極寒の大地
「寒ーい! 寒い、寒い、寒い、寒い、寒い!」
「それだけ動き回っていればすぐに温まりそうだがな。遊んでないでコートを装備しろって」
国境を越えてベリ連邦に入ると、一気に気温が下がる。
良く言われている情報通りに山ばかりで、最初の山のフィールドの頂上付近から雪が降り始めた。
最初何人かで降る雪の美しさにはしゃいでいたが、数分もしない内に体が冷たくなってくる。
俺は防寒用のコートを出して羽織ると、ユーミルにも着るように促した。
「コート……コート……あ」
インベントリを漁っていたユーミルの顔が青くなる。
……これは寒さのせいではないな。
こいつ、もしかして。
「忘れたのか?」
「忘れた……どうしよう、ハインド」
俺は嘆息すると、自分のインベントリのメニュー画面を開いた。
ギルドホームで準備している時に、忘れないように言っておいたんだがな。
コートを選んで、ポーチの口に手を入れる。
「こんなこともあろうかと、予備を持ってきた。ほら、着ておけ」
「本当か!? ありがとうハインド!」
ユーミルに茶色の羊毛コートを渡すと、震える手で受け取って防具の上から羽織る。
他のメンバーはそれを見てやや呆れつつ、既にコートを着用して――着用して……。
「あ、あの、リコリスちゃん?」
「わ……私も忘れましたぁー……ごめんなさぁぁぁい!」
「……」
リコリスちゃんだけがコートを着けずに、体を抱えるように震えたまま叫ぶ。
君もか……。
彼女の頭には容赦なく雪が積もっていき、このまま放っておけば状態異常になるのは確実である。
「サイちゃん、ハインド先輩みたいに予備持ってない!?」
「う、ううん、持ってないなぁ……念のため訊くけど、シーは……」
「持ってるわけないじゃん。自分のはちゃんとあるけど」
「だよね……」
「うううー……」
涙目のリコリスちゃんを見てユーミルが自分のコートを脱いで与えようとするが、俺はそれを押しとどめた。
再度インベントリに手を突っ込み、中から三つ目のコートを取り出す。
隣で見ていたトビがそれにギョッとした。
「はい、リコリスちゃん」
「ハインドせんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
元気を取り戻して抱きついてきたリコリスちゃんに、そのままコートを羽織らせる。
アジャストを押してサイズ調整……OK、もこもこしたフードも頭に被せて寒さを遮断。
フードの上から両頬を解してやると、血色が少し戻ってきた。
「むえー……放っておくと顔まで固まっちゃいますね。ありがとうございます! 助かったぁー」
「ハインド殿、よく三つも持ってきたでござるなぁ……」
「なんか、ユーミルが忘れるところまでは読めたんだが……それにくっ付くようにしてリコリスちゃんの顔が急に頭に浮かんでな……」
俺と二人を除いた全員が微妙な笑みを浮かべる。
理由を聞いて納得、といった様子で不思議そうな顔をしているのはコートを忘れた二人だけだ。
サイネリアちゃんが「お手数をおかけしました……」と言いつつ頭を下げた。
三角帽子をインベントリにしまいながら、白い息を吐いてリィズが目を細める。
「よかったですね。最悪、その辺の魔物の毛皮を剥いで回る必要があるかと」
「……確かに毛の長いモンスターが多くて、防寒性能はありそうだけど。こんな寒い中で裁縫なんて、いくらハインド君でも無理じゃないかなぁ?」
「裁縫セットは持ってますけど。セレーネさんの言う通り、こんな山中じゃ手がかじかんで無理ですね」
「いえ。素材化した生皮を直に――」
「怖い!? 発想が怖いです、リィズさん!?」
「凍えるよりもマシではありませんか?」
「そうですけど!」
リィズの言葉を聞いて、露骨にリコリスちゃんが怯える。
討伐して皮を奪うという行為に変わりはないし、素材の皮は加工済みの綺麗な状態が多いが……まぁ、うん……。
ともあれ、必要ない仮定は置いておいて。
「はいはい、次、次。馬は寒さに強い生き物らしいけど、念のため馬用防寒具の馬着を作ってきたから。嫌がるようなら着けなくていいが、そうでないなら装備させてやってくれ」
「ハインド殿は隙がないでござるなぁ。で、それなのにどうしてキノコ小屋を見落としていたのでござるか?」
「まだ引っ張るかこの野郎……!」
トビのにやけ面に向けて馬着を投げつける。
あっ、不意をついたのにあっさり受け取りやがった……運動神経の差が妬ましい。
全員にそれを配っていき、最後はシエスタちゃん。
「先輩……」
「何? シエスタちゃん」
「私、先輩になら全てを委ねてしまってもいいと思うんですよ。用意周到、深慮遠謀、用心堅固、寛仁大度……こんなに寄りかかるのに最適な人はいないと思います」
「よくそんなにポンポン四字熟語が出てくるね。そして気持ち悪いくらいにべた褒めだね。何が言いたいのさ?」
シエスタちゃんが渡した馬着を俺に突き返しながら、にへっと締まりのない緩い笑みを浮かべる。
「面倒くさいので先輩がやってください」
「難しいので手伝ってくれ、だったら考えないこともなかった」
「そんなぁ」
馬着を雪の上に落とすと、彼女は自分も後を追うように雪原に突っ伏した。
じゃれついてきてるだけだな、これ……。
結局、俺はそのままシエスタちゃんを起こして一緒に馬着を装備させることに。
シエスタちゃんが選んだ馬は非常に大人しく、装着にそれほど手間取ることはなかった。
馬着によって温かさが増したのか、あくびのようなものまでしてみせる始末である。
雪山を下ったところで、俺たちはベリ連邦南西部の村である『マルゴの村』に到着した。
全体的に家屋の屋根の傾斜が急だ。
やや遠くに標高の高い雪山がそびえ立っていて、厳しい環境であるというのが視覚的にも伝わってくる。
伸びた氷柱、顔に吹き付ける風雪。
雪を踏むと鳴るギュッ、ギュッという音が耳に心地良い。
しかしながら……。
「寒い……寒い……砂漠に慣れ切った体にこれはツライ……」
PTメンバーの口数は少なく、全員完全に寒さに参っていた。
暖を取れる店を求めて村内を移動中である。
俺の言葉にも反応が薄く、隣を歩くトビが普段からは考えられない間を空けてポツリと返す。
「然り……VRなのだからもうちょっと体感温度を緩く設定してくれても……うぅ……」
それっきり会話は止み、再び周囲を見回しながら八人は進んでいく。
歩いている内にゲーム時間が夜になり、より一層寒さを感じさせる景色へと変わっていった。
馬たちは先に厩舎に預けたので、今頃は体力を回復していることだろう。
こちらは自分たちの体を休ませなければならない。
「あ、灯りが……」
サイネリアちゃんが呟き、人差し指を向けたところで全員の顔がパッと上がる。
そこには柔らかな光が漏れる、煉瓦組の建物が存在していた。
マップを見て広い村内を移動していたが、ようやく目的の場所に着いたらしい。
「暖炉ぉぉぉ!」
「温かいスープぅぅぅ!」
宿兼食堂の店に向かって突撃をかける騎士コンビに続いて、俺たちは雪を払ってから店に入った。