近所の屋台の激動
私の名前はマリサ。
シャシャートの街で小さな飲食店をやっている女将だよ。
夫は冒険者。
ずっと家にいることもあれば、ふらっと仕事で数ヶ月いないこともあるね。
それなりの稼ぎを持って帰ってきてくれるけど、そろそろ落ち着いてくれても良いんじゃないと話し合ってるところ。
まあ、大抵は喧嘩になってうやむやになってしまうけど。
夫の話はいいや、大事なのは息子と娘。
息子のマルクは今年で十五、娘のサンは十三。
店の手伝いをしてくれているけど、息子と娘は交代で大通りに屋台を出している。
修業ってヤツさね。
本来なら、どこかに働きに行かせるのが良いんだろうけど、二人とも私のお店の手伝いがしたいって言ってくれてね。
気持ちは嬉しいけど、息子と娘の幸せを考えたらお店に縛り付けちゃいけないって思って、大喧嘩したよ。
「じゃあ、冒険者になる」
って言われて、私が折れたんだけど……その時に条件を出したのが屋台での修業。
二人して色々と考えてやっているみたいで、自分でもなかなか良い条件だったんじゃないかなって思っているよ。
しかし、ここ数日は二人の顔色が悪い。
話を聞けば、新しいお店ができてお客の流れが変わってしまったと。
馬鹿だね。
それなら場所を変えれば良いだろうに。
屋台の利点は、移動できることなんだから。
私の提案に息子と娘は大きなため息を吐いた。
なんだい母親の助言にため息で返すなんて。
街の中で屋台を出すには、商業ギルドに場所を決めて申請しなければならないらしい。
その申請をする際に商業ギルドに場所代を納め、定められた期間だけ屋台を出す権利をもらえる。
なので場所を移動する場合は、改めて商業ギルドに申請しないといけない。
つまり、また場所代を納めないといけない。
息子と娘は面倒そうにそう説明してくれた。
なるほど。
屋台は屋台で色々と大変なんだね。
修業で屋台をやらせているけど、それは隣のお店の奥さんのアドバイスだったから、知らなかったよ。
息子と娘の力になれないかと、私も色々と考えた。
でも、ロクな考えが出ない。
出るなら、お店をもっと大きくしてるさね。
はぁ。
ため息が出るね。
いつもは息子か娘に頼んでいるんだけど、今日は私が買出しに出ることにしたよ。
屋台の様子をみてやろうと思ってね。
……
噂には聞いていたけど、本当に大きなお店だね。
このお店ができたせいで人の流れが変わって、息子と娘が苦しんでいるわけか。
カレーとかいう食べ物を売っているお店らしいけど、どうせ大した食べ物じゃない。
物珍しさでウケているだけ……にしては凄い人気だね。
ここの百分の一でもうちの店に……いや、息子と娘の屋台に来てくれたら、助かるのに。
しかし、良い香りだね。
……お昼は家で食べようと思っていたけど、ここは一つ、敵情視察をしてみようかね。
俺の名前はマルク。
俺が小さい頃の屋台の食べ物といえば、焼いた物を出すお店か似たようなスープを出すお店ばかりだった。
しかし、ここ数年。
シャシャートの街の屋台の食べ物は進化している。
いや、屋台だけじゃなく普通のお店も。
どうしてかは知らない。
屋台の先輩はゴロウン商会が関わっているって言ってたけど、どうなんだろう。
まあ、どうでも良い。
大事なのは俺もその流れに乗ろうと、妹と二人で食べ物の屋台を出していることだ。
売っているのは骨付きの羊肉を焼いた物。
昔からある食べ物だけど、とある香草を使って味付けに工夫をしている。
お陰で評判は上々。
他の屋台からの偵察が来るほどだ。
売り上げも予想以上で、ちょっとした自慢だった。
このまま続けたら、いずれはちゃんとしたお店が持てるんじゃないかと夢見たぐらいだった。
その夢を打ち砕くように長雨。
屋台の弱点は悪天候。
特に雨は客足に大きく響く。
大雨の時なんかは、屋台を開かないほうが正解だったりする。
はぁ。
世の中、甘くない。
このシャシャートの街は冬の寒さは控えめだけど、雨量がそれなりにあるのが弱点だな。
しかし、天候はどうしようもない。
神様の領分だ。
俺は俺でできることを頑張るしかないさ。
世の中、残酷だ。
人の流れが急に変わった。
理由はわかっている。
北にあった四つ角の一角、資材置き場になっていた場所で建設を始めたからだ。
何を建てているのか知らないが、街中の大工が雇われている。
労働者も。
こうなると、しばらくは人の流れは元に戻らないだろう。
屋台の場所を変えることも考えないと。
運良く、そろそろ更新日だ。
今の場所を諦め、資材置き場だった場所の近くを選ぶのはどうだろう?
あの大きさだ。
しばらく建設は続くだろう。
そこに大工や労働者が集まるなら……
元々、それなりに人通りのある四つ角で場所代は高いが、すぐに取り戻せるだろう。
妹も賛成してくれた。
よし、そこにしよう。
目論見通り、大工や労働者を相手に売れた。
ここ数日の売り上げは前の場所の倍以上。
このままなんとか……
建設が終わった。
馬鹿な。
こんなに早く?
一年は続くと思ったのに。
しかも、この建物はなんだ?
壁がない建物?
壁代をケチったから早かったのか?
巨大な屋根だけがあるみたいだ。
そう思っていたら、そこで食べ物が売られ始めた。
カレー。
すでに知られていたのか、初日から大盛況。
あの大きな建物に人が吸い寄せられる。
俺の屋台の前を素通りして……
いや、物珍しいだけだ。
大丈夫。
すぐに飽きられる。
飽きられるハズだ……
だから焦っちゃいけない。
焦らないぞ。
私の名前はサン。
お兄ちゃんと一緒に屋台をやっている可愛い女の子。
その可愛い私の顔が、曇っています。
理由は一つ。
屋台の売り上げが落ちたからです。
それも極端に。
場所移動が致命的でした。
大失敗。
建設客を目当てに場所を移動したら、建設があっさり終わってあんなに美味しい料理屋になっちゃうなんて誰も予想できないと思うの。
あー……でも、商業ギルドで場所移動の申請をする時に、やんわりと止めたほうが良いってアドバイスされたのよね。
あの人たちは何ができるか知ってたのね。
素直に聞いておけば良かった。
反省。
反省を終えたら、次は対策。
どうしよう?
今すぐ、別の場所に移動するのが正解だと思うけど、問題は場所代ね。
まだ次の場所代を払うぐらい稼げてない。
次の更新日まで二ヶ月と半分……
日数はあるけど……今の売り上げが続くと、次の更新分も厳しい。
……無理ね。
お兄ちゃんはまだ頑張る気だけど、屋台は諦めてどこかのお店で働いたほうが正解かしら?
例えば目の前の……
従業員の制服が、可愛いのよね。
私もそこで働いたらあの制服、着れるかしら?
エプロンだけの子もいるから、ちゃんと実績を積まないと駄目なのかな?
数日後。
大事件が起きた。
目の前のお店で大騒動が発生。
ああ、これが大事件じゃないわよ。
大事件はこの後。
なんとこのお店が今日だけカレーを無料で配るって話になったの。
急いで並ばなきゃ。
前から興味はあったのよ。
いつも良い香りがするし、食べてるお客さんたちも美味しそうに食べてるし。
屋台?
店番?
どうせお客なんて来ないわよ。
臨時休業。
どこで待っていれば良いのかな?
美味しい。
そして駄目だ。
本当に駄目だこれ。
心のどこかで、うちの屋台も負けてないって思っていたけど、駄目だ。
こんなの相手になるわけない。
お母さんも、以前は私やお兄ちゃんを心配してなんだかんだ言ってくれていたけど、ここのカレーを食べてから何も言わなくなって、優しい笑顔で見守ってくれるようになった。
あれは優しい笑顔じゃなかった。
哀れみの笑顔だ。
私は横で食べているお兄ちゃんを見る。
うん、絶望してる。
お母さんは……あ、お代わりを貰いにもう一回、並んでる。
いつの間に。
いや、しかし、本当にどうしよう。
私は二杯目のカレーを食べながら考える。
どうしようもない。
現状、屋台の方も売り上げがゼロではない。
カレーを食べた後、もうちょっと腹を……という感じで買ってくれるお客はいるのだ。
どうしてかなって思っていたけど、食べて実感。
一杯のカレーの量はそれなりにあるんだけど、まだあとちょっと食べたいって思っちゃうのよね。
この料理が中銅貨五枚は安いと思うけど、二杯頼むと安くはない。
だから屋台でってことかな。
それを目当てになんとか期間ギリギリまで続けて、次の場所代を稼ぐしかないよね。
駄目なら、屋台は一旦休業。
日雇いでもなんでもして、場所代を稼げば良いかな。
ってことでどう?
お兄ちゃん。
水を何杯飲んでも、このお店にダメージを与えることはできないと思うわよ。
それ、普段からタダで配っているし。
カレーの無料配布は大事件だったけど、本当の大事件はこの後。
周辺にある屋台や飲食店の店長が、揃ってこのお店に文句を言いに来たの。
文句は……まあ、聞いている方が恥ずかしくなるような内容。
「このお店のせいで、俺達の店の売り上げが落ちた。
どうしてくれるんだ」
どうもしないでしょ。
商売は弱肉強食。
売れ過ぎているからって、どうしろというの?
売るのを止めろって言うの?
それに、このお店ができたことと、貴方たちのお店の売り上げが落ちたことは誰が証明できるの?
その言い分じゃ商業ギルドだって味方してくれない。
さて、ここのお店はどうあしらうのかなと思ったら……ゴロウン商会のお偉いさんが出てきた。
私は驚いて、椅子から転げ落ちてしまった。
次期会頭のマーロンさんだ。
起こしてくれた。
良い人だ。
文句を言いに来た人たちも……知ってるみたいね。
沈黙しちゃった。
そりゃそうよね。
ゴロウン商会って、商業ギルドを顎で使える大商会だもんね。
逆らったら、この街どころか魔王国領で商売できなくなるわ。
そのマーロンさんが、文句を言いに来た人たちを近くのテーブルに案内。
カレーで懐柔するのかなと思ったら、商談を始めた。
……
…………聞き耳を立てる。
はしたないとか言わない。
聞かれる場所で商談をするほうが悪いの。
というか、聞かれることが前提なのでしょうね。
隠そうともしていない。
逆に周囲に聞かせようとしているように思える。
マーロンさんの話は難しかったけど、言っていることは簡単だった。
「このお店には広大なスペースがあるので、そこでお店を開きませんか?」
スペースは一店につき、三メートル四方。
ルールは二つ。
一つ、呼び込みはお店の前だけ。
二つ、小火や食中毒を出したら即撤去。
場所代は一ヶ月で大銅貨十枚。
火を使う場合は、さらに大銅貨五枚を頂きます。
場所は半年に一回ぐらいクジで移動します。
ただ、周囲に混雑を発生させるお店……人気で行列ができるとかですね。
そういったお店はこちらで指定した場所への移動をお願いします。
一ヶ月大銅貨十枚?
火を使う場合はさらに五枚だから、うちの屋台なら十五枚?
安い。
お兄ちゃんを見る。
一生懸命、売り上げ金を入れている袋の中を確認している。
でも、さすがに無いと思うよ。
お肉の代金を払ったばかりだし、最近の売り上げを考えたら……
お母さんに借りるべきかしら。
……
お母さんは有料のカラアゲを唸りながら食べてる。
いつの間に?
私にも一つ、いや二つ、残しておいてね!
あ、でも、外の屋台が店の中に入ったからって、売り上げが伸びるかしら?
飲食店を集めることで、飲食目的で来る人たちが集まる?
……確かにそうね。
テーブル、椅子は共用で設置してくれる。
お水もタダ?
屋根があるから雨を凌げる?
将来的には飲食店以外も入れる予定。
いいかもしれない。
「ああ、そうそう。
一ヶ月大銅貨十枚ですが、今回は色々とご迷惑をお掛けしたということで、初回は無料で受け付けるとこの店の店長から言われています。
まずはお試しということで一ヶ月、やってみては……」
「やります!
お願いします!」
初回は無料との内容に、マーロンさんの話が途中だったのに横から声を上げてしまった。
無礼なことをした自覚はあるけど、このチャンスは逃せない。
話を聞いていた人たちも次々に手を挙げる。
マーロンさんは私を見て、ニッコリと笑いかけてくれた。
「では、まずはこちらのお嬢さんと話を進めましょう」
怒られなくて良かった。
少し前まで、お店の外にあった屋台がお店の中に移動した。
お店の中で火を使っても、煙が上に逃げる。
凄い。
そして、売り上げだけど……伸びたわ。
最初はイマイチだったけど、村長って呼ばれているカレーのお店の店長が見本を見せてくれた。
私たちの羊肉をカレーに付けて食べた。
衝撃だった。
そして、それが私たちを助けてくれた。
「カレーに付けて食べても美味しい羊肉ですよ。
なんでしたら骨から肉を削ぎ落とします」
カレーとの共存。
そして……
「カレーに飽きたら、違う味はどうですか」
すでに大銅貨十五枚分は稼いだ。
来月もここで頑張ろうと、私は早々に決めていた。
お兄ちゃんも同じ気持ちのようだ。