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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第五章 砂漠と荒野の境界で
106/144

103-荒野の街で

あらすじ:どうにか尋問から解放された蔵人は、ラロに引きずられて酒場に向かっていた。

「……ここは」

「いや、すまん。ちょっと思い出してな。なに、変なところじゃない」

 ラロに案内されて辿りついたのは、街の中心部にある石造りの建物だった。アーチ上の出入り口らしき大きな扉には、兵士やハンター、傭兵、さらには一般人もつめかけている。

 扉の近くには大きな看板が立てかけられていた。


『【聖地奪還】

 主演アベル・コーエン、クラリス・エフタール』


 劇場であった。

 緊張の続くこの地で、兵士やハンター、一般市民を慰撫するために演劇が行われているらしい。

「牢にぶち込まれたときはチケットが無駄になるかと思って忘れてたんだが、思い出してな。間に合ってよかったぜ」

 一枚のチケットで三名ほどが入れるが慰撫が目的であるため、立ち見のチケットは比較的安価だという。

 チケットを提示したラロに続いて薄暗い劇場に入ると、広々とした舞台が目の前に広がっており、客席は一階部分の立見席と二階、三階の特別観覧席に別れていた。

「上なら確実にクラリスに会えるんだが、高いし、コネもいる。……いつか会ってやるぜ」

 クラリスとは主演女優のことで、どうやらラロは女優にはまっているらしい。まあ、これくらいなら付き合ってやるかと、蔵人は何も言わなかった。

 一階の立見席が一杯になり、しばらくすると劇場の内部が暗転する。ざわついていた客席は次第に静まっていき、そして舞台に光が注がれた。



 そこは暗黒の地となっていた。

 およそ一万年前。魔王を討伐した賢者が魔王の復活を監視するために建国され、千年の栄華を誇ったと言われるレシハームだったが、今はかつての栄華を失い、悪徳の地に変わり果てていた。

 残虐なハイスケルトンが同胞を奴隷にし、赤き大蛇に生贄として捧げていた。ハイスケルトンに従う者は横暴に振る舞い、そうでない者は抑圧され、服従を強いられていた。禍々しい紫煙が街のそここから立ち昇り、死してなお使役された邪悪な骨たちが闊歩していた。

 そこへ船に乗って現れたのは、精霊神に祝福されし精霊教徒たちとその盟友たちであった。

 精霊神に導かれし英雄であるカインと杖をとってその背中を守る妻のショシャナーは、同胞の解放と契約の地の奪還を掲げ、黒衣を纏った魔骨王(スケルトンキング)が率いる軍勢に立ち向かった。

 二人は軍勢を率いて幾多の困難を乗り越え、そしてついに魔骨王を倒した。

 多くの同胞が救われたが、それ以外にも二人は魔骨王に従わざるをえなかった者たちを許し、迎え入れ、同胞とした。

 こうしておよそ九千年を経て、精霊教国レシハームは再興した。



 至って単純な筋の物語であるが、それだけに分かりやすく、面白い。

 特にショシャナー役の女優クラリスは美貌もさることながら、慎ましさと強さを併せ持つ人物を見事に演じきっていた。

「美人だろ。ちょっとだけエルフの血が流れてるんだってよ」

 ラロは舞台を見つめたまま、誰にともなく呟いた。

 確かに金髪碧眼で、身体の線も細い。起伏は激しいのだが、全体的に細く、どこかエルフを思わせた。


 精霊教徒にとってエルフは特別な存在である。

 人種が精霊魔法を使えなかった時代、それは精霊神を信奉する精霊教徒も例外ではなかった。しかし、エルフだけは精霊魔法を行使しており、精霊教徒はエルフに対して密かな憧れを抱いていた。

 それは今も変わらない。

 蔵人たちが早期に釈放されてあの尋問程度済んだのは、月の女神の女官長であるソフィリスがハーフエルフだということも多少なりとも影響していたほどである。

 ちなみに、クラリスなどと呼び捨てにして、主演女優にドはまりしているらしいラロは精霊教徒ではない。そしてもちろん蔵人も精霊教徒ではないが、主演女優の美しさは否定できないものがあった。


 だが蔵人は主演女優よりも、二人を導く精霊神の使いを演じる脇役、小人種の女が気になっていた。

 まず、その鮮やかなピンクの髪が目を引いた。普通の人種よりも遥かに多く、長い。

 そして小柄だが、その顔は決して幼くはない。一見するとエルフをそのまま縮小したようにも見えるが、エルフほど超然としてはおらず、肉感的で官能的。そういう意味ではハーフエルフを小さくしたともいえる。

 小柄さが醸し出す幼さや弱さと、大人の女が発する色気が混じり合い、妖しげな美貌を放っていた。


 蔵人は無意識の内に雑記帳と筆を取り出し、描き始めていた。

 隣のラロは夢中でクラリスを見つめている。

 どれくらい時が経ったか、蔵人は何度か舞台に目をやっている内に一度だけ、小人種の女優と目があった気がした。

 だが、そんなことはよくあることで、気の所為に過ぎない。自分がじっと見ているのだから、目が合わないほうがおかしいのである。



 いつのまにか劇は終わり、ラロは出待ちでもするのか、人の波に紛れてどこかへ行った。

 ぞろぞろと観客が消え、蔵人はそれでも絵を描き続けていた。記憶が薄れない内に仕上げておきたかった。

「――見せてちょうだい」

 あの脇役を演じていた小人種の女が、蔵人の前に立っていた。ドレスの上から毛皮のコートを羽織っている。

 突然声をかけられて驚く蔵人だったが、観客のいなくなった客席で絵を描き続けていれば目立つわけで、小人種の女が接近するまで気付かなかったのは絵に没頭していたからである。


 勝手に描いたら不味かったらしい。

 蔵人は雑記帳を渡した。

 龍華国でエロ絵扱いされたため、捕まりそうな絵の雑記帳とそうでないものを分けてある。露出の少ない絵ならばたとえ誰かに見られても影響はないと、大人しく渡したのである。


 自分の絵以外にも、勝手にパラパラと他の絵も見る小人種の女。そして――。

「……ふーん、描いてる女の全てに恋してるみたいね」

 予想もしなかった感想に蔵人はマヌケ面を晒す。

だがすぐに、

「――でもこんなんじゃあ駄目。もっと価値のある絵を描きなさい」

 小人種の女は自分の絵を破り取り、一瞬で燃やした。火精魔法である。


 挑発的な物言いを残し、小人種の女はカツカツとヒールの音をさせて去っていった。

「……突風みたいな女だな」

 蔵人はそんな風な感想を漏らすが、怒りはない。勝手に描いたのだから破棄されても仕方ない。

「――いやあ、すまんすまん。……どうかしたか? 街中で緑魔王(ゴブリンキング)でも見たような顔をしてるぞ?」

「いや。……まあ、似たようなもんか。あの脇役の、小人種の女の名前、分かるか?」

「ん? 小人種? ……ああ確か、ナダーラ・ヤグ。最近舞台で良く見るようになったが、小人種だからな。すぐに飽きて消えるだろ。それより次だ、次」




 劇場を出るとすっかりと日は暮れて、頬に当る風が冷たくなっていた。

 蔵人を連れたラロが足早に向かったのは街の東にある、二級市民が多く住むエリアの中でもさらに猥雑な場所だった。未だケイグバード時代の泥土造りの家屋が建ち並んでいる。

 その一角にお世辞にも綺麗とはいえない酒場があり、ラロの目的地はそこであるようだった。


 ラロがドアを開ける。

 すると、むっとするような熱気に酒と煙木の匂い、さらに濃い人の匂いが鼻をついた。

「ここはな、流れのハンターや傭兵のたまり場さ。――親爺、いつもの」

 ラロに連れられて隅のテーブルに座ると、値踏みするような視線がちらちらと蔵人に向けられた。

 流れのハンターや傭兵たちは酒を呑み、肩口まで大きく胸元の開いた衣装を着た娼婦のような女を侍らせ、知り合いと馬鹿話に興じながらも、新入りらしい蔵人を密かに観察している。

 蔵人はそれを無視してメニューらしきものを探すが、ない。

「ああ、ここはいろんな国の奴が集まってるからな。出てくる料理は親爺の気分次第だ。酒はミド大陸のもんは高いが、あれは安い」

 周りの男たちが呑んでいる、ワインにも似た薄紫色の酒。

 レシハームの西にある緑地で育てられている果物から作られた酒であった。葡萄に似ているが、実り方はリンゴと似ていて、リンゴほどもある葡萄の粒が一つずつ実るという。


 ラロはカウンターでその安酒を受け取り、蔵人に渡した。

「……割り勘と言いたいところだが、それほどないぞ?」

 レシハームの物価は高い。

「馬鹿にすんなっ、オレの奢りだ。……と言いたいところだが、奢るのはその酒と安いツマミだけだ。持ち込みなら安くなるが、今日はないしな。――乾杯だ」

 上機嫌なラロがジョッキを軽く掲げ、蔵人もそれに合わせた。


「――おう、ラロじゃねえか。捕まったって聞いたからよ、ついに人妻に手ぇ出したのかと思ったぜ」

 屈強そうな人種の男が腕に女を抱いてラロに話しかける。

「おいおい、よしてくれよ。ここじゃあシャレになんねえって。なに、ちょっと保護区に女の使いで行ったら、上から親父の拳が降ってきただけだ」

「運のわりい奴だ。いや、他のハンターはまだ帰ってこない奴らもいるから、運がいいのか」

 黙って何も言わない蔵人を、ちらと見る男。

 それを見て、ラロが答える。

「おう、一緒に行ったこいつと保証人のお陰さ。なんだかよくわからねえ奴だが、月の女神の付き人とも付き合いがあるらしくてな」

「ほぉ、あのかたっ苦しいねえちゃんたちとねえ。もう少し柔らかけりゃあ、揉んでやるものを。おう、にいちゃん、俺に紹介しねえか」

 脅かすかのような物言いだったが蔵人が口を開く前に、ラロが口を挟んだ。

「やめとけやめとけ。こいつの猟獣はほんとうに洒落にならん。後ろからマルカジリにされるぞ」

「はっ、まあ、無理ならいいんだがな」

 猟獣を恐れた風でもない男は、しかしすぐに矛先を納め、自分のテーブルに戻って仲間たちに話しながら、ちらちらと蔵人に視線を向けていた。



 この酒場に入ってから蔵人は観察されていた。ラロに絡んだ男も実のところ蔵人の人となりに探りを入れたのである。

 寒風吹きすさぶ屋外から温かい酒場に入ってもさほど汗をかいた様子もなく、なにか温度調節の魔法具を持っているだろうことは酒場にいた流れのハンターや傭兵には分かっていた。

 だが、それ以外がよく分からない。


「ありゃ、アンクワールの万色岩蟹(ムーシヒンプ)の爪だ。かなり重いはずなんだが、ハンマー使いか?」

「革鎧も飛竜と……他にも何か使ってるな。結構な代物だぞ」

「なんで巨人の手袋を人種がもってんだよ」

「……グレッドの奴をマルカジリってどんな猟獣だよ。ラロの言うことだから話半分だとしても……おお、こわっ」


「おまえ、なに色目使ってんだよっ」

「馬鹿言わないで、まだあんたのほうがマシよ。鼻も低いし、目つきも陰険。アタシはあんたみたいな馬鹿みたいに能天気なほうが好きよ」

「お、おう」


 いくつもの国を流れた彼らの知識を束ねれば蔵人の装備も丸裸になるが、装備が分かれば分かるほど、決して強そうには見えない蔵人とはチグハグに感じられてしまう。ごく普通の流れのハンター、と言ってしまうには違和感があった。

 結果として、とりあえず様子見、というのが一般的な流れ者たちの評価であった。



 視線は気になるものの、平和に呑めていることに蔵人は少しばかり緊張を緩め、ジョッキを呷った。

 ロゼワインのようにも見えるが、味は白ワインに近い。蒸留酒ほど酒精も高くなく、今まで呑んだ酒の中では一番呑みやすい酒であった。

 同じように酒を呷り、煙木に火をつけながらラロが呟く。

「……ここは物価こそ高いが、オレたちの税金は優遇されてる。酒だってないわけじゃないし、何か食べたいなら狩ってくればいい。少し堅苦しいところもあるが娯楽もあるし、女もいる。煙木だって吸える。仕事も豊富だ。おかしなことさえしなければオレみたいな流れのハンターにとっては楽園みたいなもんさ」

 レシハームでは煙木も売春も禁じられているが、売春に関してはそれほど厳しく取り締まられることはなく、黙認されていた。娼婦はそのほとんどが貧しい二級市民であるが、種族はまるでバラバラだった。

 煙木も公の場では禁止されているが、精霊教徒でないのなら、決められた場所で吸うことは可能であった。


「今回みたいに捕まることはないのか?」

「この国で稼ぎたいならアスハム教と保護区には関わるな。今回はハンナのために行っただけで、この国であんな尋問受けたのは初めてだぜ」

 所詮、流れのハンターは余所者である。

 レシハームも国をあげてハンターを呼んでいるが、自国の暗部に首を突っ込まれることまでよしとしているわけではなかった。

「そうか」

「お前もほどほどにな。まあ、何かうまい話があったら教えてくれ。……それに、付き人としっぽりできそうなときは絶対呼べよ」

「あのハンナっていう職員はいいのか?」

「それはそれ。これはこれだ」

 ニヤニヤと笑うラロ。

 いつか刺されそうな気配を感じながら、蔵人はあえてそれに触れなかった。それもまた人生である。

「ほらっ、呑め呑め」

「強くないんだ。ていうか、あんたが呑めよ」

 ラロが注ごうとした酒をひったくり、逆に注いでやる。

「おま、馬鹿、入れ過ぎだ」

「好きなだけ呑め。あんたの奢りだ」

「くそっ、こんちきしょうめっ」

「おおっ、ラロ、いい呑みっぷりじゃねぇかっ」

 様子をうかがっていた他の男たちも混じり、騒々しい酒場の夜は更けていった。




 イライダ、大星(ダーシン)という酒呑みに付き合っている内に、とりあえず呑ませておけば平和、という処世術を得た蔵人だったが、今はそろりそろりと魔獣厩舎に近づいていた。

 隠れたところで無意味なのだが、雪白達を置いて呑んで食べた身としてはどこか肩身が狭かった。

 案の定、呆気なく雪白に見つかり、睨まれた。

 だが、雪白は近づこうとしない。

 酒はともかく、煙木や男臭い匂い、くしゃみの出そうな女の化粧の匂いに雪白は顔を顰め、尻尾で蔵人の顔をぱたぱた払った。

 物音に起きだしたアズロナも蔵人を見るなり、すっと顔を逸らす。臭いのは嫌らしい。

 呑んでただけなんだがな、と蔵人が雪白たちを受けだそうとするも、雪白は動かない。

「……ああ、家か」

 そこで借家のことを思い出し、蔵人は欠伸を噛み殺しながらすごすごと街へと引き返していった。




 薄暗い街を引き返し、明かりがこぼれる協会のドアを開けると、ハンターと職員が入り乱れての喧騒が蔵人の目に飛び込んできた。

「パーティに欠員? 近いうちに紹介しますので面談お願いします。その間にこちらの依頼をお願いしたいのですが」

「ふざけるなっ! それは低位ハンターのっ……わ、わかった、わかったから。そんな泣きそうな目で見ないでくれっ」

「こちらではなくこちらの依頼で。えっ? そうです、無理です。諦めてください。でも、こちらのほうが効率は良いはずです。終わればまたすぐに新しい依頼を回しますので」

「盗賊? どうせ北の連中だろ。境界線からこっちなら殺してかまわん。深追いはするなよっ」

「傭兵とバッティング? すぐに組合へ連絡しろっ。まったく、依頼人はなにを……」


 邪魔をしても悪いと蔵人は協会の隅の方にあった椅子に座るも、うつらうつらし始める。徹夜で呑んでいた。どうにかペースは守ったが呑み過ぎである。

 ちなみにラロは酒場で死んでいる。


 日が昇り、協会に人の気配が減った頃に、リヴカが蔵人の前に立った。

 酷く嫌そうな顔をしている。

「ん? ああ、もうそんな時間か」

 蔵人はどっこらせと立ち上がってリヴカの前に立つが、リヴカはその匂いにすっと一歩引いて距離を取り、目元をさらに険しくした。

「協会に来て居眠りしてるハンターなどあなたくらいです……朝までお酒に煙木ですか。精霊教徒ではないとはいえ、ちょっとだらしないかと」

 精霊教徒にとって煙木は厳禁である。

「……吸ってはいないぞ? 呑んだのは間違いないが」

「呑み過ぎも禁じられています」

 素っ気ない様子で外へと向かうリヴカのあとを、蔵人は追いかける他なかった。




 蔵人はリヴカを伴い、改めて魔獣厩舎で雪白たちを引き取ると、リヴカの案内で門にほど近いとある家へとやってきた。

 極々一般的な二級市民の住む泥土製の建物だった。

 部屋は二部屋あり、中に入るとアズロナを乗せた雪白は縄張りを確認するように、のしのしと奥へと向かっていった。

 蔵人は手前の部屋を見回しているが、入口近くにカマドと水甕があるだけで、椅子やテーブルすらない。


「――精霊魔法で何か大きなものを作るつもりでしたら、今やってください。許可はとってありますので。明日以降は細かいものならば問題ないですが、大きなものだと精霊魔法の規模次第では衛兵がとんで来ますのでお気を付け下さい」

 リヴカはドアから先へは決して入らずに言った。外は気温が上昇しつつあり、暑いはずだがそんな様子はおくびにも出さない。


 蔵人は手早く、テーブルとイス、適当な棚を作った。

「そういえば、お隣さんに挨拶した方がいいのか? 」

「……そうですね。周りもハンターですが、顔くらいは見せておいたほうがいいでしょう」

 雪白とアズロナを呼び、リヴカについて行く蔵人たち。

 蔵人たちの家は角、つまりお隣は二軒であり、あとは壁と道しかない。

 そのうちの一軒の前でリヴカが立ち止まった。

「ここはベレツから出稼ぎに来ているジオンさんという方で、もう一軒の方は今仕事に行っているはずです」


 ノックを三度。

 すると、ドアから男が顔を出し、協会職員であるリヴカを確認してから、外にでてきた。

「今日から隣に住むことになった蔵人だ。それと猟獣の雪白とアズロナだ」

「ん、ああ、よろしく。ジオンだ。……大丈夫なのか?」

 雪白とアズロナを見るジオン。

「大丈夫だ」

 ふーんと言いながらジオンは雪白の前にかがみこむと、無造作にその頬を掴んだ。

 あまりにも滑らかで、害意をまるで感じさせない動きに雪白ですら反応が遅れたのだが――。

 びろーんと、頬を伸ばされた。

 ジオンは雪白が怒る寸前の絶妙なタイミングで手を離すと、今度はその背に乗っていたアズロナにも手を伸ばす。

 ぎゃう? と首を傾げるアズロナの鬣を両手で挟み、もにゅもにゅとこねくり回す。

 ぎゃっぎゃっと身をよじってくすぐったがるアズロナを見て満足したのか、ジオンはすぐに手を離した。

「……問題ないな」

 さらっと言った。レシハームで飛竜は嫌われているはずだが、ジオンはそれほど悪感情を抱いてはいないらしい。

 ぜんぜん良くないんだけど、と雪白が睨みつけているがジオンはそんな視線を気にもしていないようだった。

「あ、ああ、よろしく」

 さすがにこの反応は予期していなかった蔵人はどうにかそう答え、家をあとにした。

「……肝が据わってるな」

「私の担当ではありませんが、四つ星のハンターです。この国ではなかなか巡国の義務を果たせませんので四つ星どまりですが、本来ならもう少し上でしょう。――それではこれで失礼します」


 リヴカが去った後、借家に戻った蔵人は、鬱陶しい暑さに飛竜の双盾を抱いて奥の部屋に寝そべった雪白を枕にする。

 すると、アズロナが蔵人の腹の上に頭を乗せた。

 蔵人はアズロナの鬣を撫でながら、酔いの余韻に浸りながら天井を見つめた。

「……家か」

 巣ではなく、家。

 借家ではあるが、召喚されてから初めて人の生活圏で生活する。

 その事実に、いつか独り暮らしを始めたばかりの頃の高揚感を思い出していた。

 いつか自分にも帰属する土地、帰る家が出来るだろうか。

 夢うつつにそんな現実か妄想か分からないような想いを抱きながら、蔵人はいつのまにか眠っていた。




 翌日の早朝、蔵人は協会に行き、リヴカのいる受付に並ぶ。

 順番がきて、次の自治区行きを相談すると。

「先日発生したテロにより、自治区への出入管理が厳しくなっております。申請の許可におよそ十日ほどかかり、滞在時間は最大でも八日に変更となりました」

「……」

 現在は黄月の六十二日。そこに申請と滞在で十八日間隔で考えると、紅蓮飛竜をあと四頭狩るのはかなり時間を要することになる。

 蔵人は一つ溜め息をついた。

「サディさんにもご連絡して、すでに申請はさせていただきましたので、あと九日です。保護区行きをやめる分にはペナルティもありませんので、勝手ながらこちらで手続きを始めさせていただきました」

 蔵人は目を瞬かせる。

 協会でこれほどデキル職員に遭遇したことのない蔵人は、ついまじまじとリヴカを見つめてしまった。

「……聞いてますか?」

「あ、ああ。じゃあ、それまでの間適当な依頼を紹介してく――」

「――まずは、打ち合わせです」

「いや、そんな面倒なことしなくて――」

「あなたに何ができて、何ができないのか、私は知りません。きちんと適性と希望にあった依頼を紹介するためにはまず打ち合わせです。いいですね」

 強い口調でそう言われれば、蔵人としても頷くほかなかった。



 それから場所を変え、精霊魔法の親和性や習熟度、使用武器、今までこなした依頼、雪白とアズロナについて、さらには宗教や食べ物の好みまで事細かに、気温が最も暑くなる頃まで汗を流しながら話し合った。

 蔵人も秘匿するべきは秘匿しているが、話はアレルドゥリア山脈にいた頃から始まっており、まるでハローワークで職業相談しているような気分になっていた。

「……それでは、依頼を受けるにあたって何か希望、もしくはしたくないことはありませんか」

 見れば、正面に座るリヴカの額や腕もじっとりと汗ばんでいる。

「……護衛依頼はしたくない」

「それは、……この国に対する不信感からですか?」

「あっ、いや、そういうことじゃない」

 そういう風にもとれるのかと蔵人は反省するも、その意味がなかったどうか考えた。

 護衛については別にレシハームだから、というわけではない。元々、受けるつもりはなかった。何をやっているかもわからない者の命を守る、ということに意義を見いだせないだけである。

 意義なんぞ考えたら食えない。

 それはそのとおりで、それは日本にいた頃から分かっている。契約者側からの威圧的だという要望で警棒すら廃止された警備員をやったことがあった。何かあったら逃げていいと言われていたが、訓練もほとんどないに等しく、ほぼ丸腰で警備するのはどこか恐ろしいものである。大人しかった万引き犯が急に暴れだすということもありえるのだ。

 人の護衛をして、さらにその護衛対象の我儘すら聞かなくてはならないなど、まっぴらである。

 選べるだけの力、金に頼らず、山野で自力生存できるだけの力を持ったのだから、今は選ぶのだ。だが――。


「本当にそんなつもりはない。……ただ、あんたはこの国をどう思う」

 蔵人の中でずっと引っかかっていた。

 当事者ではない自分が、ジーバの話に義憤を覚える。だがそれは、当事者ではない者が抱く、無責任な憎しみである。

 蔵人は憎悪も復讐も肯定するが、当事者ではない者の無責任な憎しみは許容できないし、したくなかった。

 だからといって、ハンターとしての仕事をすれば、それがレシハームに加担していることになりはしないか。そう思わなくもない。

 つまるところ、レシハームとどう付き合えばいいのか分からなかった。

 

 リヴカはじっと考えてから、戸惑いつつも答える。

「私はこの国で生まれ、この国しか知りません。生まれたときからこの国にいて、ここで生きていく以外の道を知りません。協会で働いていると大人や学校で教えられたこの国の歴史におかしな点もあると気づきましたが、北のアスハム教国や元ケイグバードのテロリストたちが言うことの全てが正しいとも思えません」

 リヴカはまっすぐに蔵人を見据える。

「それにもし、テロリストの言うことが全て正しかったとしても奴隷になるのも、殺されるのも嫌です。私にはこの国以外に行くあてもありません。ここが、私の祖国です」

「……そうか」


 分かりきったことである。

 ジーバの言っていたことが真実か、レシハームの主張するのが真実か、どちらも蔵人には証明できない。おそらくどちらにも正しい部分と間違っている部分がある。

 侵略当時は生まれていなかったリヴカのような第二世代、第三世代が誕生している以上、精霊教徒を追い出してケイグバードを再興するのも現実的ではなく、かといって今行っているような弾圧も許容はできない。

 なら、どうしたらいい。

 蔵人にはそれが分からなかった。

 ただ唯一分かるのは、暴力的に国を奪われたジーバが今も戦い、この国で生まれたリヴカが今を生きようとし、サディが融和を目指して微力を尽くしているという現実だけ。

 蔵人は自分がどうしようもなく遠い地点に立っていることを、はっきりと認識した。


「……変なことを聞いて悪かったな。俺が護衛を受けないのは人相手の商売が面倒なだけだ。魔獣の討伐や採取ならその心配もない。合法で真っ当なら仕事の内容は問わないが、最低限は選ばせてもらう」

 それでも生きるためには、いや、最低でも船賃は稼がなくてはならない。

 全ては、それからである。


「……そう、ですか。……ですが、それでは昇格できませんが」

 六つ星以上になるためには討伐や採取以外にも護衛依頼もこなさなくてはならなかった。

「ああ、そもそも昇格する気があまりない。強制依頼を断ったときのペナルティも大きくなるしな」

「それでは塩漬け依頼と後受け以外では、現在のランク以上の依頼は受けられません。それにランクが上がれば購入可能な協会の魔法具も増えますし、国からの優遇措置や扱いも変わってきます。高位ランクなら定額を払って雇ってくれる国や商会もあります」

「いや、そういう面倒なのはいい。雪白やアズロナもいる。なかなか人の多いところで定住ってわけにもいかない。まあ、気が向いたらするかもしれんが」

「……そうですか、わかりました。いえ、護衛依頼は傭兵がやることが多いんです。盗賊の相手なんかもありますし。ハンターは主に魔獣相手の護衛が想定される場合ですから。被ってるといえば被ってますが、協会としては無理に受けてもらうほど困ってもいません。クランドさんがそれでいいのなら、問題ありません。……それでは、こちらの依頼などどうでしょうか」


 リヴカが差し出した依頼は二枚。そしてなにやらびっしりと書かれたリストが一枚。

 蔵人用の七つ星の依頼と雪白用の塩漬け依頼。

 そしてさらに、塩漬けになりやすそうな依頼品の一覧であった。

「……大人しそうな顔して、けっこうぐいぐい来るな」

「金と人は遊ばせておくな、といいますので」

 



*****




 首都ベレツにあるとある屋敷。

 ギディオンはソファに座り、紅茶を飲んでいた。

 その横に細身ながら精悍な男が立っている。

 ラザラス・アシェル。ギディオンの右腕として辣腕を振るう男であり、レシハームの議員の一人であった。

「ふんっ、隠し畑など片腹痛いわ」

 ギディオンが嘲笑を浮かべた。

 先日発生したテロ行為への警戒態勢の強化として、自治区の出入り申請に対する審査の厳格化や滞在期間の短縮などが行われたが、それは表向きのことである。

 全ては勇者への警告、妨害であった。

 ギディオンはトールから収穫前のマーナカクタスを買い上げ、トールに現在の相場での代金を支払った。

 砂糖の価格は高騰しており、次の収穫があってなお値は上がると見込んだからこそ、ギディオンはまだ収穫もしていないマーナカクタスを買った。

 もし、ギディオンが予想しているより多くの砂糖が市場に流れたら、砂糖の価格は下落し、ギディオンは莫大な損失を被ることになる。

 トールはそれを狙い、レシハームの各地にマーナカクタスの隠し畑を作っていたのだ。

 違法ではないが、小賢しい。


「融和派などに踊らされず、賢者さまは今までのように黙って奉られていて欲しいものですな」

 お人よしの賢者。

 それがギディオンの評価であった。

 トールは救荒作物や海藻食、衛生管理の徹底、砂漠の緑化技術等の情報を無償で提供し、自らはほとんど何も求めない。せいぜいが商人への口利きと、強引に押しつけてようやく受け取った荒れ地くらいである。

 女も受け取らないのだから困ったものだが、レシハームにとって、いやギディオンにとっては非常に好都合な賢者であった。

 精霊教徒として賢者への敬意はもっているが、それは古の賢者がその身に宿していたとされる力の一つ、精霊召喚の力に対してである。トール・ハギリはその器でしかない。

 女を抱かせて、子供にその力が宿るなら、あとはせいぜいその知識くらいしか価値はない。

 融和派に踊らされて、牙を剥くなど愚かとしか言いようがなかった。


 隠し畑のマーナカクタスなど、畑までの道を遮ってしまえばそれで済む。管理も収穫もさせなければいいだけのことである。

「例の救荒作物はどう致しましょうか」

「あまり締めすぎると月の女神の付き人連中がうるさい。分神殿のこともあるしな。見逃してやれ。ふんっ、魔獣やテロリストどもにはお似合いの食料ではないか」

 カブにも似た救荒作物。かつてケイグバード王国だった頃は家畜のエサになっていたものである。


「ハンターの拘束について協会や月の女神の付き人、組合から抗議が来ておりますが……」

 拘束されたのは蔵人たちだけではない。他の自治区や保護区にいたハンターや傭兵も数名拘束されていた。

「いつも通り、テロ対策だとでも言っておけ。こんなことは言われんでも分かるだろう。それより、例の魔獣と北の盗賊どもをどうにかしろ。鬱陶しくてたまらん」

 協会や組合には、わざわざ保護区に入るようなハンターや傭兵は必要ない。

 月の女神の付き人には、文句があるなら保護区から出て行ってもらってかまわない。

 それが答えである。

 もちろんラザラスがこのまま双方に告げるということはないのだが。

「はっ」

「……ああ、そうだ。『互助会』を通して例の勇者とアルバウムに連絡を入れておけ。賢者さまにも少しは立場と言うものを知っておいてもらわねばならん」

 そのあといくつか報告を済ませ、ラザラスはギディオンの部屋をあとにした。



 部屋に戻ったラザラスはベッドの上の影に気づく。

 ベッドの縁に足を組んで腰かけていたのは、あの蔵人の絵を燃やした脇役女優の小人種、ナダーラ・ヤグであった。

 ラザラスは髪の銀冠を乱暴に外し、テーブルへ放る。

「どうかしたの?」

「ああ、棺桶に腰かけた死に損ないの爺がやかましくてな」

「怒った顔も素敵ね」

「ふん、お前が好きなのは宝石か金だろ」

 そんなことないわとナダーラは体重を感じさせない仕草で男にふわりと抱きついた。

「宝石もお金も好きだけど、あなただけは特別よ」

「どうだかな」

 そんなことはないと分かっていたが、それでもまんざらでもないような顔でラザラスはナダーラを抱いたまま、ベッドへと運んでいった。


 小人種。

 かつてドワーフと見間違えられることが多く、今でもドワーフと仲が悪い。男性はドワーフのほうががっちりとしているのだが、女性が良く似ていた。総じて男女共に小人種のほうが小さいのだが、ドワーフの女とてそれくらいのものがまるっきりいないというわけでもない。

 はっきり違うのは生まれ方とその気質、寿命であった。

 ドワーフは人と同じく胎生、個人差はあるが多くは頑固で家庭的。寿命はエルフほどではないにしろ長命であった。

 しかし小人種は正反対で、卵生。こちらも個人差はあるが多くは奔放で自由を好む。寿命は人種よりも短く、四十年生きれば長老と言われ、平均すると二十五~三十歳程で死ぬ。そのため心も身体も早熟で、三歳で成人となり、成人したあとは肉体がピーク時を保ったまま、寿命が尽きるまで生き続ける。

 男女間のトラブルや金銭トラブルを乱発する種族として有名であった。


 むろん、ラザラスもそんなことは知っている。

 後腐れなく付き合える相手として、ナダーラと付き合っているに過ぎない。パトロンとしてやっている金もハシタ金である。

 所詮は異教徒の女である。

 用済みになれば捨ててしまえばいいのだ。

 ナダーラに覆い被さりながら、ラザラスは薄く笑っていた。



***



 リヴカから依頼を紹介され、雪白達と出発し、帰ってくる。

 そして報酬を受け取ると同時に、リヴカにまた依頼を紹介される。

 自治区への通行許可が下りる間、忙しく生活費と船賃を稼ぐ日々を送っていた蔵人だったがある日、リヴカに頼みごとをされた。

「少しご相談が」

「ん?」

「先導者をやっていただけませんか?」


 それはリヴカというより、協会からの依頼だった。

 先導する対象はサウラン大陸の固有種である牙虎族、つまり剣虎(サーベルタイガー)系獣人種の十つ星ハンターであった。

 元は小さな自治区で生活していたらしいのだが、最近になって魔獣の暴走(スタンピード)で自治区が壊滅し、レシハーム人になったという。

 本来はハンターである父親が先導する予定であったのだが、とある討伐依頼で命を落としてしまい、先導者がいない状態なのだとか。

 生き残った同族も散り散りになっており、さらに二級市民の『赤色』ということもあってか先導の成り手がいない。

 一級市民が二級市民を先導することはなく、牙虎族自体が非常に好戦的で扱いにくいということもあって、同じ二級市民も先導したがらないのだとか。


「……俺だって無理だ」

「いえ、雪白さんがいるじゃないですか。獣人種は同系統の高位魔獣に対して親しみを持つと言われていますし、ものは試しということでお願いできませんか?」

「まともな先導はしたことがない」

 アンクワールで蝙蝠系獣人種のヨビを先導したが、あれは装備と武器、そして単純な戦闘方法を教えただけである。ヨビが生来持つポテンシャルが高かったに過ぎない。

「ハンターとしての手ほどきは父親から受けていますから、そのあたりは問題ありません。ええ、腕は十つ星ではありません、九つ、いえもしかすると八つ星くらいはあるでしょう」

「……独り立ちした後はどうするつもりだ。なし崩しで面倒を見ろと言われても困る」

「いえ、すでにパーティを組む予定の友人はいるそうです」

「じゃあ、そいつらの先導者にやらせろ」

「そうしたいのは山々なんですが、パーティを組む予定の二人は色違い、つまり青色や緑色の子たちなんですが、その先導者は親御さんなんです。その親御さんたちが『赤色』を先導したくない、と。あとの一人は女性限定のクランのハンターに先導してもらっていますから、牙虎族の少年では無理なんです」

 分からない話でもない。二級市民の『赤色』はレシハームから睨まれているといってもいい。子供たちの交流を断つことはできないが、積極的応援もできないという世間体の問題であろう。


「本人は父親と一緒にすでに改宗も済ませていますし、どうにかしてあげたくて」

「なら精霊教徒でどうにかしろよ」

「偽装改宗を疑われておりまして……。まったく根拠のない噂なんですがね」

 かつて蔵人も、素性不明のときに巨人種のハンターであるイライダが先導者になってくれた。

 報酬などない。

 それがハンターの習いだというだけの理由である。

 たとえ先導する相手がレシハーム人だとしても、精霊教徒だとしても、アスハム教徒だとしても、イライダならばおそらくは関係ない。

 蔵人などはまったくの素性不明、生態不明の山の民扱いだったのだから。

 

「……そいつを見てから決める」


 

 2月25日、用務員さんは勇者じゃありませんので、第4巻発売予定です。

 お手にとっていただければ幸いです<(_ _)>

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― 新着の感想 ―
その意味がなかったどうか考えた。→なかったかどうか考えた。
[一言] あれは、人間が手を入れて品種改良しないと 糖度が1パーセントしかないんだよ っってリアルが舞台なら突っ込むけど 異世界だからねぇw
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