308 クマさん、念願のカレーに出会う
カリーナと一緒に食堂に入る。
「ユナさんは、こちらに座ってください」
言われるままに座ると、カリーナが嬉しそうにわたしの隣に座る。
わたしたちが椅子に座ると、すぐにドアが開き、バーリマさんとリスティルさんが入ってくる。そのリスティルさんの手には小さな男の子の手が握られている。そういえば3歳の息子がいるって言っていたっけ。
「おかあさま……」
男の子はわたしを見るとリスティルさんの後ろに隠れてしまう。
きっと、クマの姿に驚いたんだね。
クマは怖いから仕方ない。
「ふふ、大丈夫よ。可愛いくまさんだから。ユナさん、紹介しますね。息子のノーリスです。ほら、挨拶をしなさい」
リスティルさんは男の子の背中を押して、自分の前に出す。
「ノーリス」
男の子は小さな声で名前を言うと、恥ずかしがってリスティルさんの後ろに隠れてしまう。
「えっと、わたしはユナ。よろしくね」
自己紹介をするけど、ノーリスはリスティルさんの後ろから、顔を出すだけだ。
「この子は人見知りがあって、ごめんなさいね」
リスティルさんはノーリスを連れて席に着く。
クマは心が広いから、気にしないよ。無関心とも言うけど。
「カリーナ、なにか良いことでもあったのかしら」
わたしの隣に座るカリーナを見てリスティルさんが尋ねる。
たぶん、暗かったカリーナの表情が明るくなったせいだと思う。
くまゆるとくまきゅうと一緒に遊んだおかげで、カリーナに子供らしい笑顔が戻った。張り詰めた心が少しは緩んだようだ。
「はい、ユナさんのクマさんと仲良くなりました。もふもふで気持ちよかったです」
「良かったわね。ユナちゃん、ありがとうね。この子、あの件以来、ずっと暗い顔をしていたから」
リスティルさんは微笑みながら、お礼を言う。
出会ったときのカリーナの表情は暗く、人生の終わりのような表情をしていた。くまゆるとくまきゅうと遊んだおかげで、気が紛れたようなら良かった。
全員が席に着くと、ラサさんが台車に料理を載せて運んでくる。
ラサさんの方からある匂いが漂ってくる。
この匂いは?
本当に?
まさか、ここで出会えるの?
ラサさんが、パンやサラダ、ちょっとした料理を置いてくれる。そして、お皿に黄土色のカレーみたいな物を入れてくれる。
その瞬間、懐かしい匂いが鼻を刺激する。
この匂いを嗅ぐのは数ヵ月ぶりだ。
…………これは間違いなく…………カレー。
カレーの匂いがするスープに凝視する。色、匂い、どれをとってもカレーだ。これで、味が違ったら詐欺として訴えるほどだ。
でも、具材が入っていない。カレーに具を抜いた感じになっている。
わたしがカレーかもしれない物を見ていたら、ラサさんが話しかけてくる。
「パンにお付けになって、お食べください」
わたしに食べ方を教えると、他の者にカレーをよそう。
そして、全員の前に料理が配り終わると、ラサさんも端の方に座る。どうやら、この家では使用人であるラサさんも一緒に食べるようだ。
「それではユナさん、口に合うとよろしいんですが」
いえ、早く食べたいです。食べさせてください。
バーリマさんの言葉で全員がパンをカレーと思われる物に付けて食べ始める。わたしもみんなの真似をしてパンを掴み、カレーと思われる物にパンを付けて食べる。口に広がる辛さ、懐かしい味が口の中に広がる。間違いなくカレーだ。
まさか、ここで出会えるとは思わなかった。
「ユナさん、どうかしましたか?」
カレーに出会えた感動に浸っていると、カリーナが尋ねてくる。
「カリーナ、これは?」
「カレーというらしいですよ。もしかして、口に合いませんでしたか?」
「美味しいよ」
「良かったです。とっても美味しいですよね」
カリーナも美味しそうにパンをカレーに付けて食べる。わたしはもう一度パンにカレーを付けて食べる。美味しい。これがあればカレーライスにカレーパン、カレーうどんも作れる。どれも美味しそうだ。
「カリーナ、これを作る方法は知っている?」
「えっと、カレーですか?」
「うん、もし材料とか知っているなら、買いに行きたいんだけど」
スパイスは料理にも使うから売っている。
でも、カレー粉を作るのはいろいろなスパイスを混ぜて作る。知識ではわかっているけど、スパイスからカレーなんて作ったことがないわたしには作ることはできない。
だから、売っているなら、買いたい。
「えっと、ごめんなさい。ラサ!」
カリーナは少し迷ってラサさんに声をかける。
ラサさんがわざわざ、席から離れてやってくる。
「なんでしょうか。カリーナ様」
「ユナさんが、カレーをどうやって作るか、知りたいみたいです」
「カレーですか?」
「材料が知りたいんだけど、スパイスでいいのかな? どこに売っていますか?」
「えっと、スパイスは売っていますが、このカレーを作るにはいろいろなスパイスを混ぜて作りますので、お店には売っていません」
売っていない……。
まさか、売っていないとは。
でも、混ぜればできる。
「どのスパイスを使うか、教えてもらうことはできますか?」
「その、このスパイスはわたしの母から教わった大事なレシピになりますので」
お母さんの大事なレシピ。
もしかして……。
「そのごめんなさい」
「ああ、すみません、勘違いしないでください。母は生きてますので」
「生きている?」
紛らわしいよ。
てっきり、亡くなったものと思ったよ。
「はい、元気にしています。このお屋敷に勤めさせてもらうことになって、お祝いとして教えてもらったのです。うちの家ではお祝い事があると、母がこのカレーを作ってくれました」
でも、ラサさんの大切なレシピってことはわかった。
「教えてさしあげたいのですが、このレシピは……」
ここで、依頼の報酬でバーリマさんに頼むって手もあるけど、それは卑怯であり、人の弱味に付け入ることになり、最低人間になってしまう。
他に方法は……。
お金? それも人として駄目だろう。人の大切な物をお金で買うことなんてできない。
……駄目だ。なにも思いつかない。
でも、知りたい。でも、無理強いはしたくない。
ここで、カレー粉のレシピを手に入れられるかによって、わたしの異世界の人生ライフが変わってくる。
ううううううううう、どうしたら、いいの!
「ラサがこのレシピを大事にしているのはわかっているけど、ユナさんに教えてあげることはできませんか?」
わたしが心の中で葛藤していると、カリーナが助け舟を出してくれる。
「カリーナ様……」
「その、わたしにできることなら」
わたしがラサさんにしてあげることが思い付かないので、尋ねてみる。
ラサさんはカリーナとわたしを見る。そして、小さくため息を吐く。
「……わかりました」
「いいの?」
なにか、カリーナにお願いをさせて、ラサさんに無理強いをさせたようになってしまった。
「はい。ただし、条件があります」
「条件?」
「レシピを教える代わりに、わたしが知らない料理のレシピを教えてくれませんか。カリーナ様たちに新しい料理をお出ししたいと思いますので」
「ラサさんが知らない料理……」
たしかに、レシピと交換ならお金よりも良識的な考えだ。
でも、レシピか。
「はい、しかも美味しい料理でお願いします」
「それは難しくありませんか? ラサはいろいろと料理の勉強をしていますから」
「はい。それだけ、大切なレシピですから」
カリーナがラサの料理の勤勉さを教えてくれる。ラサさん自身も簡単には教えてくれそうもないみたいだ。でも、逆を言えば、ラサさんが納得してくれる料理のレシピを教えれば、カレーのスパイスのレシピを教えてくれるってことになる。
でも、料理の勉強をしているってことは普通の料理じゃ駄目ってことだよね。
わたしの手札には地球の知識がある。カリーナが知らないレシピもたくさん持っている。ただ、材料の問題や設備の問題で作れないのが多い。このカレーだって、料理としての知識はあるけど、スパイスからカレーを作ることができない。そもそも、スパイスの種類も名前もわからない。
問題は何の料理を教えるかだ。料理の勉強をしているラサさんが知らなくて、美味しいもの。そうなってくると、限られてくる。
現状で作れるのはピザかプリン、もしくはケーキになる。
材料の問題もあるけど、それが一番取引としては等価交換になりそうだ。
「お菓子でもいい?」
「はい。なんでも構いません」
「それじゃ、食事のあとで食べてもらってもいいですか?」
「えっと、これから作るのですか?」
わたしは首を横に振る。
「出来上がった物があるから、それを食べてもらうよ。もし、その食べ物がラサさんが知らなくて、美味しかったら、カレーのレシピを教えてください」
「はい、わかりました」
しっかりと約束をする。
ここにいる全員が証人だ。
「ユナさんは料理を作ったりするのですか?」
「うん、一応、自分で作ったりするよ」
モリンさんのパンやアンズの料理を食べることも多いけど、自分で作って食べることもある。
とくにお米に関する料理は自分で作ることが多い。お菓子もフィナたちに作ってあげたりもする。ただ、自分が作るのが面倒なので、作る回数が少ないだけだ。
「ユナさんは不思議な人ですね。クマさんの格好をしているし、強い冒険者だし、料理もできる。わたしはなにもできません」
「それじゃ、ラサさんに合格がもらえたら、明日一緒に作ろうか?」
「いいのですか?」
「合格がもらえたら、ラサさんに教えないといけないからね」
本当は街の探索と思ったけど、カレーのレシピを手に入れるためだ。探索なら、依頼が終わったあとでもできる。カレーは今しかない。ラサさんの気持ちが変わってしまうかもしれない。
わたしはパンにカレーを付けて食べる。美味しい。絶対に手に入れないとね。
そして、カレーを堪能したわたしは全員の前にプリンとスプーンを置く。
カレーのスパイスのレシピとプリンのレシピなら、価値で言えば問題はないはず。
ただ、価値とは人の思いで際限なく上がる。プリンは価値はあっても、思い入れはない。でも、ラサさんのカレーのスパイスのレシピには家族の思い入れがある。
あとはラサさんに納得してもらうだけだ。
「あら、わたしたちもいいの?」
「はい、食べてください。もし、美味しかったら、ラサさんを説得する手助けをお願いします」
「ええ、わかったわ。公正に判断させてもらうわね」
「ラサさん、この食べ物は見たことがありますか?」
「ありません。初めて見ます」
まあ、そうだよね。見たことがあったら、逆に困る。
「これは……」
でも、バーリマさんがプリンを見て反応する。
あれ、もしかして知ってる?
「そうだ。フォルオート様の誕生祭のときに」
ああ、バーリマさん。国王の誕生祭に参加したんだ。
「旦那様は知っているのですか?」
「ああ、フォルオート様の誕生祭のときに出された料理だ。とっても、美味しくて、騒ぎになっていた」
国王の誕生祭に出た料理と知って、ラサさんが驚きの表情に変わる。
「これをどうして、ユナさんが?」
えっと、どうしたらいいかな?
「内緒にしてほしいんですが、わたしが作りました」
「フォルオート様が内密にした理由がわかった気がする」
バーリマさんがプリンとわたしを交互に見る。
「ユナさんは王様に料理を作ったことがあるのですか?」
「何度かね。まあ、食べてみて」
国王とわたしの関係を説明するのは難しいので、逃げるようにプリンを食べるように促す。
「おかあさま、おいしい」
誰よりも先にプリンを食べたノーリスが満面の笑顔で答える。それから、他の人たちも食べ始める。
「美味しいです」
「あら、あなたはこんな美味しいものを食べてきたの?」
「フォルオート様の誕生祭に出された料理だからな」
「本当に美味しいです」
ラサさんからも好評の言葉が出る。
「このレシピを教えますから」
「いいのですか? これはエルファニカ王国のお城で食べられた料理ですよね。しかも、旦那様の話では誰にも教えにならなかったと」
「まあ、わたしが作った料理だから、わたしが誰に教えようと自由だからね。それにラサさんも誰かに教えたりはしないでしょう」
「はい、もちろん、そんなことは致しません。わたしはカリーナ様たちが美味しいものを食べていただればそれだけで満足ですから」
その瞬間、レシピの取引が成立した。
わたしはラサさんにお礼を言う。
これで、カレーライス、カレーパン、カレーうどんが作れますねw
プリンの材料の入手方法については次回説明します。