下準備
「う~ん……どうすっかなぁ……」
口裏を合わせる――と言うか、当日問題が起こらないように話し合いの場を設ける為に、アガレスト宰相に言って送られる手紙に「早めに皇都へ来るように」と書き添えてもらっていた。
しかし、どうだ。前日になってもストライカー侯爵が皇都へ来たと言う知らせが全く来ない。
このまま式典が始まってしまっては、息子のロベールが別人になっていることに対しストライカー侯爵が騒ぎ、俺がストライカー侯爵の意向で入れ替わっていると言う大前提が崩れてしまう。
それでも、状況に反して余り焦りなどは無い。現実味が足りないだけと言えばそれまでだが、楽しんでいる自分が居ると言うのも真実だった。
「心配事ですの?」
サロンの屋外スペースは寒さの為に人気が無い。俺も類に漏れず室内の一角に陣取っており、向かいにはクルクルヘアーのミシュベルが最近流行りらしい浅く広いティーカップで紅茶を飲んでいる。
そのミシュベルは俺の呟きを聞き、心配そうに問うて来た。
「ん? あぁ、ちょっと親父殿の事で……な」
普段はアムニットが紅茶を淹れてくれるので、ミシュベルと二人きり(執事は影なので数に含まず)でお茶を飲むのは久しぶりだった。
「いつもは大樹の如く揺るがないロベール様であっても、やっぱりお父様と会う時は緊張しますの?」
「あぁ、色々とあるから心配事が尽きんよ。それに、手紙にはなるべく早く来てほしいと書いておいたのに、前日になっても影も形もないしな」
「侯爵ともなれば、その仕事は多岐に渡るので忙殺されているのかもしれませんわね」
「そのまま心筋梗塞で死んでくれんかね」と、前世で良く聞いた働き過ぎによる死因を思い浮かべ頭を振った。
死んでしまっては後ろ盾が無くなってしまう。まぁ、これは予定の後ろ盾なのでいざとなれば後ろ盾になってくれそうな人は何人か見繕っている。
「ロベール様――不確定な情報となってしまい申し訳ございませんが、本日の夕刻過ぎにモンクレール侯爵様は皇都へいらっしゃる予定となっています」
静かに控えていたミシュベルの執事が、これまた静かに俺に耳打ちをしてきた。
いつか伝えようとしていた情報なのか、丁度ロベールの父親の話になったため話してきたようだ。
「どこ情報よ?」
「皇都のストライカー侯爵邸で、侯爵様の受け入れ準備が始まりました。急ではありましたが、そこまで急いだ様子は無かったので時間的には夜に入り始めた時間に到着する予定かと――」
「なるほど、ありがとう」
やはり、ミシュベルの執事はめちゃくちゃ優秀だ。戦闘能力で言えばミナの方が上だろうが、能力としては雲泥の差がある。
最近は俺が何をしてほしいか察するように動けるようになったが、それでも元兵士らしい雑さが垣間見える。御愛嬌で済ませる範囲なので可愛いもんだ。
その後、ミシュベルと他愛もない話に興じ、のんびりと解散となった。
★
「よいしょっ――と」
ドサッ、とヴィリアが横たわる厩舎に荷物を置くと、部屋の隅とは言え居住スペースを若干奪われたヴィリアがジト目でこちらを見てきた。
「何だそれは?」
「大切な荷物さ」
「なるほど。ここなら私が居て安心だからな」
強そうな番犬だ。何たって寝返りだけで人を潰せるんだからな。
「前も言った通り、明日は俺や防衛線で武勲をあげた奴の表彰式だ」
「覚えている。大変めでたい事だ」
「ありがとう。でも、問題が起こる可能性がある」
「襲った貴族の仕返しか? 安心しろ。私の方が強い」
ヴィリアが言っているのは、ラジュオール子爵の返還時に周囲に居たドラゴンを値踏みした時の事だ。
ラジュオール子爵軍のドラゴンは、ヴィリアに睨まれただけでやや引き気味になり、軽く吠えただけで小さくはあるが竜騎士の意志とは別に後ろに飛んだのだ。
その時の状況を聞くと、ラジュオール子爵軍のドラゴンは皆若かったそうだ。物資投下作戦時に鹵獲したドラゴンは良いくらいに成長した個体だったので、たぶんあの時にラジュオール子爵が所有するドラゴンの主力は怪我をしてしまったのだろう。
「いや、子爵のところは心配していない。心配なのは身内の方だ」
「人間は難儀な物だな。仲間同士で殺し合うのか」
「都合の悪くなったときは皆そんなもんだ。だから、ヴィリアに頼みがある」
「良いぞ。何をすればいいんだ?」
「明日、問題が起きた場合は俺を連れて帝国外に逃げてもらいたい。その時に、ここに置いてある荷物も一緒に持ってきてほしい」
追手がどれくらいかかるか分からないので、荷物は軽めだ。中身は金と食料。
合わせて現在も考え中の物の設計図だ。これがあれば他国へ行っても重宝されるだろう。
「戦わんのか?」
「数が違い過ぎるからな。今はまだ戦えない」
「なるほど、分かった。何を合図に飛べばいい?」
「そこが問題だよな。問題が起これば、何とかしてヴィリアに連絡をとれるようにはするが、たぶん大声を出す程度しかできないと思う」
「なら大丈夫だ。ロベールの健闘を祈る」
「まずは、そうならないように善処するよ」
ヴィリアとの約束を取り付けると共に、同じく厩舎で過ごしているラジュオール子爵軍のドラゴン二頭にもヴィリア経由で命令を出し、俺は厩舎を後にした。
次はミナだ。
★
「入るぞ」
「はい」
竜騎士育成学校の寮の一室。自室ではあるが、この間のカタン砦防衛戦よりこっち、ミナと一緒に暮らしているのだ。
一度はラジュオール子爵の子供とメイドがそちらへ行くと言う事を伝えにマシューへ戻ったのだが、その時にミナを連れて帰るのを忘れていたのだ。
その後、すぐに連れて行こうと思ったが、子爵邸襲撃の功労者の一人でもあるからその褒美として少しの間、皇都で羽を伸ばすように言っておいた。
ミナに対しての懸念事項の一つはすでに言い含めており、前回と同じことになった場合は庇うことなく切ると厳しく言っておいた。
そう言う俺の本気度を感じ取ったのか、ミナは神妙にであるが悲しそうに頷いた。
「服は着れたか?」
「はい。少し肩がキツイ感じがしますが、他は問題がありません」
「借り物だからな。そこは我慢してくれ」
ミナの言う服と言うのは、竜騎士育成学校の制服だ。
ミナと身長や体型が似ているリッツハーク先輩から制服を借りたのだが、中古で良いと言ったにも関わらず新品を渡された。
着れば汚れてしまうので、汚れていても良いと言ったらリッツハーク先輩は「そんなハレンチな事ができるか!」と怒って来たので、先輩の中で俺は変態に思われているのかもしれない。どうしてそうなった。
それでも何とか新品の制服を貸してもらい、ミナに着せたと言う訳だ。これはただ制服プレイの一環ではなく、部外者のミナを学校内で問題なく動かすためだ。
学校に来ている貴族の子供には執事かメイドが付いているので、ミナもいつも通りの服を着せていれば問題ないが、ドラゴンに乗る時に何かあっては困るからだ。
「ですが、私は学校の生徒じゃないのに、このような制服を着ていても良いのでしょうか?」
「あまり良くないが、問題行動を起こさなければ大丈夫だ。それじゃあ、復習を始める」
「はい」
良い返事を返し、ミナは背筋を伸ばした。
「なるべく自分でやるつもりだが、万が一、俺が夜から狩り出された場合、ミナは親父殿へ伝言を頼む」
「狩り出される――とは、どういった場合でしょうか?」
「明日の進行についての最終確認とか、その他モロモロだ」
「分かりました」
俺はミナに、ロベールの父親に対しての伝言を頼んだ。
行き違いやニュアンスの違いによって勘違いを避けるためにも自分自身で話した方が良いのだが、何か大きな行事がある時は予想しない事態に巻き込まれる物だ。
だから、ミナに一言一句間違えないように覚えさせた。
ミシュベルの執事が言うには、日が沈んでからロベールの父親のストライカー侯爵が到着すると言う話だったが、ついぞ現れなかった。
何とかギリギリまで待っていたのだが、予想通り明日の進行についての復習に呼ばれ、前日の内に何とかストライカー侯爵に話を付けておくことが出来なかった。
そして、口裏を合わせることが出来ず当日を迎えてしまった。
ミナ=ロベールがマシューでの事務をさせる為に買ってきた、元騎士学校所属の奴隷。
ミシュベル=お酒大好きなクラスメイト。
ミシュベルの執事=執事として優秀であると同時に、諜報方面も優秀なもよう。
モンクレール・シュタイフ・ドゥ・ストライカー=侯爵でロベールの父親。ドラゴンが大好き