クルストスの残照
「また君か……身体は大丈夫なのか?」
「丈夫だけがアタシの取り得だかんね」
その若い騎士とは、払いを渋る客と揉める度に顔を合わせていた。
「髪を切ったのかい? 君の性格に似合ってるね」
「どういう意味だいそりゃあ」
喧嘩の仲裁や罪人の捜索で走り回っていたアイツ。偶に保護される時もあった。
「飲みすぎだ、暫らく頭を冷やしていろ」
「うっせーーよ! ちくしょーーっ」
アタシみたいな汚れた女に、真っ当な生活が出来るなんて思わなかった。
「ほら、もっと落ち着いてゆっくり食えって」
「うっへー、食える時に腹一杯食っとくんだよっ」
幸せを掴めるなんて考えた事もなかった。
「――だよ、もう君は春売りなんてしなくてもいいんだ、僕と暮らそう」
熱っぽく語る彼の話の半分も理解出来ていなかったけど――
「――たら、きっとサムズは発展する筈だ。一緒にエバンスに行こう、小さいけど僕の家があるんだ」
彼と添い遂げる事が出来るのだと、それだけは分かった。
「サーナ、君を愛すると誓う」
「……デリック……」
初めて客以外の男を感じ、愛し合う事の悦びを知った。
「デリック……本当にアタシでいいの?」
彼は微笑んでる。だけど、何も言ってくれないのは不安だ。だからキスを強請ろうと顔を寄せる。全ての不安を拭い去ってくれる、あの甘い甘い優しいキスを。ちょっと硬めの唇を――
無い――唇が無い。彼の、少し髭を纏った顎も、引き締まった頬も、赤黒く抉れた生肉の奥から、生臭い深紅の液体が流れて出て、彼の甲冑を黒く染めていく。思考が凍り付く。心がバラバラに弾け飛ぶ。
「……!」
悲鳴にならない叫びをあげて目を覚ますと、見慣れたボロ小屋の布が張られた低い天井。破れた隙間から外の光が射し込んでいる。ゆっくり息を吐き、汗で湿った肌着を開けながら首筋に張り付く髪を指で梳かした。
「……もうちょっと待ってよ……すぐ行くからさ」
そう呟いて身体を起したサーナは、最近クルストスに出来た精霊神殿の近くに密集している掘っ建て小屋の一つから這い出した。
神殿が出資する生活支援によって以前のように仕事をしなくても食べて行けるようになったのは彼の言った通りだが、一緒に暮らそうと言った彼はもう居ない。
「ほんと……、すぐにでも行きたくなっちまうよ」
寝床の下に隠してある彼の形見は、今日は置いていく事にした。
陽射しも日に日に強くなる今日この頃、サーナは川原に咲き始めた野花を摘んで街から少し外れた場所にある丘へと向かう。
此処には先の大戦から最近までの戦いで殉職した大勢の騎士達が眠っていた。サムズ出身者が殆どで、稀に王都の貴族だった者も混じっているらしいが、サーナには割とどうでもいい事だった。
元春売りの自分が花など似合わないなと自嘲しつつも、彼の墓前に添える野花を紐代わりの髪で縛って花束を作る。
飾り気の無い墓標が並ぶ丘の墓地を訪れ、デリックが眠る場所へと足を運ぶと、そこには珍しく先客が居た。同僚の騎士だろうか、ずんぐりした体躯で武張った顔付きの中年男性が、墓前に一輪の花を添えていた。
よく見ると、周囲の墓前にも同じ様に花が添えられている。この一帯の墓は全て同じ時期に埋葬されたモノなので、やはり同僚か、見た目の年齢から考えて上官に当たる人なのかもしれない。その傷だらけの顔に気難しそうな印象を覚え、サーナは迷った。
騎士の墓前に春売りが来る事を快く思わないかもしれない。だが、自分は恋人に会う為に来たのだ。誰に憚る必要があろうかと、気持ちを奮い立たせたサーナは、添い遂げる筈だった男、デリック・ノースと刻まれた墓標に近付いていった。
「こんにちは、騎士さん」
「ああ」
挨拶をしてみたら随分とぶっきら棒な返事が返って来た。だが邪険にするような気配は感じなかったので、ホッとしながら髪で纏めた花束を添える。使い込まれた甲冑を微かに鳴らし、中年の騎士はサーナの花束を見て目を細めた。
自分の髪を巻いた花を相手に贈るのは、貴方と結ばれる事を望むという意味合いがある。主にサムズの一地方で見られる風習だ。
「君は……」
「ねえ、騎士さん。……デリックは、なんで死んじまったのかね?」
「……」
「アイツはさ、国の事とか、アタシ等みたいな下民の事とか考えて、毎日頑張ってたんだ」
多くの騎士が同士討ちで死んだと聞いた。あの日、彼が死んでいた場所にも、同じ辺境騎士団の遺体しかなかった。彼以外の騎士達とも多少の面識があったし、よく彼との仲を冷やかされたりもした。主に彼が、だったが。
みんな気のいい人達だったと、サーナは独白のように言葉を紡ぐ。
「なんで……、みんな死んじまったのかねぇ」
「理想を追ったからだ」
サーナは特に返答を期待していた訳ではなかった。ただ、自分の疑問を彼と同じ騎士に聞いて欲しかったのだ。意外にも、この無愛想な中年の騎士はサーナの問い掛けに答えてくれた。
それならば、もう一つ知りたい事、あの時から最も知りたいと思っている事にも答えてくれるかもしれない、そう思ったサーナは、墓前に捧げた花束を撫でながら、その問いを口にする。
「デリックは、誰に殺られたんだろうね……」
「俺が斬った」
ザアッと丘を吹き抜ける風が草花を薙いで往く。散らされた白い花びらが空へと運ばれていく中、サーナは一瞬何を言われたのか理解できず、ポカンとした表情でその騎士を見上げた。
傷だらけの武張った顔に難しい表情を浮かべたその中年騎士は、静かにサーナを見下ろしている。ようやくサーナの脳が今しがた与えられた答えの内容を認識し、その言葉の意味を理解した。彼女の口から擦れるような響きで問いがこぼれる。
「ど……うし……て……?」
「離反したからだ」
その瞬間、サーナは殆ど無意識に腰の帯裏に手を伸ばした。だが、その手が目的のモノを掴む事は無かった。何時も其処に差してある形見の品は、今日は寝床の穴に置いて来た事を思い出す。
『どうして今日に限って!』
例の悪夢を見た後だけに、墓参りにナイフは無粋だと考えて持って来なかった。その事を悔やみつつ、武器になる石を探して地べたを掻き毟るように手を彷徨わせる。自身の非力さは分かっているので、素手ではどうにもならない。
そんな殺意に満ちたサーナの目が、騎士の腰に下がる長剣を捉える。飛びつく様にその長剣を掴んで引き抜いた彼女は、斬り掛かろうとして尻餅をついた。重過ぎてサーナの細腕では持ち上がらないのだ。
「畜生! 殺してやるっ!」
それでも鍔部分を掴んで強引に持ち上げたサーナは、剣の切っ先を向けて体当たりを敢行した。が、簡単に躱され、擦れ違いざまにあっさりと、抵抗する間も無く剣をもぎ取られてしまった。
あまりに歴然とした力の差。無力感に打ちひしがれて座り込んだサーナは、剣を握って目の前に立つ騎士をボンヤリ見上げる。
『殺される……? それもいいかも』
デリックを斬ったという騎士に殺されたなら、彼の元に行けるかもしれない。サーナはそんな期待を懐いてその時を待った。
「……そんな顔をするな。 お前を斬るつもりは無い」
アンバッスは、目の前で座り込みながら死を望む暗い笑みを浮かべた女にそう言い放つと、剣を鞘に納めた。
あの動乱の夜に死んだ騎士達は、その家族や友人達にも深くて複雑な影を落としていた。離反して討たれた者と、離反者に討たれた者とでは当然その後の処置も違ってくる。
離反者の家族は家督を失った上に不名誉な裏切り者を出した家として周囲から誹りを受け、多額の罰金も課せられて、最悪一家が路頭に迷う事にもなりかねない程の損害を被った。本来であれば、この場所に埋葬される事も憚られるのだ。
『彼等に離反を決意させた原因は彼等だけにあらず』と、アンバッスが酌量を訴える書状を添えた事でギリギリの名誉だけは守られた。尤も、彼が朔耶絡みで王室と繋がりを持っていなければ、聞き入れられる事はなかったと言える程の、異例の処置だった。
「俺は暫らくここの支部にいる」
それだけ言うと、アンバッスはサーナに背を向けて墓地を後にした。サーナは呆然としたまま、去って行くアンバッスの背を見詰めていたが、やがてのろのろと立ち上がる。
「支部……騎士団の支部」
そこに行けば、デリックの仇が居る。一度墓標を振り返ったサーナは、幽鬼のような足取りで丘を下って行くのだった。
翌日、辺境騎士団クルストス支部――
「騒がしいな、どうした」
「あ、中隊長殿……」
朝、アンバッスが宿舎から顔を出すと、支部内がやけに騒がしかったので近くに居た若い騎士に何事かと声を掛ける。
その騎士の話では、刃物を持った女が早朝から支部の前に立っているのだが、話し掛けても反応が無く、只立ち続けている女に、一体どうしたのかと少し騒ぎになっているらしい。
以前なら、騎士団の支部前でそんな怪しげな行動を取れば即刻牢に放り込まれている所だが、クルストスもすっかり平和になったモノだとアンバッスは鼻を鳴らす。そして訓練場を空けて置くように言うと支部の外へと向かった。
「っ!」
「よう」
遠巻きに様子を見ている数人の若い騎士達。彼等の間からアンバッスが現われると、サーナは握り締めた形見のナイフを構えようとした。それを手で制したアンバッスは、此処では不味いのでついて来いと言って支部の中に戻っていく。
サーナにはアンバッスの意図は掴めなかったが、とにかく仇を追うしかないと、周囲から向けられる訝しげな視線を無視して何度か世話になった事もある辺境騎士団クルストス支部へと足を踏み入れた。
アンバッスの背中を追って廊下を暫らく進み、やがて中庭のような場所に出た。
「ここは訓練場だ。実戦形式の訓練も行われる」
「……」
整地された正方形の空間。打ち込み用の杭などが端の方に並んでいる。反対側には宿舎と本館を結ぶ屋根付きの渡り廊下も見える。アンバッスは模擬戦用の刃を潰した剣を手に取ると、訓練所の真ん中に立った。
「ここで何が起きても、それは事故だ」
「……そうかい」
短く答えたサーナは、まだ構えていないアンバッスに向かって突進して行った。割と鋭く突き出されたナイフは、掠りもせずに空を切る。薙ぎ、斬り、突き、偶に癖の悪い足が跳ね上がるが、アンバッスはそれらを全て体捌きで躱した。
サーナの息が上がってきた頃、繰り出したナイフは腕が伸びきって静止した瞬間、なんと刃の部分を掴んで奪い取られた。
「ふん……騎士のナイフか。 部下の遺品だ、返して貰おう」
「なっ!」
最愛の男の形見を取り上げられたサーナは激昂して掴み掛かった。が、やはり触れる事も叶わず躱されてしまう。
「ふざけんなっ! 返せっ 返せっ 返せっ! 返してよおっ!」
「これは騎士の証だ、お前が持っていて良い物ではない」
くるりと背を向けて歩き去るアンバッスに追い縋ろうとするサーナだったが、何故か前に進めない。気がつくと、その場に倒れ込んで訓練場の地面を這いずっていた。気力は精神の昂揚で闘争心が保たれていたが、身体はとっくに疲労の限界に来ていたのだ。
「ちくしょう……」
身体の限界を知った事で急激に気力が消耗して行き、意識も遠くなる。サーナは頬に涙の筋を残して、そのまま気を失った。
目が覚めると、微妙に見覚えのある天井がサーナの視界に飛び込んで来た。久し振りにたっぷり眠れたような気分。
次いで見覚えのある天井が、初めて彼の部屋にこっそり泊まった時の記憶だと思い出す。あの時は『バレたら厳罰モノだ』と彼はオドオドしていた。特に何をするでもなく、一晩中コソコソとお話をしていたダケだったが、凄く楽しかった事を覚えている。
「ナイフ!」
意識が覚醒した瞬間、ガバッと身体を起すサーナ。その勢いで掛けられていたシーツが床に落ちるが、気にしている暇は無い。形見のナイフを取り返さねばと、宿舎の部屋を飛び出した。
何となく其処に居るような気がして、サーナは昨日の訓練場に走る。すると、そこには昨日と同じようにアンバッスが立っていた。訓練場の壁際にある武器棚から手頃な短剣を引き抜いたサーナは、やはり昨日と同じく突進して行った。
「ゲホゲホッ はぁっ はぁっ はぁっ」
昼前頃、サーナは訓練場の地面に突っ伏して荒い息を吐いていた。結局一度も、当てる事さえ出来なかった。
体捌きのみではなく剣で弾いて躱される事もあったが、サーナは一度もアンバッスに打たれていない。にも関わらず地面に突っ伏している事に、彼女は悔し涙を浮かべる。
「今日は食えるだけ食って明日はゆっくり休め、どうせ動けんだろうからな」
アンバッスはそう言い放つと、訓練場を後にした。追い掛けたくても身体がいう事を聞かないし、息も苦しい。
結局、サーナは暫らく此処を動くことが出来なかった。ようやく回復して支部内をうろついていると、他の騎士から食堂に行って飯食って寝ろと注意された。アンバッスが色々手を回しているらしい。
『なんのつもりだか知らないケド……絶対殺してやる……デリックの形見も取り返してやる!』
翌日、サーナは全身筋肉痛で丸一日動けなかった。
「ち、ちくしょー……」
支部内訓練場で繰り広げられるサーナとアンバッスの対決は、翌日、翌々日と続いて行き、始めは半日もすれば体力が尽きて倒れていたサーナだったが、一週間が過ぎる頃には反撃を喰らって倒されるようになっていた。
武器も片手剣くらいまでなら扱えるようになっており、時折激しく打ち合っている光景が見られる。
「っ……!」
ギンッと何度目かの硬質な音を響かせて剣が打ち合わされた瞬間、苦悶の表情を浮かべて握っていた剣を取り落とすサーナ。
手の甲を押さえながら痛みの原因を気にしていると、大きい武骨な手が伸びてきてサーナの手を反す。サーナの掌には無数の潰れた血豆痕と、擦り切れて剥けた皮が散らばっていた。
何故か恥ずかしい気持ちに駆られたサーナは手を振り解いて引っ込めようとしたが、アンバッスの手はビクともしなかった。
「おい! サクヤのアレを持ってきてくれ」
「え! アレ使うんですか?」
「その為の道具だろう、必要な時に使わんでどうする」
いいのかなぁという様子で若い騎士が持って来たのは、手首ほどの太さがある黒い円筒形の物体。
表面にはサクヤ式である事を示すサクヤ印が入っている。その筒の蓋を開けると、ボンヤリと白い光が灯っていた。アンバッスが筒の光をサーナの掌に向けて照射させると、サーナの傷が見る見る回復していった。
「な、なんだいコレ……」
「『快治癒点灯』だそうだ、サクヤと助手のアイカと言ったか……が作った治癒道具なんだとさ」
精霊石と魔力集積装置を組み込んだ携帯型治癒機。まだ一般には出回っておらず、非常に高価な道具として各騎士団本部や支部に配給されているも、勿体無くて中々使えないとされているサクヤ式だ。サーナの掌からは傷らしい傷が殆ど消えた。
「今日はもう休め、明日また相手してやる」
そう言って、アンバッスは訓練場を後にする。以前なら体力に余裕がある段階で背中を見せれば即攻撃を仕掛け、返り討ちにあっては強制的に休ませられていたのだが、何となく今日は従う事にするサーナだった。
その夜、喉が乾いたので水を飲みに部屋を出たサーナは、酒盛りをしている騎士達の雑談が聞こえて来たので、水道橋から運ばれる新鮮な水に口を付けながら耳を欹てる。この頃は自分の噂もあまり聞かなくなった。
「でもいいのかなー、アンバッス隊長殿は」
「エバンスの中隊長ともなると、仕事が出来る部下も多いんじゃないの?」
「でもなぁ、こっちの滞在理由がアレだろう? もう何日目だ?」
元々数日でエバンスに戻る筈だったアンバッスは、予定を変更して未だクルストス支部に身を置いている。その理由が、サーナの相手である事は周知の事実となっていた。自分の命を狙う女に付き合って剣を合わせているのだ。
サーナは自分が此処にいる理由を思い出した。別に忘れていた訳では無かったが、最近は以前のような殺意を懐いてない事は自分でも分かる。だが、理由は思い出せても、あの業火のような怒りと殺意は湧いてこない。絆されたかと不安になる。
やがて騎士達の話は、あの動乱の夜について話題が移った。サーナの肩に緊張が走る。あの夜の事は時折悪夢として見てしまう。
「でもさ、隊長殿も内心複雑だろうね」
「だよなー、あの人の部下の殆どが死んだんだよなー」
「同僚とかもな、それに……あの人も実は一度死んでるらしい」
急襲を受けた支部に応援の騎士を向かわせる為、一人で二十人もの離反騎士と戦って討ち死にしたが、その直後、舞い降りたフレグンスの戦女神によって蘇えったらしいという逸話。その戦女神が使ったという蘇生術も、帝国から伝わってきている。
「ああ、俺もそれ聞いた事がある。帝国じゃあ死んだ少女を生き返らせたそうだな」
騎士達の話は帝国での戦女神の逸話に移って行った。サーナは彼等の話を聞いて、一つ分かった事があった。デリックは祖国の為に仲間を裏切り、味方を殺そうとした。アンバッスは祖国の為に剣を振るい『敵』を斬った。どちらも同じ祖国だ。
「デリック……あんた、結構そそっかしい所あったもんね」
ポロリと、一粒涙を零し、サーナは部屋へ戻っていった。最愛だった男の死に様を知る事が出来た。死んだ理由を知る事が出来た。彼が目指した理想を知る事が出来た。
今夜夢であったら、唇が無くなる前に『馬鹿な事するな』と叱ってやろう、そして甘えてやろう。それから、お別れしよう。サーナはそんな風に思うのだった。
「俺は明日、エバンスに戻らねばならん」
「え……」
今日も訓練場に座り込み、打たれた肩を擦りながら息を整えていたサーナは、アンバッスの言葉にポカンとした表情を向けた。
『明日エバンス帰る』それでは明後日から自分はどうすれば良いのか、何をすれば良いのか分からない。何時の間にか、アンバッスと剣を打ち合う毎日を生き甲斐にしていた。生きる目的にしていたとも言えるだろう。
「……そんな顔をするな。 明日が最後のチャンスだ、今日は良く寝ておけ」
「?」
「デリックのナイフを取り返したいなら、な」
「っ!」
翳りを帯びて不安げに揺れていたサーナの瞳に強い輝きが戻る。デリックの事は、サーナの中で既に決着が付いていた。しかし、彼を愛した事、彼の形見を持っていたい気持ちはしっかり心に懐いている。
「明日が、最後のチャンス……」
そう呟き、サーナは内から湧き出す想いに闘志を燃やした。
翌日――
訓練場には大勢の騎士が顔を見せていた。普段とは違う雰囲気に一瞬訝しむも、人の視線には慣れているサーナは、何時も通り武器棚から片手剣と盾を持って訓練場の中央に歩み出る。其処には何時通り、長剣を持ったアンバッスが待っていた。
両者が構えた所で手合わせが始まる。盾で剣の軌道を隠しながら接近したサーナは、脇を閉めた小さい動作で斬りつける剣をギリギリまで盾で隠し、最も剣速の上がる所で打ち放った。しかしこれは体捌きで簡単に躱される。
盾側に躱すか、剣側に躱すかを見極め、剣側に躱したアンバッスに牽制を掛けながら一歩下がりつつ盾を翳す準備、もう半歩下がった所で薙ぎ払いながら翳した盾ごとぶつかって行くように突貫を仕掛ける。
突貫中は盾の後ろに突きの構えで剣を水平にし、ここから袈裟斬りや横薙ぎに変化出来るよう余裕を持たせる。
が、アンバッスの豪剣は盾ごと持っていくような強烈な逆袈裟でサーナの突貫を押し返すと、更に叩き落とすような斬り下ろしで盾の上部を打ち付ける。
そのまま体勢を崩される前に盾を放棄して避けたサーナは、構えていた突きを足元へ放った。アンバッスの剣がそれを払う。払われた勢いのまま上に跳ね上がったサーナの剣は、後ろに下がりながら牽制の薙ぎで正面を通過。
左肩まで移動した剣の柄を両手で握ったサーナは、振り上げた剣で渾身の一撃を叩き降ろした。呼応するように、アンバッスの剣が迎え撃ちに斬り上がる。バキィンという強烈な金属音が響き、サーナの剣は空高く舞い上がった。
『ああ……負けちゃった、やっぱ駄目かぁ』
「ふん……まあ、合格だな」
何処か心地良い敗北の余韻に浸っていたサーナは、アンバッスのそんな言葉に首を傾げた。見ると、アンバッスの模擬長剣は半ばから圧し折れていた。サーナの全身のバネを使った渾身の一撃は、丈夫な模擬剣を折る程の威力を叩き出したのだ。
アンバッスは懐から上質な布に包まれたナイフを取り出すと、フレグンス王室の印が入った書簡と共に両手で掲げるように持ち上げた。そしてサーナに跪くように言う。サーナは言われるがまま膝を付いた。
「前例の無い事なんでな、まだ正式な手続きは踏めない。だが、俺の名において騎士を名乗る事を許す」
「へ?」
アンバッスは数日前から王都に手続きを要請して新たな騎士を現地で選定し、王国騎士の証を与える許可を申請していた。三日程仇討ちの相手をしてやった所でサーナに素質がある事を見抜き、少々スパルタ方式だがここまで剣を仕込んでいたのだ。
「このナイフは騎士の証として与えられるモノだ。受け取るか? ノース家に与えられた騎士の証を」
「えと……謹んで、御受けします?」
サーナは嘗てデリック・ノースが賜った騎士の証を受け取り、デリックの戦死で途絶えたノースの名を受け継いだ。
「歓迎するぜ、サーナ!」
「今日から俺たちは仲間だなっ」
「アイツの分まで頑張れよー」
訓練場に整列していた騎士達がヒューヒューと囃し立てたり、拍手を贈ったりしてサーナの入団を歓迎した。
元春売りの女騎士、サーナ・ノース。後に『女帝騎士』と謳われるカリスマ騎士が誕生した瞬間だった。
ちなみに、エバンスに戻ったアンバッスは遊びに来ていた朔耶に『最近フラグ立て過ぎじゃない?』とからかわれていた。
「何の事だ?」
「自覚無しですか……」
アンバッスと春売り娘の話〜から始まったんですが、こんな感じに纏まりました。