10-ハンター①
二度目の吹雪明け、蔵人はハンターを見つける。
見なれないハンターたちの後ろには、黒髪の少女がいた。
同郷の召喚者が何事もなく去っていったあと、蔵人は仔魔獣の世話で洞窟から出ることはなかった。
煮て溶かした携帯食を与え、排便を促し、身体を洗ってやる。一人だった生活が途端に忙しくなってしまった。
一年分あった携帯食は、百八十日の洞窟生活で頻発した気絶によって半分以上残っていたが、同じくらいが仔魔獣の腹の内に消えていった。
蔵人自身は親魔獣が残していった獲物の肉と毒も益もないような野草を食べた。携帯食に飽きていた。
いつまでも名がないと不便だなと考えたもこの頃で、蔵人は仔魔獣を両手で抱えて目の前に持ち上げ、はてオスかメスかなどと不届きにも股間を確認した。
ぶら下がっているものが表にはなさそうであるが、そもそもぶら下がっているものなのか、体内にあるのではないのか。ひっくり返したり、覗きこんだりしたが、地球でも哺乳類の類を飼育したことのなかった蔵人には判別がつきそうになかった。
この時点で若干、仔魔獣のゴキゲンが悪くなる。
結局、オスでもメスでもいいように『雪白』と名づけたのだったが、最初にシロだのシロクロだのつけようとして、ついに雪白の尻尾で顔をひっぱたかれたのは知能が高いと知っていて無神経に過ぎた蔵人の自業自得である。
雪白と名づけられた仔魔獣はしばらくつーんとして蔵人にそっぽを向いていた。
そんなドタバタであっという間に時は過ぎ、ようやく雪も完全に融け切って冷たい風の中にときたま温かな風が混じるようになった。
雪白は白黒の長い尻尾をくねらせながら岩の突き出た斜面や峻嶮な山肌を次から次に飛び移っていた。
九〇日ほど経った現在、雪白は中型犬ほどの大きさになった。大きさ以外は親魔獣にそっくりである。
その性格も似たようである。
現に今、あの憐れむような視線を蔵人に向けていた。
斜面の植物につまづいてすっころんだ蔵人を、あの日の親魔獣のように岩の上から立ち止まって見下ろしていた。
それもいたしかたないといえた。
食べられる野草と毒草の判別も、小動物の狩りも、外敵からの逃げ方も、すぐに雪白のほうが順応して見せた。
蔵人が毒草毒花毒キノコを摘みそうになっては尻尾で指導され、小動物に気配をさとられては憐れまれ、大きな棘だらけの蜘蛛の糸に引っ掛かっては一人と一匹でなんとか逃げ切ったあとにペシンペシンと尻尾で抗議する。雪白がいなければ蔵人はエサとなっていただろうということは言うまでもない。
魔獣は生まれつき精霊や魔力が見えると魔法教本にはあったが、親に習ったわけでもないのに採取・狩り・逃走ができるというのは全ての五感にその力が付随して発揮されているせいであった。
背の低い草木や小動物が繁茂している中、蔵人は山の生活に揉まれていった。
そんなことを繰り返しているうちに、また吹雪がやってきた。
ナイフのキズは四百本となり、蔵人は暫定的にこれを一年として自らの歳を二六歳とした。
蔵人はおよそ四〇〇日で季節が一巡すると仮定した。猛吹雪の厳冬期が一八〇日、雪がとけたりそれが凍ったりとを繰り変えす寒冷期が九〇日、動植物が活発に活動する温暖期が四〇日、そこから文字通り日一日と冷えて厳冬期に向かう九〇日の、おおよそ四〇〇日であった。
上下の見境なく吹き荒れる音を聞きながら、蔵人は三本角の鹿の尾から作ったタワシのようなブラシで雪白を梳いていた。
皮のほうは肉を食べるためにボロボロにしてしまい、残った尾をもったいないなと手慰みに作ってみたら雪白はこれをいたく気に入ってせがむようになっていた。
蔵人にとって厳冬期は籠るしかなかったが、雪白にとっては違うらしく毎日のように外へ出かけては、たまに獲物を取って帰ってくる。
帰ってくると蔵人が洞窟の床をくりぬいてつくった風呂に飛び込み、それが終わると水を払って蔵人の前に寝そべって催促するのだ。
外からせっせと雪を運んで火精で湯を沸かすのも、風呂上りの雪白を乾かしながら梳くのも当然蔵人の仕事である。
今シーズンまともに狩りも採取もできなかった身としては何もいうことはなかったが、託されたのか、保護されたのかやはりわからないなとひとりゴチる蔵人であった。
部屋も一つ増えていた。
最奥の部屋のさらに奥に作られた蔵人の作業部屋兼運動場である。幅は両手を広げられるより少し余裕があるくらいだが、縦長になっており入り口近くは怪しげなものが雑然と置かれ、奥は弓が放てそうなほど奥行きがあった。
蔵人はここで親魔獣の残した獲物の使えそうな部位や自ら採取したものをここでいじくりまわしたり、魔法の練習、筋トレなどをするのに使っている。
用務員をしようと考えるくらいには多少なりとも器用であったが、せいぜいが日曜大工程度である。
できたブラシも不格好なタワシといえなくもなかったことから御察しであろうが、本人は使えなくはないと至って前向きであった。
そんな微妙に充実しつつある雪山生活をこなしていると二度目の厳冬期が終わった。
やはりだいたい一八〇日であると蔵人はまず洞窟に一文字を掘った。
そしてすぐに蔵人と雪白は夜明けとともに洞窟を飛び出した。
雪白はほぼ地球の雪豹と変わらないくらいになり、今も一〇メートル近い岩をひょいと飛び上がって周囲を見渡している。
ハンターの有無を確認しているのだ。
厳冬期中に蔵人は雪白に対して親魔獣が討伐された夜のことを説明したうえで、次の討伐日をどうするか、話し合った。
話し合ったといっても蔵人が話し、それに雪白がうなづいたり、嫌がったりする程度だ。
その中で雪白も蔵人も仇を討とうとは考えてはいなかった。
見つからないように隠れ潜む。逃げ回る。
かくれんぼである。
但し、絶対に見つかってはならない。
この地より逃げ出すという手もあるがそれは雪白が嫌がった。
この山から逃げてしまうというのと見つからないというのは、雪白にとって違うようだった。
ナワバリを意識しているのだろうか。
だとしても蔵人はそれに従うだけだ、雪白の運命である。
年に一度のことだ、逃げまくればいい。
おそらく三日、厳冬期空けの三日を過ぎれば彼らは諦めるだろうと蔵人は考えていた。
大きな棘をもった巨大な毒蜘蛛が三日を過ぎればこの山を闊歩しはじめる。以前に蔵人がひっかけた糸もこの蜘蛛の糸で、あの姿は二度と見たくないと蔵人に思わせるものだった。
親魔獣にも匹敵しそうな大蜘蛛を悠々と倒しながらここまでくるハンターがいれば逃げるしかないが、それなりのハンターなら避けて行動するはずだ。
それが三日の期限である。
イレギュラーの存在さえなければ、雪白が見つかることはない。本気で隠れた雪白を当然蔵人は見つけられなかったし、至近距離まで獲物には気付かれないようだった。
ターゲットは雪白だ。
蔵人は見つかってもいいのだ、ただの人間なのだから。
多少不審に思われようとも、いかようにもなる。
そんな風に思っていた蔵人の目が急に細められる。
岩棚の遥か下、ハンターの集団を捉えた。
その中にアカリという黒髪の少女の姿があったのだ。
雪白よりも先の発見であったが、蔵人に喜びの様子はなかった。
峻嶮な山間の谷にその集団はいた。
数は十五人。
各々違う格好をしているのは救いだろうか。
明確に雪白のいる方向へ、あと一日もあれば到着しそうである。
事態としては非常に面倒なことになったと蔵人は眉をしかめた。
詳細は分からないが、同郷の召喚者は高度な索敵能力をもっているらしかった。
まず間違いなく見つかってしまうだろう。
場所を常に把握されては雪白とてどうにもなるまい。