01話:精霊術士
身の丈程もある草を掻き分けて必死に走る。背後から迫リ来る追手への恐怖が竦み掛ける足に力を与える。防具の金具が擦れ合う音だろうか、複数の金属音が追跡者の存在を知らしめていた。
隣国ティルファの式典に出席した帰り道、国境の森の半ば辺りで突然現れた武装集団。安全な筈の自国フレグンス領内での襲撃。御者に内通者が居たらしく、馬車を護っていた近衛騎士団とは早々に引き離されてしまった。
森の奥深くまで馬車ごと連れ去られる最中、方向転換の為か馬車が速度を落とした隙に思い切って飛び降り、助けを求めて走り出した。
「ハァ……ハァ……ハァ……――精霊よ、風の加護を我が身に――」
効果の消えかかっていた『風の加護』を補強して身体を軽くすると、息をつく暇も無く再び走り出す。装飾が控えめとはいえ、裾の膨らんだドレスは森の中を移動する上で動き難い事この上ない。
腰まで伸びる軽いウェーブの掛かった金髪が時折小枝に絡まり、痛くて泣きそうになる。
彼女の名は『レティレスティア・フィリス・フォルティシス・フレグンス』精霊の国と呼ばれる列強四国一豊かな国、フレグンス王国の第一王女である。
フレグンスでは魔法自体が余り盛んでは無いが、王族は代々高位の精霊術士の血筋を担っていた。
魔力を糧に特定の決められた手順を経て諸現象を起こす『魔術』と異なり、精霊の力を借りる『精霊術』を扱うには、精霊と心を通わせる交感能力が必要不可欠であり、フレグンスの王族は総じてこの能力に優れていた。
レティレスティアも六才の頃から才能を発揮し始め、十六才にして準導師の称号を得る程の術士だった。知の都と称される隣国ティルファの式典に招待されたのも、優れた精霊術士としての論説を依頼されての、外交も兼ねた訪問だった。
ただ、今この時期に国外を訪問する事には父王や宰相も難色を示していた。ティルファを挟んで一つ隣にある国、グラントゥルモス帝国が不穏な動きを見せているという報告が各国の間諜からもたらされていたからだ。
『最近代替わりした若き皇帝は大陸の覇権を狙っている』
そんな報告を裏付けるように、グラントゥルモスには連日多くの傭兵が集められ、商人国家キトから買い付けた大量の武器が城に搬入されていると噂されていた。
大小様々な国が存在するこのオルドリア大陸には、その中でも列強と呼ばれる国が四つ。他の殆どの国はその四つの国の衛星国家で、中立国としても規模は列強国の四分の一もあれば大きい方と言える。
そんな勢力情勢の中で、列強四国の内の一角であるグラントゥルモス帝国にとって大陸制覇に乗り出すのならばまず、軍事力的にも抑えておかなければならない相手が精霊の国フレグンスであった。
それというのも、列強四国の残り二国とは条件付きで戦う必要が無かったからだ。
『知の都ティルファ』はあらゆる学問や知識を集め、研究し、発表する事のみに固執した者が集まる学者国家である。
彼等は研究と学問さえ続けられれば誰が支配者になろうと興味は無いという者達ばかりの集団で、彼等の研究の成果は殆ど秘匿される事もなく、大抵の内容は直ぐに世界に向けて発表される。
その中には新たな兵器として武力に繋がるモノもあり、新兵器が考案された場合も直ぐに詳細が発表されるので、自国で開発したい国はそれをそのまま参考にする事が出来るなどの利があった。
民衆も学者気質で気難しさから扱い難い者が多く、無理に支配して統治下におくよりも現状のまま好きに研究をさせ、有用な研究を行う者が居れば投資して支援し、その成果を収穫していった方が有益であるからだ。
『商人国家キト』の方はもっと簡単で、世界中の商人が集まる貿易都市であり、この大陸の流通の中心であり、決して商売相手を選ばない事を理念に成り立つ商業国である。
穀物から武具、動物、珍品、植物、人材等、あらゆるモノが公平に取引される大陸の百貨店とも言える国。例え大陸全てが一国の領土となっても、商人たちは公平な取引さえ保障されればあらゆる物を取り揃える。
つまりは無理に支配せずとも、大陸の覇者となればキトは一地方の商業都市として自然に自国領として組み込めるのだ。
日の落ちた暗い森の中、執拗な追跡を振り切ろうと木々の間を右に左にと駆け抜けながら、レティレスティアは襲撃者の正体について考えていた。
『やはり、グラントゥルモスの手の者かしら……?』
かの国が近々大陸制覇に乗り出すという話しは既に近隣諸国も知る所となっており、各国とも兵力の増強に乗り出し、フレグンスも戦に備えて騎士団の整備を行っていた。だがまだ戦を開ける程の準備は自国も含めてどの国も整ってはいない。
『私を、暗殺ではなく態々攫って行こうとするのは……』
そこまで考えた時だった。
「っ!」
突然目の前が真っ白に染まり、視界を奪われて思わず立ち竦む。数瞬の後、それが何者かが向ける光である事に気付いた。
『回り込まれた!?』
咄嗟に身構えるが、攻撃用の精霊術は未だ実戦でなど使った事が無い。実戦自体これが始めてだった。緊張して息が上がる。
訓練の時は予め守護の結界を張り、怪我の無いよう万全の準備を整えてから炎の精霊と交感を始めていたのだが、森の中を散々走り回り、何度も『風の加護』を使って精神的にも肉体的にも疲労している今の状態で果たしてまともに闘えるのか。
レティレスティアは不安に押し潰されそうな心を鼓舞するように、優しくも厳しい精霊術の教師でもある母の教えを思い出す。
『精霊術は精霊と心で語り合う術、どんな時でも心を穏かに保ち、精霊に語りかけるのです。そうすれば必ず応えてくれますよ』
息を吐き、呼吸を整えて心を落ち着けると、レティレスティアは炎の精霊の力を発現する言葉を紡ごうと息を吸った。
その時……。
「*、***~?」
「え?」
おずおずと、自分に光を向ける相手が聞き覚えの無い言葉で何かを話しかけて来た。まったく敵意の感じられない、寧ろ困惑の色を持ったその声に、吸い込んでいた息は疑問系の声で吐き出された。