はじまり
ふわりと鼻をくすぐるのは、お日様の匂い。
俺の頭を撫でるのは、力強くて優しい手。その手がするりと背中を伝い、くすぐったくてつい笑う。
俺を撫でるその人が、つられたように微笑むのが分かった。
その顔が見たくて俺は顔を上げるけど、なぜか靄が掛かったように、その人の顔を見ることはできない。
だけど俺は、それが綺麗な女の人だということを、どういうわけか知っている。
「耶八」
呼ばれなれない俺の名を呼ぶその人。
「いつかきっと――……」
俺の耳元に顔を埋め、その人は何かを俺に囁いた。
◆◆◆◆◆
「いたぞ!」
ついこの前まで大雨だった天気が、今日は嘘みたいに晴れ上がった。
ぽかぽかと降り注ぐ日差しが心地良く、目の前を流れる川の水音も和やかで、ぼんやりしていた俺は、やっと追いついて来たそいつらに向き直る。
遅いよ。
俺の親友と、槍を手に追ってきた女はすでに、見えない所まで行ちゃったのに。
やたらと足が速くて、やたらと不機嫌そうな顔で追ってくるその女を背に、俺の親友は「お前はあっち」と、更にその後ろから追ってくる何人かの武士の集団を顎で示した。
親友からの指令に俺は大きく頷くと、親友とは別の方へと進路を変える。女はそのまま親友を追っていった。
いいのかなぁ。
俺は遠ざかる親友と女を横目に見た。だって、あの女は小柄だけど、その全身からは鋭い殺気が出てるのが、俺の目には見えるから。
心配してるわけじゃない。そんな物は必要ない。
だって俺の親友は凄く強い。俺が思うんだから間違いない。
だけど俺の親友は強いのに、面倒なことが大嫌い。だから隙さえあれば戦わず、するりと流してやり過ごす。
だからその面倒そうな女の方を、親友が引き受けたのはちょこっと意外。
「子供だろうと容赦はせんぞ」
「まったく、わざわざ目立つ衣なんぞ羽織りおって」
俺を追ってきた武士たちは、そう言って俺をぐるり取り囲む。
ひぃ、ふぅ、みぃ……えっと――
うん。とりあえず、両手の指以上はいる。
確かに俺は親友より背はちっちゃい。けどいつか、絶対、きっと、たぶん……追いつくし。
それに、この鮮やかな向日葵色は俺のお気に入り。
ほっといてほしい。
「覚悟!」
俺を囲んだ武士たちは、一斉に俺に向かって刀を振り上げてきた。
そういえばこの前、町の芝居小屋で覗き見たチャンバラが、こんな場面だったのを思い出す。
でもそのときは、確か一人が斬り終わるまで他の奴らはちゃんと待っていたのに。
俺はちょっと不満に思いながら、背中の刀に手を伸ばす。少し抜きづらいけれど、こうしないと俺の刀は俺の体には少し長くって、地面に引きずってしまうから。
前にこの刀を抜くときに、ちょっと失敗して、自分の頬を切っちゃったときは痛かった……。
四方から刀が頭上に迫ってきたとき、俺は抜いた刀を手に深くしゃがみ込んだ。
片足を軸に横から大きく背中に回した刀を振り、独楽のように回転する。
ぐるりと円を描いた長い刀が、俺の周囲を囲んでいた武士達の、足の脛を斬って回った。
斬られた脛を抱えて、武士達が呻きながら砂利の上に倒れこむ。それを見た他の武士のすくんだ足が、再び動くのを待ってはやらない。
そのまま低い位置から持ってきた刀を、振り上げながら一人斬り、今度は振り下ろして一人斬る。
次々と足元に転がる俺より大きな身体。
すっかり視界が開けて刀についた血を振るうと、脛を斬られ呻いていた一人が、すっかり抜けた腰を擦りながら逃げようとしていた。
なんだ。
追ってきたのはそっちなのに。
覚悟しろと言ったのはそっちなのに。
そっちに覚悟はなかったの?
俺は慌てることもなく、ゆっくりそいつに近づくと、もう一度刀を振り上げた。
◆◆◆◆◆
親友からの指令を達成した俺は、すっかり離れてしまったその姿を探して走った。風になびく青い髪が見えて、足を速める。
こちらに背を向けている親友の名前を俺は呼んだ。
「青ちゃん!」
振り向いた親友の下へと、俺は駆け寄り報告する。
「さっきのヤツら、おれが全部倒してきたよ! 全員弱っちかったけど」
青ちゃんは片方しかない左目で俺を見下ろした。片方しかないのは俺のせい。ない右目には眼帯が当てられている。
かつては二つあった真っ赤なその目を、俺は小さい頃見た村祭りの、りんご飴みたいだと言ったことがある。青ちゃんには、そんな風に言ったのはお前が初めてだと、苦笑いをされたけど。
夜が明ける前の空みたいな青い髪も、この赤い目も、おれは綺麗だと思うのに、青ちゃんはそれが嫌いらしい。俺はその目を見上げて待つ。
俺、頑張ったよ?
あいつら、あっという間に倒したし。
俺は怪我もしてないし。
だから――。
すると青ちゃんはやれやれというように、俺の頭に左手を置いた。
思わず顔がにやける。
俺は青ちゃんの、この“頭ぽん”が大好きだ。なんだかお腹いっぱい食べれたときみたいに、幸せな気分でいっぱいになる。
大満足した俺は視線を下ろすと、そこにあの女が倒れているのを見つけた。
やっぱり青ちゃんは強い。
女からもはや殺気はでていない。だけど――
俺は近づいて女をつついてみた。すると女はかすかに呻いて眉間に皺を寄せる。
「死んでない」
「放っとけ」
青ちゃんは行くぞ、と地面に差していた刀を、さっき俺の頭に置いた手で引き抜いた。
青ちゃんには右腕もない。それもやっぱり俺のせい。右耳も欠けてはいるが、それは俺が青ちゃんに会ったときにはすでにそうだった。
青ちゃんは倒れてる女をそのままに、さっさと歩いていってしまう。俺はひらひらと揺れる右袖の、鮮やかな赤を追いかけた。
「なぁなぁ、青ちゃん。さっきのさ、何だったんだろ。いつになく大勢だったしさぁ」
「んぁ? 盗賊狩りだろ、言ってなかったか?」
「聞く前にやった」
「そか」
俺と青ちゃんは、いわゆる盗賊だ。
青ちゃんが盗賊だと言ったから、俺も盗賊になることにした。
だから時々こうやって、喧嘩を売られることもたくさんある。それでもなんだか最近は、さっきみたいなヤツらが相手のことが多い気がする。頭の悪い俺は、なんでと青ちゃんに訊こうとしたんだけど、青ちゃんは大きな欠伸をして、もう眠そう。
青ちゃんの目はすでに、次の昼寝の場所を探している。
こうなるとつまらない。辺りを見回せば、面白い物がいっぱいあるのに。眠っちゃうなんてもったいない。
俺は青ちゃんからちょっと離れると、何か面白い物がないかと辺りを見回した。
ここにはヒトがたくさん住んでいる。ヒトじゃないのもたくさんだ。
ヒトと、羅刹と、アヤカシと。
混ざり合ってごちゃごちゃで。
それが北倶盧洲の端っこの、『賽ノ地』と呼ばれるこの場所だ。
ここが俺と青ちゃんが生きる場所。
必ずいつもどこかから、錆びた血の匂いがしてくるところ――
みてみんにて紙芝居
http://949.mitemin.net/i27971/
早村さん作:動画
http://www.youtube.com/watch?v=CIaahyElet4&context=C4c7f391ADvjVQa1PpcFP3pihwd94x4TbWrhQ7fjyaVffxKovEUWE=