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手際よく朝食及びその他の行動を済ませ、まさに理想的な時間帯に俺が通学路を歩いているのはやはり空の管理のお陰なのだろう。
去年は週二回以上の割合でこの道を焦燥と駆け抜け、さらに二分の一の確立で閉ざされた門に憮然とさせられていた。
だというにこの生活の変化はどういった事だろう。
これ以上考えると自分の自立性の低さに、二度と立ち直れなくなってしまいそうなので思考を停止する。
見飽きた朝の通学路に刻まれる足跡の二重奏。
俺の足音と、空の足音によるユニゾン。
別に不満だというわけではないのだが、高校生にもなって兄妹が並んで登校するというのは世間的に見てどうなのだろう。
「どうかしましたか、兄さん」
俺の心の漣を読みきったように、見事なタイミングで空が疑問を発した。
「いや別に……。今更だけどお前、何でこっちの高校受験したんだ? 中学での成績は悪くなかったんだろ?」
「成績は三年間通して学年トップでした。こちらの高校に進学したのは、偏に向こうにいる理由がなくなったからです」
空の言葉に過信は無い。
今年の四月。
桜の蕾が花開き、まだ少しだけ冷たい春の風がこの街に吹いていた頃のこと。
どの地域でも恐らくはこのくらいの時季に行われるであろうという、まあつまりそんな感じの四月某日に行われた入学式。
全校生徒出席の入学式には当然俺も赴いており、校長の無駄に長くて退屈な話を肌寒い体育館で聞き流していたあの日の事をまだ鮮明に思い出せる。
教頭の口からどっかで聞いた事のある名字と名前が告げられ、やはり見たことのある顔が壇上に上がって新入生代表の挨拶をしていたシーンは特に忘れられない。
その新入生代表が誰であるかは今更言うまでも無いだろう。
「理由ねえ」と俺は呟くように言って、「お前結局、何がしたかったんだ?」
「それは……」
ここで初めて空が言葉に詰まる。
かと思うと、思案顔もほんの数秒。空の表情はいつもの自信に溢れる面持ちへと回帰した。
「秘密です」
なんだそりゃ。
上手く笑顔で誤魔化された自分が情けない。
告白してしまうと四月に空が実家に帰ってきてから今日まで、俺はどうしても彼女を妹として意識できていない。
釈明に聞こえるかもしれないが、一応言っておく。別にやましい考えがあるわけではない。
四年も会っていない人物が突然目の前に現れたら、そいつを昔のそいつとして見るのは難しいだろう。加えて相手は言葉遣いから容姿――こっちはまだ昔の面影が残っているが――まで見事に変容しているのだから、四年間の空白を埋めるにはまだ少し時間が必要だ。
◇
「おはようございます先輩!」
校門に至って、元気な声がそう告げた。
「……ああ、おはよう暦」
空を伴った俺に頭を下げて挨拶してきたのは妹の同級生にして俺の後輩となる御巫暦。ロングの髪をツインテールに結んだこの少女は、聞くところによると家が神社であるらしい。小柄なためかそれとも凛とした立ち姿の空と並んでいるせいか、その姿はとても華奢に見える。
元気一番と言わんばかりの大音量挨拶に対して、俺の返事は少し沈んだ音色だった。
朝から元気なのはいいが、少しは時と場合と場所を考えてはくれないだろうか。
朝っぱらから校門前でそんな大声で挨拶されては衆目を一気に集めてしまう。
「空さんも、おはようございます」
「おはよ、暦」
同級生用の笑顔を肯定した空が礼儀正しい姿勢で挨拶を返した。
「先輩! お荷物お持ちいたしましょうか!」
「いや、いいって。つか、お前毎朝そればっかりだな」
「はい! 目上の方にお仕えするのが、巫女の役目ですので!」
どんな巫女だよ。
つっこみは心中密かに済ませるのが暦への最善の対応である。
というのも新学期早々あまりにも大量のぼけをかます暦に苛立った俺がキツメのつっこみを入れたところ、三日ほどそれがトラウマになり暦は数日間自分を見失いかけていたのだとか。何でも『黄泉への階段がわたしを呼んでいるー』とか擬人法なのかそうでないのかよく解らんことを繰り返すようになったらしい。
そんな危ない状況まで精神が陥るほどの一言を、俺は言い放ってしまったのだろうかと真剣に――俺が――頭を抱える状況になってしまったことがある。
後で解った事だが、暦の天然キャラは紛れも無い先天的性質だったそうだ。
とはいえ、流石に今のままでは俺の私生活に悪影響を及ぼしかねない。
多少のそれには目を瞑るにしても、チラ見程度に注意を促しておくべきだろう。
「なあ暦。元気満点なのはいいけどな、あまり元気すぎるのもどうかと思うぞ。いきなりキャラを変えろとは言わないから、取り合えず挨拶の声量を一オクターブほど落としてみろ」
「ふあ……」
「いや聞けよ!」
……不承不承。また自我崩壊まで彼女を追い込むのはよくない。
怒鳴りたい気持ちを押さえ込み、俺は肺に溜まった空気を溜息として外に吐き出した。
「ごめんなさいです先輩! わたし最近寝不足で!」
とすぐさま謝ってくれるのだから、まあ許すとしよう。
見ると空はそんなやり取りを妙な眼で見ていた。
それが何を意味するものなのかと思考して、校舎の時計に目が止まる。なるほど、直に始業の鐘が響く時間を二本の針は示していた。
「そんじゃあな、暦」
校舎の違う後輩に別れを告げて、遠くでこちらを睨んでいる空に片手を挙げる。ってちょっと待て。何で俺が睨まれるんだ?
ついと俺から視線を逸らすと、空はまだ校門付近で立ち呆ける暦に呼びかけて校舎を目指した。その年下とは思えない威圧感を放つ背中を眺める事数秒。思い出したように行動を再開して俺も自分の校舎を目指す。
現時点での本日経過報告。現時点まで異常無し。
さてと。
今日がいい一日でありますように。