11-ハンター②
谷を抜け、低地の森林帯を越えたところで野営をし、朝靄のかかる早朝に出発した。
わずかに積もっている雪を踏みつけながら、十五人の集団は刺々しい葉をもつ木々に分け入る。
明らかに植生がかわり、ハンターたちの顔色も真剣なものにかわった。
すでに『悪夢』のテリトリーにいるのだ。まだ眠りの最中とはいえ油断はできない。この山を知るハンターならば慎重になって当然であったが、この集団はどことなく浮足立っていた。
『勇者』の少女に関して言うならば現実主義のハンターとしてはその性ゆえに信用しきれていなかったが、高精度の索敵能力はあって困ることはない。本人も我儘を言わず黙々とついてくるのだからそれほど問題ではなかった。
問題はその少女に対して執拗に絡む、ザウル・ドミトール・ブラゴイというハンターであった。
何かあれば「卑怯者のローラナ」と公言して憚らないこの男はこの狩りでアカリをまともに扱う気などなかった。
ローラナ王室のごり押しで派遣されたハンターが五十年ぶりの白幻討伐を成した。その獲物は過去に例のない大きさであり、そのこともまた参加したハンターと『勇者』の名を大陸中に轟かせた。
何から何までザウルにとって気に入らなかった。
ザウルはエルロドリアナ連合王国ドルガン議会旧貴族系議員の三男で、中央政府のあるローラナを敵視している。これはドルガン人全体に言えることで、ある種の気質とでもいうべきものであった。
ローラナ、ドルガン、ブルオルダ、イングート、アド・アラニアの五つの地域は、二百年ほど前にエルロドリアナ連合王国となり、ローラナに中央政府を置いた。
しかし長い時間をかけてもドルガンの気質はまったく薄れることなく、今もくすぶっている。
その理由として遡れば千年以上の積み重ねがあるのだが、一言で言ってしまえば『ローラナ人なんてキライだ』ということに集約された。
そんな間柄のローラナがドルガンのハンターを差し置いて、五十年ぶりとなる白幻討伐を成功させたとあってドルガンのメンツは丸つぶれになった。
ドルガン議会は紛糾した。
辺境を多く抱え、魔獣とモンスター相手に戦いを続けたドルガンにとってハンターは誇りである。それがローラナにおくれをとるとは何事か、と。
議会の総意として、
『遭遇さえできればイルニークなど騒ぎ立てるようなものではない。
『勇者』様のお力を借りられれば、あっという間に狩って見せよう。ローラナも『勇者』様のお力を借りたのだから文句はあるまい』と。
それをローラナ中央政府に押し込んだ。
明らかに『勇者』の部分に揶揄をいれて。
中央政府にとっては王室が独自にゴリ押ししてしまったとはいえドルガンのメンツをつぶしてしまったのは事実である。ドルガンとの関係を下手にこじらせて分離独立など計られては目も当てられない。
たかが狩りと思いながら、しぶしぶ了承した。
そしてドルガン議会は議会の名でアレルドゥリア山脈のふもとの村の掟を強権で抑え込んで、白幻討伐者を指名した。
そしてくじ引きにさえ当たればいつでも狩れると豪語していたザウルに白羽の矢が立ったのだ。
実際のところは村の掟を破ることを好まない有力なハンターが軒並み断ったというのが事実だったが、ザウルはそれを腑抜けどもがと鼻で笑っていたという。
ザウルにとってどこの馬の骨とも知れない勇者の力を借りねばならないことすら気にいらなかった。
ドルガンのハンターが白幻討伐を成すのだ。そうでなくては意味がない。
ザウルは忌々しげにアカリを睨みつけた。
とうのアカリは何も言わず、黙々と歩いた。このハンターに関わる気は一切なかった。というか、もううんざりしていた。召喚された学校では冷遇され、呼ばれたかと思えば王室の我儘をきかされたり、政治に右往左往させられて、この一年でクタクタになっていた。
狩れようが、狩れまいがどうでもいいという心持である。
そんなちぐはぐな空気がハンターたちの調子を狂わせていた。
それは、突然だった。
白い獣が木々の合間から飛び出すとハンターたちのまえを横切る形で立ち止まった。
不自然なほど突然のことにハンターたちは周囲を見回す。
白幻が出現するという標高からは外れており、ハンターたちもまったく気配を感じなかった。そのうえ、いままではぐれ狼程度でも警告のあったアカリという少女の反応もなかったのだ。
白い獣はまた、ふっと消えるように木々に消えた。
その中でもザウルの目はしっかりと木に跳びあがった獣を捉えていた。
ハンターとしての腕が悪いわけではないのだ。
「おいっ、どうなってやがるッ」
言うや否や、ザウルは追いかけた。
「待って――」
「使えねえ奴は黙ってろッ」
アカリの制止は振り切られた。
アカリの力がまったく反応しない中での遭遇にこれ幸いとばかりにザウルはアカリの言葉を聞かなかった。
他のハンターも躊躇いながらも追いかけた。くさっても雇い主である。
仕方なくアカリもそれを追いかける。
追いついたイルニークとおぼしい獣は大きな岩の上で毛づくろいをはじめていた。
まるで人間を意に介した様子のない仕草にハンターたちはさすがに戸惑いを浮かべる。
しかし、ザウルはそんなことお構いなしといった様子で、一斉攻撃の合図を出す。
ハンターたちは戸惑いながらも雇い主であるザウルに従って、弓や杖を取りだして構えた。
やっとアカリが追いついて、制止しようとして――。
――ザウルはそれを無視して、合図した。
追い風を受けた矢とそれに混じるように雷撃がイルニークに向かった。
そして直撃。
ザウルは確かな手応えに笑みを浮かべた。
その笑みは次の瞬間にこおりつく。
確かに直撃はした。
イルニークのいた『岩』が動いたのだから。
冬越えのために文字通り『岩』となって眠っていた大棘地蜘蛛に炸裂したのだ。
イルニークなど姿も形もない。
『悪夢』と呼ばれる大蜘蛛の光沢のある八つの銀眼が光を帯びた。
大牙がもそりと動き、八つの脚と身体から生える円錐形の石のような大きな棘がギシリと音をたてた。
本来、大棘地蜘蛛を一度でも狩ったことのあるハンターならば専用の装備も準備もしていないこの状態でのとりうるべき選択肢は『逃げ』の一択である。
しかし、この場でのそれはザウルしかいなかった。それが運命を決した。
見上げるほどもある大蜘蛛。
ハンターたちに『悪夢』と称されるそれは前進しだした。
ザウルは矢を放つ。
撤退など考えもしなかった。
それにつられるように他のハンターも火力をたたきこんだ。
それでも前進はとまらない。
矢も魔法もものともしない体表にはうっすらと土が覆っていた。
大棘地蜘蛛は地面に張り巡らせた糸からの情報をもとに待ち伏せて獲物を襲うといわれ、獲物を追いかけて襲うということはしない。
その大棘地蜘蛛が唯一敵を殺しきるまで追いかけるのが、石化の前後に攻撃を加えられた時であった。
ぎこちなかった大棘地蜘蛛の動きが変わる。
石化がとけきっていた。
怒りに狂う大棘地蜘蛛は一息でハンターに詰め寄った。
それだけで、ハンターの集団が瓦解した。
制止しようとしていたアカリは茫然とそれを見つめるしかなかった。
さっきまでは存在しなかった赤点が、脳内の地図に現れていた。
もともと、赤点はなかった。
イルニークが目の前にいるにも関わらず、赤点はなかったのだ。
赤点としてあらわされる一定以上の力というのは確かに不安定だが、目視できる範囲で自らが敵いそうもないと思った相手はまず間違いなく赤くマーキングされるのだ。
だから、
だから今さらなんだというのだとアカリはへたり込んだ。
逃げ惑うハンターと何かが咀嚼されるような音。
「帰りたいな……」
アカリは無意識にそうこぼしていた。
大棘地蜘蛛の八つの目が、藪の中のアカリを見つける。
アカリは全てを諦めた。
その騒動の最中、誰に気付かれることもなくアカリをさらい、その襟首をくわえた雪白が山を駆けのぼった。