おわりに NAISEIとは下味と心得よ
まあ、語りたいことを語ったのでそろそろ終わりにという訳で、冒頭の下味であるという話をしよう。
内政物が詰まる場合、またそれが下火になる理由として、作者側の知識の問題というのがあるが、それほど難しく考える必要はない。
この物語において、この主人公が何をしたいのか?
そして、その目標達成の為に、どうしても資金を用意しないといけなくて、その資金確保をどうやってするのか?
この二つを明確に提示したうえでNAISEIをする場合、ご都合主義ではあるが読者はそれを許容するのである。
何故か?
読者はNAISEIが見たいのではなく、主人公が見たいのだ。
主人公が紡ぐ物語が見たいのだ。
それが魅力的であるならば、下味であるNAISEIはある程度は許容されるのである。
その許容の境界線というのが、下味という言葉だ。
主人公の目的達成の為の手段の一形態。
これから外れない程度のNAISEIというのを作者は忘れないでもらいたい。
あと、何をするにも語るにも、物語を終わらせてみることを推奨する。
この『小説家になろう』において書き直しはそれほど難しくはないのだ。
私を含めて最初からうまく成功するなんて人はそうは居ない。
何回でもやりなおせばいいのだ。
そうやって自分のスタイルが出来た時、貴方の頭にあるNAISEIはきっと花開くだろう。
NAISEIがもっと増えることを、NAISEI作家のひとりとして心より祈っています。
おわり。