リベンジキャンプ【前編】
今回は結婚して最初の夏。
妊娠中の美緒家族と、千裕さんや由香里さん家族とキャンプへ行く話を美緒視点で。
「今年も夏休みにキャンプに行かない?」
それは7月の初めのある夜、千裕さんから久しぶりに電話が掛かってきた。
今年度はもう役員をしていないので、千裕さんに会う機会が極端に減ってしまった。おまけに新婚さんの邪魔をしてはいけないとばかりに、週末のお誘いも遠慮してるみたいだし、私の妊娠が分かったから余計に気を使っているみたいで。
でも、今回は久々に以前のように気軽に誘ってくれて嬉しかった。だけど、千裕さんのその一言で記憶が蘇ってしまった。1年前のあのキャンプでの出来事が……。
「新婚旅行の代わりにならないかもしれないけど、どう?」
私が1年前の記憶に囚われて言葉を発せ無いでいると、千裕さんはさらに言葉を重ねた。
―――――――新婚旅行。
そう、春にバタバタと籍を入れた私達は、まだ新婚旅行なるものに出かけてはいない。拓都がいるからハネムーンなんて言う甘いものにはならないけれど、夏休みに3人でディズニーリゾートを満喫しようと話していた。妊娠も考えなかった訳じゃないけれど、自分が妊娠するなんてあまり想像できなかったし、妊娠しても病気じゃないんだから、何とかなると簡単に考えていたのは、私だけだった。
結婚式を終え、落ち着いた5月の末、私は生理が遅れている事に気付き、念のために行った産婦人科で妊娠している事が分かったのだった。
妊娠している事が分かってから、慧は過保護になった。本当は車を運転するのも心配らしいけれど、仕事に行くのに必要なので渋々認めてもらっている。でも、買い物は慧と一緒に行ける土日限定になってしまった。家にいても、重いものは持つな、お腹は冷やすな、無理をするなと口うるさい。
だから、夏休みのディズニーリゾートでの夢の休日は、慧に言わせるととんでもないらしく、無期限延期となってしまった。私的には、妊婦不可の乗り物に乗らなければいいんじゃないかと思っていたのに、人が多い場所で歩き回る事がとんでもない事らしい。
「慧に訊いてみないと……ディズニーリゾートもキャンセルされちゃったし……」
「篠崎先生、心配性だよねぇ。特に流産の心配の無い健康な妊婦なら、多少動く方がいいのにね。でも、炎天下のテーマパークよりは、涼しい山の中のキャンプ場でゆっくり森林浴するほうが、胎教にもいいんじゃない?」
「千裕さん、売り込みが上手だね。慧にそう言ってみるよ」
「ふふふっ、もう由香里さんにも参加の返事貰ってるから、何とか篠崎先生にもその気になってもらわないとね」
「由香里さん家も行くの? 由香里さんのご主人も了解してるの?」
「由香里さん家は、ご主人が乗り気なのよ。前からキャンプに興味があったらしくてね、この際キャンプ用品を買いそろえるんだって、張り切ってるらしいわよ」
「そっか……テントとかいるもんね。私の所もキャンプ用品なんてないよ」
「テントなら去年のキャンプの時貸してあげたのがあるし、レンタルとかもあるよ」
千裕さんの去年のキャンプという言葉を聞いて、またあの時の映像が脳裏によみがえった。
「去年のキャンプって……あれから1年しか経っていないのに、もう随分昔の事みたいに感じるよ」
たった一年で、こんなにも立ち位置が変わってしまった。
あの時、必死で押さえこんだ想い。だけど今は、その想う同じ相手の子供をお腹に宿して、幸せな日々を送っている。
悲しい思い出でしかなかったキャンプは、いつの間にか記憶の彼方へ押しやられていた。
「あぁ、去年のキャンプと言えば、あの時は知らなかったとは言え、無神経に美緒ちゃん傷つけてたよね。本当にごめんね」
私は千裕さんの言葉に驚いて絶句した。
千裕さん……ずっと気にしていたのだろうか?
千裕さんは思う以上に周り気を使う人だ。だけどそれを極力周りに感じさせないようにもしている。
「な、なに言ってるのよ。千裕さんは何も悪くないでしょ。むしろ、何も言って無かった私の方が悪かったのよ。気を使わせてごめんね」
「いやいや、それでね。去年のキャンプをやり直すと言うか、思い出を塗り替えると言うか……リベンジできたらと思って、去年と同じキャンプ場に行く予定なの」
「リベンジ?!」
千裕さんの突拍子もない言葉に、私は思わず声を張り上げた。
「そうよ。あのキャンプ場と私達と行ったキャンプを思い出す度に嫌な気持ちにさせてしまったら悲しいもの。だから、キャンプの思い出をラブラブな思い出に塗り替えるのよ!」
ち、千裕さん……なんだか、テンション高くありませんか?
それに、ラブラブな思い出って……他の家族もいるし、拓都もいるのだから、それは無いって。
「千裕さん……ラブラブは無いと思うけど……」
「ふふふっ、新婚さんは一緒にいるだけでラブラブなんじゃないのぉ? 私達の事なんか気にしないでいいからねぇ」
あぁ、千裕さん、スイッチ入っちゃってる。こうなると暴走しちゃうからなぁ。
「ま、まあ、とにかく、慧に聞いて返事するから……」
私は電話を切ると大きく溜息を吐いた。
さて、慧にはどんなふうに話そうか……まさか、リベンジなんて言えないし……。
その夜、拓都が寝た頃に帰って来た慧にキャンプの話を切り出してみた。
「キャンプ? 西森さんと川北さん家族と?」
「そうなの。新婚旅行の代りにどうかって……由香里さんのご主人は凄い乗り気で、キャンプ用品を買いそろえるんだって。それに、涼しい山の中のキャンプ場でゆっくり森林浴するのも胎教にいいんじゃないかって……ほら、妊婦が二人もいるし」
私は勢い込んで千裕さん仕込みの売り文句を並べる。慧はそれを聞いて考え込んでいるようだ。
「う~ん。8月頃なら、美緒も安定期に入る頃か……」
慧が独り言のように呟いた。
安定期って……初めての妊娠なのに、やけに詳しい。もしかして、勉強したの?
私が怪訝な顔をして彼を見つめると、彼は何を勘違いしたのか慌てて「いや、何もかもダメだと言うつもりはないんだよ」と言い訳のように言った。
「うん、わかってる。拓都もね、夏休み中どこにも出かけないんじゃ、可哀想だと思うの」
私はもうひと押しだと拓都の名前を出した。
「わかった。キャンプに行こう。その代わり、できるだけ木陰にいて、動き回らないように。重いものは俺が持つし、少しでも異常を感じたらすぐに言う事。美緒の事だから、皆が楽しんでるのに水を差したくないとか思って、少しぐらいの異常は我慢してしまうだろ?」
慧の言葉は思い当る事があって、うっ、と言葉に詰まってしまった。
この前も買い物に行ってずいぶん長くかかってしまったせいか、少しお腹が張るなぁと思いながらも後少しと我慢した事があったっけ。
「わかってるわよ。慧の言い付けは守ります」
「おまえ本当に分かってるのか? 俺が言うから守るんじゃないだろ? おまえのお腹にいる俺達の子供は、おまえしか守れないんだぞ。俺はそのサポートするぐらいしかできないんだから、おまえが赤ちゃんを守ろうと言う気持ちでいてくれないと」
慧の真剣な眼差しと言葉に、私は痛いところを突かれたように、今度こそ言葉を失くし俯いてしまった。
ああ、本当に! 自分自身の身の内に子供を宿し、日々実感していると言うのに、まだ子供の存在を実感できないであろう慧に諭されるなんて。
今まで妊娠していても今までと同じように働く同僚達を見て来たから、慧の過保護ぶりに少しうんざりとしていたのだ。
「ごめんなさい」とどうにか口にして、上目使いに彼の様子を窺えば、彼は自嘲気味に大きく息を吐いた。
「まあ、そんなに神経質になる事もないとは思うけど、な。出産経験者もいる事だし、気になる事があったら、彼女達に訊けばいいし……とにかく、キャンプへ行こう。拓都にも夏の思い出は必要だしな」
彼はそう言うといつもの笑顔を見せた。私もその笑顔に答えるようにおずおずと笑顔を返した。