125-裸身
遅ればせながら、明けましておめでとうございます<(_ _)>
本年もよろしくお願い申し上げます<(_ _)>
それから三日、舟団は東端とは反対の西に向って砂流を進み、とある集落に到着した。
砂を塗り固めたような簡素な家が十数個建ち並び、その中心に小さな井戸がある。よくよく目を凝らせば、家の壁には白色で絵が描かれており、かつてレシハームで見た骨人種の集落とよく似ていた。
舟団が到着するやいなや、炎天下にもかかわらず骨人種たちが出迎えてくれる。
家々から姿を見せた骨人種は、レシハームにいた者たちとなんら違いはないが、骨の色が灰色の者がおり、身体には白色の綺麗な大布を巻きつけて衣服としていた。
ただ、迎えに出て来た骨人種の中に、イライダの母であるヨランダの姿はない。
族長が集落の長と話している間に、ニルーファルが集落の骨人種を連れて来て、事情を聞いてくれた。
「――族長殿には長から話されているのですが、ヨランダ殿は昨日から塩砂漠に行ったままでして。ちょうどこれから戦士たちを募って探しに行こうとしていたところなのです」
そこへもう一人、色合いの違う女性っぽい服装の骨人種が近づいてきた。こちらはケイグバードにいた骨人種の骨色とよく似ている。
「……あの方は、ヨランダの娘さんではないですか?」
落ち着いた声色は上品なご婦人を想像させるも、性別がどうにかわかる程度の蔵人には骨人種の年齢などわかろうはずもない
「母御を探しに、遥か西から渡ってきたそうだ」
ニルーファルがそう答えると、骨人種の婦人は悔恨を滲ませた様子で、イライダに近寄っていった。
「――メフリと申します。本当に、申し訳ないことを致しました。ヨランダはワタクシを連れて、この砂漠に逃げてくださったのです。乳飲み子であったアナタを旦那様に託してまで」
イライダの足元に跪き、まるで首を差し出すように頭を垂れた。
蔵人の通訳を待ってから、イライダが答える。
「母さんが決めたことだ。アタシがあれこれ言うことじゃないさ。元々、アタシたち巨人種は集落全体が家族みたいなもんだ。狩りに行ったまま一年や二年戻らないなんてことはざらでね。ほとんどみんな片親みたいなもんなのさ。だから気にしちゃいないよ」
逆を言えば、必ずどちらかの親は集落にいたということであり、集落に親がいないことがあったのはイライダのような片親の者だけであった。
「しかし――」
「いいのさ。ただちょっと母さんの顔を知りたくなったから探しただけなんだよ。一応アタシも巨人種の端くれだからね、ご先祖さまのことが気になったのさ」
イライダはいつものようにからっと笑い、メフリを立ち上がらせた。
「アンタは幸せになったんだろ? なら、それいい。アタシも別に不幸じゃなかったからね」
少し離れたところから、メフリを心配そうに見つめている骨人種の男と二人の子供にイライダが目をやると、メフリは泣き笑いのような雰囲気を滲ませて、頷いた。
メフリはこの集落に元々住んでいた骨人種の長の息子と政略結婚した。
この地に元々存在していた骨人種も、その魁偉な容貌と生活、その異端の力によって滅ぼされかけ、バーイェグ族に保護された者たちであった。
そこに戦乱から逃れ、砂漠を彷徨っていたところをバーイェグ族に助けられたメフリを筆頭にした旧ケイグバード人である骨人種たちが加わったのだが、同じ骨人種といっても文化が違う。日ごとに衝突は増えていった。
そこでまだ成人もしていなかったメフリが集落の長との息子と結婚することで、まず表向きの融和を作り出した。
まさしく政略結婚であったが、連れてきた仲間のため、そして平和のために仲むつまじくなれるように努力した結果、一男一女をもうけ、温かな家庭も築き上げることができた。
「で、肝心の母さんは塩砂漠に行ったきり、と。けっこう遠いのかい?」
「今出発すれば夕暮れ前にはつくだろう。舟は使えぬから、歩いてだが」
ニルーファルの言葉に徒歩で三時間ほどかと見当をつけた蔵人が、それをイライダに通訳する。
「そうかい。なら今のうちに出ても問題ないかい?」
「……問題ないが、行くのか?」
「自分の母親のことだからね。それに、未知の土地っていうのも面白そうじゃないか」
ニルーファルがそれを聞くと、蔵人、そしてヨビを見た。
当然のように同行すると頷く二人にニルーファルはメフリに向き直った。
「ならば我も行こう。余分なアレはあるか?」
「こちらで人を出しますよ」
骨人種はこの砂漠で塩を採取し、バーイェグ族に供給していた。
「待ってるのは性に合わないんだ」
メフリはそれでも何度か遠慮したあとで、結局イライダたちに任せることにした。
「それではこちらへ」
塩砂漠に行く面々がメフリの案内で倉庫らしき場所へ案内される。
そのとき、メフリが蔵人を見つめた。
不思議そうな顔をしながらじっと見つめる。
蔵人はわけもわからずその視線を受け止めるが、不意にメフリの相好が緩んだ、ような気配が伝わってきた。骨人種の感情や仕草は伝わるままに解釈すればいいという怪盗スケルトン、ジーバの言葉を思い出す。
「幼い頃に嗅いだだけですが、同胞がつけた匂いですよね? それも女性……ふふふっ」
かつてジーバが蔵人の耳を噛み、匂いをつけた。それを嗅ぎ取ったということらしい。耳につけられた匂いは親愛の証。この匂いをさせている者は歓迎しなくてはならない。
「戻ってこられましたら、歓迎の宴を催させていただきます。もしよろしければケイグバードの話などを聞かせてください」
ケイグバードの現状を知らないであろうメフリの言葉に、蔵人は迷いながらも頷いた。
それからすぐ、蔵人一行とイライダ、ヨビ、ニルーファルは出発し、何事もなく塩砂漠に到着した。
本来であればニルーファルには警備当番があったのだが、ファルードがかわってくれたという。ニルーファルに対等な女友達が出来そうだと、兄なりに気を使ってくれたらしい。
淡灰色の砂漠が一面に広がっていた。
当然のようにここも暑い。夕暮れ前ではあるが、日はまだまだ暮れそうにない。
雪白とアズロナは死ぬとでも言いたげに、恨めしそうな目を蔵人に向けていたが、そんな雪白の鼻先をひらりひらりと赤い蝶が飛んだ。
鼻先だけではない。淡灰色の砂漠の至る所で、赤い蝶が飛んでいる。
アズロナが雪白の頭から乗り出し、それを見つめると、ふいに蝶が進路を変えて、アズロナの鼻先に止まった。
――ぎっぎぅっーーっ!
ほのぼのとした光景に見えるが、鼻に触れられたアズロナは悲鳴を上げて、顔を振った。
赤い蝶は一瞬で消え去るが、アズロナは翼腕で鼻を押さえ、大きな目に涙を浮かべる。
「だから言っておいたのだぞ?」
ニルーファルが水筒の蓋を開け、アズロナの鼻先に少しばかり垂らし、蔵人がそれを凍らせた。盾に潜む氷精を魔力任せに行使したのである。
アズロナはありがとう、とでも言うようにニルーファルを見上げ、ニルーファルもそんなアズロナの喉元をくすぐってやった。
火蝶。
魔獣ではなく、純然たる自然現象であった。
この塩砂漠では日のある内は火蝶が舞い、そして極寒の夜には雷花が乱れ咲く。
火蝶とは発火現象、雷花とは小さな放電現象のでどちらもその様が蝶や花に似ていることからそう名付けられた。原理は一切不明で、蔵人もまったく見当もつかない。
「こりゃいいね」
アズロナの鼻を焼いた火蝶がイライダが身体に巻きつけている黒い大布に触れるも、何事もなく消えていった。イライダは熱などまったく感じず、感心したように布を撫でた。
「骨人族以外がここに来るときは皆これを使う」
鍛錬と実戦の果てに意識することなく命精魔法を用いている『英雄』でさえ、この火蝶、そして夜の雷花には傷を負う。それを防ぐための『黒布』であった。炎の魔獣と雷の魔獣の革をなめし、それを編み込んでつくるのだとか。
ちなみに雪白は黒布など不要で、その長い尻尾で今も鬱陶しそうに火蝶をかき消していた。
「いいな、これ」
蔵人が物欲しそうに呟くが、ニルーファルは首を横に振った。
「それは集落のものでな。それに非常に手間がかかる。諦めてくれ。急ぐぞ、日が暮れる前に見つけたい」
ニルーファルの言葉に全員が頷き、一行は先へと急いだ。
なんとも奇妙な砂漠であった。
淡灰色の砂漠に、火蝶がひらひらと飛んでいる。
さらに、地球でいえば竜舌蘭という刺々しい植物に似た魔草が、ぽつりぽつりと点在している。ただし、刺々しい葉はまるで塩の結晶のようで、植物と塩の合いの子というのが一番近い。
「絶対に触るな。その棘が刺さると遠からず死ぬ。毒らしいが、解毒方法がない。症状が多すぎてどんな毒か判別もつかん」
ニルーファルは食い入るように周囲を見回している蔵人に注意する。
バーイェグ族からは『白牙』と呼ばれているこの魔草であるが、実は塩分というには過剰すぎる塩を纏っている。塩砂漠の塩を溜め込み、純度百パーセントの塩分を超えてなおも凝縮したと表現するしかない塩の結晶で葉を覆っていた。凝縮され過ぎた塩は人にとって毒で、醤油を一気飲みすると人にとって毒になるのにも似ているが、この塩はたった一度でも皮膚を傷つけて体内に入り込んでしまうと腎機能に重大な影響を及ぼすのである。
そうして歩き続け、蔵人たちは日が暮れる前に、ヨランダの痕跡を発見した。
すぐに、何があったかを察する。
放り出された塩の詰まった袋に、魔獣の骨でつくったらしい大きなヘラが投げ出され、その近くに塩で出来た古めかしい洞窟がぽっかりと口を開けていた。
「遺跡か」
蔵人がのぞき込むと、洞窟は緩やかに下へと向っているようだった。
「……ヨランダ殿は力試しが好きでな。おそらく、中へ飛び込んだのだろう」
あまりの脳筋ぶりに蔵人はついイライダを見る。
「アタシはそんなことしたことないさ……まあ、他の奴らはたまに聞くけどね」
全員は顔を見合わせ、ため息をついた。
行くしかないか、と。
すると暑さにうんざりしていた雪白が飛び込んでいった。
そしてしばらくすると戻ってきて、中へと促す。
ついでに危険がないか、確認してくれたらしい。
緩やかに洞窟を下っていくと、今度は洞窟から削り出したらしい門がある。
その遺跡の始まりである門を雪白は悠々と潜り、蔵人はそのあとに続くが――。
蔵人が消えた。
慌てて近寄るイライダたちであったが、蔵人の身に何があったのかをすぐに察した。
落とし穴である。遺跡に入った一歩目から、見事に落とし穴に落ちたのだ。
雪白が確かめたのになぜ、とイライダが雪白を見ると、雪白は妙に人間臭い仕草で肩を竦めてから、イライダたちに軽く目配せして、背に乗せていたアズロナと共に穴に飛び込んでいった。
雪白が確かめたとき、落とし穴はなかった。
だが、現にあって、蔵人は見事に落ちた。それはつまり、たった今できた落とし穴ということである。
雪白はこれによく似た現象を知っていた。
顔を見合わせるイライダとヨビ、ニルーファル。
蔵人の危機であるはずなのだが、雪白のあの表情は呆れを含んでいて、危機感など微塵も感じられない。心当たりすらあるようであった。
「……先に行こうか」
そう言いながら、イライダが奥を指差すと、即座に意味を悟ったニルーファルは頷いた。
「……そうですね、ユキシロさんもいますし」
雪白がいるならどうにかなるだろうと三人とも思っていたのである。
もはや立派な偵察要員となったヨビを先頭に、女三人は遺跡へと足を踏み入れた。
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一方見事に落とし穴に嵌まった蔵人は、落下直後こそ慌てたが、すぐに似たような出来事を思い出していた。
そして行き着いた先で巨大な女神像を見つけたときにそれは確信に変わった。
黒々とした石質の、裸の女神像が薄暗い空間にそびえ立っていた。見事な裸身に髑髏の首飾り、獣の頭骨や爪、牙の装飾品が彫り込まれている。
だが何より、顔がなかった。あるのは三日月型の大きな口だけで、目も鼻も眉もない。
美しさよりも、恐ろしさが先立つ女神である。
蔵人を追ってきたらしい雪白たちはそれを見上げ、首を傾げる。
そう、落とし穴に落としたくせに、なんら反応がない。
待っていても仕方ないか、と蔵人はとりあえずお供えものをと考えて、あまり物がないことに気づく。邪神っぽいとはいえ、よもや生肉やムカデを供えるわけにもいかない。
蔵人は少し悩んでから、仕方ないか、とそれを取り出した。
途端、雪白とアズロナが寄ってくる。
「お供えして、手を合わせて、それからなら食べていいはずだ」
密かにへそくっていた飛竜の燻製肉の匂いに涎を垂らす雪白とアズロナに、子供へ言い聞かせるような仏教習慣を言って制してから、蔵人は女神の足元に小さな布を敷き、酒とともに女神像の足元に供えた。
何も信心深いというのではなく、描かせてもらう礼儀という程度の気持ちであった。さほど力はないとはいえ、神は存在する。粗雑に扱っていいものでもないだろう。
ふと見るとアズロナは言われたとおり、翼腕を器用に使って拝んでいるが、雪白はぐるるっと苦悩のうめきを挙げ、長い尻尾をくねくねさせている。どうにか尻尾でできないかと試行錯誤しているようだが、そもそも尻尾一本しかないのだから、拝めるはずもない。
「雪白はいらないようだな。これで最後なんだがな」
雪白はぐぬぬと燻製肉と蔵人の憎たらしい顔を交互に見ていたが、意を決してぬっと立ち上がり、大きな前脚で手を合わせた。
これでどうだっとばかりの雪白であるが、蔵人は立ち上がるとつかつかと地下より、その真っ白な腹に指を這わす。
――ぐるあっ
くすぐったいのと、蔵人の意味不明の行動とで動揺するも、拝むのを辞めるわけにはいかない。しかも二本足で立ち、尻尾でそれを支えているから反撃もできない。
蔵人がいつもの憎たらしい顔をしているかと思うと、すぐにでもマルカジリにしてやりたいが、そうすると燻製肉が食えないかもしれない。
雪白は憎しみと欲求の狭間で揺らめきながら、腹の毛を指で梳いている蔵人を睨むことしかできなかった。
『――ケタケタケタケタケタ』
突然、奇怪な笑い声が響く。
だがそれを聞いた雪白は容赦なく蔵人を押しつぶし、のしのしと燻製肉に近寄っていった。蔵人を心配げに見ていたアズロナだが、雪白が尻尾に乗せた燻製肉を鼻先に置かれると、ちらっと蔵人を見るも、まるで釣られるように燻製肉に食らいついた。
もっきゅもっきゅと最後の燻製肉を味わうアズロナ。すでに食べ終わり、口内に残った肉の余韻に目を細める雪白。
そして雪白が燻製肉を味わう間はずっと雪白に踏みつぶされていた蔵人はというと、今は悩んでいた。
それはもう腕を組み、眉根に深い溝が刻まれるくらいに。
あの不気味な笑い声のあと、雪白に踏みつぶされたまま忘れられた神と話したのだが、そこで難題を持ちかけられたのである。
『セレ。我、所望、絵。頼み、一つ』
拙いというよりは言語能力すら劣化してしているようで、心に響くその声は壊れかけのラジオのように感じられた。
それを何度も聞き返してわかったのは、要するに『顔を描いて欲しい』というのが神の頼みであるようであった。
女神の名はなかった。
ただ、『恐怖』という意味合いで扱われ、名を言うことすら恐れられていた。
かつて集落の外は闇が広がっていた。未知の現象、未知の魔獣、集落から一歩外に出れば闇と恐れが支配する、人知の及ばぬ土地であった。曖昧な恐怖が生み出したものゆえに、その姿もまた曖昧で、顔がない。
すべて呑み込む闇を表現するように、黒い円に大きな口の神が生まれた。女性神格がつけられたのは後年のことであったが、それでも顔はないままであった。
極めて原始的な神であったが、恐怖ゆえに長く畏怖されるが、黒賢王の時代前後に廃れたという。
『顔、欲しい。皆、同じ』
同じ神どころか人にも顔は存在する。信仰される者に忌避されてはいても、信仰者がいなくては神は存在しえない。ゆえに神はどれだけ忌避されようが本質的には信仰者を愛し、庇護する。
その愛した信仰者と同じように、顔が欲しいというのがこの名も無き神の頼みであった。
しかし、顔を描いてくれと言われても、あまりに漠然としていて蔵人は困り果てた。
その信仰者とやらと同じような顔を描くべく、名も無き神に聞いて見るも、記憶すらも欠け始めており、覚えていない。
そうなると蔵人が独自に顔を描くということになるのだが、結局誰かに似てしまう。
何度か雑記帳に下書きしてみたが、パビル族に似てみたり、水晶系地人種のディアンティアに似てみたりとしっくりこない。仮にも神の顔を、凡俗な人の顔と同じにしてはいけない気がした。
何より、『恐怖』というものがまったく現れない顔にする気は一切なかった。悪神や邪神を滅ぼすとされる両腕のない女神セレは厳格な、獣と子孫繁栄を司る混古は原始的な母性を現わすかのような柔和さと強さがあった。
どうすれば『恐怖』や『畏れ』というものが表現できるか、蔵人は名も無き神の肖像をスケッチしながら、考え続けていた。
「――これしか思いつかなかった」
おおよそ一昼夜考え込んだ蔵人は巨大な女神像によじ登り、そこに顔を描き、何度か見直してから、女神に確認した。
『……良。嬉。感謝』
切れ切れな言葉であったが、その声色は弾んでいた。そして――。
女神像に顔が刻まれた。
なんの脈絡もなく、石像に顔が彫り込まれた。
大きな一つ目と、申し訳程度のちんまりした鼻。
蔵人が描いたのはそれだけ。
不気味な得体の知れ無さと、愛嬌の両方を確立するために、アズロナをモデルにした。
慣れてしまえばアズロナは無邪気で可愛らしいが、客観的に見れば不気味である。それを真似させてもらった。
「不服はあると思うが、お揃いってことで勘弁してくれ。俺が描くと結局、人の誰かに似る。神さまが人に似るっていうのもあれだろ? それなら、人に似せないほうがいいかと思ってな」
お揃いという言葉に、アズロナがバサバサっと飛び上がり、ふらふらと女神像の顔を見つめた。
――ぎうっ
『……同。ふ、ふ、ふ』
アズロナ、そして名も無き神もどことなく嬉しそうにしていた。
神であるからこそ、繋がりが欲しい。それもどこぞの誰かに似ているという不確かなものではなく、現実的なつながりが目に見える形で存在することは、喜びであった。
「感謝。望、少、叶える」
蔵人は躊躇いなく、イライダたちとの合流、そしてこの遺跡からの脱出を頼んだ。
「可」
名も無き神が即座に了承し、そして蔵人の前にイライダたちが降ってきた。
全裸で。
イライダだけは見慣れぬ武器を持っているが、ほぼそれだけ。
蔵人は無言で見入ってしまう。
実戦で鍛え上げられた褐色の肉体は男顔負けであるが、イライダの豊満な女性美は決して損なわれておらず、雌獅子のような野性的で誇り高い美があった。
白い肌に細面のヨビであるが、うっすらと腹筋の浮いた柳腰とそれに不釣り合いなほど大きな胸は肉感的で、全身に微かに残る古傷と黒く艶やかな翼膜も相まって背徳的な美が漂っている。
ニルーファルのダークグレーの肌と目元の涙型の刺青はどこか人間離れした異質さを感じさせるが、極端なまでに肉感的な肢体によって、まるで男を誑し込む女悪魔のように蠱惑的であった。
イライダたちはしばらく何が起こったかわからない様子であったが、無言で凝視する蔵人の存在に、すべてを納得した。お前の仕業か、と。
当然海千山千のイライダたちが悲鳴など上げるはずも無く、それぞれが秘部を手で隠しながらも、蔵人へ言い放つ。
「……もう少し遠慮ってもんを覚えたらどうだい?」
「ご主人様……」
「男の欲求は理解するが、時と場所、相手を選べ」
イライダは呆れ顔で、ヨビはわざとらしく哀しげに、ニルーファルはいつものように叱りつけた。
そんな三人の反応に、蔵人は血涙でも流しかねない無念さを滲ませて、目を逸らした。
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蔵人が落とし穴に落ちた後、遺跡を進むイライダたちは、索敵するヨビを先頭にして、残り二人がそれに続いた。
不意討ち可能な相手にはヨビが空中から背後を強襲し、避けられない魔獣はニルーファルが切り伏せるか、イライダがハルバードで突き殺した。
もちろんニルーファルに言葉は通じていない。
だが、簡単な指の合図だけで連携できてしまうほどに、三人の女は巧みであった。
あっという間に遺跡の半ばまで到達する。
かつて雪白と蔵人がしたように、財宝などには目もくれず、イライダの知識とヨビの種族特性である反響定位、ニルーファルの現地人らしい経験則で突き進んだ。
ある程度の食料や水は持ち込んでいるが、長く滞在する余裕などなかった。
通路の先にある開けたところから、光が漏れていた。
そしてそこに、全裸の女が倒れていた。
母だった。
遠目ではあったが、赤い髪と褐色の肌、そして何より倒れてなお好戦的な笑みを浮かべているその顔が、イライダによく似ていた。
「……妙な再会になっちまったね」
イライダはそう呟きながら嫌そうな顔をする。何も母が気に入らないのではない。
「大事な装備があるなら脱いだほうがいい」
母は全裸で昏倒していた。武器も防具も服もとかされて周囲に残骸ちらばっているのである。
武器防具を溶かしてしまう魔獣がいる、そのことにイライダは顔を顰めたのであった。
遺跡の番人というほどではなく、番人の手下という程度の魔獣はあっさりと三人に屠られた。
だが案の定、服や防具、武器すらも溶かされてしまう。
手に入れたのは報酬である一組の弓と槍であった。
『虹弓』と『星槍』。
弓に槍がつがえるようになった代物。それぞれ弓と槍としても使えるが、この弓で射たときのみ槍は戻ってくる。イライダをしてぎりぎり引ける強弓が放つ槍の強さは、放たずとも想像に難くない。
「上手く扱える者が使うべきであろう。ヨビの武器はあとで見繕う。腕のいいドゥオフが――」
ニルーファルが蔵人がいるつもりで、ついそう言ったところで――落ちた。
広場全体が大穴になってはさしものイライダたちも反応しきれず、唯一空を飛べるヨビであったが、なぜか風精の反応が悪く、そのまま落下するしかなかった。
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ニルーファルとイライダ、そしていまだ倒れ伏すヨランダは、一緒に落ちてきた黒布を身体に巻きつけ、ヨビは蔵人から渡された龍華風の外套を羽織った。
ついでに戦闘でサングラスを無くしてしまったヨビの目に直接、蔵人が『半透明の黒い幻影』を纏わせた。どことなく目の輝きが死んで、ますます背徳感が高まった気がするが、これより他にない。
「また妙なことになったね」
蔵人から忘れられた神の頼みについて聞いたイライダであったが、さすがに神の話となるとお手上げだった。いるかいないかと言われれば、いると断言するほかないイライダであったが、だからといって神にあったことなどなく、この女神像が本当に神なのかなど判別できるわけもない。ただ――。
「しかしよりによって一つ目とはね。サンドラ教の連中なら一発で邪教認定しちまうよ?」
確かに裸身に髑髏の首飾り、獣の頭骨や爪、牙の装飾品、そこに一つ目となれば、完全に邪神にしか見えない。というよりもおそらく神としての役割は邪神鬼神の類であろうことは蔵人もわかっていた。
とはいえ、名も無き神とアズロナが喜んでいるのだからそれで良しとすればいい。アマチュアが出来るのはこんなものだ。
ただ忘れられた神のことを知ったニルーファルは少し違っていた。
「そういうことなら、族長に頼んで、うちでも記録しておこう。さすがに信仰まではできぬがな」
これが信仰か否かは定かではないが、セレたちが望んだように、かつて存在したという神の記録がここで初めて歴史の表舞台に刻まれることとなった。
「――んっ」
小さなうめき声に、その場にいる全員の視線が集中する。
「……おや、アタシの娘のようだが、他のご先祖さまはどこにいるんだい?」
どうやら自分が死んだと思っているらしい。
蔵人が慌てて通訳した。
「生きてるよ。アタシも、そして母さんもね」
するとヨランダは周囲を見渡し、見慣れない顔ぶれの中に顔なじみのニルーファルを見つけ、ようやく理解し、起き上がる。
すると黒布がはだけ、露わになる素肌。吸い寄せられる蔵人の目。
背こそイライダより僅かばかり低いが、イライダを人種換算であと十数年老けさせればこうなるであろうといった容姿のヨランダであるが、十分に蔵人の目を惹いた。目元の小皺などまったく気にならないどころか、むしろその年輪に思いを馳せることで、より魅力が引き立った。
だがヨランダは蔵人の視線など気にした様子もなく、イライダをじっと見つめた。
「娘に助けられるなんて……悪くないもんだね」
イライダによく似た笑みをニッと浮かべ、ヨランダは立ち上がって、イライダに近づくと、そのまま抱きしめた。
「だろ? アタシも母さんを助けるのは初めてで新鮮だったよ」
ヨランダは拙いながらもミド大陸の言葉を話し始め、イライダにも聞き取ることができた。
「よく鍛えてるね。ロジオンに任せて正解だったよ。そうだ、ロジオンはどうしてる?」
ヨランダは呆気ないほどあっさりと身体を離して尋ねるが、イライダもそれを残念がるそぶりすらみせず、答える。
「アタシが成人してしばらくしてから死んだよ。仕事中に魔獣の暴走を見つけて、単身で挑んだそうだ」
「そうかい。で、ロジオンは何匹殺った?」
「三百と十七だ。緑魔と大魔の群れを食い止め、大魔の主と刺し違えたらしい。村に被害はなかったってさ」
「ふふふ、さすがロジオンだね」
ヨランダは離れ離れになったことをイライダに詫びることもなく、愛する男の死にも嘆かず、その名誉を称えた。
イライダも恨み言一つ言わず、再会のみを喜んだ。
その再会にしたところで、極めてあっさりしたもので、蔵人としては首を傾げるほかなかったが、巨人種とはこういうものだと言われてしまえば、それまでであった。
こうしてヨランダを見つけた一行は、しばらくしてから名も無き神に見送られ、無事、遺跡を脱出した。
黒布のシーン、少し追加。大筋に影響はなし(2017/01/31)