれています。内臓機能を効率よく動かすために余剰生命力を、つまり魔力をつかっていると考えられていますから。普通は枯渇の一歩手前でやめて、しばらく休むんです。枯渇ほどじゃないですけど、それでも魔力の供給量や最大値は増えますから。痛みもそれほどじゃないですし」
「へぇ~」
「か、軽すぎますよ!」
「といってもなぁ、気絶した後もすぐに食べられたし、問題なかったんだけどな」
「そ、それはっ、ぐ、偶然とか……は、ないですよね。千回以上も枯渇させて偶然が千回続くことなんて……」
二人して首をひねる。
蔵人とこの世界の住人の違い。それは魔力が生まれたときから存在して肉体を維持する機能を担っているかかどうかの差であった。
日本、地球では魔力は存在しないため、蔵人は自身の肉体の力でのみ肉体の機能を維持しているため、魔力が枯渇したとしても、魔力をためておく器が広がるときの痛み程度で済んだのである。
そういう意味ではアカリたち召喚者すべてにいえることだったが、召喚者は召喚後すぐに魔法教育を施されたために、魔法世界の住人と同じ訓練方法しかないと思い込んでいた。そんな方法があるとは夢にも思わないはずだ。
そしておそらくはこれからも、蔵人が検証しない限り、それが実証されることはない。
「とはいっても、ハンターとしては残念な親和性らしいから、有効活用できるかどうか」
「適性判定、受けたんですか」
「ああ、たしか――」
「――ちょっ」
蔵人は適性判定の時を思い出しながら話す。
「闇、次いで氷、それから、土、水、風、雷、火と続いて、あとは光か。闇がぶっちぎりで親和性が高くて、光がぶっちぎりで相性最悪らしい」
「……ああ、なるほど。それなら精霊魔法主義のハンターにはうとまれるかもしれませんね。でもマクシームさんが言ってました。精霊魔法だけじゃなく、自律魔法や命精魔法、道具、武器、そして身体の扱いまで含めて判断するべきだと」
「同じようなこと言われたよ。で、アカリの適性は?」
「その前に。誰かに聞かれても適性判定のことを言わない方がいいです。手の内とか、相性の問題とか、それだけで随分読まれてしまいますから。この世界、それほど安全じゃないんですから」
アカリの剣幕に気圧されるように蔵人は頷いた。
「ああ、すまん。それなら聞かない方が――」
「――それとこれとは別です。用務……蔵人さんも教えてくれたんですから、私も教えますよ。私は光と一番相性がいいです。あとは、雷、火、風、水、氷、土、そして闇とは相性が悪いですね」
「正反対ではないにしろ、けっこう違うもんだな」
アカリは少し困ったような顔をした。
「実は召喚者はたった一人の例外を除いて、あっ、蔵人さんを入れると二人目ですが、全員似たような感じなんです。闇と氷の精霊に対して相性が悪いっていう」
「例外ってのは?」
「……一原颯人さんです」
蔵人の眉がわずかにぴくつく。
「いいづらいんですが、知っての通り一原さんは二つの加護をもってます。そのうちの一つは彼が日常的に言っている『聖剣』という名前だけしかわからない加護なんですが、もう一つのほうは非常に有名です」
アカリは箸を置いて手を合わせる。満腹なようだ。
「……『精霊の最愛』、精霊の姿をみて、精霊の声を聞き、精霊に触れることができるといわれています。そして何より闇の精霊を除いた、判定可能な全ての精霊との親和性がエリプスの歴代最高記録を全て塗り替えました」
「……つまり闇以外の全ての精霊魔法で最上級魔法を発動できるわけか」
蔵人とて教本でそれなりに勉強している。
精霊魔法の内、最上級魔法の発動にはいくつかの内的・外的条件があった。
そのうちの一つが、一定以上の精霊との親和性であった。普通の人間の親和力だけでいうなら、一人につき一つ、最上級魔法が扱えるようになる可能性があるということだが、ハヤトは闇を除いた全てが使えるようになるのだ。
「しかし、なんでまた闇との親和力が低いんだ?加護の名前からしたら全部だろうに」
「推測になりますがもう一つの加護との関係ではないかといわれてます」
「『聖剣』ゆえに、闇との相性が悪い、と。まあ、いいや。あいつのことはどうでも。ところで――」
「――本当にどうでもいいんですか?」
アカリがうかがうように蔵人を見ていた。
「……だから、そうだって――」
「――本当のことを聞きたいんです」
アカリの目は蔵人から逸れない。
蔵人は大きくため息をついた。
「……正直なところをいえば、気に入らない」
アカリの目が陰を帯びる。
「だけど、それはまあ、探してくれなかった、なんてのぞんでもいないことで恨むのは、ただの恨みたがりの、逆恨みだしな。まずは、この世界で平穏無事に生きる。日本ではできなかったけど、せっかく再出発できたんだから楽しんで生きる。だからアイツらとは正直関わりたくないんだ、まず間違いなく面倒事に巻き込まれる」
「……ごめんなさい」
「まあ、正直、面倒なことに巻き込んでくれたなって感じてるが、いつかは人のいる世界にいかなきゃならなかったし、他の召喚者のその後が知りたかったのもまた事実だ。だからまあ、それほどアカリには悪い感情はもっちゃいない。別にアカリが何かしたわけじゃないし、当時十六歳の女子高生に何かできるわけもないだろうしな」
「……」
「ただ――」
言葉を切った蔵人の目は酷薄で、その表情は薄く鋭いが、それでいてどこか脆い刃のようにアカリには見えた。
「――アイツは許さないし、アイツらには一歩たりとも絶対譲らない。それだけは確かだ」
盗まれた瞬間、盗まれた時の周囲の表情、蔵人はそれを忘れたことはなかった。
それだけいって、蔵人は食事の後始末を始めた。
後始末を終えた蔵人はアカリも交えて、荷物を整理する。
鉄製の手斧、ナイフ、シャベルは部屋の隅に、ロープ、麻袋、革袋は壁にかける。
塩、安酒、小麦粉、黒糖の塊、胡椒、唐辛子はモスグリーンのリュックに突っ込んでいく。フランスパンのような携帯食や水はこの中にある限り、腐ることはなかった。
ちなみにこのリュック、最初に入っていた魔法教本と大振りのナイフ、食べ物以外は入らないし、リュックの口より大きなものも入らない。蔵人は試しに色々いれてみたが、ある一定以上は食べ物も入らなくなった。
「そ、それなんですか。ものが入ってる風には見えないんですが」
「これ?最初に頼んだ食料と水一年分の入ってたリュック。ちなみに食べ物だけならおよそ人間一人分の一年分、食糧が入るみたいだ、おおよそだけど。ないの?こっちにそういうアイテムボックス的な魔法や鞄」
「ないです。自律魔法は基本的に魔法具として売られてますけど、そういう魔法具は聞いたこともないです」
「くくくっ、俺の加護はこの『食料リュック』かな……ヒジョーに頼りないが」
ちょっとだけ誇らしげな蔵人にアカリは申し訳なさそうにいう。
「……これも言いにくいですが、二年生に一人『アイテムボックス』という加護をもってる人がいます。その人は輸送・商売関係の仕事につきましたが入れられる物に制限はないそうです」
「……」
麻や綿のシャツ・インナー、ズボン、皮の上下はそれぞれ自分とアカリに。ちなみに男女の区別などはほとんどなく、サイズの違いくらいである。
「す、すみません。色々面倒かけて」
と女の子らしく顔を赤らめて頭を下げた。
男に肌着を買ってきてもらったのだから、恥ずかしいのも当然だろう。
「風呂でも入ってくるといいよ、一昨日から着たきり雀だろ?」
アカリはさらに顔を赤らめて、着替えをもつと風呂場にタタタっと走っていった。
背後から尻尾の一撃。
蔵人が振り向くと、一言余計だ、とでも雪白がいいたげであった。